2015/07/26(日) - 17:39
ツール序盤からの不運続きを返上、伝説の峠ラルプデュエズでフランスに3つめの勝利をもたらしたピノ。キンタナとモビスターはフルームに対して総攻撃を仕掛けた。ラルプ名物の「オランダコーナー」では盛り上がる観客たちの騒乱ぶりにも注目だ。
6月末になって急な変更を受けた第20ステージのコース。当初テレグラフとガリビエ峠を通過する予定だったが、地滑りの危険があるとしてガリビエ頂上のトンネルが閉鎖。そのためレース主催者ASOはガリビエ通過を諦め、前日にも通過したクロワ・ド・フェール峠で迂回する代替ルートを使用することを決めたのだ。
ちょうど峠への道が分岐する三叉路になるグランドン峠は今回3度めの通過になる。峠の集まる山の限られた道を使い、狭い範囲を行ったり来たりするコース設定は近年にないものだが、この変更でアルプスに引かれたコースはさらにスポットで凝縮された印象だ。
ラルプデュエズへ向かう道はレースコースのほぼ1本のみと限られるために、大会関係者には早く先行してラルプデュエズに向かうよう特別注意が発令された。我々もコース上を急ぎ、キャラバン隊さえ通過する前、沿道がにぎわう前に、最高の山岳風景のパノラマを堪能しながら、応援の準備を進める観客たちと交流を楽しみながら一路ラルプを目指す。独自のスタイルで贔屓の選手を応援する観客たちはユニークで、ラルプデュエズはいつでもお祭り騒ぎだ。
昨年の栄誉から一転、困難の続いたツールで貪欲に勝利を追い求めたピノ
つづら折れの13.8km。21のヘアピンコーナーが続く超級山岳ラルプデュエズ。ツールいち名高いこの峠で、ティボー・ピノ(FDJ)はついに逃げ切りに成功した。エースのピノをアシストするためにスタートから逃げ、下がってきたフランス人チームメイトのアレクサンドル・ジェニエにサポートされ、オレンジに埋め尽くされたラストから7つめの「オランダコーナー」で解き放たれたピノ。ツールを象徴する伝説の峠ラルプデュエズ山頂を制した。
2日前のバルデに次ぐフランス人の成功にラルプが大きく沸いた。総合で遅れていようが、現地で実感するのはピノは今でもフランス人の期待を最も集めるスター選手だということ。そしてラルプでの勝利は特別なもの。それがフランス人ならなおさら盛り上がるのは、2011年にピエール・ロラン(ユーロップカー)が勝利した際にも感じたこと。伝説の峠ラルプデュエズで掴んだ大勝利だ。
最後に勝利で報いるも、ピノにとって大きな期待に苦しんだツールだった。前年度の総合3位フィニッシャーとして、再びのシャンゼリゼの表彰台を目指して今年のツールに臨んだピノ。しかし序盤からその夢は崩れ去る。石畳の第4ステージはメカトラでタイムを大きく失った。暑さにやられ、病気になり士気は下がった。目標を失いかけたが、山岳でのステージ優勝狙いに気持ちを切り替えてからはアタックを続けた。ピレネーでも運に見放されたが、アルプスでは貪欲にアタックを続けた。自身のスタイルを変え、自ら攻め、弱点だった下りでもむしろアタックして攻めた。
目前の勝利を逃したのは第17ステージだった。逃げていたサイモン・ゲシュケ(ジャイアント・アルペシン)を追ってアロス峠でスリップダウンして落車。その際に全身の擦過傷を負い、路面に打ち付けた首、肩、尻を痛めた。第18ステージも続けてアタックしたが、前日に酷使した筋肉は悲鳴を上げ、途中で脚がいうことを聞かなくなった。優勝したのはジュニア時代からレースの友人であるバルデ。友人が挙げたフランス人の勝利に喜ぶも、それが自分でなかったことの悔しさが募っていた。昨日、ニーバリの勝った第19ステージにおいて、ピノはグランドン峠で失速してしまう。ほぼ一週間続けた連日のアタックによる疲労、そして落車の怪我が響いていたのだ。
しかしピノは今日も攻めた。失敗の教訓を、走りのスタイルを変えることで克服した。ピノは言う。「普段の僕はライバル達について行ってアタックを仕掛けるが、ピレネーでの失敗のあと、走り方を変えて僕はアタッカーになったんだ。おかげで悔いを残さずにパリに向かうという目標を達成できた。この時を待った甲斐があった。昨年の総合3位と比較するとステージ優勝はやや価値は低いかもしれないが、今回のツールは自分の将来にとって有意義なものになったと感じている」。
バルベルデとキンタナの2弾ロケット モビスターの総攻撃
