栃木県生え抜き選手たちが次々と芽を出している。宇都宮ブリッツェンの小野寺玲もまたその1人だ。作新学院高校からブラウブリッツェン、那須ブラーゼンを経て現チームに加入。同時にU23のナショナルチームにも参加し、アジア選手権の個人タイムトライアルで優勝を果たした若手選手が、これまでを振り返り、これからの想いを綴る。

2016のJプロツアーU23では小野寺玲がホワイトジャージを獲得した2016のJプロツアーU23では小野寺玲がホワイトジャージを獲得した photo:Hideaki TAKAGI

乗り物が好きだった

神奈川県横浜市で生まれ育った僕は、公共交通の便がいい環境で育ち、出かける際には電車やバスを多用していて、いつの間にか乗り物好きに。親に新幹線の見学に連れていってもらったり、空港に飛行機を見に行ったり。遊んでいたおもちゃはプラレールやトミカがほとんど。

そんな僕が幼い頃に最初に抱いた夢はパイロットだった。父親が昔バイクのレースをしたり、自動車関連の仕事をしていたこともあり、バイクや車もまた好きだった。次に抱いた夢はF1レーサーだったかな。そして自転車も幼い頃から乗ってはいたが、習い事へ行く時や、友達の家へ遊びに行く時の移動手段でしかなかった。

でも自転車も同じ乗り物。好きなことに変わりはなかった。小学生の頃は、速く走ることよりも技をするのが好きだった。公園の広いグラウンドで両手ばなしから始まり、後輪をロックさせてドリフトを真似てみたり、ウイリーやジャックナイフといったことも下手ではあったがやっていた。友達から「すごい!かっこいい!」って言われたかっただけ。(笑)

そんなことをしていたが、特に自転車の何かの選手になりたいとか考えてなかった。当時の僕はまん丸の肥満体系で、小児性喘息を患っていたので、ちゃんとやれるスポーツは水泳くらいだった。水泳のオリンピアンも一度夢見たが、結果も出せずに挫折気味。そんなタイミングで栃木に引っ越すこととなったのだ。

引っ越してからは、もう水泳選手になりたいとは思っていなかったし、目指す夢も何も持っていなかった。

栃木県の環境と友達が、僕を自転車への道へと導いた

栃木県に引っ越すと、交通環境が一気に変化した。家から最寄りの駅までも徒歩30分かかり、電車の本数もまた少なく。バスも同様だった。そんな環境になったものだから、自然と自転車に乗るようになった。転校先の小学校でできた友達とは、放課後は決まって自転車で集合し、駄菓子屋でおやつを買い、公園までいって鬼ごっこをしてはお菓子を食べ…の繰り返し。いつの間にか、横浜にいた頃よりも外で遊ぶ機会が増えていった。

二人でツーリングに行っては、峠を攻めていた二人でツーリングに行っては、峠を攻めていた (c)Rei Onodera中学校でできた仲間と毎日自転車で駆けずり回った中学校でできた仲間と毎日自転車で駆けずり回った (c)Rei Onodera中学生になった僕は部活選びに悩んだ。昔、音楽関係の仕事をしていた母の影響か、音楽関係にも興味があり、仮入部で最初に行ったのが合唱部。次に吹奏楽部だった。しかし合唱部は男子部員がいないことにさみしさを感じてやめ、吹奏楽部も僕のやりたかったヴァイオリンの価格を見てあきらめた。そして、同じクラスの友達に誘われるがままにソフトテニス部に入部することとなった。そもそも球技は苦手だし、テニスに興味もなかった僕は、それなりに部活動をするだけで、大会に出ても1回戦敗退と見事な下手くそっぷりだったし、楽しさを見出せなかった。

そんな中、同じ部活に所属していて、僕と同じく楽しさを見出せずにいた人と出会う。その人とはバイクや車好きという共通点からすぐに親しくなり、部活中も学校でも一緒にいる時間は多くなっていった。仲良くなってしばらくした頃、二人に共通の夢ができた。

