2012/07/24(火) - 01:53
昨ステージのTTを走り終えたチームはシャルトルに連泊し、クルマで30分ほどの距離のランブイエのスタート地点に向かう。パリ近郊のこの街は近年何度かスタート地点になっている。
スポークに巻き込んだ指に包帯を巻いて現れたクリスアンケル・セレンセン(サクソバンク・ティンコフ)。背中にはスーパー敢闘賞の赤ゼッケンを付けている。
「TTは辛かった。でも、今日もつらいだろうね。なんたってシャンゼリゼは石畳。ハンドルを持つ手にはすごい衝撃があるんだ。僕にとっては今日はパレードじゃない。楽な日じゃないよ」。
チーム車両、バイク、エキップメント。各賞色に染まる4人
チームバス駐車場に到着したチームスカイの車両を見て驚いた。ブルーのロゴ部分がすべてイエローに変わり、スタッフもお揃いの黄色いSKY文字のTシャツを着ていた。ウィギンズのピナレロも黄色くなった。
実は昨ステージを終えてチームスカイのホテルを「何かあるかもしれない」との思いで訪問した。夜20時半まで粘ったが、そのときもまだ関係車両は黒地に青のままだった。スタッフは「見せられないシークレットがいろいろあるんだよ」とニコニコしていたが、おそらくはこれだけの大仕事を朝のうちに仕上げたのだろう。その早業には驚くばかり。
ウィギンズのバイクは今までも数ステップに分けて黄色い部分が増えていたが、最後のバイクはフレーム全部がイエロー。シマノのホイールには黄色いデカールがあしらわれ、スピードプレイのペダルも黄色いものがアッセンブルされた。
こういった準備をしているのはスカイだけではない。ペーター・サガンのマイヨヴェールを祝うリクイガス・キャノンデールも、サガンにグリーンのバイクを用意した。スペシャルペイントにサガンが勝ったステージのゴール地点の街が記され、ブレーキレバーのブラケットやマヴィックのホイールのロゴまでグリーンで統一。
サガンはこのバイクにゴキゲンで、スタート前にはウィリーをしてみせる。
ユーロップカーはヴォクレールのためにすでに白地に赤い水玉模様のバイクを用意して、ジャージを着たその日から走っている。ユーロップカーのバイクスポンサーであるコルナゴは、実はロランとヴォクレールの2人に山岳賞の可能性があると予想して、あらかじめ2人に水玉模様のフレームを用意していたという。そしてペダルにも水玉が入っている細かさ。
ユーロップカーはこの日チームバスにも(少し手作り感があったが)水玉のステッカーで化粧をして登場した。
新人賞の白いジャージを着るティージェイ・ヴァンガーデレンにはBMCが白いペイントのバイクを用意した。
そして、今回のツールをもって引退する「ビッグジョージ」ことジョージ・ヒンカピーには、17回のツール出場を記念したスペシャルバイクが用意された。
渋めのコッパーゴールドにペイントされたこのバイク。各部に「Big George」「Lucky Seventeen」「Gentleman's round」と文字が入り、ツール17回出場のこのニューヨーク出身の紳士の偉業を讃える。17回のツールのうち、完走できなかったのは初出場の1996年大会のみ。
実はこのバイク、最初の休息日にすでに用意はされ、プレスにもお披露目目は済まされていた。しかしヒンカピーは「乗るのがもったいない。家に飾っておきたい。最終日の最後の晴れ舞台に乗りたい。そのためには完走しなければ」と話していた。そのとおり、17回目のツールを、スペシャルバイクで走る最終日を迎えた。
メエメエ落車の危険?
