2024/06/06(木) - 18:00
アムステルゴールドレースとラ・フレーシュ・ワロンヌを満喫したウィリエールの日本国内担当者“キット北村さん”。アルデンヌクラシック最終戦であり、この旅を締めくくるリエージュ〜バストーニュ〜リエージュの市民レース参戦へと向かいます。雨の中でのフレーシュ観戦で風邪を引いてしまったキット北村さんは、ラ・ドワイエンヌ(最古参)の市民レースを完走できるのでしょうか。レポートをお届けします。
2019年から5大モニュメント制覇を目指しているウィリエールの日本国内担当者“キット北村”です。 リエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースの3日前に行われたラ・フレーシュ・ワロンヌ観戦で風邪をひいてしまい、レース当日の朝ギリギリまでDNS(棄権)を考えていました。
アムステルゴールド市民レースの時は快晴で体感気温も27度だったのに、1週間後のリエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースでは荒天で体感気温が何とマイナス1度!まさかこんな事になるなんて!さらに天気は時間を追うごとに悪くなって行く予報です。日本を出発する前に、絶対に使うことはないだろうと、あくまで保険として持って来ていた“長袖ジャージ、アームウォーマーやレッグウォーマー類”をまさか使うことになるとは…。しかし『これらの装備で大丈夫だ!問題無い!』と言いたいところですが、残念ながらこれらの装備だけでは極寒の雨の中155kmを走りきる事は不可能。携帯していた風邪薬も底をつきDNSへの気持ちへと揺らぐ中、たまたまホテルの隣の部屋に泊まっていた南米コスタリカから参加のヘルナンデスさんや、リエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースやパリ~ルーベの市民レースの司会をしているベルギー育ちの台湾人:楊儁宇さんに励まされ、市民レース当日の朝がやってきました。
レース2日前、朝から意識が朦朧として厚着をして風邪薬を飲んで、ベッドでスマートフォン片手にじっと高熱に耐えていました。SNS上では『253kmコースを79kmに変更できないか?』、『残念ながら出場を諦めるよ。』といったメッセージが散見されました。昼過ぎに大会主催者側から『市民レース当日は極寒です。防水・防風装備で出場してください。』とのメッセージが配信され、それを見て、体調が優れない中、リエージュ駅から歩いて行ける距離にあるカメオバイクスというお店に防寒グローブとシューズカバーを買いに訪れました。
KAMEO Bikes - Leasing et vente de vélos électriques
https://kameobikes.com/fr
カメオバイクスはスポーツ自転車に関連する用品が多いお店ではありませんでしたが、何とか防風のグローブとシューズカバーを買う事が出来ました。しかし、防風グローブは少し薄手で、ピッタリのサイズが売り切れていたため大きめのサイズしかなく、防風シューズカバーはピッタリサイズでしたが防水機能が微妙な製品でした。
グローブに関しては、プロロゴのエネルグリップグローブのロングフィンガータイプの上に、大きめの防風グローブを重ねる事で対処。防風シューズカバーは防水処理が必要です。そこでカメオバイクスの帰りしなに見つけた靴の修理屋さんで、長袖ジャージやウィンドブレーカー、SPDシューズにかける防水スプレーを購入しました。
出走出来るかどうかは分かりませんが、リエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースで使うであろうジャージ類やアパレルやバックパックに防水処理を施しました。後はスーパーマーケットで購入したスポーツドリンクとフルーツを食べ、とにかく厚着をして体を温めて汗をかいて寝るしかありません。
レース前日、まだ微熱はあれど、ゼッケンを受け取りにバスで受付会場のあるバヌーへと向かいます。バスは1時間半に1本ぐらいしかないのでかなり要注意です。またリエージュ駅前からバヌーまでは小一時間かかり、身体が熱を持っているので苦しいバスの旅でした。レース当日もバスでバヌーへ向かえれば良いのですが、残念ながら自転車をバスに載せる事は出来ません。それゆえ電車でフレポン駅まで向かい、フレポン駅からバヌーまで自転車で自走移動しなければなりません。レース当日は雨の中だろうから気分は既に憂鬱です。
