鹿屋体育大学自転車競技部の山本元喜選手と言えば、1年生にも関わらず、全日本選手権ロードレースU23やツール・ド・北海道の第3ステージで優勝した怪物である。
彼は生まれつきの天才なのか? それとも努力家なのか? そして天然なのか...。
今回はそんな彼の素顔と本音に迫る、裏話を交えた関西出身の山本選手らしいレース回想録をお届けする。

はじまり

自転車競技を始めるきっかけは中学生の時。
友達のお母さんが言った「奈良北高校って自転車部があるらしいよ。元喜くん、自転車好きやったら入ったら?」という一言でした。確かに自転車に乗るのが好きだったので、「なんか面白そうやなぁ」という軽い気持ちで、高校に入学できたら入部しようと考えました。

ここで言う“自転車に乗るのが好き”とは、マウンテンバイクでだらだら走るだけのもので、現在行っている過酷な競技とは全くの別物です。
ちなみに、僕の子供の頃からの運動暦は、柔道、サッカー、水泳、ハンドボールで、特にサッカーは全然上達せず、とても悲しくなったことを覚えています。球技全般の才能に関しては、そのまま順調に(?)成長したため、今でも壊滅的です...。

鹿屋体育大学自転車部で走る山本元喜鹿屋体育大学自転車部で走る山本元喜 photo:Hideaki.TAKAGI大学1年時にツール・ド・北海道でステージ優勝を決め、周囲を驚かせた大学1年時にツール・ド・北海道でステージ優勝を決め、周囲を驚かせた photo:Hideaki.TAKAGI

そして無事、奈良北高校に合格。理数科だったこともあり、将来の夢は理科系の教師か研究者という真面目一直線!奈良北高校はハンドボールの強豪校でもあり、自分は経験者なので結構勧誘を受けましたが、その度に「自転車部に入るんで結構です」と断っていました。

その後、予定通りに自転車部に入部。人生で初めてロードレーサーに跨ることに。初めは「サドル高っ!めっちゃ不安定!」って感じで、思い通りに走ることができず、爪先立ちでピョコピョコ助走を付けているだけという有様でした。

そこで、部に代々伝わっているダブルレバーのロードレーサーを貸してもらい、「早くロード練習に行きたい!」と言う思いを胸に、授業が終わるとローラー、土日もローラーと言う日々が始まるのでした。

その成果もあって、やっと初めて一般公道に。
ですが、街中は交通量が多く危険なので、山まで車で運んでもらってからの練習です。先輩の後ろに最後までちぎれずに走り切れたので「俺、いけるぜ!」なんて思っていましたが、今思うと、ただ単に手加減してもらっていただけでした。

レース出場

初レースは近畿大会のロードレース。この頃には、少しは強くなったと思っていたので「初レースで目立ってアピールしてやるぜ!」なんて考えていましたが、着いていくだけで必死の29位でゴール。

その後出場した全日本大会でも「あー逃げ場がない、終わったー」と思いながら落車に突っ込んでリタイア。色々なレースに出場しますが、成績は振るわず、とうとう1年目が終わろうとしていました。

そんな中で迎えた修善寺のチャレンジロード。
(顧問の三好先生)「このコースはお前向きだからいける!」
(自分)「優勝してきます!」
なんてやり取りをしながらスタート。ラスト1キロほどでトップ集団から飛び出して、そのまま逃げ切り優勝!
まさか本当に優勝できるとは考えていなかったので、優勝の感動で興奮して寝れなかったのを覚えています。

2年目の近畿大会は「競技を始めて早1年、とうとう俺の時代が来た!優勝しかねぇ!」なんて思いながら挑みましたが、5位。残念。

2年目の全日本選手権では
(先生)「このレースで優勝すればアジア選手権出場が確定するから死ぬ気で走れ!(それでも)死なんから!」
(自分)「分かりました!死ぬ気で優勝します!」というやり取りでスタート。
しかし、死ぬ気でコーナーに突っ込んだ結果・・・本当に突っ込んでしまった…2回も。
レースを棄権しようと沿道に寄っていくと「ゲンキー!行けー!」という両親からの謎の熱い声援。
「お父さん、お母さん、この状態よく見て…無理でしょ?」と思いながらも、頑張ってもう1周…で、降りました。