スタートサインを済ませたユキヤに、デーヴィッド・ミラーが話しかける。ともに出場するオリンピックで、レース後にロンドン市内でミラーとラファが主催するパーティへのカードが手渡された。五輪出場選手は皆直後のロンドンのことを気にしだしている。
4勝ジャージがランブイエのスタートに並んだ。午後2時スタート。すでに日は高く、気温はぐんぐん上昇。ヴォクレールはスタートラインに並んでいるのに慌ててアンダーを脱いだ。
スタート前には各賞色のシャツを着せられた羊が4匹、選手たちの前に登場したが、その場の雰囲気に興奮ぎみの羊たちは暴れて制御が効かなくなりそうだった。その様子に、「また落車が起きるぞ」と、今年も起こった、つながれない犬による「ワンワン落車」へのあてつけの声が挙がった。
ユニオンジャックに染まるシャンゼリゼ
シャンゼリゼのコース脇には多くのイギリスからの応援の人々が駆けつけた。ユニオンジャックがあふれるその光景は今までにないものだった。シャンゼリゼ通り中ほど、コンコルドに近い一角には「NIBALI」とサメの絵が書かれた青い旗を持ったイタリア人たちが、他にも各国の御応援団や、BMC応援団、マイヨヴェール応援団、デンマーク色の強いサクソバンク応援団など、目立つグループがあった。
そしてルーブル博物館の通りに入るコーナーの一角にはノルウェーの大応援団が陣取る。今までも山岳ステージのコース上で多かったが、その人達が一箇所に集結した感じで、その人数はすごかった。出ている選手はボアッソンハーゲンひとり。日本の旗と漢字の「新城」も今年はかなり見かけたが。
しかし、なんといってもイギリスの応援の多さにはかなわない。ウィゴとカヴのお面もあちこちに散見されて、それはちょっと不気味な感じ。お面をする方もそのアンニュイな感じを明らかに狙っている。
プロトンからヒンカピーへのプレゼント
シャンゼリゼに到着してまず飛び出したのはジョージ・ヒンカピーとクリストファー・ホーナー(レディオシャック・ニッサン)。このアタックはプロトンがヒンカピーにもたせた花だったようだ。このベテランアメリカン2人は元チームメイト。そして今日勝ちを狙うカヴェンディッシュも、一昨年はともに所属したHTCハイロードでヒンカピーのリードアウトで勝利した。チームスカイの選手たちもヒンカピーにアタックするよう勧めたという。
名物MCのダニエル・マンジャスさんも「デルニ(最後の)・ツール」を連呼して2人を鼓舞した。思わず(止めると決めたわけじゃない)ホーナーのことを心配してしまうが。
ヒンカピーはレース後に話した。「いつもならシャンゼリゼでおとなしくしているんだ。自分のアタックは予想していなかった。チームスカイの選手たちがアタックしろと言うんだ。彼らの多くは僕の元チームメイト。彼らがそれをさせたんだ。ナイスな振る舞いだったね。誇らしく思う」。
シャンゼリゼで4連勝 カヴの「ケーキに載せるチェリーみたいな勝利」
続いて最後まで抵抗したフォイクトらのタックが粘るが、しかし終盤に向けてはきっちりとチームスカイが仕事をする。
「パリではカヴを勝たせる」。2度めの休息日前からウィギンズが話していたチームスカイの約束が実行に移される時が来た。マイヨジョーヌが引く豪華な列車が走りだした。
カヴェンディッシュも前日のステージ後にこの日の抱負を次のように語っている。
「僕にとってそれは世界で一番美しい大通り。聖なる通りで、自転車レースだけでなく、誰もが知っている有名なところ。それがシャンゼリゼ。そしてツール・ド・フランスは地球上でもっともビッグなレース。そこで勝つことは子供の頃からの夢、そのために僕は生きている。今までも偉大なスプリンターはここで勝ってきた。ここで勝つということはスプリンターにとって最高の栄誉。ツールを完走してパリに到達したことを意味する。ここでのスプリントはとても難しい。そしてここで勝つことは世界選手権の勝利と同じぐらい重要だ」。
