2014/05/12(月) - 17:37
結局アイルランドの3日間はずっと雨だった。ずぶ濡れになった選手たちは朝早くのフライトでバーリまで移動。チームや大会関係者を悩ます2700km移動が始まった。
とにかくジロを迎えるアイルランドの人々が暖かい。昨年のコース発表でジロが北アイルランド開幕と聞いた時には少し身構えたが、実際に危険を感じるようなことは、当然、一切なかった。
美しい街並のアーマーを出発して2つの4級山岳を越えたところで、北アイルランド(イギリス)の人が「リパブリック(共和国)」と呼ぶアイルランド共和国に入った。かと言って国境で言葉や文化が変わるわけではない。しっかり沿道の標識を見ていないと気付かないほど、あっさりと国境を越える。
イギリスからアイルランドに入ったことで、速度や距離の表記がマイルからメートルに変わり、通貨がポンドからユーロに変わり、地名などの表記がダブル(第一公用語のアイルランド語と第二公用語の英語)になる。それ以外は何にも変わらない。車は左車線を変わらず走り、コンセントはどでかい三穴タイプだ。
北アイルランドでもアイルランドでも、こんなにもピンクという色に種類があるのだと感心してしまうほど、いろんなピンクのデコレーションが施されていた。
日曜日と重なったこともあり、フィニッシュ地点のダブリン市内はごった返していた。沿道には何重にも観客が詰めかけ、表彰式には人の波が押し寄せた。これまでオランダやデンマークでのジロ開幕を経験してきたが、間違いなくアイルランドが最も熱烈にジロを迎えたと言える。そのおかげで報道陣と選手との距離がいつもより遠く、正直言って取材しにくかったが。
時折暖かい太陽が顔を出したと思ったら、その数分後には強い雨が地面を叩き付ける。エースのためにレインジャケットやグローブなどを届けるアシストたちにとっては大忙しの日だったに違いない。一年で最も雨量の少ない5月だと言うのに、結局アイルランドの3日間はずっと雨降りだった。
それにしても気温は高くて15度ほどで肌寒い。真夏でも20度には届かないらしい。地元のサイクリストを見ても、秋冬のウェアを着込んで、レインジャケットも常備している。この国では春夏のウェアが売れなさそうだ。
この日も別府史之(トレックファクトリーレーシング)と新城幸也(ユーロップカー)は前半にかけて並走しながら談笑していた。2人の間でいつも何を話しているのか聞いたが、返ってきた答えは「ひみつ」。
3日間にわたって落車に苦しむ選手が多発したが、新城は「パンク無し、落車無し」でアイルランドを走りきった。ちなみにイタリア移動後にニューマシンを投入するのはここだけの話。
この日はゴール手前のテクニカルコーナーで集団が割れたため、ステージ32位と33位の間に11秒差がついた。トレックファクトリーレーシングはエースのロベルト・キセロフスキー(クロアチア)を前の集団でゴールさせることに成功している。
「今日はスプリンターの仕事はせずに総合のロバート(キセロフスキー)のサポートをして11秒稼ぐことに成功しました。後半ずっとナーバスだったし、ゴールがテクニカルだったからタイムギャップが出来ると踏んでいた。バッチリでした」と別府。堅実に11秒を稼ぎ出した。
優勝したマルセル・キッテル(ドイツ、ジャイアント・シマノ)のスプリントには驚くばかり。カメラのファインダーでベン・スウィフト(イギリス、チームスカイ)とエリア・ヴィヴィアーニ(イタリア、キャノンデール)のどちらにAFを合わせるか迷っているところに、突如マリアロッサのキッテルが姿を現した。
ゴールスプリントの撮影で悩ましいのは誰にAFを合わせるべきか。F値を出来るだけ絞って「被写界深度が深い(比較的奥のほうまでピントが合う)」フォトグラファーもいるが、リスペクトすべき勝者にフォーカスしたいので自分はレンズ開放ぎりぎりの浅め(メカニカルな話ですいません)。ファインダー越しでも、キッテルのスピードが段違いであることは分かった。すぐにマリアロッサにAFポイントを切り替えた。