バヌーのバス停から5分も歩けば、リエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースの受付会場に到着です。バス停からスタート地点まで思った以上に近いので、レース当日もやはりバスで移動したいと思いましたが仕方がありません。バヌー到着時には結構雨が降っており、横殴りの雨だったので小さな折り畳み傘では全く傘として役に立ちませんでした。
受付会場に到着しましたが受付が始まったばかりなので、そんなに参加者は多くありませんでした。受付会場にあるサービスカウンターでは、翌日のレースの距離を変更したい参加者が受付のお兄さんと何かもめていました。多分、長いコースから短いコースへと変更したのに、長いコースの参加費用の一部が返金されない事に文句を言っているのでしょう。そんなもめ事を横目に見ながら、私は荷物を明日預かってくれる場所を教えてもらったり、レース当日に持ち帰る予定だったフィニッシャーTシャツを今日すぐに持って帰れるように手配してもらいました。
バヌーから戻って、ゼッケンを見ると少しだけやる気が出てきましたが、全然熱が下がらず弱音をSNS上で吐いていると、シクロワイアードの綾野編集長、宇賀神善之師匠や松尾正平師匠からの応援メッセージが届き、とにかく体調不良でも市民レースのスタート地点に立つ決断をしました。
一応、自分の走る155kmのコースマップステッカーを持って帰りましたが、市民レース前日だというのに食事も十分に摂れていない状況でした。最悪、レース当日の朝に距離を変更申請出来るらしいので、スタート地点に着いた時の体調でコースを決めようと思いました。
ラ・フレーシュ・ワロンヌ観戦した後からずっと食欲が無かったのですが、さすがにこのままではマズイと思い、ホテルの近所にある中華料理屋:Chez Liuを見つけて、劉さんのエビチャーハンを注文しました。円安ユーロ高でエビチャーハンが一杯2,000円もしましたが食べなきゃ走れません。劉シェフは写真が苦手なので奥様と記念撮影。
レース当日の朝、微熱のまま電車でバヌーに一番近いフレポン駅へと向かいます。リエージュ駅を8時19分発6番線から“Aachen Hbf”行きの列車に乗らなきゃいけないのですが、どの電車に乗れば良いのか?全く分かりません!焦っていると黒人の青年が助けてくれて、『2番線のAix-la-Chapl(Aachenのフランス語読みらしい)行きの列車がその電車だよ!』と教えてくれて難を逃れました。電車を使って市民レースに向かう人は凄く少ない事に驚きです。電車も1時間に1本ぐらいしか無いので、乗り遅れミスが許されませんでした。
自転車専用貨車があると思っていたのですが、どうも無さそうなので通路に自転車を置いて20分の電車の旅を楽しみます。狭い谷のような所を通る線路を抜けて、だんだんと不安になってきました。
ようやくフレポン駅に到着しました。とても寂しい駅前です。電車で乗り合わせた参加者達は一様に不安げです。レース前だというのに、バヌーまで残念ながら最初の坂を登らなければなりません!リエージュエリアに早朝に大雨が降ったのですが、フレポン駅からバヌーまでの移動は小雨でした。小雨でしたが、スタート地点に着く頃にはズブ濡れでした。気温も低くとても寒かった。
スタート地点にようやく到着しましたが、吐く息が白く濡れた身体が重い。まだスタートもしていないのに早速テントの下でインナーシャツを乾いた物に着替え、濡れた衣類をビニール袋に詰め手荷物を受付に預けました。世界最強の呼び声の高い“ラ・ドワイエンヌ=最古参”にプラスして、フレポン駅⇔バヌー間の自転車の移動で片道5kmの往復10km。最終的に155kmを諦め、ケガや病気なく無事に帰国しようと距離を変更することにしました。本当にギリギリのギリギリまで悩みに悩んだ結果です。急遽79kmへとコースを変更し、155kmのコースマップを剥がし、79kmのステッカーに貼り直しました。
スタートを切ると少しアドレナリンが出始め、小雨も止みました。微熱がある割には元気よくスタート!中学校の時バスケ部だったキット北村さん、バスケ選手が大事な場面でよくやるジェスチャー“必ずこの1本(リエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レース完走する事)を決めよう!”と天に指を差し、自らを奮い立たせ、リタイヤすることなくフィニッシュラインを目指す事を誓いました。
