2019/02/19(火) - 13:22
自転車と鉄道、二つを愛する「テツ店長」ことバイクプラス多摩センターの河井孝介さんの輪行サイクリング紀行。今回は三重県を鉄道という観点でディープに掘り下げるレポートをお届けします。
読者のみなさん、お久しぶりのテツ店長です!だいぶ間が空いてしまい、ちょっと季節感がなくてごめんなさいですが、今回は夏の青春18きっぷを使って、以前から気になっていた三重県の鉄道スポットを一気に巡って来たハナシ。
三重県の観光スポットと言えばみなさんどんな場所をイメージするでしょう?伊勢神宮や鈴鹿サーキットと言ったところですかねぇ…。正直、ありていに言って『地味』と言う印象の方が多いかも知れませんが、これが鉄道ファンにとっては気になるコンテンツの集まる、ある意味で聖地のような場所だったりするのだから分からないものです。
それらのほとんどが昔からあるもので、時代の変化の中で取り残されつつも、何とかこの平成の世まで生き残ることが出来たのだから、運にも味方されていたということでしょうか?そんな鉄道のテーマパークのような三重県のコンテンツを探索しに、今回は旅に出かけてきました。
ということで、いつもに増して鉄分豊富な内容となっておりますので、読者のみなさんも心して付きあってくださいね(笑)
春・夏・冬の休み時期に合わせて発売される"青春18きっぷ"ですが、超格安なのに加えてその時期に合わせて運行される便利な臨時列車が運行されるので、今回もまたこれを利用することにします。
仕事を終わらせてさっさと家に帰ったら、あらかじめ準備していた荷物を背負って「行ってきまーす!」と飛び出して夜の"横浜駅"へ。ここから東海道本線を西へ向かう臨時の夜行列車"ムーンライトながら"に乗りこみます。しばしば遅れる"ながら"ですが、この日は定刻の23:36にやって来ました。
この日も満席の車内放送が繰り返し流れていましたが、"横浜"出発時点ではまだ座席の埋まり方は6~7割といったところなのはいつも通り。残りは日付けの変わった次の停車駅"小田原"(0:31発)でドッと乗り込んで来てほぼ満席になりました。
これは何故かというと、5回分が1枚となった"青春18きっぷ"は、1回分が一日有効ということが原因で、18きっぱーにとっては都内や横浜から日付のかわる小田原までの運賃をどうするかが悩ましいわけです。
結果として、それなら運賃の安い小田急線で小田原まで行って乗り換えよう!という結論になるのが18きっぱーの性だったりするわけですね(笑)
小田原を出た"ムーンライトながら"は、余裕のある運行ダイヤ設定ということもあり、途中駅で長時間の停車や運転停車(扉は開かないけど駅に止まる)を繰り返しながら、深夜の東海道線を急がずに西へと向かって行ったのでした。
そんなながらでの一夜を過ごし、列車は定刻の5:19に名古屋駅に到着しました。早朝でまだ人気の少ない名古屋駅でしたが、ここから関西本線に乗り換えて、一路"三重県"を目指してゆきます。
こちらの路線、"本線"を名乗っているのがやや大げさに思える、見た目はいかにもローカル線風情ですが、その歴史は古く1895年に民営の関西鉄道として開業し、官設鉄道の東海道本線と名阪間で激しい競争を繰り広げていた時代もあったそうです。
スピードや運賃の割引、記念品を配ったりと、それは激しい乗客の争奪戦だったようですが、その後"鉄道国有法"により1905年に国有化され、それ以来"関西本線"を名乗るようになり、主役の座を東海道本線に譲って以来ローカル線化していったという歴史があるそうです。
人気の無いホームを静かに出発した5:40発の関西本線・始発列車"亀山"ゆきでしたが、車内は乗客もまばらで、自転車の置き場に困ることもありませんでした。
あとは下車駅まで40分少々車窓を眺めているだけですが、まあテツ的に気になるものが次々の視界に入ってきて落ち着きません!
