2011/12/20(火) - 11:32
吉田隼人選手は鹿屋体育大学の学生だ。そして学生の本分は学業にある。ならば、幼稚園児の頃から「ツール・ド・フランス」に憧れて育った彼は、大学生活を通じて何を学んで、何を実践し、何を伝えようと考えているのだろうか。卒業が目前に迫った彼の募る思いを今ここに綴る。
今年11月、母校の榛生昇陽高校で3週間の教育実習をさせて頂きましたが、この体験も私にとって大きな収穫の一つでした。
日頃の大学生活は、自転車と授業中心の活動で、親の仕送りにより不自由なく生活をさせて貰っていることが当たり前になっていたのですが、家族や周囲の沢山の方々に支えられて今の自分が有ることを改めて実感しました。
高校生の時には思いもしなかったのですが、学校現場では自転車競技部の恩師だった徳地末広先生を始め多くの先生方が、生徒達のより良い教育を考え朝早くから夜遅くまで真剣に働いておられました。 自分の頭で理解している知識を、何も解らない生徒達に興味を持たせ理解させるという教育という単純な事が、実はとても複雑で難しいことが良く解りました。
それは「日本の自転車をメジャーにするための人材を育てる」という明確な目標を持った鹿屋体育大学自転車競技部の活動現場にも良く似ていて、活動環境からトレーニングなど幅広い分野で幹部部員(4年生)が後輩達に伝えるメッセージが、道理のある理解されるものでなければ部員達の動きは中途半端なものとなり、チーム作りも競技力向上にも効果が出にくいことも再認識させられ、4年生の自分が後輩達にとって良きリーダーだったかを反省し深く考え直す機会にもなりました。
後輩達に対しての指導は間もなく終わりますが、これからの長い競技人生のなかで自転車界発展のためにリーダーシップを取ることも沢山あるでしょうから、今回経験し学んだことを活かし、コミュニケーションを上手く取りながら相手に理解される指導が出来るよう心掛けて行きたいと思います。
日本のレベルの問題が有るにせよ、高校時代は面白いように結果を出すことが出来たため、若気の至りとは言え若干天狗になっていて、周囲の皆さんに不快な思いをさせたかも知れません。
大学に入学すると一気に競技レベルが上がり、当然ながら簡単には勝てなくなりました。チーム内には一緒に日本代表として走る強い先輩が沢山いましたので、レースだけでなく日常のトレーニングでも思うように走れない錯覚に陥ることが繰り返され、次第にチームや周囲の選手と距離を置くようになりました。
かなりマイペースで自分の得意とするトレーニングが進む一方、不得意分野の克服やチームメイトとの連携など、重要な課題は先送りしてしまい、それが悪循環となり、良いリザルトから見放される結果になり、当然、先輩らや指導者に対する不満は募る一方です。
指導する黒川剛監督とは些細なことでことごとく衝突しましたが、そんな私を監督始め周囲はじっと見守ってくれました。
自分自身が選手として成功することで不満の殆どが解消することは解っていましたが、大きなターニングポイントになったのが、2年生の冬に行われた東アジア大会の80kmチームロードレースに日本ナショナルチームで出場させて頂いたことでした。
「ここで駄目なら競技を辞める」そんな不退転の気持ちで自ら退路を断ち、夏から心を入れ替えて別人のようにトレーニングに明け暮れましたが、復活を掛けたこのレースで金メダルを獲ることが出来ました。
この頃から競技への甘い考えが無くなる一方、周囲に対する感謝の気持ちが自然と自分の中で芽生え始めて来たように思います。このレースで本来の走りと自信を取り戻した私は、この後チームと歩調を合わせながら活動を続け、多くの良いリザルトに恵まれることが出来ました。
紆余曲折有りながら、今では笑える話で片付けてしまいそうですが、この時の苦い経験があるからこそ、鹿屋体育大学チームに対して誰にも負けない熱い想いがあり、時には厳しいことを言いながらも後輩達に強い選手そして正しい人間に育って貰うために真剣に向き合っているところです。