スタートすると最初の数kmは、ずっと下り坂だったので快調に飛ばします。しかし、それはゴールに戻ってくる際にはこの坂を登ってくることを意味するので、喜んでばかりはいられません。路面が濡れて滑りやすかったために、まだ序盤だというのに前方で大落車が起こり、救急車が数台出動していました。
坂を下り終えて左に大きく曲がると第1セクション:コート・デ・シャンブラルが現れました。まだまだ元気なので楽しく登り始めます。ちょっと路面が荒れ模様でしたが、最初の丘は足慣らしに丁度良い感じでした。コート・デ・シャンブラルの頂上にはジャージー牛の牧場があり、牛の匂いが香る牧場を抜けて1つ目の丘を越えます。
第2セクション:コート・デ・ニアーステは、距離は長いけど緩い登りなので、中年のおっちゃんグループと一緒に談笑しながら登ります。国の垣根を越えた中年のおっちゃん同士の連帯感は何でこんなにも強いのでしょうか?2つ目の丘を登り切った所で、一緒に走っていた中年のおっちゃんグループ:チーム・オウ・マイゴッド!と記念撮影です。一緒にシリアルバーを齧りながら談笑です。さて、小康状態が続いていましたが、丘を下り始めると天気も下り坂。何と雹が降り始めて、一気に気温が下がり寒くなりました。
雹雨の後はまだ小康状態です。79kmコースでは唯一の補給ポイントに到着です。まだあまり疲れていないので、もう少し後半に休憩ポイントが登場して欲しかったのですが…。補給食はクッキー、クラッカー、バナナやオレンジで、とても美味しくないスポーツドリンクがタンクで用意されていました。もうゴールまで補給ポイントは無いので、ボトルにスポーツドリンクを満タンにして、バナナを5本は食べました。
ここでもシマノサービスセンターは大忙しのようです。カンパニョーロやスラムの完成車で参戦している人もいると思うのですが、もしそういった参加者の自転車が持ち込まれたらどうするのだろう?とふと疑問に思いました。
第3セクション:コート・デ・ラ・ルドゥットは、明らかに今までの丘と雰囲気が異なります。コースの両脇にはキャンピングカーやトレーラーハウスが軒を連ね、プロの観客達が参加者の走りを品定めしているからです。
参加者の半分はこの丘を徒歩で登って行きますが、キット北村は意地でコート・デ・ラ・ルドゥットを登り切ります。道幅が広いので、周りに気を付けながらジグザグに登ってしまいました。汗を十分に掻いたせいなのか?アドレナリンが大量に分泌されているせいなのか?微熱が下がり、ここでようやく通常の体調に戻った気がします。
丘を登り切って補給食を食べていると、TV局RTC放送さんにインタビューされました。『イベントを楽しんでいますか?』と聞かれて、“とても坂がしんどいですけど、ベルギーの人達の温かな応援もあり楽しめております!”と答えました。
丘を下り始めると再び雹雨です。下りでスピードを出したくて身体を縮こめているわけではなく寒いので屈んで下っています。顔に当たる雹が痛いです。
第4セクション:コート・デ・コーネモントは、勾配が比較的緩く楽しそうな丘でした。行く先に見える黒い雲だけが気になります。丘の途中で応援していたご家族に水を分けてもらい、再び少雨の中を走り出します。『坂を下れば、坂を登る』当たり前の話なのですが、こんなにも平地区間の無いコース設定は初めてです。現存する世界最古のレースが世界最強のレースだという事を改めて思い知らされました。
第5セクション:コート・デ・フォルジュは、見通しの良い丘で車の往来が結構あるので、車との接触事故を起こさないように注意が必要です。反対側の道路では第6~第7セクションを走り終えた参加者達がゴールへと向かっています。本当に車の往来が激しく、また車のスピードが速いので要注意で走りました。天気もどんよりとしていましたが、雨は降っていないのでまだマシでした。
第6セクション:コート・デ・ラ・ロッシュ・オ・フォーコンでは、晴れ間が見えますが、お天気雨なのか?雨の中突き進みます。コート・デ・ラ・ルドゥットの方がきつかったのですが、コート・デ・ラ・ロッシュ・オ・フォーコンの方が後半戦なのでとても思い出深く心に焼き付いています。
お天気雨の中、コート・デ・ラ・ロッシュ・オ・フォーコンを登り切りました。いよいよ最後のセクション:コート・デ・コルティルを残すのみ、5km先で最後の関門が待っています。マース川の支流のウルト川まで下ると、今日初めてようやくはっきりと太陽が見えました!思わず橋の上で止まって撮影してしまいました。
第7セクション:コート・デ・コルティルでは、路肩駐車場にこっそりと看板があったので見過ごしそうになりました。最後のセクションの距離は長いですが勾配が緩いので、恐るるに足りません!
