2014/12/06(土) - 16:28
ツール・ド・おきなわ市民50kmオーバー50で優勝した福島雄二(ベステックス)の直筆レポートをお届けします。シーズン序盤の体調不良を乗り越え、「未来予想優勝レポート」まで作成して臨んだおきなわの勝利とは。
43歳からのロードレース
はっきり言って私は遅咲きです。42歳の時に何を思ったのかトライアスロンに挑戦したのがロードバイクとの出会いで、当初はブレーキのかけ方さえ分かりませんでした。54歳まではトライアスロンとロードレースを掛け持っていましたが、バイク専門になったのは今から3年前。現在年間20戦ほどレース参加していますが、連続参加はこのツール・ド・おきなわの14回が最高です。
2001年から3年間は50km、2004年から8年間85kmや100kmに出ていました。その間2007年の8位と2009年の10位が最高でしたが、元来スプリントが得意でヒルクラが不得意なので100km系では分が悪かったのです。そこで年代別が細かく区分されたのもあり3年前から50kmに変更し、2012年は夢にまで見た優勝の二文字を獲得。しかし昨年は小野さんの強烈な逃げに完敗し2位に甘んじていました。
未来予想レポート(11月2日作文)
ツールド沖縄に来ています(^_-)-☆ 皆さんの応援のお陰で昨年逃した優勝を奪還しました!(^^)!
途中のスプリントポイントも獲り完全優勝です(^^♪ 今年はツールド北海道も優勝したので、勝手に北から南まで制覇した気になっています(笑)(*^_^*) 今年は練習に関して量も質も上げました(#^.^#) 月並みですが結果は努力についてきます(*^。^*) 応援や、練習に付き合って頂いた方、心からありがとうございました(*^_^*)帰ってからこの喜びを一緒にシェアして頂けたら嬉しいです(^^♪
上記の文章は決意表明を自分自身に内包するため、おきなわの1週間前に事前に書いたもので、ツールド北海道の優勝はこの時過去形です(ややっこし)。昨年は小野さんに負けて悔しいというよりは自分自身に甘かったと思います。練習が少ない割には変な自信があり慢心があったのでしょう。私は1週間に1日程度は仲間と走り刺激をもらいますが、チームに所属していないので基本的に平日練習は一人でします。そこで今年は朝練のやり方を見直し、量も質を上げるため1日のメニューを具体的に決めて練習に臨みました。と言っても月に1000kmは超えず、量的には全く足りていないのですが(汗々)
今年を振り返って...
トライアスロンを止めて3年になるので、自転車レースのシーズンインを早めて毎年3月から始めます。しかし今年は思わぬ形で体調不良に泣かされました。
3月に関西出張中に盲腸手術を受け1週間の入院を余儀なくされ、自転車に乗れるようになった5月に今度は原因不明の鼻血に悩まされることに。貧血状態でレースに参加しても勝てるはずはありません。案の定壱岐サイクルでは今回2位の坂本さんにいいようにやられました。復調したのは9月ぐらいからで、前述の通り初参加だったツールド北海道では3日間とも優勝でき、今回の沖縄優勝の足掛かりとなりました。
レースレポート
昨年優勝者の小野さんが参加されていなかったので私が1番ゼッケン。今年も最前列に並ばせて頂きました。スタート10秒前に「さあ安全にみんなで完走するぞ~!」と声を発すると「お~!」と返してくれ、気持ちいいスタートが切れました。
程なくして海岸線に出るといつものローテーションが始まります。私は昨年同様ゼッケンに恥じないように積極的に前を引きますが、時折向かい風がきつくなり30数km/hに落ちます。ですがそこは50歳オーバーのベテラン揃いで安心して暗黙の型で回せます。
昨年から一箇所になったスプリントポイントは、美ら海水族館手前の坂を登り切ったところ。昨年までは目視(多分)による先頭確認でしたが今年からチップ計測になっていました。未来予想(笑)をしていたのでここは獲りに行きます。あまり競り合う事もありませんでした。
昨年はここで小野さんを逃していたので警戒をしていたところ、散発的に逃げはあり直ぐにチェックはしますが、小野さんの様に単騎では難しい様で長続きはしません。
