自転車競技に限らずスポーツの世界では、様々な人々が様々なカタチで関わりを持っている。
走る選手、サポートするスタッフ、支援するスポンサー、そして熱烈な応援で後押しするファン。すべての人々が繋がっているからこそドラマが生まれる。

三船雅彦もプロ選手として数々の戦績を積み重ねてきたが、そんな人々の支えがあったからこそと感謝の念を忘れない。そこで氏は「恩返し」を思い立つのだが、その手段は人それぞれの思いによって十人十色。果たして氏の考える「恩返し」とは…。

支援あっての活動

「監督!」
そう呼ばれてもいまだに自分とは思えないし、しっくりとこない。

引退してすぐに監督として自分のチームをけん引し、今年ではや5シーズンめ。引退してからは自分の会社も設立し「代表取締役」、J SPORTSでの「TV解説者」、バイクメーカーや輸入代理店各社の「アドバイザー」「テストライダー」などの肩書をもっている。

現役時代はロード、シクロクロスで数々の実績を挙げた三船雅彦氏(写真は関西シクロクロス2011-2012第6戦・くろんど池CM1優勝時)現役時代はロード、シクロクロスで数々の実績を挙げた三船雅彦氏(写真は関西シクロクロス2011-2012第6戦・くろんど池CM1優勝時) photo:Hideaki.TAKAGI
現在はチーム監督のみならず、ライディングスクールの講師など、幅広い活動を行っている現在はチーム監督のみならず、ライディングスクールの講師など、幅広い活動を行っている photo:Kei Tsujiシクロクロスのコース監修も務めるシクロクロスのコース監修も務める photo:Hideaki TAKAGI

そして実業団ツアー最高峰のJPTカテゴリーで戦う「JPテストチーム・マッサ・アンデックス」の監督という肩書きも持ち合わせている。

このチームのスタンスとしては、スポンサーがついているものの、あくまでも“クラブチーム”だ。
国内コンチネンタルチームの監督をされている人たちのようなプレッシャーでチームを運営しているわけではないし、必ずしも毎レースで選手を率いて活動しているわけでも、すべての現場へ足を運んでいるわけでもない。

2013年から、チームは新体制「JPスポーツテストチームMASSA-ANDEX」として活動開始。チームのデザインがそれまでの青系統から赤系統へ変更となった2013年から、チームは新体制「JPスポーツテストチームMASSA-ANDEX」として活動開始。チームのデザインがそれまでの青系統から赤系統へ変更となった
相変わらず自分で自転車に乗るのが大好きだからブルベを走っていたり、監督会議やライセンスコントロールをスタッフや選手に押し付けて自走で会場入りしたりする。
自分で言うのもなんだが、もしかするとJPTの監督の中でもトップレベルの「緩さ」かも知れない。

ありがたいことにチームは、いくつかのスポンサーにご支援いただくことで活動を行っている。
それは活動資金であったり物品提供であったり、形態は様々だ。
しかしプロチームのように豊富な活動資金があるわけじゃないし、もちろん物品にも限りはある。
そして大きなチームに比べて広告メリットがあるわけでもない。
スポンサー各社にしてみれば赤字覚悟でチームを、選手を、そして国内のレースシーンを応援していただいているのだ。本当に有難いことである。

高校を卒業して渡欧し、プロとして活動するまでの数年間、まぁ正確にはプロになってからもだが、周りのたくさんの人たちに支えてもらい、プロとして活動できることになった。
その支援がなければ今の自分はなかったと思っている。それは金銭や物品のスポンサーだったり、カンパ金を出してくださったり、苦しいときに叱咤激励してくださったり。一体自分一人に何人の人が携わってくれていたのだろうか?