ダラダラとしたコルティルを登りきると、ゴールまで16kmの看板です。ゴール出来る見通しが立ってきましたが、また雲行きが怪しくなってきました。ここで少し休憩して参加者を眺めるとあることに気付きました。それは悪天候にも関わらず253kmを選択した参加者がとても多かった事。ベルギー人の参加者に聞いたら、『海外からの参加者の目から見ると悪天候かもしれないけど、アムステルゴールド以後の毎日の雨や一時的な寒波の襲来はベルギー人にとって普通だよ。これぞベルギーだよ。』というお話でした。
よくよく考えるとSNSでの悪天候に対するコメントは英語だったし、受付での距離の変更をしているのはベルギー人やオランダ人ではありませんでした。そうこの悪天候こそ『ザ・ベルギーの4月の天候』だったようです。
最後まで平地が無いので細かく登ったり下ったりを繰り返し、また再び雨が降り出したため水しぶきをあげながら残りの距離を消化して行きました。疲れて撮影する元気が無くて写真がありませんが、最後の関門を終えたはずなのに、ゴールまでの残り2kmは名も無い長くて緩い上り坂が待ち受けていました。この上り坂の道路の両側がリエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースの参加者の路駐した車でいっぱいなので、とても走り難かったです。
DNSも考えたリエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースですが、何とかゴールに到着しました。ゴールで司会をしている楊儁宇さんが『日本から来たキットさんが帰ってきました!OKAERINASAI(お帰りなさい)!』とアナウンスしてくれました。リエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースは、誰のサポートも無く自走でスタート地点まで来て(帰りも自走)何とかゴール出来たので本当に良かったです。“市民レースの参加者にアジア人は皆無で、日本人の私と台湾人の楊儁宇さんぐらいじゃなかったのではなかろうか?”と思います。彼が色々と市民レース前に声をかけてくれたから、ゴールまで頑張れました。“謝々你、楊儁宇!”
フィニッシュラインから先へ進むと、いよいよ5大モニュメント4つ目のメダルを獲得です。ボランティアの学生達でしょう。メダルの配布を楽しくやっています。メダルは結構重たいです。
ゴールした後に、シャワーを浴びてベルギービールで一杯やりたい所ですが、帰りの電車の時間の都合もあるので、そそくさとフレポン駅に向かいます。再び雨が降る前にホテルに帰りたかったので、電車が来た時には安堵してほろりと涙が出てしまいました。
ホテルに戻って熱いシャワーを浴び、2つのメダルをベッドに並べました。ベルギーのノンアルコールレモンビール:ラドラーで祝杯です。翌日のリエージュ~バストーニュ~リエージュのプロレースでは、アスタナ・カザクスタンはもちろん、グルパマFDJに潜入するつもりなので、完走の喜びに浸る時間もそこそこにして、バナナと余った補給食をしこたま食べて早く寝るとします。しかし、翌朝のチームプレゼンテーションの時間に遅刻する予感がします。
第110回リエージュ~バストーニュ~リエージュ観戦に続く…
Special Thanks to
Remy Ooms (Erlo Sports)
Enrico Gastaldello (Wilier Triestina)
Steven Merlini (Wilier Triestina)
Gregory Girard (Miche)
Salvatore Truglio (Prologo)
Jonny Moletta (Jonny Mole)
Dalibor Kmenta (Force CZ.)
Andrea Mrazek Kmentova (Force CZ.)
