2009/09/28(月) - 08:30
ロード世界選手権最終日のエリートロードは、最終周回でアタックを成功させたカデル・エヴァンス(オーストラリア)が、独走で初の世界タイトル獲得。南半球出身者として初の快挙を成し遂げた。日本チームは新城幸也が序盤から逃げを率いる活躍。別府史之がトップから5分20秒遅れの57位で完走した。
ユキヤが逃げた!レースは混沌とした争いへ
世界各国から201名の精鋭たちが集結した今年の世界選手権エリートロード。アックア・フレスカとナヴァッツァーノの上りを含む高低差245mの13.8kmコースを19周。獲得標高差が4655mに達するため、近年まれに見る難コースと悪名高い。
この世界最高峰のワンディレースで、真っ先にアタックを成功させたのは赤と白の日本ナショナルジャージ。ブルーのヘルメットを被った新城幸也だった。
1周目で飛び出したユキヤには、ブエルタ・ア・エスパーニャでポイント賞を獲得したばかりのアンドレ・グライペル(ドイツ)ら5名が合流。続く2周目にマウリシオアルベルト・アルディラ(コロンビア)ら4名が新たに加わり、合計10名の大きな逃げグループが形成。ユキヤを含むこの逃げは最大10分40秒のリードを得た。
沈黙していたメイン集団は、ゴールまで12周を残してマルツィオ・ブルセギン(イタリア)とルーベン・プラサ(スペイン)が牽引開始。メイン集団は逃げとのタイム差をジワリと詰めながら周回をこなした。
レースが転換期を迎えたのは残り8周(ゴール100km手前)のアックア・フレスカ。ブルセギンとプラサのペースコントロールによって先頭とのタイム差が5分30秒まで縮まったところで、ミケーレ・スカルポーニ(イタリア)がアタックを仕掛け、9名が集団から先行。これに19名が追いつき、28名の追走グループが組織された。
この巨大な追走グループにはイタリアチームが4名(スカルポーニ、ヴィスコンティ、パオリーニ、バッラン)を送り込み、対するスペインチームは3名(コーボ、バレード、ロドリゲス)、ベルギーチームは4名(ファンアフェルマート、デワール、デグレーフ、ボーネン)。メイン集団はオーストラリアがコントロールを開始した。
やがて残り4周(ゴール50km手前)で巨大な追走グループはユキヤを含む先頭グループをキャッチ。一時は30名を超える巨大な先頭グループが形成されたが、アタックに次ぐアタックで人数を減らしていく。ずっと逃げ続けていたユキヤはついに残り3周で息絶えてしまった。
スペインがペースを上げ始めたメイン集団は、先頭グループから1分20秒遅れで残り2周に突入。ここからレースは激しく展開することとなる。
ゴール22km手前のアックア・フレスカの下りで攻撃を開始したのは地元スイスのカンチェラーラ。猛烈な勢いで集団から飛び出したカンチェラーラは、それまで逃げていた選手たちを全員パス。しかし決定的な動きには結びつかず、ゴールまで1周半(ゴール18km手前)を残して逃げは全て吸収され、集団は一つに戻った。
ここからイタリアチームの攻撃が始まった。ナヴァッツァーノの上りでフィリッポ・ポッツァート(イタリア)とイヴァン・バッソ(イタリア)がペースを急激に上げると、メイン集団は20名まで縮小。しかしこの時点では、まだスプリンターのオスカル・フレイレ(スペイン)が集団内に残った。
やがて最終周回の鐘が鳴ると、アレクサンドル・ヴィノクロフ(カザフスタン)が単独アタックを成功させ、独走でアックア・フレスカの上りに突入。ヴィノにはアレクサンドル・コロブネフ(ロシア)が追いつき、先頭で上りを進む。しかしその後方では、超強力な機関車ファビアンが発車した。
急勾配のアックア・フレスカでカンチェラーラが強烈なペースアップ。このハイペースは集団を粉々に破壊し、先頭のコロブネフを吸収して上りの頂上をクリア。下りでもカンチェラーラの勢いは弱まらず、猛烈な勢いで下りを攻めた。