プロになってそれなりに活躍することができ、自分なりに満足して選手としての活動を終えた。
そしていつかは皆さんに支えていただいたことへのお返し、恩返しができればと考えていた。

恩返しとはそもそも何か

2006年、マサヒコミフネドットコムサイクリグチームとして発足。欧州のようなクラブチームを目指し、ショップに属さないチームとして活動を開始した2006年、マサヒコミフネドットコムサイクリグチームとして発足。欧州のようなクラブチームを目指し、ショップに属さないチームとして活動を開始した 金銭的に、そして物品的にも援助していただいてきたが、それをそのままその方にお返しすることじゃないと思っている。

自分の考える恩返しとは、次の世代につないでいくことこそ「恩返し」になるのではないかと。
引退することが決まったとき、助けてくれる場があったからこそプロになれたのだから、同じように上を目指す人たちに対して走れる場を作って提供していこう。それが「恩返し」であると。

まだ国内の実業団で選手として走っていた時に、若い選手、やる気のある選手を応援できるようにと2006年に実業団チーム「マサヒコミフネドットコムサイクリングチーム」を発足、活動を開始した。

大きなことはできないが、自分にしかできないこと、そして上のチームに向けてのステップを作れるならという思い、そしてあくまでも選手のレベルに見合ったサポートを継続して行っていく、というスタンス。

自分を支えてきてくれたスポンサー各社にも相談し、自分へのサポートと同じように、チームにも、そして頑張っている選手たちにも応援して欲しい、と。

2009年、引退と同時にチームのレースにも同行。この年はクラブチームとして最高レベルの強さを誇っていた2009年、引退と同時にチームのレースにも同行。この年はクラブチームとして最高レベルの強さを誇っていた 2009年はツール・ド・熊野で総合8位に入りUCIポイントを獲得。そして美麻ロードでは有力選手を差し置いて実業団レースでチーム初の表彰台へ2009年はツール・ド・熊野で総合8位に入りUCIポイントを獲得。そして美麻ロードでは有力選手を差し置いて実業団レースでチーム初の表彰台へ

レベルの高い選手にレベル以下のサポート内容ではいけないということは理解してもらえると思うのだが、同じように重要なのは、レベルの低い選手にレベル以上のサポートを行うことは、努力するハングリーな気持ちを低下させてしまうし、モチベーションの低下を招くことになる。
あくまでもチームのレベルにあった選手、それを越える選手には更に高いところへステップアップしてもらうようにしている。

コンチネンタルチーム登録をしていないただのクラブチームではあるが、一つこだわりがあり、それはあくまでもチームの活動に対してスポンサー支援を受けるという方針にしている。

2013年からの新体制、JPスポーツテストチーム・マッサ・アンデックスは、国内各地のレースで活躍を見せている2013年からの新体制、JPスポーツテストチーム・マッサ・アンデックスは、国内各地のレースで活躍を見せている (c)Chiho.Iwasa
自転車関連の企業だろうが違おうが、まずはレースに興味を持って欲しいということ。
応援してもらうことで、私のチームを通じて国内ロードレースにも興味を持ってもらうということ。
仮にスポンサー契約期間が終了した後でも、他のチームにスポンサーしていただいて応援してくれるようになるかもしれないし、日本のロードレース界の底辺を持ち上げていくための協力者として、何らかの形でスポーツサイクルの世界で留まってもらえるようになればと思っている。

そして何よりも選手たちが、自分たちの活動に対して応援してくれているということへの「責任」を感じてもらい、中途半端な気持ちで走るのではなく、常にプレッシャーを感じて頑張ってもらいたい。

スポンサーシップとは

選手活動するということは、エントリーから宿泊、移動の手配、そしてレース前の準備などなど、何らかの形で誰かが助けてくれている。それは決して当たり前ではない。みんな見返りはないが応援してくれているのである。そしてその延長がビジネスになるかも知れない。
しかし最初の一歩は、選手の頑張りに対して応援してくれているということだ。

このチームで走った選手が、いつか別のチームに移籍したり引退したりした時、その支えてくれたことが「当たり前」と言うことではないと気付いて、そしてまた次の世代へつないでいってくれれば、きっといつかは日本からも、今以上に素晴らしい選手が現れるだろうし、世界に通用するようなチームが日本企業のバックアップのもと、きっと誕生することだろう。

