2020/01/11(土) - 11:53
自転車と鉄道、二つを愛する「テツ店長」ことバイクプラス多摩センターの河井孝介さんの輪行サイクリング紀行。今回は2年にわたって続いたサイクリングの1篇目。四両編成の先頭車両をまずはお楽しみください。
みなさんご無沙汰しておりました!不定期連載?のテツ店長の輪行紀行、今回のお話は一昨年(2018年)の夏に、暑い暑い紀伊半島まで自転車を担いで行ってきたレポートです。
じつはこの話には続きがあって、今回の紀伊半島の旅で出会った古い車両のことが気になって、昨年(2019年)そのふるさとである九州の大分県まで行ってきてしまったという二部構成となっています。それぞれ前編・後編でレポートしますので、全4回の超大作?となる予定なので、ワタシもここからフル稼働でレポート作成してゆきますが、みなさまもどうか気長にお付き合いください(笑)
という事で、日本全国には廃線になった鉄路が数多く有りますが、今回行って来た紀伊半島も例に漏れず廃線がいくつもあったりします。こちらではそんな廃線を活用して、車両を"動態保存"しながら実際に走らせつつ、観光資源として活用していると言うのだから、これはテツ店長としては非常に気になってしまうワケですね。
そんな情報を知ってしまうと、この目で見たくて居ても立ってもいられなくなってしまうのがワタシの性分…。という事で、もう暑さにやられることは覚悟のうえで勇んで夏の紀伊半島遠征に出かけることにしたのでした。
しかしながら雨で出鼻をくじかれることの多いわが輪行紀行、この日もまたワタシの出発を狙いすましたように雨の予報が…!しかもこの雨が首都圏全域に大雨警報が出るくらいの悪天候!初っ端から気を揉ませる展開にうんざりですが、よもや撤退という選択肢は無いので、まずは列車の運行状況を確認しつつ、この日も大雨の中を駅に向かったのでした。
テツ店長の輪行紀行ではこれまでにも何度か登場していますが、今回もまた"青春18きっぷ"を使った夜行快速"ムーンライトながら"での弾丸ツアーなので、ひとまずは東海道本線へ出なくてなりません。悪天候で遅延が広がりつつある状況下、比較的遅延の少ない相模線を利用したのは良かったのが、これから乗る東海道本線も運転見合わせ中との報を聞いて、何を血迷ったか小田急線に乗り換えて小田原駅まで行こう!などと考えてしまったのは痛恨の判断ミスでした。
ここで相模線から小田急線に乗り換える場合、"海老名駅"かその隣の"厚木駅"のどちらかで乗り換えになるのですが、よりによって各停しか止まらない厚木駅で乗り換えてしまったものだからもう大変!来る列車はすべて通過でなかなか停車する列車がやってこない(冷や汗)…。
時間ばかりが過ぎる中、ようやくやってきた各駅停車はお隣の"本厚木駅"止まりという始末!!この時点でもう定刻の"ムーンライトながら"には間に合わない時刻となっており、もう軽くパニックになりそうな状況です(涙)
遅れに遅れて小田原駅に到着したのは深夜の1時を回っていましたが、さいわい?東海道本線も限りなく遅延していて、乗車予定の"ムーンライトながら"も1時間以上の遅れで到着予定とのアナウンスを聞いてようやく一安心。
まあ運休にならなかっただけでも喜ぶべきなのかも知れませんが、急がば回れで何事にも焦りは禁物という教訓を学んだ出発の夜でした(涙)
その後、大幅に遅れながらもやってきた臨時夜行快速の"ムーンライトながら"に乗ってひとときの眠りにつくと、次に目が覚めたのは名古屋駅到着を前にした車内放送が入ってのことでした。
もともとかなり時間に余裕のあるダイヤ設定なこともあり、これだけ遅れても夜明けまでにはすっかり遅れを取り戻し、雨の上がった夜明けの車窓をぼんやりと眺めているうちに、列車は終点"大垣駅"に到着したのでした。
ここから淡々と東海道本線を西に向かってゆきますが、JR西日本ご自慢の"新快速"に乗ると、意外と早い朝の8時半頃にはすでに大阪駅に到着しています。
ここまで来たら、本日の目的地である紀伊半島に向かって進路を南に転進します。
めざすは紀勢本線ということで、まずは大阪環状線で天王寺駅へ。するとやって来たのは、今や貴重な存在となった国鉄型通勤電車の201系ではないですか!(取材時は2018年8月)以前は中央線でも走っていたので見おぼえのある方も多いかと思いますが、関東から姿を消して早8年、そんな古い車両に出会えるのも関西で乗り鉄する楽しみでもあります(笑)
