城塞都市カルカッソンヌを出発した第4ステージは、最高気温42度の酷暑に包まれた。ピーダスンが下馬評通りの逃げ切り勝利を掴み、日本にルーツを持つトレーエンがマイヨジョーヌに袖を通した。

カルカッソンヌが出発地点となったツール第4ステージ photo:Sotaro.Arakawa

この日の気温は37度。湿度は17%のため、日傘の効果は絶大だ photo:Sotaro.Arakawa 
猛暑なのに日陰だと涼しいのは湿度が極端に低いから photo:Sotaro.Arakawa

夫婦でイングランドから観戦しに来たというファンが高々と掲げるは、イングランドとヨークシャーの旗 photo:Sotaro.Arakawa
暑い。ツール・ド・フランス第4ステージは、この一言に尽きる。4日目の舞台は今大会初めて全行程がフランス国内で行われる181.9km。出発地点となったのは、城塞都市カルカッソンヌ。中世を思わせる二重の城壁を持つ城塞が丘の上に鎮座し、その周囲を取り囲むように街が栄えた歴史都市だ。
今回でツールを迎えるのは14回目。出発地点としては11回目という、主催者やチーム、メディア陣にとっては慣れた場所。近年では2021年、22年と2年連続でツールを迎えており、集まった観客たちにもどことなく浮足立った騒がしさはなかった。チームプレゼンテーションで選手たちが登場すれば盛り上がり、チームバスに戻るスター選手たちには的確なタイミングで黄色い歓声が飛ぶ。
しかし暑い。この日のカルカッソンヌも気温は37度。そしてレース中の最高気温は42度という、猛暑を超えた酷暑。湿度は約17%と低く、乾いた熱風が吹き付ける。しかし一度日陰に入ってしまうと涼しさすら感じるのは、じめっとした夏に慣れている日本人には不思議な体験だ。

猛暑の中でも、ヴィンゲゴーはマスクをつけてチームプレゼンテーションを終えた photo:Sotaro.Arakawa 
UAEチームエミレーツXRGのチームバスの周りには、ポガチャルの登場を待つファンが群がるいつもの光景 photo:Sotaro.Arakawa

フィニッシュへ向かう道中に車から見えた、シテ・ド・カルカッソンヌの城壁 photo:Sotaro.Arakawa
スペインで過ごした3日間は、ヴィンゲゴーからデルトロ、そして前日のポガチャルと、2026年ツール・ド・フランスのハイライトを見ているような展開だった。しかしこの日は逃げの日。優勝候補筆頭には、もちろんマイヨヴェール最有力候補であるマッズ・ピーダスン(デンマーク、リドル・トレック)の名が挙がった。
結果的にピーダスンは、アメリカ王者クイン・シモンズと昨年宇都宮ジャパンカップに来たチェコ王者マティアス・ヴァチェクを携えてエスケープ。この2名がアタックを潰し、登りではライバルを苦しめながらもピーダスンが遅れないペースで集団を牽引。ピーダスンが「チームワークのマスターピース(傑作)」と表現した動きにより、10名の逃げ集団がフィニッシュ地点であるフォワの街にやってきた。

最終コーナーの手前。ここまではヴァチェクが先頭だった photo:Sotaro.Arakawa
少しレースの話を離れるが、実はこのフィニッシュ地点であるフォワも暑かった。街を見下ろすように聳えるフォワ城がシンボルとなった、人口1万人に満たない小都市。街の中心部にある立派な屋根付き市場の真横がフィニッシュ地点となり、選手がやって来るまでの憩いの場となっていた。
この日最大の問題は、プレスセンターにクーラーがなかったことだ。所狭しと並べられた長机と椅子で作業をする各国のメディア関係者に与えられたのは、ぬるい風をかき回す、レース主催者A.S.O.と書かれた扇風機だけ。熱を持たないはずのM3のMacBookでもさすがに熱くなる室温で、データを取り出すだけのカメラまでもが熱を持つ。仕方がないので自由にもらえるドクターペッパーの缶を首に当てて体温を下げるが、目の前のモニターには最高気温42度の中、氷を首元に入れて走る選手たちが映っていた。体温を下げないと仕事ができないのは同じことだ。

モザイク模様が美しい、フィニッシュ地点の横に建つフォワの屋根付き市場 photo:Sotaro.Arakawa

中には日差しを避けるべく、多くの人がフィニッシュまでの時間を過ごす photo:Sotaro.Arakawa 
フォワでは、南西フランスを象徴するベレー帽姿の観客も多かった photo:Sotaro.Arakawa

