2009/07/06(月) - 16:28
朝のモナコ。スタート地点はモナコ中心部の港。選手たちはホテルが近いこともあってそれぞれ旅行バッグを曳きながら自転車に乗って現れる。スタート地点裏を通るときにマンジャスさんに呼び止められたスキル・シマノは、リュックを背負ったままサイン台に上がる選手も。初出場ならではの初々しさだ。
スタートまでの時間を過ごすフミのもとに、レーシングドライバーの佐藤琢磨さんがやってきた。佐藤さんはモナコ中心のカジノあたりに住んでいるので、応援に駆けつけたというわけだ。しかも聞けばイギリスから帰ったばかりで、昨日の第1ステージはコースで観戦することが出来なかったという。
バスから出てきたフミと長々と会話を楽しんだ。そしてフランスに住んでいるんだからいつか一緒に走りましょう、と。
海外レポーターもサトウタクマの存在に気づいてインタビュー。「僕も自転車乗りの端くれでした」と話すが、佐藤さん自身、元自転車選手をルーツにもつレーシングドライバー。1995年にはインカレロード2位、1996年全日本学生選手権に優勝している、学生のトッププライダーだった。
私も昔、たしか1993年ごろに自転車雑誌の記事で取材をさせてもらったことがある。当時としては最先端の心拍計が日本に上陸した頃で、まだ早稲田の学生だった佐藤さんが、愛車のデローザに心拍計をセットして走っていたのを思い出す。
また、マウンテンバイクの大会「シマノリエックス」で優勝して、トレーニング方法を聞いたとき、佐藤青年は「強くなる秘訣は仲間と楽しむことです!」と元気に応えてくれた。豪快で元気。ちょっと型破りな感じを、今でもよく覚えている。実際に会うのはそのとき以来だが、今でも同じ印象がした。
スタート地点ではフミ、ユキヤ、タクマの3人で記念写真。スタート地点に並んだプロトンの中で、フミとユキヤの並んだ写真を撮ろうというのは最初から日本人カメラマンたちの間で申し合わせていたこと。そこにタクマの加わった写真も撮れるなんて!
いよいよ初めてのロードステージ。コースプロフィール的にはスプリントに持ち込まれる可能性が高いステージだ。昨ステージのタイムトライアルで総合順位は付いているから、マイヨジョーヌの可能性がある選手はタイム差上位陣に限られる。そのため全員がゴールめがけて突進するなんてことにはならないだろうが...。
それでも2人の日本人はツールの速さ、ナーバスさ、厳しさを、身をもって思い知るのだろうか? と、少し心配しながらスタートを見送った。
パリ〜ニースで有名なエズ峠へ、モナコ市街からの抜け道で上がって集団を待つことにする。はるか眼下に地中海と、セレブな街並みが光る。モナコ在住の多くのプロサイクリストがここを定番練習コースにしている。山並みは石灰岩の岩肌で、そのコントラストに何度来ても美しいと思う。
先頭集団が来た。前に抜け出そうとする選手3、4人。それを追って長く伸びる集団。集団前方にユキヤ! アタックに乗ろうとしている。オレンジのサングラスと、真っ黒に日焼けした石垣島産の肌、そして低い姿勢で、腰でぐいぐいペダルを回す姿が勢いよく通過していった。フミの姿も集団中ほどに確認。2人とも頑張れ。
ニース市街までは峠を越えて一気に下りだ。この下りを利用したアタックで逃げが決まったようだ。この下りの展望スポットは、ライプハイマー(アスタナ)が奥さんにプロポーズした場所らしい。ライプハイマーはゴール後につぶやきサイトTwitterでこうつぶやいている「想い出の場所なのに、時速80km/hで通過しちゃった」。
南フランスならではの熱さはとろけそうだ。逃げが決まって動きが落ち着いた集団は、人数を減らさずにゴールスプリントへ。多くの有力選手がひしめくままの争いだ。
スキル・シマノにはスプリンターのケニー・ファンヒュメルがいる。現在ヨーロッパツアー総合ポイント1位につけるケニーのための列車を組むのがスキル・シマノの選手たちの役割だ。なかでもスピードがあるフミをはじめとするチームの3人がその中心的役割を果たすという。
ゴール前500m、ツール第1ステージ恒例ともなってしまった落車が発生。危険なライダーと呼ばれるナポリターノの名前が挙がる。カメラマンエリアにいてはマンジャスさんのアナウンスが聞こえるだけで、モニターが見れない。集団は少し数を減らしたが、いつもどおりすごい勢いでカヴェンディッシュが手を挙げた。
「第1集団は危険すぎる」という理由で、カメラマンの撮影ラインは通常のステージより遥か後方に引かれる。それでも相当なスピードだ。悠々と手を広げてゴールするカヴ。その後方、横に現れたブイグのジャージにオレンジのサングラス...。ファインダーから外れるときに気が付いた。アラシロだ!
