2018/05/30(水) - 09:00
自転車と鉄道、二つを愛する「テツ店長」ことバイクプラス多摩センターの河井孝介さんの輪行サイクリング紀行。日本鉄道の黎明期に思いを馳せる横浜でのライドレポートの後編をお届けしましょう。前編はこちらから。
春の陽気に誘われるようにテツ店長の鉄活も日に日に熱を帯びる今日この頃ですが、皆様もいかがお過ごしでしょうか(笑) 前回は横浜の街に残る古(いにしえ)の鉄道路線を辿って"横浜港駅"までやってきましたが、後編はここから進行方向を変えて次の路線の探索に行きましょう!
ということで、まだまだ続く横浜廃線巡り。お次は"横浜港駅"から山下ふ頭に向かって延びていた貨物支 線の"山下臨港線"を辿っていきます。初代横浜駅(現桜木町駅)から海に向かい、新港ふ頭にあった横浜港駅まで来た線路は、ここでV字にスイッチバックしたのち、今度は山下公園を横切って、その隣にある山下ふ頭まで延びていました。
廃線となった現在、その一部は遊歩道"山下臨港線プロムナード"となって再活用されていますが、山下公園を横切っていた高架の線路は、今はもう撤去されて跡形もありません。
それでも実際に走って(実際はほとんど歩きですが……)みると、横浜港駅を出てすぐ"横浜大さん橋"の手前から線路は高架となって山下公園の手前まで延びていました。この路線ができたのが1965年と比較的新しい(?)からとも言えますが、高架となったのもそもそも山下公園の景観を配慮してのことだそうです。
それでも横浜のシンボルともいえる山下公園をドカンと線路が横切るという暴挙?は、景観よりも経済優先がまかり通った高度経済成長時代だったからこそ許されたのでしょうね……。そんな山下臨港線を探索していると、またもや興味深いものが出てきました!果たしてどれだけの遺構が潜んでいるのでしょう?
横浜大さん橋のふもとにある"象の鼻公園"の一部地面がガラス張りになっていて、その下をのぞき込むと何と!転車台が埋まっているではないですか!!
まあ転車台とは言ってもSLの向きを変えるような大掛かりなものではなくて、手押しトロッコの方向転換をするために設けられた施設だそうで、かつてはここで港湾労働者が人力でトロッコを押しながら貨物の運搬をしていたのですね。
それにしても次々と遺構が登場して来るのでなかなか先に進めません!だいぶ西日も射すようになってきてそろそろ時間も気になってきました(汗)
今は鉄道の高架橋も撤去されて、もとの景観を取り戻した山下公園では今日も氷川丸が静かに佇んでいました。この船がかつて横浜港駅から乗客を乗せてアメリカまで向かって出港して行ったのだと思うと、これまた感慨深いものがありますね(笑)
そんな山下公園をそそくさとお暇して、さらに山下臨港線をたどって行った先にあったのは……。山下ふ頭の入口にある交差点に、山下臨港線の線路が道路を横切る形でそのまま残っていました!踏切も何も残っていませんが、ただ道路にレールだけが埋め込まれて、日々の風景と一体化しています。
こういった観光ガイドにも載っていない遺構を見つけることが廃線巡りの醍醐とも言えるのですが、こうして過去の路線をトレースすることで、アタマの中に一昔前の路線図が出来上がってくることもまた、テツ店長的にはたまらない瞬間です(笑)
さらにお次は山下ふ頭のお隣の本牧ふ頭です。ここには"神奈川臨海鉄道"というあまり聞きなれない鉄道が走っています。これはいわゆる"貨物専用鉄道"というもので、ここではJR根岸駅と本牧ふ頭の間で貨物輸送を行っています。
向かった先は神奈川臨海鉄道の保有する専用線の廃線(休止線?)という少々ややこしい構図ですが、とりあえず線路に沿って進んでいくことにしましょう!
