2009/11/14(土) - 18:21
本部半島を巡る50kmレース、年齢別のシニアクラスで優勝した鈴木雅彦さん(Team DADDY)。ショップ店長として
多忙による練習不足、そして持病の腰痛が前日に悪化。しかしそれを克服し、磐石の走りで掴んだ自身2度目の優勝を振り返るレポートだ。
サイクルショップ経営者として
私(46歳)が走る「シニア50Km」が、2007年に市民50kmから年齢別に分けられてから、今年で3回目。2007年の初回大会に優勝。そして今回は2度目の優勝ということになりました。しかし今回の優勝への道は、決して楽なものでは有りませんでした。
サイクルショップを経営する私は、このところの自転車ブームで仕事が大変忙しく、自分がトレーニングする時間が作れない...。
そんな事で、2009年シーズンは短時間でも効果が現れる「ウェイトトレーニング」を春先から始めました。見る見る効果は表れましたが、それに伴い持病の腰痛が悪化。痛みで眠れない夜が何日も続きました。結局ウェイトトレーニングは中止し、自転車に乗るのもままなならない日々。夏には、ついに疲労でダウン。
秋に入ってトレーニングを再開すると、今度はハムストリングスの痛みに悩まされる日々。痛み止めの薬を服用し、痛み止めの軟膏を塗りこみ、ストレッチを繰り返し、痛みを誤魔化しながらのトレーニング。今年は「おきなわ」までの間に、おそらく例年の半分くらいしか乗り込めていない。そんな状況での参戦となりました。
■先ずは準備から・・・
例年は、前日の土曜日に沖縄入りし、昼食の後に下見の試走をしていました。しかし実際、前日にレンタカーの借り受け、移動、チームメンバーの自転車の組み立てや準備するのは大変で、今回は私と私の家族が金曜日から沖縄入りすることに。流石にレースが2日後となると、気持ちにも余裕が。
午後2時頃に名護市入り。
直ぐに着替えて、50Kmのフルコースを下見を兼ねての試走。危険箇所や、通らない方がよさそうなコース取りを入念にチェック。そして、レースで最大のポイントとなる「水族館手前の坂」と、去年苦しんだ「今帰仁」の坂を改めて確認。「レースまで2日あるので回復は十分であろう」と、レースペースで坂を上ってみることに。
しかし、そこで思わぬ事態に・・・腰痛の再発。少し走っては休み、また少し走っては休みの繰り返し。何とか名護までたどり着いたもの、自転車を降りても腰痛は容赦してくれない。ホテルで入浴後、痛み止めの軟膏を塗りこんで明日を待つことに。
レース前日
朝起きても、腰痛は治っていない。チームメンバーと合流し、午後から自転車に乗ってみたが、自転車に乗って居るのがやっと。「優勝」の文字が、頭の中で霞んで行く。
しかし、このままあきらめるわけにはいけない。確か、名護市内に全国チェーンのスポーツマッサージ店があったはず。飛び込みでマッサージをお願いし、何とか我慢できる程度に腰は回復。更に、電気店でマッサージ器を購入。腰周りにサロメチールをたっぷりと塗りこんで、レース前の最後の夜を終える。
レース当日
午前4時半起床。
入念なストレッチの後、冬用のウォームアップオイルを痛みの出そうな場所に塗りこむ。バナナ2本と、クエン酸とBCAAの入ったサプリメントをオレンジジュースで胃に流し込む。
午前5時半。
ニーウォーマーとアームウォーマーを着けてウォームアップ走スタート。
午前6時20分。
アップを済ませ集合場所に到着。
午前7時。(スタート5分前)
最前列で待機するが、昨年の覇者岩瀬選手の姿が見えない。
「体調不良もしくは故障で今回は参加しない」との情報が耳に入る。
本当か?耳を疑った。信じられない。シニア50Kmでは、彼以外にライバルは居ない。
スタート1分前。
やはり、岩瀬選手は現れなかった。
「このレースは俺のレースだ...99%勝てる。」そう心の中でつぶやいた。
「後の1%は心の油断。」
勝つためには、出来る限りゴールでの集団を小さくすること。そのためには、登りでペースをあげて休ませない。
常にレースの主導権を握り、後手を踏まないことが鉄則。
レース! ゴールまでトラブルなく行きたい
午後7時5分、レーススタート。
スタートと同時に先頭に立ち、一気にペースを上げる。自分の安全確保と、中途半端な選手が先頭集団に紛れ込まない為の振るい落としだ。
私を含む3名のチームメイトでペースを作る中、ローテーション位置に居ながら自分の番になると引かないでペースを落とす選手が邪魔をする。「ペースを落とすならローテーションに入るな!」と一喝。しかし、他にペースアップに加わる選手も少なく、思うようにペースが上がらないまま海岸線へと進んだ。
5Km過ぎ。