レース後の記者会見で話題に上ったのが、キッテルのスプリント時の出力だ。「今日の数値はまだ見ていない。仮に見たところで公表はしないよ。もちろん自分の出力は把握しているし、モータースポーツのように研究もしている。出力を公表したら、その数値をもとにライバルチームが対策を立ててしまうからね」。キッテルはSRMの数値を公開していないが、専門家の間では軽く1800Wを超えているとも言われる。
チームや大会関係者は第3ステージ翌日の12日(月)午前8時半のフライトで南イタリアのバーリに移動する。主催者RCSスポルトはジロの移動に合わせて3機をチャーター。2機がチームと大会関係者で、1機が機材運搬用の貨物機だ。
どのチームにとってもこの大移動は頭痛の種だ。何と言っても陸路だと海峡のフェリーを含めてバーリまで2700kmある。ぶっ通して移動しでも一日以上かかる行程。オランダやデンマークで開幕した際には陸路でチームカーやチームバスが移動したが、アイルランドからだとそうはいかない。
どのチームもチームカーやチームバスをイタリアに移動させず、イタリアで別部隊が待機する体制をとった。UCIプロチームはチームバスを複数台所有しているので問題ないが、UCIプロコンチネンタルチームはキャンパー(キャンピングカー)でアイルランドステージをこなした。
陸路では間に合わないのでバイクは飛行機輪行。しかも雨が降ってバイクが泥だらけになったので、一から洗車する必要がある。ネーリソットリに帯同する大西恵太メカニックは果たして第3ステージの夜に寝ることが出来たのだろうか。毎日イタリアチームの"時間"の中で文字通り走り回っているので心配になる。
コース発表当初はこの大移動を休息日(移動日)無しで行なおうとしていたのだから、今思うとかなり無茶なスケジューリングだった。近い将来の話として中東や北欧で開幕するような噂も立っているが、昨年UCI(国際自転車競技連合)が「最初の休息日は最低5日後」と取り決めたため、今後は海外スタートを行ないにくくなる。
ともあれアイルランドの雨の3日間が終わった。ジロを見送るダブリンの空は、雲一つない快晴だ。
text&photo:Kei Tsuji in Dublin, Ireland
とにかくジロを迎えるアイルランドの人々が暖かい。昨年のコース発表でジロが北アイルランド開幕と聞いた時には少し身構えたが、実際に危険を感じるようなことは、当然、一切なかった。
美しい街並のアーマーを出発して2つの4級山岳を越えたところで、北アイルランド(イギリス)の人が「リパブリック(共和国)」と呼ぶアイルランド共和国に入った。かと言って国境で言葉や文化が変わるわけではない。しっかり沿道の標識を見ていないと気付かないほど、あっさりと国境を越える。
イギリスからアイルランドに入ったことで、速度や距離の表記がマイルからメートルに変わり、通貨がポンドからユーロに変わり、地名などの表記がダブル(第一公用語のアイルランド語と第二公用語の英語)になる。それ以外は何にも変わらない。車は左車線を変わらず走り、コンセントはどでかい三穴タイプだ。
北アイルランドでもアイルランドでも、こんなにもピンクという色に種類があるのだと感心してしまうほど、いろんなピンクのデコレーションが施されていた。
日曜日と重なったこともあり、フィニッシュ地点のダブリン市内はごった返していた。沿道には何重にも観客が詰めかけ、表彰式には人の波が押し寄せた。これまでオランダやデンマークでのジロ開幕を経験してきたが、間違いなくアイルランドが最も熱烈にジロを迎えたと言える。そのおかげで報道陣と選手との距離がいつもより遠く、正直言って取材しにくかったが。
時折暖かい太陽が顔を出したと思ったら、その数分後には強い雨が地面を叩き付ける。エースのためにレインジャケットやグローブなどを届けるアシストたちにとっては大忙しの日だったに違いない。一年で最も雨量の少ない5月だと言うのに、結局アイルランドの3日間はずっと雨降りだった。
それにしても気温は高くて15度ほどで肌寒い。真夏でも20度には届かないらしい。地元のサイクリストを見ても、秋冬のウェアを着込んで、レインジャケットも常備している。この国では春夏のウェアが売れなさそうだ。
