2016/07/08(金) - 15:59
ユキヤが逃げた。大腿骨骨折からの復活はすでに古い話題? 165kmに及ぶ長い逃げは実こそ結ばなかったが、降り注ぐ太陽よりも明るい話題を提供してくれた。フォトグラファーとして追った一日を振り返る。
前日には今回のツールで2度めとなる落車をした新城幸也(ランプレ・メリダ)。後方から他の選手に突っ込まれ、再び左親指を大きく打ち付けたという。スタート前にバスから出てきたユキヤに「大丈夫?」と問うと、「大丈夫、大丈夫、何とも無いです」と短い返事。ちょっと寡黙な感じで、集中しているのがわかる。アタックを掛ける日に共通した雰囲気だ。
この日はチームミーティングで逃げの役割を指示されていたという。ガーミンの動作を確認して、ハンドル周りも念入りにチェック。打撲した指はやはり動かしづらいようだ。ブレーキレバーのヒンジに滲んだオイルを拭うと、レバーを握り締めて確認、スタートへと向かった。
スタートを待つバスエリアで緊張感を漂わせているのはスプリンター擁するチームたち。キッテルのエティックス・クイックステップにグライペルのロット・ソウダル、カヴェンディッシュのディメンションデータにコカールのディレクトエネルジー。キッテルはユキヤと同じくハンドル周りを再確認。メカニシャンは注文に合わせて直前までブレーキをチューニングしている。
この第6ステージまで集団落車は複数回あれどリタイヤ者が居ない。198人が揃っているのは近年に無く珍しいもの。怪我を負った選手は多くとも、この日全員が完走すれば、記録上はツール史上初のこととなる。
スタートしてすぐにユキヤとヤン・バルタ(チェコ、ボーラ・アルゴン18)のアタックが伝えられる。フォトグラファーとして先行していた私は25km地点のモンサルヴィの街で待つことに。イタリアチームに所属する日本人と、ドイツチームのチェコ人のデュオはすぐに差を許された。
「集団は誰かが行けば付いて行くという雰囲気だったけど、僕が行ったらすぐに2人きりに。誰も来なかったですね」とユキヤ。もちろん人数が多いほうが逃げ切りに繋げやすいからだ。
集団にとってはスプリントに向けてコントロールするには格好の少人数逃げ。下り基調の前半は細くて曲がりくねった道が多くを占めて危険このうえないが、落ち着き払った2人の逃げはコーナーや下りでリスクを犯すことなく淡々と進む。
沿道で撮影していると観客たちからも次々と声が掛かる。「ユーロップカーに居たアラシロよね、知っているわよ」と。この一帯は道が険しいのでコースの迂回路が少ない。撮影ポイントも限られるので、日本人フォトグラファー同士もお互いの位置を確認してはひとつのチームとして分担するかのようにポジションを変えつつ撮る。海外カメラマン勢も「後で撮った写真送るよ」と申し出てくれるなど、気を効かせてくれるのが嬉しい。
まだ国際映像のライブ放送が始まっていない時間帯。私のできることとして、一眼レフで撮った写真を無線カードでスマホにダウンロードしてSNSにアップすることを数回試みた。しかし高速で移動中に加えて、携帯の電波は田舎のため3G(ときどき2G)回線なものだから、投稿完了までにはえらく長い時間がかかってしまった。今年のツールではとくにSNS専門で仕事をする「スマホ・フォトグラファー」の姿が目立つが、その事情はこの一日の体験でよくわかった。スマホ直でやる仕事も時代の要求だ。
太陽の光がまばゆい夏日になったこの日、フランスの素朴な田舎の風景にはランプレの紺にピンクの派手なジャージが映えること!。そしてユキヤの肢体が今までになく絞れていることを再確認する。とくに大きなお尻をグイグイと動かして推進力に変えるような特徴的な腰回りが、見違えるほどすっきりした細さになった印象だ。ユキヤは「身体が絞れているのは、汗をたっぷりかく国で練習して走りこんだから。ヨーロッパでレースを走ってもこうはならない」と話していた。
南下を続け、ミディ・ピレネーが近づいてきたことを感じる。午後にかけて気温は33℃まで上昇。暑さが堪えるようになったが、タイと日本でじっくり走りこんできたユキヤには厳しいものではなかったはずだ。