最終コーナーを抜けてすぐ、早めのスプリント体制に入ったカヴのスピードは、追いすがる選手たちを寄せ付けなかった。ひとたび加速に入ると、そのスピードはやはり今までのカヴそのもの。ロンドン五輪前に調整に失敗して弱っているなどというネガな話はすべて吹き飛ばしてしまう。
指4本でシャンゼリゼ4連勝をアピールしながらゴールしたカヴ。マイヨ・ヴェールを着てシャンゼリゼ勝利を意気込んでいたサガンはゴールラインを越えるとカヴに手を差し伸べて祝福した。
カヴは言う。「シャンゼリゼの勝利は、3週間レースという美しいケーキの上にトッピングする、大きなチェリーみたいなものだね。そのケーキの一部になれて嬉しい」。
チームスカイが締めくくった美しいケーキ、イエローを着たウィギンズがゴールラインを越えると、凄まじい歓声がシャンゼリゼを包んだ。カメラマンやTVクルーが殺到し、チームメイトと祝福しあう姿を撮ろうと、ウィギンズを囲む。極度の興奮状態の現場で、冷静さを保ったウィギンズ本人が「コームダウン!」を繰り返して殺到する彼らをなだめた。
ウィギンズがもっとも大切にしている、妻と2人の子供もシャンゼリゼに来て、抱き合った。それでもラッシュが収まらないカメラマンたちには、「危ないだろう」と怒りの声を上げる。
妻と子供を気遣い、イギリス一色の優勝パレードへ
シャンゼリゼに用意されたポディウムにウィギンズが上がると、沿道のユニオンジャックが大漁旗のように振られて目立つこと! そしてマイヨジョーヌを着たウィギンズに観客たちの感動の視線が集まるなか、どうセキュリティをかいくぐったか、もはや名物の乱入男が壇上に上がって「もっと盛り上げて」のポーズ。そうくればベルナール・イノー氏の出番だ。素早くその男を突き落とし、これで通算3度めの「追い払いプッシュ」を披露した。
おそらくはイギリスから招待された女性歌手による、ツールのポディウムに聞きなれないイギリス国歌が流れた。ウィギンズはマイクを握ると、今の喜びの気持ちがうまく言い表せないと話した。ウィギンズが言う通り、昨日のうちに勝利に関することはすべて話してしまっっていた。その壇上で感じる喜び以外のことは。
ポディウムの脇で祝福したウィギンズの妻と子供たち。チームバスの待つコンコルド広場までは家族4人で歩くことにした(普通は自転車で走って帰る)。
パレードにはウィギンズの子供二人にスポンサーのピナレロが黄色いバイクを用意していた。上の男の子のほうがそのバイクに乗って、シャンゼリゼ通りを往復した。まだ6歳ぐらいの小さい子だが、ちゃんとドロップハンドルのロードバイクを乗りこなせていた。その可愛らしい姿といったらなかった。
パレードでの凱旋門の回りにできたイギリス人応援コーナーでの凄まじい盛り上がり。イギリスの勝利をいやというほど印象づけられた。
チームスカイのもうひとつの目標、ロンドンオリンピックへ
イギリス人によるイギリスチームで、イギリス人がツールを勝つ。3年前にその目標とともに立ち上がったチームが、結成わずか3年にしてその目標を達成した。総合1位と2位、そしてイギリス人によるステージ7勝という、この上ない結果とともに。しかも1週間以内にロンドン五輪を迎えるその年に。
ウィギンズ、フルーム、カヴのチームスカイの3人はその夜のうちにパーティなしですぐイギリスに帰り、ロンドン近郊のお忍びの場所で、ファンやメディアの騒ぎを避けて休息しながら調整するという(ちなみにミラーだけはガーミンのパーティに出てから帰ることになっている)。
チームスカイにとって、ロンドン五輪は通常のプロチームが捉えるよりも大きなイベントだ。