「中学を卒業したら、アルバイトをしてお金を貯めて、バイクを買って日本中を駆け回ろう」こんな夢。高校は「通信制でも通いながらでいいよね~」なんて話もしてたかな。それからは二人で部活をさぼっては、放課後は二人とも持っていたマウンテンバイクで、将来バイクに乗るための練習だ!と言って日が暮れるまで駆けずり回っていた。

そんなことをしていたら、二人はある場所へ行きたくなった。峠だ。栃木県内にはたくさんの山があり、それだけたくさんの峠道があった。最初に目指したのは日光いろは坂。住んでいる場所から片道50kmほど。それはまあ朝早くに出発して、ヒーヒー言いながら山を登ったことを思い出す。でも登り切った後は気持ちよかった。初めてのヒルクライムを達成した時の気持ちよさは忘れられない。下りは攻める。車より速く走れるのが快感だった。

それから二人でよく峠を攻めに行くようになり、ますます自転車の楽しさにのめりこんでいった。そして僕に転機が訪れた。地元で開催されていたジャパンカップとの出会いだ。

ジャパンカップとの出会い。ロードバイクとの出会い。そして決意。

中学3年生からはホビーレースに参戦するようになる中学3年生からはホビーレースに参戦するようになる (c)Rei Onodera自転車に盛んに乗るようになった中学2年生の時、近くで開催されているジャパンカップを初めて観に行った。そこで目にしたのは、見たことのないカッコイイ自転車でめちゃくちゃ速く走っている選手がいる光景。僕はその速い自転車と速く走る選手に興味を持った。そして翌年、弟達のお年玉をかき集めて、僕は初めて中古のロードバイクを買ったのだ。アルミとカーボンのハイブリッドフレーム。そのシンプルさとブレーキやシフトの機能美に惚れ込んだ。その自転車を駆り、中学3年生からホビーレースに出るようになった。

レースを走っていくうちに見えてきた。これが自分が夢中になれるスポーツだ!と。高校進学の際に夢を決めた。自転車選手になると。そして名門自転車競技部のある作新学院高等学校へと進学する。中学時代、一緒に駆け回った友人には「まだあの夢は叶えられそうにない、しばらくはエンジンを積まずに走るよ」と告げ高校からは別々になった。

現実にぶつかり、見失いかけた夢

高体連のレースでは結果を残すことができなかった。1年生の時は関東大会止まり。選抜大会へ出場することはできたが、リザルトは良くなかった。2年生になったら少しずつ結果が出てきた。関東大会のロードレースでは小集団での逃げを決め初めて5位という一桁のリザルトを手に入れ、インターハイへの切符をつかんだ。

高校時代は作新学院自転車競技部で走る。ロードレースは他の部員より走れている方だった高校時代は作新学院自転車競技部で走る。ロードレースは他の部員より走れている方だった (c)Rei Onodera2013年のみやだクリテリウム ユースでは、現在チームメイトの岡篤志と雨澤毅明とともに表彰台にあがる2013年のみやだクリテリウム ユースでは、現在チームメイトの岡篤志と雨澤毅明とともに表彰台にあがる photo:Hideaki TAKAGIしかし、インターハイ直前の練習中にバンクで落車に巻き込まれ右肩の骨を骨折。全治1か月以上の怪我を負いインターハイを辞退。自転車に乗れない日々が続いた。そこで自分の将来を考えた。思うような結果も出ず、怪我のリスクも高い危険な自転車を続けるか、他の道に進むか。

その時に昔抱いたパイロットへの憧れがまた強くなり、選手かパイロットかで進路を迷うこととなる。迷ったまま3年生になった。ロードレースは走りたかった。だからトラックレースメインの部活を自主退部して実業団に登録した。ブラウブリッツェンに入団してレースではそこそこの成績を出せるようになった。だけどまだ迷いは消えない。だから僕は競技をしながら航空学生の試験勉強もした。夏の終わりごろ。実業団レースでの僕の走りを見ていた那須ブラーゼンの清水良行監督から来年からチームで走らないかと声がかかった。だけど航空学生の試験が終わっていなかった僕は決断に悩んだ。自転車も好きだし、選手になるために頑張ってきた。このチャンスを無駄にしたくない。でも空への憧れもある……

