2017/11/17(金) - 09:05
自転車と鉄道、二つを愛する「テツ店長」ことバイクプラス多摩センターの河井孝介さんの輪行サイクリング紀行。今回は連載10回目を記念し、豪華ゲストをお迎えしたスペシャルグループツーリングへ出発。
読者の皆様こんにちは!自称"輪行遊び人"ことテツ店長です。連載開始からはや一年、これまでひとり気ままに輪行旅を楽しみながらのレポートでしたが、記念すべき10回目連載は、特別編として初のグループライドに行ってきました♪♪
もちろんテツ店長の企画する輪行ライドですから、基本的に鉄分過剰なのは言うまでもありませんが、今回編集部からあえてそんなサイクリングに一緒に行ってみたい!という猛者が自転車業界内にいるという報を受けたものですから、喜び勇んでさっそく連絡を取らせてもらい、"夏の青春18きっぷ"シーズンにグループライドを決行する運びとなりました。
かくいうテツ店長、別に"ぼっち好き"というわけでもありませんが、いつも内容があまりにマニアック過ぎるのでは?という遠慮もあって、これまでは自粛して単独行動していただけに、果たして今回の鉄道スポット巡りサイクリングがゲストに楽しんでもらえるのか?そんな期待と不安を抱えながら出発当日の朝を迎えたのでした。
ちなみに今回のメンバーは3名の予定ですが、それぞれ住んでいる場所もバラバラなので、途中合流、現地合流というスケジュールで行動していきます。ということで、まずテツ店長は早朝の東京駅から北陸新幹線の"あさま601号"に乗って、終点の長野をめざしました。
いきなりですが、テツ店長の輪行紀行に欠かせないのは駅弁!ということで、今回東京駅で用意したのが限定の"特急列車ヘッドマーク弁当ひばり"!!こちらの献立は仙台牛たんの名店『利久』が監修したというのですから期待も高まろうと言うものです。
この弁当の心憎いのが、弁当箱のフタがかつて上野~仙台間を結んでいた"L特急ひばり"のヘッドマーク仕様になっていて、しかもその弁当箱がまたしっかりと出来たもので、持ち帰って再利用できると言う、鉄道好きにはたまらない一品なのでした。正直に白状すると、ただこのお弁当箱が欲しかっただけという動機なのですが、それにしても朝から牛たん弁当などと言う背徳的な贅沢も、今回は特別な機会なので良しとましょうね(笑)
東京駅を出発した新幹線は大宮駅では2人目のメンバーが乗車してきました。じつはかなりの"テツ"で、今回のライドをセッティングしてくれた仕掛け人とも言える、CW編集部員イソベを乗せて列車は一路長野へ向かいます。
朝食の牛たん弁当などを楽しんでいると、新幹線はかつて鉄道の難所として名を馳せた"碓氷峠"もスイスイと上って、気づいた時には軽井沢駅も通り過ぎて、あっという間に終点・長野に到着のアナウンスが流れてきました。
編集部イソベと共に長野駅ホームに下車したあと、とりあえず改札口を出て3人目のメンバー到着を待つこととします。今回のゲストでもある3人目のメンバーは、福井県からやって来ると言うことで、同じ北陸新幹線を反対方向から来る予定なのです。ここまでメールでのやり取りはしていたものの、じっさいにお会いするのは初対面ということで、恥ずかしながらちょっとドキドキだったのですが……。
今か今かと待っていると、やってきたのは現役のプロサイクリストで『キナンサイクリングチーム』所属の"ナカジ"こと、中島康晴選手です!!まあ一介の自転車屋としてはちょっと緊張してしまいそうなところですが、これまでのメールのやりとりで、さんざん鉄道の話題で盛り上がったりしていたもので、初対面にもかかわらずもはや"鉄トモ"状態で、自己紹介するまでもなく、すっかり打ち解けた雰囲気なのでした(笑)
3人そろったところで、いよいよ夢の?輪行サイクリングをスタートしましょう。まず向かったのは、地下にある長野電鉄の長野駅!ここがまたなかなか鉄分豊富な鉄道会社で、主に首都圏で活躍していた中古車両が集まって第二の人生を送っているという、鉄道ファン的にはかなり魅惑的な路線なのですね。
さっそくきっぷを買ってホームに向かうと、そこで待っていたのは、初代"成田エクスプレス"の253系特急型電車でした。東京ではすでに姿を見ることの無くなった"NEX"オリジナルカラーの車両は、現在"特急スノーモンキー"として、長野~湯田中温泉間で活躍を続けており、ここで一同テンションが急上昇したのは言うまでもありません(笑)
車内も原型をとどめていて、空港連絡特急らしい広いラゲッジスペースもそのままなこともあり、輪行の自転車3台も問題なく積み込むことができました。ここから目的地の須坂駅までほんのわずかですが、しばし乗り鉄の旅を楽しむこととしましょう。
残念ながらアッという間に須坂駅に到着してしまい下車をすると、ここでサプライズが待っていました!