カヴは言う「ロードレースの世界ではオリンピックのステータスは他のスポーツほど高くない。でもイギリス開催の五輪でイギリス人として勝つことができるチャンスがある今年は特別。そのためにツールの勝利が減ったとしても、何としても勝ちたい」。
GMのブレイルスフォード氏は言う「ツール・ド・フランスの視聴率が高いといっても、オリンピックには敵わない。ツールはインターナショナルに興味を持たれるイベントではあるが、ヨーロッパを中心に(テレビで)観られている。世界じゅうの人が観るオリンピックには到底敵わない」。
イギリスナショナルチームも、もともとCS放送局「スカイ」がメインスポンサーになっている。その意味でもロンドン五輪はチームにとってもツールかそれ以上の重要なレースになる。
カヴェンディッシュがイギリス籍のチームスカイに移籍したのも、オリンピックをターゲットにしての意味が大きい。
ウィギンズとフルームがこのツールで結果を残したことで、チームスカイは来年以降もより総合狙いでツールメンバーを編成することは確実。そのことでカヴェンディッシュは自分のスプリントのためにメンバーを組めるチームに移籍する可能性が高いとも言われている。それはごく自然なことだ。「カヴの取り合い」契約交渉はすでに始まっているのだろう。報酬面を含めて条件さえ合うチームが見つかれば、の話だが...。
日本人最高位 2時間29分13秒遅れの総合84位
集団内でゴールした新城幸也(ユーロップカー)のこのツールでの記録は、2時間29分13秒遅れの総合84位。トマ・ヴォクレールのステージ2勝と山岳賞、ピエール・ロランの山岳ステージ1勝、自身のアタック含む3つの敢闘賞獲得。ユーロップカーの「いいツール」に大きく貢献した。
3度めのツール完走。総合84位は日本人初の二桁順位だ。レースの感想はレース後インタビュー記事を参照して欲しい。
改めて振り返ると、新城の初出場の2009年ツールはトップから3時間16分44秒遅れの総合129位。2010年ツールは3時間13分20秒遅れの112位だった。
なお、2009年ツールには別府史之(当時スキル・シマノ)もともに初出場し、2時間55分21秒遅れの総合112位で終えている。つまり個人総合成績の過去最高順位は2010年の新城と2009年の別府の、ともに112位。総合タイム差を考慮すれば2009年の別府が過去最高の記録だった。
「このツールは過去に経験した二度のツールより余裕がある」そう言い続けたまま、ユキヤは最後まで走り通した。後半に向けて多くの選手が調子を落とす中、それを保つタフささえ見せた。もはやユキヤに「完走できますか?」と聞くジャーナリストはいないし、「完走の感想」を聞くのはお門違い。
実際のところ、取材を続ける日本のメディアの我々がユキヤにパリまでの完走を心配されているぐらいの関係だ。コース上で撮影している姿を見かけなかったら、何かあったのか?と聞かれるほど毎日のユキヤには余裕があった。
このツールでしたユキヤのアタックについて振り返っておこう。
第4ステージは自身の逃げ切りを狙ってアタックし、3人で逃げて敢闘賞を獲得。
第10・16ステージはヴォクレールとともにアタックし、逃げのなかでヴォクレールを助けるアシストとして仕事をした。
第18ステージは2度めの自分のためのアタックだったが、16人の逃げ集団が逃げ切れることはなかった。
切望したユキヤ自身のステージ優勝は、結局実を結ぶことはなかった。しかしロランのステージ勝利と総合順位確保のためのアシスト、そしてステージ優勝と山岳賞を狙うヴォクレールへのアシストは確実に結果につながった。チーム内での働きは大きく評価を高めた。
GMのベルノドー氏は言う「日本人で最初にツールでステージ優勝を上げるのはユキヤだ」。