きらら浜サイクルミーティング2013・エリートで伊藤翔吾が優勝きらら浜サイクルミーティング2013・エリートで伊藤翔吾が優勝 photo:Hideaki TAKAGI
海外のプロチームというと、所属すると自転車やウェアーなどチームから「何でももらえる」と勘違いしている人が多い。確かにチームからシーズン中にチームのメンバーとして使用するものはすべて「支給」される。

ウェアー、ソックス、グローブ、ヘルメット、バイク、消耗品…。当時私が所属していたランドバウクレジットにパスタソースのブランドがスポンサーに入り、選手たちには瓶入りのパスタソースも提供されたし、遠征用のキャスターバッグからリュック、そしてスーツから革靴まで支給された。チームグッズと言うことで非売品が基本だし、それだけでマニアが唸るほど格好いいと思えるのだろう。

しかし今だから言えることだが、機能的じゃなく使いずらいものもあったし、中には「これは…」というものも存在した。

だが、チームと契約して援助してもらっている以上、選択肢はない。支給されたものは「絶対」使わなければいけない。それを条件にチームと契約し、チームはスポンサーと契約している。

2days race in 木祖村2013のTTで佐藤信哉が初参加で4位に入る2days race in 木祖村2013のTTで佐藤信哉が初参加で4位に入る (c)Chiho.Iwasa伊藤翔吾はスプリント賞争いを制した。こうした選手の活躍もスポンサーシップによる下支えがあってこそだ伊藤翔吾はスプリント賞争いを制した。こうした選手の活躍もスポンサーシップによる下支えがあってこそだ (c)Chiho.Iwasa

ときどきトップライダーのなかに、契約品以外をロゴを削除するなどして使うことが格好いいと思うのか、自分だけの「特別」を望む選手がいる。
チームスポンサーとの契約に対して、仮に違約金を支払ったとしてもメリットがあるならそういう選手との契約も成り立つだろう。でなければ最悪の場合、チームという母体をも破壊しかねないので、そういう選手とはチームは決して契約を継続したりはしない。

特に日本ではこのスポンサーシップに対して誤解をしている人は多いと思う。

ベルギーのランドバウクレジットで走っていた頃、プロ1年目のチームメートでサドルがどうしても合わないとスポンサー提供品を使用せず、他社のものを自分でロゴを消して使っていた選手がいた。
もちろんスタッフらは注意したが聞き入れず。「このサドルじゃ走れない!」と。

当然彼はテレビに映るようなビッグレースには出してもらえず、アンダー23の選手にとってのビッグレース「ツール・ド・ラブニール」にも「スポンサーされているものを使用しない」との理由でメンバー選考から漏れていたのだが、漏れたことがわかるや否や速攻でサドルをスポンサー提供品に交換してチームに直訴。
チームメートたちの反応は「大きなレースに出られるなら“使えない”サドルでも使えるんだ」と冷ややかな態度だった。

三船氏「自転車、スポーツサイクルを日本の文化として定着させていくことが恩返し」三船氏「自転車、スポーツサイクルを日本の文化として定着させていくことが恩返し」 photo:Hideaki.TAKAGI
日本に帰国して一番最初に日本でしたかったこと、それは日本という国で自転車、スポーツサイクルを日本の文化として定着させるということ。
そのことが成功するのか否か、いったいどのぐらいの年月が必要なことなのかまったくわからない。
だけど今、自分が少しでも前に、ほんの一歩でも前に進むことが出来れば、きっと自分が支えてきた選手たちが次の一歩を進んでくれるだろう。
それが自分の考える「恩返し」の結果だと思っている。