この日も別府史之(トレックファクトリーレーシング)と新城幸也(ユーロップカー)は前半にかけて並走しながら談笑していた。2人の間でいつも何を話しているのか聞いたが、返ってきた答えは「ひみつ」。
3日間にわたって落車に苦しむ選手が多発したが、新城は「パンク無し、落車無し」でアイルランドを走りきった。ちなみにイタリア移動後にニューマシンを投入するのはここだけの話。
この日はゴール手前のテクニカルコーナーで集団が割れたため、ステージ32位と33位の間に11秒差がついた。トレックファクトリーレーシングはエースのロベルト・キセロフスキー(クロアチア)を前の集団でゴールさせることに成功している。
「今日はスプリンターの仕事はせずに総合のロバート(キセロフスキー)のサポートをして11秒稼ぐことに成功しました。後半ずっとナーバスだったし、ゴールがテクニカルだったからタイムギャップが出来ると踏んでいた。バッチリでした」と別府。堅実に11秒を稼ぎ出した。
優勝したマルセル・キッテル(ドイツ、ジャイアント・シマノ)のスプリントには驚くばかり。カメラのファインダーでベン・スウィフト(イギリス、チームスカイ)とエリア・ヴィヴィアーニ(イタリア、キャノンデール)のどちらにAFを合わせるか迷っているところに、突如マリアロッサのキッテルが姿を現した。
ゴールスプリントの撮影で悩ましいのは誰にAFを合わせるべきか。F値を出来るだけ絞って「被写界深度が深い(比較的奥のほうまでピントが合う)」フォトグラファーもいるが、リスペクトすべき勝者にフォーカスしたいので自分はレンズ開放ぎりぎりの浅め(メカニカルな話ですいません)。ファインダー越しでも、キッテルのスピードが段違いであることは分かった。すぐにマリアロッサにAFポイントを切り替えた。
レース後の記者会見で話題に上ったのが、キッテルのスプリント時の出力だ。「今日の数値はまだ見ていない。仮に見たところで公表はしないよ。もちろん自分の出力は把握しているし、モータースポーツのように研究もしている。出力を公表したら、その数値をもとにライバルチームが対策を立ててしまうからね」。キッテルはSRMの数値を公開していないが、専門家の間では軽く1800Wを超えているとも言われる。
チームや大会関係者は第3ステージ翌日の12日(月)午前8時半のフライトで南イタリアのバーリに移動する。主催者RCSスポルトはジロの移動に合わせて3機をチャーター。2機がチームと大会関係者で、1機が機材運搬用の貨物機だ。
どのチームにとってもこの大移動は頭痛の種だ。何と言っても陸路だと海峡のフェリーを含めてバーリまで2700kmある。ぶっ通して移動しでも一日以上かかる行程。オランダやデンマークで開幕した際には陸路でチームカーやチームバスが移動したが、アイルランドからだとそうはいかない。
どのチームもチームカーやチームバスをイタリアに移動させず、イタリアで別部隊が待機する体制をとった。UCIプロチームはチームバスを複数台所有しているので問題ないが、UCIプロコンチネンタルチームはキャンパー(キャンピングカー)でアイルランドステージをこなした。
陸路では間に合わないのでバイクは飛行機輪行。しかも雨が降ってバイクが泥だらけになったので、一から洗車する必要がある。ネーリソットリに帯同する大西恵太メカニックは果たして第3ステージの夜に寝ることが出来たのだろうか。毎日イタリアチームの"時間"の中で文字通り走り回っているので心配になる。
コース発表当初はこの大移動を休息日(移動日)無しで行なおうとしていたのだから、今思うとかなり無茶なスケジューリングだった。近い将来の話として中東や北欧で開幕するような噂も立っているが、昨年UCI(国際自転車競技連合)が「最初の休息日は最低5日後」と取り決めたため、今後は海外スタートを行ないにくくなる。
ともあれアイルランドの雨の3日間が終わった。ジロを見送るダブリンの空は、雲一つない快晴だ。
text&photo:Kei Tsuji in Dublin, Ireland
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