新体制で世界進出を睨んだ活動を開始したチームブリヂストンアンカー。いきなりのツアー・オブ・カタール参戦で世界のトップチームと闘った。帯同したカメラマン・大前稔氏がチームの内側からレポートする。

久保監督は常に情報収集を怠らない久保監督は常に情報収集を怠らない (c)Minoru.Omae「2月5日、ツアー・オブ・カタール2012 第1ステージのスタート」

ツアー・オブ・カタールがいよいよスタートする。朝の天候は晴れ(スタートは午後12時30分)、手元の計測器では北風2m/s、気温22.8℃、湿度52%、と噂の風は影をひそめ、ポカポカと温かく強い紫外線が降り注ぐ。少し拍子抜けするくらい穏やかだ。軽量な選手が多いブリヂストンアンカーにとっては、良い天候と言えるのではないだろうか。

スタートの前夜、久保監督の話が聞けた。
「新しくチームを組み直したブリヂストンアンカーにとって、このハイレベルなレースはまったく未知の領域。外国人選手が4人在籍する、チームの"パワーバランス"についてもそう。レースのレベルの云々ではなく、このチームでレースに出場すること自体、何と言っても初めてですから。しかし限られた時間の中で準備が整うように努力してここに入った。
とは言え、やはり世界"トップレベル"のプロチーム相手に、いきなり好成績を挙げられるとは思っていない。第1・第2ステージは、まず自分たちが、このレースのどこで戦えるのかを計る。そして出された結果から、どうすればそれより上のポジションへ上がることができるのかを考えることにする」

さらに久保監督は言う。
「レースとは少し離れたところでも、チームのアピールを怠らないようにしたいと思う。と言うのは、我々は招待されてこのレースにエントリーしている。オーガナイザーがそれに使う予算も小さくはない。招待したチームが、オーガナイザーや、他のチームとコミュニケーションが取れず孤立しているのは最も良くないことだと思う。オーガナイザーが呼んでよかった。と思ってもらえるようにしたいです。

選手たちはスタート準備を整える選手たちはスタート準備を整える (c)Minoru.Omaeレースでは、さらに強烈にアピールしたい。例えば前半の逃げに乗るなどして、存在を知らせ、我々が真の意味でレースに参戦していけることを覚えて欲しい。そうなれば、レース展開を想定しやすくなるし、選手の負担もその分減ってくる。カタールが終わった後すぐにオマーンがあるが、このレースでしっかりアピールできれば、同じように世界の強豪がエントリーするオマーンでは、チームをアピールと言うより、もっとレース自体の展開を意識できるようになる」。

確かに久保監督は、食事会場では他のチームやオーガナイザーのテーブルを訪れ談笑したり、そこで得られた情報をチームにフィードバックしたりすることを怠らない。これを見て"コミュニケーション"と"バイタリティ"とは、どんなに大切か改めて思い知る。

そして、第1ステージ(142.5km)スタートラインへ。
拠点としているホテルから車で30分ほど移動した砂漠のど真ん中に、ポツンと(と言っても実際は広大なのだが)整備された場所がある。
道幅は20メートル以上あり、スタートラインを引くにはとても良い環境だ。道路脇の歩道にバイク用のラックが設置されていて、各チームは自転車をそこに吊し、スタート準備を整える。監督とチームスタッフ、そして選手らから緊張が強く伝わってくる。

準備が完了し、出走サイン。その時、久保監督が中心となって手作りしてきた、「がんばろう東日本」のバナーを、各国のメディアの前に披露した。

関東東北大震災を受けて勇気のメッセージを掲げたブリヂストンアンカー関東東北大震災を受けて勇気のメッセージを掲げたブリヂストンアンカー (c)Minoru.Omae

たった今広げたばかりのバナーには、既に震災を知る強豪チームの選手から応援を意味するサインが書き込まれていた。今、「本当は勇気をもらいたい選手らが、震災にあってしまった方たちに伝えたい、遥か砂漠のカタールから"勇気のメッセージ"」である。このメッセージが日本、そして世界に届くことを信じて。

「第1ステージ、不安がよぎる」

第1ステージスタート1分前第1ステージスタート1分前 (c)Minoru.Omae選手らの緊張がレースに影響したとは思えない。ある程度の緊張感は好結果をもたらすことが多い。きょうは、その範囲であったと思う。
スローペースで淡々と走った集団は、中盤の方向転換で風の向きが変わった瞬間、何かに弾かれるようにトップスピードに入った。
この状況をあえて説明すると、高速道路が工事で一時通行止めになり、渋滞しているようなものだろうか。それが解除された瞬間、最初のスーパーカー数台が全開で発進。50番目にいる車は、黙ってそれを見ているしか術がない。自分が動ける順番がやって来る頃には、最初の車は遥か彼方である。

