2015/03/17(火) - 18:40
2月いっぱいでプロ選手としての活動を終えた山本和弘に聞くインタビュー後編。今回は12年に渡る競技人生と、プロフェッショナルとして貫いたスタイル、これからのこと、そして後に続く選手たちに向けてのメッセージを紹介します。
前編はこちらから。
― 12年という競技人生を振り返って、いかがですか?
出だしの時はペーペーだし、全然だめでした。トータルで12年間じゃないですか。前半の6年はとにかくがむしゃらでした。7年目にキャノンデールファクトリーレーシングとなってから世界にも出ていくようになり、レース中も冷静に、自分の力をコントロールできた。そうすると成績も出るようになって、うまくいくようになったんです。プロ生活12年の中、前半の6年と後半の6年とでは大きく心境が違ったんですね。
― なにかきっかけがあったんですか?
新城幸也君のおかげでレーサー間で有名になった、タイ合宿だったんですよ。弟(幸平)が誘ってくれたその合宿が僕のターニングポイントでした。トップレーサーが揃う中で、色々と考えながら走らないとついていけない。力勝負では通用しないということに気付いたんですね。例えば、走っている時の細かい変速とか。そういう面での気付きがありました。
それまでJシリーズでずっと勝てなかったのが、タイ合宿から帰ってきてから1発目のレースで勝てたんです。タイで得た気づきが花開いたと言うか…。ちょうどCOG(キャノンデールオーナーズグループ)も始まり応援してくれる人も増えましたし、キャノンデールの代表としてちゃんと走ろうという気持ちも上手くかみ合って、良い方向へと動いっていったんです。今思えば、そういう気持ちって選手として大切なものですよね。辛い時に、やっぱり応援してくれる人の有る無しでは全然違いますから。
― スポンサーを大事にすることはもちろんですが、カズさんはファンの方々も大切にしていますよね。すごくファンサービスが丁寧というか、身近な感じがするんです。
僕が中学生の頃連れて行ってもらったJシリーズで、当時トップだった選手たちがすごく冷たかったんですね。なんか線引きというか、近寄りがたい雰囲気というか。今では選手として時にそういうことは必要だと思うようになったのですが、当時の僕にはそれがすごくショックだったんです。
で、自分がそういう立場になったら、ぜったいそういう雰囲気は出さないようにしようって。オープンな雰囲気になりたいなって、当時の日記にも書いてるんですね(笑)。ネットも普及してないですし、雑誌でしかみれない雲の上の存在のような選手たちが、物理的に近くにいるのに、やっぱり遠くにいるような距離感が嫌でね。絶対、自分はそうしたくないなと。COGを始めとしたファンの人達にはそういう想いがあって接してました。
自分のHPを持つようになったプロ1年目の時から「ファンに愛される選手になること」が目標です。プロフィールのにもずっと書くようにしてるんです。この気持ちはずっと継続してこれた。僕には親しみやすい雰囲気が合っていたのかなと思ってます。
― プロ選手を続ける中で支えてくれたのは何だったのでしょうか。
一番のベースになったのは弟の存在かな。自転車を乗り始めた時からずーっと一緒に乗ってるから。弟は弟で頑張ってて、すごい好成績も残しているじゃないですか。だから選手生活の軸になったし、すごく刺激を受けてました。
― なるほど。もし一人っ子だったら自転車競技の道に進んでいましたか?
