2011/04/19(火) - 12:14
競輪選手を父に持つ菊池選手。父の血を受け継ぐが、競輪ではなくロードレースの道へと歩みだした。
そして大学へ進み、憧れのヨーロッパでのプロ生活を送る。順調に見える彼の自転車人生だが、25歳となる今年、彼は正念場を迎えている。
今年はNIPPOがスポンサーをしているチーム(ダンジェロアンティヌッチィ・株式会社NIPPO)に入って2年目となり、経験的にも年齢的にも結果を求められる大事な年となる。
ダンジェロアンティヌッチィ・株式会社NIPPO
今季の菊池はダンジェロアンティヌッチィ・株式会社NIPPOに所属、結果を求められる(写真右から2番目) (c)Sonoko Tanaka
父親が現役の競輪選手ということもあり、物心がついた頃から自転車を身近に感じていました。しかし、そう簡単に自転車が欲しいとは言えませんでした。
なぜなら僕が小学生の頃、父親のピストバイクを倒してしまったことがありました。父はすぐに僕のそばに来て「仕事道具を何だと思っているのだ?」とおもいっきり張り倒された事などがあったからです。
そのようなことがあって、僕の中では自転車はお金を稼ぐための道具であり、遊びで乗ってはダメだという意識がありました。
しかし、スポーツを仕事としていけるものは何かと考えるようになり、「やはり自転車しかない」と自転車の道へ進むことを決めました。
自転車を始めるにあたり、いくつかの条件を父親に提示され、その内容どおり県立高校の普通科で自転車競技部がない高校に入学しました。なぜ父親がそんな条件を提示したかと言うと、「おまえは自転車が続かないと思った」からだそうです。理由はプロになってから聞いたのですが「お前には根性がないから続かないと思っていた」と言われました。
高校に入学してからは、誰に指導されるわけでもなく、どう練習をしていいのかもわからず、日曜日に行なわれるクラブチームの練習会に参加するぐらいで、まったくと言っていいほど練習をしていなかった記憶があります。
ツール・ド・台湾2011で、トレインを牽引する菊池 (c)Sonoko Tanaka
ところが、夏休みになり「ツール・ド・フランス」をテレビで見ていて僕が思ったことは、「この人たちは毎日200km近く走って疲れないのかな? 僕にもできるかな? ここを走ってみたいな」ということでした。
とりあえず、地元の愛媛・松山から高知県方面に走り、途中で折り返す往復200kmのコースを毎日走りました。
その当時、ハンガーノックとかトレーニング法などまったく知らず、とりあえず全開で走ったのを覚えています。途中にハンガーノックで力が入らなくなったときに、「気合が足りない?なんで?」とか考えながら(笑)。その無謀な挑戦は、10日目で体が動かなくなって終了したのですが。
それからは、少しずつ自転車に乗って練習らしいこともするようになったのですが、これといった成績は残せずにいました。ですが高校3年生の頃には、ヨーロッパのプロ選手になりたいと思うようになっていました。
2006年インカレ団体追い抜き
大学への進学は、今まで部活をしたこともなく、トレーニング法も学んでこなかった自分には、大学で色々なことを学ぶ必要があるのでは?と思ったから。また、大学を卒業してからでもヨーロッパには行けるよ、とアドバイスを頂いたことから決めました。
大学に入学してからは山崎監督の指導の下、ロードでの走り込みやパワーマックスを使用したトレーニング、そして競輪場でのピストバイクを使用した本格的なトレーニングを行った結果、1年生の6月には1kmTTを1分9秒で走ることが出来るようになっていました。
しかし、ロードレースでは結果を残すことができず、ヨーロッパのプロ選手になるなんて無理なのではないかと思い始めた矢先、大学2年時の全日本U-23ロードレースで、一緒に逃げてそのまま優勝した新城幸也さんの走りを目の当たりにし、このままでは無理だと判断。
福島晋一さんに相談したところ、「とりあえずフランスに2週間ほど行ってみてから考えればいい」と言われ、夏休みを利用しフランスのバイユーに行きました。
バイユーにはボンシャンスの選手が借りている宿舎があり、そこを拠点に数レースを走りました。その宿舎には今ではプロで走っている五十嵐さんや奈良さんが滞在していて、まったくフランス語を喋れない僕を助けてくれました。
大学を中途退学した後、走ったタイのステージレース(エリート)。リーダージャージを獲得するも最終日に失う。
2週間という期間は長いようでとても短く、本場での生活は刺激的であっという間に過ぎていきました(財布を無くしたり、迷子になったり、レースのスタートに遅れたりといろいろありましたが)。帰国してからは、仙台で行われていた大学の合宿に参加した後、修善寺サイクルスポーツセンターで行われたインカレを走りました。
