2015/07/19(日) - 19:12
通称「ジャラベール山」で繰り広げられたバトルはフレンチペアの勝負かと思われたが、力をセーブしていたクミングスが牽制に入った二人の脇をすり抜け、勝利をかっさらっていった。
ミディ=ピレネー地域の起伏ある風景の中に断固としてそびえたつロデーズの街。昨日のステージのゴール地点からは全容が分からなかった茶色く荘厳な大聖堂が、スタートを待つ選手たちを見下ろす。この大聖堂前は2009年にもスタート地点になっている。
チームスタッフたちは今日も暑さ対策に余念がない。チームスカイはスケスケのメッシュジャージに加えて保冷ボトルに氷を詰めたものを用意。他チームではアイスベストを着て身体をクールに保つ選手がいる一方、フルームはバス前にローラーを設置して、スタート前の僅かな時間を惜しんでウォームアップする。
スタート地点の人気者はロデーズ出身の アレクサンドル・ジェニエ(フランス、FDJ)だ。ゼッケンは25。沿道のそこここにサポーターがいて、サインに記念撮影に忙しい。
驚いたのはスタートしてから。プロトンが小山のようなロデーズを抜け田舎道に入ると、沿道のそこらじゅうにジェニエの応援団が点在していた。「ALEX」への応援が途切れない。世界的なスターではないが、こんなに熱心な応援は見たことがない。
愛されているアレックスは88年生まれ、2013年ブエルタ第15ステージで優勝経験あり。故郷にフィニッシュする昨ステージはスタートから逃げたが、逃げ切りは叶わなかった。
フランス人が冗談めかして「このあたりはフランスのチベットだよ」と言う一帯。高い山は無いが低い山が果てしなく続く中央山塊のアップダウンに富んだ地形は、逃げに好適とあってまだステージ勝利に恵まれないチームが積極的に動く。イニシアチブをとったのはFDJ。苦手なはずのダウンヒル区間で低くかがみ、先頭でスピードを上げるティボー・ピノの姿に驚く。
ここまで不可解な遅れが続き、いつしか総合では30分以上の遅れを喫していたピノ。「不調の原因を知りたい。血液検査を受けて調べて欲しい」と、自らの体調不良を疑っていたが、雨のプラトー・ド・ベイユではその理由に解決を見い出した。冷たい雨に冷やされると、脚は調子を取り戻したのだという。今日も涼しい日ではないが、雲が出ているため日光の直射がなくいくぶん過ごしやすい。
ステージ優勝を目論むチームと選手が殺到し、逃げ列車は24人に膨らんだ。なかにはマイヨヴェールのペーター・サガンもしっかり入り込んだ。当然中間ポイントを獲得するための動き。グライペルは積極的でなかったか、それとも今日のコースではサガンに対抗できないことを出走前からすでに諦めていたのか、15km地点では集団最後尾で安全マージンをとって走っていた。
高さ高さ343mの「世界一高い橋」として知られるミヨー橋。深く刻まれた侵食地形のタルン渓谷沿いに、南フランス独特のオレンジの町並みが点在する。
スカイは先頭にたちはするが、大逃げを許す走りだ。そして今日のフィニッシュ地である2級山岳ラ・クロワ・ヌーヴ(通称ジャラベール山)で優勝が狙えるホアキン・ロドリゲスを含むカチューシャは、意外なことに集団コントロールには加わらなかった。他チームの協力も得られない状況で、収拾の付かない大逃げを吸収する努力を惜しんだ? どうやらこの小さな山でのステージ3勝よりも、第3週のアルプスの大きな勝利とマイヨアポア獲得を選んだようだ。
2級山岳ラ・クロワ・ヌーヴは、マンドの街の脇の小山の上にある空港へのアクセス道路だ。距離3km、平均勾配10.1%。かつてローラン・ジャラベールが1995年の革命記念日にこの地を制したことから付けられた愛称だ。
2010年のツールで”プリート”ロドリゲスがここを制しているが、コンタドールも2007年のパリ〜ニースにおいてここで勝利して、その後ニースでの逆転劇で総合優勝を決めている。つまりはパンチ力のあるクライマー、あるいはグランツールで総合を争える格の選手に勝機あり。その短くも厳しい急勾配に、集団で麓に到達した場合はフルームが制するだろうとの下馬評も有った。
しかし、逃げ切りグループのジャラベール山への先行は許された。麓からのアタックはロメン・バルデ(フランス、AG2Rラモンディアール)。追うピノ。期待を浴びてきた、勝てないフランス人の再起をかけたような活躍にジャラベール山は沸く。