クロワ・ド・フェール峠でのアレハンドロ・バルベルデのアタック、そしてナイロ・キンタナがアタックして続く。総合2位・3位の総攻撃に、クリス・フルームはアシストたちを置いて自身で追いかける羽目に。ラルプデュエズ前にリッチーポートとワウト・ポエルスの2人のアシストを取り戻したが、キンタナには強力なコロンビア人クライマー、ビネル・アナコナゴメスが前に控えていた。
モビスターの用意した2つのプラン。バルベルデさえフルに活用し、前日宣言した「オール・オア・ナッシング(イチかバチか)」のとおり総攻撃を仕掛けた。
フルームを苦しめることに成功し、振り払っての2位フィニッシュ。しかし、マイヨジョーヌを奪うには1分12秒足らなかった。3分以上の遅れを持って突入したアルプスで連日タイム差を返上してきたが、ツール序盤の第2ステージの落車横風の分断、そして最初の山岳ラ・ピエール・サンマルタンでフルームにつけられたタイム差は返しきれなかった。
キンタナは振り返る。「総合2位は悪くない。2年ぶりのことだし、今年はゼロから、そして違うポジションからのスタートだった。満足している。不満はない。このツールでは総合優勝のみにフォーカスして戦ってきたし、この2日間は全力を尽くしたが、結局はうまく行かなかった。それでも今回のツールには満足している。なぜなら、総合優勝を果たすために挑戦し続けてこられたから。そして、数年のうちに僕がマイヨジョーヌを獲得できると信じているよ」
キンタナが悔やむのは荒れた天気となった第2ステージの不運だ。嵐のような天候となったユトレヒトからゼーラントへと向かう海沿いの道で集団に落車が発生。集まって走っていたモビスターチームのキンタナとバルベルデらがここでストップを強いられ、チームで復帰を試みるも名物の横風に行方を阻まれてフルームを含む先頭集団には1分28秒遅れでフィニッシュした。その負のタイム差が後々まで響いた。
「ボクは最初の1週間、オランダでこのツールを失った。ゼーラント州でチーム全体が落車の影響で分断された集団に取り残され、横風のために追走を阻まれ、ついてしまった1分半で」。
苦しんだがマイヨアポワさえさらったフルーム
総攻撃に対処し、最後まで苦しみ抜いたフルームだが大崩れすること無くラルプ・デュエズ山頂に辿り着いた。ツールに2勝した史上13人目の選手としてグレッグ・レモンらと名前を連ねることに。そして5番目のフィニッシュできっちりと山岳ポイントを稼ぎ、ロメン・バルデ(フランス、AG2Rラモンディアール)から山岳ジャージを奪ってしまった。マイヨジョーヌとマイヨアポワの両方を獲得した選手として、ジーノ・バルタリ、ファウスト・コッピ、エディ・メルクスらに次ぐ4人目の選手に。
オレンジ色に燃えるオランダコーナーの乱痴気騒ぎ
ラルプデュエズの頂上まで7つを残す地点にあるカーブが、近年「オランダコーナー」として名を轟かせている。ツールを観戦するオランダ人たちが「ラルプデュエズの観戦ならこの場所に集まろう」と呼びかけ合って大集合する、ちょうどヒュエズの集落のあるあたりのカーブのことだ。
もちろんここ以外にもオランダ人たちは点在して観戦しているが、この一帯はオランダのナショナルカラーのオレンジのシャツで染め上げられる。大音量で流れるロックミュージック。そして近くにはビールスタンドまでが開店し、次々と振る舞われる。さながら屋外ディスコのようだ。
このコーナーに差し掛かった車両にはビールが振りかけられ、ボンネットをバンバンと叩かれる。通過が困難だが、それは選手も同じだ。密集する人垣をかき分けながら進むが、両側から伸びる手が選手たちの身体をたたき、激励する。そしてオランダ人選手やオランダチームのロットNLユンボの通過には異常に盛り上がる。オレンジ色の煙幕も焚かれた。
観客のカメラのストラップに引っかかってストップしたのはオランダ人のクーン・デコルト(ジャイアント・アルペシン)。遅れて登る選手にはビールも差し出される。受け取り、飲んでしまった(フリ?)のはアダム・ハンセン(オーストラリア、ロット・ソウダル)やマヌエル・クインツィアート(イタリア、BMCレーシング)たち。
悪ふざけが過ぎてマナーが悪い面も確かにある、しかし選手たちもツールを走り終えた喜びをここで分かち合っているようにみえる。ともかくこれ以上(異常)の盛り上がりを見せる沿道は他に存在しない。
text:Makoto.AYANO in FRANCE