しかしカンチェラーラのアタックは決まらず、ゴール6km手前で集団は一旦お見合い状態に。この緩んだ隙を突いて飛び出したのがエヴァンスとコロブネフ。これにはロドリゲスがしっかりとマークについた。
最後の上り、ナヴァッツァーノに向けて、意を決したエヴァンスは踏み直した。コロブネフとロドリゲスを振り切ったエヴァンスは独走でナヴァッツァーノを駆け上がる。一方、20秒後方のメイン集団では、ダミアーノ・クネゴ(イタリア)やフィリップ・ジルベール(ベルギー)がカウンターアタックで飛び出したが決まらない。
結局エヴァンスはコロブネフとロドリゲスから13秒、メイン集団から23秒リードしてナヴァッツァーノをクリア。残り3kmの平坦路をペースを崩さず駆け抜けたエヴァンスが、独走でゴールに飛び込んだ。銀メダル争いのスプリントは、コロブネフに軍配が上がった。
エヴァンスが南半球勢初の世界チャンピオンに
オーストラリア人として、南半球出身者として初めてエリートロードのアルカンシェルを獲得したエヴァンス。ゴール直後は何が起こったのか分からないように呆然とした表情だったが、バイクを降り、表彰台に向かい、インタビューを受け、アルカンシェルを受け取る頃には喜びが絶頂に達した。
「全く信じられないような勝利だ!マウンテンバイクでは世界選手権で合計7つのメダルを獲得しているけど、これが初めての金メダルなんだ」。
エヴァンスはオーストラリア北部のノーザンテリトリー出身だが、現在はスイスのスタビオに居を構えている。スタビオはメンドリシオから南西に3km、イタリア国境近くに位置する。「自宅が近いのでまるでホームレースのようだった。このコースはバッチリ僕向きで、歴史もそのことに同意してくれたようだ」。
レース展開的には、後手に回ったオーストラリアチーム。エヴァンスは「追走グループにマイケル(ロジャース)が入ったことは朗報だった。ゴールまで95kmを残して巨大な追走グループが形成された時、イタリア人が4名も入っていたし、もうレースは終わったと思った。今日メダルを狙うのはマイケルだと思った」とレースを振り返る。
しかしオーストラリアは本来のエースであるエヴァンスとジェランスが集団内に残っていたため、オグレディ、サルツバーガー、クラークの3名が身を粉にする牽きで逃げを追走。スペインチームの力を借りて逃げを全て封じ込めた。
そして、エヴァンスが一発でアタックを成功させた。「レース終盤、最終周回でアタックした。経験から得たタイミングで、頭と脚を使って集団から飛び出した。あのタイミングを逃せばチャンスは無かったと思う」。オーストラリアはU23個人タイムトライアルのジャック・ボブリッジに続く今大会2つ目の金メダル獲得だ。
「これまで僕は大きなワンディレースで勝てないと散々言われ続けてきた。何故なら僕はステージレース向きだから。でも今日は違った。ロード世界選手権で勝ったんだ。まだ実感が沸かないよ」。今年はツール・ド・フランスで不本意な結果を残し、ブエルタ・ア・エスパーニャで総合3位に入って面目を保っていたエヴァンス。思うような結果を残せなかったシーズンの最後に、キャリア最大の勝利が飛び込んできた。
一方、積極的にレースを動かしたイタリアチームはクネゴの8位が最高位。中盤から組織的な動きを見せたが、この日沿道に集まった大勢のイタリア人ファンの声援に応えることは出来なかった。
チームを指揮したフランコ・バッレリーニ監督は「我々は最初の逃げグループに選手を送り込み、集団内で力を温存するべきだったのかもしれない。追走グループに入ったスカルポーニ、ヴィスコンティ、バッラン、パオリーニの動きは良かった。最終周回でクネゴはいるべき場所にいたが、毎日勝てる脚があるわけじゃなかった」と敗戦を振り返る。
「チームは結束していい走りを見せてくれたと思う。ただ単に、エヴァンスが最も強かった。彼に賞賛を送りたい」。これまで世界タイトルを4回イタリアにもたらした名将はそう締めくくった。