ラスト2kmが峠のピーク。ラスト2.5km地点ではバルデが先行し、ピノがウランとバケランツを率いて追走する形勢だった。FDJがピノをエースとして他の全員が総力アシストしたのに比して、AG2Rはバルデのチームメイトで13番のヤン・バケランツ(ベルギー)とのダブルエースに見えた。
ステージを制することになるスティーブ・クミングス(イギリス、MTNキュベカ)を含むグループはこの時、バルデやピノ、リゴベルト・ウランらからは離され、もはやその後の勝負に拘るとは到底思えなかった。
この先は道が細く、観客、選手たちで混乱するエリアへ。この間、レースの状況は空撮の映像が頼りだ。その間、情報の空白期間が生じた。
ピノとバルデ、1990年生まれの24歳フレンチコンビが上りをクリアして残り1.4kmのスプリントに備えて牽制に入った時、突然後方から現れたクミングス。フラムルージュのコーナーを利用して一気に前に出ると、一気に差を開き、そのままスプリントを掛けて勝利をさらってしまった。
ピノとバルデは観客たちの声援、雑音の大きさに後方から忍び寄る影にはは気づいていなかったという。大柄な身体つきで、クライマーに属したことなどは一度だって無い、上りの苦手なはずのクミングス。上りでは勝機がないからと、マイペースで追走集団にぶら下がる術を使った。そしてふたりが牽制したことでチャンスは回ってきた。ピノとバルデのふたりにとって、クミングスは逃げに入っていることさえ気にしないノーマーク状態だった。
コーナーを一気に使って2人を出し抜いたクミングスは、(ライン取りが苦手な)ピノがコーナーを慎重にクリアすることは判っていたという。
この間の無線情報が途絶えていたことで、ピノとバルデ、2人の勝負に息を呑んでいたAG2RとFDJのチームカーに乗っていた監督たちも突然の事態に驚いたという。残り2、3kmで最後の勝負の瞬間を撮ったと思い込んでいたカメラマンたちにも「信じられない」の声が挙がる。
この山に登った経験が無かったバルデは「この地形をよく知らなかった」と言う。対してクミングスは2010年パリ〜ニースでこの地のフィニッシュを体験済みだったため、登り切ってからもフィニッシュラインが引かれた滑走路が長いことは知っていた。そして、ブラドレー・ウィギンズらとトラックチームを組み、団体追抜を得意とするクミングス。コーナーで二人の脇をすり抜け、後ろにつかせないように差を開くことはまさに得意中の得意の走りだった。
フルームのマイヨジョーヌ、そしてカヴェンディッシュのステージ勝利とあってイギリス人の応援も目立った頂上への沿道。そこに地味な英国人クミングスの名は掲げられていなかったが...。
BMCを離れ、今季は南アフリカのチームに属することにしたクミングス。チームの方向性に共感し、このツールでは自由に走れる権利を与えてくれたことを喜ぶ。そしてこの日はネルソン・マンデラ大統領の誕生日、マンデラ・デーだった。MTNキュベカはこの日のためにオレンジをあしらったヘルメットをかぶっていた。
クミングスの勝利に、マイヨジョーヌ記者会見において同郷でケニア育ちのフルームも我がことのように祝福した。フルームはスタート前にマンデラデーにちなんで「スポーツは世界を変える力がある。スポーツは人々をつなぐ」というマンデラ氏の言葉をツイートしていた。アフリカ育ちのフルームは、この勝利への祝福を惜しまない。
中間ポイント獲得だけでなく、驚きの5位フィニッシュでマイヨヴェールへのさらなる一歩を進めたサガン。グライペルに対して61ポイント差という、最大限の結果でリードを広げた。サガンによれば明日のステージのことを考えていたため、今日のアタックはスタートしてから中間ポイントを取るための動きだったが、そのまま逃げに乗ることは考えていなかった「アドリブ」だったと言う。
フルームに対し29秒遅れたコンタドールだが、それでも自身の脚の調子が徐々に戻ってきていることを喜んでいる。
コンタドールは言う。「タイムを失いはしたけれど、今日の走りには満足だ。最後の上りでは今までにない体調のセンセーションを感じた。最後のフルームの加速は速すぎたけれど、今日は今までとは違う良い走りができた。アタックすることができるし、さらに自信がでてきた。パリは近いけれど、ツールが終わるまではまだ長い」
text:Makoto.AYANO in FRANCE