前強化部長の内間康平さん(現ダンジェロ&アンティヌッチィ株式会社NIPPO)も厳しいトレーニングで選手達を育て上げましたが、私も質に重点を置いてトレーニング計画を立てました。
特に大学入学当時あれだけ摩擦のあった黒川監督とは、海外遠征中も含め毎日連絡を取り合い、トレーニング計画や各選手の仕上がりや動向等を検証してきましたが、有り難いことに私の考えを全面的に認めたうえで強化に関する全権を預けて頂いたことで、思う存分厳しいトレーニングに専念することが出来ました。
ついでに少し黒川監督について言わせて頂くと、最も信頼できる私の理解者であると同時に、時々人としての行動や考え方で注意をしてくれる人生の指南役でもあります。黒川監督の言葉が理解できる知識と心理が大人になった今の私には備わっていますので、お節介なことを言われても有り難く受け止めることが出来ていて、口には出しませんが本当に感謝しています。
多くの経験から周囲との信頼関係なしに物事は上手く進まないことも学びましたが、先ずは自分が結果を残さなければ後輩達は付いて来ないと考え、特にこの1年間はトレーニング、授業、食事、日常生活等の全てで自分自身にストイックになりました。
レースではチームメイト同士で連携もしますので、リザルトだけでは強さを見抜けないところもありますが、トレーニングでは絶対に後輩達に負けられない覚悟で一本一本真剣に走りましたし、常に言葉と態度で強いメッセージを後輩達に贈り続けたつもりです。
私が今年優勝したU23全日本選手権タイムトライアル、明治神宮外苑学生クリテリウム、国民体育大会ロードレースなどで解るように、しっかり計画されたトレーニングを積むことにより、ジャンルを問わず強くなれることを後輩達に示せたと考えています。
後輩達には厳しい事を要求しましたが、殆どの選手は私の考えを理解し我慢しながら本当に良く頑張ってくれたと思っています。
ユニバシアード大会のトラック&ロードには、日本代表14名中8名を鹿屋体育大学から送り出し、銅メダル2個を獲得、世界トラック選手権でも女子史上最高の4位入賞など国際的に活躍できる選手が増えてきましたし、当然のように国内でも多くのレースで優勝(年間35回)を決めました。
大学から自転車を始めた素人選手を含む21名中の16名が何らかの全国優勝を果たした実績が、チーム全体での強化が順調に進んだことを証明してくれていると思います。
私の強化部長としての役目は間もなく終わろうとしていますが、後輩達には世界を目指すためにも、ここで満足せず、より厳しい試練に挑戦する心を持ち続けて欲しいと願っています。
幼稚園の時から「ツール・ド・フランスに出る」と公言してきた私の夢は今も変わっていませんし、いよいよその夢への第一歩として世界に踏み出す時が迫ってきました。
世界を相手にプロとして走る不安・楽しみ・喜びが交錯していて複雑な心境ではありますが、ここまで辿り着けたのもチーム関係者は勿論のこと、私達の活動を陰から支えていただいたパナレーサー等の沢山の支援者の皆様との出会いから、多くの経験と知識を学び選手としても人としても成長できたお陰だと、お世話になった全ての方々に心より感謝しています。
「高校を出たら大学には行かずヨーロッパに渡らなかったら選手としては終わるよね」と、多くの人々に忠告されながら、高校を卒業して鹿屋体育大学に進む道を選んだのは自分自身ですし、この大学進学が間違いではなかったという事を証明するためにも、来年からの活動でしっかりと結果を出して行こうと思っていますが、そのための壮絶な戦いが続いて行くことの覚悟も出来ています。
「ツール出場」と言う夢を叶えることで、自分自身が選び・進んで来た道に納得が出来ますし、さらに結果を残すことで鹿屋体育大学の名前をさらに多くの人々に知って頂き、お世話になったチームと関係者の皆さんへの恩返しも出来ると考えています。