そもそも自転車乗り出したきっかけが、小学生の時の友達の兄がトライアルの選手だったから。僕もそこから入ったんだけど、今のようには道には進んでなかったかな。トライアルが今のテクニックのベースになってるのは事実ですが。
― カズさんと言えば魅せる走りですよね。
そう。そこをこだわってますからね!子どものころから遊び=MTBみたいな感じで、TVゲームもほとんど遊ばなかった。歩道の段差を飛んだり坂を登ってみたり。誰もが子どもの頃に自転車で「こんな遠くに来ちゃった」とか、「この坂が登れた」とか、そういう経験あると思うんです。僕はその頃感じた楽しさを今も続けているだけなんですよ。シケインを飛べば観客のみんなも盛り上がってくれるし、ひいてはレースの盛り上がりにも貢献できるんです。それが嬉しいし、楽しくて。
― 「カズスタイル」、でしょうか。
そう。ロードレースでの活動(今期はチャンピオンシステム ジャパンに所属し、サラリーマンレーサーとして走る)も続けていきますし、「自転車は最高なんだ」っていうのをこれからもずっと伝えていきたいですね。
― 例えば弱虫ペダルシクロクロスチームにはU23の中原選手が在籍していますよね。そうした若手選手に対してアドバイスがあれば是非お願いします。
難しいなあ。あんまり偉そうなこと言うの得意じゃないんです(笑)。
ただ選手としてやってきて思うのは、自分が楽しんでないと良さって出てこないってこと。もがき苦しんでやっている選手からは良いスパイラルが出てこない。例え成績が出てなくても、楽しんでいる選手っていうのは何か良い流れを影響を周りに与えている。逆に成績を出していても楽しんでないと、周りに良い影響を与えられないように感じました。もちろん選手なので結果は大切だけど、それよりも先に、自転車自体を楽しむ気持ちを忘れないこと。逆に言うとそうしないと、結果も出づらいんじゃないかなと思います。難しいことですが、僕はすごく楽しみながらやってきたからこう思うんですね。
それから、僕自身は若手選手たちにとっての一つのモデルケースになれればと思っているんです。力いっぱい走って、それまでサポートしてもらったメーカーに腰を落ち着けるというね。メーカーに勤めた野口忍さん(トレック・ジャパン)、自分の店を始めた鈴木雷太さん(BIKE RANCH代表)、一般企業から選手になり、自分の道を切り開いた竹谷賢二さん(エンデュアライフ代表)といった様々な道を進んでいる先輩たちがいて、そして僕がいる。
いままで突き詰めてきたことをそのまま活かせるのはすごく嬉しいですね。全国のショップとも繋がりがありますし、ゼロからのスタートではないので、一番いい形だと感じていますよ。
セカンドキャリアは選手引退したあと、ホントに大切です。選手ならば一番不安なことだし、次が決められず、ずるずる現役を続ける人もいる。そういった意味で、僕はとても幸運でした。
話は変わるのですが、僕がプロになるきっかけを作ってくれたのは鈴木雷太さん。プロを目指して最初に相談したのが彼だったんです。メールを送って、最初の返信が「松本に来て、俺たちと一緒に練習しよう。」と。シクロクロス東京が終わった後にたくさんメッセージが来て一つ一つ読んでいたんですけど、雷太さんからも来てたんですよ。それがまたグッとくるメッセージで嬉しかったですねえ。雷太さんを目指してましたし、そんな憧れの人からこんなメッセージはほんともう、反則ものですよね(笑)。
― キャノンデール・ジャパンでの活動内容はどういったことになるのでしょうか。
これから自転車を買う人、買った人に自転車の楽しみ、楽しみ方を伝えていくというポジションに就きます。一緒に走ったり、イベントに出たりする中で自転車を好きになってもらうことですね。だから選手としてレースで魅せる部分が減るだけで、これまでとそう大差は無いんです。でも、今までの活動が認められて居場所が出来たことだし、すごくやりがいを感じます。今までMTB、ロード、シクロクロスと乗ってきましたし、歴代のバイクをほとんど乗ってきていている経験もありますから、とてもスムーズに運ぶと思います。楽しみですね。
― ずっと先の話ですが、サラリーマンとしてキャリアを終えてから何をしてると思いますか?
うーん(笑)。一つ言えるのは自転車は乗ってるってことでしょうか。でもまだ先の話なので、まずはキャノンデールジャパンでの仕事、役割に全力を投入していくつもりです。
僕の座右の銘が「今、この時全力で!」というものなんですが、それは自転車選手でも、社会人として勤めても変わらないな、と。この言葉が自分の活動に一番はまるんです。これが自分の味を引き出す原動力となっている言葉だな、と思っているんです。
僕の競技人生はキャノンデールに入りたいっていう個人的な気持ちから始まったものですが、その過程で繋がることができた多くの人の助けが本当に大きな力になっていたんです。自分ひとりでは到底ここまで素晴らしい競技人生を送れなかった。だから関わってくれた、応援してくれた全ての方に感謝したいですね。
interview:So.Isobe
前編はこちらから。
― 12年という競技人生を振り返って、いかがですか?
