2019/06/27(木) - 12:39
日本一の過酷さを誇るマウンテンバイクレース、「松野四万十バイクレース」。四国の山中で行われたクロスカントリーマラソンを初回大会から撮影し続けるカメラマンの小見哲彦さんのレポートが届きました。
住まいの千葉県を出発して、おおよそ1,000キロ。今年で4回ほど、この道程を通う目的は松野四万十バイクレースの大会記録撮影だ。しまなみ海道が全国的に有名になる以前からお付き合いのある、チーム・ジャイアントの顔とも言うべき門田基志選手と国内外の自転車専門誌で撮影をこなしてきた経歴からか、第一回松野四万十バイクレース(以降MSBRと略)からオフィシャルカメラの一員とさせていただている。
松野という町に初めて訪れた時に感じたのどかさ。そして町を流れる川に流れ込む水は、周辺をかこむ多くの山からもたらされる。この山々を走る”過保護ではない林道”こそが、MSBRのコースとなる。松野町は愛媛県。コースの半分は隣接する高知県の四万十市管轄となる山あいを走るコースである。
隣接した役場同士、それに多くのスタッフが協力しあって第一回の大会が終了した。年々大会の運営は改善されて充実してきていたが、昨年は台風の直撃に当たってしまい大会は中止。そのことを参考として本年は秋の開催ではなく6月2日をレース開催日に決定。役場の人達も関係スタッフも、参加選手の方々も、この日を目指して用意をしてきたと思う。もちろん、私も撮影に使うためのオフロードバイクの改造や撮影機材の特化した改造を進めてから東名、名神、山陽道を経て四国に自走で向かったのである。
現地に着くと、まず役場に行けば親しみのあるふるさと創生課の皆さんとご挨拶。一息いれて、JR松丸駅にあるぽっぽ温泉で運転疲れを存分にほぐして松野のゆったりした空気を味わう。レース当日の2日前には、既にこのように町に入って設営の支度やコースのパトロールに出る用意を開始。単に撮影の遠征に行くというより、既にライフワークと化している感じ。同僚・大阪の中川カメラマンと一緒のようだ。
レース時に山やコースを繋ぐ一般道をパトロールするモト隊面々とも再会。彼等の多くはガチでラリーライダーや、林道を走り慣れたベテラン勢。そんなモト隊がレース中の安全確保でパトロールをする。我々オフィシャルカメラの二人は、中川カメラマンはオフロードをかなり走り込んだ経験があるのと、私はサーキットのロードレースが多かったが、エンデューロレースやモトクロスの経験者。MSBRの長いコースをどんな悪天候であろうと自力生還出来ることが某門田氏に言わせるとオフィシャルカメラマンの必須条件らしい。運営スタッフが林道に回れる数にも限度があるし何せ広範囲。その通りかもしれない。
ただし、オートバイに乗るだけではなく自転車も大好きでなくては選手目線で走ることは出来ない。その点では、私は絶版になったとはいえジャイアントのSTPでパンプトラックで遊ぶのが大好きだし、20年もののロードバイクを剥離ポリッシュして今時のパーツを付けて再構築。輪行旅するのも大好き。オートバイ以上に自転車も大好きな連中(?)が大会の記録撮影をしていると思っていただきたい。
レース2日前の5月31日。普段はクローズされている林道を走ってコーステープの視認性をチェックすべく、愛用のオフロードバイクを走らせた。モト隊の武田隊長と中川カメラマンと私の3人で滑床林道に至る一般道からアプローチ。トンネルの工事関係者がレースに間に合うように懸命に作業をしている横を通過。出だしからすぐにガレ場の多い滑床林道~鹿のコルで休憩、長い下り坂で気になった落石を撤去。続く西谷林道、玖木林道と徐々に勾配の急な林道の分岐点ではコーステープを確認と追加設置を続行。
アドバンス&アルティメットクラスの中でも特にキツい日見須林道では、ぬかるんだらオートバイでも再スタートが難儀しそうな激坂が待ち構えている。初心者オートバイライダーにはお勧めしかねる程の坂。自分が選手だったらペダリングで登れるとは到底思えない坂を、エリートライダーに近い速度で噛み締めて(エンジンで、ですけど)登ってみた。すっ飛ばして登る方が楽なのだが、落ちている尖った石や路面の状態が分かれば本部や選手の人達にも報告出来ると思ったからだ。険しい日見須林道を降りてのどかな沈下橋を通過すると、舗装路をしばらく移動。ゆったりした坂を登ってゲートをくぐると集落林道へ。
