夫の西内洋行さんに続いて登場するのは、ママさんプロトライアスリートの西内真紀さん。競技生活をともにする夫との出会い、そしてプロになった経緯から、子供を育てながら今もなお走り続けるスピリッツとは?


トライアスロンと出会い、会社を辞めた

朝5時半、まず1階の洗濯機のスイッチを入れ、台所では朝食の準備を始めます。夫はトライアスロンスクールの朝スイムの指導に出掛け、2階ではまだ子供がすやすやと寝ています。しばらくすると子供が起きて来て、プロトライアスリートとしての前に、母としての私の1日が始まります。

幼少の頃からスイミングクラブに通い、小学校では友達との遊びを捨て水泳に打ち込んできました。中学生の時にはリレーで全国大会優勝を果たし、そこからより一層、水泳に没頭していきました。専門は800mの自由形。かなりの距離を泳ぎ込み、大学ではリーダーとして水泳部に在籍し、活動をしていました。そんな経験からも、一度やりだしたらとことんまでやらないと気が済まない性格。途中で投げ出すことが嫌いで、自分の理想を突き詰めていくのが自分流です。

バイクで先行し、ランで粘るのが持ち味の西内真紀バイクで先行し、ランで粘るのが持ち味の西内真紀 (c)Maki Nishiuchi
大学卒業後は、一般的なOLとして就職し、水泳の第一線を退きました。しかし、ひょんなことからトライアスロンという競技に出会い、チャレンジしてみたいと一念発起。まだやったこともなかったトライアスロンに専念するため、急遽、2年勤めた会社を辞め、アルバイト生活をしながらトレーニングをすることにしました。もちろん、当時は競技について何もわからなかったので、プロという道がどんなものかも分かりません。ただ「やってみたい」という衝動から会社を辞めた訳です。

グレン・マンガムとの出会い

中学生の時、スイミングクラブでは、アメリカから来たグレン・マンガムというコーチに教えてもらっていました。ある日彼が100kmも離れた地方の大会へ自転車で見に来て、また帰って行ったのを知り、奇妙な人だと思っていましたが、いずれ自分がその同じ道に行くとは夢にも思いませんでした。

そのコーチは、水泳の指導をしながらトライアスロンのエリート選手として世界で活躍していました。当時、トライアスロンをやっていることは知っていましたが、まさかそんなに有名な選手とは思っていませんでした。そんなコーチを身近に見ていたから、トライアスロンをやってみたいと思うのも自然だったかもしれませんね。

私がワールドカップに出た時、コーチと偶然出会ってお互いびっくりしました。十何年ぶりの再会でした。

トライアスロンへの道

トライアスロンは、1999年に初めて出場しました。最初、トレーニングはそこそこしていたものの、水泳とはまったく違うしんどさに身体が言うことをききませんでした。自分の中のトライアスロンイメージとは、まるで懸け離れたきつい世界。でも、その辺りは目標に近づくために努力をすることには慣れていたので、きついトレーニングを積んでいくのには抵抗はありませんでした。会社を辞めたからには…という、後に引き下がれない現状も後押ししてくれましたね。

世界選手権での走り世界選手権での走り (c)Maki Nishiuchi大会会場でセッティングを行う西内真紀大会会場でセッティングを行う西内真紀 (c)Maki Nishiuchi

その後、徐々にエリート選手のレースに出場、数年後には上位入賞をするようになりました。ワールドカップを転戦し、2004年にはアテネオリンピックまで後一歩となる補欠選手まで上り詰めました。
2006年には同じくプロトライアスリートの夫(西内洋行)と結婚。結婚後も2人でワールドカップを転戦し、オリンピック出場を目指していきました。

競技生活の転機

もっと上に行きたいと望み、ワールドカップで知り合った海外強豪選手にコミュニケーションをとり、選手たちが合宿をするトライアスリートのメッカ、オーストラリアのヌーサへ夫と共に飛び込んでいきました。