敗れたイタリアチームのエース、クネゴはレース終盤のアシスト不足を訴える。「ほとんどのチームがアシストを残していたのに対し、最終周回で僕は孤立していた。だから全ての動きに反応せざるを得なかった。コースは厳しかったけど、残念ながら予想よりも厳しい展開に持ち込まれなかった」。
最後の切り札として期待されながらも、最終周回でクネゴをサポート出来なかったバッソは「残り3周まではレースをコントロール出来ていた。レース終盤の鍵を握っていたのは僕とクネゴ。でも残り2周で集団牽引に力を使ったので、カンチェラーラの(最終周回の)ペースアップには為す術がなかった」とコメント。全てはカンチェラーラの強烈なアタックがイタリアチームの戦略を狂わせたと言っていいだろう。
ユキヤの健闘が光った日本勢は、中盤まで集団前方でレースを展開していた別府史之が57位で完走。完走率が半分強(完走者108名/出走者201名)というサバイバルレースで、フミは先頭から5分20秒遅れでゴールした。日本チャンピオンの西谷泰治は、ペースが一気に上がった終盤に集団から脱落。ユキヤとともに、途中リタイアを喫している。
選手コメントはガゼッタ紙、ならびにオーストラリア自転車競技連盟の公式サイトより。
ロード世界選手権2009エリート男子ロードレース結果
1位 カデル・エヴァンス(オーストラリア)6h56'26"
2位 アレクサンドル・コロブネフ(ロシア)+27"
3位 ホアキン・ロドリゲス(スペイン)
4位 サムエル・サンチェス(スペイン)+30"
5位 ファビアン・カンチェラーラ(スイス)
6位 フィリップ・ジルベール(ベルギー)+51"
7位 マッティ・ブレシェル(デンマーク)
8位 ダミアーノ・クネゴ(イタリア)
9位 アレハンドロ・バルベルデ(スペイン)
10位 サイモン・ジェランス(オーストラリア)+1'47"
57位 別府史之(日本)+5'20"
DNF 新城幸也(日本)
DNF 西谷泰治(日本)
text:Kei Tsuji
photo:Cor Vos, Edward A Madden
ユキヤが逃げた!レースは混沌とした争いへ
世界各国から201名の精鋭たちが集結した今年の世界選手権エリートロード。アックア・フレスカとナヴァッツァーノの上りを含む高低差245mの13.8kmコースを19周。獲得標高差が4655mに達するため、近年まれに見る難コースと悪名高い。
この世界最高峰のワンディレースで、真っ先にアタックを成功させたのは赤と白の日本ナショナルジャージ。ブルーのヘルメットを被った新城幸也だった。
1周目で飛び出したユキヤには、ブエルタ・ア・エスパーニャでポイント賞を獲得したばかりのアンドレ・グライペル(ドイツ)ら5名が合流。続く2周目にマウリシオアルベルト・アルディラ(コロンビア)ら4名が新たに加わり、合計10名の大きな逃げグループが形成。ユキヤを含むこの逃げは最大10分40秒のリードを得た。
沈黙していたメイン集団は、ゴールまで12周を残してマルツィオ・ブルセギン(イタリア)とルーベン・プラサ(スペイン)が牽引開始。メイン集団は逃げとのタイム差をジワリと詰めながら周回をこなした。
レースが転換期を迎えたのは残り8周(ゴール100km手前)のアックア・フレスカ。ブルセギンとプラサのペースコントロールによって先頭とのタイム差が5分30秒まで縮まったところで、ミケーレ・スカルポーニ(イタリア)がアタックを仕掛け、9名が集団から先行。これに19名が追いつき、28名の追走グループが組織された。
この巨大な追走グループにはイタリアチームが4名(スカルポーニ、ヴィスコンティ、パオリーニ、バッラン)を送り込み、対するスペインチームは3名(コーボ、バレード、ロドリゲス)、ベルギーチームは4名(ファンアフェルマート、デワール、デグレーフ、ボーネン)。メイン集団はオーストラリアがコントロールを開始した。
