2009/09/17(木) - 21:27
昨年に続き、今年も東京大学チームがツール・ド・北海道の出場権を獲得し、走った。インカレチャンピオンの西薗良太をエースとした東大チームの激闘の6日間。果たして彼らはどのようにして北海道を闘ったのか? スタッフとして帯同した仲沢隆(ジャーナリスト)がレポートする。
文武両道 日本一の秀才チーム
今年のインカレ個人ロードで、東大の西薗良太が優勝を飾ったのは、多くの方がご存じだろう。西薗はインカレ個人TTも制し、さらに東大はチームTTでも4位に入り、見事ツール・ド・北海道の出場権を獲得したのである。
東京大学運動会自転車部には旅行班と競技班があり、人数的には旅行班の方が圧倒的に多い。しかし自転車の楽しさに取りつかれ、旅行班から競技班に移る選手も少なくないという。今回の出場メンバーの一人・高木に至っては、「なかよしさいくる」というお気楽なサイクリングサークルから3年次に移籍してきたというから驚いてしまう。
東大チームの目標は、「一人でも多くの完走者を」だ。
不測の事態がない限り、昨年も唯一完走している西薗の完走は堅いだろう。しかし、他のメンバーからも完走者を出したいという大きな目標が東大チームにはあった。かつての日本代表で、東大チームのコーチを務める柿木孝之氏も「好調の高木、東あたりは、完走も夢ではないレベルにある」と話していた。 さて、今回のツール・ド・北海道の出場メンバーを、ゼッケン順にご紹介しよう。
三谷明範 みたに・あきのり
医学部医学科4年。筑波大付属駒場高校卒。全国最難関の理科III類に現役で主席合格したという日本一の秀才。正メンバーだったヘンリー・マイケル(大学院博士課程)が学会発表のため参加できなくなり、補欠から繰り上がった。
高木紀和 たかぎ・のりかず
大学院工学系研究科機械工学専攻修士課程2年。開成高校卒。現役で理科I類に合格。5月の2DAYS CYCLE RACE木祖村で13位に入った強豪。インカレロードでは、西薗のアシストとして献身的に走った。
有田雅昭 ありた・まさあき
大学院工学系研究科技術経営戦略専攻修士課程1年。栄光学園高校卒。現役で理科I類に合格。今年の2DAYS CYCLE RACE木祖村は33位で完走している。就職活動で忙しい中、何とかスケジュールを合わせて参加にこぎ着けた。
東 大地 ひがし・だいち 工学部建築学科4年。東京都立戸山高校卒。一浪で理科I類に合格。1年生の時から自転車部競技班を引っ張ってきたリーダー的存在。インカレロードでは、西薗のためにアタックに乗り、決定的な仕事をこなした。
西薗良太 にしぞの・りょうた
工学部計数工学科3年。鹿児島第一高校から一浪で理科I類に合格。中学時代からヒルクライムで活躍していたが、本格的に競技を始めたのは東大に入ってから。そして、入学からわずか2年半で大学生の頂点に輝いた。チームの絶対的エースだ。
ゼッケンは単純に年齢順になっている。ただし、最年長だったヘンリー・マイケルが不参加となったため、補欠だった三谷がエースナンバーの91を着けることとなった。しかしこの後、マイヨジョーヌマジックならぬ「エースナンバーマジック」が起こることとなる。
第2ステージで有田を失う
9月9日に行われた第1ステージは、旭川市の石狩川河川敷を舞台とする1.1kmの個人タイムトライアルだ。コースにはテクニカルなコーナーもあるため、東大チーム全員、無理をせずに走った。そのため記録的には低調で、西薗がトップの宮澤崇史(梅丹本舗GDR)から11.13秒遅れの68位、東が75位、三谷が79位、有田が88位、高木が最下位の89位に終わった。
エース西薗は今回、U23賞の対象でもあった。しかしU23賞で3連覇している内間康平(鹿屋体育大)はこのタイムトライアルを9位という好成績で発進し、西園を8.35秒リードした。