最近すっかりと数を減らした国鉄型ディーゼル機関車DD51や、貴重なナローゲージ軌間(762mm)の三岐鉄道北勢線の車両などが次々とあらわれて目を楽しませてくれます(笑)
そんなこんなであっという間に下車駅の"富田"までやって来てしまいました!こちらの駅は貨物輸送のジャンクションとなっておりまして、広い駅構内には先ほども見たDD51型ディーゼル機関車や、内陸部から三岐鉄道で運ばれてきたセメント貨車がたむろしていて、テツ店長的にはしばらくこのまま眺めていたいくらいでしたが、目的地までもう少しあるので、いったん改札を出て、少し離れた"近鉄富田"まで自転車を担いで歩いて行ったのでした。
約5分ほど歩くと近鉄富田駅がありました。先ほどの三岐鉄道の乗り換え駅ははこちらとなっており、乗客はここから近鉄線に乗り換えます。貨物列車は手前で分かれてJRの富田に乗り入れて、貨車ごとJRにバトンタッチするという、これまたテツ的には興味深い構造をした駅なのでした(笑)
まもなくすると近鉄の普通列車がやってきました!いかにも近鉄顔(笑)のちょっと古めの電車を見るにつけ、遠くまでやってきたんだなあ…と少々感慨にふけっている間にも、電車は本日第一の目的地"近鉄四日市"に向かって行きます。
じつはさきほど乗車した関西本線にも四日市駅があるのですが、ふたつの駅の距離が1km以上離れており、自転車を担いでの乗り換えは困難と判断して、比較的駅間の距離が近い"富田"で乗り換えることにした次第なのでした。
近鉄電車を下りると、隣接する"あすなろう四日市駅"に向かいます。『あすなろう』というちょっとナゾなネーミングですが、こちら"四日市あすなろう鉄道"と申しまして、未来への希望(明日に向かって)とナローゲージ(軌間762mm)が由来だそうで、日本国内で現在も現役なのは、さきほど見た三岐鉄道北勢線と、黒部峡谷鉄道の三つだけという、今や超貴重な路線なのです!
ちなみに"四日市あすなろう鉄道"と"三岐鉄道北勢線"はもともと近畿日本鉄道(近鉄)の路線だったものが、近年の収支悪化で存続の危機に陥り、それぞれ地元の自治体と鉄道会社が経営を引き継いで運行を継続しているものなのです。
そんな苦難のローカル鉄道に少しでも脚光が当たればという思いと、単純に乗ってみたいという動機半々で、今回輪行でナローゲージ鉄道に乗車というコースを考えてみた次第(笑)
先ほどから何度も出てきている"ナローゲージ"ですが、きっとほとんどの方にはわからない用語だと思うので、ここでちょっとだけ説明させてもらいます。要するにナロー(狭い)なゲージ(線路の幅)ということで、ざっくり言うとJRの在来線や多くの私鉄(1067mm)や、新幹線や一部の私鉄(1435mm)などと比べて線路の幅が狭い鉄道のことを言います。
この規格はもともと"軽便鉄道"と言われておりまして、明治時代に全国に鉄道網を整備してゆく中、地方などでも簡易的に鉄道を敷設できるようにするために定められたもので、時代が進むにつれてそのほとんどが廃止されたり、一般の鉄道線に格上げされたりして消えて無くなっていったのでした。
そんな歴史的遺産とも言えるナローゲージが2つも残っているのですから三重県てスゴい!やはりここはテツにとって聖地と言っても過言ではありません!!
