アルベルト・コンタドール(スペイン)が住むルガーノの街をジロ・デ・イタリアが訪れるのは3回目。スイスはスイスでもイタリア語圏なので警察や運営の引き継ぎはスムーズだ。イタリア人の勝利にイタリア語圏のスイス人たちは喜んだ。



プロトンの視界の先には雪を冠した山々プロトンの視界の先には雪を冠した山々 photo:Tim de Waele
フォトグラファーの列を避けるサーシャ・モードロ(イタリア、ランプレ・メリダ)フォトグラファーの列を避けるサーシャ・モードロ(イタリア、ランプレ・メリダ) photo:Kei Tsuji
チームメイトと抱き合うサーシャ・モードロ(イタリア、ランプレ・メリダ)チームメイトと抱き合うサーシャ・モードロ(イタリア、ランプレ・メリダ) photo:Kei Tsuji


第17ステージのフィニッシュ地点のルガーノはスイス国内。残り8km地点で国境検査所を通過する。とは言ってもパスポートのコントロールもなく素通りの場合が多い。プレスカーが止められて検査を受ける場合に備えて前日のプレスセンターでは持ち込み機材の申告書が配られたが、実際に使用することはなかった。

スイスと言ってもそこはイタリアのようなもの。九州より少し大きい程度のスイスはフランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタイン、ドイツと国境を接しており、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つを公用語と認めている(人口比率はドイツ語64%、フランス語20%、イタリア語6%、その他10%)。

同国最大の都市チューリッヒや首都ベルンはドイツ語圏にあり、ジュネーヴやローザンヌ、UCI本部があるエーグル、ツール・ド・ロマンディの舞台となるのは西部のフランス語圏。そしてルガーノのあるティチーノ州は南部のイタリア語圏だ。

つまり国境を越えてもなおそこではイタリア語が話されており、通貨や交通標識を除けば国境を越えたことを感じさせないほど。もちろん街並みも”スイスっぽく”なるわけではない。イタリア車の比率が少しだけ下り、ドイツ車比率が少しだけ上がる。物価はイタリアよりもずっと高いがガソリンは安い(イタリア:軽油=195円/L、ガソリン=210円/L。スイス:軽油=195円/L、ガソリン=185円/L)。

街行くおじさんに「今日は誰が勝ったのか」尋ねられ、サーシャ・モードロ(イタリア、ランプレ・メリダ)が勝ったことを告げると「おお!イタリア人か!ここはイタリアのようなものだから良いことだ!」と嬉々として去っていった。



フィニッシュ地点から2km離れたプレスセンターまでは数分の船の旅フィニッシュ地点から2km離れたプレスセンターまでは数分の船の旅 photo:Kei Tsuji
第17ステージを安全に終えたファビオ・アル(イタリア、アスタナ)第17ステージを安全に終えたファビオ・アル(イタリア、アスタナ) photo:Kei Tsuji
フィニッシュで選手を待つ宮島正典マッサーフィニッシュで選手を待つ宮島正典マッサー photo:Kei Tsuji


もちろん難易度には天と地ほどの差があるが、第17ステージはミラノ〜サンレモを緩くしたようなコースレイアウトだった。リグーリア海岸ではなくルガーノ湖岸を走り、フィニッシュ手前で登りをこなす。そこからテクニカルな下りを経てサンレモではなくルガーノにフィニッシュするコースはどこかミラノ〜サンレモに似ている。距離は半分以下の134kmではあるけども。

「トランジションステージのはずだったけど、相変わらずハードなステージだった」。そう語るマリアローザのアルベルト・コンタドール(スペイン、ティンコフ・サクソ)はルガーノ在住。出身地であるスペインのピントではなく、現在はルガーノの自宅でシーズンのほとんどを過ごしている。表彰式後にコンタドールはマカレナ・ペスカドール夫人に花束を渡し、フィニッシュ地点に駆けつけた元ティンコフ・サクソ監督のビャルヌ・リース氏とハグをした。気さくにファンのサインに応じるなど、心身ともにリラックスしている様子を見せる。

総合1位コンタドールと総合2位ミケル・ランダ(スペイン、アスタナ)の間には4分02秒のタイム差があるが、そのうちの4分が個人タイムトライアルでついたもの。両者のボーナスタイム(コンタドール18秒とランダ26秒)と、チームタイムトライアルでついた6秒差を差し引くと、両者は4秒差でロードステージをここまでこなしていることになる。ここまでコンタドールが数秒〜数十秒先行してフィニッシュするシーンが多かったが、第16ステージの独走でランダが挽回した形。

とは言ってもランダの登坂力が今大会最高とも言えない。1級山岳モルティローロの登坂時間はコンタドール45分07秒、ランダ46分00秒(アル47分50秒、最後尾クラーク1時間06分00秒)。コンタドールの登坂力が秀でていることがわかる。過去にモルティローロ峠はジロに11回登場しており、そのうち10回はモルティローロステージ後にマリアローザを着た選手が総合優勝を飾っている。最終日のミラノTTでヘシェダルがロドリゲスを逆転した2012年だけが例外だ。

北イタリアに差し掛かり、徐々にジャーナリストやフォトグラファーの数が増えてきている。サンレモの開幕後に一旦帰国し、2週目をパスして3週目に合流する関係者も多い。大都市ミラノからのアクセスの良さも一役買っている。特に、コンタドールの総合優勝の可能性が上がるに伴い、スペイン人関係者の数が増えてきた。プレスセンターではイタリア語ではなくスペイン語の声が牛耳りつつある。



マリアローザを持って登場したポディウムガールマリアローザを持って登場したポディウムガール photo:Kei Tsuji
アルベルト・コンタドール(スペイン、ティンコフ・サクソ)を抱き寄せるビャルヌ・リース氏アルベルト・コンタドール(スペイン、ティンコフ・サクソ)を抱き寄せるビャルヌ・リース氏 photo:Kei Tsuji
マリアアッズーラのステフェン・クルイスウィク(オランダ、ロットNLユンボ)が会場を去るマリアアッズーラのステフェン・クルイスウィク(オランダ、ロットNLユンボ)が会場を去る photo:Kei Tsuji



text&photo:Kei Tsuji in Lugano, Switzerland

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