何と向かいから、もと小田急ロマンスカーHiSEこと10000系車両がやって来るではないですか!2012年に小田急線から引退したあとは、移籍してこの地で"特急ゆけむり"として元気に走り続けているのですね(笑)
さらにこちらもうれしいオリジナル塗装のままで、東京では決して見ることのできないこの奇跡の並びに、一同この日一回目のテンションMAXを記録したのでありました(笑)列車を見送ったらさっさとサイクリングスタートしたいところですが、その前にまたもやトラップが登場…。きっぷ売場に並ぶ様々な鉄道グッズに全員眼が釘付けとなり、気づくと3人それぞれが気に入ったアイテムを買っていたという、テツの弱点を露呈してしまったのでした(汗)
そんなこんなのはじけっぷりに先が思いやられますが、まだまだ始まったばかりなので先に進んでゆきましょう!須坂駅で自転車を組み立てて、この先向かうのは2012年に廃止された長野電鉄屋代線の廃線跡巡りです。
須坂と屋代間を結んでいた屋代線は、廃線になる半年ほど前に乗りに行った思い出のある路線ですが、廃線後5年が経過して果たしてどのような姿になっているのか?この先センチメンタルジャーニーになることが予想されます(泣)
走り始めてすぐに現れたのは、もと東急5000系こと長野電鉄2500系電車。1998年に引退したそうですが、それ以来地元の個人の方によって大切に保存されているようです。ちなみに東急沿線で育ったテツ店長、その昔この電車には大変お世話になりました。当時は全面緑の塗装でしたが、この2枚窓の湘南顔に丸みを帯びた車体のことはよく覚えています。なんか見てるだけで少年時代の思い出が頭をよぎってしまいました(号泣)
いつまでも思い出に浸ってもいられないので先に進むことにして、次にやってきたのは屋代線の途中駅のひとつ"信濃川田駅"。廃線後も駅舎はバス待合所として今でも使われているらしく、今でも生きた駅の匂いがします。さらにここの駅は改札口を入ると目の前に線路も車両もそのまま残っていて、今でも駅で列車が待っているのではないかと錯覚してしまいそうな風景です。
ホームに出て線路の先を見ると、遠くにこれまた古い車両が置き去りのようなカタチで佇んでいて、なんとも寂しそうにしていました。そんな電車を目の前にして、この3人がじっとしていられるワケもなく、草むした廃線をさっさと歩いて電車に会いに向かいました。
近づいて見ると何とも年季の入った車両です。そこらじゅう錆が出ていて痛々しいくらいでしたが、それでも「ボクはまだここにいるよ!」と語りかけてくるような気がして、何とも愛おしく感じてしまうのは、我が鉄道愛のなせる故なのでしょうか?
しばし車両と戯れたらまた廃線巡りを再開します。ここはちょうど屋代線と並行して国道403号線が通っているので、線路の痕跡と並走しながらのサイクリングです。キョロキョロと観察しながら走っていると、トンネルや橋梁など数多くの遺構が残っていて、その都度止まって確認してしまうのでなかなか前に進めないのがタマに傷なのでした(泣)
ウロウロしながらも何とか歩を進めてくると、屋代線は最後に現しなの鉄道(もと信越本線)と合流して屋代駅で終点を迎えるのでした。しなの鉄道線にぶち当たったあとは、もうひとっ走りして車両基地のある戸倉駅まで向かい、ここから再び輪行で移動する予定だったのですが…、少々廃線巡りに時間を使い過ぎて、当初乗る予定の列車にはギリギリ間に合わないことが確定!