レース後半、スプリンター擁する各チームが牽引しだすと、タイム差は縮まりだした。集団にとってコントロールしやすい逃げとはいえ、結局は最大で5分30秒以上のタイム差は許されなかった。レース後半のモントーバンへと向かう道路はコースも道幅が広く、直線的な主要道。「逃げ切りたかったのはもちろんですが、差は5分以上開かなかったので、難しいことはわかっていました。コースも後半は道幅が広かったですし、2人が有利なものではなかったですね」とユキヤ。
昨年までのチームメイトたち、旧ユーロップカーのディレクトエネルジーがブライアン・コカールのために積極的に集団のペースを作ったのはなんとも皮肉な話だ。しかしそれもレース。後半は2分差で推移したタイム差は残り40km地点で1分、残り29kmで30秒に。ユキヤとバルタもお互いのアタックでスピードアップを試みるも、前半たっぷりと平和な時間を過ごしたぶん、集団の一気のペースアップに抵抗するには、2人ではどうしようもなかった。
ランデブーは残り22kmまで。集団に気づかれないようにペースアップする「騙し合いの駆け引き」にかかるまでもなく、圧倒的なスピードで差を詰めた集団に早めに捕まってしまうふたり。我々日本人メディアにとってのお祭りもそこで終了。
モントーバンのスプリントフィニッシュはやや下り勾配。「キッテルのホイール(後輪)がどうしても取りたかった。フィニッシュは少し下っているから早めの仕掛けが有利だとわかっていた」と言うカヴェンデュッシュは、その爆発的な加速力を活かしてラスト150mでキッテルの背後から飛び出した。
上半身を前に送り、ハンドルに身を伏せるようなひときわ低いポジションでトップスピードに乗せると、重めのギアでそのままスピードを維持して先行、フィニッシュラインまで駆け抜けた。ちなみにカヴのトップギアは54✕11Tだ。
ここまでのキッテルとのスプリントマッチは3対1でカヴに軍配が挙がる。「キッテルが横から上がってくるのを感じたけど、フィニッシュラインに向けて持ちこたえた。それはこの3年間、彼が僕に対してやってきたことなんだ」。
カヴェンディッシュはリオ五輪にトラックの選手としてメダル獲得を目指し出場する。「トラックレースに復帰したことがスプリントでのスピードにつながっている」。
この勝利でツールのステージ通算勝利数を29に伸ばしたカヴ。ベルナール・イノーの保持した28勝を越え、残すは”人喰い鬼”エディ・メルクスの34勝を目指すのみとなった。表彰式では今年がA.S.Oの大使として働くのが最後というイノー氏本人にエスコートされ、マイヨヴェールも授かった。イノーはいつもどおり威厳に満ちた態度でカヴを祝福。特別なセレモニーは行われなかった(それは明日のスタート地点で何かの形で執り行われるのかもしれない)。
2012年ツール・ド・フランスの第4ステージに続き、2度めの敢闘賞獲得。決定は集団がスプリント合戦を繰り広げる前に決定され、敢闘賞スポンサーのアンタルガス公式Twitterにより伝播された。ユキヤはこの決定をフィニッシュ後に知らされて驚く。カメラマンたちの撮影に応えつつ、エスコートされてポディウムへと向かうその顔には、喜びよりも悔しさが浮かんでいる。もちろん逃げ切りたかったという思いだ。そして、終盤にかけてペースを上げる前に捕まったことでの不完全燃焼感からだろう。
2度めとなると表彰式も慣れたもの。前回そうしたようにポディウム上から花束を飯島美和さんへと投げた。最初にキャッチしたのは砂田弓弦さん。経由して美和さんへと渡った。美和さんにも各メディアからカメラが向けられる。クリスティアン・プリュドム氏もユキヤの活躍にご機嫌で、拍手しながら「アレ!アレ!ユキヤ〜」と声をかけに来てくれた。
敢闘賞をとると大忙しだ。表彰式を終えると脇のメディアミックスゾーンで各TV局のインタビュー取材に順に応えていく。そして次にドーピングチェックへ。そして次はポディウムの脇のスペースでライブ収録されているユーロスポーツのインタビュー番組への出演だ。ジャッキー・デュラン、リシャール・ヴィランク、ダヴィ・モンクティエ、マリオン・ルッスさんと一緒に座り、今日の走りを振り返った。はじめは「何語でいく?喋れる?」と心配した司会者も、ネイティブ並みのフランス語が喋れるとなると色々なツッコミを入れはじめ、楽しい番組収録風景となった。