その言葉には、なんのお世辞も含まれていない。そして何より第18ステージ後にユキヤ自身が残した「来年まで待って下さい」の言葉を信じて、その日が来るのを待ちたい。ツール以外のレースでは、それは間近に実現されるはずだろう。
そしてロンドン五輪にも期待をしたい。「ボックスヒルで人数が絞られて、小集団スプリントになると予想される自分に向いているコース。別府さんとふたりで何かできると思っています」とユキヤは話している。
photo&text:Makoto.AYANO
スポークに巻き込んだ指に包帯を巻いて現れたクリスアンケル・セレンセン(サクソバンク・ティンコフ)。背中にはスーパー敢闘賞の赤ゼッケンを付けている。
「TTは辛かった。でも、今日もつらいだろうね。なんたってシャンゼリゼは石畳。ハンドルを持つ手にはすごい衝撃があるんだ。僕にとっては今日はパレードじゃない。楽な日じゃないよ」。
チーム車両、バイク、エキップメント。各賞色に染まる4人
チームバス駐車場に到着したチームスカイの車両を見て驚いた。ブルーのロゴ部分がすべてイエローに変わり、スタッフもお揃いの黄色いSKY文字のTシャツを着ていた。ウィギンズのピナレロも黄色くなった。
実は昨ステージを終えてチームスカイのホテルを「何かあるかもしれない」との思いで訪問した。夜20時半まで粘ったが、そのときもまだ関係車両は黒地に青のままだった。スタッフは「見せられないシークレットがいろいろあるんだよ」とニコニコしていたが、おそらくはこれだけの大仕事を朝のうちに仕上げたのだろう。その早業には驚くばかり。
ウィギンズのバイクは今までも数ステップに分けて黄色い部分が増えていたが、最後のバイクはフレーム全部がイエロー。シマノのホイールには黄色いデカールがあしらわれ、スピードプレイのペダルも黄色いものがアッセンブルされた。
こういった準備をしているのはスカイだけではない。ペーター・サガンのマイヨヴェールを祝うリクイガス・キャノンデールも、サガンにグリーンのバイクを用意した。スペシャルペイントにサガンが勝ったステージのゴール地点の街が記され、ブレーキレバーのブラケットやマヴィックのホイールのロゴまでグリーンで統一。
サガンはこのバイクにゴキゲンで、スタート前にはウィリーをしてみせる。
ユーロップカーはヴォクレールのためにすでに白地に赤い水玉模様のバイクを用意して、ジャージを着たその日から走っている。ユーロップカーのバイクスポンサーであるコルナゴは、実はロランとヴォクレールの2人に山岳賞の可能性があると予想して、あらかじめ2人に水玉模様のフレームを用意していたという。そしてペダルにも水玉が入っている細かさ。
ユーロップカーはこの日チームバスにも(少し手作り感があったが)水玉のステッカーで化粧をして登場した。
新人賞の白いジャージを着るティージェイ・ヴァンガーデレンにはBMCが白いペイントのバイクを用意した。
そして、今回のツールをもって引退する「ビッグジョージ」ことジョージ・ヒンカピーには、17回のツール出場を記念したスペシャルバイクが用意された。
渋めのコッパーゴールドにペイントされたこのバイク。各部に「Big George」「Lucky Seventeen」「Gentleman's round」と文字が入り、ツール17回出場のこのニューヨーク出身の紳士の偉業を讃える。17回のツールのうち、完走できなかったのは初出場の1996年大会のみ。
実はこのバイク、最初の休息日にすでに用意はされ、プレスにもお披露目目は済まされていた。しかしヒンカピーは「乗るのがもったいない。家に飾っておきたい。最終日の最後の晴れ舞台に乗りたい。そのためには完走しなければ」と話していた。そのとおり、17回目のツールを、スペシャルバイクで走る最終日を迎えた。
メエメエ落車の危険?
