市民130kmの部で優勝したのは、かつてのロード&MTBの全日本チャンピオン、キングこと三浦恭資さんだ。 19年前のおきなわ覇者は今、48歳。選手育成活動に余念ない日々を送るが、3週間の集中練習でこの日にこぎつけた。そして奥さんに内緒で出場。優勝したおかげでバレてしまったとか...。

三浦恭資はツール・ド・おきなわ第2回大会(1990年)チャンピオンレース覇者だ三浦恭資はツール・ド・おきなわ第2回大会(1990年)チャンピオンレース覇者だ (c)MakotoAYANO高校生の指導をしていてその気になった

当初走るはずでは無かったが、沖縄の高校生の指導をするついでに、レースに参加する事にした。2年前にも一度市民85kmの部に参加したが、源河の登りで大失速をしたので、今回はその時の失敗が無いように準備を整え、3週間のダイエットとハードな練習で準備を進めた。

その結果、75kgの体重はレース前には69.5kgに。心拍数は145rpmで苦しくなるところが、180rpmまで上がるほどに仕上がる。後は130kmという長い距離と、数回ある登りをどうこなすかが課題となる。

いくら昔選手だったといっても、数年間ほとんど自転車に乗っていない。9月に走った実業団レースも30kmでリタイヤしている。
そこでわずかな時間を無駄にしないよう、調整力を最大に使い、短期間で身体を整えた。

レースの中断は当たり前と考えろ

レースは予測していたより速度が速い。最初の登りから沖縄のチームキッズの選手がハイペースで集団を引き始めた。

このハイペースに着いていけない選手が出始めるなか、我慢を重ねるが、身体が動かず、頂上付近で切れてしまう。先行したのは10名ほどで、その差30秒。ここから北部のアップダウンを走るが、この差なら十分詰められるから、あせらずゆっくりと数名で追い、事無く集団復帰。

普久川ダムを上る市民130kmの選手たち。普久川ダムを上る市民130kmの選手たち。 (c)MakotoAYANO
後方からもどんどん選手が追いついてきて集団となる。ペースが落ちると雑談をする選手がいて集中力に欠ける。雑談をする選手は落車の危険があるから出来るだけ離れ、集中力を欠かないようにしながら2回目の普川ダムに備える。

大きな集団で淡々と進む中、女子のスタート地点を少し過ぎた所で一度集団が止められた。前を行くレースに追いついたせいらしい。ヨーロッパで言えば遮断機に止められたようなものなので、気にはならない。それどころか、体力を回復するのに好都合。再スタートまで民家で水をもらい、捕食を食べ、参加者と雑談をしてリラックスしながら準備を整える。

計算しながら前との差を詰める

そして再スタート。ゆっくりした速度で2回目の普川ダムに向かい、次の坂が勝負所と思い、前の方から登り始める。

ここで一人の選手のアタック! 一気に集団はバラバラになる。それほど強烈なアタックだった。

後方から6人ほどの選手がアタックについてくが、ここはマイペースを維持しないと今の力ではどうにもならない。追撃距離を保ち、なるべく離されないように頂上を目指す。

普久川ダムを上る三浦恭資普久川ダムを上る三浦恭資 (c)MakotoAYANO
ここで同じぐらいのレベルのチームキッズの2選手と一緒に3人で先頭を追う。頂上では40秒差。何度も走っている沖縄のレースだ。集団は何処が速くて何処が遅くなるのか予測がつく。
そこで東海岸の下りを飛ばしタイム差をつめ、アップダウンが続く東海岸で先頭グループに追いつくと頭で考えながら走る。

しかしここで自分の身体に想定外の事が起き始めた。もっと速い速度で登れるはずなのに、速度が上がらない。当然ながら練習不足はそのまま身体に出てくる。普段こんな速い速度で距離を走っていないから、心拍が上がりすぎてオールアウト寸前。ここで数人の選手の後ろに回るが、もはや身体は限界...。

ひたすら我慢していると、前から数人の選手が切れてくる。数人で先頭交替しながらとにかく回復を待つ。沖縄は回復ポイントが数箇所ある。ここで痙攣しそうな足をいたわりながら後半に備える。

普久川ダムを上る選手たち普久川ダムを上る選手たち (c)MakotoAYANOどの選手も苦痛で顔を歪ませるどの選手も苦痛で顔を歪ませる (c)MakotoAYANO
勝負どころは2度の上りだ勝負どころは2度の上りだ (c)MakotoAYANOガマン比べをする選手たちガマン比べをする選手たち (c)MakotoAYANO