photo:Makoto.AYANO,Kei Tsuji,Tim de Waele,CorVos
6月末になって急な変更を受けた第20ステージのコース。当初テレグラフとガリビエ峠を通過する予定だったが、地滑りの危険があるとしてガリビエ頂上のトンネルが閉鎖。そのためレース主催者ASOはガリビエ通過を諦め、前日にも通過したクロワ・ド・フェール峠で迂回する代替ルートを使用することを決めたのだ。
ちょうど峠への道が分岐する三叉路になるグランドン峠は今回3度めの通過になる。峠の集まる山の限られた道を使い、狭い範囲を行ったり来たりするコース設定は近年にないものだが、この変更でアルプスに引かれたコースはさらにスポットで凝縮された印象だ。
ラルプデュエズへ向かう道はレースコースのほぼ1本のみと限られるために、大会関係者には早く先行してラルプデュエズに向かうよう特別注意が発令された。我々もコース上を急ぎ、キャラバン隊さえ通過する前、沿道がにぎわう前に、最高の山岳風景のパノラマを堪能しながら、応援の準備を進める観客たちと交流を楽しみながら一路ラルプを目指す。独自のスタイルで贔屓の選手を応援する観客たちはユニークで、ラルプデュエズはいつでもお祭り騒ぎだ。
昨年の栄誉から一転、困難の続いたツールで貪欲に勝利を追い求めたピノ
つづら折れの13.8km。21のヘアピンコーナーが続く超級山岳ラルプデュエズ。ツールいち名高いこの峠で、ティボー・ピノ(FDJ)はついに逃げ切りに成功した。エースのピノをアシストするためにスタートから逃げ、下がってきたフランス人チームメイトのアレクサンドル・ジェニエにサポートされ、オレンジに埋め尽くされたラストから7つめの「オランダコーナー」で解き放たれたピノ。ツールを象徴する伝説の峠ラルプデュエズ山頂を制した。
2日前のバルデに次ぐフランス人の成功にラルプが大きく沸いた。総合で遅れていようが、現地で実感するのはピノは今でもフランス人の期待を最も集めるスター選手だということ。そしてラルプでの勝利は特別なもの。それがフランス人ならなおさら盛り上がるのは、2011年にピエール・ロラン(ユーロップカー)が勝利した際にも感じたこと。伝説の峠ラルプデュエズで掴んだ大勝利だ。
最後に勝利で報いるも、ピノにとって大きな期待に苦しんだツールだった。前年度の総合3位フィニッシャーとして、再びのシャンゼリゼの表彰台を目指して今年のツールに臨んだピノ。しかし序盤からその夢は崩れ去る。石畳の第4ステージはメカトラでタイムを大きく失った。暑さにやられ、病気になり士気は下がった。目標を失いかけたが、山岳でのステージ優勝狙いに気持ちを切り替えてからはアタックを続けた。ピレネーでも運に見放されたが、アルプスでは貪欲にアタックを続けた。自身のスタイルを変え、自ら攻め、弱点だった下りでもむしろアタックして攻めた。
目前の勝利を逃したのは第17ステージだった。逃げていたサイモン・ゲシュケ(ジャイアント・アルペシン)を追ってアロス峠でスリップダウンして落車。その際に全身の擦過傷を負い、路面に打ち付けた首、肩、尻を痛めた。第18ステージも続けてアタックしたが、前日に酷使した筋肉は悲鳴を上げ、途中で脚がいうことを聞かなくなった。優勝したのはジュニア時代からレースの友人であるバルデ。友人が挙げたフランス人の勝利に喜ぶも、それが自分でなかったことの悔しさが募っていた。昨日、ニーバリの勝った第19ステージにおいて、ピノはグランドン峠で失速してしまう。ほぼ一週間続けた連日のアタックによる疲労、そして落車の怪我が響いていたのだ。
しかしピノは今日も攻めた。失敗の教訓を、走りのスタイルを変えることで克服した。ピノは言う。「普段の僕はライバル達について行ってアタックを仕掛けるが、ピレネーでの失敗のあと、走り方を変えて僕はアタッカーになったんだ。おかげで悔いを残さずにパリに向かうという目標を達成できた。この時を待った甲斐があった。昨年の総合3位と比較するとステージ優勝はやや価値は低いかもしれないが、今回のツールは自分の将来にとって有意義なものになったと感じている」。
バルベルデとキンタナの2弾ロケット モビスターの総攻撃
クロワ・ド・フェール峠でのアレハンドロ・バルベルデのアタック、そしてナイロ・キンタナがアタックして続く。総合2位・3位の総攻撃に、クリス・フルームはアシストたちを置いて自身で追いかける羽目に。ラルプデュエズ前にリッチーポートとワウト・ポエルスの2人のアシストを取り戻したが、キンタナには強力なコロンビア人クライマー、ビネル・アナコナゴメスが前に控えていた。