長丁場のステージレースで8秒は十分逆転可能なタイム差であるが、結局最後までこの8秒に悩まされることとなる。
午後から行われた第2ステージは、旭川市~士別市の92.6km。最後の5kmにテクニカルなアップダウン、コーナーが連続するため、東大チームもできるだけ集団の前方でレースをするように注意する。しかし、上りのたびにかかるアタックに耐えきれず、西薗のみがトップ集団でゴールするに留まった。
高木が8分12秒遅れの75位で比較的余力を残しながらゴールしたものの、三谷は10分39秒遅れの83位、東は16分20秒遅れの最終完走者でレースを終えた。惜しかったのは有田のリタイヤだ。好調に集団内で走っていたのだが、中盤に他の選手と接触して落車してしまったのである。
西薗の強力なアシストとして期待されていただけに、何とも痛い戦力ダウンであった。
第3ステージの“魔の横風区間”で全員が落車に巻き込まれる
9月10日に行われた第3ステージは、名寄市~豊富(とよとみ)町の182kmで行われた。海沿いの日本海オロロンラインは横風が強いことで有名なところだが、案の定ここで集団落車が発生し、全員が落車に巻き込まれてしまう。
西薗は何とか先頭集団に復帰し、無事にレースを終えたものの、高木と東は集団復帰のための追走で体力を消耗してしまい、カーペーサーにも乗れず、無情にもタイムアウトのリタイヤとなってしまった。 しかし、三谷は単独になりながらも驚異的とも言える粘りを見せて、トップから3分22秒遅れて見事に完走を果たした。サポートカーの隊列を上手く使えたとはいえ、まさにこれぞ「エースナンバーマジック」だ。
ゴール後、東が三谷に対して「何で俺よりも後を走っていたオマエが完走できるんだ!」とやり場のない怒りを爆発させた。高木は最年長らしく淡々としているが、やはり無念さは隠しきれない。インカレや北海道に向けて、柿木コーチとともに福島で厳しい合宿をこなし、確かな手応えをつかんでいた彼らだけに、本当に悔しかったのだろう。北海道に賭ける彼らの熱い思いを感じることができたワンシーンであった。
第4ステージで三谷も力尽きる
9月11日に行われた第4ステージは、豊富町~下川町の182kmだ。途中、厳しい山岳が含まれ、上りの得意な西薗にとっては絶好のコースであるものの、三谷には厳しいステージだ。 やはり三谷は最初の上りで遅れてしまった。しかし、ここからまた驚異的な粘りを見せる。タイムアウト(先頭から20分遅れ)になるまで、単独で85kmも走り続けたのだ。先頭集団から1kmで14秒しか遅れていない計算になる。素晴らしい個人TT能力だ。 結局、三谷はスタートから99.9kmの補給地点で静かにバイクを降りた。
「先頭から20分遅れになるまで、1分でも長く走ってやろうと思った……」という三谷。持てる力を100%使い果たし、動けなくなった三谷に学生スポーツの原点を見たような気がした。
第5ステージで勝負に出た西薗
9月12日に行われた第5ステージは、旭川市~岩見沢市の181km。途中、十勝岳にある標高1000m近い吹上温泉の峠を超える最難関ステージだ。
この時点で西薗はU23賞2位。1位の内間康平(鹿屋体育大)とのタイム差は、わずか8秒である。この上りを利用して少人数での逃げが決まれば、内間を逆転する可能性も十分にある。
西園は十勝岳を19人の先頭集団でクリアした。しかし、続く下りでテクニック不足のために遅れてしまい、逃げを成功させることはできなかった。上りでは圧倒的な強さを見せる西薗だが、下りと集団内の位置取り、スプリントにはまだ課題が残るようだ。
続く富芦トンネルの上りやキムントンネルの上りでも攻撃に出たものの、最後は下って平坦をこなした後にゴールなので、結局大集団が形成され、集団内でゴールするのがやっとだった。個人総合で内間は11位、西薗は8秒差の29位だ。