さっそく改札を通過してホームに入ってゆくと、何やらやけに幅の狭い電車がいました!大きな輪行袋を持って乗車するのがちょっと憚られましたが、幸い車内はほどほどに空いていたので、空いたスペースに自転車を置いて車内を見回してみると…
やっぱり車内が狭い…と言うか、全体的に全部小さい(汗)。ちょっとおもちゃみたいな乗り物ですが、これはれっきとした地域の公共交通機関で、けなげに狭いレールの上をトコトコと走っている姿が愛おしく感じられます。
終始最前列にかぶりついて観察していると、あっという間に終点の"内部"に到着してしまいました。まあ四日市からは5.7kmしかないので、自転車で走ってもすぐに着いてしまう距離ではありますが、今回は乗るのが目的の輪行だったので、とりあえず全線乗車できて大満足なのでした(笑)
いやはや、読者の皆様もここまで長らくのご乗車お疲れさまでした!あまりにも長い乗レポートでしたが、ここから先はサイクリングになるのでご安心ください(笑)。さっそく内部駅前で自転車を組み立てて走り始めます。とはいっても今まで乗って来た"四日市あすなろう鉄道・内部線"に沿って四日市まで戻るだけなのですが…。
今度は走っている小さな電車を沿線から眺めながら、ポタポタと走ってゆきました。とは言っても6km足らずの距離なので、あっと言うまに戻って来てしまいましたが(汗)
早朝から頑張って?活動してきたためすっかり腹ペコの状態。とりあえず朝食をという事で、事前に店の三重県出身の同僚からすすめられていた、早朝から開いているおにぎりや屋さんに立ち寄ることにしました。
ここで、おにぎりと玉子焼き、味噌汁を頼んで店内で頂きましたが、おにぎりだけに限らず、メニューの種類も多く日本食のファーストフード店といった感じで、ひと時充電したら次の目的地に向かうことにします。
次に向かったのはJRの四日市駅。ここから四日市港に向かう側線が伸びており、その線路に沿うようにして自転車を走らせて行くと、前方に何やら巨大な構造物が見えてきました!
これがまたスゴい施設で、国内では唯一現役の「跳開式可動橋」の"末広橋梁"です!これまたよく分からない用語が出てきましたが、要するに普段は船が通行できるように跳ね上げられていて、列車が通過する時だけ橋が下がってきて線路がつながると言う、今やここでしか見ることのできない貴重なものなのであります!
ちなみにこちらの"末広橋梁"は1931年竣工という骨董品級の橋梁で、リベット留めされた鉄製の橋げたを、むき出しのワイヤーで上げ下げするという無骨な造り。見るからに歴史の重みを感じさせるものでした。
あまりにも貴重なので国の重要文化財にも指定されているほどで、もっと観光スポットとして有名になっても良さそうなものだとも思いますが、とにかくマニアックですからねえ…。
なので、テツ店長がこの場を借りて、全国にアピールしておきましょう!ここはテツもサイクリストも一見の価値があるので、ぜひ四日市へいらしてください(笑)。この日も特に他に見物客がいるわけでは無く、列車が通過するまでの数十分、ひとり炎天下で待機するのは、なかなかにキビしいものがありました(涙)
そしてもうそろそろかな?などと思って時計を見ていると、軽トラに乗った作業員の方がやって来て、橋のたもとにある小屋(機械室)に入ってなにやら操作をはじめると、いよいよ橋が動き出しました!
橋げたがゆっくりと下りてくると、さっきまでとは景色が変わって立派な橋梁が目の前に現れました!
そしてまもなく、本日もこれまで何度も登場して来ているDD51ディーゼル機関車が現われて、セメントを積んだ貨車を牽引してゴトゴトと橋を渡ってゆきました。これがおもちゃの世界を見ているようで、何とも楽しげな風景でしたね(笑)
貨物列車が通過してゆきましたが、この先で何が行われるのか気になってしかたがないので、列車を追いかけてこの先の人工島に渡って行くと、さきほどの機関車が引き連れてきたセメント貨車を切り離して待機している現場を発見!どうやらここで貨車の交換を行う模様です。
しばらくすると、奥の方から見慣れない茶色い機関車に曳かれた空のセメント貨車がやってきました。こちらはこの先にあるセメント工場所属の機関車のようですが、まあレトロでいい味出してます(笑)
ここで手際よくお互いが牽いてきた貨車を交換して、それぞれがもと来た線路を戻ってゆくところを見届けて、これにて四日市でのミッションが終了です。
大して走ってはいませんが、一仕事終えてJRの四日市駅へ戻って来ました。ここからはふたたび輪行で次の場所へ向かうため、さっさと自転車を分解して移動の準備を行います。
ここから再び関西本線に乗り、亀山駅で紀勢本線に乗り換えて、あの松阪牛で有名な?松阪駅へ向かいます。乗り換えも含め、正味1時間半くらいの列車の旅でしたが、とにかく日が高くなるほどに気温も上がっていたので、涼しい車内から景色を眺めつつの移動はなんと快適なことでしょう!