首都高速湾岸線の下を走っていると、右手に広い貨物ヤードが見えてきました。こちらもまた貨物専用駅の"横浜本牧駅"です。先ほど通って来た"東高島駅"と比べると、よっぽど整備されていて活気が感じられますね(笑)
ここから分岐して国際ふ頭に向かう専用線"国際埠頭線"が本日の廃線巡りの締めくくりになるはずでしたが、近づくとその分岐箇所にちょっと違和感が……。
なぜか分岐箇所には真新しいバラストが敷かれて、枕木もレールもピカピカなのです!どうしたことでしょう?ここは2005年に工業塩輸送が廃止となって以来は休止線扱いと聞いていましたが、実は事前情報が間違っていたというオチなのでしょうか?
ここまで来て廃線巡りのはずが、すっかり新規路線の建設現場見学の様相になってしまいましたが、それも線路が右に大きく曲がる手前で突如として終わっていました。まっすぐ進んだ先には"南本牧ふ頭"という新しいふ頭(人工島)があるので、そこまで延ばす予定が有るのか無いのか?奇跡の復活の可能性も見えてきて、今後もこの路線には注目して行きたいと思います(笑)
さて再びの廃線巡りとなりましたが、港湾ならではのいかにも場末といった感じの雰囲気に、なぜかワクワクしながら探索を続けてゆくと、岸壁に沿ってまっすぐ線路が延びて行く場所まで出ました。
ここから先は関係者以外立ち入り禁止のようだったので、探索はここまでということになりましたが、錆びついたレールとポツンと佇む踏切が、夕暮れ時と相まって得も言われぬ寂寥感を醸し出していました。いつ消えて無くなっても不思議でない、この無常感がワタシを引き付けて止みません(涙)
だいぶ陽も傾いてきたのでそろそろ撤収モードではありますが、近くにもうひとつ鉄道遺構があるようなので、最後にちょっと立ち寄っていきましょう!
これまた横浜の人気観光スポットでもある"三渓園"に隣接する『本牧市民公園』内には、テツがなぜか大好きな"転車台"と蒸気機関車のD51-516が保存されていました。
ここの転車台はもと横浜機関区高島車庫にあったものを移設したものだそうで、その高島車庫というのはさっき寄って来た"2代目横浜駅"のすぐそばにあったというのですから、昔の横浜の街は今より鉄道の存在感がずっと大きかったことが窺えます。
残念ながらここの保存状態は決して良いとは言えず、今はフェンスで囲われてしまって近くまで寄ることが出来ませんが、せっかく保存した貴重な歴史的遺産なので、これからも末永く残して欲しいと思います。
そんな思いで遠巻きに眺めていると、遠くから機関車の汽笛が聞こえてきました!これはもしや!と思い、自転車にまたがるやいなや公園を出ると、目の前で神奈川臨海鉄道の貨物列車が近づいてくるではないですか!!
ふだんはまずお目にかかることのない、青いディーゼル機関車が牽くコンテナ列車に一瞬テンションの上がったテツ店長でしたが、その後は終着"磯子駅"にてサイクリングを終えることにしました。
さて、企画的にやはり輪行は外せない?ので、短距離でも帰路は電車に乗って帰らないとですよね(笑)。ということで、夕方のラッシュも考慮し、始発駅でまだガラガラの電車に乗車して、悠々と帰宅したテツ店長なのでした。
一日横浜の街を巡ってみると、さすがに鉄道発祥の地だけはあるというコンテンツの豊富さではありましたが、これだけの遺構を保存している横浜市には、いち鉄道ファンとしてここでお礼を申し上げたいと思います。
しかし調べれば調べるほど、こういった鉄道遺構は全国にはまだまだあるようなので、テツ店長の活動は当分ネタが尽きることは無さそうです。
これからもブレずにディープな鉄道スポットを巡るサイクリングをお届けしていきますので、懲りずにお付き合いよろしくお願いしますね(笑)
旅する人 河井孝介プロフィール
バイクプラス多摩センターの店長を務める49歳。前職で足かけ10年にわたる勤務を鉄道の無い(モノレール除く)沖縄県で過ごした反動からか、帰京後は輪行サイクリングの虜となり、現在は鉄道と自転車を組み合わせ、鉄道廃線跡や未成線など鉄道の歴史を辿るサイクリングをライフワークとする。鉄道趣味のジャンルは「乗り鉄」。旧国鉄型車両を心から愛し、ひそかにJR全線乗車にチャレンジ中。非常勤の防衛省職員である予備三等陸曹の身分も合わせ持っている。
春の陽気に誘われるようにテツ店長の鉄活も日に日に熱を帯びる今日この頃ですが、皆様もいかがお過ごしでしょうか(笑) 前回は横浜の街に残る古(いにしえ)の鉄道路線を辿って"横浜港駅"までやってきましたが、後編はここから進行方向を変えて次の路線の探索に行きましょう!