モビスターの用意した2つのプラン。バルベルデさえフルに活用し、前日宣言した「オール・オア・ナッシング(イチかバチか)」のとおり総攻撃を仕掛けた。
フルームを苦しめることに成功し、振り払っての2位フィニッシュ。しかし、マイヨジョーヌを奪うには1分12秒足らなかった。3分以上の遅れを持って突入したアルプスで連日タイム差を返上してきたが、ツール序盤の第2ステージの落車横風の分断、そして最初の山岳ラ・ピエール・サンマルタンでフルームにつけられたタイム差は返しきれなかった。
キンタナは振り返る。「総合2位は悪くない。2年ぶりのことだし、今年はゼロから、そして違うポジションからのスタートだった。満足している。不満はない。このツールでは総合優勝のみにフォーカスして戦ってきたし、この2日間は全力を尽くしたが、結局はうまく行かなかった。それでも今回のツールには満足している。なぜなら、総合優勝を果たすために挑戦し続けてこられたから。そして、数年のうちに僕がマイヨジョーヌを獲得できると信じているよ」
キンタナが悔やむのは荒れた天気となった第2ステージの不運だ。嵐のような天候となったユトレヒトからゼーラントへと向かう海沿いの道で集団に落車が発生。集まって走っていたモビスターチームのキンタナとバルベルデらがここでストップを強いられ、チームで復帰を試みるも名物の横風に行方を阻まれてフルームを含む先頭集団には1分28秒遅れでフィニッシュした。その負のタイム差が後々まで響いた。
「ボクは最初の1週間、オランダでこのツールを失った。ゼーラント州でチーム全体が落車の影響で分断された集団に取り残され、横風のために追走を阻まれ、ついてしまった1分半で」。
苦しんだがマイヨアポワさえさらったフルーム
総攻撃に対処し、最後まで苦しみ抜いたフルームだが大崩れすること無くラルプ・デュエズ山頂に辿り着いた。ツールに2勝した史上13人目の選手としてグレッグ・レモンらと名前を連ねることに。そして5番目のフィニッシュできっちりと山岳ポイントを稼ぎ、ロメン・バルデ(フランス、AG2Rラモンディアール)から山岳ジャージを奪ってしまった。マイヨジョーヌとマイヨアポワの両方を獲得した選手として、ジーノ・バルタリ、ファウスト・コッピ、エディ・メルクスらに次ぐ4人目の選手に。
オレンジ色に燃えるオランダコーナーの乱痴気騒ぎ
ラルプデュエズの頂上まで7つを残す地点にあるカーブが、近年「オランダコーナー」として名を轟かせている。ツールを観戦するオランダ人たちが「ラルプデュエズの観戦ならこの場所に集まろう」と呼びかけ合って大集合する、ちょうどヒュエズの集落のあるあたりのカーブのことだ。
もちろんここ以外にもオランダ人たちは点在して観戦しているが、この一帯はオランダのナショナルカラーのオレンジのシャツで染め上げられる。大音量で流れるロックミュージック。そして近くにはビールスタンドまでが開店し、次々と振る舞われる。さながら屋外ディスコのようだ。
このコーナーに差し掛かった車両にはビールが振りかけられ、ボンネットをバンバンと叩かれる。通過が困難だが、それは選手も同じだ。密集する人垣をかき分けながら進むが、両側から伸びる手が選手たちの身体をたたき、激励する。そしてオランダ人選手やオランダチームのロットNLユンボの通過には異常に盛り上がる。オレンジ色の煙幕も焚かれた。
観客のカメラのストラップに引っかかってストップしたのはオランダ人のクーン・デコルト(ジャイアント・アルペシン)。遅れて登る選手にはビールも差し出される。受け取り、飲んでしまった(フリ?)のはアダム・ハンセン(オーストラリア、ロット・ソウダル)やマヌエル・クインツィアート(イタリア、BMCレーシング)たち。
悪ふざけが過ぎてマナーが悪い面も確かにある、しかし選手たちもツールを走り終えた喜びをここで分かち合っているようにみえる。ともかくこれ以上(異常)の盛り上がりを見せる沿道は他に存在しない。
text:Makoto.AYANO in FRANCE
photo:Makoto.AYANO,Kei Tsuji,Tim de Waele,CorVos
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