海外とのレベルの違いを知る必要を感じていたので、アジア選手権に出れなくなった以上、別の方法で海外レースに出場しようと、イタリアのステージレース出場がかかった「みちのくステージin岩手」に近畿ブロック代表で出場。
「ここで勝てなければヤバイ。でも周りも全国レベルで強い。ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ…」などと少し謙虚になりながら出走し、初日のタイムトライアルは2位。

全日本選手権ロードU23を2010、2011年と連覇している山本元喜。高校時代から1つ抜けた存在だった全日本選手権ロードU23を2010、2011年と連覇している山本元喜。高校時代から1つ抜けた存在だった photo:Hideaki.TAKAGI
2日目は、クリテリウムのようなコースでうまく逃げて「なんとしても総合1位になるしかねぇ! 逃げろ! 逃げろ!」と思いながら何度かの中間スプリントとゴールを1位通過し、優勝。総合1位の座へ。

「今度こそ死ぬ気。死ぬ気で死守!」の最終ステージは、逃げが決まり逃げ切られましたが、総合に関係無いメンバーだけだったので「総合優勝キター!」と思いながら集団の中でガッツポーズしながらゴール!

そしていよいよ初の海外遠征でイタリアへ!
レースは「お前らの好きに走って挑戦しろ!経験が大事だ」という監督からの指示のもと、「どれくらい強いんだろうか?」という不安の中でスタート。
外人から「ヘーイ、ジャポーネ○×△◇▽◎」「ジャポーネ、ブリリタリーニーアー」とか言われましたが「意味分かんね...」と思いながら走りました。
何度か落車しつつも無事完走しましたが、やはり外人は強い。でも、もう少し成長すれば十分勝負できるという実感と共に帰国しました。

帰国後のレースは、高体連の強化指定で1位になったことを喜びながら迎えた2年目のチャレンジロード。
「去年優勝してるから勝って当たり前! もっと派手に勝て!」という指示もあり、ラスト2、3周を逃げ切って派手に優勝!

3年生になり、3回目の近畿大会ロードレースは、
(先生)「レベルが違うから、優勝以外ないから」
(自分)「逃げ切って優勝します!」でスタート。
何度もアタックするが、マークも厳しく全く決まらず、ラスト10kmほどに。
「やばい。ほんとにヤバイ何とかしないと…あっ!」で、前と接触して落車。
落車の勢いで土手に転げ落ちながら「ふざけんなよ!」などと思いつつ全力で単独追走。結果は15位。

地元開催のインターハイに出れなくなるところでしたが、何とか奈良県枠で出れるようになり「やったー!カムバック俺のインターハイ!」と頭の中で考えながらダウンを続けました。

黒枝士揮

そして迎えた3回目の全日本選手権。
(先生)「自分の感じたタイミングで行け!! このコースでお前の足があれば優勝できるから!!」
(自分)「直感でいきます!優勝持って帰ってくるので待ってて下さい!」でレースが始まります。

しばらくしてからの補給所手前。「補給所でアタック行く馬鹿なやつもいるから気をつけろ」と言う、昨日のミーティングでの先生の話がなぜか頭をよぎる...。

「これって前振り? 俺に対する前振り? 周りは油断してるし、行くべきかなぁ…? いやっ行くしかねぇ! 油断してるほうが悪い!」ってことで、アタック。補給所アタック誕生の瞬間です。

これで見事に数名の逃げが決まり、後ろから何人か追いついてくるが直後にアタック。周りから「まとまってペースで行こう!」という悲鳴も聞こえるが、何度もアタック。

ラスト一周の登りでとうとう2人になり、残った一人が何を隠そう2年のインターハイでも一緒に逃げたあの忌々しい大分の黒枝士揮。

全日本選手権ロード2010ジュニア 残り4km、山本元喜(奈良北高校)がアタックし、黒枝士揮(日出暘谷高校)と攻防を繰り広げる全日本選手権ロード2010ジュニア 残り4km、山本元喜(奈良北高校)がアタックし、黒枝士揮(日出暘谷高校)と攻防を繰り広げる photo:Hideaki.TAKAGI最後はスプリントで黒枝が山本を下して優勝最後はスプリントで黒枝が山本を下して優勝 photo:Hideaki.TAKAGI