ここから先、本部大橋までの平坦路での仕掛けは難しい。脚を回復させるために、先頭が見える程度の集団の中で休むことに。
15km過ぎ、本部スプリントポイント。
スプリントポイントに向かって、ペースが上がる。こんなところで足を使っても意味は無いが、その勢いに乗って逃げに入る選手を警戒しなければいけない。ペースアップする集団にペースをあわせ、スプリントポイントを超えたところから集団の前に出る。ここでは毎回、スプリントを終えて減速した選手と後続の選手の絡んだ事故が起こる。
危険な場所では常に前に出る。
「無事これ名馬」・・・転ばないことが、勝つ為の大原則。
本部大橋を先頭で登り、チーム員3人で前を回しながら、いよいよ今回の最初の勝負所「ちゅら海水族館」までの坂に差し掛かる。先頭でチームメイトの安藤がレースのペースを作る。そして2番手で私が周りを牽制しながらペースを指示。後ろを振り返ると、集団は長い列に。「ヨシ、誰も仕掛けられない。」今度は自分が先頭で坂を越える。兎に角ペースを保って後ろに楽はさせない作戦。
22Km過ぎ。備瀬の坂。
短くて地味な坂だが、前回の優勝で最大の鍵となった坂。水族館の坂で一杯だった選手が振るい落とされた坂だ。
ここも、チームメイトの安藤がペースを作る。そして私が先頭で坂を越える。常に、苦しいところ、危ないところでは前へ前へ。そしてそこから先、今帰仁までは後ろに下がって休むことに。
33km地点。
最後の勝負所、今帰仁スプリントポイント。
チームメイトに「ここでは、回りの動きに合わせて動け」の指示。周りの選手にどれ位余裕が有るか計らなければいけない。スプリントポイントを越えたあたりから、前回2位の西丸選手が動き出す。「遅れるな!付け!」直ぐにペースダウンした西丸選手を尻目に、安藤が先頭に立ちペースアップ。後ろは一列棒状。安心して今度は私がが先頭に。絶対に登りでは休ませない。
35km地点。
下りに入り、集団のペースは一気に上がった。しかし、平坦路に出るとペースは全くのサイクリングモード。チームメンバーには、「ここで無駄な足を使うな、最後まで脚を貯めろ」と指示。集団はそのままのゆっくりペースで、国道58号へと向かった。
42km過ぎ。
国道58号へと集団は進み、周りは殺気立つ。
45Km地点。
ネオパーク手前の最後の短い坂。一人の外人選手が先頭に立った。すかさずマークに入るチームメイト安藤。直ぐに先頭に出ようと、かなりあせっている。「出るな!出なくていい!」何とか私を勝たせたいと思う気持ちは痛いほど判るが、私の足にも気持ちにも充分な余裕があった。普段行っているチーム練習会のペースと比べれば、シニアクラスのペースは全然遅い。怖いのは集団落車だけ。
「しっかり脚を貯めろ」と指示をして間もなく、安藤は外人選手の後輪に接触して落車。ここまで一緒に頑張ってきたのに、残念でならない。残るチームメイト村瀬がすかさず私の元へ。「最後の2kmほどから牽制でペースが落ちるから、その時はペースを上げてくれ。」と指示。
勝利へのカウントダウン
ラスト2Km。
思ったとおり、集団は牽制ペース。「ペースを上げてくれ!」村瀬が一気にペースを上げて、あっという間に先頭付近は一列棒状に。
ラスト1km。
村瀬も力尽き、ペースが落ちると集団も一気にペースダウン。そこへ、右から4人が仕掛ける。すかさず5番手につけて様子を見るが、続く選手が仕掛ける気配は無い。
ラスト800m。
また右から「行くぞー」と声を掛けて一人が発射。しかし、続く選手が居ない。飛びつくのは簡単だが、800mで2番手は頂けない。5番手で充分。前に居る誰かが反応するだろうと様子を見たが、皆もう限界のようだ。スルスルと前に出て様子を伺うが、まだここから踏むわけにはいけない。
ラスト600m。
このままでは、前の選手と差が開く一方。恐らく50mほどの差がついてしまった。しかし、まだ踏んではいけない。絶対に逃げている選手はゴールまでもたない。我慢だ。
ラスト500m。
後ろについていた前回2位の西丸選手が仕掛けて出た。更にその後ろには前回3位の長谷川選手。「しめた!」この二人を前に出してしまえば、他に警戒する選手はいない。
ラスト300m。
思ったほど距離が縮まらない。長谷川選手も仕掛けようとするが脚が回っていない。「計算違いか?」悪夢が頭をよぎった。
ラスト200m。
左側の視界に、後ろから迫る別の選手が入って来た。「もう待てない」・・・発射だ!ギヤをトップに入れ、一気に踏み込む。
ラスト150m。
あっという間に、逃げる選手以外が視界から消えた。あとは、前を捕まえられるかどうかだ。
ラスト50m。
「ヨシ、捕まえられる!」
ラスト30m。
ついに、逃げる選手を捕まえた。
ゴール直前。
ゴールラインの計測板以外に視界には何も無い。
そして、ゴール!