グレッグ・ベネットとその妻ローラ・ベネット。2人とも世界のトップアスリートであり、皆の憧れの選手でした。大会で思い切って声をかけたのがきっかけで仲良くなり、一緒にトレーニングをする仲になりました。その2人を中心に、各国の大会で優勝を争う選手たちが、国やチームの垣根を越えて集まる場所ヌーサ。特段、すごい施設があるわけではないのですが、強い選手が集まるので、トライアスロンでは世界一のトレーニング場所となっています。

レベル的に私たちにとっては場違いの場所ですが、ここで世界の強豪に揉まれながらトレーニングを積んでいきました。プロのみが集まる場所ではなく、一般の選手も一緒にトレーニングします。プロ、アマ関係なく輪ができているのも、素敵な場所だなと感じます。

ある時、そこでトレーニングをしていると、その中にいたある選手から「うちのチームの合宿に来ないか?」と誘いを受けます。その選手の名は、ベリンダ・グレンジャー。ヌーサで一緒にトレーニングをしていましたが、彼女が所属するteamTBBというチームが、フィリピンのスービックベイという場所で合宿をするので来てみてはどうか、という誘いでした。

世界トップクラスの選手が集ったteamTBB世界トップクラスの選手が集ったteamTBB (c)Maki Nishiuchi
当時、teamTBBは設立後1年目で、ハワイアイアンマンで彗星の如く現れていきなり女子優勝を果たした、クリッシー・ウエリントンが所属するチームで、世界トップクラスのロングの選手が集まるチームです。そんなチームで、世界トップクラスの選手と一緒にトレーニングできる機会は滅多にないと、すぐに返事をして向かうことにしました。

teamTBBのコーチ、ブレット・サットンのトレーニングは当時から奇抜であり、時には地獄のようなトレーニングをすることで有名で、クレイジーコーチと言われているほど。ただ、単にクレイジーなことをやらせるのではなく、ちゃんと意味があり、選手1人1人の状態を見てメニューを伝えていくので、彼の頭の中はコンピューターが入っているのでは?と錯覚させられます。今日はレース後間もないから回復メニューだろうなと思ったら、ものすごくきついトレーニングだったり、長いトレーニングだろうなと思って行ったら10分くらいで終わる時もあったりしました。不思議なコーチですが、頭の良さを感じさせました。

プロチーム teamTBBへの加入

「チームに入らないか?」その合宿が終わろうという時に、コーチから思いもよらない言葉が発せられました。たまに冗談を言うので、冗談で言っているのかと思ったら、彼は本気でした。しかも、ただチームに入るのではなく、しっかりとしたプロ契約。お金が出るということです。

teamTBBのメンバーとteamTBBのメンバーと (c)Maki Nishiuchi世界一のトレーニングができて、しかもプロ契約。そんな夢のような話を断るわけがありませんでした。トライアスロンの契約金は、他のメジャースポーツに比べれば高いわけではありませんが、それでも今の成績で契約をしてくれる企業など滅多にありません。正式に契約を交わし、トライアスリートでは日本人初となる海外チームとのプロ契約でした。

teamTBBの合宿は、短くても3週間、長い時では2ヶ月も続けて合宿生活をするときもあり、1年に半分以上は合宿や遠征に行くよう求められます。チーム員は20人程度。半数以上が各地のアイアンマンで優勝や上位入賞を果たしています。コミュニケーションはもちろん英語。トレーニングメニューから、ミーティングまでしっかり理解できないと、コーチの逆鱗に触れるので、自然とコミュニケーション能力と集中力が養われていきました。

teamTBBの解散 しかしプロ生活の継続

teamTBBに入ってから、アイアンマン(Swim3.8km Bike180km Run42km)に初めて出場しました。トレーニングの一環として合宿中にたまたま近くでやっていたアイアンマンに出なさいという指令からでした。ハードルが高いと思っていたアイアンマンでしたが、気負うことなく出場。無事に完走を果たします。トレーニング量が当時多かったので、思っていた以上に苦ではなかったです。

その後、次第に各地のアイアンマンで入賞を果たすようになっていきました。2011年には夢であったハワイアイアンマン世界大会にも出場し、夫婦揃ってのプロカテゴリー出場を果たしました。