最後の登りでアタックするが追いつかれ、またアタックするも追いつかれを繰り返し、遂にはゴール前まで着いて来られてしまい、後ろを確認した瞬間に、逆側から黒枝がスプリント開始。彼の背中を見ながら「あぁこれが天罰か…補給所アタックの罰なんですね、神様」と思いながら2位のゴールとなりました。

そしてとうとう3年間の集大成、インターハイのロードを迎えます。

「ギリギリで掴んだこの地元開催インターハイの出場キップ。なんとしても逃げ切り優勝するしかない! 」熱い熱い思いを胸にレース開始。ラスト2周のコーナーで集団が内側を走る中、反対の大外を走りながらそのままチョロ逃げすると、これが見事に決まり優勝! 感動で泣いている三好先生と抱き合って喜びました。

その後、国体、アジア選手権と走り切り、自分の高校でのロードレースは完走となりました。

高校生活最後の2009年インターハイ・ロード、ライバルの黒枝らを下して勝利高校生活最後の2009年インターハイ・ロード、ライバルの黒枝らを下して勝利 photo:Hideaki.TAKAGI
3位集団の頭は黒枝士揮が取る3位集団の頭は黒枝士揮が取る photo:Hideaki.TAKAGI表彰式、優勝した山本元喜と2位榊原健一、3位黒枝士揮表彰式、優勝した山本元喜と2位榊原健一、3位黒枝士揮 photo:Hideaki TAKAGI

鹿屋体育大学へ

そしていよいよ大学に進学。元々怖い先輩がいるという理由で入学を悩んでいた鹿屋体育大学。実際来てみると、環境良し・道路良し・食べ物良し・(やはり)先輩怖し、のいいこと尽くめ。あと、黒枝もいました。

入部一発目のレースは学生クリテリウム、「通称Rit'sクリテ」でした。
「期待してるからな」と言われながら、鹿屋4年ぶりの予選落ち。決勝は全力でアシストしました。スタッフとして...。

ツール・ド・熊野では、第2ステージで超ベテランの選手に上り口でタックルし、先輩にきつく怒られ、レース後に謝罪。その場で一言「これからは気をつけろよ」と、クールでした。

「俺の登坂力なら上位にいける」と勘違いしながら父親と一緒に挑んだ実業団富士山ヒルクライムレースは惨敗。

続く学生チームロードレースでは、途中でボトルを落とし脱水症状に。「もう千切れていいからゴールしろよ」と、ラスト10kmで声をかけてもらいましたが、そのまま気絶しながら落車しリタイア。

コース上で倒れている最中に目が覚めて発した一言が「今日の練習どこでしたっけ?」だったそうです。チームとしては優勝しましたが、自分は完全に逝ってました。

全日本選手権では雨の中逃げ切って優勝しましたが、実は自分勝手な走りをしていたため怒られました。今思えばなかなか酷かった...。

全日本選手権ロード2010 U23、山本元喜(鹿屋体育大学)と原川浩介(湘南ベルマーレコムレイド)が死闘を繰り広げる全日本選手権ロード2010 U23、山本元喜(鹿屋体育大学)と原川浩介(湘南ベルマーレコムレイド)が死闘を繰り広げる photo:HIdeaki.TAKAGI雨の死闘を制したのは山本雨の死闘を制したのは山本 (c)Makoto.AYANO

初のインカレロードでは、なんとか逃げ集団に入ります。
(自分)「先輩キツ過ぎるんで最後にアタックだけして千切れます…」
(先輩)「わかった、アタックはしていいけど、千切れたら許さんばよ」
(自分)「分かりました。集団にいます…」
そのおかげで何とか走り切り、最後も飛び出して3位に。初の学生ロードレースでかなりきつい思いをしました。

