2013/07/15(月) - 22:39
7月14日のフランス革命記念日「キャトーズ・ジュイエ」。10日ほど前に訪れたプロヴァンス地方への再訪のこの日を、今ツールでいちばんの酷暑が包んだ。
少ないフルームへの応援 高速で進んだレース
南仏でバカンス中の人々に加え、フランス革命記念日は国中が休日。難関ステージとあってツール観戦の人出はもっとも多くなっただろう。「革命記念日に、まだ見ていないフランス人の勝利を」。スタート地点にはフランス人の応援が目立った。この日、エタップ・ドゥ・ツールからの残り組、最終週を観ようと現地入りした日本人の方々も多く見かけた。
ツールの象徴、向日葵も例年より大幅に遅れてこの南部でようやく咲きはじめ、黄色い絨毯でツールを迎える。沿道の応援は驚くほど多いが、フルームの応援が少ないのが不思議な感じだ。イギリスの旗は多くひるがえる。カヴの名前を掲げる旗の応援は多く見るが、それと比べるとフルームの文字は多くはない。
「ケニア生まれの英国人」として、イギリス国籍を取得したことが5年前だということが常に枕詞としてつくからだろうか。それとも発言の冷たさや、言い過ぎることが好まれない原因か。ファンの少ないチャンピオンと言えそうだ。
プロヴァンスの巨人、魔の山モンヴァントゥーは今までに経験したことがない厳しい熱射に包まれていた。かつてはいずれも防寒衣を羽織ったもの。今回は頂上付近で汗が吹き出す。コースは例年と若干異なり、カルパントラから麓の小山を経由して登るルートがとられた。登りが始まっても、ゴールまで25kmのバナーが登場する。
最長距離ステージの果てに超級山岳が待つというのに、平均時速が約50kmという信じられないハイペースで進んだプロトン。サガンが狙ったのは208㎞地点の中間スプリントポイント。しかしサガンはそのまま逃げ切ってのステージトップ10も狙っていた。
サガンとキャノンデールは、スカイが他チームからの総攻撃に備えて温存し、先行集団の逃げ切りを許してくれる展開に持ち込みたかったようだ。
トラブルにつけ込んだアタックで遅れを喫したバルベルデの復讐にモビスターが攻撃をかける。あるいはサクソ・ティンコフといくつかのチームが結託してスカイへ打撃を与える。ふたたびフルームを孤立させるシナリオをいくつか想像した。
スカイは序盤、集団の前には出ず他チーム任せにした。フルームは集団後方にさえ位置し、ときに集団最後尾からも離れる無関心さを示す。「今日は他のチームに任せたから、好きにしていい」とばかりに。しかし記念すべき100回大会で、特別な名誉あるゴールを狙いたい気持ちはフルームにとスカイにもあった。
結局は各チームの思惑はバラバラで、まとまるはずはなかった。ロランのマイヨアポアを守りぬきたいユーロップカー。まだ勝利どころか存在感さえ示せていないエウスカルテル。それぞれが持ち込みたいレース展開は違った。ロランを逃げに送り込みたくてチームの力を使ったユーロップカーは追走したが結局は何も得ることができず、結局はスカイを助けただけだった。
プロトンが高速で飛ばし続けた展開に、レース関係者も慌てた。登り口には予定時間の1時間ほど早く到達。登るのが困難な人混みのなか、頂上へ向け慌ててクルマを進ませる。モンバントゥーの頂上のタワーには歴代の頂上覇者の写真バナーが飾られたものだが、今回は何も無かった。
美しくない走りで速いフルーム 「これで本当にツールが終わった」?
プロヴァンスの強風にとばされてしまったか、瓦礫のような地質だからか、モン・ヴァントゥーには木が生えていない。吹きっさらしの頂上付近は独走するには不利だ。コンタドールをラスト7km前で引き離すと、クインターナと組んだフルーム。
利用させてもらったお返しに、アームストロングがパンターニにしたように勝利をプレゼントするのかと思いきや、1967年に頂上までラスト1.3kmを残して倒れたイギリス人のトム・シンプソンの慰霊碑の前でクインターナを後方へ引き離した。
下を向き、ふらふらと安定しないように見える美しくないペダリングで独走で魔の山の頂上に向かうフルームは、加速した瞬間以外は決して速くは見えない。頂上で表彰プレゼンターを務めたグレッグ・レモンも「変な乗り方」と評した。しかし計測された約15kmの区間タイムは全盛期の(ドーピングしていた)アームストロングにわずか2秒遅れるだけ。このクリーンになったツールでも、疑いを呼ぶのも無理はない。
コンタドールのマイヨジョーヌへの夢を粉砕し、奇襲攻撃で取られた1分のタイムも簡単に取り返した。そればかりかピエール・ロランのマイヨアポアも奪い取った。キャトーズ・ジュイエのフランス人の収穫は、シルヴァン・シャヴァネルの敢闘賞獲得のみ。前回も休息日の前夜に「ツールが終わった」と誰もが口にした。今回は2度めの休息日の前に「これで本当にツールが終わった」と言いたくなる。
フルームのモンヴァントゥー登坂記録は21世紀最高のタイム?