そんなチームでの活動も7年目に突入しようとした時、突如teamTBBは解散するとチームマネージャーから連絡が入りました。1〜2年でトライアスロンの海外プロチームは廃れていってしまう中、異例なほど長期間存続されたteamTBBも、時代の流れ、スポンサーの変化もあり対応しきれませんでした。

夫とも相談し、既に開催していたNSIトライアスロンスクールに本腰を据え、そちらに集中しながらプロ活動を継続することとなりました。2011年に1校14人の会員からスタートしたスクールも、現在では大阪、四国を中心に4校、合計150人以上の会員のみなさんへ指導するに至っています。

スクールメンバーの大会引率、下見も一緒に行うスクールメンバーの大会引率、下見も一緒に行う (c)Maki Nishiuchiアイアンマン70.3台湾 NSIツアーメンバーとアイアンマン70.3台湾 NSIツアーメンバーと (c)Maki Nishiuchi

子供との競技生活

2013年には、第1子となる男の子、星七(せな)を授かります。38歳での出産、また競技生活を今後どうするか迷いましたが、まだやり残したことがあると、競技生活を続けながら子育てをしようと決意。アマチュア部門でのエントリーも可能でしたが、敢えてプロとして出場していくことにしました。

ですが、その生活は考えていたほど容易ではありませんでした。出産後の1ヶ月間はトレーニングはせずに静養し、その後徐々にトレーニングを行い、3ヶ月目くらいから本格的に再開しました。朝5時半に起きて家事をこなし、子供を保育園に預け、その後9時から夕方5時までトレーニング可能ですが、最初のスイムから帰ってくると全く動く気になれない日が多かったです。

出産後9ヶ月で出場した五島長崎トライアスロン。応援する家族に手を振る西内真紀出産後9ヶ月で出場した五島長崎トライアスロン。応援する家族に手を振る西内真紀 (c)Maki Nishiuchi五島長崎トライアスロンのエイドで給水を受ける五島長崎トライアスロンのエイドで給水を受ける (c)Maki Nishiuchi

子供を保育園に預ける時間帯でトレーニングが可能だと思っていましたが、子育てと競技とを両立する生活を実際してみると、時間的な余裕云々よりも、体力的、精神的な余裕が全然ありませんでした。体力の低下や精神的な疲労、プロというプレッシャーのせいか、疲れると頭痛や吐き気に襲われることもありました。

しかし、体調が悪い時は休み、トレーニングできるときはやるというスタイルを模索していき、以前と比べると3分の1程度のトレーニング量になってしまいましたが、余計な力を使わず、身体に負担をかけないようにするよう心がけてフォーム改善に努めました。

そして出産9ヶ月後に行われた五島長崎トライアスロン大会で優勝! その時、世界選手権の切符も獲得し、無事復帰を果たすことができました。かなり不安な初レースでしたが、始まってみるとスイッチが入り、いつもの戦闘モードに切り替わったのが不思議です。

五島長崎トライアスロンで、出産後復活の優勝フィニッシュを遂げた西内真紀五島長崎トライアスロンで、出産後復活の優勝フィニッシュを遂げた西内真紀 (c)Maki Nishiuchi
五島長崎優勝でのフィニッシュ後、感極まる五島長崎優勝でのフィニッシュ後、感極まる (c)Maki Nishiuchi
優勝記念の家族写真優勝記念の家族写真 (c)Maki Nishiuchi


家族でのレース参戦

レースの時は、たいてい家族で出かけます。子供はどちらか一方が面倒を見て応援、そしてどちらかがレースに出るという形。だいたい1レースずつ交互に出場することが多いです。レース前の追い込み期は家族3人で合宿にいき、現地の保育園を探して預かってもらい、日中はトレーニングに集中するというスタイル。よく行くのは宮古島で、2週間ほど合宿を行います。スクールの指導もあるので、それほど合宿はいけませんが、短期集中で身体を作り上げていきます。海外のレースによっては、大会事務局の協力でベビーシッターを用意してもらい、私たちが出場している間、子供の面倒を見てくれるという大会もあります。