大学チームには人材育成と言う大きな課題が社会から要求されますが、私達がチームとして積み上げてきた実績や、卒業後の活躍を見て貰うことで鹿屋体育大学の素晴らしさをさらに多く方々に認識頂けるはずですし、何よりも私達が掲げる「日本の自転車のメジャー化」に向けた活動をここで留まらせる訳にはいきません。
チーム関係者の真摯な取組は、これからも継続されなければなりません。私もこれからはOB・OGの一員としてその活動の中心に近付けるよう生涯を掛けて精進を続けていくつもりです。
最後に、ここには自転車競技を探求する若者にとって最高の環境が整っています。強くなるのも全ては自分自身の意識の問題ですので、夢とやる気と可能性のある優秀な高校生選手達には、環境抜群の鹿屋体育大学の門戸を叩いて欲しいと思います。そして自らの強い意志で世界を目指して果敢にチャレンジし続けて欲しいと期待しています。
2008.3 奈良県立榛生昇陽高校卒
2012.3 鹿屋体育大学体育学部卒業見込
幼い頃から「ツール・ド・フランスに出る」と心に決めた少年が高校卒業時に選んだ進路は、ヨーロッパ行きでは無く日本国内の国立大学だった。
大学4年間で様々な試練を乗り越え成長を遂げた青年がいよいよプロとして夢の舞台に飛び出そうとしている。
2011年の主な戦績
「自転車と教育 鹿屋体育大学を羽ばたく前に」
つい先日、鹿屋体育大学に進学したような感じですが、あっと言う間に4年間が経とうとしています。 振り返ると実に色々な経験を通じ自らの成長を実感出来て本当に良かったと思っています。今年11月、母校の榛生昇陽高校で3週間の教育実習をさせて頂きましたが、この体験も私にとって大きな収穫の一つでした。
日頃の大学生活は、自転車と授業中心の活動で、親の仕送りにより不自由なく生活をさせて貰っていることが当たり前になっていたのですが、家族や周囲の沢山の方々に支えられて今の自分が有ることを改めて実感しました。
高校生の時には思いもしなかったのですが、学校現場では自転車競技部の恩師だった徳地末広先生を始め多くの先生方が、生徒達のより良い教育を考え朝早くから夜遅くまで真剣に働いておられました。 自分の頭で理解している知識を、何も解らない生徒達に興味を持たせ理解させるという教育という単純な事が、実はとても複雑で難しいことが良く解りました。
それは「日本の自転車をメジャーにするための人材を育てる」という明確な目標を持った鹿屋体育大学自転車競技部の活動現場にも良く似ていて、活動環境からトレーニングなど幅広い分野で幹部部員(4年生)が後輩達に伝えるメッセージが、道理のある理解されるものでなければ部員達の動きは中途半端なものとなり、チーム作りも競技力向上にも効果が出にくいことも再認識させられ、4年生の自分が後輩達にとって良きリーダーだったかを反省し深く考え直す機会にもなりました。
後輩達に対しての指導は間もなく終わりますが、これからの長い競技人生のなかで自転車界発展のためにリーダーシップを取ることも沢山あるでしょうから、今回経験し学んだことを活かし、コミュニケーションを上手く取りながら相手に理解される指導が出来るよう心掛けて行きたいと思います。
「ターニングポイント」
今ではチームや仲間に対しても多角的に物事を見ることが出来るようになりましたが、高校時代から大学低学年当時には、自分が強くなることに執着する一方、周囲のことには全く興味が無く我が道を突っ走っていました。日本のレベルの問題が有るにせよ、高校時代は面白いように結果を出すことが出来たため、若気の至りとは言え若干天狗になっていて、周囲の皆さんに不快な思いをさせたかも知れません。
大学に入学すると一気に競技レベルが上がり、当然ながら簡単には勝てなくなりました。チーム内には一緒に日本代表として走る強い先輩が沢山いましたので、レースだけでなく日常のトレーニングでも思うように走れない錯覚に陥ることが繰り返され、次第にチームや周囲の選手と距離を置くようになりました。