入り口までのアプローチは、人んちにでも入って行くんじゃないか?と思うような景観なのが面白い。この集落林道、一見のどかに見えて実はオートバイは前輪を取られやすいトラップが潜んでいるから毎年油断がならない。湿った土が堆積してタイヤが潜って滑るのだ。
アドバンスクラスのゴールとなる松野南小学校に立ち寄って、この日は目黒林道はパスして宿に戻った。 忘れかけていたコースの様子や全体像が頭に再インプットされる。移動のペースをオートバイ目線と、マウンテンバイクのペース。それぞれの移動ペースをイメージしておいて時間差を考えておくわけです。
レース前日もほぼ同じルートを巡回し、今度はライン上に転がっていた大きめな尖った落石を除去しておいた。選手の人たちの危険性やパンク率を下げたかったのも勿論だし、自分らのオートバイのパンクも撮影に支障をきたす。合流したモト隊には先に行ってもらい、本当のロケハンと石ころ退治に精を出す。
林道の合間の舗装区間も落石が多かったが、油断しがちな舗装路こそどかしておかないと大怪我の元。そんな除去作業もおおかた終わって夕方宿に戻ると、少し安心。この頃にはメディアの知人達も到着していたので、スタート地点の虹の森公園の一角でメディアと合同でミーティング。いよいよ明朝はレーススタート。機材の用意やバイクの給油を忘れないうちに終えた。
毎年の定宿である「末廣」の名物おばちゃんにはいつもご厄介になる。早めに夕飯をいただいて部屋に入ったのは良いが、コースの記録で一人実況中継して収録しておいたゴープロの映像バックアップしたりしているうちに、すっかり良い時間になってしまった。
翌朝未明。おばちゃんのダミ声で叩き起こされると、他のスタッフや選手の面々は既に食堂で朝食。ふわぁ!と焦って朝食を頂き、カメラ用のボディアーマーや特別製のアディダスのブーツを装着。山で使っても、ほとんどの場面で滑り落ちる事の無さそうな特殊部隊用のブーツが松野仕様の一部だ。
中川式松野仕様装備と小見流の松野仕様装備は、それぞれ撮影の流儀や好みの違う点で衣服や車両の改造が違っているのだが毎年お互いに改良を重ねているのが面白い。二人とも2年前の台風直撃の大会でカメラ一式があわや全滅しかけた経験があるため、対策を練るのも逆に楽しみになっているようだ。
レーススタートの後の打ち合わせで、舗装路のワインディング区間は無視して直線的に先回りしようかと話し合っていたのに、気がつけば二人とも選手達と一緒に舗装路ワインディング区間に入っていた。だって、既に途中の展開が面白そうだったんですもの…(自白)。おおよその予想通りのチームが先頭を引き、それに続いて親しみやすくてよく知った顔=山本カズさんらが続く。
滑床林道入り口で、動物の被り物を被った謎の集団が選手達の前に飛び出して水鉄砲をお見舞いするという歓迎儀式を撮るところで、最初のトラブルが発生。歩いてそこに向かう途中、木の枝にひっかかったためにボディアーマーに固定していたカメラのレンズとストロボが地面に直撃。ストロボがすっ飛んだ。そんな事にはおかまい無しで先頭集団は異常な早さで坂を上って来る。とっさにサブカメラで撮影。あ~もう。小銃が壊れて仕方無くハンドガンで撃ち合いになっちゃったみたいだ。
先頭集団~それ以降の中盤を中川カメラマンが担当。途中まではそのグループの映像を私が押さえつつ、後続集団以降の静止画像を撮る感じになっていたので、鹿のコル付近で”家元先生”の野点のシーンまで先頭集団付近の映像と静止画像を押さえた。この家元の先生がたてて下さるお茶は素晴らしく、山の上でなくそれなりの場所でいただくとしたら大変なモノ。こんな素敵な企画も他にはあるまい。そんな映像を収めるべくバイクの後ろに取付けたトップケースにはキャノンの業務用小型ビデオカメラとゴープロのヒーロー7が詰め込んである。積載量に限度のあるバイク、映像の記録はこれらが頼りだ。
曇りだった空は、もうこのあたりから雨になった。雨対策はしてあるが、参加選手に大きな怪我が無い事を祈るばかり。って、実は前々日の試走で砂利ベアリングのせいで一度転倒したのは内緒だ。
速い選手は、下り坂でオートバイよりも速く走る。これを先回りするには平坦路や上り坂で一気に距離に差を付けてカメラを構える時間を稼ぐしかない。クローズされた林道なればこそのペースアップだが、気を付けないと檜の山あいにあ~れ~!と落ちてしまう。この緊張感と楽しさは参加選手の方々も同様に感じることと思う。数カ所に設けられたエイドステーションにはご当地名物の食べ物あり、マッサージのエキスパートによるほぐしやファーストエイドの措置もおかれていて心強い。荷物を減らしたいのは私達も一緒なので、パンや水分をいただけるのは本当に有難い。