フィニッシュ地点は多くの人が詰めかけたが、暑さのせいか大観衆ではない程度 photo:Sotaro.Arakawa
話をレースに戻そう。下を川と線路が通る橋の手前、残り300mの最終コーナーにトップで突入したのは、直前までリードアウトしていたヴァチェクではなく、その内側を取ったケヴィン・ヴォークラン(フランス、ネットカンパニー・イネオス)だった。しかしピーダスンはさらに内側を取り、時にはピュアスプリンターをも退けるトップスピードで圧巻の勝利。ブックメーカーのオッズでも本命視された元世界王者が、昨年のブエルタ・ア・エスパーニャ以来、実に10ヶ月ぶりの勝利を手に入れた。

優勝候補の筆頭に挙げられ、勝利を掴むさすがの走りだったピーダスン photo:Sotaro.Arakawa
そしてこの日、マイヨジョーヌはポガチャルから、ステージ8位でフィニッシュしたトースタイン・トレーエン(ノルウェー、ウノエックス・モビリティ)の手に移った。読者にトレーエンの存在が知られているとすれば、バーレーン・ヴィクトリアスに所属していた昨年、同じような大逃げで、4日間にわたりブエルタでマイヨロホを着用したからかもしれない。またその時、母方の祖母が日本人であることも明らかにされた。
日本人ファンの間で局地的に知名度を高めたトレーエンは、直後に宇都宮ジャパンカップのため初来日。その際筆者は、祖母の故郷である愛媛県松山を指し示す、トレーエンの1枚を撮っていた。

マイヨジョーヌの着用を喜ぶトレーエン photo:Sotaro.Arakawa
その際に知り得たトレーエンのパーソナリティを一言で言い表すなら、無表情で冗談を差し込む北欧版ゲラント・トーマスと言えば伝わるだろうか。ジャパンカップクリテリウムの直前に初めて話を聞いた際、真顔でシニカルなジョークを連発され、後に録音を聞き直して、あれとあれはジョークだったと気がついたほど。
しかし常に冷静で感情の起伏が見えづらいトレーエンでも、やはりマイヨジョーヌは特別だったようで、表彰式後の記者会見でのジョークは少なめ。しかし「チームカーからどんな激励があったのか」という質問に対し、「監督は僕にただ『食べろ!飲め!』しか言わなかったんだよ」と答え、暑くて疲弊気味だったジャーナリストたちを和ませた。
そしてプロトンでは唯一、日本にルーツを持つ選手のマイヨジョーヌ着用とあって、筆者も記者会見の場では今大会初の質問を試みた。進行役であるA.S.O.のスタッフに目配せし、マイクを受け取り「私が日本人記者で、あなたの祖母が日本人だから聞くわけではないが、マイヨジョーヌの着用を家族はどう祝福してくれると思うか」と質問。日本語に翻訳するとヘンテコな質問だが、特定の話題に無理やり質問に繋げるのは、外国人記者がよくやる手法で真似てみた。
その返答こそ「正直、日本人の祖母側と連絡を取り合うような関係ではない。だが、祖母はもちろん、両親も含めてみんな喜んでくれるだろうね」と、思ったほど膨らまなかったが、トレーエンには日本人の血が入っていることを、フランスをはじめ、各国のジャーナリストに知らしめることができたはず。そう自分に言い聞かせながら、筆者は西日でさらに熱を帯びたデスクへと戻った。

街を見下ろすフォワ城 photo:Sotaro.Arakawa
text&photo:Sotaro.Arakawa in Beauregard, France




暑い。ツール・ド・フランス第4ステージは、この一言に尽きる。4日目の舞台は今大会初めて全行程がフランス国内で行われる181.9km。出発地点となったのは、城塞都市カルカッソンヌ。中世を思わせる二重の城壁を持つ城塞が丘の上に鎮座し、その周囲を取り囲むように街が栄えた歴史都市だ。
今回でツールを迎えるのは14回目。出発地点としては11回目という、主催者やチーム、メディア陣にとっては慣れた場所。近年では2021年、22年と2年連続でツールを迎えており、集まった観客たちにもどことなく浮足立った騒がしさはなかった。チームプレゼンテーションで選手たちが登場すれば盛り上がり、チームバスに戻るスター選手たちには的確なタイミングで黄色い歓声が飛ぶ。
しかし暑い。この日のカルカッソンヌも気温は37度。そしてレース中の最高気温は42度という、猛暑を超えた酷暑。湿度は約17%と低く、乾いた熱風が吹き付ける。しかし一度日陰に入ってしまうと涼しさすら感じるのは、じめっとした夏に慣れている日本人には不思議な体験だ。