かなりマイペースで自分の得意とするトレーニングが進む一方、不得意分野の克服やチームメイトとの連携など、重要な課題は先送りしてしまい、それが悪循環となり、良いリザルトから見放される結果になり、当然、先輩らや指導者に対する不満は募る一方です。
指導する黒川剛監督とは些細なことでことごとく衝突しましたが、そんな私を監督始め周囲はじっと見守ってくれました。
自分自身が選手として成功することで不満の殆どが解消することは解っていましたが、大きなターニングポイントになったのが、2年生の冬に行われた東アジア大会の80kmチームロードレースに日本ナショナルチームで出場させて頂いたことでした。
「ここで駄目なら競技を辞める」そんな不退転の気持ちで自ら退路を断ち、夏から心を入れ替えて別人のようにトレーニングに明け暮れましたが、復活を掛けたこのレースで金メダルを獲ることが出来ました。
この頃から競技への甘い考えが無くなる一方、周囲に対する感謝の気持ちが自然と自分の中で芽生え始めて来たように思います。このレースで本来の走りと自信を取り戻した私は、この後チームと歩調を合わせながら活動を続け、多くの良いリザルトに恵まれることが出来ました。
紆余曲折有りながら、今では笑える話で片付けてしまいそうですが、この時の苦い経験があるからこそ、鹿屋体育大学チームに対して誰にも負けない熱い想いがあり、時には厳しいことを言いながらも後輩達に強い選手そして正しい人間に育って貰うために真剣に向き合っているところです。
「強化部長として」
鹿屋体育大学自転車競技部は、キャプテンと強化部長と言う2人のリーダーを中心に幹部(4年生)が集団でチームの運営に当たりますが、この1年間は女子の近藤美子がキャプテンを務め、私は強化部長として選手の競技力向上の責任を担ってきました。前強化部長の内間康平さん(現ダンジェロ&アンティヌッチィ株式会社NIPPO)も厳しいトレーニングで選手達を育て上げましたが、私も質に重点を置いてトレーニング計画を立てました。
特に大学入学当時あれだけ摩擦のあった黒川監督とは、海外遠征中も含め毎日連絡を取り合い、トレーニング計画や各選手の仕上がりや動向等を検証してきましたが、有り難いことに私の考えを全面的に認めたうえで強化に関する全権を預けて頂いたことで、思う存分厳しいトレーニングに専念することが出来ました。
ついでに少し黒川監督について言わせて頂くと、最も信頼できる私の理解者であると同時に、時々人としての行動や考え方で注意をしてくれる人生の指南役でもあります。黒川監督の言葉が理解できる知識と心理が大人になった今の私には備わっていますので、お節介なことを言われても有り難く受け止めることが出来ていて、口には出しませんが本当に感謝しています。
多くの経験から周囲との信頼関係なしに物事は上手く進まないことも学びましたが、先ずは自分が結果を残さなければ後輩達は付いて来ないと考え、特にこの1年間はトレーニング、授業、食事、日常生活等の全てで自分自身にストイックになりました。
レースではチームメイト同士で連携もしますので、リザルトだけでは強さを見抜けないところもありますが、トレーニングでは絶対に後輩達に負けられない覚悟で一本一本真剣に走りましたし、常に言葉と態度で強いメッセージを後輩達に贈り続けたつもりです。
私が今年優勝したU23全日本選手権タイムトライアル、明治神宮外苑学生クリテリウム、国民体育大会ロードレースなどで解るように、しっかり計画されたトレーニングを積むことにより、ジャンルを問わず強くなれることを後輩達に示せたと考えています。
後輩達には厳しい事を要求しましたが、殆どの選手は私の考えを理解し我慢しながら本当に良く頑張ってくれたと思っています。
ユニバシアード大会のトラック&ロードには、日本代表14名中8名を鹿屋体育大学から送り出し、銅メダル2個を獲得、世界トラック選手権でも女子史上最高の4位入賞など国際的に活躍できる選手が増えてきましたし、当然のように国内でも多くのレースで優勝(年間35回)を決めました。
