2010/10/08(金) - 15:01
「今だから話せるブリッツェン誕生エピソード」
2009年の1月。稲妻の如くセンセーショナルなデビューを果たしたプロロードチーム「宇都宮ブリッツェン」。今では「ジャパンカップ」でも一際大きな声援を受ける人気チームだが、その設立はゼロからの出発。スタートラインに立つまでの多くの苦難を乗り越えることができたのは「出会い」と「絆」だったと発起人・廣瀬選手は語る。
2007年10月、当時、僕はスキル・シマノに所属していました。
ジャパンカップ前の大切な時期ではありましたが、“ある企画書”を持って地元である宇都宮に帰郷し、サイクルショップや知り合いの企業に配り歩いていました。ジャパンカップ前夜もタクシーを走らせ、自転車関連メーカーの担当者が宿泊しているホテルに行き、企画書の内容について説明していました。
その“ある企画書”とは、地域密着型プロロードレースチームの構想が描かれたものでした。
——新チーム設立への決意
翌2008年、僕は再びヨーロッパに渡っていました。
土井雪広選手(現スキル・シマノ)や畑中勇介選手(現シマノレーシング)と共同生活をしながら欧州活動を送っている時、日本から以下の内容のメールが届きました。
『企画書を見せてもらいました。地域密着型プロロードチームの設立に、是非ご協力致します。応援したい企業も何社か見つかりました。』

前日のメールから一夜明けた翌日、僕の心はすでに決まっていました。
このシーズン限りでスキル・シマノを離れ、新たな地域密着型プロロードチーム設立に向けて宇都宮に帰ろうと。
そして、まだシーズンが始まったばかりでしたが、正直に今西尚志コーチに心の内を話しました。2008年は北京オリンピック選考の重要なシーズンであり、スキル・シマノにとってオリンピックの切符は絶対に落とせない。そんな大切なシーズンに、新しいチーム作りに気持ちと時間を使うという事は怒られても当然と覚悟をしていましたが、今西コーチからは意外な答えが返って来ました。
『新しいプロチームが生まれるのは、日本ロードレース界にとって大切な事だ。絶対成功させろよ。』
この言葉で更に強い決意が生まれました。
オリンピック出場と全日本選手権制覇
2008年5月、北京オリンピック選考基準である全日本選手権の為に広島入りし、スキル・シマノにとって最も重要なレースを迎えました。4月に行われたアジア選手権では、チームメイトの別府史之選手(現レディオシャック)が優勝した事で、 オリンピック出場に一歩躍り出ていましたが、この全日本選手権の結果ではどう転ぶか解りませんでした。 僕にとってスキル・シマノ最後の大仕事と思いスタートラインに並びました。
結果は見事、野寺秀徳選手が優勝しました。自分の走りは野寺さんの優勝に貢献出来た内容でありませんでしたが、心の底から嬉しくて、涙が止まりませんでした。
そして、別府選手の北京オリンピック出場も決まり、僕の中で6年間お世話になったシマノでの一幕が下りました。

出会い、そして協力体制の確立へ

2008年6月、僕はブラッキー中島さん(ウィーラースクール・ジャパン代表)と共に、大阪から宇都宮市役所を訪れ、40名以上のサイクルショップや自転車愛好者、市議会議員達の前でプレゼンテーションを行いました。
ブラッキー中島さんに一緒について来てもらったのは、新チーム設立に向け、当初から相談に乗ってもらっていた事もありますが、一番の理由は単に不安だったからでした。
いきなり『宇都宮にプロチームを作りましょう』と言って、皆さんに理解して貰えるだろうか…。そんな不安の中、プレゼンテーションは始まりましたが、僕の不安は的中してしまいました。
皆、声には出しませんが、会議室には“そんなことが出来るワケない”的な重い空気が流れていました。プレゼンテーション後、僕が『ダメでしたね…』と弱気な事を呟くと、ブラッキーさんは、『いや、良かったと思いますよ。最初はこんなものですよ』と、明るくフォローをしてくれました。
——馬場前社長との出会い