マイヨジョーヌがモンバントゥー山頂を制したのは、公式には1970年のエディ・メルクス以来2度めのことになる。フルームはモンヴァントゥーの登り全体区間を59分07秒で走った。各国のネットフォーラムなどが試みている集計によれば、サン・テステーヴのラストの180度コーナー地点から計測したラスト15.65km区間(平均勾配8.74%、標高差1368m)のフルームのタイムは「48分35秒」。
ちなみにこの区間の過去最速記録は2004年にイバン・マヨがドーフィネ・レベレで出した45分47秒。続いてマルコ・パンターニが1994年ツール・ド・フランスで出した46分00秒が歴代2位。
フルームのタイムは、ランス・アームストロングが2002年に出したタイムの48分33秒に遅れること2秒で、歴代4位のタイム(しかしアームストロングはドーピングによる優勝記録剥奪)。
対象を21世紀以降(2000-2013)とすると、アームストロングに次いで2位。(ドーピングしていた)アームストロングを除けば、「21世紀のツールでは最速タイム」をマークしたことになる。
そしてラスト6.15km(平均勾配8%、標高差492m)の区間タイムでは、2000年の(アームストロングと同時ゴールした)マルコ・パンターニの18分11秒の最速タイムに次いで30秒遅れの17分41秒で、歴代2位のタイムとなる。
計測誤差もあり公式なものではない。ドーピング問題により記録の扱いが分かれるが、参考にすると面白い。
21世紀(2000〜2013年)のモンヴァントゥー歴代最速記録トップ10
(15.65 km、平均勾配8.74%、標高差1368m)非公式記録含む
1位 ランス・アームストロング 48:33 (2002年)※記録剥奪
2位 クリス・フルーム 48:35(2013年)
3位 アンディ・シュレク 48.57 (2009年)
4位 アルベルト・コンタドール (2009年)※シュレクと同時ゴール
5位 ランス・アームストロング 49:00(2009年)※記録剥奪
6位 マルコ・パンターニ 49:01(2000年)
7位 ランス・アームストロング 49:01(2000年)※パンターニと同時ゴール ※記録剥奪
8位 フランク・シュレク 49:02(2009年)
9位 ナイロ・クインターナ 49:04 (2013)
10位 ロマン・クロイツィゲル 49:05 (2009年)
20世紀以前トップ2
イバン・マヨ 45:47(2002年ドーフィネ・リベレ)
マルコ・パンターニ 46:00(1994年ツール・ド・フランス)
photo&text:Makoto.AYANO
少ないフルームへの応援 高速で進んだレース
南仏でバカンス中の人々に加え、フランス革命記念日は国中が休日。難関ステージとあってツール観戦の人出はもっとも多くなっただろう。「革命記念日に、まだ見ていないフランス人の勝利を」。スタート地点にはフランス人の応援が目立った。この日、エタップ・ドゥ・ツールからの残り組、最終週を観ようと現地入りした日本人の方々も多く見かけた。
ツールの象徴、向日葵も例年より大幅に遅れてこの南部でようやく咲きはじめ、黄色い絨毯でツールを迎える。沿道の応援は驚くほど多いが、フルームの応援が少ないのが不思議な感じだ。イギリスの旗は多くひるがえる。カヴの名前を掲げる旗の応援は多く見るが、それと比べるとフルームの文字は多くはない。
「ケニア生まれの英国人」として、イギリス国籍を取得したことが5年前だということが常に枕詞としてつくからだろうか。それとも発言の冷たさや、言い過ぎることが好まれない原因か。ファンの少ないチャンピオンと言えそうだ。
プロヴァンスの巨人、魔の山モンヴァントゥーは今までに経験したことがない厳しい熱射に包まれていた。かつてはいずれも防寒衣を羽織ったもの。今回は頂上付近で汗が吹き出す。コースは例年と若干異なり、カルパントラから麓の小山を経由して登るルートがとられた。登りが始まっても、ゴールまで25kmのバナーが登場する。
最長距離ステージの果てに超級山岳が待つというのに、平均時速が約50kmという信じられないハイペースで進んだプロトン。サガンが狙ったのは208㎞地点の中間スプリントポイント。しかしサガンはそのまま逃げ切ってのステージトップ10も狙っていた。
サガンとキャノンデールは、スカイが他チームからの総攻撃に備えて温存し、先行集団の逃げ切りを許してくれる展開に持ち込みたかったようだ。
トラブルにつけ込んだアタックで遅れを喫したバルベルデの復讐にモビスターが攻撃をかける。あるいはサクソ・ティンコフといくつかのチームが結託してスカイへ打撃を与える。ふたたびフルームを孤立させるシナリオをいくつか想像した。
スカイは序盤、集団の前には出ず他チーム任せにした。フルームは集団後方にさえ位置し、ときに集団最後尾からも離れる無関心さを示す。「今日は他のチームに任せたから、好きにしていい」とばかりに。しかし記念すべき100回大会で、特別な名誉あるゴールを狙いたい気持ちはフルームにとスカイにもあった。
結局は各チームの思惑はバラバラで、まとまるはずはなかった。ロランのマイヨアポアを守りぬきたいユーロップカー。まだ勝利どころか存在感さえ示せていないエウスカルテル。それぞれが持ち込みたいレース展開は違った。ロランを逃げに送り込みたくてチームの力を使ったユーロップカーは追走したが結局は何も得ることができず、結局はスカイを助けただけだった。
プロトンが高速で飛ばし続けた展開に、レース関係者も慌てた。登り口には予定時間の1時間ほど早く到達。登るのが困難な人混みのなか、頂上へ向け慌ててクルマを進ませる。モンバントゥーの頂上のタワーには歴代の頂上覇者の写真バナーが飾られたものだが、今回は何も無かった。
美しくない走りで速いフルーム 「これで本当にツールが終わった」?