監督は試験の結果が出るまで待ってくれた。結果は不合格。それにより僕もけじめがついて、好きな自転車を、なりたかったプロ選手への道を選んだのだ。

きっと一人では今ここまで来れていない

今年はプロ4年目。昨年から憧れだった宇都宮ブリッツェンで走っています。この道を選びここまで成長できたのは、沢山の人の支えがあったからです。初めてロードバイクを買うとき協力してくれた兄弟。高い授業料の私立高校に通わせてくれた両親。

作新学院高等学校卒業とともに那須ブラーゼンへと加入した作新学院高等学校卒業とともに那須ブラーゼンへと加入した (c)Makoto.AYANOデビューからしばらくは怪我で走れず、レース会場にはサポートで来ていたデビューからしばらくは怪我で走れず、レース会場にはサポートで来ていた (c)Rei Onodera

那須ブラーゼンに入ってからは膝を壊してレースを走れない日々が続きました。一時は選手をやめようかとまで考えた時期もある程でしたが、この膝を治すのに関しては沢山の方々に協力していただき、チームにもたくさんの時間をいただきました。

そのおかげで怪我を克服し、成長できました。特に若杉厚仁さん(現・那須ブラーゼン社長)にはお世話になり、自分の兄貴のように面倒を見てくれました。最初に入ったチームのおかげで沢山のことを学ぶことができ、沢山の経験も積むことができました。

昨年は宇都宮ブリッツェンに移籍してチームのおかげでさらに一歩成長することができ、U23のナショナルチーム入りも実現しました。ほんの数年前では想像がつかなかった自分の姿です。これも、プロデビューからずっと地域密着チームで走り、ファンやサポーターはじめ沢山の人たちの支えと協力があったからです。

2016奈良クリテリウムでは大久保陣とともにワンツーフィニッシュを決める2016奈良クリテリウムでは大久保陣とともにワンツーフィニッシュを決める photo:Hideaki TAKAGI2016年はJプロツアーのU23リーダーを獲得する2016年はJプロツアーのU23リーダーを獲得する photo:Hideaki TAKAGI

全日本選手権2016。U23の個人タイムトライアルで3位を獲得全日本選手権2016。U23の個人タイムトライアルで3位を獲得 photo:Hideaki TAKAGI
シーズン途中ではナショナルチームに選考され、ツール・ド・ラヴニールへの出場も果たした。自身の成長を感じるシーズンになったシーズン途中ではナショナルチームに選考され、ツール・ド・ラヴニールへの出場も果たした。自身の成長を感じるシーズンになった (c)Rei Onodera今年のアジア選手権ではU23の個人タイムトライアルでタイトルを獲得。数年前の自分はこんなこと想像すらできなかった今年のアジア選手権ではU23の個人タイムトライアルでタイトルを獲得。数年前の自分はこんなこと想像すらできなかった (c)Rei Onodera

今も沢山の人に支えられ、応援されていることを実感しながら走っています。恩返しは結果でしかできません。だから僕はここまで自分を成長させてくれた人たちへの恩返しの為に、強くなって世界で活躍したいと思っています。

僕の勝利は支えてくれているすべての人の勝利。

感謝の気持ちを忘れずに、これからも熱く走り続けたい。

プロフィール
小野寺玲小野寺玲 (c)Tatsuya.Sakamoto/STUDIO NOUTIS
小野寺玲 おのでられい
1995年9月3日生
神奈川県横浜市 出身
神奈川県横浜市に生まれる。4人男兄弟の長男。ロードバイクに初めてまたがったのは中学3年生の時。最初は競輪選手を目指していた。競輪選手を目指して自転車競技部のある作新学院に進学するも、ロードレースを走りたいがために途中で自転車競技部を自主退部。その後ブラウブリッツェンに入団し実業団レースを経験する。航空学生への道に揺れる時期もあったが、自転車の道を選び高校卒業と同時に那須ブラーゼンでプロデビュー。しかし半年は怪我に悩まされレースに出ることはなかった上、その後も目立った成績は残していない。那須ブラーゼンで2年間走った後、昨年より宇都宮ブリッツェンに移籍。2016年からはナショナルチームにも所属し、国外のレースにも参戦。今年のアジア選手権U23個人タイムトライアルで悲願の初タイトルを獲得した。