レースの状況に戻る。まさにその時、後方に位置していたアンカーは術なく動けないでいた。第1ステージでは、「最初の逃げに乗り、レースのすべての関係者にアピールする」という目的は果たせなかった。しかしこの時、世界トップレベルのレースが何を仕掛けてくるか、しっかりと選手らは学習していたのだ。

「2月6日、第2ステージ(11.3km)、チームタイムトライアル、気付き」

朝のミーティングで作戦を話しあう朝のミーティングで作戦を話しあう (c)Minoru.Omaeブリヂストンアンカーはこのコースを使って既にチームタイムトライアルを練習していた。といっても、チームタイムトライアルらしい走行も、このコースを走ることも時間が取れたのはカタール入りして1度きり、たった2周回だけだった。
この日の朝行ったミーティングは、まず第1ステージの反省、そして目前に迫ったチームタイムトライアルの作戦について、を話す。

チームタイムトライアルを走るブリヂストンアンカー 長い直線から最終コーナーへ向うチームタイムトライアルを走るブリヂストンアンカー 長い直線から最終コーナーへ向う (c)Minoru.Omae選手らの発言は積極的で、たった一度のチーム走行で判明した修正箇所と並びを確認した。チームタイムトライアルは隊列を組み走る、"風と自分"との戦いだ。先頭の選手が風を切り裂き、後方のすべての選手はその風の隙間に入り込む。先頭は後方の何倍も脚を使うので、次々と選手を入れ替える。タイミングや隊列が少しだけズレれば、その分少しずつタイムは遅くなる。

監督も選手も、試走の際ローテーションはスムーズに行われていたことを確認していたので、後は声を掛け合い全体で動くこと。スタートから3km地点までにもし遅れる選手がいても全体で待つこと。などが細かい部分が決められた。

13時06分スタート地点は、晴れ。北北東4.8m/s、気温22.7℃、湿度25.4%。砂漠から強い風が吹いていたが、これは周知のこと。ブリヂストンアンカーは、前日のレース結果から、3番目のスタートだ。
8名の選手が戦車のキャタピラーのようにローテーションしつつ、後ろに2台のサポートカーを従えて、砂漠の張りたての舗装路をやって来る。美しい隊列は大きく崩れることなく目前を通過し、ゴールした。

レース後、キャプテンの井上選手は、「まとまった感じはあったが、(速度を)上げに行く時に少し乱れがあった。声を掛け合うことができて、良いチームタイムトライアルだったと思う」と語る。また、吉田選手も同じ感想ではあったが最後に付け加えた言葉が、「悔しい」だった。西園選手についても、「最後に余力があった」と語っている。
この時選手たちは、「もしかしたらこのレース、もう少し行けるのかもしれない」そう気付かせる、昨日の不安とは明らかに違う何か重要な手応えを感じていたのだ。

「2月7日、第3ステージ(146.5km)、確信」

メカニックブースに選手たちが集ったメカニックブースに選手たちが集った (c)Minoru.Omae晴れ、北東風3.2m/s、気温26.1℃、湿度30.6%。
ブリヂストンアンカーには、ツアー・オブ・カタール中に明らかな"転機"があった。それがこの第3ステージだ。スタート地点に到着した後に行われた朝のミーティングが、そのきっかけと確信する。

この日は久保監督に、フランス人監督のドゥニーが加わった。 ドゥニーは、選手としても輝かしい成績を誇る人物だが、フランスの弱小チームを育て、ツール・ド・フランスに連れて行き、選手にマイヨジョーヌを纏わせ、山岳賞、そしてステージ優勝をさせた"名将"と言うべき人物である。久保監督も彼に学びたいと話すほどだ。

さらに細部を確認する。左からドゥニー監督、トマ選手、久保監督さらに細部を確認する。左からドゥニー監督、トマ選手、久保監督 (c)Minoru.Omae身も心も洗われるような久保監督とドゥニーのミーティング内容はこうだ。
「きょうは前半で必ず一人送り込む。そうでなければノー・チャンス。一人が行き、ダメなら次、そして次。逃げに乗る確立を高めることを考えよう。但し全員で行き、同時に終わってはいけない。

逃げを決めたアレックス逃げを決めたアレックス (c)Minoru.Omaeボーネンやカヴェンディッシュが強引な位置取りに来ても、億してはならない。自分達もプロとして来ているのだから、自分たちが入りたい所を譲る必要はない。自分たちのポジションをキープしよう。彼らはビッグネームだが、譲らなければならないルールなんて無い」

さらに、「このレースは、横風レースとして有名な世界一厳しいレースだから、そこで自分たちがキツイのは、恥ずべきことではない。しかしその中で少しでもチームが動くことができれば、夏のビッグレースに招待の可能性が出てくる。自分たちは世界に挑戦を始めたのだから、最善の努力をして、どんなに強い横風でも、走れる所を見せてやろう」。