まあ焦っても仕方ないので、ここは予定を変更して(1本遅らせて)空いた時間に車両基地見学と洒落込むことにしました。おかげで当初乗る予定だった列車(復刻塗装の初代長野色)との奇跡の並び撮影や、車両基地ではみんなが大好きな国鉄型車両115系電車を見学できたりと、浮いた時間をたっぷり楽しんだ3人だったのでした(笑)
いったん自転車をたたんで駅ホームに向かうと、これまたちょうどしなの鉄道の観光列車"ろくもん"が入線したところでした。古い車両ながら、鉄道界のカリスマ的デザイナー"水戸岡鋭治"さんの手によって、内外装共にすっかりあか抜けた車両に生まれ変わってました!今回は方向が逆だったので見送りましたが、これは今度あらためて乗ってみたい列車ですね(笑)
ということで、我々は通常仕様の115系普通列車に乗って次の目的地である軽井沢に向ったのでしたが、豪華観光列車も良いけど、やっぱり我々はこの狭いボックスシートで窓が開けられる正統派国鉄仕様の方が落ち着くよね!ということで意見もまとまり、モーターをうならせながら力走する古い車両に身をゆだねながら、しばし乗り鉄の旅を楽しんだのでした。
ここまでは順調にすすんできましたが、列車が終点の軽井沢駅に近づくにつれて車窓に雨粒がつくようになってきました。そして到着後ホームに降りるとすっかり本降りの雨だったのでした(泣)
ここからまた自転車を組み立てて、次は"碓氷峠"を下って行かなければならないのですが、じつはお昼ごはんがまだでした。では出発前に食べておきましょう!ということで、駅構内にある"駅そば"屋に立ち寄ってゆくことにしました。
今回寄ったこちらのお蕎麦屋さん、あの"峠の釜めし"で有名な"おぎのや"さんのお店で、一説によると駅そば発祥の地という話もあるらしいです。そんな老舗のこだわりなのか、使用しているのは生そばで、待つこと数分で本格的なそばが出てきました。
標高の高い軽井沢は夏とはいえけっこう涼しく、しかも雨となるともはや肌寒いといった状況で、そんな時にあたたかいそばを頂けるのは、本当にありがたいと言いますか、おかげさまで元気も頂きました(笑)
。
日本の誇るファーストフード"駅そば"は、全国どこにでもあるようですが、それぞれに特徴もあったりして、輪行サイクリングの際にちょっと立ち寄ってみるのも、いろいろ発見があって楽しいと思いますよ(笑)
さて駅そばで英気を養ったあとは、もう一度気合を入れてサイクリングを再開しましょう!駅の軒先で自転車を組み立て終わったら、ハラを括って本降りの雨の中ペダルを漕ぎ出します。向かった先は国道18号旧道、またの名を"中山道"とも呼びますが、この先の"碓氷峠"は箱根峠と並ぶ昔からの交通の難所で、鉄道にとってはさらに通り抜け困難な場所なのでした。
新幹線が開業して廃線となるまでは、66‰(パーミル)という急勾配の峠を越えるために通過する列車は専用の補助機関車をつないで行き来していました。そんな横川駅での機関車連結の合間に、"峠の釜めし"を買うためホームに降りたのも、今では懐かしい思い出となってしまいました(泣)
この旧道にそって廃線となった信越本線の遺構も数多く残っているので、当初は廃線探索をしながら峠の下りを楽しもうと思っていた矢先の雨にかなりモチベーションを下げながらも、ここはナカジを先頭に際限なく続くカーブを慎重にこなして下って行ったのでした。
途中トンネルや橋梁の遺構を認めながら下りつつ、ほぼ全身ずぶ濡れになったころに、"旧熊ノ平信号場"の案内板が現れました!ということでこれは見学しないわけにはいけません。もはや濡れる事にはあきらめの心境だったので、本降りの雨も気にせず線路のある高台までの階段をどんどん上ってゆくと、ここにもありました!立派な遺構が!!線路と変電所の建物もほぼそのままの状態で残されており、今でも列車が通れそうな雰囲気に思わず引き込まれてしまいます。