そのあと大学を中途退学。大学時代にはインカレ団体追い抜き2位などの結果を残すことができ、充実した時間を過ごすことが出来たと思います。共通の目標を持ち、共に練習ができる仲間がいることがとても嬉しかったことを覚えています。
大学を辞めてからはダイハツボンシャンスに所属し、9月にタイで行われたステージレース(エリート)ではステージ2位となり、数日間リーダージャージを着用することができました。
そして2006年10月には、福島晋一さん・相沢康司さん・新城幸也さんが飯田で行っていたジャパンカップに向けた合宿に参加した後、全日本実業団サイクルロードレースin飯田のBR-2で優勝することができました。
実業団飯田での優勝。ボンシャンスの皆さんと喜びを分かち合う。
自転車を始めたばかりの頃は、まったくといっていいほど関心をしめさず、応援してくれなかった父親ですが、今ではトレーニングやポジションについて話すなど、良き相談相手になってくれます。競輪界のS級というポジションを25年以上保ってまだ走り続けている父親のことは尊敬しています。
プロになって4年目、NIPPOに入ってからは2年目になります。なにより年齢的にも何か結果を残さなければいけません。大門監督には「結果が出なければ前半だけと考えておけよ」とも言われています。実際、イタリアでは25歳前後で選手を続けるか辞めるかのどちらかしかありません。
ダンジェロアンティヌッチィ・株式会社NIPPOのチームバイク
ダンジェロアンティヌッチィ・株式会社NIPPOの選手とスタッフ
今年は、応援して下さるスポンサー、ファン、家族、友人、そして自分自身の為にも必ず勝利を掴み取り、来年に繋げたいと思います。応援よろしくお願いします。
最後になりましたが、このたび東日本大震災で大きな被害を受けたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。東北の地に大学時代にお世話になった先輩や友人、友人のご家族などがおられ、僕としても心を痛めています。被災地の一日も早い復興を願っています。
Panaracer ミニッツタフPT
ロードレース用タイヤのテクノロジーを活かしたコンパクトサイクル用タイヤとして好評を博しているパナレーサーのミニッツシリーズ。
軽量モデルは昨年「ミニッツライトPT」としてリニューアルされたが、ミニッツタフも耐パンク性能を向上させて「ミニッツタフPT」として生まれ変わる。
「ミニッツタフPT」には、耐パンク性能に優れたロードレース用タイヤ「RACE typeD」と同じ“PTベルト”と“3Dケーシング”のテクノロジーを採用。貫通パンクだけでなく、サイドカットなどあらゆるパンクに優れた耐パンク性能を発揮する。
また、トレッドには耐摩耗性能に優れた“マイルクランチャーコンパウンド”を採用。ツーリングに最適な仕様となっている。サイズも、H/E20×1.25の406サイズに加えて、W/O20×1・1/8の451サイズもラインナップ。カラーはブラックとブラウンサイドの2種類が用意されている。
製品情報:高い耐久性でツーリングにも最適な小径車用タイヤ パナレーサー ミニッツタフ PT
今年はNIPPOがスポンサーをしているチーム(ダンジェロアンティヌッチィ・株式会社NIPPO)に入って2年目となり、経験的にも年齢的にも結果を求められる大事な年となる。
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自転車競技を始めるまで
自転車競技を始めるまでは、水泳、ソフトボール、野球(リトルリーグ)、といろいろな競技をしてきましたが、小学4年生のころ右足脹脛を怪我したことにより始めたフィギアスケートの競技歴が最も長く、中学2年生までの5年間取り組んできました。その間にプロ資格試験を受験できる5級まで取得しています。自転車競技を始めるきっかけ
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なぜなら僕が小学生の頃、父親のピストバイクを倒してしまったことがありました。父はすぐに僕のそばに来て「仕事道具を何だと思っているのだ?」とおもいっきり張り倒された事などがあったからです。
そのようなことがあって、僕の中では自転車はお金を稼ぐための道具であり、遊びで乗ってはダメだという意識がありました。
しかし、スポーツを仕事としていけるものは何かと考えるようになり、「やはり自転車しかない」と自転車の道へ進むことを決めました。
自転車を始めるにあたり、いくつかの条件を父親に提示され、その内容どおり県立高校の普通科で自転車競技部がない高校に入学しました。なぜ父親がそんな条件を提示したかと言うと、「おまえは自転車が続かないと思った」からだそうです。理由はプロになってから聞いたのですが「お前には根性がないから続かないと思っていた」と言われました。
高校に入学してからは、誰に指導されるわけでもなく、どう練習をしていいのかもわからず、日曜日に行なわれるクラブチームの練習会に参加するぐらいで、まったくと言っていいほど練習をしていなかった記憶があります。
