2018/12/07(金) - 12:10
ツール・ド・おきなわでも勝利経験のある店長の岩島啓太さん(エイジサイクル)が台湾で行われたアマチュアステージレース、デフ・ツール・ド・フォルモサに参戦したレポートをお届け。vol.1では前日編から第2ステージまでの模様を紹介する。
◆デフ・ツール・ド・フォルモサ
このたび私はデフ・ツール・ド・フォルモサというステージレースに参加してきました。英語名で「Zhuo Chuang Cycling Tour de Formosa of the Deaf」。フォルモサはヨーロッパ圏の言葉で台湾を意味し、デフは聾者を意味します。世界各国を代表するデフ選手と、台湾の健聴者チーム、今回は日本からも1チーム出場権が与えられ、私も参加させてもらうことができました。
デフ・ツール・ド・フォルモサは1週間に渡り行われ、台湾をほぼ一周しながら7ステージ、約900km走る非常に規模の大きなステージレースです。レースは2年に1回行われ、次の開催は2020年とのことです。私が知る限り、アマチュアが参加できる大会としては最高難易度のステージレースだと思います。
◆今回の目標
初参加の大会なので選手達のレベルは分からないのですが、事前にデフジャパンの選手に教えて頂いた情報だと日本のJBCFでいうE1~E2レベルとのこと。今回の私の目標はステージ優勝を含む個人総合優勝。チーム力次第ではチーム上位入賞です。
それよりもデフのトップ選手や海外の強豪選手達と切磋琢磨して能力やスキルを高めていきたいという思いがありました。実際に走ってみると選手の脚力はP~E3とばらつきがある感じでした。ですが、戦略や走行スキルは総じて高かったと思います。
◆交通事情
ツールドフランスの様に町から町へと移動するラインレースなので、隊列を組んで先頭に数十台の先導バイク、コミッセールカー数台、各チームカー数十台、選手用移動大型バス2台、警察を含む大移動でした。
大都市を通るときは事前に全ての交差点を警察が交通整理するという徹底ぶり。これによりパレード区間の都市部はスムーズに通過しました。台湾の自転車に対する意識と理解を垣間見ることが出来ました。ただ、完全クローズしている区間以外、対向車線は規制していないので対向車には注意が必要でした。
◆事前準備
まずトレーニングですが、1ヶ月前から調子を合わせるのに天候に左右されないローラー台でのZWIFT練習を多用しました。インターバルを中心に朝夜1時間ずつトレーニングし、10月は週末レースをこなしつつ1700kmほど走りこの大会に備えました。
レース2週間前に体調を崩し練習を休みましたが、それがかえって良い調整期間になったようです。本格的なステージレースに参加させてもらうのは10年ぶりくらい。しかも海外での1週間のステージレースは初なので、色々と準備が足りない部分があり反省。今後に生かそうと思います。
ルール
・ステージ途中でリタイアしても翌ステージは出走できる。
・ステージ途中リタイアのリザルトは最終完走者+1時間のタイムが与えられる。
・チーム順位はステージごとチーム内上位3名のタイムで計算される。
・補給食などのゴミの投棄禁止 失格(途中から厳格化)
・対向車線を走行禁止 失格(途中から厳格化)
・総合順位のほかにデフと健聴者で別々の順位が与えられる。
・ステージ優勝はデフ選手、健聴選手それぞれに与えられ翌ステージは白ジャージを着て出走できる。
・総合トップ選手は黄色ジャージを獲得し、翌ステージで着用し出走できる。
・山岳賞KOMが設定され、トップ通過者には山岳賞ジャージが与えられる。
◆11/3デフ・ツール・ド・フォルモサ受付
台湾の桃園空港に降り立ち、そこからは送迎車で最初の宿泊地に向かう。基本的に出場選手全員が同じホテルに泊まり、そこの会場で大会側が翌日のステージの説明をするというのが1週間のステージレースにおける毎日の流れになる。