ここトンネルに挟まれた山間の広場"熊ノ平"はもともとは駅として設置され、アプト式旧線の時代は単線だったために、スイッチバックで列車の行き違いを行っていたそうです。、その後新線に変わった際に信号場(列車の行き違い施設)に降格されて、1997年の北陸(長野)新幹線開通に合わせて廃線となって今に至っています。
国道に戻ってさらに下って行くと、次に有名な「めがね橋」こと"碓氷第三橋梁"があらわれます!明治25年の旧線開業時に架けられたレンガ造りのアーチ橋です。近くで見ると本当に大きくて、今から125年も前に作られたものとはにわかに信じられませんが、何はともあれこの山間の美しい景色に一同しばらく見とれるばかりでした。
全身ずぶ濡れになりながら山から下りてくると、またもやテツにはたまらない景色が眼に入ってきました…
前方には国鉄時代の車両達が仲良く並んでいて、すでに雨のおかげでテンションのおかしくなっていた一同は、恍惚の表情でぼんやりと景色に見とれるばかりなのでした(笑)
ここ"碓氷鉄道文化むら"は、廃線になるまでは碓氷峠専用の補助機関車の車両基地だった"横川機関区(運転区)"の敷地を鉄道の展示施設に衣替えしたもので、貴重な車両の展示だけではなく、講習を受けて本物の電気機関車も運転できてしまうという、ある意味テツの聖地とも言える場所だったのです。
残念ながら帰りの列車の時間も迫ってきていたので、ここの見学はまたの機会にして、再び自転車をたたんで列車の旅にシフトしてゆきましょう。ところで横川駅名物といえば"峠の釜めし"ということで、ここでしっかりと駅弁も調達しおいて、抜かりなく列車に乗り込みます。
寸断された信越本線を横川から高崎まで移動した後は、いよいよ本日のメインイベント?とも言えるご褒美列車の登場です!本日乗車する"リゾートやまどり"は高崎地区で活躍する観光列車で、不定期でいろいろなところに顔を出しており、以前(4回目)にも一度登場してもらっていますが、この日は夏休みの運用で"快速・たんばらラベンダー号"として沼田から上野に向かう上り列車に乗り込みました。
この列車の何がすごいのかというと、内装(特に座席配置)がすご~くゆとりのあるつくりで、はっきり言ってグリーン車と遜色ないレベルなのですが、これが座席指定席券さえあれば、"青春18きっぷ"でも乗車できてしまうという、もはや破格と言っても良い大サービス車両なのです!
さらに我らテツが心惹かれるのにはワケがあって、この車両の種車(改造前の原型)が、今は亡き国鉄を代表する特急型電車485系だというのですからもうたまりません!!高崎から上野まで2時間足らずの列車の旅でしたが、大好きな車両の豪華な座席で、美味しい駅弁に舌鼓を打ちながら鉄道談議に花を咲かせるという、まさに夢のような時間が過ぎていったのでした(笑)
この日一日テンション高どまりのメンバーでしたが、終点の上野駅で列車とお別れしたあとは、この日の宿泊場所めざしてもう一度自転車を組み立てての都内サイクリングに出かけます。そして向かった先は、これまた鉄分豊富でスミマセン…
君たちいったいどこまで好きやねん!!との突っ込みが聞こえてきそうですが、ここ"トレインホステル北斗星"は館内が寝台特急のブルートレインを模した造りとなっていて、向かい合わせの2段式寝台や、そこここに本物のブルートレイン客車で使用されていた部品がちりばめられていて、テツにはたまらない演出があちこちに見られて楽しくてたまりません(笑)
しかしこのホテル、決してマニア向けの施設というわけではなく、清潔で設備も整っていて、しかも都心にあって駅にも隣接で格安、さらにスタッフの方も気さくで親切という素晴らしい宿泊施設なので、機会があればぜひ皆さんも利用してみてください!