スタートサインを済ませたユキヤに、デーヴィッド・ミラーが話しかける。ともに出場するオリンピックで、レース後にロンドン市内でミラーとラファが主催するパーティへのカードが手渡された。五輪出場選手は皆直後のロンドンのことを気にしだしている。
4勝ジャージがランブイエのスタートに並んだ。午後2時スタート。すでに日は高く、気温はぐんぐん上昇。ヴォクレールはスタートラインに並んでいるのに慌ててアンダーを脱いだ。
スタート前には各賞色のシャツを着せられた羊が4匹、選手たちの前に登場したが、その場の雰囲気に興奮ぎみの羊たちは暴れて制御が効かなくなりそうだった。その様子に、「また落車が起きるぞ」と、今年も起こった、つながれない犬による「ワンワン落車」へのあてつけの声が挙がった。
ユニオンジャックに染まるシャンゼリゼ
シャンゼリゼのコース脇には多くのイギリスからの応援の人々が駆けつけた。ユニオンジャックがあふれるその光景は今までにないものだった。シャンゼリゼ通り中ほど、コンコルドに近い一角には「NIBALI」とサメの絵が書かれた青い旗を持ったイタリア人たちが、他にも各国の御応援団や、BMC応援団、マイヨヴェール応援団、デンマーク色の強いサクソバンク応援団など、目立つグループがあった。
そしてルーブル博物館の通りに入るコーナーの一角にはノルウェーの大応援団が陣取る。今までも山岳ステージのコース上で多かったが、その人達が一箇所に集結した感じで、その人数はすごかった。出ている選手はボアッソンハーゲンひとり。日本の旗と漢字の「新城」も今年はかなり見かけたが。
しかし、なんといってもイギリスの応援の多さにはかなわない。ウィゴとカヴのお面もあちこちに散見されて、それはちょっと不気味な感じ。お面をする方もそのアンニュイな感じを明らかに狙っている。
プロトンからヒンカピーへのプレゼント
シャンゼリゼに到着してまず飛び出したのはジョージ・ヒンカピーとクリストファー・ホーナー(レディオシャック・ニッサン)。このアタックはプロトンがヒンカピーにもたせた花だったようだ。このベテランアメリカン2人は元チームメイト。そして今日勝ちを狙うカヴェンディッシュも、一昨年はともに所属したHTCハイロードでヒンカピーのリードアウトで勝利した。チームスカイの選手たちもヒンカピーにアタックするよう勧めたという。
名物MCのダニエル・マンジャスさんも「デルニ(最後の)・ツール」を連呼して2人を鼓舞した。思わず(止めると決めたわけじゃない)ホーナーのことを心配してしまうが。
ヒンカピーはレース後に話した。「いつもならシャンゼリゼでおとなしくしているんだ。自分のアタックは予想していなかった。チームスカイの選手たちがアタックしろと言うんだ。彼らの多くは僕の元チームメイト。彼らがそれをさせたんだ。ナイスな振る舞いだったね。誇らしく思う」。
シャンゼリゼで4連勝 カヴの「ケーキに載せるチェリーみたいな勝利」
続いて最後まで抵抗したフォイクトらのタックが粘るが、しかし終盤に向けてはきっちりとチームスカイが仕事をする。
「パリではカヴを勝たせる」。2度めの休息日前からウィギンズが話していたチームスカイの約束が実行に移される時が来た。マイヨジョーヌが引く豪華な列車が走りだした。
カヴェンディッシュも前日のステージ後にこの日の抱負を次のように語っている。
「僕にとってそれは世界で一番美しい大通り。聖なる通りで、自転車レースだけでなく、誰もが知っている有名なところ。それがシャンゼリゼ。そしてツール・ド・フランスは地球上でもっともビッグなレース。そこで勝つことは子供の頃からの夢、そのために僕は生きている。今までも偉大なスプリンターはここで勝ってきた。ここで勝つということはスプリンターにとって最高の栄誉。ツールを完走してパリに到達したことを意味する。ここでのスプリントはとても難しい。そしてここで勝つことは世界選手権の勝利と同じぐらい重要だ」。