photo:Makoto.AYANO,Kei Tsuji,Tim de Waele,CorVos
ミディ=ピレネー地域の起伏ある風景の中に断固としてそびえたつロデーズの街。昨日のステージのゴール地点からは全容が分からなかった茶色く荘厳な大聖堂が、スタートを待つ選手たちを見下ろす。この大聖堂前は2009年にもスタート地点になっている。
チームスタッフたちは今日も暑さ対策に余念がない。チームスカイはスケスケのメッシュジャージに加えて保冷ボトルに氷を詰めたものを用意。他チームではアイスベストを着て身体をクールに保つ選手がいる一方、フルームはバス前にローラーを設置して、スタート前の僅かな時間を惜しんでウォームアップする。
スタート地点の人気者はロデーズ出身の アレクサンドル・ジェニエ(フランス、FDJ)だ。ゼッケンは25。沿道のそこここにサポーターがいて、サインに記念撮影に忙しい。
驚いたのはスタートしてから。プロトンが小山のようなロデーズを抜け田舎道に入ると、沿道のそこらじゅうにジェニエの応援団が点在していた。「ALEX」への応援が途切れない。世界的なスターではないが、こんなに熱心な応援は見たことがない。
愛されているアレックスは88年生まれ、2013年ブエルタ第15ステージで優勝経験あり。故郷にフィニッシュする昨ステージはスタートから逃げたが、逃げ切りは叶わなかった。
フランス人が冗談めかして「このあたりはフランスのチベットだよ」と言う一帯。高い山は無いが低い山が果てしなく続く中央山塊のアップダウンに富んだ地形は、逃げに好適とあってまだステージ勝利に恵まれないチームが積極的に動く。イニシアチブをとったのはFDJ。苦手なはずのダウンヒル区間で低くかがみ、先頭でスピードを上げるティボー・ピノの姿に驚く。
ここまで不可解な遅れが続き、いつしか総合では30分以上の遅れを喫していたピノ。「不調の原因を知りたい。血液検査を受けて調べて欲しい」と、自らの体調不良を疑っていたが、雨のプラトー・ド・ベイユではその理由に解決を見い出した。冷たい雨に冷やされると、脚は調子を取り戻したのだという。今日も涼しい日ではないが、雲が出ているため日光の直射がなくいくぶん過ごしやすい。
ステージ優勝を目論むチームと選手が殺到し、逃げ列車は24人に膨らんだ。なかにはマイヨヴェールのペーター・サガンもしっかり入り込んだ。当然中間ポイントを獲得するための動き。グライペルは積極的でなかったか、それとも今日のコースではサガンに対抗できないことを出走前からすでに諦めていたのか、15km地点では集団最後尾で安全マージンをとって走っていた。
高さ高さ343mの「世界一高い橋」として知られるミヨー橋。深く刻まれた侵食地形のタルン渓谷沿いに、南フランス独特のオレンジの町並みが点在する。
スカイは先頭にたちはするが、大逃げを許す走りだ。そして今日のフィニッシュ地である2級山岳ラ・クロワ・ヌーヴ(通称ジャラベール山)で優勝が狙えるホアキン・ロドリゲスを含むカチューシャは、意外なことに集団コントロールには加わらなかった。他チームの協力も得られない状況で、収拾の付かない大逃げを吸収する努力を惜しんだ? どうやらこの小さな山でのステージ3勝よりも、第3週のアルプスの大きな勝利とマイヨアポア獲得を選んだようだ。
2級山岳ラ・クロワ・ヌーヴは、マンドの街の脇の小山の上にある空港へのアクセス道路だ。距離3km、平均勾配10.1%。かつてローラン・ジャラベールが1995年の革命記念日にこの地を制したことから付けられた愛称だ。
2010年のツールで”プリート”ロドリゲスがここを制しているが、コンタドールも2007年のパリ〜ニースにおいてここで勝利して、その後ニースでの逆転劇で総合優勝を決めている。つまりはパンチ力のあるクライマー、あるいはグランツールで総合を争える格の選手に勝機あり。その短くも厳しい急勾配に、集団で麓に到達した場合はフルームが制するだろうとの下馬評も有った。
しかし、逃げ切りグループのジャラベール山への先行は許された。麓からのアタックはロメン・バルデ(フランス、AG2Rラモンディアール)。追うピノ。期待を浴びてきた、勝てないフランス人の再起をかけたような活躍にジャラベール山は沸く。
ラスト2kmが峠のピーク。ラスト2.5km地点ではバルデが先行し、ピノがウランとバケランツを率いて追走する形勢だった。FDJがピノをエースとして他の全員が総力アシストしたのに比して、AG2Rはバルデのチームメイトで13番のヤン・バケランツ(ベルギー)とのダブルエースに見えた。