Akira Nakata (Kapermuur-Wave One)
Kaori Mishima (Kapermuur-Wave One)
Miho Kobayashi (Atelier Anco)
Makoto Ayano (Cyclowired)
Yoshiyuki Ugajin (Freelance Photographer)
Shohei Matsuo (Half Life Hiroshima)
Report:Kitto Kitamura
2019年から5大モニュメント制覇を目指しているウィリエールの日本国内担当者“キット北村”です。 リエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースの3日前に行われたラ・フレーシュ・ワロンヌ観戦で風邪をひいてしまい、レース当日の朝ギリギリまでDNS(棄権)を考えていました。
アムステルゴールド市民レースの時は快晴で体感気温も27度だったのに、1週間後のリエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースでは荒天で体感気温が何とマイナス1度!まさかこんな事になるなんて!さらに天気は時間を追うごとに悪くなって行く予報です。日本を出発する前に、絶対に使うことはないだろうと、あくまで保険として持って来ていた“長袖ジャージ、アームウォーマーやレッグウォーマー類”をまさか使うことになるとは…。しかし『これらの装備で大丈夫だ!問題無い!』と言いたいところですが、残念ながらこれらの装備だけでは極寒の雨の中155kmを走りきる事は不可能。携帯していた風邪薬も底をつきDNSへの気持ちへと揺らぐ中、たまたまホテルの隣の部屋に泊まっていた南米コスタリカから参加のヘルナンデスさんや、リエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースやパリ~ルーベの市民レースの司会をしているベルギー育ちの台湾人:楊儁宇さんに励まされ、市民レース当日の朝がやってきました。
レース2日前、朝から意識が朦朧として厚着をして風邪薬を飲んで、ベッドでスマートフォン片手にじっと高熱に耐えていました。SNS上では『253kmコースを79kmに変更できないか?』、『残念ながら出場を諦めるよ。』といったメッセージが散見されました。昼過ぎに大会主催者側から『市民レース当日は極寒です。防水・防風装備で出場してください。』とのメッセージが配信され、それを見て、体調が優れない中、リエージュ駅から歩いて行ける距離にあるカメオバイクスというお店に防寒グローブとシューズカバーを買いに訪れました。
KAMEO Bikes - Leasing et vente de vélos électriques
https://kameobikes.com/fr
カメオバイクスはスポーツ自転車に関連する用品が多いお店ではありませんでしたが、何とか防風のグローブとシューズカバーを買う事が出来ました。しかし、防風グローブは少し薄手で、ピッタリのサイズが売り切れていたため大きめのサイズしかなく、防風シューズカバーはピッタリサイズでしたが防水機能が微妙な製品でした。
グローブに関しては、プロロゴのエネルグリップグローブのロングフィンガータイプの上に、大きめの防風グローブを重ねる事で対処。防風シューズカバーは防水処理が必要です。そこでカメオバイクスの帰りしなに見つけた靴の修理屋さんで、長袖ジャージやウィンドブレーカー、SPDシューズにかける防水スプレーを購入しました。
出走出来るかどうかは分かりませんが、リエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースで使うであろうジャージ類やアパレルやバックパックに防水処理を施しました。後はスーパーマーケットで購入したスポーツドリンクとフルーツを食べ、とにかく厚着をして体を温めて汗をかいて寝るしかありません。
レース前日、まだ微熱はあれど、ゼッケンを受け取りにバスで受付会場のあるバヌーへと向かいます。バスは1時間半に1本ぐらいしかないのでかなり要注意です。またリエージュ駅前からバヌーまでは小一時間かかり、身体が熱を持っているので苦しいバスの旅でした。レース当日もバスでバヌーへ向かえれば良いのですが、残念ながら自転車をバスに載せる事は出来ません。それゆえ電車でフレポン駅まで向かい、フレポン駅からバヌーまで自転車で自走移動しなければなりません。レース当日は雨の中だろうから気分は既に憂鬱です。