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ところが、夏休みになり「ツール・ド・フランス」をテレビで見ていて僕が思ったことは、「この人たちは毎日200km近く走って疲れないのかな? 僕にもできるかな? ここを走ってみたいな」ということでした。
とりあえず、地元の愛媛・松山から高知県方面に走り、途中で折り返す往復200kmのコースを毎日走りました。
その当時、ハンガーノックとかトレーニング法などまったく知らず、とりあえず全開で走ったのを覚えています。途中にハンガーノックで力が入らなくなったときに、「気合が足りない?なんで?」とか考えながら(笑)。その無謀な挑戦は、10日目で体が動かなくなって終了したのですが。
それからは、少しずつ自転車に乗って練習らしいこともするようになったのですが、これといった成績は残せずにいました。ですが高校3年生の頃には、ヨーロッパのプロ選手になりたいと思うようになっていました。
大学進学 そして中途退学
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大学に入学してからは山崎監督の指導の下、ロードでの走り込みやパワーマックスを使用したトレーニング、そして競輪場でのピストバイクを使用した本格的なトレーニングを行った結果、1年生の6月には1kmTTを1分9秒で走ることが出来るようになっていました。
しかし、ロードレースでは結果を残すことができず、ヨーロッパのプロ選手になるなんて無理なのではないかと思い始めた矢先、大学2年時の全日本U-23ロードレースで、一緒に逃げてそのまま優勝した新城幸也さんの走りを目の当たりにし、このままでは無理だと判断。
福島晋一さんに相談したところ、「とりあえずフランスに2週間ほど行ってみてから考えればいい」と言われ、夏休みを利用しフランスのバイユーに行きました。
バイユーにはボンシャンスの選手が借りている宿舎があり、そこを拠点に数レースを走りました。その宿舎には今ではプロで走っている五十嵐さんや奈良さんが滞在していて、まったくフランス語を喋れない僕を助けてくれました。
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そのあと大学を中途退学。大学時代にはインカレ団体追い抜き2位などの結果を残すことができ、充実した時間を過ごすことが出来たと思います。共通の目標を持ち、共に練習ができる仲間がいることがとても嬉しかったことを覚えています。
大学を辞めてからはダイハツボンシャンスに所属し、9月にタイで行われたステージレース(エリート)ではステージ2位となり、数日間リーダージャージを着用することができました。
そして2006年10月には、福島晋一さん・相沢康司さん・新城幸也さんが飯田で行っていたジャパンカップに向けた合宿に参加した後、全日本実業団サイクルロードレースin飯田のBR-2で優勝することができました。
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フランスでの活動からプロ選手へ、そしてこれから
2007年から1年間、フランスのブルターニュ地方でアマチュア活動を行い、翌年にはエキップアサダに入ることができ、念願のプロ選手になることができました。自転車を始めたばかりの頃は、まったくといっていいほど関心をしめさず、応援してくれなかった父親ですが、今ではトレーニングやポジションについて話すなど、良き相談相手になってくれます。競輪界のS級というポジションを25年以上保ってまだ走り続けている父親のことは尊敬しています。
プロになって4年目、NIPPOに入ってからは2年目になります。なにより年齢的にも何か結果を残さなければいけません。大門監督には「結果が出なければ前半だけと考えておけよ」とも言われています。実際、イタリアでは25歳前後で選手を続けるか辞めるかのどちらかしかありません。
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今年は、応援して下さるスポンサー、ファン、家族、友人、そして自分自身の為にも必ず勝利を掴み取り、来年に繋げたいと思います。応援よろしくお願いします。
最後になりましたが、このたび東日本大震災で大きな被害を受けたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。東北の地に大学時代にお世話になった先輩や友人、友人のご家族などがおられ、僕としても心を痛めています。被災地の一日も早い復興を願っています。
プロフィール
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菊池 誠晃 きくち まさあき
1986年4月9日(25歳)