長いこと待った我々日本メディアに順番が回ってきたのは、ホテルへ帰るチームカーに乗り込むまでのたった1分だった。
ユキヤの活躍によるSNS上での盛り上がりにはツール・ド・フランス公式情報側も驚いている様子で、@YukiyaArashiro としてツィートされた数を、カヴェンディッシュの6502に対し3842だったと発表(ただしレース直後の集計)。「Cavendish superstar or/ou Arashiro superstar ?(カヴェンディッシュがスーパースター/それともアラシロがスーパースター?)」とツィートしている)。つくづく、私のライブ写真のツィッター投稿に @YukiyaaArashiro を付け忘れたことが悔やまれる。
「距離を残して捕まったので、そんなに辛い走りではなかったです。脚を使いきらないまま捕まってしまった。ピレネーに向けて良いウォーミングアップになった」とユキヤは振り返る。
調子の良さを感じていたわけではなく、まだ体調は上がりきっていないようだ。「どちらかというと調子を上げるためのアタックでした。こうして脚を溜めながらゆっくり走ることって無いんです。今日一日逃げても意外と疲れていないです。頑張る前に終わっちゃったという感じです。165kmはあっという間でしたよ。のんびり楽しみました。沿道に名前呼んで応援してくれる人がたくさん居たので良かったです」。
この日勝利したカヴェンディッシュはテクニカルゾーンに呼ばれて入った美和さんにも「おめでとう!やったね」と声をかけたという。
まだまだ体調が上がるのはこれからのユキヤ。アタックのチャンス、そしてステージ優勝へ向けて挑戦する姿は今後も何度も観られそうだ。体重が軽くなってパワーウェイトレシオの向上しているであろう山での走りにも期待できそうだ。
photo&text:Makoto.AYANO in Lioran, France.
前日には今回のツールで2度めとなる落車をした新城幸也(ランプレ・メリダ)。後方から他の選手に突っ込まれ、再び左親指を大きく打ち付けたという。スタート前にバスから出てきたユキヤに「大丈夫?」と問うと、「大丈夫、大丈夫、何とも無いです」と短い返事。ちょっと寡黙な感じで、集中しているのがわかる。アタックを掛ける日に共通した雰囲気だ。
この日はチームミーティングで逃げの役割を指示されていたという。ガーミンの動作を確認して、ハンドル周りも念入りにチェック。打撲した指はやはり動かしづらいようだ。ブレーキレバーのヒンジに滲んだオイルを拭うと、レバーを握り締めて確認、スタートへと向かった。
スタートを待つバスエリアで緊張感を漂わせているのはスプリンター擁するチームたち。キッテルのエティックス・クイックステップにグライペルのロット・ソウダル、カヴェンディッシュのディメンションデータにコカールのディレクトエネルジー。キッテルはユキヤと同じくハンドル周りを再確認。メカニシャンは注文に合わせて直前までブレーキをチューニングしている。
この第6ステージまで集団落車は複数回あれどリタイヤ者が居ない。198人が揃っているのは近年に無く珍しいもの。怪我を負った選手は多くとも、この日全員が完走すれば、記録上はツール史上初のこととなる。
スタートしてすぐにユキヤとヤン・バルタ(チェコ、ボーラ・アルゴン18)のアタックが伝えられる。フォトグラファーとして先行していた私は25km地点のモンサルヴィの街で待つことに。イタリアチームに所属する日本人と、ドイツチームのチェコ人のデュオはすぐに差を許された。
「集団は誰かが行けば付いて行くという雰囲気だったけど、僕が行ったらすぐに2人きりに。誰も来なかったですね」とユキヤ。もちろん人数が多いほうが逃げ切りに繋げやすいからだ。
集団にとってはスプリントに向けてコントロールするには格好の少人数逃げ。下り基調の前半は細くて曲がりくねった道が多くを占めて危険このうえないが、落ち着き払った2人の逃げはコーナーや下りでリスクを犯すことなく淡々と進む。