バヌーのバス停から5分も歩けば、リエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースの受付会場に到着です。バス停からスタート地点まで思った以上に近いので、レース当日もやはりバスで移動したいと思いましたが仕方がありません。バヌー到着時には結構雨が降っており、横殴りの雨だったので小さな折り畳み傘では全く傘として役に立ちませんでした。
受付会場に到着しましたが受付が始まったばかりなので、そんなに参加者は多くありませんでした。受付会場にあるサービスカウンターでは、翌日のレースの距離を変更したい参加者が受付のお兄さんと何かもめていました。多分、長いコースから短いコースへと変更したのに、長いコースの参加費用の一部が返金されない事に文句を言っているのでしょう。そんなもめ事を横目に見ながら、私は荷物を明日預かってくれる場所を教えてもらったり、レース当日に持ち帰る予定だったフィニッシャーTシャツを今日すぐに持って帰れるように手配してもらいました。
バヌーから戻って、ゼッケンを見ると少しだけやる気が出てきましたが、全然熱が下がらず弱音をSNS上で吐いていると、シクロワイアードの綾野編集長、宇賀神善之師匠や松尾正平師匠からの応援メッセージが届き、とにかく体調不良でも市民レースのスタート地点に立つ決断をしました。
一応、自分の走る155kmのコースマップステッカーを持って帰りましたが、市民レース前日だというのに食事も十分に摂れていない状況でした。最悪、レース当日の朝に距離を変更申請出来るらしいので、スタート地点に着いた時の体調でコースを決めようと思いました。
ラ・フレーシュ・ワロンヌ観戦した後からずっと食欲が無かったのですが、さすがにこのままではマズイと思い、ホテルの近所にある中華料理屋:Chez Liuを見つけて、劉さんのエビチャーハンを注文しました。円安ユーロ高でエビチャーハンが一杯2,000円もしましたが食べなきゃ走れません。劉シェフは写真が苦手なので奥様と記念撮影。
レース当日の朝、微熱のまま電車でバヌーに一番近いフレポン駅へと向かいます。リエージュ駅を8時19分発6番線から“Aachen Hbf”行きの列車に乗らなきゃいけないのですが、どの電車に乗れば良いのか?全く分かりません!焦っていると黒人の青年が助けてくれて、『2番線のAix-la-Chapl(Aachenのフランス語読みらしい)行きの列車がその電車だよ!』と教えてくれて難を逃れました。電車を使って市民レースに向かう人は凄く少ない事に驚きです。電車も1時間に1本ぐらいしか無いので、乗り遅れミスが許されませんでした。
自転車専用貨車があると思っていたのですが、どうも無さそうなので通路に自転車を置いて20分の電車の旅を楽しみます。狭い谷のような所を通る線路を抜けて、だんだんと不安になってきました。
ようやくフレポン駅に到着しました。とても寂しい駅前です。電車で乗り合わせた参加者達は一様に不安げです。レース前だというのに、バヌーまで残念ながら最初の坂を登らなければなりません!リエージュエリアに早朝に大雨が降ったのですが、フレポン駅からバヌーまでの移動は小雨でした。小雨でしたが、スタート地点に着く頃にはズブ濡れでした。気温も低くとても寒かった。
スタート地点にようやく到着しましたが、吐く息が白く濡れた身体が重い。まだスタートもしていないのに早速テントの下でインナーシャツを乾いた物に着替え、濡れた衣類をビニール袋に詰め手荷物を受付に預けました。世界最強の呼び声の高い“ラ・ドワイエンヌ=最古参”にプラスして、フレポン駅⇔バヌー間の自転車の移動で片道5kmの往復10km。最終的に155kmを諦め、ケガや病気なく無事に帰国しようと距離を変更することにしました。本当にギリギリのギリギリまで悩みに悩んだ結果です。急遽79kmへとコースを変更し、155kmのコースマップを剥がし、79kmのステッカーに貼り直しました。
スタートを切ると少しアドレナリンが出始め、小雨も止みました。微熱がある割には元気よくスタート!中学校の時バスケ部だったキット北村さん、バスケ選手が大事な場面でよくやるジェスチャー“必ずこの1本(リエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レース完走する事)を決めよう!”と天に指を差し、自らを奮い立たせ、リタイヤすることなくフィニッシュラインを目指す事を誓いました。