もうこのまま一日電車の旅も良いかも…などといった誘惑と戦っているうちに、列車は次の乗り換え駅の"松阪駅"に到着しました。時間は正午を回り、乗り換えの待ち時間も1時間以上あったため、ここで昼食を済ませておくことにします。
せっかく松阪に来たのだから松阪牛でも…といった誘惑ももちろんありましたが、まあそんな贅沢もできないので、ここは事前に三重県出身の同僚から聞いていた"まぐろ料理・浅野屋"さんにお邪魔しました。
注文した一日10食限定の"まぐろづくし豪快丼"は、赤身、腹身、ねぎとろ、まぐろの唐揚げ、玉子の5種類が入った『豪快丼』の名に恥じない内容で、どれも美味しく間違いありませんが、個人的にはまぐろの唐揚げが一番気に入りました(笑)
お腹も満足したら、またまた次の列車に乗って移動を再開です!輪行サイクリングと言うものの、ここまで自転車のパートが少ないのがちょっと心苦しいのですが、この先に乗車する"名松線"がまたなかなかディープなローカル線で、今回はこの路線に乗るためにここまでやって来たといっても過言ではありません!
という事で、奇跡の復活を遂げたローカル線紀行(とその後のサイクリング)は、後編でまたあらためてご紹介させていただきます!
次回にも乞うご期待!
旅する人 河井孝介プロフィール
バイクプラス多摩センターの店長を務める50歳。前職で足かけ10年にわたる勤務を鉄道の無い(モノレール除く)沖縄県で過ごした反動からか、帰京後は輪行サイクリングの虜となり、現在は鉄道と自転車を組み合わせ、鉄道廃線跡や未成線など鉄道の歴史を辿るサイクリングをライフワークとする。鉄道趣味のジャンルは「乗り鉄」。旧国鉄型車両を心から愛し、ひそかにJR全線乗車にチャレンジ中。非常勤の防衛省職員である予備三等陸曹の身分も合わせ持っている。
読者のみなさん、お久しぶりのテツ店長です!だいぶ間が空いてしまい、ちょっと季節感がなくてごめんなさいですが、今回は夏の青春18きっぷを使って、以前から気になっていた三重県の鉄道スポットを一気に巡って来たハナシ。
三重県の観光スポットと言えばみなさんどんな場所をイメージするでしょう?伊勢神宮や鈴鹿サーキットと言ったところですかねぇ…。正直、ありていに言って『地味』と言う印象の方が多いかも知れませんが、これが鉄道ファンにとっては気になるコンテンツの集まる、ある意味で聖地のような場所だったりするのだから分からないものです。
それらのほとんどが昔からあるもので、時代の変化の中で取り残されつつも、何とかこの平成の世まで生き残ることが出来たのだから、運にも味方されていたということでしょうか?そんな鉄道のテーマパークのような三重県のコンテンツを探索しに、今回は旅に出かけてきました。
ということで、いつもに増して鉄分豊富な内容となっておりますので、読者のみなさんも心して付きあってくださいね(笑)
春・夏・冬の休み時期に合わせて発売される"青春18きっぷ"ですが、超格安なのに加えてその時期に合わせて運行される便利な臨時列車が運行されるので、今回もまたこれを利用することにします。
仕事を終わらせてさっさと家に帰ったら、あらかじめ準備していた荷物を背負って「行ってきまーす!」と飛び出して夜の"横浜駅"へ。ここから東海道本線を西へ向かう臨時の夜行列車"ムーンライトながら"に乗りこみます。しばしば遅れる"ながら"ですが、この日は定刻の23:36にやって来ました。
この日も満席の車内放送が繰り返し流れていましたが、"横浜"出発時点ではまだ座席の埋まり方は6~7割といったところなのはいつも通り。残りは日付けの変わった次の停車駅"小田原"(0:31発)でドッと乗り込んで来てほぼ満席になりました。