選手の顔つきが変わった。私は、この瞬間に立ち会えたことを一生忘れない。
やがて第3ステージがスタートし、アレックス選手は約120kmの逃げを見せた。この待望の活躍でついに「俺たちは行ける」選手たちが、そう確信した。

「2月8日、第4ステージ(144.0km)、果敢」

出走サインをするブレーズ選手、吉田選手(右)出走サインをするブレーズ選手、吉田選手(右) (c)Minoru.Omae晴れ、東南東風4.7m/s、気温22.0℃、湿度49.8%。きょうのスタートは、宿泊している拠点から車で北に50分ほど移動した、カタールの東海岸にある、のどかで美しい漁港にスタートゲートが設営されていた。各チームはそこでスタートの準備を整える。

ミーティングと準備。どのチームも余念がないミーティングと準備。どのチームも余念がない (c)Minoru.Omaeレース直前、久保監督に話が聞けた。
「チームは皆、"今日は自分が"と、思っている。ただレースの展開は、昨日より難しいことが予想される。それは、まだ動けていないチームが多くいるので、"今日のステージを取れ"の指令が出ているはず。
昨日のアレックスのように、決まる確立は極めて低く、何度も脚を使わされてしまうことが予想される。最初の25kmの追風基調は、とても速いペースが予想されるので、位置取りが少しでも悪いと取り返しがつかない状況になる。しかし、前半から逃げられるよう今日も努力する」

サポートカーから補給を受ける清水選手と後方はもう一人の逃げ、ロトのラルスイティング・バクサポートカーから補給を受ける清水選手と後方はもう一人の逃げ、ロトのラルスイティング・バク (c)Minoru.Omaeスタートゲートは田んぼが乾燥して固まったような、お世辞にも舗装とは呼べない路面の上に設置されていた。それがスタートゲートから、少なくとも見えなくなるまでは続いている。これを見た各チームのメカニックはスペアのホイールが直ぐに取り出せるようもう一度チェックを行っていた。彼らのリカバリー能力の中の、"予測"が働いた。

12時25分、スタートゲートを選手たちが出発した(ニュートラル区間は、チームタイムトライアルを除くすべてのステージに設けられている)12時35分に本スタート(Actual start)の予定だ。その時ラジオツールに連絡が飛んだ。「ブリヂストンアンカー、クレベゾン!」

本スタート前のメカニックの予測が的中してしまう、パンクだ。ラジオツールでは、誰か分からなかったが、それは昨日活躍を見せたアレックス選手だった。このあとも続々と、他チームのパンクがラジオツールから聞こえていた。

アレックス選手は、メカニックの素早い対応で、本スタート直前に集団の最後方に戻ったが、脚を使ったこと、そしてスタート直後から先頭が高速走行に入ることが予想されていたので、言葉には出さないがサポートカーの空気が重くなる。
その予測が的中し、最後方に位置することになったアレックス選手は、メイン集団から遅れてしまう。
しかし元々予測とは、悪い状況より良い結果をもたらす為に立てられるものだ。

次にラジオツールから聞こえて来たのは、良いニュースだった。それは先頭集団から2名の選手の逃げが決まったことで、その中に清水都貴選手の名前がコールされたことだ。約80km、最大で集団から7分の差を保った逃げは、メディア、オーガナイザー、各チームの注目を集めた。ラジオツールから、清水選手のプロファイル紹介が聞こえた時は、日本人として、こちらも鼻が高い思いだった。
そして、逃げが集団に吸収されたレース終盤、"仕掛け合い"が始まると井上選手がそれに参加。ブリヂストンアンカーはさらに注目を集めることになった。

「2月9日、第5ステージ(160.0km)、挑戦者」

想定される風の向きを地図上で再確認する想定される風の向きを地図上で再確認する (c)Minoru.Omae晴れ、南南東風2.3m/s、気温21.5℃、湿度59.8%。
第5ステージは、ツアー・オブ・カタールの過去の画像でよく目にする、ラクダのレース・トラックに隣接する場所にスタートゲートが設営されているステージだ。

メカニックのヤンと最終確認をするクラース選手メカニックのヤンと最終確認をするクラース選手 私は、今回のレースではオーガナイザーのスタッフとして参加し、プレスカーのドライバーを務めるドゥニー(ブリヂストンアンカー、フランス監督)の車に乗り込んだ。あの第3ステージ朝のミーティングから、とても気になる人物である(それはリスペクトだ)。

プレスカーからは、基本的に大型のカメラでの撮影が禁止されているが、撮影のための移動手段が確保できなかった。という理由もあってここに乗車させていただいた。
ドゥニーから、今回のブリヂストンアンカーで、久保監督と話している事について車中で聞いてみた。