そんなこんなで忙しくも楽しかった1日が終わり、翌日に備えてずぶ濡れになったウェアを乾かしたりしながら、思い思いに夜を過ごしたのでした。
つづく
旅する人 河井孝介プロフィール
バイクプラス多摩センターの店長を務める49歳。前職で足かけ10年にわたる勤務を鉄道の無い(モノレール除く)沖縄県で過ごした反動からか、帰京後は輪行サイクリングの虜となり、現在は鉄道と自転車を組み合わせ、鉄道廃線跡や未成線など鉄道の歴史を辿るサイクリングをライフワークとする。鉄道趣味のジャンルは「乗り鉄」。旧国鉄型車両を心から愛し、ひそかにJR全線乗車にチャレンジ中。非常勤の防衛省職員である予備三等陸曹の身分も合わせ持っている。
読者の皆様こんにちは!自称"輪行遊び人"ことテツ店長です。連載開始からはや一年、これまでひとり気ままに輪行旅を楽しみながらのレポートでしたが、記念すべき10回目連載は、特別編として初のグループライドに行ってきました♪♪
もちろんテツ店長の企画する輪行ライドですから、基本的に鉄分過剰なのは言うまでもありませんが、今回編集部からあえてそんなサイクリングに一緒に行ってみたい!という猛者が自転車業界内にいるという報を受けたものですから、喜び勇んでさっそく連絡を取らせてもらい、"夏の青春18きっぷ"シーズンにグループライドを決行する運びとなりました。
かくいうテツ店長、別に"ぼっち好き"というわけでもありませんが、いつも内容があまりにマニアック過ぎるのでは?という遠慮もあって、これまでは自粛して単独行動していただけに、果たして今回の鉄道スポット巡りサイクリングがゲストに楽しんでもらえるのか?そんな期待と不安を抱えながら出発当日の朝を迎えたのでした。
ちなみに今回のメンバーは3名の予定ですが、それぞれ住んでいる場所もバラバラなので、途中合流、現地合流というスケジュールで行動していきます。ということで、まずテツ店長は早朝の東京駅から北陸新幹線の"あさま601号"に乗って、終点の長野をめざしました。
いきなりですが、テツ店長の輪行紀行に欠かせないのは駅弁!ということで、今回東京駅で用意したのが限定の"特急列車ヘッドマーク弁当ひばり"!!こちらの献立は仙台牛たんの名店『利久』が監修したというのですから期待も高まろうと言うものです。
この弁当の心憎いのが、弁当箱のフタがかつて上野~仙台間を結んでいた"L特急ひばり"のヘッドマーク仕様になっていて、しかもその弁当箱がまたしっかりと出来たもので、持ち帰って再利用できると言う、鉄道好きにはたまらない一品なのでした。正直に白状すると、ただこのお弁当箱が欲しかっただけという動機なのですが、それにしても朝から牛たん弁当などと言う背徳的な贅沢も、今回は特別な機会なので良しとましょうね(笑)
東京駅を出発した新幹線は大宮駅では2人目のメンバーが乗車してきました。じつはかなりの"テツ"で、今回のライドをセッティングしてくれた仕掛け人とも言える、CW編集部員イソベを乗せて列車は一路長野へ向かいます。
朝食の牛たん弁当などを楽しんでいると、新幹線はかつて鉄道の難所として名を馳せた"碓氷峠"もスイスイと上って、気づいた時には軽井沢駅も通り過ぎて、あっという間に終点・長野に到着のアナウンスが流れてきました。
編集部イソベと共に長野駅ホームに下車したあと、とりあえず改札口を出て3人目のメンバー到着を待つこととします。今回のゲストでもある3人目のメンバーは、福井県からやって来ると言うことで、同じ北陸新幹線を反対方向から来る予定なのです。ここまでメールでのやり取りはしていたものの、じっさいにお会いするのは初対面ということで、恥ずかしながらちょっとドキドキだったのですが……。
今か今かと待っていると、やってきたのは現役のプロサイクリストで『キナンサイクリングチーム』所属の"ナカジ"こと、中島康晴選手です!!まあ一介の自転車屋としてはちょっと緊張してしまいそうなところですが、これまでのメールのやりとりで、さんざん鉄道の話題で盛り上がったりしていたもので、初対面にもかかわらずもはや"鉄トモ"状態で、自己紹介するまでもなく、すっかり打ち解けた雰囲気なのでした(笑)
3人そろったところで、いよいよ夢の?輪行サイクリングをスタートしましょう。まず向かったのは、地下にある長野電鉄の長野駅!ここがまたなかなか鉄分豊富な鉄道会社で、主に首都圏で活躍していた中古車両が集まって第二の人生を送っているという、鉄道ファン的にはかなり魅惑的な路線なのですね。
さっそくきっぷを買ってホームに向かうと、そこで待っていたのは、初代"成田エクスプレス"の253系特急型電車でした。東京ではすでに姿を見ることの無くなった"NEX"オリジナルカラーの車両は、現在"特急スノーモンキー"として、長野~湯田中温泉間で活躍を続けており、ここで一同テンションが急上昇したのは言うまでもありません(笑)
車内も原型をとどめていて、空港連絡特急らしい広いラゲッジスペースもそのままなこともあり、輪行の自転車3台も問題なく積み込むことができました。ここから目的地の須坂駅までほんのわずかですが、しばし乗り鉄の旅を楽しむこととしましょう。
残念ながらアッという間に須坂駅に到着してしまい下車をすると、ここでサプライズが待っていました!