ツール・ド・北海道ステージ優勝、それから…

その後のツール・ド・北海道、第3ステージ。前半で千切れながらも何とか集団に復帰し、そこから逃げに乗りラスト数キロ地点。「どのみちスプリント能力が無いから、飛び出さないと逃げ集団の最下位になる。ここは行くしかない! 」ってことでアタック。後ろが牽制してくれたおかげでそのまま逃げ切ることができ、なんと優勝。

まさか、まさか自分が優勝するなんて考えてもいなかったので、ゴール後にどう振舞って良いのか分からず、混乱していました。

ツール・ド・北海道2010第3ステージで優勝した山本ツール・ド・北海道2010第3ステージで優勝した山本 photo:Hideaki.TAKAGI
優勝した山本を囲む鹿屋体育大学の黒川監督、内間康平、OBの清水都貴優勝した山本を囲む鹿屋体育大学の黒川監督、内間康平、OBの清水都貴 photo:Hideaki.TAKAGIツール・ド・おきなわでは「先輩!チームカーにボトル貰いに行ってきます!」と元気良く後ろに下がりましたが、そこで前でアタックがかかり、そのままサヨウナラ...。千切れたまま何とかゴールはしましたが、色々な事についてかなり怒られました。

鹿屋に来て2回目の春を迎えると、大学入学後初の海外遠征でタイへ。
第4ステージ終了後に、謎の38度の高熱が出て「ああ異国の地で死んでしまう」なんて思いましたが、熱が下がって出走するも、やはり完走できずにDNF。海外での、特にアジア圏での体調管理の厳しさを学びました。

2回生になると、チームTTで今度は気絶せずにゴールして、優勝。学生個人選手権のロードでも、かなり手厚い先輩後輩のサポートを受けてなんとか優勝。そして全日本選手権で2連覇を達成し、ユニバーシアードのロードレースで3位に入ります。

「流れが来ている!」と感じながら走った2年目のインカレロードでしたが、序盤から「えっ? 何かキツイ? かなりキツい!…終わった」と、ユニバーシアードの疲れもあって何もできずに終了。
その悔しさを晴らそうと挑んだツール・ド・北海道。第2ステージの3位はかなり悔しかったのですが、個人総合が6位になり、実は少し喜んでました。

ここまでかなり順調に成績が出せていたのですが、ここからそのツケがとうとうやってきます。そう、全っ然勝てなくなるのです。こんなにいきなり?ってぐらいに。

まず手始めに、ジャパンカップでは高校生も走る中でまさかの3位。「あれっ? 何で勝てない?」って感じでした。
ツール・ド・おきなわでは、前年度よりは長く着けていけたものの結局千切れて44位。
アジア選手権のタイムトライアルでは、前半グループの中でトップタイムで走り切り、「よしっ! きた! 久々の優勝! 」などと思っていると、トップタイムを破られ2位に。

2011ジャパンカップ オープンレースを走る山本元喜と黒枝士揮2011ジャパンカップ オープンレースを走る山本元喜と黒枝士揮 photo:Hideaki.TAKAGI高校生レーサー小橋勇利(ボンシャンス飯田)の後塵を拝し3位高校生レーサー小橋勇利(ボンシャンス飯田)の後塵を拝し3位 photo:Hideaki.TAKAGI

ナショナルチームではアジア圏のステージレースを走らせてもらえることになりましたが、ツール・ド・台湾で日本チームの総合優勝に絡むも、個人総合は17位とイマイチ。

全日本選手権では3連覇を目標としてU23に出場するも、大惨敗の11位。学連代表で出たTOJも大して目立つことなく総合37位で撃沈。
ツアー・オブ・シンカラで個人総合8位に入り「おっ? 帰ってきたか? 俺の時代! ここから巻き返しや!」と思うも、次のレースである全日本のタイムトライアルは6位...。「アジア2位で何で勝てへんねん」などと考えながら鹿屋に帰りました。

そしてとうとうやってきた鹿児島でのインカレロード。
「ここで優勝してこの1年の流れを変える! 今から優勝してやる!」という強烈な意気込みでスタート。

調子も良く「いけるぞこれは!」などと思いながら走りますが、ラスト1周を切ってからの判断ミスで逃げに乗れず、3位。このコースで勝てんっていうのはヤバイ! っていうか、どうすれば勝てるか分からなくなってきた。泣きたい。