今帰仁を過ぎる頃、風は左横から吹いて、地図を思い描くとそれは北風です。ならば58号線に出ると追い風になるはずで集団のスピードがあがるでしょう。もし私自身で逃げの可能性があるなら天底から国道に出るまでしかありません。そこに丁度一人の選手が逃げの合図をされたので二人でスピードを上げてみました。するとみるみる内に集団から離れていきます。もしかして決まるかも…と思い後ろを確認したらもう1人。「あ~どうしよう。」と考えながら暫く単独逃げてみましたが、ここで冒険する必要もないので集団に戻ります。
58号に出ると残り8km。やはりスピードは上がります。集団は40人位か、まだまだ予断は許しません。残り4kmを切った頃、最大のライバル坂本さんが前を強力に牽きます。最終コーナーを抜けると500mのライン見えてきましたが、私は2列目にいて前に上がれません。
300m手前で何とか左端が開いたので抜けだすと、右から坂本さんが加速するのが見えます。「やっぱり彼だ!」付けないスピードでもなく、ここで勝利を確信しました。彼の番手に入り100m手前から捲って、追い越しざまに毎日練習していた2勝目のポーズでゴールラインへ。この時メーターログで59,9km/h出ていました。
総論
50kmで2勝したので上のカテゴリーに上がったら?と言われますが、トラック競技を本格化した頃からか最近は登りが弱くなりました。なので来年の目標も50km。あと2年は50歳台なので、あと2勝はしたいと考えています。
私一人の力では到底ここまで達成出来ませんでした。一緒に練習しているギンリンやZEN道場や福岡の面々、身体のメンテナンスをして頂いている方々、そして真に応援の皆様、阿蘇水素水というサポートをやってもらっている松本さん、何より私の自転車漬けの時間を許してくれている家族に感謝します。ありがとうございました。
使用機材
フレーム : FELT AR1
ホイール : light weightオーバーマイアー
タイヤ : ヴェロフレックス(8bar)
コンポ : シマノDURA-ACE 10S Di2 クランクのみ9000(52-38)
スプロケ : KCNC 12-25
ペダル : speedplay
シューズ : BONT
ヘルメット: GIRO air attack
text:福島雄二
43歳からのロードレース
はっきり言って私は遅咲きです。42歳の時に何を思ったのかトライアスロンに挑戦したのがロードバイクとの出会いで、当初はブレーキのかけ方さえ分かりませんでした。54歳まではトライアスロンとロードレースを掛け持っていましたが、バイク専門になったのは今から3年前。現在年間20戦ほどレース参加していますが、連続参加はこのツール・ド・おきなわの14回が最高です。
2001年から3年間は50km、2004年から8年間85kmや100kmに出ていました。その間2007年の8位と2009年の10位が最高でしたが、元来スプリントが得意でヒルクラが不得意なので100km系では分が悪かったのです。そこで年代別が細かく区分されたのもあり3年前から50kmに変更し、2012年は夢にまで見た優勝の二文字を獲得。しかし昨年は小野さんの強烈な逃げに完敗し2位に甘んじていました。
未来予想レポート(11月2日作文)
ツールド沖縄に来ています(^_-)-☆ 皆さんの応援のお陰で昨年逃した優勝を奪還しました!(^^)!
途中のスプリントポイントも獲り完全優勝です(^^♪ 今年はツールド北海道も優勝したので、勝手に北から南まで制覇した気になっています(笑)(*^_^*) 今年は練習に関して量も質も上げました(#^.^#) 月並みですが結果は努力についてきます(*^。^*) 応援や、練習に付き合って頂いた方、心からありがとうございました(*^_^*)帰ってからこの喜びを一緒にシェアして頂けたら嬉しいです(^^♪
上記の文章は決意表明を自分自身に内包するため、おきなわの1週間前に事前に書いたもので、ツールド北海道の優勝はこの時過去形です(ややっこし)。昨年は小野さんに負けて悔しいというよりは自分自身に甘かったと思います。練習が少ない割には変な自信があり慢心があったのでしょう。私は1週間に1日程度は仲間と走り刺激をもらいますが、チームに所属していないので基本的に平日練習は一人でします。そこで今年は朝練のやり方を見直し、量も質を上げるため1日のメニューを具体的に決めて練習に臨みました。と言っても月に1000kmは超えず、量的には全く足りていないのですが(汗々)
今年を振り返って...