これは何故かというと、5回分が1枚となった"青春18きっぷ"は、1回分が一日有効ということが原因で、18きっぱーにとっては都内や横浜から日付のかわる小田原までの運賃をどうするかが悩ましいわけです。
結果として、それなら運賃の安い小田急線で小田原まで行って乗り換えよう!という結論になるのが18きっぱーの性だったりするわけですね(笑)
小田原を出た"ムーンライトながら"は、余裕のある運行ダイヤ設定ということもあり、途中駅で長時間の停車や運転停車(扉は開かないけど駅に止まる)を繰り返しながら、深夜の東海道線を急がずに西へと向かって行ったのでした。
そんなながらでの一夜を過ごし、列車は定刻の5:19に名古屋駅に到着しました。早朝でまだ人気の少ない名古屋駅でしたが、ここから関西本線に乗り換えて、一路"三重県"を目指してゆきます。
こちらの路線、"本線"を名乗っているのがやや大げさに思える、見た目はいかにもローカル線風情ですが、その歴史は古く1895年に民営の関西鉄道として開業し、官設鉄道の東海道本線と名阪間で激しい競争を繰り広げていた時代もあったそうです。
スピードや運賃の割引、記念品を配ったりと、それは激しい乗客の争奪戦だったようですが、その後"鉄道国有法"により1905年に国有化され、それ以来"関西本線"を名乗るようになり、主役の座を東海道本線に譲って以来ローカル線化していったという歴史があるそうです。
人気の無いホームを静かに出発した5:40発の関西本線・始発列車"亀山"ゆきでしたが、車内は乗客もまばらで、自転車の置き場に困ることもありませんでした。
あとは下車駅まで40分少々車窓を眺めているだけですが、まあテツ的に気になるものが次々の視界に入ってきて落ち着きません!
最近すっかりと数を減らした国鉄型ディーゼル機関車DD51や、貴重なナローゲージ軌間(762mm)の三岐鉄道北勢線の車両などが次々とあらわれて目を楽しませてくれます(笑)
そんなこんなであっという間に下車駅の"富田"までやって来てしまいました!こちらの駅は貨物輸送のジャンクションとなっておりまして、広い駅構内には先ほども見たDD51型ディーゼル機関車や、内陸部から三岐鉄道で運ばれてきたセメント貨車がたむろしていて、テツ店長的にはしばらくこのまま眺めていたいくらいでしたが、目的地までもう少しあるので、いったん改札を出て、少し離れた"近鉄富田"まで自転車を担いで歩いて行ったのでした。
約5分ほど歩くと近鉄富田駅がありました。先ほどの三岐鉄道の乗り換え駅ははこちらとなっており、乗客はここから近鉄線に乗り換えます。貨物列車は手前で分かれてJRの富田に乗り入れて、貨車ごとJRにバトンタッチするという、これまたテツ的には興味深い構造をした駅なのでした(笑)
まもなくすると近鉄の普通列車がやってきました!いかにも近鉄顔(笑)のちょっと古めの電車を見るにつけ、遠くまでやってきたんだなあ…と少々感慨にふけっている間にも、電車は本日第一の目的地"近鉄四日市"に向かって行きます。
じつはさきほど乗車した関西本線にも四日市駅があるのですが、ふたつの駅の距離が1km以上離れており、自転車を担いでの乗り換えは困難と判断して、比較的駅間の距離が近い"富田"で乗り換えることにした次第なのでした。
近鉄電車を下りると、隣接する"あすなろう四日市駅"に向かいます。『あすなろう』というちょっとナゾなネーミングですが、こちら"四日市あすなろう鉄道"と申しまして、未来への希望(明日に向かって)とナローゲージ(軌間762mm)が由来だそうで、日本国内で現在も現役なのは、さきほど見た三岐鉄道北勢線と、黒部峡谷鉄道の三つだけという、今や超貴重な路線なのです!