2012年のインカレロード3位。悔しさを露にしてゴールする山本2012年のインカレロード3位。悔しさを露にしてゴールする山本 photo:Hideaki.TAKAGI
その後、ツール・ド・北海道は総合27位+見せ場無し。国体ロードも棄権。ダメ押しとばかりにジャパンカップでは直前まで40度近くの高熱でDNF。
状況を打破すべく、アジア選手権のタイムトライアルでは「絶対勝つんで出してください」とアピールして出場しましたが、結果は残念ながら4位でした。

大学ラスト1年にむけて

しかし、こうやって今までの流れを振り返ると、とても上手くいってたんだな、と改めて感じます。とても気軽に入った高校の自転車部でしたが、それがここまでくるとは思っていなかったですし、もし当時の自分に、今のこの真実を教えることができても、絶対に信じないでしょう。

また同時に、自分が誰にも支えられず一人で競技をしていたのであれば、絶対ここにまで至ることは無かったのだろうと思います。自分がここに至ることができたのは、多くの助けや、応援して頂いた方々との巡り会わせがあってのことですし、特に自分が大学に入学してからはそれまでの何倍もの支えがあることを実感しました。

このことから、高校の時には考えてもいなかった「自分、そして自分の行動は周りからどのように見られているのか?」を意識するようになりました。
もし自分が普通の大学生であればこのようなことを考えることも無かったでしょうし、必要も無かっただろうと思います。

様々な方から注目して頂き、自分の言動に対してより深く考えるようになったこと。
これこそがより多くの方に応援して頂いている証拠であり、それを一番実感できることなのだろうと思います。

去年1年間は自分自身結構つらい年でもありました。力は付いているが、付いているはずなのだが成績が出ない、勝てないという年で、このような年は今までの自転車人生の中で1度もありませんでした。

明治神宮外苑大学クリテリウム2013、集団を引く山本元喜明治神宮外苑大学クリテリウム2013、集団を引く山本元喜 photo:Hideaki TAKAGI
その分、いろいろと考えもしましたし、若干逃げていた部分もあったのだと思いますし、今思い返せば「甘かったな」と思う部分もあります。しかし、過ぎてしまったことを悔やんでも先には進めません。過去を無視することはよくないと思いますが、過去に固執することは、より良くないのだと思います。

なので去年1年間で味わった苦しみ、そして振り返って反省すべき点を踏まえた上で今年、大学ラストの1年間。集大成の大花火、打ち上げたいと思います。そのためにも、インカレは当然ながら、ありとあらゆるレースにおいて活躍し「去年よりも輝いているな」と言って頂けるよう、部員一同一致団結して頑張って行きたいと思いますので応援よろしくお願いします。

自分の自転車人生、選手人生はまだまだ続く予定ですので、またこのような機会があることを願いつつ、今回はここで終わらせて頂こうと思います。

プロフィール
山本 元喜 やまもと げんき
1991年11月19日生(21歳)
奈良県生駒郡平群町出身。高校に入学してから自転車競技を始めインターハイで優勝。その後、鹿屋体育大学に進学し現在に至る。

主な成績:
2008年第33回 チャレンジサイクルロードレース大会 ジュニア 優勝
2008みちのくステージレース in いわて 個人総合優勝
第4回 全国ジュニア自転車競技大会(ロード) 優勝
2009年第34回 チャレンジサイクルロードレース大会 ジュニア 優勝(2連覇)
全国高等学校総合体育大会 ロードレース 優勝
2010年第49回 全日本学生選手権チームロードレース大会 優勝
第79回 全日本アマチュア選手権ロードレース U-23 優勝
ツール・ド・北海道2010 第3ステージ 優勝
2011年ツール・ド・熊野2011 個人総合山岳賞 3位
第50回 全日本学生選手権チームロードタイムトライアル大会 優勝(2連覇)
第27回 全日本学生選手権個人ロードレース大会 優勝
第80回 全日本アマチュア選手権ロードレース U-23 優勝(2連覇)
第26回 ユニバーシアード男子ロード 3位ツール・ド・北海道2011 個人総合6位 (第2ステージ第3位入賞)/td>

Panaracer「TOURER PLUS Brevet edition」

パナレーサー TOURER PLUS  Brevet editionパナレーサー TOURER PLUS Brevet edition (c)パナレーサーロードバイクやスポルティーフでのツーリングに人気のタイヤ「ツアラープラス」に、ブルベに最適な「ブルベエディション」が誕生!