最終コーナーを抜けてすぐ、早めのスプリント体制に入ったカヴのスピードは、追いすがる選手たちを寄せ付けなかった。ひとたび加速に入ると、そのスピードはやはり今までのカヴそのもの。ロンドン五輪前に調整に失敗して弱っているなどというネガな話はすべて吹き飛ばしてしまう。
指4本でシャンゼリゼ4連勝をアピールしながらゴールしたカヴ。マイヨ・ヴェールを着てシャンゼリゼ勝利を意気込んでいたサガンはゴールラインを越えるとカヴに手を差し伸べて祝福した。
カヴは言う。「シャンゼリゼの勝利は、3週間レースという美しいケーキの上にトッピングする、大きなチェリーみたいなものだね。そのケーキの一部になれて嬉しい」。
チームスカイが締めくくった美しいケーキ、イエローを着たウィギンズがゴールラインを越えると、凄まじい歓声がシャンゼリゼを包んだ。カメラマンやTVクルーが殺到し、チームメイトと祝福しあう姿を撮ろうと、ウィギンズを囲む。極度の興奮状態の現場で、冷静さを保ったウィギンズ本人が「コームダウン!」を繰り返して殺到する彼らをなだめた。
ウィギンズがもっとも大切にしている、妻と2人の子供もシャンゼリゼに来て、抱き合った。それでもラッシュが収まらないカメラマンたちには、「危ないだろう」と怒りの声を上げる。
妻と子供を気遣い、イギリス一色の優勝パレードへ
シャンゼリゼに用意されたポディウムにウィギンズが上がると、沿道のユニオンジャックが大漁旗のように振られて目立つこと! そしてマイヨジョーヌを着たウィギンズに観客たちの感動の視線が集まるなか、どうセキュリティをかいくぐったか、もはや名物の乱入男が壇上に上がって「もっと盛り上げて」のポーズ。そうくればベルナール・イノー氏の出番だ。素早くその男を突き落とし、これで通算3度めの「追い払いプッシュ」を披露した。
おそらくはイギリスから招待された女性歌手による、ツールのポディウムに聞きなれないイギリス国歌が流れた。ウィギンズはマイクを握ると、今の喜びの気持ちがうまく言い表せないと話した。ウィギンズが言う通り、昨日のうちに勝利に関することはすべて話してしまっっていた。その壇上で感じる喜び以外のことは。
ポディウムの脇で祝福したウィギンズの妻と子供たち。チームバスの待つコンコルド広場までは家族4人で歩くことにした(普通は自転車で走って帰る)。
パレードにはウィギンズの子供二人にスポンサーのピナレロが黄色いバイクを用意していた。上の男の子のほうがそのバイクに乗って、シャンゼリゼ通りを往復した。まだ6歳ぐらいの小さい子だが、ちゃんとドロップハンドルのロードバイクを乗りこなせていた。その可愛らしい姿といったらなかった。
パレードでの凱旋門の回りにできたイギリス人応援コーナーでの凄まじい盛り上がり。イギリスの勝利をいやというほど印象づけられた。
チームスカイのもうひとつの目標、ロンドンオリンピックへ
イギリス人によるイギリスチームで、イギリス人がツールを勝つ。3年前にその目標とともに立ち上がったチームが、結成わずか3年にしてその目標を達成した。総合1位と2位、そしてイギリス人によるステージ7勝という、この上ない結果とともに。しかも1週間以内にロンドン五輪を迎えるその年に。
ウィギンズ、フルーム、カヴのチームスカイの3人はその夜のうちにパーティなしですぐイギリスに帰り、ロンドン近郊のお忍びの場所で、ファンやメディアの騒ぎを避けて休息しながら調整するという(ちなみにミラーだけはガーミンのパーティに出てから帰ることになっている)。
チームスカイにとって、ロンドン五輪は通常のプロチームが捉えるよりも大きなイベントだ。
カヴは言う「ロードレースの世界ではオリンピックのステータスは他のスポーツほど高くない。でもイギリス開催の五輪でイギリス人として勝つことができるチャンスがある今年は特別。そのためにツールの勝利が減ったとしても、何としても勝ちたい」。
GMのブレイルスフォード氏は言う「ツール・ド・フランスの視聴率が高いといっても、オリンピックには敵わない。ツールはインターナショナルに興味を持たれるイベントではあるが、ヨーロッパを中心に(テレビで)観られている。世界じゅうの人が観るオリンピックには到底敵わない」。