大学から自転車を始めた素人選手を含む21名中の16名が何らかの全国優勝を果たした実績が、チーム全体での強化が順調に進んだことを証明してくれていると思います。
私の強化部長としての役目は間もなく終わろうとしていますが、後輩達には世界を目指すためにも、ここで満足せず、より厳しい試練に挑戦する心を持ち続けて欲しいと願っています。
「変わらぬ夢へ」
私を必要してくれるチームとの契約も終わり、お陰様で大学卒業後も自転車競技を続けて行けることになりました。幼稚園の時から「ツール・ド・フランスに出る」と公言してきた私の夢は今も変わっていませんし、いよいよその夢への第一歩として世界に踏み出す時が迫ってきました。
世界を相手にプロとして走る不安・楽しみ・喜びが交錯していて複雑な心境ではありますが、ここまで辿り着けたのもチーム関係者は勿論のこと、私達の活動を陰から支えていただいたパナレーサー等の沢山の支援者の皆様との出会いから、多くの経験と知識を学び選手としても人としても成長できたお陰だと、お世話になった全ての方々に心より感謝しています。
「高校を出たら大学には行かずヨーロッパに渡らなかったら選手としては終わるよね」と、多くの人々に忠告されながら、高校を卒業して鹿屋体育大学に進む道を選んだのは自分自身ですし、この大学進学が間違いではなかったという事を証明するためにも、来年からの活動でしっかりと結果を出して行こうと思っていますが、そのための壮絶な戦いが続いて行くことの覚悟も出来ています。
「ツール出場」と言う夢を叶えることで、自分自身が選び・進んで来た道に納得が出来ますし、さらに結果を残すことで鹿屋体育大学の名前をさらに多くの人々に知って頂き、お世話になったチームと関係者の皆さんへの恩返しも出来ると考えています。
大学チームには人材育成と言う大きな課題が社会から要求されますが、私達がチームとして積み上げてきた実績や、卒業後の活躍を見て貰うことで鹿屋体育大学の素晴らしさをさらに多く方々に認識頂けるはずですし、何よりも私達が掲げる「日本の自転車のメジャー化」に向けた活動をここで留まらせる訳にはいきません。
チーム関係者の真摯な取組は、これからも継続されなければなりません。私もこれからはOB・OGの一員としてその活動の中心に近付けるよう生涯を掛けて精進を続けていくつもりです。
最後に、ここには自転車競技を探求する若者にとって最高の環境が整っています。強くなるのも全ては自分自身の意識の問題ですので、夢とやる気と可能性のある優秀な高校生選手達には、環境抜群の鹿屋体育大学の門戸を叩いて欲しいと思います。そして自らの強い意志で世界を目指して果敢にチャレンジし続けて欲しいと期待しています。
プロフィール
吉田 隼人 よしだ はやと
1989年5月19日生(22歳)
鹿屋体育大学自転車競技部所属(強化部長)1989年5月19日生(22歳)
2008.3 奈良県立榛生昇陽高校卒
2012.3 鹿屋体育大学体育学部卒業見込
幼い頃から「ツール・ド・フランスに出る」と心に決めた少年が高校卒業時に選んだ進路は、ヨーロッパ行きでは無く日本国内の国立大学だった。
大学4年間で様々な試練を乗り越え成長を遂げた青年がいよいよプロとして夢の舞台に飛び出そうとしている。
2011年の主な戦績
《国際大会》
ユニバシアード大会(中国) 日本代表 チームロード5位他
ジャパンカップ 日本代表 クリテリウム・スプリント賞獲得
ツール・ド・コリア(韓国) 日本代表
インターナショナル・プレジデントツアー(イラン) 日本代表
ユニバシアード大会(中国) 日本代表 チームロード5位他
ジャパンカップ 日本代表 クリテリウム・スプリント賞獲得
ツール・ド・コリア(韓国) 日本代表
インターナショナル・プレジデントツアー(イラン) 日本代表
《国内大会》
全日本選手権個人TT U23優勝
国民体育大会 ロード優勝 4km団体追抜競走優勝
明治神宮外苑クリテリウム 優勝