やがて残り4周(ゴール50km手前)で巨大な追走グループはユキヤを含む先頭グループをキャッチ。一時は30名を超える巨大な先頭グループが形成されたが、アタックに次ぐアタックで人数を減らしていく。ずっと逃げ続けていたユキヤはついに残り3周で息絶えてしまった。
スペインがペースを上げ始めたメイン集団は、先頭グループから1分20秒遅れで残り2周に突入。ここからレースは激しく展開することとなる。
ゴール22km手前のアックア・フレスカの下りで攻撃を開始したのは地元スイスのカンチェラーラ。猛烈な勢いで集団から飛び出したカンチェラーラは、それまで逃げていた選手たちを全員パス。しかし決定的な動きには結びつかず、ゴールまで1周半(ゴール18km手前)を残して逃げは全て吸収され、集団は一つに戻った。
ここからイタリアチームの攻撃が始まった。ナヴァッツァーノの上りでフィリッポ・ポッツァート(イタリア)とイヴァン・バッソ(イタリア)がペースを急激に上げると、メイン集団は20名まで縮小。しかしこの時点では、まだスプリンターのオスカル・フレイレ(スペイン)が集団内に残った。
やがて最終周回の鐘が鳴ると、アレクサンドル・ヴィノクロフ(カザフスタン)が単独アタックを成功させ、独走でアックア・フレスカの上りに突入。ヴィノにはアレクサンドル・コロブネフ(ロシア)が追いつき、先頭で上りを進む。しかしその後方では、超強力な機関車ファビアンが発車した。
急勾配のアックア・フレスカでカンチェラーラが強烈なペースアップ。このハイペースは集団を粉々に破壊し、先頭のコロブネフを吸収して上りの頂上をクリア。下りでもカンチェラーラの勢いは弱まらず、猛烈な勢いで下りを攻めた。
しかしカンチェラーラのアタックは決まらず、ゴール6km手前で集団は一旦お見合い状態に。この緩んだ隙を突いて飛び出したのがエヴァンスとコロブネフ。これにはロドリゲスがしっかりとマークについた。
最後の上り、ナヴァッツァーノに向けて、意を決したエヴァンスは踏み直した。コロブネフとロドリゲスを振り切ったエヴァンスは独走でナヴァッツァーノを駆け上がる。一方、20秒後方のメイン集団では、ダミアーノ・クネゴ(イタリア)やフィリップ・ジルベール(ベルギー)がカウンターアタックで飛び出したが決まらない。
結局エヴァンスはコロブネフとロドリゲスから13秒、メイン集団から23秒リードしてナヴァッツァーノをクリア。残り3kmの平坦路をペースを崩さず駆け抜けたエヴァンスが、独走でゴールに飛び込んだ。銀メダル争いのスプリントは、コロブネフに軍配が上がった。
エヴァンスが南半球勢初の世界チャンピオンに
オーストラリア人として、南半球出身者として初めてエリートロードのアルカンシェルを獲得したエヴァンス。ゴール直後は何が起こったのか分からないように呆然とした表情だったが、バイクを降り、表彰台に向かい、インタビューを受け、アルカンシェルを受け取る頃には喜びが絶頂に達した。
「全く信じられないような勝利だ!マウンテンバイクでは世界選手権で合計7つのメダルを獲得しているけど、これが初めての金メダルなんだ」。
エヴァンスはオーストラリア北部のノーザンテリトリー出身だが、現在はスイスのスタビオに居を構えている。スタビオはメンドリシオから南西に3km、イタリア国境近くに位置する。「自宅が近いのでまるでホームレースのようだった。このコースはバッチリ僕向きで、歴史もそのことに同意してくれたようだ」。
レース展開的には、後手に回ったオーストラリアチーム。エヴァンスは「追走グループにマイケル(ロジャース)が入ったことは朗報だった。ゴールまで95kmを残して巨大な追走グループが形成された時、イタリア人が4名も入っていたし、もうレースは終わったと思った。今日メダルを狙うのはマイケルだと思った」とレースを振り返る。
しかしオーストラリアは本来のエースであるエヴァンスとジェランスが集団内に残っていたため、オグレディ、サルツバーガー、クラークの3名が身を粉にする牽きで逃げを追走。スペインチームの力を借りて逃げを全て封じ込めた。