ハードな玖木林道を降りてエイドステーションで休養、さらに駄目押しのような日見須林道をクリアしていくと沈下橋の手前で鎧武者ペアの歓迎を受ける。ここにも喜びのエイドステーションがある。松野南小学校まで辿り着くと、雨にも負けずに元気に太鼓で出迎えるグループ(名称は要調査)に元気づけられてアドバンスクラスは、ここからスタート地点まで行けばゴール。
小学校を出て右に向かうアドバンスのグループを横目に、消耗がやや激しいアルティメットクラス出場の方々はちょっぴり羨ましそうに最後の山場=目黒林道に向かう。目黒林道は地図上で見ると小さく見えるが、標高は高く林道の路面はハード。景色の変わり方も大きい。
雨のせいかバイクのエンジンの調子がおかしくなってきた。これで自分がゴールどころか里へ戻れなかったら洒落にならないなぁとあちこちいじって調整、騙し騙し撮影も続行しながら再び松野南小学校脇まで戻ってこられた。終盤の選手達をある程度撮れたので、メディアの後方を走るサイスポさんの入っているチームがゴールするところまでは押さえるべく虹の森公園までグズつくバイクを走らせて、待機。そこで中川カメラマンと再会すると、彼もどうやら酷い目にあったらしい(当日は不明だった)。
既にゴールし終えていた方々はすっかりリラックスして着替えをしたり、スポーツマッサージを受けて筋肉をほぐしている方もいて和やかな様相。最終グループが到着するまで、滑床林道で迎撃をした被り物の女子グループも歓迎しようと待つ。傍らで残っていた豚汁をいただいて軽く空腹を満たす。美味い!役場の女性陣は最後までおもてなしの精神を忘れずに、明るかった。サイスポ含むひよこ倶楽部チームの撮影を終え、ほぼ予定カットを全て終了。皆さん、お疲れさまでした!と一同。あ~面白かった。
何だか自分の故郷みたいな感じになっている松野の町、そして仲間達。ハードでありながらもこんな愉快な山岳レースに関わらせていただいている私は、幸せだ。
photo:Tetuhiko.Komi
住まいの千葉県を出発して、おおよそ1,000キロ。今年で4回ほど、この道程を通う目的は松野四万十バイクレースの大会記録撮影だ。しまなみ海道が全国的に有名になる以前からお付き合いのある、チーム・ジャイアントの顔とも言うべき門田基志選手と国内外の自転車専門誌で撮影をこなしてきた経歴からか、第一回松野四万十バイクレース(以降MSBRと略)からオフィシャルカメラの一員とさせていただている。
松野という町に初めて訪れた時に感じたのどかさ。そして町を流れる川に流れ込む水は、周辺をかこむ多くの山からもたらされる。この山々を走る”過保護ではない林道”こそが、MSBRのコースとなる。松野町は愛媛県。コースの半分は隣接する高知県の四万十市管轄となる山あいを走るコースである。
隣接した役場同士、それに多くのスタッフが協力しあって第一回の大会が終了した。年々大会の運営は改善されて充実してきていたが、昨年は台風の直撃に当たってしまい大会は中止。そのことを参考として本年は秋の開催ではなく6月2日をレース開催日に決定。役場の人達も関係スタッフも、参加選手の方々も、この日を目指して用意をしてきたと思う。もちろん、私も撮影に使うためのオフロードバイクの改造や撮影機材の特化した改造を進めてから東名、名神、山陽道を経て四国に自走で向かったのである。
現地に着くと、まず役場に行けば親しみのあるふるさと創生課の皆さんとご挨拶。一息いれて、JR松丸駅にあるぽっぽ温泉で運転疲れを存分にほぐして松野のゆったりした空気を味わう。レース当日の2日前には、既にこのように町に入って設営の支度やコースのパトロールに出る用意を開始。単に撮影の遠征に行くというより、既にライフワークと化している感じ。同僚・大阪の中川カメラマンと一緒のようだ。