プロヴァンスの強風にとばされてしまったか、瓦礫のような地質だからか、モン・ヴァントゥーには木が生えていない。吹きっさらしの頂上付近は独走するには不利だ。コンタドールをラスト7km前で引き離すと、クインターナと組んだフルーム。
利用させてもらったお返しに、アームストロングがパンターニにしたように勝利をプレゼントするのかと思いきや、1967年に頂上までラスト1.3kmを残して倒れたイギリス人のトム・シンプソンの慰霊碑の前でクインターナを後方へ引き離した。
下を向き、ふらふらと安定しないように見える美しくないペダリングで独走で魔の山の頂上に向かうフルームは、加速した瞬間以外は決して速くは見えない。頂上で表彰プレゼンターを務めたグレッグ・レモンも「変な乗り方」と評した。しかし計測された約15kmの区間タイムは全盛期の(ドーピングしていた)アームストロングにわずか2秒遅れるだけ。このクリーンになったツールでも、疑いを呼ぶのも無理はない。
コンタドールのマイヨジョーヌへの夢を粉砕し、奇襲攻撃で取られた1分のタイムも簡単に取り返した。そればかりかピエール・ロランのマイヨアポアも奪い取った。キャトーズ・ジュイエのフランス人の収穫は、シルヴァン・シャヴァネルの敢闘賞獲得のみ。前回も休息日の前夜に「ツールが終わった」と誰もが口にした。今回は2度めの休息日の前に「これで本当にツールが終わった」と言いたくなる。
フルームのモンヴァントゥー登坂記録は21世紀最高のタイム?
マイヨジョーヌがモンバントゥー山頂を制したのは、公式には1970年のエディ・メルクス以来2度めのことになる。フルームはモンヴァントゥーの登り全体区間を59分07秒で走った。各国のネットフォーラムなどが試みている集計によれば、サン・テステーヴのラストの180度コーナー地点から計測したラスト15.65km区間(平均勾配8.74%、標高差1368m)のフルームのタイムは「48分35秒」。
ちなみにこの区間の過去最速記録は2004年にイバン・マヨがドーフィネ・レベレで出した45分47秒。続いてマルコ・パンターニが1994年ツール・ド・フランスで出した46分00秒が歴代2位。
フルームのタイムは、ランス・アームストロングが2002年に出したタイムの48分33秒に遅れること2秒で、歴代4位のタイム(しかしアームストロングはドーピングによる優勝記録剥奪)。
対象を21世紀以降(2000-2013)とすると、アームストロングに次いで2位。(ドーピングしていた)アームストロングを除けば、「21世紀のツールでは最速タイム」をマークしたことになる。
そしてラスト6.15km(平均勾配8%、標高差492m)の区間タイムでは、2000年の(アームストロングと同時ゴールした)マルコ・パンターニの18分11秒の最速タイムに次いで30秒遅れの17分41秒で、歴代2位のタイムとなる。
計測誤差もあり公式なものではない。ドーピング問題により記録の扱いが分かれるが、参考にすると面白い。
21世紀(2000〜2013年)のモンヴァントゥー歴代最速記録トップ10
(15.65 km、平均勾配8.74%、標高差1368m)非公式記録含む
1位 ランス・アームストロング 48:33 (2002年)※記録剥奪
2位 クリス・フルーム 48:35(2013年)
3位 アンディ・シュレク 48.57 (2009年)
4位 アルベルト・コンタドール (2009年)※シュレクと同時ゴール
5位 ランス・アームストロング 49:00(2009年)※記録剥奪
6位 マルコ・パンターニ 49:01(2000年)
7位 ランス・アームストロング 49:01(2000年)※パンターニと同時ゴール ※記録剥奪
8位 フランク・シュレク 49:02(2009年)
9位 ナイロ・クインターナ 49:04 (2013)
10位 ロマン・クロイツィゲル 49:05 (2009年)
20世紀以前トップ2
イバン・マヨ 45:47(2002年ドーフィネ・リベレ)
マルコ・パンターニ 46:00(1994年ツール・ド・フランス)
photo&text:Makoto.AYANO
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