スタートすると最初の数kmは、ずっと下り坂だったので快調に飛ばします。しかし、それはゴールに戻ってくる際にはこの坂を登ってくることを意味するので、喜んでばかりはいられません。路面が濡れて滑りやすかったために、まだ序盤だというのに前方で大落車が起こり、救急車が数台出動していました。
坂を下り終えて左に大きく曲がると第1セクション:コート・デ・シャンブラルが現れました。まだまだ元気なので楽しく登り始めます。ちょっと路面が荒れ模様でしたが、最初の丘は足慣らしに丁度良い感じでした。コート・デ・シャンブラルの頂上にはジャージー牛の牧場があり、牛の匂いが香る牧場を抜けて1つ目の丘を越えます。
第2セクション:コート・デ・ニアーステは、距離は長いけど緩い登りなので、中年のおっちゃんグループと一緒に談笑しながら登ります。国の垣根を越えた中年のおっちゃん同士の連帯感は何でこんなにも強いのでしょうか?2つ目の丘を登り切った所で、一緒に走っていた中年のおっちゃんグループ:チーム・オウ・マイゴッド!と記念撮影です。一緒にシリアルバーを齧りながら談笑です。さて、小康状態が続いていましたが、丘を下り始めると天気も下り坂。何と雹が降り始めて、一気に気温が下がり寒くなりました。
雹雨の後はまだ小康状態です。79kmコースでは唯一の補給ポイントに到着です。まだあまり疲れていないので、もう少し後半に休憩ポイントが登場して欲しかったのですが…。補給食はクッキー、クラッカー、バナナやオレンジで、とても美味しくないスポーツドリンクがタンクで用意されていました。もうゴールまで補給ポイントは無いので、ボトルにスポーツドリンクを満タンにして、バナナを5本は食べました。
ここでもシマノサービスセンターは大忙しのようです。カンパニョーロやスラムの完成車で参戦している人もいると思うのですが、もしそういった参加者の自転車が持ち込まれたらどうするのだろう?とふと疑問に思いました。
第3セクション:コート・デ・ラ・ルドゥットは、明らかに今までの丘と雰囲気が異なります。コースの両脇にはキャンピングカーやトレーラーハウスが軒を連ね、プロの観客達が参加者の走りを品定めしているからです。
参加者の半分はこの丘を徒歩で登って行きますが、キット北村は意地でコート・デ・ラ・ルドゥットを登り切ります。道幅が広いので、周りに気を付けながらジグザグに登ってしまいました。汗を十分に掻いたせいなのか?アドレナリンが大量に分泌されているせいなのか?微熱が下がり、ここでようやく通常の体調に戻った気がします。
丘を登り切って補給食を食べていると、TV局RTC放送さんにインタビューされました。『イベントを楽しんでいますか?』と聞かれて、“とても坂がしんどいですけど、ベルギーの人達の温かな応援もあり楽しめております!”と答えました。
丘を下り始めると再び雹雨です。下りでスピードを出したくて身体を縮こめているわけではなく寒いので屈んで下っています。顔に当たる雹が痛いです。
第4セクション:コート・デ・コーネモントは、勾配が比較的緩く楽しそうな丘でした。行く先に見える黒い雲だけが気になります。丘の途中で応援していたご家族に水を分けてもらい、再び少雨の中を走り出します。『坂を下れば、坂を登る』当たり前の話なのですが、こんなにも平地区間の無いコース設定は初めてです。現存する世界最古のレースが世界最強のレースだという事を改めて思い知らされました。
第5セクション:コート・デ・フォルジュは、見通しの良い丘で車の往来が結構あるので、車との接触事故を起こさないように注意が必要です。反対側の道路では第6~第7セクションを走り終えた参加者達がゴールへと向かっています。本当に車の往来が激しく、また車のスピードが速いので要注意で走りました。天気もどんよりとしていましたが、雨は降っていないのでまだマシでした。
第6セクション:コート・デ・ラ・ロッシュ・オ・フォーコンでは、晴れ間が見えますが、お天気雨なのか?雨の中突き進みます。コート・デ・ラ・ルドゥットの方がきつかったのですが、コート・デ・ラ・ロッシュ・オ・フォーコンの方が後半戦なのでとても思い出深く心に焼き付いています。
お天気雨の中、コート・デ・ラ・ロッシュ・オ・フォーコンを登り切りました。いよいよ最後のセクション:コート・デ・コルティルを残すのみ、5km先で最後の関門が待っています。マース川の支流のウルト川まで下ると、今日初めてようやくはっきりと太陽が見えました!思わず橋の上で止まって撮影してしまいました。
第7セクション:コート・デ・コルティルでは、路肩駐車場にこっそりと看板があったので見過ごしそうになりました。最後のセクションの距離は長いですが勾配が緩いので、恐るるに足りません!
