2015/07/05(日) - 21:54
シャンゼリゼ以前はスタジアムへのフィニッシュだった
2015年ツールは、シャンゼリゼに集団フィニッシュするようになって40周年という記念の年となる。ツールがこの「世界で最も美しい大通り」に最初にフィニッシュしたのは1975年のこと。それ以前、1903年の最初のツールのゴールはパリの西のコミューン、Ville-d'Avray(ヴィル=ダヴレー)だった。それから1904年から1967年はパリ郊外のパルク・デ・プランス( Parc des Princes)競技場、そして1974年までの7回はパリ近郊のVincenne(ヴァンセンヌ)のヴェロドロームがフィニッシュ地点となっていた。
現在もパリ16区にあるサッカースタジアム「パルク・デ・プランス」(直訳すると「王子達の公園」)。現在はサン=ドニのスタッド・ド・フランスにその座を譲ったものの、かつてサッカーとラグビーのフランス代表選手たちのホームであったこのスタジアムは、もともと自転車競技場として設営されたもの。ツール創設者アンリ・デグランジェの意向によりツールのフィニッシュ地点として63年間もの長きに渡り最終ステージをホストした。そしてその後の7年間をヴェロドローム・ド・ヴァンセンヌへと引き継いだ。
ヴェロドローム・ド・ヴァンセンヌは1900年に開催されたパリオリンピックの開会式が行われた場所。2度開催されたパリオリンピックにおける自転車競技のトラックレースの会場として使用され、1924年のパリオリンピックではサッカーの会場としても使用された。1987年より、同年に他界した名自転車選手であるジャック・アンクティルの名を冠したヴェロドローム=ジャック・アンクティル(Vélodrome Jacques-Anquetil)が正式名称に。
長きに渡りスタジアムにフィニッシュしたツール・ド・フランスは、ステイタスの高まりとともに、完走を成し遂げた勇者たちをより華のある演出方法でパリに迎えたいと願うようになった。そして選ばれたのがシャンゼリゼというわけだ。
シャンゼリゼに到達することを夢見て
「世界で最も美しい通り (la plus belle avenue du monde)」と形容されるシャンゼリゼ大通りは、東はオベリスクのあるコンコルド広場から、西は凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場(旧エトワール広場)まで全長約3kmにわたって続く。その幅はじつに70m。世界有数のブランドのアンテナショップが軒を連ね、マロニエ並木が美しい。ツールの日には、フランス国旗のフレンチトリコロールが並木を彩る。
たくさんのスプリンターたちが、40周年のシャンゼリゼ・フィニッシュで勝利することを夢見ている。しかし難関山岳の続くツールでそれを叶えるのは至難の業。多くのレーサーたちが、最終日を迎える前にツールを去ることになるだろう。
マーク・カヴェンディッシュ(イギリス)はシャンゼリゼフィニッシュの記録を持っている。2009年から2012年の4年連続ゴールスプリントに勝利したのだ。そしてマルセル・キッテル(ドイツ)は過去2年を連覇。このドイツ人は毎年カヴに挑み続けている。果たして今年、2人の共演は観られるだろうか?
「凱旋門をあしらって」 1975年のマイヨジョーヌへの敬意
新しいマイヨ・ジョーヌのデザインは、第21ステージのシンボルである凱旋門のスケッチを正面にあしらい、1975年のジャージへの敬意を示す。
シャンゼリゼに最初にゴールした1975年のツール・ド・フランス。このときマイヨ・ジョーヌはフランス人のベルナール・テブネが着用した。
シャンゼリゼフィニッシュの最初のゴールスプリントを制したのはベルギー人のワルテル・ホデフロート。シャンゼリゼ大通りにおいて、彼は最初のシャンゼリゼの勝利を手にしたのだ。
マイヨ・ジョーヌを着て暴れた「ブルターニュの穴熊」
ツール・ド・フランス5勝の英雄、ベルナール・イノー。現在もアンバサダーとしてツール・ド・フランスのシャンゼリゼのポディウムで、プレゼンターをつとめるイノー氏。シャンゼリゼでの勝利にもこだわったエピソードを紹介しておこう。ベルナール・イノーがマイヨ・ジョーヌを着てシャンゼリゼへの2度めの凱旋を果たした1979年、最終ステージにおいて総合2位のヨープ・ズートメルク(イノーのお陰で万年2位と渾名されたオランダ人選手)とともに逃げに出る。そして集団を15秒引き離してフィニッシュしたのだ。
そして1982年には、4度目の総合優勝を目前にしたイノーがチームメイトたちに最終スプリントで勝てるようにリードアウトを要請。そしてゴールスプリントで並み居る強豪スプリンターを力でねじ伏せ、マイヨ・ジョーヌを着たままトップフィニッシュしたのだ! 2015年はイノー氏のツール5勝目(1985年)から30周年にあたる。
マイヨの技術革新 ウールからハイテク素材へ
天然ウール(羊毛)が素材だった当時のジャージには、今と変わらずルコックスポルティフのロゴとツール・ド・フランスのロゴがあしらわれている。しかし、2015年のジャージはそれとは別物なほどテクニカルな進歩を遂げている。ジャージはボディシェイプによりフィットし、エアロダイナミクスを強調したものになる。縫い目一つ無いシームレスな袖が、ジャージの空気抵抗を極限まで減らすために重要な役割を果たしている。
ユニークなマンダリンカラー(襟)と、可視性のジッパーが採用されるのはテブネが1975年に着たものと同じだ。しかし、首周りには三角のマイクロメッシュのベンチレーションエリアが設けられる。
フルジッパーも採用されず、1975年当時と同じ3分の1ジッパーとなっている。その代わり、背中に設けられた2箇所のベンチレーションが速乾性と通気性を確保する。
シャンゼリゼフィニッシュは歴史的、審美的な力の表現
ツール・ド・フランス2015のコースには厳しい山岳がたくさんあり、マイヨ・ジョーヌをめぐる激しいバトルを予感させる。アルベルト・コンタドール、ヴィンチェンツォ・ニーバリ、クリス・フルーム、あるいはナイロ・キンタナ? ラルプデュエズを含む難関山岳を経て、このジャージをシャンゼリゼで着ているのは果たして誰だろう。ツール・ド・フランス総合ディレクターのクリスティアン・プリュドム氏は次のように語る。
「ツール・ド・フランスとシャンゼリゼの協力関係は、今では誰もが知っている。もはやシャンゼリゼ以外の場所にフィニッシュすることなど誰も想像できないだろう。同時に、歴史上の変化として、凱旋門の周りを回って周回することが、より一層シャンゼリゼフィニッシュの価値を高めている。それはツール・ド・フランスのもうひとつの歴史的、審美的な力の表現なのです」
提供:ルコックスポルティフ 編集:シクロワイアード