日本では、初のママさんプロトライアスリートとなりましたが、海外では、子育てをしながらのママさんアスリートも多いです。以前よりトレーニング量は減ってしまいましたが、精神的なタフさは日常生活で鍛えているので、その辺りは他のプロアスリートよりも強いという自信になっています。

西内家のレースは、ほぼ3人で行くパターン。1人が応援、1人が選手となる西内家のレースは、ほぼ3人で行くパターン。1人が応援、1人が選手となる (c)Maki Nishiuchi
アイアンマン70.3台湾での記念撮影。この時は息子をベビーシッターにお願いして2人とも出場したアイアンマン70.3台湾での記念撮影。この時は息子をベビーシッターにお願いして2人とも出場した (c)Maki Nishiuchi
レース会場へはこのスタイルでレース会場へはこのスタイルで (c)Maki Nishiuchi

IRONMOMの立ち上げ

そんなママさんアスリートを日本でも広めていきたいと、プロ、アマチュアを問わずに広めているのが、私が作った「IRONMOM」(アイアンマム)という集いです。普段は集まることは無いですが、Facebookでチームを作って、子育てをしながらのトライアスリートがサイト上に集まってもらい、お互いに励ましあっていこうというグループです。同じ大会に出る場合は、待ち合わせて記念撮影をしたり、声を掛けあったりしてお互いプラスになるようになっています。

IRONMAMのメンバーとは大会で会ったら記念撮影をしたり、声をかけ合ったりしてお互いの気持ちをプラスにしていくIRONMAMのメンバーとは大会で会ったら記念撮影をしたり、声をかけ合ったりしてお互いの気持ちをプラスにしていく (c)Maki Nishiuchi指導はたまに子連れで行うことも指導はたまに子連れで行うことも (c)Maki Nishiuchi

日本だと子供を産んだ後は、トライアスロンの練習をしたり大会に出たりすることにどうしても抵抗があったり周りの目が気になったりすると思います。育児や家事をやっている母親なら分かりますが、それらをやって、その後トレーニングをすることがどれだけ大変か。トレーニングする前に考えられないほど疲れ切ってしまっています。でも、そこでこのIRONMOMのグループの支えが重要になるはずと私は考えています。今後も、IRONMOMの活動は続けていきたいですね。

子育て優先でもトライアスロンを楽しむ

当初は、ただただ上位を目指してやっていたトライアスロンですが、子供の出産後からトライアスロンに対する接し方が徐々に変わってきつつあります。以前は、トライアスロンがメインで生活が次。トレーニングが出来ないと慌ててしまい、トレーニングしなければ、と思いがちでしたが今は違います。子育ての時間が優先、それからトレーニングなので、優先順位がまるっきり変わってしまいました。

大会期間中、子どもと遊具で遊ぶ大会期間中、子どもと遊具で遊ぶ (c)Maki Nishiuchi
レース前、子供をあやすレース前、子供をあやす (c)Maki Nishiuchi
レース後救護に運ばれることもしばしばレース後救護に運ばれることもしばしば (c)Maki Nishiuchi


焦ることもありますが、子育ては外すことができない部分です。それで疲れてトレーニングできなかったとしても、割り切って完全に休み、翌日やることにします。さすがに年齢を考えると体力的なパフォーマンスは落ちますが、「割り切り」の考えを得て、メンタルは以前より成長したと思います。

パナレーサーという心強い相棒

タイヤ関連のサポートを受けているパナレーサー。今ではこれが無いと安心してバイクに乗ることができない存在です。

使用するタイヤは、トレーニングではクリンチャーのRACE D。パンク修理が苦手な私にとっては、トレーニング中のパンクも出来るだけ回避したいところです。RACE Dでパンクしたことは今までほんの数回しかなく、耐パンク性においてとても安心感があります。

レースではチューブラーを使用します。ここ最近は、荒れた路面でも対応できるようにトレッドパターンのあるタイヤ RACE C チューブラーを選択しています。グリップ力が非常に高いので、コーナーで安心して倒す事ができます。耐パンク性も高く、レース中のパンクはまだ一度もありません。