お台場湾岸クリテリウム エリート優勝/全日本学生1クラス優勝
全日本学生選手権ロード 準優勝(優勝山本元喜のアシスト)
全日本選手権個人TT U23優勝
国民体育大会 ロード優勝 4km団体追抜競走優勝
明治神宮外苑クリテリウム 優勝
お台場湾岸クリテリウム エリート優勝/全日本学生1クラス優勝
全日本学生選手権ロード 準優勝(優勝山本元喜のアシスト)
Panaracerサポート選手の注目リザルト |
Jプロツアー第14戦経済産業大臣旗ロードチャンピオンシップ2011 |
優勝 ヴィンチェンツォ・ガロッファロ選手(マトリックス・パワータグ) 3位 増田成幸選手(宇都宮ブリッツェン) 団体1位 マトリックス・パワータグ 関連ニュース:マトリックス・ガロッファロが実業団チャンピオンに 女王は西加南子 |
国民体育大会自転車競技会2011 |
ロード成年 優勝 吉田隼人選手(鹿屋体育大学) 関連ニュース:ゴールスプリントで決着の国体ロード 成年は吉田隼人、少年は高士拓也が優勝 |
Jプロツアー |
個人年間総合成績 2位 増田成幸選手(宇都宮ブリッツェン) 団体年間総合成績 2位 宇都宮ブリッツェン 団体年間総合成績 3位 マトリックス・パワータグ 関連ニュース:アベタカ・畑中のワン・ツー 年間王者は畑中に 増田は骨折リタイア |
Jジェイコ・ヘラルドサンツアー2011(UCI 2.1) |
第3ステージ 7位 辻義光選手(宇都宮ブリッツェン) 個人総合成績 63位 初山翔選手(宇都宮ブリッツェン) 関連ニュース:宇都宮ブリッツェン出場の豪州レース 土井雪広が好調ぶりを見せる |
2011ジャパンカップ・クリテリウム |
4位 辻義光選手(宇都宮ブリッツェン) スプリント賞 5周目:辻義光選手(宇都宮ブリッツェン) スプリント賞 10周目:吉田隼人選手(ジャパンナショナル:鹿屋体育大学) 関連ニュース:チームの働きに報いるスプリント勝利 ヴォンホフが宇都宮市街地最速の栄冠 |
2011ジャパンカップ・オープン男子/女子 |
オープン男子 3位 山本元喜選手(鹿屋体育大学) オープン女子 2位 上野みなみ選手(鹿屋体育大学) 関連ニュース:高校2年の小橋勇利がスプリントでオープンを制する 関連ニュース:鶴CCでアタックを成功させた西加南子がオープン女子2連覇を達成 |
2011ジャパンカップ・サイクルロードレース(UCI 1.HC) |
3位 佐野淳哉選手(ダンジェロ&アンティヌッチィ・株式会社NIPPO) 山岳賞 3周目:初山翔選手(宇都宮ブリッツェン) 関連ニュース:オーストラリアの若き才能ハースがスプリント勝利 西谷2位、佐野3位 |
ツール・ド・おきなわ2011(UCI 2.2) |
第1ステージ 5位 佐野淳哉選手(ダンジェロ&アンティヌッチィ・株式会社NIPPO) 第2ステージ 3位 マリウス・ヴィズィアック選手(マトリックス・パワータグ) 個人総合時間賞 3位 佐野淳哉選手(ダンジェロ&アンティヌッチィ・株式会社NIPPO) 関連ニュース:ドラパックのパルマーが個人TT3連覇! 関連ニュース:史上初の集団スプリント 畑中勇介がシマノレーシングにおきなわ初勝利をもたらす |
ツール・ド・フクオカ2011 |
優勝 佐野淳哉選手(ダンジェロ&アンティヌッチィ・株式会社NIPPO)※周回賞も2回獲得 2位 辻善光選手(宇都宮ブリッツェン) 3位 向川尚樹選手(マトリックス・パワータグ) 関連ニュース:プロクリテは佐野淳哉が圧倒 走って見て食べて大満足のフクオカ |
ITUトライアスロンアジア選手権(台湾) |
優勝 細田雄一選手(グリーンタワー・稲毛インター) |
日本トライアスロン選手権東京大会 |
優勝 細田雄一選手(グリーンタワー・稲毛インター) |
タスマニア・アドベンチャーレース世界選手権 |
20位 チーム イーストウィンド ※日本最高順位 |
提供:パナソニック ポリテクノロジー株式会社