ツール・ド・フランスにおけるイタリアの3日間が終わった。ジロ・デ・イタリアという、あまりにも大きなレースが存在するせいでどうしてもツールにいながらにしてジロ感のある3日間だった。RCSスポルトの運営陣もこの数日のレース開催に大きく関わっていたというからそれも当然だけれど。



回廊に集った無数のティフォージたち photo:Yufta Omata

あまり自転車の土地という印象のないフィレンツェのグランデパールに始まった3日間だったが、第2ステージのボローニャ・サンルーカの登坂ではこれぞイタリアという光景を体感した。2kmほどの登坂に一体何人が詰めかけていたのだろうか。背景のポルティコの半円アーチを見なければ、ここがモンテ・ゾンコランだと言っても疑わないかもしれない。

ティフォージ達によるイタリア的熱狂は世界最大の黄色いレースに確かな華を添えた。と同時に、これからフランスに入国するというこのタイミング(第4ステージ前)で、思うことを書き留めたいと思う。

外国グランデパール偏重の近年のツール

マイヨジョーヌで2日目を走ったバルデ。1日天下に終わった photo:Yufta Omata

一昨年のコペンハーゲン(デンマーク)、昨年のビルバオ(スペイン)、そして今年のフィレンツェ(イタリア)とツールの外国グランデパールへの傾倒が著しい。2014年から数えると、今年で7回目。半分以上が国外でグランデパールを迎えている。お金と政治が絡む招致だが、主催者ASOとしては海外グランデパールは開催の労力を差し引いても旨味があるということだろう。

この海外グランデパール傾倒によって、レースのあり方も変わりつつある。昨年のビルバオでは第1ステージからアップダウンを繰り返すハードなステージが設定され、近年もっとも厳しい第1ステージと言われたが、今年フィレンツェを出発した第1ステージは獲得標高3600m。最も厳しい第1ステージの座を早くも塗り替えてしまった。

もちろんこれはグランデパールの都市の地形に左右されるので一概には言えないが、ホスト側としては盛り上がるステージ、より具体的に言えばタデイ・ポガチャルやヨナス・ヴィンゲゴー、あるいはマチュー・ファンデルプールやワウト・ファンアールトのようなスター選手が活躍するレースを希望するのが自然だろう。そうなると必然的にコースはタフになり、スペクタクルな展開が生まれる。

退屈なステージも増えてしまう?

ファンとしてはこれは歓迎すべき現象だろう。誰が総合優勝を狙う選手なのか今ひとつ掴めない最初の数日間は無くなり、アクションに満ちた、3週間の総合優勝争いを予告するレースを早速見ることができるのだから。大会7日目までマイヨジョーヌ候補が集団に潜んで終えるようなレースは、あらゆる場所にカメラ(選手のバイクまで!)がレンズを向けている今日では冗長すぎるというものだ。

「モナリザはイタリアのもの」 photo:Yufta Omata

けれども、その揺り戻しは確実に起こる。選手の誰もがアクションに満ちたレースを3週間続けることは望んでいない。先の第3ステージで起きた、アタックのないサイクリング展開は、とりわけ第1週目に顕著になるだろう。動きもなく淡々と和やかに進む集団を前に、実況は何を4時間語ればいいのだろうか。そんな時間を、アクションに満ちたレースに慣れてきたファンは我慢出来ないだろう。しかしグランデパールを海外で迎えると、どうしても多くの自治体を通したいホスト側が長いコースを望むことは避けられない。

ツール・ド・フランスがより短距離化・より高強度化していく流れは今後も止まらないだろう。スプリントのステージは、どんどん肩身が狭くなっていく。しかし、冗長だったこの第3ステージを終えてみると、ひとつの意義も浮かび上がる。

ギルマイは多様化する自転車競技のアイコンに

遅れてサンルーカを登るビニヤム・ギルマイ(アンテルマルシェ・ワンティ)。先達のアフリカ人選手と違い、登りではなくスプリントにチャンスを見出し、そして掴み取った photo:Yufta Omata