イギリスナショナルチームも、もともとCS放送局「スカイ」がメインスポンサーになっている。その意味でもロンドン五輪はチームにとってもツールかそれ以上の重要なレースになる。
カヴェンディッシュがイギリス籍のチームスカイに移籍したのも、オリンピックをターゲットにしての意味が大きい。
ウィギンズとフルームがこのツールで結果を残したことで、チームスカイは来年以降もより総合狙いでツールメンバーを編成することは確実。そのことでカヴェンディッシュは自分のスプリントのためにメンバーを組めるチームに移籍する可能性が高いとも言われている。それはごく自然なことだ。「カヴの取り合い」契約交渉はすでに始まっているのだろう。報酬面を含めて条件さえ合うチームが見つかれば、の話だが...。
日本人最高位 2時間29分13秒遅れの総合84位
集団内でゴールした新城幸也(ユーロップカー)のこのツールでの記録は、2時間29分13秒遅れの総合84位。トマ・ヴォクレールのステージ2勝と山岳賞、ピエール・ロランの山岳ステージ1勝、自身のアタック含む3つの敢闘賞獲得。ユーロップカーの「いいツール」に大きく貢献した。
3度めのツール完走。総合84位は日本人初の二桁順位だ。レースの感想はレース後インタビュー記事を参照して欲しい。
改めて振り返ると、新城の初出場の2009年ツールはトップから3時間16分44秒遅れの総合129位。2010年ツールは3時間13分20秒遅れの112位だった。
なお、2009年ツールには別府史之(当時スキル・シマノ)もともに初出場し、2時間55分21秒遅れの総合112位で終えている。つまり個人総合成績の過去最高順位は2010年の新城と2009年の別府の、ともに112位。総合タイム差を考慮すれば2009年の別府が過去最高の記録だった。
「このツールは過去に経験した二度のツールより余裕がある」そう言い続けたまま、ユキヤは最後まで走り通した。後半に向けて多くの選手が調子を落とす中、それを保つタフささえ見せた。もはやユキヤに「完走できますか?」と聞くジャーナリストはいないし、「完走の感想」を聞くのはお門違い。
実際のところ、取材を続ける日本のメディアの我々がユキヤにパリまでの完走を心配されているぐらいの関係だ。コース上で撮影している姿を見かけなかったら、何かあったのか?と聞かれるほど毎日のユキヤには余裕があった。
このツールでしたユキヤのアタックについて振り返っておこう。
第4ステージは自身の逃げ切りを狙ってアタックし、3人で逃げて敢闘賞を獲得。
第10・16ステージはヴォクレールとともにアタックし、逃げのなかでヴォクレールを助けるアシストとして仕事をした。
第18ステージは2度めの自分のためのアタックだったが、16人の逃げ集団が逃げ切れることはなかった。
切望したユキヤ自身のステージ優勝は、結局実を結ぶことはなかった。しかしロランのステージ勝利と総合順位確保のためのアシスト、そしてステージ優勝と山岳賞を狙うヴォクレールへのアシストは確実に結果につながった。チーム内での働きは大きく評価を高めた。
GMのベルノドー氏は言う「日本人で最初にツールでステージ優勝を上げるのはユキヤだ」。
その言葉には、なんのお世辞も含まれていない。そして何より第18ステージ後にユキヤ自身が残した「来年まで待って下さい」の言葉を信じて、その日が来るのを待ちたい。ツール以外のレースでは、それは間近に実現されるはずだろう。
そしてロンドン五輪にも期待をしたい。「ボックスヒルで人数が絞られて、小集団スプリントになると予想される自分に向いているコース。別府さんとふたりで何かできると思っています」とユキヤは話している。
photo&text:Makoto.AYANO
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