沿道で撮影していると観客たちからも次々と声が掛かる。「ユーロップカーに居たアラシロよね、知っているわよ」と。この一帯は道が険しいのでコースの迂回路が少ない。撮影ポイントも限られるので、日本人フォトグラファー同士もお互いの位置を確認してはひとつのチームとして分担するかのようにポジションを変えつつ撮る。海外カメラマン勢も「後で撮った写真送るよ」と申し出てくれるなど、気を効かせてくれるのが嬉しい。
まだ国際映像のライブ放送が始まっていない時間帯。私のできることとして、一眼レフで撮った写真を無線カードでスマホにダウンロードしてSNSにアップすることを数回試みた。しかし高速で移動中に加えて、携帯の電波は田舎のため3G(ときどき2G)回線なものだから、投稿完了までにはえらく長い時間がかかってしまった。今年のツールではとくにSNS専門で仕事をする「スマホ・フォトグラファー」の姿が目立つが、その事情はこの一日の体験でよくわかった。スマホ直でやる仕事も時代の要求だ。
太陽の光がまばゆい夏日になったこの日、フランスの素朴な田舎の風景にはランプレの紺にピンクの派手なジャージが映えること!。そしてユキヤの肢体が今までになく絞れていることを再確認する。とくに大きなお尻をグイグイと動かして推進力に変えるような特徴的な腰回りが、見違えるほどすっきりした細さになった印象だ。ユキヤは「身体が絞れているのは、汗をたっぷりかく国で練習して走りこんだから。ヨーロッパでレースを走ってもこうはならない」と話していた。
南下を続け、ミディ・ピレネーが近づいてきたことを感じる。午後にかけて気温は33℃まで上昇。暑さが堪えるようになったが、タイと日本でじっくり走りこんできたユキヤには厳しいものではなかったはずだ。
レース後半、スプリンター擁する各チームが牽引しだすと、タイム差は縮まりだした。集団にとってコントロールしやすい逃げとはいえ、結局は最大で5分30秒以上のタイム差は許されなかった。レース後半のモントーバンへと向かう道路はコースも道幅が広く、直線的な主要道。「逃げ切りたかったのはもちろんですが、差は5分以上開かなかったので、難しいことはわかっていました。コースも後半は道幅が広かったですし、2人が有利なものではなかったですね」とユキヤ。
昨年までのチームメイトたち、旧ユーロップカーのディレクトエネルジーがブライアン・コカールのために積極的に集団のペースを作ったのはなんとも皮肉な話だ。しかしそれもレース。後半は2分差で推移したタイム差は残り40km地点で1分、残り29kmで30秒に。ユキヤとバルタもお互いのアタックでスピードアップを試みるも、前半たっぷりと平和な時間を過ごしたぶん、集団の一気のペースアップに抵抗するには、2人ではどうしようもなかった。
ランデブーは残り22kmまで。集団に気づかれないようにペースアップする「騙し合いの駆け引き」にかかるまでもなく、圧倒的なスピードで差を詰めた集団に早めに捕まってしまうふたり。我々日本人メディアにとってのお祭りもそこで終了。
モントーバンのスプリントフィニッシュはやや下り勾配。「キッテルのホイール(後輪)がどうしても取りたかった。フィニッシュは少し下っているから早めの仕掛けが有利だとわかっていた」と言うカヴェンデュッシュは、その爆発的な加速力を活かしてラスト150mでキッテルの背後から飛び出した。
上半身を前に送り、ハンドルに身を伏せるようなひときわ低いポジションでトップスピードに乗せると、重めのギアでそのままスピードを維持して先行、フィニッシュラインまで駆け抜けた。ちなみにカヴのトップギアは54✕11Tだ。
ここまでのキッテルとのスプリントマッチは3対1でカヴに軍配が挙がる。「キッテルが横から上がってくるのを感じたけど、フィニッシュラインに向けて持ちこたえた。それはこの3年間、彼が僕に対してやってきたことなんだ」。
カヴェンディッシュはリオ五輪にトラックの選手としてメダル獲得を目指し出場する。「トラックレースに復帰したことがスプリントでのスピードにつながっている」。