「ヨシ、勝った!」
しかも、予定通りの完璧なレース運びで。
未だかつて無い、渾身のガッツポーズ!
これで、自分の1年は終わった。
苦しかった1年。しかし、勝利への道をあきらめることは出来なかった。
「おきなわ」が近付くにつれ、「頑張って下さい」とのお客様からの暖かい声援。痛みに対処して下さったお医者様。マッサージをして下さった「まごのて」のスタッフの皆様。一緒に汗を流した「Team-DADDY」の苦しい練習会。そして、夜遅くに晩御飯を作って待っていてくれた妻。
自分のための優勝であったら、もうとっくにあきらめていた。眠れないほどの痛みに耐えてまで、トレーニングをすることは出来なかった。私の周りのみんなの声が、顔が、自分をを震え立たせてくれた。あきらめることは簡単だが、あきらめる姿を見せたくは無い。自分の頭を越えていく奴が現れるまで、じっと痛みに耐え続けなければいけない。でも、その日はきっと遠くない。だんだんと大きくなる足音が、確実に聞こえてくる。
私の頭を越えていく奴が現れるまで、私は走り続けます。
今まで私を支えてくれた皆さん、本当にありがとうございました。
今回の使用機材
フレーム:PINARELLO PRINCE Di2 CARBON
ホイール:フロント/MAVIC COSMIC CARBON-SL
ホイール:リア/MAVIC COSMIC CARBON-SLR
使用ギヤ:ROTOR オーバル 52×42/DURA ACE 12-23T
ペダル:LOOK Keo 2 Max Carbon
多忙による練習不足、そして持病の腰痛が前日に悪化。しかしそれを克服し、磐石の走りで掴んだ自身2度目の優勝を振り返るレポートだ。
サイクルショップ経営者として
私(46歳)が走る「シニア50Km」が、2007年に市民50kmから年齢別に分けられてから、今年で3回目。2007年の初回大会に優勝。そして今回は2度目の優勝ということになりました。しかし今回の優勝への道は、決して楽なものでは有りませんでした。
サイクルショップを経営する私は、このところの自転車ブームで仕事が大変忙しく、自分がトレーニングする時間が作れない...。
そんな事で、2009年シーズンは短時間でも効果が現れる「ウェイトトレーニング」を春先から始めました。見る見る効果は表れましたが、それに伴い持病の腰痛が悪化。痛みで眠れない夜が何日も続きました。結局ウェイトトレーニングは中止し、自転車に乗るのもままなならない日々。夏には、ついに疲労でダウン。
秋に入ってトレーニングを再開すると、今度はハムストリングスの痛みに悩まされる日々。痛み止めの薬を服用し、痛み止めの軟膏を塗りこみ、ストレッチを繰り返し、痛みを誤魔化しながらのトレーニング。今年は「おきなわ」までの間に、おそらく例年の半分くらいしか乗り込めていない。そんな状況での参戦となりました。
■先ずは準備から・・・
例年は、前日の土曜日に沖縄入りし、昼食の後に下見の試走をしていました。しかし実際、前日にレンタカーの借り受け、移動、チームメンバーの自転車の組み立てや準備するのは大変で、今回は私と私の家族が金曜日から沖縄入りすることに。流石にレースが2日後となると、気持ちにも余裕が。
午後2時頃に名護市入り。
直ぐに着替えて、50Kmのフルコースを下見を兼ねての試走。危険箇所や、通らない方がよさそうなコース取りを入念にチェック。そして、レースで最大のポイントとなる「水族館手前の坂」と、去年苦しんだ「今帰仁」の坂を改めて確認。「レースまで2日あるので回復は十分であろう」と、レースペースで坂を上ってみることに。
しかし、そこで思わぬ事態に・・・腰痛の再発。少し走っては休み、また少し走っては休みの繰り返し。何とか名護までたどり着いたもの、自転車を降りても腰痛は容赦してくれない。ホテルで入浴後、痛み止めの軟膏を塗りこんで明日を待つことに。
レース前日
朝起きても、腰痛は治っていない。チームメンバーと合流し、午後から自転車に乗ってみたが、自転車に乗って居るのがやっと。「優勝」の文字が、頭の中で霞んで行く。