レース時に山やコースを繋ぐ一般道をパトロールするモト隊面々とも再会。彼等の多くはガチでラリーライダーや、林道を走り慣れたベテラン勢。そんなモト隊がレース中の安全確保でパトロールをする。我々オフィシャルカメラの二人は、中川カメラマンはオフロードをかなり走り込んだ経験があるのと、私はサーキットのロードレースが多かったが、エンデューロレースやモトクロスの経験者。MSBRの長いコースをどんな悪天候であろうと自力生還出来ることが某門田氏に言わせるとオフィシャルカメラマンの必須条件らしい。運営スタッフが林道に回れる数にも限度があるし何せ広範囲。その通りかもしれない。
ただし、オートバイに乗るだけではなく自転車も大好きでなくては選手目線で走ることは出来ない。その点では、私は絶版になったとはいえジャイアントのSTPでパンプトラックで遊ぶのが大好きだし、20年もののロードバイクを剥離ポリッシュして今時のパーツを付けて再構築。輪行旅するのも大好き。オートバイ以上に自転車も大好きな連中(?)が大会の記録撮影をしていると思っていただきたい。
レース2日前の5月31日。普段はクローズされている林道を走ってコーステープの視認性をチェックすべく、愛用のオフロードバイクを走らせた。モト隊の武田隊長と中川カメラマンと私の3人で滑床林道に至る一般道からアプローチ。トンネルの工事関係者がレースに間に合うように懸命に作業をしている横を通過。出だしからすぐにガレ場の多い滑床林道~鹿のコルで休憩、長い下り坂で気になった落石を撤去。続く西谷林道、玖木林道と徐々に勾配の急な林道の分岐点ではコーステープを確認と追加設置を続行。
アドバンス&アルティメットクラスの中でも特にキツい日見須林道では、ぬかるんだらオートバイでも再スタートが難儀しそうな激坂が待ち構えている。初心者オートバイライダーにはお勧めしかねる程の坂。自分が選手だったらペダリングで登れるとは到底思えない坂を、エリートライダーに近い速度で噛み締めて(エンジンで、ですけど)登ってみた。すっ飛ばして登る方が楽なのだが、落ちている尖った石や路面の状態が分かれば本部や選手の人達にも報告出来ると思ったからだ。険しい日見須林道を降りてのどかな沈下橋を通過すると、舗装路をしばらく移動。ゆったりした坂を登ってゲートをくぐると集落林道へ。
入り口までのアプローチは、人んちにでも入って行くんじゃないか?と思うような景観なのが面白い。この集落林道、一見のどかに見えて実はオートバイは前輪を取られやすいトラップが潜んでいるから毎年油断がならない。湿った土が堆積してタイヤが潜って滑るのだ。
アドバンスクラスのゴールとなる松野南小学校に立ち寄って、この日は目黒林道はパスして宿に戻った。 忘れかけていたコースの様子や全体像が頭に再インプットされる。移動のペースをオートバイ目線と、マウンテンバイクのペース。それぞれの移動ペースをイメージしておいて時間差を考えておくわけです。
レース前日もほぼ同じルートを巡回し、今度はライン上に転がっていた大きめな尖った落石を除去しておいた。選手の人たちの危険性やパンク率を下げたかったのも勿論だし、自分らのオートバイのパンクも撮影に支障をきたす。合流したモト隊には先に行ってもらい、本当のロケハンと石ころ退治に精を出す。
林道の合間の舗装区間も落石が多かったが、油断しがちな舗装路こそどかしておかないと大怪我の元。そんな除去作業もおおかた終わって夕方宿に戻ると、少し安心。この頃にはメディアの知人達も到着していたので、スタート地点の虹の森公園の一角でメディアと合同でミーティング。いよいよ明朝はレーススタート。機材の用意やバイクの給油を忘れないうちに終えた。
毎年の定宿である「末廣」の名物おばちゃんにはいつもご厄介になる。早めに夕飯をいただいて部屋に入ったのは良いが、コースの記録で一人実況中継して収録しておいたゴープロの映像バックアップしたりしているうちに、すっかり良い時間になってしまった。
翌朝未明。おばちゃんのダミ声で叩き起こされると、他のスタッフや選手の面々は既に食堂で朝食。ふわぁ!と焦って朝食を頂き、カメラ用のボディアーマーや特別製のアディダスのブーツを装着。山で使っても、ほとんどの場面で滑り落ちる事の無さそうな特殊部隊用のブーツが松野仕様の一部だ。
中川式松野仕様装備と小見流の松野仕様装備は、それぞれ撮影の流儀や好みの違う点で衣服や車両の改造が違っているのだが毎年お互いに改良を重ねているのが面白い。二人とも2年前の台風直撃の大会でカメラ一式があわや全滅しかけた経験があるため、対策を練るのも逆に楽しみになっているようだ。