馬場さんは地域密着型プロチームの必要性と今後の日本ロードレース界の方向性など、僕よりも遥か先を見据えた考えを持っていました。
それから何度も馬場さんに相談しているうちに、僕の覚束ない行動を放っておけなくなり、『俺も協力する』と言って全面的に協力してくれる事になりました。後に馬場さんは宇都宮ブリッツェンの運営会社の代表取締役に就任する事となります。
——柿沼コーチの協力
2008年7月、馬場さんと砂川さんが案を作り、市役所の会議室で定期的に会議を繰り返しました。少しずつ協力者も増えて来ましたが、目標である2009年1月のプロチーム設立に向けて、まだまだ課題は山積みでした。
馬場さんと砂川さんは、スポンサー企業、事務所の確保、会社の定款づくり。僕はサプライヤー企業への挨拶廻りを行いました。ロードバイクは複数のパーツで構成されていて、パーツ1つ1つでメーカーや輸入代理店も違うので、大変な作業でありました。
そんな中、当時ブリヂストンアンカーの選手だった柿沼章コーチに、サプライヤー企業の紹介をお願いする機会がありました。この事がキッカケで、柿沼さんとも新チーム設立の相談も度々する様になって行きました。数日後、『俺も協力させてくれ』と柿沼さんから電話を受けました。


——片山右京さんとの出会い
2008年8月、シマノ鈴鹿ロードの際、今中大介さんのご紹介で元F1ドライバーの片山右京さんにお会いする事が出来ました。
僕は、右京さんが生きてきたF1と言う想像を絶する世界の経験を、何とか宇都宮の新チームにおいてアドバイスしていただきたいと思い、本音で想いを伝えたところ、右京さんは真剣に僕の話を聞いて下さり、 その場で協力を快諾してくれました。


更には、今中さんも新チームへのフレーム提供を申し出て下さいました。現在、ブリッツェンで使用しているパナレーサーのタイヤも、このシマノ鈴鹿期間中に提供していただく事が決まりました。
まだ企画書段階でカタチ無きチームであるにも関わらず、沢山の人と企業が温かい支援を申し出ていただいた事は「出会いの奇跡」だったと感じます。
そして、チーム名が決まったのもこの頃でした。栃木にちなんだ名前にしようと様々な意見が出ましたが「ブリッツェン」と決定するのに時間は掛かりませんでした。ドイツ語 で“稲妻が輝く”。雷が多く、“雷都(ライト)”と言われる宇都宮にはピッタリの名前だと思いました。
——選手との契約
2008年9-10月、チーム名、スポンサー、サプライヤー、合宿所が決まって行く中、肝心な選手との交渉は難航していました。
柿沼さんと自分は決まっていましたが、その他の選手はまだ正式に決まっていませんでした。まだ形もなく前例の無いチームに選手達は来てくれるのだろうか? そんな不安の中、チームの意向を理解してくれ、以下のメンバーが宇都宮ブリッツェンに加入してくれる事になりました。
清水良行、長沼隆行、中山卓士、中里聡史、小坂光、斉藤祥太、針谷千沙子。
今から考えるとフロント陣営よりも選手の方が不安だったかも知れません。

事件発生
2008年12月上旬、妻と子供二人を大阪に残し、僕はブリッツェンの設立準備に追われる日々を過ごしていました。12月中旬にはシマノの社宅から宇都宮に引っ越しする予定でしたが、引っ越し間際まで宇都宮にいるつもりでした。そんなある日、PM10時頃、友人が営むレストランにいる際に、大阪にいる妻から電話が入りました。 いつもと様子が違い、泣きながら『子供が死んじゃう』と大声で訴えてきました。
僕も一瞬時間が止まった様に感じましたが、冷静に「どうした?」と聞くと、突然泡を噴いて意識不明になったと。
すぐに救急車を呼ぶ様に指示し、同じ社宅にいるチームメイトの狩野さんと大内君に連絡を入れて助けを求めました。阿部さんにも連絡し、奥さんが看護士だった事もあり、すぐに社宅に駆け付けてもらいました。それから僕はレストランを急いで飛び出し、車で大阪に向かいました。