この集団スプリントを制したのはエリトリアのビニアム・ギルマイ(アンテルマルシェ)だった。アフリカ大陸出身の黒人選手による史上始めてのツールのステージ優勝。彼のキャリア全域が自転車界の新しい歴史そのものと言ってもいい歩みだが、「第3世界」の選手がヨーロッパの自転車界の頂点に立ったことの意味は小さくない。

しかしエリトリアを小国と呼ぶにはいささか過小な見方かもしれない。2015年にはダニエル・テルレハイマノがツールで山岳賞ジャージを着用し、今日では複数名のライダーがワールドツアーチームに所属している。誰が彼のロールモデルなのか記者会見で尋ねると、

「すべてのエリトリア人プロライダーに刺激を受けた。特定の一人を挙げられないほど、みんな強いんだ。それでもダニエル・テクレハイマノとメルハウィ・クドゥス、ツールを初めて走った彼らは大きな位置を占めている。みな同じ町の出身なのでよく一緒にトレーニングをすることもあるし、その度にいい刺激をもらっている」

と先駆者たちの名前を挙げた。しかし同時に、エリトリアというアフリカの小国からヨーロッパの自転車界に入門することの難しさも隠さない。

エリトリア人として初勝利を飾ったビニヤム・ギルマイ(アンテルマルシェ・ワンティ) photo:CorVos

「アフリカ人のライダーであるということは、多くの障害にぶつかることでもある。国内レースを中心に走っていても、そのポテンシャルをヨーロッパに示すことは難しい。ジュニアライダーだった時、ヨーロッパの文化を学ぶために何でもやった。エリトリアとは何もかもが違っていたから。『自転車言語』を学ぶ必要があった。しかしそれだけでどれだけの時間を費やしたことだろうか。」

スプリントステージは必要、という当たり前の結論

そんな彼は、先駆者たちが可能性を示した山岳ではなく、スプリントで活路を見出した。

「黒人選手は細く山岳向きかもしれないが、自分は平地を速く走るために生まれたのだと思っていた。サガン、そしてカヴェンディッシュが僕のアイドルだったんだ。だからスプリント力向上のインターバルトレーニングばかりやっていた。」

勝利に涙するビニヤム・ギルマイ(エリトリア、アンテルマルシェ・ワンティ) photo:A.S.O.

退屈だと思われがちな平坦ステージが、ギルマイの歴史的勝利の舞台となった。確かに終盤まで退屈な平坦ステージは、短距離で高強度でアクションに満ちたステージよりも視聴率が下がるかもしれない。しかし、自転車ロードレースを象徴するツールという大会には、やはり平坦ステージが必要だ。この日ギルマイが示したように、小国の選手が勝てる可能性は、ともすればスプリントの方が大きいかもしれない。かなりの飛躍をお許しいただきたいが、日本人選手がツールで勝てるとすれば、それはスプリントかもしれないのだ。トラックでの純粋なスプリント力なら、日本人トップ選手が金メダルを狙える時代なのだから。

散らかってしまった議論を強引にまとめよう。今年のツールにおけるイタリア開催の3日間は、成功だった。退屈することのない展開となった前2ステージ、イタリア自転車界のアイコンであるルートとティフォージの存在、そしてギルマイによって刻まれた新たな歴史。マイヨジョーヌを着た3人が3人ともそれぞれに物語のある選手だった(バルデ、ポガチャル、カラパス)。結果論で恐縮だが、この3日間にツール全体の魅力と物語が凝縮されていたとも言えるかもしれない。イタリアで、というのが皮肉でもあり、同時にグローバル化を進める今の時代らしい帰結だったとも感じる。

熱狂のイタリアスタートを終え、今日からフランスステージ。どのようなストーリーが待ち受けているのか、楽しみだ photo:A.S.O.

いよいよツールはフランスへ入国する。まだレースは始まったばかり(ようやく大会4日目!)。やっぱりツールはフランスのレースだ、と言えるようなストーリーがきっと待っている。

text&photo:Yufta Omata

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