プロフィール
三船 雅彦 みふね まさひこ
1969年1月8日生(44歳)
中学のときにテレビで見たツール・ド・フランスに憧れ、高校入学と同時に本格的に自転車競技を始めインターハイや近畿大会等で入賞。高校卒業と同時にオランダへ単身自転車留学しクラブチームに所属し2年間滞在。
89年に帰国して国内実業団チームで活動。全日本選手権6位、ツール・ド・北海道総合9位などの成績を残し、ヨーロッパでプロロードレーサーになる夢を諦めきれず、92年には再びオランダへ渡る。
多くのレースで入賞し、94年よりプロ登録。当初立ち上がる予定だったチームの予算不足で、個人プロ(インディビジュアル)として活動、翌95年にはイギリスのF.S.MAESTROと契約。

97年にはTonissteiner(ベルギー。ランドバウクレジットの前身)へ移籍。
99年にはツール・ド・フランドルに日本人としてはじめて出場、翌2000年にはリエージュ〜バストーニュ〜リエージュと言った当時のワールドカップ対象レースはじめ、ヘント〜ウェヴェルヘム、フレッシュ・ワローニュ、GPプルエーと言った世界主要レースも経験する。

2002年を最後に帰国。2003年より国内の名門チームであるミヤタ・スバルで活動。国内の主要レースを中心に各地を転戦。スポットで海外での活動も継続し、2004年には香港で行われた第1回香港サイクルクラッシックにおいて優勝。当時の世界チャンピオン(タイムトライアル)のデービット・ミラーやトラック競技の世界チャンピオン、オリンピックチャンピオンを退けたニュースは世界中を駆け巡り、注目を浴びる。
その他マルコポーロのメンバーとして2004年にはツアー・オブ・サウスチャイナシーでは第2ステージで区間賞。以後4日間リーダージャージを守り、ポイント賞でも3日間リーダーとして注目を浴びる。
2006年のツール・ド・インドネシアではポイント賞3位、ツアー・オブ・サウスチャイナシーでもポイント賞3位と、まだまだ年齢を感じさせないスプリントを披露する。2006年には95年以来のナショナルチームメンバーに返り咲き、アジア選手権に出場。チームロードで銅メダルを獲得。

2007年には4年在籍したミヤタ・スバルを離れ、関西を拠点とするマトリックス・パワータグ・コラテックへ移籍。キャプテンとしてチームをまとめ、それまで勝利数0だったチームを実業団2勝、その他のレースもあわせると合計9勝と大躍進の原動力となる。2008年シーズン最初のレース「ツアー・オブ・タイランド」第2ステージをゴールスプリントで制して3年ぶりのUCIレース勝利。38歳11ヶ月でゴールスプリントを制し、まだまだ力健在ぶりをアピールした。2008年を最後に現役を引退。

引退後は今までの経験を活かしてメーカーや輸入代理店、イベントなどでもアドバイザーとして運営に携わっている。
2005年からは実業団チーム「マサヒコミフネドットコム・サイクリングチーム」を立ち上げ、2009年には実業団のトップチーム「チームマッサ」を設立。更に上を目指す選手たちを応援し、海外チームにも橋渡ししている。

2003年度よりJスポーツのサイクルロードレースではゲスト解説をつとめる。特にベルギーでのレースにおいては、1年間在住していた地理感などを生かした解説に定評があり、2011年から放送開始したシクロクロスでも解説をつとめる。
京都府未来のトップアスリート育成事業講師、そして京都府城陽警察署一日警察署長、同じく城陽市の郵便局一日郵便局長なども勤める。

Panaracer「RACE C(classic)EVO2」tubular

ヨーロッパの荒れた路面に対応する「RACE A Evo2 」チューブラーのミックスパターンバージョン。

パナレーサー RACE C EVO2チューブラーパナレーサー RACE C EVO2チューブラー (c)パナレーサーヨーロッパのレースで使用されるコースには、その歴史の積み重ねによって表面が削れ、砂が浮き、荒れている路面も多々存在する。「RACE C (classic) EVO2」は、そんな荒れた路面に対応するため、昔から愛され続けているミックストレッドパターンを採用。