ということで、まだまだ続く横浜廃線巡り。お次は"横浜港駅"から山下ふ頭に向かって延びていた貨物支 線の"山下臨港線"を辿っていきます。初代横浜駅(現桜木町駅)から海に向かい、新港ふ頭にあった横浜港駅まで来た線路は、ここでV字にスイッチバックしたのち、今度は山下公園を横切って、その隣にある山下ふ頭まで延びていました。
廃線となった現在、その一部は遊歩道"山下臨港線プロムナード"となって再活用されていますが、山下公園を横切っていた高架の線路は、今はもう撤去されて跡形もありません。
それでも実際に走って(実際はほとんど歩きですが……)みると、横浜港駅を出てすぐ"横浜大さん橋"の手前から線路は高架となって山下公園の手前まで延びていました。この路線ができたのが1965年と比較的新しい(?)からとも言えますが、高架となったのもそもそも山下公園の景観を配慮してのことだそうです。
それでも横浜のシンボルともいえる山下公園をドカンと線路が横切るという暴挙?は、景観よりも経済優先がまかり通った高度経済成長時代だったからこそ許されたのでしょうね……。そんな山下臨港線を探索していると、またもや興味深いものが出てきました!果たしてどれだけの遺構が潜んでいるのでしょう?
横浜大さん橋のふもとにある"象の鼻公園"の一部地面がガラス張りになっていて、その下をのぞき込むと何と!転車台が埋まっているではないですか!!
まあ転車台とは言ってもSLの向きを変えるような大掛かりなものではなくて、手押しトロッコの方向転換をするために設けられた施設だそうで、かつてはここで港湾労働者が人力でトロッコを押しながら貨物の運搬をしていたのですね。
それにしても次々と遺構が登場して来るのでなかなか先に進めません!だいぶ西日も射すようになってきてそろそろ時間も気になってきました(汗)
今は鉄道の高架橋も撤去されて、もとの景観を取り戻した山下公園では今日も氷川丸が静かに佇んでいました。この船がかつて横浜港駅から乗客を乗せてアメリカまで向かって出港して行ったのだと思うと、これまた感慨深いものがありますね(笑)
そんな山下公園をそそくさとお暇して、さらに山下臨港線をたどって行った先にあったのは……。山下ふ頭の入口にある交差点に、山下臨港線の線路が道路を横切る形でそのまま残っていました!踏切も何も残っていませんが、ただ道路にレールだけが埋め込まれて、日々の風景と一体化しています。
こういった観光ガイドにも載っていない遺構を見つけることが廃線巡りの醍醐とも言えるのですが、こうして過去の路線をトレースすることで、アタマの中に一昔前の路線図が出来上がってくることもまた、テツ店長的にはたまらない瞬間です(笑)
さらにお次は山下ふ頭のお隣の本牧ふ頭です。ここには"神奈川臨海鉄道"というあまり聞きなれない鉄道が走っています。これはいわゆる"貨物専用鉄道"というもので、ここではJR根岸駅と本牧ふ頭の間で貨物輸送を行っています。
向かった先は神奈川臨海鉄道の保有する専用線の廃線(休止線?)という少々ややこしい構図ですが、とりあえず線路に沿って進んでいくことにしましょう!
首都高速湾岸線の下を走っていると、右手に広い貨物ヤードが見えてきました。こちらもまた貨物専用駅の"横浜本牧駅"です。先ほど通って来た"東高島駅"と比べると、よっぽど整備されていて活気が感じられますね(笑)
ここから分岐して国際ふ頭に向かう専用線"国際埠頭線"が本日の廃線巡りの締めくくりになるはずでしたが、近づくとその分岐箇所にちょっと違和感が……。
なぜか分岐箇所には真新しいバラストが敷かれて、枕木もレールもピカピカなのです!どうしたことでしょう?ここは2005年に工業塩輸送が廃止となって以来は休止線扱いと聞いていましたが、実は事前情報が間違っていたというオチなのでしょうか?