トライアスロンを止めて3年になるので、自転車レースのシーズンインを早めて毎年3月から始めます。しかし今年は思わぬ形で体調不良に泣かされました。
3月に関西出張中に盲腸手術を受け1週間の入院を余儀なくされ、自転車に乗れるようになった5月に今度は原因不明の鼻血に悩まされることに。貧血状態でレースに参加しても勝てるはずはありません。案の定壱岐サイクルでは今回2位の坂本さんにいいようにやられました。復調したのは9月ぐらいからで、前述の通り初参加だったツールド北海道では3日間とも優勝でき、今回の沖縄優勝の足掛かりとなりました。
レースレポート
昨年優勝者の小野さんが参加されていなかったので私が1番ゼッケン。今年も最前列に並ばせて頂きました。スタート10秒前に「さあ安全にみんなで完走するぞ~!」と声を発すると「お~!」と返してくれ、気持ちいいスタートが切れました。
程なくして海岸線に出るといつものローテーションが始まります。私は昨年同様ゼッケンに恥じないように積極的に前を引きますが、時折向かい風がきつくなり30数km/hに落ちます。ですがそこは50歳オーバーのベテラン揃いで安心して暗黙の型で回せます。
昨年から一箇所になったスプリントポイントは、美ら海水族館手前の坂を登り切ったところ。昨年までは目視(多分)による先頭確認でしたが今年からチップ計測になっていました。未来予想(笑)をしていたのでここは獲りに行きます。あまり競り合う事もありませんでした。
昨年はここで小野さんを逃していたので警戒をしていたところ、散発的に逃げはあり直ぐにチェックはしますが、小野さんの様に単騎では難しい様で長続きはしません。
今帰仁を過ぎる頃、風は左横から吹いて、地図を思い描くとそれは北風です。ならば58号線に出ると追い風になるはずで集団のスピードがあがるでしょう。もし私自身で逃げの可能性があるなら天底から国道に出るまでしかありません。そこに丁度一人の選手が逃げの合図をされたので二人でスピードを上げてみました。するとみるみる内に集団から離れていきます。もしかして決まるかも…と思い後ろを確認したらもう1人。「あ~どうしよう。」と考えながら暫く単独逃げてみましたが、ここで冒険する必要もないので集団に戻ります。
58号に出ると残り8km。やはりスピードは上がります。集団は40人位か、まだまだ予断は許しません。残り4kmを切った頃、最大のライバル坂本さんが前を強力に牽きます。最終コーナーを抜けると500mのライン見えてきましたが、私は2列目にいて前に上がれません。
300m手前で何とか左端が開いたので抜けだすと、右から坂本さんが加速するのが見えます。「やっぱり彼だ!」付けないスピードでもなく、ここで勝利を確信しました。彼の番手に入り100m手前から捲って、追い越しざまに毎日練習していた2勝目のポーズでゴールラインへ。この時メーターログで59,9km/h出ていました。
総論
50kmで2勝したので上のカテゴリーに上がったら?と言われますが、トラック競技を本格化した頃からか最近は登りが弱くなりました。なので来年の目標も50km。あと2年は50歳台なので、あと2勝はしたいと考えています。
私一人の力では到底ここまで達成出来ませんでした。一緒に練習しているギンリンやZEN道場や福岡の面々、身体のメンテナンスをして頂いている方々、そして真に応援の皆様、阿蘇水素水というサポートをやってもらっている松本さん、何より私の自転車漬けの時間を許してくれている家族に感謝します。ありがとうございました。
使用機材
フレーム : FELT AR1
ホイール : light weightオーバーマイアー
タイヤ : ヴェロフレックス(8bar)
コンポ : シマノDURA-ACE 10S Di2 クランクのみ9000(52-38)
スプロケ : KCNC 12-25
ペダル : speedplay
シューズ : BONT
ヘルメット: GIRO air attack
text:福島雄二
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