ちなみに"四日市あすなろう鉄道"と"三岐鉄道北勢線"はもともと近畿日本鉄道(近鉄)の路線だったものが、近年の収支悪化で存続の危機に陥り、それぞれ地元の自治体と鉄道会社が経営を引き継いで運行を継続しているものなのです。
そんな苦難のローカル鉄道に少しでも脚光が当たればという思いと、単純に乗ってみたいという動機半々で、今回輪行でナローゲージ鉄道に乗車というコースを考えてみた次第(笑)
先ほどから何度も出てきている"ナローゲージ"ですが、きっとほとんどの方にはわからない用語だと思うので、ここでちょっとだけ説明させてもらいます。要するにナロー(狭い)なゲージ(線路の幅)ということで、ざっくり言うとJRの在来線や多くの私鉄(1067mm)や、新幹線や一部の私鉄(1435mm)などと比べて線路の幅が狭い鉄道のことを言います。
この規格はもともと"軽便鉄道"と言われておりまして、明治時代に全国に鉄道網を整備してゆく中、地方などでも簡易的に鉄道を敷設できるようにするために定められたもので、時代が進むにつれてそのほとんどが廃止されたり、一般の鉄道線に格上げされたりして消えて無くなっていったのでした。
そんな歴史的遺産とも言えるナローゲージが2つも残っているのですから三重県てスゴい!やはりここはテツにとって聖地と言っても過言ではありません!!
さっそく改札を通過してホームに入ってゆくと、何やらやけに幅の狭い電車がいました!大きな輪行袋を持って乗車するのがちょっと憚られましたが、幸い車内はほどほどに空いていたので、空いたスペースに自転車を置いて車内を見回してみると…
やっぱり車内が狭い…と言うか、全体的に全部小さい(汗)。ちょっとおもちゃみたいな乗り物ですが、これはれっきとした地域の公共交通機関で、けなげに狭いレールの上をトコトコと走っている姿が愛おしく感じられます。
終始最前列にかぶりついて観察していると、あっという間に終点の"内部"に到着してしまいました。まあ四日市からは5.7kmしかないので、自転車で走ってもすぐに着いてしまう距離ではありますが、今回は乗るのが目的の輪行だったので、とりあえず全線乗車できて大満足なのでした(笑)
いやはや、読者の皆様もここまで長らくのご乗車お疲れさまでした!あまりにも長い乗レポートでしたが、ここから先はサイクリングになるのでご安心ください(笑)。さっそく内部駅前で自転車を組み立てて走り始めます。とはいっても今まで乗って来た"四日市あすなろう鉄道・内部線"に沿って四日市まで戻るだけなのですが…。
今度は走っている小さな電車を沿線から眺めながら、ポタポタと走ってゆきました。とは言っても6km足らずの距離なので、あっと言うまに戻って来てしまいましたが(汗)
早朝から頑張って?活動してきたためすっかり腹ペコの状態。とりあえず朝食をという事で、事前に店の三重県出身の同僚からすすめられていた、早朝から開いているおにぎりや屋さんに立ち寄ることにしました。
ここで、おにぎりと玉子焼き、味噌汁を頼んで店内で頂きましたが、おにぎりだけに限らず、メニューの種類も多く日本食のファーストフード店といった感じで、ひと時充電したら次の目的地に向かうことにします。
次に向かったのはJRの四日市駅。ここから四日市港に向かう側線が伸びており、その線路に沿うようにして自転車を走らせて行くと、前方に何やら巨大な構造物が見えてきました!
これがまたスゴい施設で、国内では唯一現役の「跳開式可動橋」の"末広橋梁"です!これまたよく分からない用語が出てきましたが、要するに普段は船が通行できるように跳ね上げられていて、列車が通過する時だけ橋が下がってきて線路がつながると言う、今やここでしか見ることのできない貴重なものなのであります!