思うように身体が動かない

エネルギーを入れながら先頭を追う。6人の先頭交替は意外と速く、先頭が見え始める。やばい、このまま追いつけば力の差があるから最後の坂でまた振り切られることになると判断。集団の皆には「一気に追いつかないように」と指示して、ひたすらペースで走る。

残り30km。先頭との差が20秒ほどに詰まった時、集団から1人が飛び出し、先頭が2名。ここで集団との差が開き始めた。このまま差が開けば当然逃げ切られる。

最後の補給所で一気にアタックして単独追うことを考え、速度を上げるが、思うように身体が動かない。それどころか、脚が痙攣しそうで、ペダルを強く踏み込めない。

ここでチームキッズの選手が追い始めるが、先頭との差は1分まで広がった。

最終の登りで詰めないとチャンスは無くなる。先行して上り始めるが、今一つ威力が足らない。ここで失速したが、チームキッズの選手が速い速度で先頭を引き始めた。
ここから離れるわけにはいかない選手達は、皆この場面で頑張っている。とにかく我慢を繰り返し、数人で頂上を通過。この時点で先頭との差は40秒。少し詰まっているからゴール前数キロで追いつくと判断した。

下りきって海岸線に出る。ここから一気に速度を上げ追い始める。ゴール勝負に持ち込めば勝てる確率が高くなる。しかし時折攣りそうになる脚...。

小さな坂で何度も切れそうになりながら、ラスト4km。小さな坂の手前で先頭2名を吸収し、同時にチームキッズの2名の強烈なアタックがかかり、自分を含む3人になる。

頂上通過直後、完全に足が痙攣して遅れてしまう。後方から来た3人にも置いていかれ、勝負は完全に終わったかのように思われた。だが、クラウチングスタイルを取り、何とか痙攣を止めるように、ありとあらゆる手を尽くす。

市民130kmゴール ゴール前の先頭争い市民130kmゴール ゴール前の先頭争い photo:Hideaki.TAKAGI前の心理状態を計算して差を詰める

100mぐらいの差を一人で踏み続けるが、先頭はガンガンに先頭交替をしている。

「ゴールは近い。必ず牽制がはいる。その時がチャンスだ」と、後方から狙いを定める。

ゴール前2kmで速度が落ちた瞬間、一気に先頭に追いつき、残り1km。

ここでチームキッズがチーム戦にでて、2名と選手と集団が割れる。このチャンスを逃すわけにはいかない!

市民130kmゴール 先頭市民130kmゴール 先頭 photo:Hideaki.TAKAGI一気に後方から先頭までスプリントし、追いついた後は動かない。もう一度脚が痙攣したら終わりだから、ぎりぎりまでスプリントを待つ。

向かい風・微風、ギヤは軽めの14Tを選択して、残り100mを切って飛びだした。







市民130kmを制した三浦恭資市民130kmを制した三浦恭資 (c)MakotoAYANO

市民130km優勝 三浦恭資、2位青木峻ニ(えるどらど) 、3位東江ニ男(チームキッズ)市民130km優勝 三浦恭資、2位青木峻ニ(えるどらど) 、3位東江ニ男(チームキッズ) (c)MakotoAYANOまさかの勝利

まさか130kmで勝てるとは、思ってもみなかった。自分の予測では10位前後、レース中でも今の実力では6位ぐらいだろうと思っていた。

今回の勝因は、沖縄のチームキッズのメンバーらと追撃ができた事。彼らの走りは基本に忠実で、先頭交替が上手いためにエネルギーロスが少なかった。事前に彼らと走っていたので力を計算できた。それに、最後まで諦めずに走ったのが良かった。


当然、俺の周りの人たちは、自分が勝てるわけが無いと考えていただろう。練習を開始したタイミングの余りの遅さ。特に坂道、心拍が140rpmに達するだけで失速する心臓と、突き出した腹。体型を見ただけで、沖縄の厳しいコースでは無理だと思ったはず。

ツール・ド・おきなわ2009市民130km覇者、三浦恭資ツール・ド・おきなわ2009市民130km覇者、三浦恭資 (c)MakotoAYANOだが俺には一つの目標があった。それは絶対に諦めないことだ。常日頃、若き選手達にトレーニングの事や実戦練習を指導する立場にある身だ。言葉に出す以上、自身がやらねばいけない。

そして、もうすぐ50歳になろうとする腹が突き出したオッサンでも、やれば出来るんだという所を見せる義務があったのだ。