何と向かいから、もと小田急ロマンスカーHiSEこと10000系車両がやって来るではないですか!2012年に小田急線から引退したあとは、移籍してこの地で"特急ゆけむり"として元気に走り続けているのですね(笑)
さらにこちらもうれしいオリジナル塗装のままで、東京では決して見ることのできないこの奇跡の並びに、一同この日一回目のテンションMAXを記録したのでありました(笑)列車を見送ったらさっさとサイクリングスタートしたいところですが、その前にまたもやトラップが登場…。きっぷ売場に並ぶ様々な鉄道グッズに全員眼が釘付けとなり、気づくと3人それぞれが気に入ったアイテムを買っていたという、テツの弱点を露呈してしまったのでした(汗)
そんなこんなのはじけっぷりに先が思いやられますが、まだまだ始まったばかりなので先に進んでゆきましょう!須坂駅で自転車を組み立てて、この先向かうのは2012年に廃止された長野電鉄屋代線の廃線跡巡りです。
須坂と屋代間を結んでいた屋代線は、廃線になる半年ほど前に乗りに行った思い出のある路線ですが、廃線後5年が経過して果たしてどのような姿になっているのか?この先センチメンタルジャーニーになることが予想されます(泣)
走り始めてすぐに現れたのは、もと東急5000系こと長野電鉄2500系電車。1998年に引退したそうですが、それ以来地元の個人の方によって大切に保存されているようです。ちなみに東急沿線で育ったテツ店長、その昔この電車には大変お世話になりました。当時は全面緑の塗装でしたが、この2枚窓の湘南顔に丸みを帯びた車体のことはよく覚えています。なんか見てるだけで少年時代の思い出が頭をよぎってしまいました(号泣)
いつまでも思い出に浸ってもいられないので先に進むことにして、次にやってきたのは屋代線の途中駅のひとつ"信濃川田駅"。廃線後も駅舎はバス待合所として今でも使われているらしく、今でも生きた駅の匂いがします。さらにここの駅は改札口を入ると目の前に線路も車両もそのまま残っていて、今でも駅で列車が待っているのではないかと錯覚してしまいそうな風景です。
ホームに出て線路の先を見ると、遠くにこれまた古い車両が置き去りのようなカタチで佇んでいて、なんとも寂しそうにしていました。そんな電車を目の前にして、この3人がじっとしていられるワケもなく、草むした廃線をさっさと歩いて電車に会いに向かいました。
近づいて見ると何とも年季の入った車両です。そこらじゅう錆が出ていて痛々しいくらいでしたが、それでも「ボクはまだここにいるよ!」と語りかけてくるような気がして、何とも愛おしく感じてしまうのは、我が鉄道愛のなせる故なのでしょうか?
しばし車両と戯れたらまた廃線巡りを再開します。ここはちょうど屋代線と並行して国道403号線が通っているので、線路の痕跡と並走しながらのサイクリングです。キョロキョロと観察しながら走っていると、トンネルや橋梁など数多くの遺構が残っていて、その都度止まって確認してしまうのでなかなか前に進めないのがタマに傷なのでした(泣)
ウロウロしながらも何とか歩を進めてくると、屋代線は最後に現しなの鉄道(もと信越本線)と合流して屋代駅で終点を迎えるのでした。しなの鉄道線にぶち当たったあとは、もうひとっ走りして車両基地のある戸倉駅まで向かい、ここから再び輪行で移動する予定だったのですが…、少々廃線巡りに時間を使い過ぎて、当初乗る予定の列車にはギリギリ間に合わないことが確定!