しかし、このままあきらめるわけにはいけない。確か、名護市内に全国チェーンのスポーツマッサージ店があったはず。飛び込みでマッサージをお願いし、何とか我慢できる程度に腰は回復。更に、電気店でマッサージ器を購入。腰周りにサロメチールをたっぷりと塗りこんで、レース前の最後の夜を終える。
レース当日
午前4時半起床。
入念なストレッチの後、冬用のウォームアップオイルを痛みの出そうな場所に塗りこむ。バナナ2本と、クエン酸とBCAAの入ったサプリメントをオレンジジュースで胃に流し込む。
午前5時半。
ニーウォーマーとアームウォーマーを着けてウォームアップ走スタート。
午前6時20分。
アップを済ませ集合場所に到着。
午前7時。(スタート5分前)
最前列で待機するが、昨年の覇者岩瀬選手の姿が見えない。
「体調不良もしくは故障で今回は参加しない」との情報が耳に入る。
本当か?耳を疑った。信じられない。シニア50Kmでは、彼以外にライバルは居ない。
スタート1分前。
やはり、岩瀬選手は現れなかった。
「このレースは俺のレースだ...99%勝てる。」そう心の中でつぶやいた。
「後の1%は心の油断。」
勝つためには、出来る限りゴールでの集団を小さくすること。そのためには、登りでペースをあげて休ませない。
常にレースの主導権を握り、後手を踏まないことが鉄則。
レース! ゴールまでトラブルなく行きたい
午後7時5分、レーススタート。
スタートと同時に先頭に立ち、一気にペースを上げる。自分の安全確保と、中途半端な選手が先頭集団に紛れ込まない為の振るい落としだ。
私を含む3名のチームメイトでペースを作る中、ローテーション位置に居ながら自分の番になると引かないでペースを落とす選手が邪魔をする。「ペースを落とすならローテーションに入るな!」と一喝。しかし、他にペースアップに加わる選手も少なく、思うようにペースが上がらないまま海岸線へと進んだ。
5Km過ぎ。
ここから先、本部大橋までの平坦路での仕掛けは難しい。脚を回復させるために、先頭が見える程度の集団の中で休むことに。
15km過ぎ、本部スプリントポイント。
スプリントポイントに向かって、ペースが上がる。こんなところで足を使っても意味は無いが、その勢いに乗って逃げに入る選手を警戒しなければいけない。ペースアップする集団にペースをあわせ、スプリントポイントを超えたところから集団の前に出る。ここでは毎回、スプリントを終えて減速した選手と後続の選手の絡んだ事故が起こる。
危険な場所では常に前に出る。
「無事これ名馬」・・・転ばないことが、勝つ為の大原則。
本部大橋を先頭で登り、チーム員3人で前を回しながら、いよいよ今回の最初の勝負所「ちゅら海水族館」までの坂に差し掛かる。先頭でチームメイトの安藤がレースのペースを作る。そして2番手で私が周りを牽制しながらペースを指示。後ろを振り返ると、集団は長い列に。「ヨシ、誰も仕掛けられない。」今度は自分が先頭で坂を越える。兎に角ペースを保って後ろに楽はさせない作戦。
22Km過ぎ。備瀬の坂。
短くて地味な坂だが、前回の優勝で最大の鍵となった坂。水族館の坂で一杯だった選手が振るい落とされた坂だ。
ここも、チームメイトの安藤がペースを作る。そして私が先頭で坂を越える。常に、苦しいところ、危ないところでは前へ前へ。そしてそこから先、今帰仁までは後ろに下がって休むことに。
33km地点。
最後の勝負所、今帰仁スプリントポイント。
チームメイトに「ここでは、回りの動きに合わせて動け」の指示。周りの選手にどれ位余裕が有るか計らなければいけない。スプリントポイントを越えたあたりから、前回2位の西丸選手が動き出す。「遅れるな!付け!」直ぐにペースダウンした西丸選手を尻目に、安藤が先頭に立ちペースアップ。後ろは一列棒状。安心して今度は私がが先頭に。絶対に登りでは休ませない。
35km地点。
下りに入り、集団のペースは一気に上がった。しかし、平坦路に出るとペースは全くのサイクリングモード。チームメンバーには、「ここで無駄な足を使うな、最後まで脚を貯めろ」と指示。集団はそのままのゆっくりペースで、国道58号へと向かった。
42km過ぎ。
国道58号へと集団は進み、周りは殺気立つ。
45Km地点。