ツール・ド・北海道には“上りゴール”がない。それゆえ、スプリンターに極めて有利なレースとなっている。もし、1ステージだけでも上りゴールがあったなら、レースはかなり違う展開になっていただろう。
第6ステージの失敗
今年も最終第6ステージは、札幌・モエレ沼公園での61kmのクリテリウムだ。西薗にとって得意とは言えないコースではあるものの、集団が分断され、上手くトップ集団に乗れれば、内間を逆転してU23賞を取ることも可能だ。
しかし、展開は思惑とはまったく逆になった。逃げを成功させた鈴木真理、阿部嵩之(以上、シマノ)、リス・ポロック(オーストラリア、ドラパック・ポルシェ)を追う19人の第2集団に残ったのは、内間の方だったのだ。 第3集団に取り残された西薗の焦りは頂点に達した。
無謀にも単独で追ったが、時すでに遅し。第2集団は、梅丹本舗勢が宮澤崇史の総合優勝を守るためにスピードを上げていた。 結局、西薗は何もできずに第3集団のままレースを終えた。内間との8秒差は、2分9秒にまで開いた。しかし内間以外、U23勢は第2集団に乗ることができなかったので、西薗はU23賞2位を守ることができた。西薗が第2集団に乗れなかったことより、内間の強さを誉めるのが正しいだろう。
個人総合の最終リザルトは、内間が11位、西薗が35位であった。
こうして、東京大学運動会自転車部競技班は今年のツール・ド・北海道を終えた。残念ながら、今年も西薗一人のみが完走するに留まった。
しかし、ツール・ド・北海道のようなトップレースを日常的に走るようなプロ選手たちと戦って、この成績は立派だと思う。何よりも、学業をしっかりとこなしながら、スポーツでもちゃんと成績を残した彼らは素晴らしい。
「参加することに意義がある」と語った近代オリンピックの父・クーベルタン男爵の言葉を、今さらながら思い出してしまったツール・ド・北海道であった。
PHOTO & TEXT : Takashi NAKAZAWA
文武両道 日本一の秀才チーム
今年のインカレ個人ロードで、東大の西薗良太が優勝を飾ったのは、多くの方がご存じだろう。西薗はインカレ個人TTも制し、さらに東大はチームTTでも4位に入り、見事ツール・ド・北海道の出場権を獲得したのである。
東京大学運動会自転車部には旅行班と競技班があり、人数的には旅行班の方が圧倒的に多い。しかし自転車の楽しさに取りつかれ、旅行班から競技班に移る選手も少なくないという。今回の出場メンバーの一人・高木に至っては、「なかよしさいくる」というお気楽なサイクリングサークルから3年次に移籍してきたというから驚いてしまう。
東大チームの目標は、「一人でも多くの完走者を」だ。
不測の事態がない限り、昨年も唯一完走している西薗の完走は堅いだろう。しかし、他のメンバーからも完走者を出したいという大きな目標が東大チームにはあった。かつての日本代表で、東大チームのコーチを務める柿木孝之氏も「好調の高木、東あたりは、完走も夢ではないレベルにある」と話していた。 さて、今回のツール・ド・北海道の出場メンバーを、ゼッケン順にご紹介しよう。
三谷明範 みたに・あきのり
医学部医学科4年。筑波大付属駒場高校卒。全国最難関の理科III類に現役で主席合格したという日本一の秀才。正メンバーだったヘンリー・マイケル(大学院博士課程)が学会発表のため参加できなくなり、補欠から繰り上がった。
高木紀和 たかぎ・のりかず
大学院工学系研究科機械工学専攻修士課程2年。開成高校卒。現役で理科I類に合格。5月の2DAYS CYCLE RACE木祖村で13位に入った強豪。インカレロードでは、西薗のアシストとして献身的に走った。
有田雅昭 ありた・まさあき