ちなみにこちらの"末広橋梁"は1931年竣工という骨董品級の橋梁で、リベット留めされた鉄製の橋げたを、むき出しのワイヤーで上げ下げするという無骨な造り。見るからに歴史の重みを感じさせるものでした。
あまりにも貴重なので国の重要文化財にも指定されているほどで、もっと観光スポットとして有名になっても良さそうなものだとも思いますが、とにかくマニアックですからねえ…。
なので、テツ店長がこの場を借りて、全国にアピールしておきましょう!ここはテツもサイクリストも一見の価値があるので、ぜひ四日市へいらしてください(笑)。この日も特に他に見物客がいるわけでは無く、列車が通過するまでの数十分、ひとり炎天下で待機するのは、なかなかにキビしいものがありました(涙)
そしてもうそろそろかな?などと思って時計を見ていると、軽トラに乗った作業員の方がやって来て、橋のたもとにある小屋(機械室)に入ってなにやら操作をはじめると、いよいよ橋が動き出しました!
橋げたがゆっくりと下りてくると、さっきまでとは景色が変わって立派な橋梁が目の前に現れました!
そしてまもなく、本日もこれまで何度も登場して来ているDD51ディーゼル機関車が現われて、セメントを積んだ貨車を牽引してゴトゴトと橋を渡ってゆきました。これがおもちゃの世界を見ているようで、何とも楽しげな風景でしたね(笑)
貨物列車が通過してゆきましたが、この先で何が行われるのか気になってしかたがないので、列車を追いかけてこの先の人工島に渡って行くと、さきほどの機関車が引き連れてきたセメント貨車を切り離して待機している現場を発見!どうやらここで貨車の交換を行う模様です。
しばらくすると、奥の方から見慣れない茶色い機関車に曳かれた空のセメント貨車がやってきました。こちらはこの先にあるセメント工場所属の機関車のようですが、まあレトロでいい味出してます(笑)
ここで手際よくお互いが牽いてきた貨車を交換して、それぞれがもと来た線路を戻ってゆくところを見届けて、これにて四日市でのミッションが終了です。
大して走ってはいませんが、一仕事終えてJRの四日市駅へ戻って来ました。ここからはふたたび輪行で次の場所へ向かうため、さっさと自転車を分解して移動の準備を行います。
ここから再び関西本線に乗り、亀山駅で紀勢本線に乗り換えて、あの松阪牛で有名な?松阪駅へ向かいます。乗り換えも含め、正味1時間半くらいの列車の旅でしたが、とにかく日が高くなるほどに気温も上がっていたので、涼しい車内から景色を眺めつつの移動はなんと快適なことでしょう!
もうこのまま一日電車の旅も良いかも…などといった誘惑と戦っているうちに、列車は次の乗り換え駅の"松阪駅"に到着しました。時間は正午を回り、乗り換えの待ち時間も1時間以上あったため、ここで昼食を済ませておくことにします。
せっかく松阪に来たのだから松阪牛でも…といった誘惑ももちろんありましたが、まあそんな贅沢もできないので、ここは事前に三重県出身の同僚から聞いていた"まぐろ料理・浅野屋"さんにお邪魔しました。
注文した一日10食限定の"まぐろづくし豪快丼"は、赤身、腹身、ねぎとろ、まぐろの唐揚げ、玉子の5種類が入った『豪快丼』の名に恥じない内容で、どれも美味しく間違いありませんが、個人的にはまぐろの唐揚げが一番気に入りました(笑)
お腹も満足したら、またまた次の列車に乗って移動を再開です!輪行サイクリングと言うものの、ここまで自転車のパートが少ないのがちょっと心苦しいのですが、この先に乗車する"名松線"がまたなかなかディープなローカル線で、今回はこの路線に乗るためにここまでやって来たといっても過言ではありません!
という事で、奇跡の復活を遂げたローカル線紀行(とその後のサイクリング)は、後編でまたあらためてご紹介させていただきます!
次回にも乞うご期待!
旅する人 河井孝介プロフィール
バイクプラス多摩センターの店長を務める50歳。前職で足かけ10年にわたる勤務を鉄道の無い(モノレール除く)沖縄県で過ごした反動からか、帰京後は輪行サイクリングの虜となり、現在は鉄道と自転車を組み合わせ、鉄道廃線跡や未成線など鉄道の歴史を辿るサイクリングをライフワークとする。鉄道趣味のジャンルは「乗り鉄」。旧国鉄型車両を心から愛し、ひそかにJR全線乗車にチャレンジ中。非常勤の防衛省職員である予備三等陸曹の身分も合わせ持っている。