まあ焦っても仕方ないので、ここは予定を変更して(1本遅らせて)空いた時間に車両基地見学と洒落込むことにしました。おかげで当初乗る予定だった列車(復刻塗装の初代長野色)との奇跡の並び撮影や、車両基地ではみんなが大好きな国鉄型車両115系電車を見学できたりと、浮いた時間をたっぷり楽しんだ3人だったのでした(笑)
いったん自転車をたたんで駅ホームに向かうと、これまたちょうどしなの鉄道の観光列車"ろくもん"が入線したところでした。古い車両ながら、鉄道界のカリスマ的デザイナー"水戸岡鋭治"さんの手によって、内外装共にすっかりあか抜けた車両に生まれ変わってました!今回は方向が逆だったので見送りましたが、これは今度あらためて乗ってみたい列車ですね(笑)
ということで、我々は通常仕様の115系普通列車に乗って次の目的地である軽井沢に向ったのでしたが、豪華観光列車も良いけど、やっぱり我々はこの狭いボックスシートで窓が開けられる正統派国鉄仕様の方が落ち着くよね!ということで意見もまとまり、モーターをうならせながら力走する古い車両に身をゆだねながら、しばし乗り鉄の旅を楽しんだのでした。
ここまでは順調にすすんできましたが、列車が終点の軽井沢駅に近づくにつれて車窓に雨粒がつくようになってきました。そして到着後ホームに降りるとすっかり本降りの雨だったのでした(泣)
ここからまた自転車を組み立てて、次は"碓氷峠"を下って行かなければならないのですが、じつはお昼ごはんがまだでした。では出発前に食べておきましょう!ということで、駅構内にある"駅そば"屋に立ち寄ってゆくことにしました。
今回寄ったこちらのお蕎麦屋さん、あの"峠の釜めし"で有名な"おぎのや"さんのお店で、一説によると駅そば発祥の地という話もあるらしいです。そんな老舗のこだわりなのか、使用しているのは生そばで、待つこと数分で本格的なそばが出てきました。
標高の高い軽井沢は夏とはいえけっこう涼しく、しかも雨となるともはや肌寒いといった状況で、そんな時にあたたかいそばを頂けるのは、本当にありがたいと言いますか、おかげさまで元気も頂きました(笑)
。
日本の誇るファーストフード"駅そば"は、全国どこにでもあるようですが、それぞれに特徴もあったりして、輪行サイクリングの際にちょっと立ち寄ってみるのも、いろいろ発見があって楽しいと思いますよ(笑)
さて駅そばで英気を養ったあとは、もう一度気合を入れてサイクリングを再開しましょう!駅の軒先で自転車を組み立て終わったら、ハラを括って本降りの雨の中ペダルを漕ぎ出します。向かった先は国道18号旧道、またの名を"中山道"とも呼びますが、この先の"碓氷峠"は箱根峠と並ぶ昔からの交通の難所で、鉄道にとってはさらに通り抜け困難な場所なのでした。
新幹線が開業して廃線となるまでは、66‰(パーミル)という急勾配の峠を越えるために通過する列車は専用の補助機関車をつないで行き来していました。そんな横川駅での機関車連結の合間に、"峠の釜めし"を買うためホームに降りたのも、今では懐かしい思い出となってしまいました(泣)
この旧道にそって廃線となった信越本線の遺構も数多く残っているので、当初は廃線探索をしながら峠の下りを楽しもうと思っていた矢先の雨にかなりモチベーションを下げながらも、ここはナカジを先頭に際限なく続くカーブを慎重にこなして下って行ったのでした。
途中トンネルや橋梁の遺構を認めながら下りつつ、ほぼ全身ずぶ濡れになったころに、"旧熊ノ平信号場"の案内板が現れました!ということでこれは見学しないわけにはいけません。もはや濡れる事にはあきらめの心境だったので、本降りの雨も気にせず線路のある高台までの階段をどんどん上ってゆくと、ここにもありました!立派な遺構が!!線路と変電所の建物もほぼそのままの状態で残されており、今でも列車が通れそうな雰囲気に思わず引き込まれてしまいます。
ここトンネルに挟まれた山間の広場"熊ノ平"はもともとは駅として設置され、アプト式旧線の時代は単線だったために、スイッチバックで列車の行き違いを行っていたそうです。、その後新線に変わった際に信号場(列車の行き違い施設)に降格されて、1997年の北陸(長野)新幹線開通に合わせて廃線となって今に至っています。