ネオパーク手前の最後の短い坂。一人の外人選手が先頭に立った。すかさずマークに入るチームメイト安藤。直ぐに先頭に出ようと、かなりあせっている。「出るな!出なくていい!」何とか私を勝たせたいと思う気持ちは痛いほど判るが、私の足にも気持ちにも充分な余裕があった。普段行っているチーム練習会のペースと比べれば、シニアクラスのペースは全然遅い。怖いのは集団落車だけ。
「しっかり脚を貯めろ」と指示をして間もなく、安藤は外人選手の後輪に接触して落車。ここまで一緒に頑張ってきたのに、残念でならない。残るチームメイト村瀬がすかさず私の元へ。「最後の2kmほどから牽制でペースが落ちるから、その時はペースを上げてくれ。」と指示。
勝利へのカウントダウン
ラスト2Km。
思ったとおり、集団は牽制ペース。「ペースを上げてくれ!」村瀬が一気にペースを上げて、あっという間に先頭付近は一列棒状に。
ラスト1km。
村瀬も力尽き、ペースが落ちると集団も一気にペースダウン。そこへ、右から4人が仕掛ける。すかさず5番手につけて様子を見るが、続く選手が仕掛ける気配は無い。
ラスト800m。
また右から「行くぞー」と声を掛けて一人が発射。しかし、続く選手が居ない。飛びつくのは簡単だが、800mで2番手は頂けない。5番手で充分。前に居る誰かが反応するだろうと様子を見たが、皆もう限界のようだ。スルスルと前に出て様子を伺うが、まだここから踏むわけにはいけない。
ラスト600m。
このままでは、前の選手と差が開く一方。恐らく50mほどの差がついてしまった。しかし、まだ踏んではいけない。絶対に逃げている選手はゴールまでもたない。我慢だ。
ラスト500m。
後ろについていた前回2位の西丸選手が仕掛けて出た。更にその後ろには前回3位の長谷川選手。「しめた!」この二人を前に出してしまえば、他に警戒する選手はいない。
ラスト300m。
思ったほど距離が縮まらない。長谷川選手も仕掛けようとするが脚が回っていない。「計算違いか?」悪夢が頭をよぎった。
ラスト200m。
左側の視界に、後ろから迫る別の選手が入って来た。「もう待てない」・・・発射だ!ギヤをトップに入れ、一気に踏み込む。
ラスト150m。
あっという間に、逃げる選手以外が視界から消えた。あとは、前を捕まえられるかどうかだ。
ラスト50m。
「ヨシ、捕まえられる!」
ラスト30m。
ついに、逃げる選手を捕まえた。
ゴール直前。
ゴールラインの計測板以外に視界には何も無い。
そして、ゴール!
「ヨシ、勝った!」
しかも、予定通りの完璧なレース運びで。
未だかつて無い、渾身のガッツポーズ!
これで、自分の1年は終わった。
苦しかった1年。しかし、勝利への道をあきらめることは出来なかった。
「おきなわ」が近付くにつれ、「頑張って下さい」とのお客様からの暖かい声援。痛みに対処して下さったお医者様。マッサージをして下さった「まごのて」のスタッフの皆様。一緒に汗を流した「Team-DADDY」の苦しい練習会。そして、夜遅くに晩御飯を作って待っていてくれた妻。
自分のための優勝であったら、もうとっくにあきらめていた。眠れないほどの痛みに耐えてまで、トレーニングをすることは出来なかった。私の周りのみんなの声が、顔が、自分をを震え立たせてくれた。あきらめることは簡単だが、あきらめる姿を見せたくは無い。自分の頭を越えていく奴が現れるまで、じっと痛みに耐え続けなければいけない。でも、その日はきっと遠くない。だんだんと大きくなる足音が、確実に聞こえてくる。
私の頭を越えていく奴が現れるまで、私は走り続けます。
今まで私を支えてくれた皆さん、本当にありがとうございました。
今回の使用機材
フレーム:PINARELLO PRINCE Di2 CARBON
ホイール:フロント/MAVIC COSMIC CARBON-SL
ホイール:リア/MAVIC COSMIC CARBON-SLR
使用ギヤ:ROTOR オーバル 52×42/DURA ACE 12-23T
ペダル:LOOK Keo 2 Max Carbon
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