レーススタートの後の打ち合わせで、舗装路のワインディング区間は無視して直線的に先回りしようかと話し合っていたのに、気がつけば二人とも選手達と一緒に舗装路ワインディング区間に入っていた。だって、既に途中の展開が面白そうだったんですもの…(自白)。おおよその予想通りのチームが先頭を引き、それに続いて親しみやすくてよく知った顔=山本カズさんらが続く。
滑床林道入り口で、動物の被り物を被った謎の集団が選手達の前に飛び出して水鉄砲をお見舞いするという歓迎儀式を撮るところで、最初のトラブルが発生。歩いてそこに向かう途中、木の枝にひっかかったためにボディアーマーに固定していたカメラのレンズとストロボが地面に直撃。ストロボがすっ飛んだ。そんな事にはおかまい無しで先頭集団は異常な早さで坂を上って来る。とっさにサブカメラで撮影。あ~もう。小銃が壊れて仕方無くハンドガンで撃ち合いになっちゃったみたいだ。
先頭集団~それ以降の中盤を中川カメラマンが担当。途中まではそのグループの映像を私が押さえつつ、後続集団以降の静止画像を撮る感じになっていたので、鹿のコル付近で”家元先生”の野点のシーンまで先頭集団付近の映像と静止画像を押さえた。この家元の先生がたてて下さるお茶は素晴らしく、山の上でなくそれなりの場所でいただくとしたら大変なモノ。こんな素敵な企画も他にはあるまい。そんな映像を収めるべくバイクの後ろに取付けたトップケースにはキャノンの業務用小型ビデオカメラとゴープロのヒーロー7が詰め込んである。積載量に限度のあるバイク、映像の記録はこれらが頼りだ。
曇りだった空は、もうこのあたりから雨になった。雨対策はしてあるが、参加選手に大きな怪我が無い事を祈るばかり。って、実は前々日の試走で砂利ベアリングのせいで一度転倒したのは内緒だ。
速い選手は、下り坂でオートバイよりも速く走る。これを先回りするには平坦路や上り坂で一気に距離に差を付けてカメラを構える時間を稼ぐしかない。クローズされた林道なればこそのペースアップだが、気を付けないと檜の山あいにあ~れ~!と落ちてしまう。この緊張感と楽しさは参加選手の方々も同様に感じることと思う。数カ所に設けられたエイドステーションにはご当地名物の食べ物あり、マッサージのエキスパートによるほぐしやファーストエイドの措置もおかれていて心強い。荷物を減らしたいのは私達も一緒なので、パンや水分をいただけるのは本当に有難い。
ハードな玖木林道を降りてエイドステーションで休養、さらに駄目押しのような日見須林道をクリアしていくと沈下橋の手前で鎧武者ペアの歓迎を受ける。ここにも喜びのエイドステーションがある。松野南小学校まで辿り着くと、雨にも負けずに元気に太鼓で出迎えるグループ(名称は要調査)に元気づけられてアドバンスクラスは、ここからスタート地点まで行けばゴール。
小学校を出て右に向かうアドバンスのグループを横目に、消耗がやや激しいアルティメットクラス出場の方々はちょっぴり羨ましそうに最後の山場=目黒林道に向かう。目黒林道は地図上で見ると小さく見えるが、標高は高く林道の路面はハード。景色の変わり方も大きい。
雨のせいかバイクのエンジンの調子がおかしくなってきた。これで自分がゴールどころか里へ戻れなかったら洒落にならないなぁとあちこちいじって調整、騙し騙し撮影も続行しながら再び松野南小学校脇まで戻ってこられた。終盤の選手達をある程度撮れたので、メディアの後方を走るサイスポさんの入っているチームがゴールするところまでは押さえるべく虹の森公園までグズつくバイクを走らせて、待機。そこで中川カメラマンと再会すると、彼もどうやら酷い目にあったらしい(当日は不明だった)。
既にゴールし終えていた方々はすっかりリラックスして着替えをしたり、スポーツマッサージを受けて筋肉をほぐしている方もいて和やかな様相。最終グループが到着するまで、滑床林道で迎撃をした被り物の女子グループも歓迎しようと待つ。傍らで残っていた豚汁をいただいて軽く空腹を満たす。美味い!役場の女性陣は最後までおもてなしの精神を忘れずに、明るかった。サイスポ含むひよこ倶楽部チームの撮影を終え、ほぼ予定カットを全て終了。皆さん、お疲れさまでした!と一同。あ~面白かった。
何だか自分の故郷みたいな感じになっている松野の町、そして仲間達。ハードでありながらもこんな愉快な山岳レースに関わらせていただいている私は、幸せだ。
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