大学院工学系研究科技術経営戦略専攻修士課程1年。栄光学園高校卒。現役で理科I類に合格。今年の2DAYS CYCLE RACE木祖村は33位で完走している。就職活動で忙しい中、何とかスケジュールを合わせて参加にこぎ着けた。
東 大地 ひがし・だいち 工学部建築学科4年。東京都立戸山高校卒。一浪で理科I類に合格。1年生の時から自転車部競技班を引っ張ってきたリーダー的存在。インカレロードでは、西薗のためにアタックに乗り、決定的な仕事をこなした。
西薗良太 にしぞの・りょうた
工学部計数工学科3年。鹿児島第一高校から一浪で理科I類に合格。中学時代からヒルクライムで活躍していたが、本格的に競技を始めたのは東大に入ってから。そして、入学からわずか2年半で大学生の頂点に輝いた。チームの絶対的エースだ。
ゼッケンは単純に年齢順になっている。ただし、最年長だったヘンリー・マイケルが不参加となったため、補欠だった三谷がエースナンバーの91を着けることとなった。しかしこの後、マイヨジョーヌマジックならぬ「エースナンバーマジック」が起こることとなる。
第2ステージで有田を失う
9月9日に行われた第1ステージは、旭川市の石狩川河川敷を舞台とする1.1kmの個人タイムトライアルだ。コースにはテクニカルなコーナーもあるため、東大チーム全員、無理をせずに走った。そのため記録的には低調で、西薗がトップの宮澤崇史(梅丹本舗GDR)から11.13秒遅れの68位、東が75位、三谷が79位、有田が88位、高木が最下位の89位に終わった。
エース西薗は今回、U23賞の対象でもあった。しかしU23賞で3連覇している内間康平(鹿屋体育大)はこのタイムトライアルを9位という好成績で発進し、西園を8.35秒リードした。
長丁場のステージレースで8秒は十分逆転可能なタイム差であるが、結局最後までこの8秒に悩まされることとなる。
午後から行われた第2ステージは、旭川市~士別市の92.6km。最後の5kmにテクニカルなアップダウン、コーナーが連続するため、東大チームもできるだけ集団の前方でレースをするように注意する。しかし、上りのたびにかかるアタックに耐えきれず、西薗のみがトップ集団でゴールするに留まった。
高木が8分12秒遅れの75位で比較的余力を残しながらゴールしたものの、三谷は10分39秒遅れの83位、東は16分20秒遅れの最終完走者でレースを終えた。惜しかったのは有田のリタイヤだ。好調に集団内で走っていたのだが、中盤に他の選手と接触して落車してしまったのである。
西薗の強力なアシストとして期待されていただけに、何とも痛い戦力ダウンであった。
第3ステージの“魔の横風区間”で全員が落車に巻き込まれる
9月10日に行われた第3ステージは、名寄市~豊富(とよとみ)町の182kmで行われた。海沿いの日本海オロロンラインは横風が強いことで有名なところだが、案の定ここで集団落車が発生し、全員が落車に巻き込まれてしまう。
西薗は何とか先頭集団に復帰し、無事にレースを終えたものの、高木と東は集団復帰のための追走で体力を消耗してしまい、カーペーサーにも乗れず、無情にもタイムアウトのリタイヤとなってしまった。 しかし、三谷は単独になりながらも驚異的とも言える粘りを見せて、トップから3分22秒遅れて見事に完走を果たした。サポートカーの隊列を上手く使えたとはいえ、まさにこれぞ「エースナンバーマジック」だ。
ゴール後、東が三谷に対して「何で俺よりも後を走っていたオマエが完走できるんだ!」とやり場のない怒りを爆発させた。高木は最年長らしく淡々としているが、やはり無念さは隠しきれない。インカレや北海道に向けて、柿木コーチとともに福島で厳しい合宿をこなし、確かな手応えをつかんでいた彼らだけに、本当に悔しかったのだろう。北海道に賭ける彼らの熱い思いを感じることができたワンシーンであった。