国道に戻ってさらに下って行くと、次に有名な「めがね橋」こと"碓氷第三橋梁"があらわれます!明治25年の旧線開業時に架けられたレンガ造りのアーチ橋です。近くで見ると本当に大きくて、今から125年も前に作られたものとはにわかに信じられませんが、何はともあれこの山間の美しい景色に一同しばらく見とれるばかりでした。
全身ずぶ濡れになりながら山から下りてくると、またもやテツにはたまらない景色が眼に入ってきました…
前方には国鉄時代の車両達が仲良く並んでいて、すでに雨のおかげでテンションのおかしくなっていた一同は、恍惚の表情でぼんやりと景色に見とれるばかりなのでした(笑)
ここ"碓氷鉄道文化むら"は、廃線になるまでは碓氷峠専用の補助機関車の車両基地だった"横川機関区(運転区)"の敷地を鉄道の展示施設に衣替えしたもので、貴重な車両の展示だけではなく、講習を受けて本物の電気機関車も運転できてしまうという、ある意味テツの聖地とも言える場所だったのです。
残念ながら帰りの列車の時間も迫ってきていたので、ここの見学はまたの機会にして、再び自転車をたたんで列車の旅にシフトしてゆきましょう。ところで横川駅名物といえば"峠の釜めし"ということで、ここでしっかりと駅弁も調達しおいて、抜かりなく列車に乗り込みます。
寸断された信越本線を横川から高崎まで移動した後は、いよいよ本日のメインイベント?とも言えるご褒美列車の登場です!本日乗車する"リゾートやまどり"は高崎地区で活躍する観光列車で、不定期でいろいろなところに顔を出しており、以前(4回目)にも一度登場してもらっていますが、この日は夏休みの運用で"快速・たんばらラベンダー号"として沼田から上野に向かう上り列車に乗り込みました。
この列車の何がすごいのかというと、内装(特に座席配置)がすご~くゆとりのあるつくりで、はっきり言ってグリーン車と遜色ないレベルなのですが、これが座席指定席券さえあれば、"青春18きっぷ"でも乗車できてしまうという、もはや破格と言っても良い大サービス車両なのです!
さらに我らテツが心惹かれるのにはワケがあって、この車両の種車(改造前の原型)が、今は亡き国鉄を代表する特急型電車485系だというのですからもうたまりません!!高崎から上野まで2時間足らずの列車の旅でしたが、大好きな車両の豪華な座席で、美味しい駅弁に舌鼓を打ちながら鉄道談議に花を咲かせるという、まさに夢のような時間が過ぎていったのでした(笑)
この日一日テンション高どまりのメンバーでしたが、終点の上野駅で列車とお別れしたあとは、この日の宿泊場所めざしてもう一度自転車を組み立てての都内サイクリングに出かけます。そして向かった先は、これまた鉄分豊富でスミマセン…
君たちいったいどこまで好きやねん!!との突っ込みが聞こえてきそうですが、ここ"トレインホステル北斗星"は館内が寝台特急のブルートレインを模した造りとなっていて、向かい合わせの2段式寝台や、そこここに本物のブルートレイン客車で使用されていた部品がちりばめられていて、テツにはたまらない演出があちこちに見られて楽しくてたまりません(笑)
しかしこのホテル、決してマニア向けの施設というわけではなく、清潔で設備も整っていて、しかも都心にあって駅にも隣接で格安、さらにスタッフの方も気さくで親切という素晴らしい宿泊施設なので、機会があればぜひ皆さんも利用してみてください!
そんなこんなで忙しくも楽しかった1日が終わり、翌日に備えてずぶ濡れになったウェアを乾かしたりしながら、思い思いに夜を過ごしたのでした。
つづく
旅する人 河井孝介プロフィール
バイクプラス多摩センターの店長を務める49歳。前職で足かけ10年にわたる勤務を鉄道の無い(モノレール除く)沖縄県で過ごした反動からか、帰京後は輪行サイクリングの虜となり、現在は鉄道と自転車を組み合わせ、鉄道廃線跡や未成線など鉄道の歴史を辿るサイクリングをライフワークとする。鉄道趣味のジャンルは「乗り鉄」。旧国鉄型車両を心から愛し、ひそかにJR全線乗車にチャレンジ中。非常勤の防衛省職員である予備三等陸曹の身分も合わせ持っている。
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