出だしの時はペーペーだし、全然だめでした。トータルで12年間じゃないですか。前半の6年はとにかくがむしゃらでした。7年目にキャノンデールファクトリーレーシングとなってから世界にも出ていくようになり、レース中も冷静に、自分の力をコントロールできた。そうすると成績も出るようになって、うまくいくようになったんです。プロ生活12年の中、前半の6年と後半の6年とでは大きく心境が違ったんですね。
― なにかきっかけがあったんですか?
新城幸也君のおかげでレーサー間で有名になった、タイ合宿だったんですよ。弟(幸平)が誘ってくれたその合宿が僕のターニングポイントでした。トップレーサーが揃う中で、色々と考えながら走らないとついていけない。力勝負では通用しないということに気付いたんですね。例えば、走っている時の細かい変速とか。そういう面での気付きがありました。
それまでJシリーズでずっと勝てなかったのが、タイ合宿から帰ってきてから1発目のレースで勝てたんです。タイで得た気づきが花開いたと言うか…。ちょうどCOG(キャノンデールオーナーズグループ)も始まり応援してくれる人も増えましたし、キャノンデールの代表としてちゃんと走ろうという気持ちも上手くかみ合って、良い方向へと動いっていったんです。今思えば、そういう気持ちって選手として大切なものですよね。辛い時に、やっぱり応援してくれる人の有る無しでは全然違いますから。
― スポンサーを大事にすることはもちろんですが、カズさんはファンの方々も大切にしていますよね。すごくファンサービスが丁寧というか、身近な感じがするんです。
僕が中学生の頃連れて行ってもらったJシリーズで、当時トップだった選手たちがすごく冷たかったんですね。なんか線引きというか、近寄りがたい雰囲気というか。今では選手として時にそういうことは必要だと思うようになったのですが、当時の僕にはそれがすごくショックだったんです。
で、自分がそういう立場になったら、ぜったいそういう雰囲気は出さないようにしようって。オープンな雰囲気になりたいなって、当時の日記にも書いてるんですね(笑)。ネットも普及してないですし、雑誌でしかみれない雲の上の存在のような選手たちが、物理的に近くにいるのに、やっぱり遠くにいるような距離感が嫌でね。絶対、自分はそうしたくないなと。COGを始めとしたファンの人達にはそういう想いがあって接してました。
自分のHPを持つようになったプロ1年目の時から「ファンに愛される選手になること」が目標です。プロフィールのにもずっと書くようにしてるんです。この気持ちはずっと継続してこれた。僕には親しみやすい雰囲気が合っていたのかなと思ってます。
― プロ選手を続ける中で支えてくれたのは何だったのでしょうか。
一番のベースになったのは弟の存在かな。自転車を乗り始めた時からずーっと一緒に乗ってるから。弟は弟で頑張ってて、すごい好成績も残しているじゃないですか。だから選手生活の軸になったし、すごく刺激を受けてました。
― なるほど。もし一人っ子だったら自転車競技の道に進んでいましたか?