主な戦績
2010年 ロード・トゥ・キング第二戦 味の素スタジアム大会 U15優勝
2012年 関東高等学校自転車競技大会 ロードレース 5位
2013年 JBCFみやだクリテリウム ユース 2位
2015年 ツール・ド・熊野 第1ステージ 4位
2015年 ジャパンカップクリテリウム 7位
2016年 JBCF奈良クリテリウムP1 優勝
2016年 全日本選手権U23 個人タイムトライアル 3位
2016年 ジャパンカップ・クリテリウム 6位
2017年 アジア選手権U23 個人タイムトライアル 優勝


Panaracer 「RACE EVO3」

2015年10月に発売されて以来、高評価を得ている「RACE EVO3」シリーズ。グリップ力と耐パンク性能に優れたハイバランスレーシングタイヤの「RACE」シリーズが耐貫通パンク性能をさらに強化してEVO3へと進化した。従来のケーシング補強材「PT」よりもさらに高い耐貫通パンク強度を誇る「ProTite」を採用、重量・基本性能はそのままに耐貫通パンク性能を24%向上させた。

さらに待望のロードチューブレスタイヤ(700-23C、25C)をラインナップに追加。クリンチャーシリーズには新たに700-28Cサイズも追加されている。2016年4月にはRACE A EVO3 TUBULARをベースに、サイド部の耐パンク性能を強化した『RACE D EVO3 TUBULAR』も発売。ProTite Shield構造としたことで、サイド部のカットパンクを防ぐ。

RACE EVO3シリーズ ラインナップ

RACE D EVO3 チューブラーRACE D EVO3 チューブラー
RACE A EVO3 チューブラーRACE A EVO3 チューブラー (c)PanaracerRACE A EVO3 チューブレスRACE A EVO3 チューブレス (c)Panaracer

RACE A EVO3 クリンチャーRACE A EVO3 クリンチャー (c)PanaracerRACE C EVO3 チューブラーRACE C EVO3 チューブラー (c)Panaracer

RACE D EVO3 クリンチャーRACE D EVO3 クリンチャー (c)PanaracerRACE L EVO3 クリンチャーRACE L EVO3 クリンチャー (c)Panaracer

チューブラー RACE D EVO3 700×23mm 黒/黒 290g \10,734(税抜)
RACE A EVO3 700×23mm 黒/黒 270g \9,420(税抜)
RACE C EVO3 700×23mm 黒/黒 270g \9,420(税抜)
700×26mm 黒/黒 310g \9,420(税抜)
チューブレス RACE A EVO3 700×23C 黒/黒 280g \7,860(税抜)
700×25C 黒/黒 330g \7,860(税抜)
クリンチャー RACE D EVO3 700×23C 黒/黒、黒/茶 230g \6,173(税抜)
700×25C 黒/黒、黒/茶 250g \6,173(税抜)
700×28C 黒/黒、黒/茶 270g [サイズ追加] \6,173(税抜)
RACE A EVO3 700×23C 黒/黒、黒/青、黒/赤 210g \5,410(税抜)
700×25C 黒/黒、黒/青、黒/赤 240g \5,410(税抜)
700×28C 黒/黒、黒/青、黒/赤 250g \5,410(税抜)
RACE L EVO3 700×20C 黒/黒 175g \5,410(税抜)
700×23C 黒/黒 180g \5,410(税抜)
700×25C 黒/黒 200g \5,410(税抜)
700×28C 黒/黒 220g \5,410(税抜)

提供:パナレーサー株式会社 編集:シクロワイアード