5名の逃げグループが形成された5名の逃げグループが形成された (c)Minoru.Omae「今回のレースは、世界のトップレベルのチームが集まるが、シーズンが始まったばかりのレースなので、様々なトライをしてくる。ブリヂストンアンカーは、実力以上のレースに突然放り込まれて、戸惑っても仕方ないし、それが当然だろう。ただ、ここでは"学ぶ"という気持ちを忘れず、最高のトレーニングの場と考えよう。もし最後までそう思えれば、チームは確実にスキルアップし、次のレースに行った時、各選手は自信を持ち、それぞれが一回り大きくなったことを実感するだろう」。

久保監督、ドゥニー監督の2本柱は、想像以上に機能していることを改めて確認できた。(フランス語は同乗のライター・宮本さんに訳していただきました)

5名の逃げグループと砂漠の一本道5名の逃げグループと砂漠の一本道 (c)Minoru.Omae12時丁度、集団は既にスタートゲートを発ち、本スタートの地点に差し掛かっていた。プレスカーは、メイン集団の前方を走行できる。撮影ができないことに複雑な気持ちだったが、ここはこちらも"学ぶ"気持ちに徹することにした。

12時09分、本スタート。激しいアタック合戦が展開されている。
12時12分、スルスルと、"おそらく"ブリヂストンアンカーの選手が先行を始めたのが遠くに見えた。遠過ぎて誰かは分からない。その選手に1人、いや2人の選手が続いたようだ。集団に吸収されそうなわずかな距離で先行している。そしてさらに2名の選手が続く。

12時14分、5人の選手が逃げ始めた。その時例のラジオツールから選手がコールされた。「ブリヂストンアンカー、ニシゾーノ!」ドゥニー監督がハンドルを右手で弾いて、「トレビアーン!」。久保監督がドライブする第1チームカーの状況も容易に想像できた。

西薗選手を含む逃げのグループは、この後約110km、最大4分40秒ほどの差を保ちレースを作った。(逃げが始まり1時間後の平均速度は、52.3km/h!)

3ステージ連続で逃げに乗るブリヂストンアンカーの躍動は、メディアの中でも変化をもたらす。各国のメディアから、仕事の合間に声を掛けてもらえるようになった。
このステージの途中、ブレーズ選手が落車し鎖骨骨折という大きな怪我で戦列を離れることになった。次のオマーンに照準を合わせていた選手だったので、本当に残念だ。速い復帰を祈る。

「2月10日、第6ステージ(120.0km)、成長」

ツアー・オブ・カタール最後ステージ前のミーティングツアー・オブ・カタール最後ステージ前のミーティング (c)Minoru.Omae晴れ、北東風2.4m/s、気温26.3℃、湿度49.7%。第6(最終)ステージのスタート前に、吉田隼人選手に少しだけ話が聞けた。

「清水選手も、西園選手も逃げたし、井上選手も第4ステージで先頭集団のアタック合戦では、魅せてましたよね。そろそろ、僕、行かないとダメっすよね(笑)」。これは素晴らしいと正直思った。始めての世界挑戦で、不安が大半を占めたツアー・オブ・カタールの開幕前では、考えられなかったコメントだ。

ゴール手前30kmを走行するクラース選手後方には井上選手ゴール手前30kmを走行するクラース選手後方には井上選手 (c)Minoru.Omaeさらに久保監督に話を聞く。
「南からスタートするコース。今日の風は南からなので、追い風基調の横風になる。最初からペースが上がるレースになるので、先行しないと後方から力を発揮するのは難しい。理想は昨日と同じように前半から送り込み、今回はさらに終盤でも隊列が組めるようにしたい」。このコメントで、"アピールするレース"から1段階いや2段階も上に目標をシフトしたことが分かった。

トマ選手もポジションを上げゴールスプリントのタイミングを探るトマ選手もポジションを上げゴールスプリントのタイミングを探る (c)Minoru.Omae13時10分にスタートしたレースは、久保監督の予想通り常に高速での展開を続け(発表されたスタートから1時間の平均時速は、56km/h)、ゴールを目指す。この時吉田隼人選手は久保監督の予告通り集団に残り、最後のスプリントに参加していた。
ラスト180m、吉田選手の右前方を走行していたカヴェンディッシュ(チームスカイ)が転倒し、吉田選手は減速を余儀なくされ、タイヤを縁石に接触させながらも踏み直し、28位でのゴールを果たす。

吉田選手は、レース後に「位置取りさえ間違わなければ、行けそうな気がします」と語った。

世界への挑戦という目標を掲げ参戦した最初の山、ツアー・オブ・カタールで久保監督が目論んだ、ブリヂストンアンカーの"アピール"と"個々の成長"、それは達成されたと言っていい。

次回は、アンカーの世界への挑戦の「2つめの山」、ツアー・オブ・オマーン2012(UCI2.HC)をレポートします。

text & photo : 大前 稔 / Minoru Omae

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