お陰様で息子は一命を取り留めましたが、移動中に子供の状態を常に知らせてくれた大内。独りぼっちになった長男の面倒を見てくれた狩野さん。病院に運ばれ不安な妻の側にいてくれた阿部さん。急なお願いにも関わらず、代わりにイベントに参加してくれた真理さん。
最後の最後までチームメイトに助けてもらい、『絆』の深さを思い知らされました。
宇都宮ブリッツェン幕開け
2009年1月、出会い、絆、感謝を重ね続けて宇都宮ブリッツェンはついにスタートラインに立つ事が出来ました。このホイールトークでは書ききれないほどの人達がチーム設立に関わって下さり、2010年10月現在、宇都宮ブリッツェンは少しずつ成長を続けています。ロードレースの特性の一つに“敵・味方関係なく、協力しながらゴールを目指す”と言うシーンがあります。 企業チームの選手も地域型チームの選手も、そして、すべての関係者が、今は協力し合いながら、日本のロードレースをメジャーにしていければと強く願っています。
宇都宮ブリッツェンの挑戦は始まったばかりです。

プロフィール




パナレーサーのロードレーシングトップモデルが「RACE」シリーズとしてリニューアル。
オールラウンドタイプのtypeA(All-around)、耐パンク強化タイプのtypeD(Duro)、そして軽量タイプのtypeL(Light)がラインナップされており、用途や目的に合わせてチョイスできる。全タイプとも従来のEVO3シリーズと同じく高いグリップ力を誇る。
typeAでは従来のバリアントEVO3PTに比べて20gを軽量化。typeDはシリーズ最強の耐パンク性能を誇り、typeLは耐パンクベルトを内蔵しながら、20Cで175g、23Cで185gの軽さを実現している。
参考価格 type D:6,480 円(税込)/type A:5,680 円(税込)/type L:5,680 円(税込)
スペシャルコンテンツ:「新しい戦闘力 パナレーサー RACE」
レビュー:「パナレーサーRACEシリーズ type D/A/L 乗り比べインプレッション」
■Panaracerサポート選手の注目リザルト
ツール・ド・北海道2010(UCI2-2)
プロローグ 3位 辻善光選手(宇都宮ブリッツェン)
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第1ステージ 2位 宮澤崇史選手(TEAM NIPPO)
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第2ステージ 2位 佐野淳哉選手(TEAM NIPPO)
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第3ステージ 優勝 山本元喜選手(鹿屋体育大学)
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第4ステージ 3位 宮澤崇史選手(TEAM NIPPO)
個人総合 2位 佐野淳哉選手(TEAM NIPPO)
個人総合ポイント 2位 宮澤崇史選手(TEAM NIPPO)
個人総合U23 1位 内間康平選手(鹿屋体育大学)、2位 吉田隼人選手(鹿屋体育大学)
団体総合 2位 TEAM NIPPO
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第3ステージ 優勝 山本元喜選手(鹿屋体育大学)
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第4ステージ 3位 宮澤崇史選手(TEAM NIPPO)
個人総合 2位 佐野淳哉選手(TEAM NIPPO)
個人総合ポイント 2位 宮澤崇史選手(TEAM NIPPO)
個人総合U23 1位 内間康平選手(鹿屋体育大学)、2位 吉田隼人選手(鹿屋体育大学)
団体総合 2位 TEAM NIPPO
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第44回全日本実業団対抗サイクルロードレース大会2010
優勝 佐野淳哉選手(TEAM NIPPO)
団体総合 優勝 TEAM NIPPO
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団体総合 優勝 TEAM NIPPO
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国民体育大会 トライアスロン 成年
優勝 細田雄一選手(千葉県:グリーンタワー・ 稲毛インター )
優勝 細田雄一選手(千葉県:グリーンタワー・ 稲毛インター )
提供:パナソニック ポリテクノロジー株式会社