スペインで過ごした3日間は、ヴィンゲゴーからデルトロ、そして前日のポガチャルと、2026年ツール・ド・フランスのハイライトを見ているような展開だった。しかしこの日は逃げの日。優勝候補筆頭には、もちろんマイヨヴェール最有力候補であるマッズ・ピーダスン(デンマーク、リドル・トレック)の名が挙がった。
結果的にピーダスンは、アメリカ王者クイン・シモンズと昨年宇都宮ジャパンカップに来たチェコ王者マティアス・ヴァチェクを携えてエスケープ。この2名がアタックを潰し、登りではライバルを苦しめながらもピーダスンが遅れないペースで集団を牽引。ピーダスンが「チームワークのマスターピース(傑作)」と表現した動きにより、10名の逃げ集団がフィニッシュ地点であるフォワの街にやってきた。

少しレースの話を離れるが、実はこのフィニッシュ地点であるフォワも暑かった。街を見下ろすように聳えるフォワ城がシンボルとなった、人口1万人に満たない小都市。街の中心部にある立派な屋根付き市場の真横がフィニッシュ地点となり、選手がやって来るまでの憩いの場となっていた。
この日最大の問題は、プレスセンターにクーラーがなかったことだ。所狭しと並べられた長机と椅子で作業をする各国のメディア関係者に与えられたのは、ぬるい風をかき回す、レース主催者A.S.O.と書かれた扇風機だけ。熱を持たないはずのM3のMacBookでもさすがに熱くなる室温で、データを取り出すだけのカメラまでもが熱を持つ。仕方がないので自由にもらえるドクターペッパーの缶を首に当てて体温を下げるが、目の前のモニターには最高気温42度の中、氷を首元に入れて走る選手たちが映っていた。体温を下げないと仕事ができないのは同じことだ。




話をレースに戻そう。下を川と線路が通る橋の手前、残り300mの最終コーナーにトップで突入したのは、直前までリードアウトしていたヴァチェクではなく、その内側を取ったケヴィン・ヴォークラン(フランス、ネットカンパニー・イネオス)だった。しかしピーダスンはさらに内側を取り、時にはピュアスプリンターをも退けるトップスピードで圧巻の勝利。ブックメーカーのオッズでも本命視された元世界王者が、昨年のブエルタ・ア・エスパーニャ以来、実に10ヶ月ぶりの勝利を手に入れた。

そしてこの日、マイヨジョーヌはポガチャルから、ステージ8位でフィニッシュしたトースタイン・トレーエン(ノルウェー、ウノエックス・モビリティ)の手に移った。読者にトレーエンの存在が知られているとすれば、バーレーン・ヴィクトリアスに所属していた昨年、同じような大逃げで、4日間にわたりブエルタでマイヨロホを着用したからかもしれない。またその時、母方の祖母が日本人であることも明らかにされた。
日本人ファンの間で局地的に知名度を高めたトレーエンは、直後に宇都宮ジャパンカップのため初来日。その際筆者は、祖母の故郷である愛媛県松山を指し示す、トレーエンの1枚を撮っていた。

その際に知り得たトレーエンのパーソナリティを一言で言い表すなら、無表情で冗談を差し込む北欧版ゲラント・トーマスと言えば伝わるだろうか。ジャパンカップクリテリウムの直前に初めて話を聞いた際、真顔でシニカルなジョークを連発され、後に録音を聞き直して、あれとあれはジョークだったと気がついたほど。
しかし常に冷静で感情の起伏が見えづらいトレーエンでも、やはりマイヨジョーヌは特別だったようで、表彰式後の記者会見でのジョークは少なめ。しかし「チームカーからどんな激励があったのか」という質問に対し、「監督は僕にただ『食べろ!飲め!』しか言わなかったんだよ」と答え、暑くて疲弊気味だったジャーナリストたちを和ませた。
そしてプロトンでは唯一、日本にルーツを持つ選手のマイヨジョーヌ着用とあって、筆者も記者会見の場では今大会初の質問を試みた。進行役であるA.S.O.のスタッフに目配せし、マイクを受け取り「私が日本人記者で、あなたの祖母が日本人だから聞くわけではないが、マイヨジョーヌの着用を家族はどう祝福してくれると思うか」と質問。日本語に翻訳するとヘンテコな質問だが、特定の話題に無理やり質問に繋げるのは、外国人記者がよくやる手法で真似てみた。
その返答こそ「正直、日本人の祖母側と連絡を取り合うような関係ではない。だが、祖母はもちろん、両親も含めてみんな喜んでくれるだろうね」と、思ったほど膨らまなかったが、トレーエンには日本人の血が入っていることを、フランスをはじめ、各国のジャーナリストに知らしめることができたはず。そう自分に言い聞かせながら、筆者は西日でさらに熱を帯びたデスクへと戻った。

text&photo:Sotaro.Arakawa in Beauregard, France