ホテルに着き、同行している竹芝サイクルレーシングチームの齋藤和輝選手以外の選手と顔合わせをした。オランダで活動している中原恭恵選手、竹芝サイクルレーシングチームの加藤淳一選手と一緒に健聴チームの4名として即席チームでレースに臨む。
デフ・ジャパンチームはリーダーの早瀬憲太郎選手、早瀬久美選手、川野健太選手。レース中の意思疎通の為に、皆のニックネームを手話で決め、他にもアタック、補給、逃げなどの簡単な手話を教えてもらった。
◆11/4第1ステージ
コース:台北→基隆 距離86km 獲得標高640m KOMあり
天候:雨のち曇り 23℃
街の中心地からスタートなのでパレード区間が長く、郊外に出たところでリアルスタート。これはこの後全ステージ共通の流れとなる。コースは2つの登りをこなし海岸線に出てから平坦ゴールする。
最初の登りからかなりスピードが速い。ここは206番のSNYチームの呉(イ)選手が積極的な動きを見せていた。台湾の選手は誰が強いのか把握してないので、常に周りの選手の動きを見渡しながら走る。最初の登りを終え、頂上のトンネルに先頭集団10名ほどで入るとかなりペースが落ち着いた。後続が追いついてきたタイミングで、暗闇に乗じて静かに先頭でアタックし抜け出す。
不意をついたアタックでタイミングに結構自信があった。案の定、後続と離れたのでそのまま次の山頂のKOMポイントまで逃げることにした。齋藤選手が後続集団でペースダウンのアシストをしてくれていたようだ。雨脚が強まる下りの中、後ろとは300mほど離れたので、追ってくる集団を尻目に結構余裕を持って次の山頂KOMポイントを先頭クリア。まず1つ爪痕を残すことが出来た。
下りで後続集団を待つと約50名の選手が合流してきて40km先のゴールを目指す。ここで残念ながら日本健聴チームの加藤選手と中原選手が遅れてDNFになってしまい、初日にして日本健聴チームは総合上位を望めなくなった。
海岸沿いは向かい風なのでなるべく集団で脚を貯め、ラスト3kmの街中に入るところからポジションを上げていく。レース巧者の齋藤選手が先頭付近に陣取ってくれていたため、そこまでまず集団の合間を縫うように走り、追いつく。ちょうど齋藤選手の後ろについたところで、私の左側で落車が発生。間一髪で逃れ、ラストのスプリントに備えた。
齋藤選手がリードアウトでいい位置に引っ張ってくれたのでスプリントは絶対に負けられない。左からE-maチームの車列が伸びてきたので乗り換えスプリント開始。YBTチームの頼(ライ)選手と微程式チームの劉(リュウ)選手に先行されたが、ぎりぎりでまくり返し、勝利!病み明けだが今季一調子が良い。デフジャパンからも川野選手がデフで3位に入り、初日は最高の形でスタートできた。
◆11/5第2ステージ
コース:桃園→台中 距離140km 獲得標高450m KOMあり
天候:晴れ時々曇り 28℃
前日のレースの表彰式をスタート前に行った。総合の黄色ジャージ、ステージ優勝の白ジャージ、山岳賞のKOMジャージを授与され他のチームに目をつけられることに。パレード区間の距離はアバウトで、交通状況によって変わる。この日は40km地点までパレード走行で、残り100kmからレースが始まった。高速道路を使ったレースはスピードが乗り、50km/hオーバーで巡航したためギアがアウター52Tだと足りないという初体験。
途中で数名の逃げが発生してそのままKOMポイントまで逃げ切られてしまった。その後、逃げを吸収したタイミングで昇陽チームのRene Borst選手がアタック。それに4名が追いつきぐんぐんと差を広げていく。こちらも50km/hほどのスピードが出ていたが、全然差が縮まらない。ラストに近づき積極的に集団を牽引するが結局1分半ほどの差で逃げ切られてしまった。100kmを約2時間、50km/h弱で走る高速レースだった。個人総合は6位に転落。