第4ステージで三谷も力尽きる
9月11日に行われた第4ステージは、豊富町~下川町の182kmだ。途中、厳しい山岳が含まれ、上りの得意な西薗にとっては絶好のコースであるものの、三谷には厳しいステージだ。 やはり三谷は最初の上りで遅れてしまった。しかし、ここからまた驚異的な粘りを見せる。タイムアウト(先頭から20分遅れ)になるまで、単独で85kmも走り続けたのだ。先頭集団から1kmで14秒しか遅れていない計算になる。素晴らしい個人TT能力だ。 結局、三谷はスタートから99.9kmの補給地点で静かにバイクを降りた。
「先頭から20分遅れになるまで、1分でも長く走ってやろうと思った……」という三谷。持てる力を100%使い果たし、動けなくなった三谷に学生スポーツの原点を見たような気がした。
第5ステージで勝負に出た西薗
9月12日に行われた第5ステージは、旭川市~岩見沢市の181km。途中、十勝岳にある標高1000m近い吹上温泉の峠を超える最難関ステージだ。
この時点で西薗はU23賞2位。1位の内間康平(鹿屋体育大)とのタイム差は、わずか8秒である。この上りを利用して少人数での逃げが決まれば、内間を逆転する可能性も十分にある。
西園は十勝岳を19人の先頭集団でクリアした。しかし、続く下りでテクニック不足のために遅れてしまい、逃げを成功させることはできなかった。上りでは圧倒的な強さを見せる西薗だが、下りと集団内の位置取り、スプリントにはまだ課題が残るようだ。
続く富芦トンネルの上りやキムントンネルの上りでも攻撃に出たものの、最後は下って平坦をこなした後にゴールなので、結局大集団が形成され、集団内でゴールするのがやっとだった。個人総合で内間は11位、西薗は8秒差の29位だ。
ツール・ド・北海道には“上りゴール”がない。それゆえ、スプリンターに極めて有利なレースとなっている。もし、1ステージだけでも上りゴールがあったなら、レースはかなり違う展開になっていただろう。
第6ステージの失敗
今年も最終第6ステージは、札幌・モエレ沼公園での61kmのクリテリウムだ。西薗にとって得意とは言えないコースではあるものの、集団が分断され、上手くトップ集団に乗れれば、内間を逆転してU23賞を取ることも可能だ。
しかし、展開は思惑とはまったく逆になった。逃げを成功させた鈴木真理、阿部嵩之(以上、シマノ)、リス・ポロック(オーストラリア、ドラパック・ポルシェ)を追う19人の第2集団に残ったのは、内間の方だったのだ。 第3集団に取り残された西薗の焦りは頂点に達した。
無謀にも単独で追ったが、時すでに遅し。第2集団は、梅丹本舗勢が宮澤崇史の総合優勝を守るためにスピードを上げていた。 結局、西薗は何もできずに第3集団のままレースを終えた。内間との8秒差は、2分9秒にまで開いた。しかし内間以外、U23勢は第2集団に乗ることができなかったので、西薗はU23賞2位を守ることができた。西薗が第2集団に乗れなかったことより、内間の強さを誉めるのが正しいだろう。
個人総合の最終リザルトは、内間が11位、西薗が35位であった。
こうして、東京大学運動会自転車部競技班は今年のツール・ド・北海道を終えた。残念ながら、今年も西薗一人のみが完走するに留まった。
しかし、ツール・ド・北海道のようなトップレースを日常的に走るようなプロ選手たちと戦って、この成績は立派だと思う。何よりも、学業をしっかりとこなしながら、スポーツでもちゃんと成績を残した彼らは素晴らしい。
「参加することに意義がある」と語った近代オリンピックの父・クーベルタン男爵の言葉を、今さらながら思い出してしまったツール・ド・北海道であった。
PHOTO & TEXT : Takashi NAKAZAWA