「RACE A EVO2」チューブラー同様に「ZSGデュアルコンパウンド」「PTベルト」「R'AIRチューブ」のテクノロジーが活かされており、パナレーサーサポートチーム「ソジャサン」も、この「RACE C EVO2」で「ツール・ド・フランス」に参戦する。

また「RACE C EVO2」には、世界で最も過酷なレースとして名高い「パリ〜ルーベ」を闘うために26mm幅もラインナップされており、ブルベにチューブラーで挑まれる方にもオススメのタイヤだ。

商品名「Panaracer RACE C(classic)EVO2」tubular
サイズ及び重量700×23mm(280g)、700×26mm(320g)
税込参考価格9,890円

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ソジャサン ニュース
ツール・ド・フランス2013 出場決定
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ツール・ド・スイス2013(UCIワールドツアー)
第8ステージ8位ジュリアン・シモン選手(ソジャサン)
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ツール・ド・ルクセンブルク(UCI 2.HC)
プロローグ優勝ジミー・アングルヴァン選手(ソジャサン)
第2ステージ7位ジョナタン・イヴェール選手(ソジャサン)
第3ステージ10位ジョナタン・イヴェール選手(ソジャサン)
第3ステージ4位ジョナタン・イヴェール選手(ソジャサン)
個人総合時間2位ジョナタン・イヴェール選手(ソジャサン)
Panaracerサポート選手の注目ニュース
ツアー・オブ・ジャパン(UCI 2.1)
第1ステージ6位マリウス・ヴズィアック選手(マトリックスパワータグ)
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第2ステージ10位窪木一茂選手(マトリックスパワータグ)
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第4ステージ8位飯野智行選手(宇都宮ブリッツェン)
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第6ステージ8位マリウス・ヴズィアック選手(マトリックスパワータグ)
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2days race in 木祖村2013
ステージ1a4位佐藤信哉選手(JPスポーツテストチーム・マッサ・アンデックス)
ステージ1b1位鈴木真理選手(TEAM BLITZEN)
ステージ21位城田大和選手(TEAM BLITZEN)
個人総合時間2位城田大和選手(TEAM BLITZEN)
個人総合スプリント賞伊藤翔吾選手(JPスポーツテストチーム・マッサ・アンデックス)
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ツール・ド・熊野(UCI 2.2)
第1ステージ8位マリウス・ヴズィアック選手(マトリックスパワータグ)
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第3ステージ10位マリウス・ヴズィアック選手(マトリックスパワータグ)
関連ニュース:最終ステージはマッティア・ポッゾが制する ジュリアン・アレドンドが総合優勝
JBCF 3day's Road 熊野
熊野市大会優勝針谷千紗子選手(BLITZSCHLAGE)
個人総合時間優勝針谷千紗子選手(BLITZSCHLAGE)
Jプロツアー第6戦JBCF栂池高原ヒルクライム2013
8位飯野智行選手(宇都宮ブリッツェン)
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全日本選手権タイムトライアル2013
男子エリート7位郡司昌紀選手(宇都宮ブリッツェン)
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女子エリート3位上野みなみ選手(鹿屋体育大学)
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男子U231位山本元喜選手(鹿屋体育大学)
 2位橋本英也選手(鹿屋体育大学)
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Jプロツアー第7戦JBCF富士山ヒルクライム2013
5位池部壮太選手(マトリックスパワータグ)
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MTB Jシリーズ2013 XCO 第3戦
女子優勝中込由香里選手(クラブ シーナック)
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Ironman70.3 セントレア知多・常滑Japan(トライアスロン)
男子プロクラス9位飯田忠司選手
 10位平松弘道選手(SUNNY FISH)
40th Swiss Nationals Wheelchair Athletics(スイス、車イス陸上)
1500m1位土田和歌子選手(サノフィ アベンティス)
30th Daniela Jutzeler Memorial(スイス、車イス陸上)
800m2位土田和歌子選手(サノフィ アベンティス)
提供:パナソニック ポリテクノロジー株式会社