この勝利でツールのステージ通算勝利数を29に伸ばしたカヴ。ベルナール・イノーの保持した28勝を越え、残すは”人喰い鬼”エディ・メルクスの34勝を目指すのみとなった。表彰式では今年がA.S.Oの大使として働くのが最後というイノー氏本人にエスコートされ、マイヨヴェールも授かった。イノーはいつもどおり威厳に満ちた態度でカヴを祝福。特別なセレモニーは行われなかった(それは明日のスタート地点で何かの形で執り行われるのかもしれない)。
2012年ツール・ド・フランスの第4ステージに続き、2度めの敢闘賞獲得。決定は集団がスプリント合戦を繰り広げる前に決定され、敢闘賞スポンサーのアンタルガス公式Twitterにより伝播された。ユキヤはこの決定をフィニッシュ後に知らされて驚く。カメラマンたちの撮影に応えつつ、エスコートされてポディウムへと向かうその顔には、喜びよりも悔しさが浮かんでいる。もちろん逃げ切りたかったという思いだ。そして、終盤にかけてペースを上げる前に捕まったことでの不完全燃焼感からだろう。
2度めとなると表彰式も慣れたもの。前回そうしたようにポディウム上から花束を飯島美和さんへと投げた。最初にキャッチしたのは砂田弓弦さん。経由して美和さんへと渡った。美和さんにも各メディアからカメラが向けられる。クリスティアン・プリュドム氏もユキヤの活躍にご機嫌で、拍手しながら「アレ!アレ!ユキヤ〜」と声をかけに来てくれた。
敢闘賞をとると大忙しだ。表彰式を終えると脇のメディアミックスゾーンで各TV局のインタビュー取材に順に応えていく。そして次にドーピングチェックへ。そして次はポディウムの脇のスペースでライブ収録されているユーロスポーツのインタビュー番組への出演だ。ジャッキー・デュラン、リシャール・ヴィランク、ダヴィ・モンクティエ、マリオン・ルッスさんと一緒に座り、今日の走りを振り返った。はじめは「何語でいく?喋れる?」と心配した司会者も、ネイティブ並みのフランス語が喋れるとなると色々なツッコミを入れはじめ、楽しい番組収録風景となった。
長いこと待った我々日本メディアに順番が回ってきたのは、ホテルへ帰るチームカーに乗り込むまでのたった1分だった。
ユキヤの活躍によるSNS上での盛り上がりにはツール・ド・フランス公式情報側も驚いている様子で、@YukiyaArashiro としてツィートされた数を、カヴェンディッシュの6502に対し3842だったと発表(ただしレース直後の集計)。「Cavendish superstar or/ou Arashiro superstar ?(カヴェンディッシュがスーパースター/それともアラシロがスーパースター?)」とツィートしている)。つくづく、私のライブ写真のツィッター投稿に @YukiyaaArashiro を付け忘れたことが悔やまれる。
「距離を残して捕まったので、そんなに辛い走りではなかったです。脚を使いきらないまま捕まってしまった。ピレネーに向けて良いウォーミングアップになった」とユキヤは振り返る。
調子の良さを感じていたわけではなく、まだ体調は上がりきっていないようだ。「どちらかというと調子を上げるためのアタックでした。こうして脚を溜めながらゆっくり走ることって無いんです。今日一日逃げても意外と疲れていないです。頑張る前に終わっちゃったという感じです。165kmはあっという間でしたよ。のんびり楽しみました。沿道に名前呼んで応援してくれる人がたくさん居たので良かったです」。
この日勝利したカヴェンディッシュはテクニカルゾーンに呼ばれて入った美和さんにも「おめでとう!やったね」と声をかけたという。
まだまだ体調が上がるのはこれからのユキヤ。アタックのチャンス、そしてステージ優勝へ向けて挑戦する姿は今後も何度も観られそうだ。体重が軽くなってパワーウェイトレシオの向上しているであろう山での走りにも期待できそうだ。
photo&text:Makoto.AYANO in Lioran, France.
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