今回、新城出身の八重山諸島の地方紙、八重山日報社からカメラマンの星加さんがツール全日程の取材に来ている。その星加さんは後方のブイグジャージにいちはやく気が付いて、ピントをユキヤに合わせたそうだ。
あの一瞬の間にそれができたのは星加さんのみ。さすがユキヤの「番記者」!ユキヤはゴールするなり指五本を出して「サンク、サンク(Cinq)!」と報告してくれたそうだ。
汗を流す前のユキヤにコメントをもらおうと、ゴールの先に停まったチームバスに駆けつける。ジャンルネ・ベルノドー監督も詰め掛けた日本人報道陣のラッシュに、好意的にバスのなかに案内してくれた。
そのインタビューコメント部はいち早く伝える必要があったため一足先にアップさせてもらったが、ユキヤは思った以上に落ち着いていた。落車のおかげ、と謙遜するが、ドーフィネ・リベレでもステージ上位に食い込み、スプリンターの資質があることを証明している。
まだスペシャリストじゃない。プロツアー選手のなかでは並以上のスピードを持つ。スプリンター未満、パンチャー以上。これはフミにも言えることだ。今まで今中大介さんが1996年のツール・ド・フランス初出場時にマークしたステージ35位の最高位記録を、あっさり塗り替えた。
2人ともスピードがあるから、この先うまく少人数の逃げグループに入れた場合、ステージ優勝の可能性は絵空事でなくなる。
我々プレスも、この日を境に「日本人がツール・ド・フランスに出場」から、「日本人がツール・ド・フランスでどういう結果を残せるか」に興味をシフトしていける。
プレスセンターでは各国ジャーナリストがアラシロについて「どういう選手か教えて欲しい」と質問をしてきた。そして今までの日本人のツールでの最高位記録などを聞き取っていったから、それらが記事になっているのだろう。
明日はマルセイユスタート。ニコラ・ロッシュ(アージェードゥーゼル)はじめフミの出身クラブのラポム・マルセイユから育った選手が、今年のツールには7人も出場している。出身選手がスタート前に並べば?という話もチラホラ挙がっているので、それも楽しみだ。
今日私が泊まっている街 オーバーニュは、フミが住んでいた合宿所があったところ。そして練習中の大落車事故を起こした街だ。フミの顔には今もその痕跡が残る。
明日は「マルセイユステージで動きたい」と話していたフミの動きに注目だ。楽しみになってきた!
取材に同行しているフミの兄、別府始さんが、ステージ中にジャーナリスト・モトに乗れることになった。レース中にJ SPORTSのライブ放送内で電話レポートをする予定だ。モンペリエで離脱して、実況解説のために日本へ帰国するので、帯同できる最後の日にモトに乗れるのは幸運だ。フミが逃げれば最高の体験になるだろう。
フミによれば「ミストラル(地中海沿岸地方特有の海風)が吹くと大変なステージになるだろう」とのことだ。
photo&text:Makoto.AYANO
スタートまでの時間を過ごすフミのもとに、レーシングドライバーの佐藤琢磨さんがやってきた。佐藤さんはモナコ中心のカジノあたりに住んでいるので、応援に駆けつけたというわけだ。しかも聞けばイギリスから帰ったばかりで、昨日の第1ステージはコースで観戦することが出来なかったという。
バスから出てきたフミと長々と会話を楽しんだ。そしてフランスに住んでいるんだからいつか一緒に走りましょう、と。
海外レポーターもサトウタクマの存在に気づいてインタビュー。「僕も自転車乗りの端くれでした」と話すが、佐藤さん自身、元自転車選手をルーツにもつレーシングドライバー。1995年にはインカレロード2位、1996年全日本学生選手権に優勝している、学生のトッププライダーだった。
私も昔、たしか1993年ごろに自転車雑誌の記事で取材をさせてもらったことがある。当時としては最先端の心拍計が日本に上陸した頃で、まだ早稲田の学生だった佐藤さんが、愛車のデローザに心拍計をセットして走っていたのを思い出す。
また、マウンテンバイクの大会「シマノリエックス」で優勝して、トレーニング方法を聞いたとき、佐藤青年は「強くなる秘訣は仲間と楽しむことです!」と元気に応えてくれた。豪快で元気。ちょっと型破りな感じを、今でもよく覚えている。実際に会うのはそのとき以来だが、今でも同じ印象がした。
スタート地点ではフミ、ユキヤ、タクマの3人で記念写真。スタート地点に並んだプロトンの中で、フミとユキヤの並んだ写真を撮ろうというのは最初から日本人カメラマンたちの間で申し合わせていたこと。そこにタクマの加わった写真も撮れるなんて!