「ツアラープラス」は、“本格的なロードバイクで安心してツーリングが楽しめるロードタイヤ”をコンセプトに開発された商品だが、「ブルベ エディション」は、超長距離を走ることになるブルベを意識して、さらに「軽く」「快適に」を追求して開発された。

「強さ」を維持するために、ベーシックモデルと同じく、ツーリングにありがちなサイドカットやリム打ちパンクで効果を発揮する「アンチフラットケーシング」を採用。「ブルベ エディション」は、ベーシックモデルからケーシングのベースコードを軽量化することによって、さらなる軽量化と衝撃吸収性向上を実現した。

またコンパウンドも、耐カット性、耐摩耗性を向上させた「 NEW ZSGナチュラルコンパウンド」を採用することで安心感がアップ。

サイズは、長距離走行での身体への負担軽減を考慮した、エアボリュームのある700×26Cで展開。26Cの太目のサイズで「アンチフラットケーシング」も採用しながら、重量は240g(ave)を実現している。

商品名「Panaracer TOURER PLUS Brevet edition」
(パナレーサー ツアラープラス ブルベエディション)
サイズ700×26C(26-622)
重 量240g(ave) ※アラミドビード
カラー黒、茶サイド
税込参考価格5,100円

関連ニュース:パナレーサー ツアラープラス ブルベエディション 軽く、快適に。超長距離走行向けタイヤ
ソジャサン ニュース
ツール・ド・フランス2013 出場決定
関連ニュース:ツール・ド・フランス出場チーム発表 ワイルドカード枠はユーロップカー、コフィディス、ソジャサン
Panaracerサポート選手の注目ニュース
Jプロツアー第1戦 伊吹山ドライブウェイヒルクライム2013
2位飯野智行選手(宇都宮ブリッツェン)
関連ニュース:スペインから来たホセビセント・トリビオが異次元の走りでJPT開幕戦圧勝
Jプロツアー第2戦 JBCFタイムトライアル南紀白浜2013
2位マトリックスパワータグ
3位宇都宮ブリッツェン
関連ニュース:タイムトライアルはチーム右京が圧倒で2連勝
Jプロツアー第3戦 JBCF白浜クリテリウム2013
優勝マリウス・ヴィズィアック選手(マトリックスパワータグ)
関連ニュース:直線勝負をマリウス・ヴィズィアックが制する マトリックス待望のJPT1勝目
Jプロツアー 第4戦群馬CSCロードレース
優勝窪木一茂選手(マトリックスパワータグ)
フェミニン2位針谷千紗子選手(BLITZSCHLAGE)
関連ニュース:序盤逃げ、ホセとの一騎打ちを制した窪木一茂 今季JPT日本人初勝利を飾る
全日本学生クリテリウム選手権
男子優勝橋本英也選手(鹿屋体育大学)
 2位黒枝士揮選手(鹿屋体育大学)
女子優勝上野みなみ選手(鹿屋体育大学)
 2位塚越さくら選手(鹿屋体育大学)
関連ニュース:橋本英也と黒枝士揮がワン・ツー 学生クリテ王者に鹿屋体大返り咲き
きらら浜サイクルミーティング5月大会2013
優勝伊藤翔吾選手(JPスポーツテストチーム・マッサ・アンデックス)
関連ニュース:伊藤翔吾が逃げ切り マッサが連勝した山口・きらら浜サイクルミーティング
MTB Jシリーズ2013 XCO 第1戦
女子優勝中込由香里選手(クラブ シーナック)
関連ニュース:XCO初戦は斉藤亮が独走で制し、中国・アジア選手権へ向け上々の仕上がり
提供:パナソニック ポリテクノロジー株式会社