ダラダラとしたコルティルを登りきると、ゴールまで16kmの看板です。ゴール出来る見通しが立ってきましたが、また雲行きが怪しくなってきました。ここで少し休憩して参加者を眺めるとあることに気付きました。それは悪天候にも関わらず253kmを選択した参加者がとても多かった事。ベルギー人の参加者に聞いたら、『海外からの参加者の目から見ると悪天候かもしれないけど、アムステルゴールド以後の毎日の雨や一時的な寒波の襲来はベルギー人にとって普通だよ。これぞベルギーだよ。』というお話でした。
よくよく考えるとSNSでの悪天候に対するコメントは英語だったし、受付での距離の変更をしているのはベルギー人やオランダ人ではありませんでした。そうこの悪天候こそ『ザ・ベルギーの4月の天候』だったようです。
最後まで平地が無いので細かく登ったり下ったりを繰り返し、また再び雨が降り出したため水しぶきをあげながら残りの距離を消化して行きました。疲れて撮影する元気が無くて写真がありませんが、最後の関門を終えたはずなのに、ゴールまでの残り2kmは名も無い長くて緩い上り坂が待ち受けていました。この上り坂の道路の両側がリエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースの参加者の路駐した車でいっぱいなので、とても走り難かったです。
DNSも考えたリエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースですが、何とかゴールに到着しました。ゴールで司会をしている楊儁宇さんが『日本から来たキットさんが帰ってきました!OKAERINASAI(お帰りなさい)!』とアナウンスしてくれました。リエージュ~バストーニュ~リエージュ市民レースは、誰のサポートも無く自走でスタート地点まで来て(帰りも自走)何とかゴール出来たので本当に良かったです。“市民レースの参加者にアジア人は皆無で、日本人の私と台湾人の楊儁宇さんぐらいじゃなかったのではなかろうか?”と思います。彼が色々と市民レース前に声をかけてくれたから、ゴールまで頑張れました。“謝々你、楊儁宇!”
フィニッシュラインから先へ進むと、いよいよ5大モニュメント4つ目のメダルを獲得です。ボランティアの学生達でしょう。メダルの配布を楽しくやっています。メダルは結構重たいです。
ゴールした後に、シャワーを浴びてベルギービールで一杯やりたい所ですが、帰りの電車の時間の都合もあるので、そそくさとフレポン駅に向かいます。再び雨が降る前にホテルに帰りたかったので、電車が来た時には安堵してほろりと涙が出てしまいました。
ホテルに戻って熱いシャワーを浴び、2つのメダルをベッドに並べました。ベルギーのノンアルコールレモンビール:ラドラーで祝杯です。翌日のリエージュ~バストーニュ~リエージュのプロレースでは、アスタナ・カザクスタンはもちろん、グルパマFDJに潜入するつもりなので、完走の喜びに浸る時間もそこそこにして、バナナと余った補給食をしこたま食べて早く寝るとします。しかし、翌朝のチームプレゼンテーションの時間に遅刻する予感がします。
第110回リエージュ~バストーニュ~リエージュ観戦に続く…
Special Thanks to
Remy Ooms (Erlo Sports)
Enrico Gastaldello (Wilier Triestina)
Steven Merlini (Wilier Triestina)
Gregory Girard (Miche)
Salvatore Truglio (Prologo)
Jonny Moletta (Jonny Mole)
Dalibor Kmenta (Force CZ.)
Andrea Mrazek Kmentova (Force CZ.)
Akira Nakata (Kapermuur-Wave One)
Kaori Mishima (Kapermuur-Wave One)
Miho Kobayashi (Atelier Anco)
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Yoshiyuki Ugajin (Freelance Photographer)
Shohei Matsuo (Half Life Hiroshima)
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