いよいよ初めてのロードステージ。コースプロフィール的にはスプリントに持ち込まれる可能性が高いステージだ。昨ステージのタイムトライアルで総合順位は付いているから、マイヨジョーヌの可能性がある選手はタイム差上位陣に限られる。そのため全員がゴールめがけて突進するなんてことにはならないだろうが...。
それでも2人の日本人はツールの速さ、ナーバスさ、厳しさを、身をもって思い知るのだろうか? と、少し心配しながらスタートを見送った。
パリ〜ニースで有名なエズ峠へ、モナコ市街からの抜け道で上がって集団を待つことにする。はるか眼下に地中海と、セレブな街並みが光る。モナコ在住の多くのプロサイクリストがここを定番練習コースにしている。山並みは石灰岩の岩肌で、そのコントラストに何度来ても美しいと思う。
先頭集団が来た。前に抜け出そうとする選手3、4人。それを追って長く伸びる集団。集団前方にユキヤ! アタックに乗ろうとしている。オレンジのサングラスと、真っ黒に日焼けした石垣島産の肌、そして低い姿勢で、腰でぐいぐいペダルを回す姿が勢いよく通過していった。フミの姿も集団中ほどに確認。2人とも頑張れ。
ニース市街までは峠を越えて一気に下りだ。この下りを利用したアタックで逃げが決まったようだ。この下りの展望スポットは、ライプハイマー(アスタナ)が奥さんにプロポーズした場所らしい。ライプハイマーはゴール後につぶやきサイトTwitterでこうつぶやいている「想い出の場所なのに、時速80km/hで通過しちゃった」。
南フランスならではの熱さはとろけそうだ。逃げが決まって動きが落ち着いた集団は、人数を減らさずにゴールスプリントへ。多くの有力選手がひしめくままの争いだ。
スキル・シマノにはスプリンターのケニー・ファンヒュメルがいる。現在ヨーロッパツアー総合ポイント1位につけるケニーのための列車を組むのがスキル・シマノの選手たちの役割だ。なかでもスピードがあるフミをはじめとするチームの3人がその中心的役割を果たすという。
ゴール前500m、ツール第1ステージ恒例ともなってしまった落車が発生。危険なライダーと呼ばれるナポリターノの名前が挙がる。カメラマンエリアにいてはマンジャスさんのアナウンスが聞こえるだけで、モニターが見れない。集団は少し数を減らしたが、いつもどおりすごい勢いでカヴェンディッシュが手を挙げた。
「第1集団は危険すぎる」という理由で、カメラマンの撮影ラインは通常のステージより遥か後方に引かれる。それでも相当なスピードだ。悠々と手を広げてゴールするカヴ。その後方、横に現れたブイグのジャージにオレンジのサングラス...。ファインダーから外れるときに気が付いた。アラシロだ!
今回、新城出身の八重山諸島の地方紙、八重山日報社からカメラマンの星加さんがツール全日程の取材に来ている。その星加さんは後方のブイグジャージにいちはやく気が付いて、ピントをユキヤに合わせたそうだ。
あの一瞬の間にそれができたのは星加さんのみ。さすがユキヤの「番記者」!ユキヤはゴールするなり指五本を出して「サンク、サンク(Cinq)!」と報告してくれたそうだ。
汗を流す前のユキヤにコメントをもらおうと、ゴールの先に停まったチームバスに駆けつける。ジャンルネ・ベルノドー監督も詰め掛けた日本人報道陣のラッシュに、好意的にバスのなかに案内してくれた。
そのインタビューコメント部はいち早く伝える必要があったため一足先にアップさせてもらったが、ユキヤは思った以上に落ち着いていた。落車のおかげ、と謙遜するが、ドーフィネ・リベレでもステージ上位に食い込み、スプリンターの資質があることを証明している。
まだスペシャリストじゃない。プロツアー選手のなかでは並以上のスピードを持つ。スプリンター未満、パンチャー以上。これはフミにも言えることだ。今まで今中大介さんが1996年のツール・ド・フランス初出場時にマークしたステージ35位の最高位記録を、あっさり塗り替えた。
2人ともスピードがあるから、この先うまく少人数の逃げグループに入れた場合、ステージ優勝の可能性は絵空事でなくなる。
我々プレスも、この日を境に「日本人がツール・ド・フランスに出場」から、「日本人がツール・ド・フランスでどういう結果を残せるか」に興味をシフトしていける。
プレスセンターでは各国ジャーナリストがアラシロについて「どういう選手か教えて欲しい」と質問をしてきた。そして今までの日本人のツールでの最高位記録などを聞き取っていったから、それらが記事になっているのだろう。
明日はマルセイユスタート。ニコラ・ロッシュ(アージェードゥーゼル)はじめフミの出身クラブのラポム・マルセイユから育った選手が、今年のツールには7人も出場している。出身選手がスタート前に並べば?という話もチラホラ挙がっているので、それも楽しみだ。
今日私が泊まっている街 オーバーニュは、フミが住んでいた合宿所があったところ。そして練習中の大落車事故を起こした街だ。フミの顔には今もその痕跡が残る。
明日は「マルセイユステージで動きたい」と話していたフミの動きに注目だ。楽しみになってきた!
取材に同行しているフミの兄、別府始さんが、ステージ中にジャーナリスト・モトに乗れることになった。レース中にJ SPORTSのライブ放送内で電話レポートをする予定だ。モンペリエで離脱して、実況解説のために日本へ帰国するので、帯同できる最後の日にモトに乗れるのは幸運だ。フミが逃げれば最高の体験になるだろう。
フミによれば「ミストラル(地中海沿岸地方特有の海風)が吹くと大変なステージになるだろう」とのことだ。
photo&text:Makoto.AYANO
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