ここまで来て廃線巡りのはずが、すっかり新規路線の建設現場見学の様相になってしまいましたが、それも線路が右に大きく曲がる手前で突如として終わっていました。まっすぐ進んだ先には"南本牧ふ頭"という新しいふ頭(人工島)があるので、そこまで延ばす予定が有るのか無いのか?奇跡の復活の可能性も見えてきて、今後もこの路線には注目して行きたいと思います(笑)
さて再びの廃線巡りとなりましたが、港湾ならではのいかにも場末といった感じの雰囲気に、なぜかワクワクしながら探索を続けてゆくと、岸壁に沿ってまっすぐ線路が延びて行く場所まで出ました。
ここから先は関係者以外立ち入り禁止のようだったので、探索はここまでということになりましたが、錆びついたレールとポツンと佇む踏切が、夕暮れ時と相まって得も言われぬ寂寥感を醸し出していました。いつ消えて無くなっても不思議でない、この無常感がワタシを引き付けて止みません(涙)
だいぶ陽も傾いてきたのでそろそろ撤収モードではありますが、近くにもうひとつ鉄道遺構があるようなので、最後にちょっと立ち寄っていきましょう!
これまた横浜の人気観光スポットでもある"三渓園"に隣接する『本牧市民公園』内には、テツがなぜか大好きな"転車台"と蒸気機関車のD51-516が保存されていました。
ここの転車台はもと横浜機関区高島車庫にあったものを移設したものだそうで、その高島車庫というのはさっき寄って来た"2代目横浜駅"のすぐそばにあったというのですから、昔の横浜の街は今より鉄道の存在感がずっと大きかったことが窺えます。
残念ながらここの保存状態は決して良いとは言えず、今はフェンスで囲われてしまって近くまで寄ることが出来ませんが、せっかく保存した貴重な歴史的遺産なので、これからも末永く残して欲しいと思います。
そんな思いで遠巻きに眺めていると、遠くから機関車の汽笛が聞こえてきました!これはもしや!と思い、自転車にまたがるやいなや公園を出ると、目の前で神奈川臨海鉄道の貨物列車が近づいてくるではないですか!!
ふだんはまずお目にかかることのない、青いディーゼル機関車が牽くコンテナ列車に一瞬テンションの上がったテツ店長でしたが、その後は終着"磯子駅"にてサイクリングを終えることにしました。
さて、企画的にやはり輪行は外せない?ので、短距離でも帰路は電車に乗って帰らないとですよね(笑)。ということで、夕方のラッシュも考慮し、始発駅でまだガラガラの電車に乗車して、悠々と帰宅したテツ店長なのでした。
一日横浜の街を巡ってみると、さすがに鉄道発祥の地だけはあるというコンテンツの豊富さではありましたが、これだけの遺構を保存している横浜市には、いち鉄道ファンとしてここでお礼を申し上げたいと思います。
しかし調べれば調べるほど、こういった鉄道遺構は全国にはまだまだあるようなので、テツ店長の活動は当分ネタが尽きることは無さそうです。
これからもブレずにディープな鉄道スポットを巡るサイクリングをお届けしていきますので、懲りずにお付き合いよろしくお願いしますね(笑)
旅する人 河井孝介プロフィール
バイクプラス多摩センターの店長を務める49歳。前職で足かけ10年にわたる勤務を鉄道の無い(モノレール除く)沖縄県で過ごした反動からか、帰京後は輪行サイクリングの虜となり、現在は鉄道と自転車を組み合わせ、鉄道廃線跡や未成線など鉄道の歴史を辿るサイクリングをライフワークとする。鉄道趣味のジャンルは「乗り鉄」。旧国鉄型車両を心から愛し、ひそかにJR全線乗車にチャレンジ中。非常勤の防衛省職員である予備三等陸曹の身分も合わせ持っている。
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