ステージを制することになるスティーブ・クミングス(イギリス、MTNキュベカ)を含むグループはこの時、バルデやピノ、リゴベルト・ウランらからは離され、もはやその後の勝負に拘るとは到底思えなかった。
この先は道が細く、観客、選手たちで混乱するエリアへ。この間、レースの状況は空撮の映像が頼りだ。その間、情報の空白期間が生じた。
ピノとバルデ、1990年生まれの24歳フレンチコンビが上りをクリアして残り1.4kmのスプリントに備えて牽制に入った時、突然後方から現れたクミングス。フラムルージュのコーナーを利用して一気に前に出ると、一気に差を開き、そのままスプリントを掛けて勝利をさらってしまった。
ピノとバルデは観客たちの声援、雑音の大きさに後方から忍び寄る影にはは気づいていなかったという。大柄な身体つきで、クライマーに属したことなどは一度だって無い、上りの苦手なはずのクミングス。上りでは勝機がないからと、マイペースで追走集団にぶら下がる術を使った。そしてふたりが牽制したことでチャンスは回ってきた。ピノとバルデのふたりにとって、クミングスは逃げに入っていることさえ気にしないノーマーク状態だった。
コーナーを一気に使って2人を出し抜いたクミングスは、(ライン取りが苦手な)ピノがコーナーを慎重にクリアすることは判っていたという。
この間の無線情報が途絶えていたことで、ピノとバルデ、2人の勝負に息を呑んでいたAG2RとFDJのチームカーに乗っていた監督たちも突然の事態に驚いたという。残り2、3kmで最後の勝負の瞬間を撮ったと思い込んでいたカメラマンたちにも「信じられない」の声が挙がる。
この山に登った経験が無かったバルデは「この地形をよく知らなかった」と言う。対してクミングスは2010年パリ〜ニースでこの地のフィニッシュを体験済みだったため、登り切ってからもフィニッシュラインが引かれた滑走路が長いことは知っていた。そして、ブラドレー・ウィギンズらとトラックチームを組み、団体追抜を得意とするクミングス。コーナーで二人の脇をすり抜け、後ろにつかせないように差を開くことはまさに得意中の得意の走りだった。
フルームのマイヨジョーヌ、そしてカヴェンディッシュのステージ勝利とあってイギリス人の応援も目立った頂上への沿道。そこに地味な英国人クミングスの名は掲げられていなかったが...。
BMCを離れ、今季は南アフリカのチームに属することにしたクミングス。チームの方向性に共感し、このツールでは自由に走れる権利を与えてくれたことを喜ぶ。そしてこの日はネルソン・マンデラ大統領の誕生日、マンデラ・デーだった。MTNキュベカはこの日のためにオレンジをあしらったヘルメットをかぶっていた。
クミングスの勝利に、マイヨジョーヌ記者会見において同郷でケニア育ちのフルームも我がことのように祝福した。フルームはスタート前にマンデラデーにちなんで「スポーツは世界を変える力がある。スポーツは人々をつなぐ」というマンデラ氏の言葉をツイートしていた。アフリカ育ちのフルームは、この勝利への祝福を惜しまない。
中間ポイント獲得だけでなく、驚きの5位フィニッシュでマイヨヴェールへのさらなる一歩を進めたサガン。グライペルに対して61ポイント差という、最大限の結果でリードを広げた。サガンによれば明日のステージのことを考えていたため、今日のアタックはスタートしてから中間ポイントを取るための動きだったが、そのまま逃げに乗ることは考えていなかった「アドリブ」だったと言う。
フルームに対し29秒遅れたコンタドールだが、それでも自身の脚の調子が徐々に戻ってきていることを喜んでいる。
コンタドールは言う。「タイムを失いはしたけれど、今日の走りには満足だ。最後の上りでは今までにない体調のセンセーションを感じた。最後のフルームの加速は速すぎたけれど、今日は今までとは違う良い走りができた。アタックすることができるし、さらに自信がでてきた。パリは近いけれど、ツールが終わるまではまだ長い」
text:Makoto.AYANO in FRANCE
photo:Makoto.AYANO,Kei Tsuji,Tim de Waele,CorVos
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