そもそも自転車乗り出したきっかけが、小学生の時の友達の兄がトライアルの選手だったから。僕もそこから入ったんだけど、今のようには道には進んでなかったかな。トライアルが今のテクニックのベースになってるのは事実ですが。
― カズさんと言えば魅せる走りですよね。
そう。そこをこだわってますからね!子どものころから遊び=MTBみたいな感じで、TVゲームもほとんど遊ばなかった。歩道の段差を飛んだり坂を登ってみたり。誰もが子どもの頃に自転車で「こんな遠くに来ちゃった」とか、「この坂が登れた」とか、そういう経験あると思うんです。僕はその頃感じた楽しさを今も続けているだけなんですよ。シケインを飛べば観客のみんなも盛り上がってくれるし、ひいてはレースの盛り上がりにも貢献できるんです。それが嬉しいし、楽しくて。
― 「カズスタイル」、でしょうか。
そう。ロードレースでの活動(今期はチャンピオンシステム ジャパンに所属し、サラリーマンレーサーとして走る)も続けていきますし、「自転車は最高なんだ」っていうのをこれからもずっと伝えていきたいですね。
― 例えば弱虫ペダルシクロクロスチームにはU23の中原選手が在籍していますよね。そうした若手選手に対してアドバイスがあれば是非お願いします。
難しいなあ。あんまり偉そうなこと言うの得意じゃないんです(笑)。
ただ選手としてやってきて思うのは、自分が楽しんでないと良さって出てこないってこと。もがき苦しんでやっている選手からは良いスパイラルが出てこない。例え成績が出てなくても、楽しんでいる選手っていうのは何か良い流れを影響を周りに与えている。逆に成績を出していても楽しんでないと、周りに良い影響を与えられないように感じました。もちろん選手なので結果は大切だけど、それよりも先に、自転車自体を楽しむ気持ちを忘れないこと。逆に言うとそうしないと、結果も出づらいんじゃないかなと思います。難しいことですが、僕はすごく楽しみながらやってきたからこう思うんですね。
それから、僕自身は若手選手たちにとっての一つのモデルケースになれればと思っているんです。力いっぱい走って、それまでサポートしてもらったメーカーに腰を落ち着けるというね。メーカーに勤めた野口忍さん(トレック・ジャパン)、自分の店を始めた鈴木雷太さん(BIKE RANCH代表)、一般企業から選手になり、自分の道を切り開いた竹谷賢二さん(エンデュアライフ代表)といった様々な道を進んでいる先輩たちがいて、そして僕がいる。
いままで突き詰めてきたことをそのまま活かせるのはすごく嬉しいですね。全国のショップとも繋がりがありますし、ゼロからのスタートではないので、一番いい形だと感じていますよ。
セカンドキャリアは選手引退したあと、ホントに大切です。選手ならば一番不安なことだし、次が決められず、ずるずる現役を続ける人もいる。そういった意味で、僕はとても幸運でした。
話は変わるのですが、僕がプロになるきっかけを作ってくれたのは鈴木雷太さん。プロを目指して最初に相談したのが彼だったんです。メールを送って、最初の返信が「松本に来て、俺たちと一緒に練習しよう。」と。シクロクロス東京が終わった後にたくさんメッセージが来て一つ一つ読んでいたんですけど、雷太さんからも来てたんですよ。それがまたグッとくるメッセージで嬉しかったですねえ。雷太さんを目指してましたし、そんな憧れの人からこんなメッセージはほんともう、反則ものですよね(笑)。
― キャノンデール・ジャパンでの活動内容はどういったことになるのでしょうか。
これから自転車を買う人、買った人に自転車の楽しみ、楽しみ方を伝えていくというポジションに就きます。一緒に走ったり、イベントに出たりする中で自転車を好きになってもらうことですね。だから選手としてレースで魅せる部分が減るだけで、これまでとそう大差は無いんです。でも、今までの活動が認められて居場所が出来たことだし、すごくやりがいを感じます。今までMTB、ロード、シクロクロスと乗ってきましたし、歴代のバイクをほとんど乗ってきていている経験もありますから、とてもスムーズに運ぶと思います。楽しみですね。
― ずっと先の話ですが、サラリーマンとしてキャリアを終えてから何をしてると思いますか?
うーん(笑)。一つ言えるのは自転車は乗ってるってことでしょうか。でもまだ先の話なので、まずはキャノンデールジャパンでの仕事、役割に全力を投入していくつもりです。
僕の座右の銘が「今、この時全力で!」というものなんですが、それは自転車選手でも、社会人として勤めても変わらないな、と。この言葉が自分の活動に一番はまるんです。これが自分の味を引き出す原動力となっている言葉だな、と思っているんです。
僕の競技人生はキャノンデールに入りたいっていう個人的な気持ちから始まったものですが、その過程で繋がることができた多くの人の助けが本当に大きな力になっていたんです。自分ひとりでは到底ここまで素晴らしい競技人生を送れなかった。だから関わってくれた、応援してくれた全ての方に感謝したいですね。
interview:So.Isobe
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