vol.2へ続く
◆デフ・ツール・ド・フォルモサ
このたび私はデフ・ツール・ド・フォルモサというステージレースに参加してきました。英語名で「Zhuo Chuang Cycling Tour de Formosa of the Deaf」。フォルモサはヨーロッパ圏の言葉で台湾を意味し、デフは聾者を意味します。世界各国を代表するデフ選手と、台湾の健聴者チーム、今回は日本からも1チーム出場権が与えられ、私も参加させてもらうことができました。
デフ・ツール・ド・フォルモサは1週間に渡り行われ、台湾をほぼ一周しながら7ステージ、約900km走る非常に規模の大きなステージレースです。レースは2年に1回行われ、次の開催は2020年とのことです。私が知る限り、アマチュアが参加できる大会としては最高難易度のステージレースだと思います。
◆今回の目標
初参加の大会なので選手達のレベルは分からないのですが、事前にデフジャパンの選手に教えて頂いた情報だと日本のJBCFでいうE1~E2レベルとのこと。今回の私の目標はステージ優勝を含む個人総合優勝。チーム力次第ではチーム上位入賞です。
それよりもデフのトップ選手や海外の強豪選手達と切磋琢磨して能力やスキルを高めていきたいという思いがありました。実際に走ってみると選手の脚力はP~E3とばらつきがある感じでした。ですが、戦略や走行スキルは総じて高かったと思います。
◆交通事情
ツールドフランスの様に町から町へと移動するラインレースなので、隊列を組んで先頭に数十台の先導バイク、コミッセールカー数台、各チームカー数十台、選手用移動大型バス2台、警察を含む大移動でした。
大都市を通るときは事前に全ての交差点を警察が交通整理するという徹底ぶり。これによりパレード区間の都市部はスムーズに通過しました。台湾の自転車に対する意識と理解を垣間見ることが出来ました。ただ、完全クローズしている区間以外、対向車線は規制していないので対向車には注意が必要でした。
◆事前準備
まずトレーニングですが、1ヶ月前から調子を合わせるのに天候に左右されないローラー台でのZWIFT練習を多用しました。インターバルを中心に朝夜1時間ずつトレーニングし、10月は週末レースをこなしつつ1700kmほど走りこの大会に備えました。
レース2週間前に体調を崩し練習を休みましたが、それがかえって良い調整期間になったようです。本格的なステージレースに参加させてもらうのは10年ぶりくらい。しかも海外での1週間のステージレースは初なので、色々と準備が足りない部分があり反省。今後に生かそうと思います。
ルール
・ステージ途中でリタイアしても翌ステージは出走できる。
・ステージ途中リタイアのリザルトは最終完走者+1時間のタイムが与えられる。
・チーム順位はステージごとチーム内上位3名のタイムで計算される。
・補給食などのゴミの投棄禁止 失格(途中から厳格化)
・対向車線を走行禁止 失格(途中から厳格化)
・総合順位のほかにデフと健聴者で別々の順位が与えられる。
・ステージ優勝はデフ選手、健聴選手それぞれに与えられ翌ステージは白ジャージを着て出走できる。
・総合トップ選手は黄色ジャージを獲得し、翌ステージで着用し出走できる。
・山岳賞KOMが設定され、トップ通過者には山岳賞ジャージが与えられる。
◆11/3デフ・ツール・ド・フォルモサ受付
台湾の桃園空港に降り立ち、そこからは送迎車で最初の宿泊地に向かう。基本的に出場選手全員が同じホテルに泊まり、そこの会場で大会側が翌日のステージの説明をするというのが1週間のステージレースにおける毎日の流れになる。
ホテルに着き、同行している竹芝サイクルレーシングチームの齋藤和輝選手以外の選手と顔合わせをした。オランダで活動している中原恭恵選手、竹芝サイクルレーシングチームの加藤淳一選手と一緒に健聴チームの4名として即席チームでレースに臨む。