五島長崎トライアスロンでのバイクパートをこなす西内真紀。レースではパナレーサー RACE C チューブラーを使用する五島長崎トライアスロンでのバイクパートをこなす西内真紀。レースではパナレーサー RACE C チューブラーを使用する (c)Maki Nishiuchi
「女性だし、それほどコーナー攻めないんだからタイヤにはこだわらなくていい」と言う人もいますが、それは全く逆ですね。女性だからこそ、タイヤには気をつかって、いいタイヤを履いてもらいたいと思います。

信頼するパナレーサーで、今後もママさんトライアスリートとして、活動をしていこうと思います。今後もご声援を宜しくお願い致します。

プロフィール
西内 真紀 にしうち まき
生年月日:1975年4月23日
出身地:兵庫県西宮市
所属:teamNSI・新日本製薬
大学まで競泳で活躍し、全国大会では優勝経験あり。その後、一度はOLとして社会に出たが、トライアスロンを始めるべく一念発起。会社に辞表を提出し、トライアスロンのトレーニングに専念し始める。2007年にロングへ転向。海外の強豪teamTBBにプロ選手として所属していた。2013年には子供を出産し、現在はNSIトライアスロンスクールのコーチをしながらも、ママさんアスリートとしてプロ活動を続けている。

Panaracer 新製品「RACE EVO3」

耐貫通パンク性能を向上した「RACE EVO3」シリーズが10月末から発売。

グリップ力と耐パンク性能に優れたハイバランスレーシングタイヤの「RACE」シリーズが耐貫通パンク性能をさらに強化してEVO3へと進化。従来のケーシング補強材「PT」よりもさらに高い耐貫通パンク強度を誇る「ProTite」を採用、重量・基本性能はそのままに耐貫通パンク性能を24%向上させた。

さらに待望のロードチューブレスタイヤ(700-23C、25C)をラインナップに追加。クリンチャーシリーズには新たに700-28Cサイズも追加されている。

新RACE EVO3シリーズ ラインナップ

RACE A EVO3 チューブラーRACE A EVO3 チューブラー (c)PanaracerRACE A EVO3 チューブレスRACE A EVO3 チューブレス (c)Panaracer

RACE A EVO3 クリンチャーRACE A EVO3 クリンチャー (c)PanaracerRACE C EVO3 チューブラーRACE C EVO3 チューブラー (c)Panaracer

RACE D EVO3 クリンチャーRACE D EVO3 クリンチャー (c)PanaracerRACE L EVO3 クリンチャーRACE L EVO3 クリンチャー (c)Panaracer

チューブラー RACE A EVO3 700×23mm 黒/黒 280g ¥9,420(税抜)
RACE C EVO3 700×23mm 黒/黒 280g ¥9,420(税抜)
700×26mm 黒/黒 320g ¥9,420(税抜)
チューブレス RACE A EVO3 [新製品] 700×23C 黒/黒 280g ¥7,860(税抜)
700×25C 黒/黒 340g ¥7,860(税抜)
クリンチャー RACE D EVO3 700×23C 黒/黒、黒/茶 230g ¥6,173(税抜)
700×25C 黒/黒、黒/茶 250g ¥6,173(税抜)
700×28C 黒/黒、黒/茶 270g [新サイズ] ¥6,173(税抜)
RACE A EVO3 700×23C 黒/黒、黒/青、黒/赤 210g ¥5,410(税抜)
700×25C 黒/黒、黒/青、黒/赤 240g ¥5,410(税抜)
700×28C 黒/黒、黒/青、黒/赤 250g [新サイズ] ¥5,410(税抜)
RACE L EVO3 700×20C 黒/黒 175g ¥5,410(税抜)
700×23C 黒/黒 180g ¥5,410(税抜)
700×25C 黒/黒 200g ¥5,410(税抜)
700×28C 黒/黒 220g [新サイズ] ¥5,410(税抜)

提供:パナレーサー株式会社