1986年4月9日(25歳)
愛媛県出身
ダンジェロ&アンティヌッチィ・株式会社NIPPO(コンチネンタルチーム)所属
→チーム公式サイト
競輪選手を父に持つ、スピードマンタイプのロードレーサー。
高校2年の時に自ら自転車部を設立し、インターハイへ出場。
大学に進みインカレでも結果を残すが、2年の夏にフランスで刺激を受け中退。
その後、07年にフランスのアマチュアチームでの活動を経て、08年にEQAチームでプロデビューを果たす。
ダンジェロ&アンティヌッチィ・株式会社NIPPO(コンチネンタルチーム)所属
→チーム公式サイト
競輪選手を父に持つ、スピードマンタイプのロードレーサー。
高校2年の時に自ら自転車部を設立し、インターハイへ出場。
大学に進みインカレでも結果を残すが、2年の夏にフランスで刺激を受け中退。
その後、07年にフランスのアマチュアチームでの活動を経て、08年にEQAチームでプロデビューを果たす。
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軽量モデルは昨年「ミニッツライトPT」としてリニューアルされたが、ミニッツタフも耐パンク性能を向上させて「ミニッツタフPT」として生まれ変わる。
「ミニッツタフPT」には、耐パンク性能に優れたロードレース用タイヤ「RACE typeD」と同じ“PTベルト”と“3Dケーシング”のテクノロジーを採用。貫通パンクだけでなく、サイドカットなどあらゆるパンクに優れた耐パンク性能を発揮する。
また、トレッドには耐摩耗性能に優れた“マイルクランチャーコンパウンド”を採用。ツーリングに最適な仕様となっている。サイズも、H/E20×1.25の406サイズに加えて、W/O20×1・1/8の451サイズもラインナップ。カラーはブラックとブラウンサイドの2種類が用意されている。
商品名 | Panaracer Minits Tough PT |
サイズ | H/E 20×1.25(32-406)、W/O 20×1・1/8(28-451) |
ビード | スチール |
カラー | ブラック、ブラウンサイド |
重量 | H/E 20×1.25→230g(ave)、W/O 20×1・1/8→260g(ave) |
税込参考価格 | 4,570円 |
製品情報:高い耐久性でツーリングにも最適な小径車用タイヤ パナレーサー ミニッツタフ PT
ソール・ソジャサン ニュース |
ツール・ド・フランス2011 ワイルドカード獲得 |
関連ニュース:ツール・ド・フランス招待22チーム発表 ユーロップカーとソール・ソジャサンがワイルドカード獲得 |
西フランドル3日間レース2011(UCI2.1) |
第2ステージ 2位 ジミー・カスペール選手(ソール・ソジャサン) 関連ニュース:40歳エークハウトが勝利 精鋭集団に入った新城幸也が10位に |
ブエルタ・ア・ムルシア2011(UCI2.1) |
第2ステージ 3位、第3ステージ 2位、個人総合 2位 ジェローム・コッペル選手(ソール・ソジャサン) 関連ニュース:3日間のムルシア一周レース 区間2勝のコンタドールが総合優勝 |
ショレ・ペイドロワール2011(UCI1.1) |
5位 ステファヌ・プーリース選手(ソール・ソジャサン) 関連ニュース:喪章を付けて走ったユーロップカー 新城がヴォクレールの勝利に貢献 |
クリテリウム・アンテルナシオナル2011(UCI2.HC) |
第2ステージ 3位 ローラン・マンジェル選手(ソール・ソジャサン) 関連ニュース:2日連続山岳で攻撃を仕掛けた土井雪広 Fシュレクが総合優勝果たす |
KBCデパンヌ3日間レース2011(UCI2.HC) |
第3aステージ 3位 ジミー・カスペール選手(ソール・ソジャサン) 関連ニュース:完走者は僅かに56名 悪天候の集団スプリントでグアルニエーリ優勝 |
Panaracerサポート選手の注目リザルト |
セッティマーナ・コッピ・エ・バルタリ2011 |
第1aステージ 4位 マキシミリアーノ・リチェーゼ選手(ダンジェロアンティヌッチィ・NIPPO) 関連ニュース:日本人選手3名出場 宮澤とグアルディーニは落車でチャンスを失う 第4ステージ 2位 ルーカ・アスカーニ選手(ダンジェロアンティヌッチィ・NIPPO) 関連ニュース:元世界選U23TTチャンピオンのマローリが優勝 セッラが総合守る 第5ステージ 4位 ルーカ・アスカーニ選手(ダンジェロアンティヌッチィ・NIPPO) 関連ニュース:伊チャンピオンのヴィスコンティが有終の美 セッラが総合優勝 |
ツール・ド・台湾2011(UCI2.2) |
第9ステージ 5位、個人総合 3位(アジアンリーダー獲得) 佐野淳哉選手(ダンジェロアンテヌッチィ・NIPPO) 関連ニュース:佐野淳哉が濃霧の山岳で大健闘 総合3位とアジアリーダーをW獲得 |
提供:パナソニック ポリテクノロジー株式会社