デフ・ジャパンチームはリーダーの早瀬憲太郎選手、早瀬久美選手、川野健太選手。レース中の意思疎通の為に、皆のニックネームを手話で決め、他にもアタック、補給、逃げなどの簡単な手話を教えてもらった。
◆11/4第1ステージ
コース:台北→基隆 距離86km 獲得標高640m KOMあり
天候:雨のち曇り 23℃
街の中心地からスタートなのでパレード区間が長く、郊外に出たところでリアルスタート。これはこの後全ステージ共通の流れとなる。コースは2つの登りをこなし海岸線に出てから平坦ゴールする。
最初の登りからかなりスピードが速い。ここは206番のSNYチームの呉(イ)選手が積極的な動きを見せていた。台湾の選手は誰が強いのか把握してないので、常に周りの選手の動きを見渡しながら走る。最初の登りを終え、頂上のトンネルに先頭集団10名ほどで入るとかなりペースが落ち着いた。後続が追いついてきたタイミングで、暗闇に乗じて静かに先頭でアタックし抜け出す。
不意をついたアタックでタイミングに結構自信があった。案の定、後続と離れたのでそのまま次の山頂のKOMポイントまで逃げることにした。齋藤選手が後続集団でペースダウンのアシストをしてくれていたようだ。雨脚が強まる下りの中、後ろとは300mほど離れたので、追ってくる集団を尻目に結構余裕を持って次の山頂KOMポイントを先頭クリア。まず1つ爪痕を残すことが出来た。
下りで後続集団を待つと約50名の選手が合流してきて40km先のゴールを目指す。ここで残念ながら日本健聴チームの加藤選手と中原選手が遅れてDNFになってしまい、初日にして日本健聴チームは総合上位を望めなくなった。
海岸沿いは向かい風なのでなるべく集団で脚を貯め、ラスト3kmの街中に入るところからポジションを上げていく。レース巧者の齋藤選手が先頭付近に陣取ってくれていたため、そこまでまず集団の合間を縫うように走り、追いつく。ちょうど齋藤選手の後ろについたところで、私の左側で落車が発生。間一髪で逃れ、ラストのスプリントに備えた。
齋藤選手がリードアウトでいい位置に引っ張ってくれたのでスプリントは絶対に負けられない。左からE-maチームの車列が伸びてきたので乗り換えスプリント開始。YBTチームの頼(ライ)選手と微程式チームの劉(リュウ)選手に先行されたが、ぎりぎりでまくり返し、勝利!病み明けだが今季一調子が良い。デフジャパンからも川野選手がデフで3位に入り、初日は最高の形でスタートできた。
◆11/5第2ステージ
コース:桃園→台中 距離140km 獲得標高450m KOMあり
天候:晴れ時々曇り 28℃
前日のレースの表彰式をスタート前に行った。総合の黄色ジャージ、ステージ優勝の白ジャージ、山岳賞のKOMジャージを授与され他のチームに目をつけられることに。パレード区間の距離はアバウトで、交通状況によって変わる。この日は40km地点までパレード走行で、残り100kmからレースが始まった。高速道路を使ったレースはスピードが乗り、50km/hオーバーで巡航したためギアがアウター52Tだと足りないという初体験。
途中で数名の逃げが発生してそのままKOMポイントまで逃げ切られてしまった。その後、逃げを吸収したタイミングで昇陽チームのRene Borst選手がアタック。それに4名が追いつきぐんぐんと差を広げていく。こちらも50km/hほどのスピードが出ていたが、全然差が縮まらない。ラストに近づき積極的に集団を牽引するが結局1分半ほどの差で逃げ切られてしまった。100kmを約2時間、50km/h弱で走る高速レースだった。個人総合は6位に転落。
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