そして、エヴァンスが一発でアタックを成功させた。「レース終盤、最終周回でアタックした。経験から得たタイミングで、頭と脚を使って集団から飛び出した。あのタイミングを逃せばチャンスは無かったと思う」。オーストラリアはU23個人タイムトライアルのジャック・ボブリッジに続く今大会2つ目の金メダル獲得だ。
「これまで僕は大きなワンディレースで勝てないと散々言われ続けてきた。何故なら僕はステージレース向きだから。でも今日は違った。ロード世界選手権で勝ったんだ。まだ実感が沸かないよ」。今年はツール・ド・フランスで不本意な結果を残し、ブエルタ・ア・エスパーニャで総合3位に入って面目を保っていたエヴァンス。思うような結果を残せなかったシーズンの最後に、キャリア最大の勝利が飛び込んできた。
一方、積極的にレースを動かしたイタリアチームはクネゴの8位が最高位。中盤から組織的な動きを見せたが、この日沿道に集まった大勢のイタリア人ファンの声援に応えることは出来なかった。
チームを指揮したフランコ・バッレリーニ監督は「我々は最初の逃げグループに選手を送り込み、集団内で力を温存するべきだったのかもしれない。追走グループに入ったスカルポーニ、ヴィスコンティ、バッラン、パオリーニの動きは良かった。最終周回でクネゴはいるべき場所にいたが、毎日勝てる脚があるわけじゃなかった」と敗戦を振り返る。
「チームは結束していい走りを見せてくれたと思う。ただ単に、エヴァンスが最も強かった。彼に賞賛を送りたい」。これまで世界タイトルを4回イタリアにもたらした名将はそう締めくくった。
敗れたイタリアチームのエース、クネゴはレース終盤のアシスト不足を訴える。「ほとんどのチームがアシストを残していたのに対し、最終周回で僕は孤立していた。だから全ての動きに反応せざるを得なかった。コースは厳しかったけど、残念ながら予想よりも厳しい展開に持ち込まれなかった」。
最後の切り札として期待されながらも、最終周回でクネゴをサポート出来なかったバッソは「残り3周まではレースをコントロール出来ていた。レース終盤の鍵を握っていたのは僕とクネゴ。でも残り2周で集団牽引に力を使ったので、カンチェラーラの(最終周回の)ペースアップには為す術がなかった」とコメント。全てはカンチェラーラの強烈なアタックがイタリアチームの戦略を狂わせたと言っていいだろう。
ユキヤの健闘が光った日本勢は、中盤まで集団前方でレースを展開していた別府史之が57位で完走。完走率が半分強(完走者108名/出走者201名)というサバイバルレースで、フミは先頭から5分20秒遅れでゴールした。日本チャンピオンの西谷泰治は、ペースが一気に上がった終盤に集団から脱落。ユキヤとともに、途中リタイアを喫している。
選手コメントはガゼッタ紙、ならびにオーストラリア自転車競技連盟の公式サイトより。
ロード世界選手権2009エリート男子ロードレース結果
1位 カデル・エヴァンス(オーストラリア)6h56'26"
2位 アレクサンドル・コロブネフ(ロシア)+27"
3位 ホアキン・ロドリゲス(スペイン)
4位 サムエル・サンチェス(スペイン)+30"
5位 ファビアン・カンチェラーラ(スイス)
6位 フィリップ・ジルベール(ベルギー)+51"
7位 マッティ・ブレシェル(デンマーク)
8位 ダミアーノ・クネゴ(イタリア)
9位 アレハンドロ・バルベルデ(スペイン)
10位 サイモン・ジェランス(オーストラリア)+1'47"
57位 別府史之(日本)+5'20"
DNF 新城幸也(日本)
DNF 西谷泰治(日本)
text:Kei Tsuji
photo:Cor Vos, Edward A Madden
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