天王寺からは阪和線で南下して和歌山駅へ、サイクリングのスタート地点までもう少しあるので、ここで駅弁を調達しておいて、次の列車での移動中に早めに昼食を済ませておくことにします。
和歌山駅の駅弁と言えば、創業が明治31年の老舗「和歌山水了軒」さんが有名で、今回は少々時間も早く小腹が空いている程度だったので軽めに"鯛ちらし寿司"をチョイス!このあと乗車した電車が幸いなことにクロスシート(進行方向前向きの座席)の車両だったので、車窓を眺めながらひとり昼食を楽しむことができました。
そしてようやく下車したのは、"藤並駅"というお世辞にも活気のある駅とは言えないローカル駅風情でしたが、ここにはかつて「有田鉄道・有田鉄道線」という鉄道が走っていて、2002年に廃止になったあとはサイクリングロードとして整備されて、終点は鉄道公園になっているということで、いつか行ってみようと楽しみにしていた場所だったのです。
こちらの有田鉄道ですが、開業は1915年と比較的古く、かつては地域で産出される木材や有田みかんの産出に活用されていたそうですが、ここでもモータリゼーションがすすむと貨物輸送が衰退して旅客輸送のみとなり、その旅客輸送すらも減少に歯止めがかからずに、そのうち平日のみの運行(学校が休みの日は運休)となって、ついには運行本数が一日2往復と「日本で最も運行本数の少ない私鉄路線」という、あまり有り難くない称号を得るにいたって廃線となったという、なかなかもの悲しい歴史物語を持つのですが…
廃止が2000年代と比較的新しかったことと、撤去費用がなく放置状態だったことが功を奏して?地域で施設を活用しようという機運が盛り上がり、軌道のサイクリングロードへの転用と、一部線路は動態保存で活用ということになったのはじつに幸運だったのではないでしょうか?(テツ目線ですが…)
駅前で自転車を組み立てたら、さっそく「ポッポみち」というちょっとベタな(失礼!)名前のサイクリングロードに漕ぎ出すことにします。
廃線跡のサイクリングロードらしく、スタートは紀勢本線に沿って始まります。1kmほど並走するとゆるやかに線路と別れて行くところもいかにもここが線路だった雰囲気を漂わせていて好ましい(笑)
もともとが線路だっただけあってコースはほぼ平坦で走りやすいことこの上ないですが、唯一気に入らないは気温が35℃近くもあって、じっとしていると溶けてしまいそうになること…(汗)
まあ良く出来た廃線跡サイクリングロードはどこも同じなのですが、途中駅のホームなどの遺構も残されていているので、ついつい気になって止まっっちゃうんですよね…、どんなに暑くても、大汗をかきながらでもとことん観察してしまう自身の習性にはホトホト困ってしまいます(涙)
そんな寄り道紀行をしながら6kmほど走ると、目の前に巨大なD51蒸気機関車が現れました。どうやらここが終点の「有田川鉄道公園」のようです。
広い敷地は旧有田鉄道金谷口駅構内を公園として整備したものだそうで、園内には入れ換え用機関車や貨車、また一部には線路も残されており、こちらでは動態保存のディーゼルカーが実際に乗客を乗せて走ることもあるそうで、もろもろテツにはたまらないテーマパークです(笑)
この日も走る予定があるのか、レールバスと小型機関車がエンジンをかけた状態で停車していて気になったのですが、とりあえずは暑さから逃れたかったのもあり、園内にある"有田川町鉄道交流館"なる資料館の中へ…。
館内にはかつて有田鉄道で使われていた鉄道の機材や写真、リアルな鉄道ジオラマなどで目を楽しませてくれます。中でも2015年まで紀勢本線を走っていた381系の特急くろしおで使われていた"パンダシート"があったのには大喜び!
その381系電車というのが、これまたテツ店長の大好きな国鉄型の特急電車で、引退前の2015年にわざわざ乗り納めにも行った思い入れのある車両なのです。その際には実際このシートには座ったことがあるという、思い出の座席なのでした(涙)
ひととおり鉄分補給が済んだら、意を決して再び灼熱の中サイクリングを再開することにしましょう!
建物を出てまずは同じ公園内にある旧有田鉄道の終点"金屋口駅"に向かっていると、なんとさっきエンジンをかけて停まっていたレールバス+小型機関車がこちらに向かって走って来るではないか~!!乗客も乗せているし、何か貸切運転だったのでしょうか?
しかしよく見ると、レールバスは機関車に押されて走っていて自力走行はしていないようですが、どうやらこれはレールバスのエンジン故障だった模様。それでもじっさいに走っている光景を目の当たりにすることができたのは幸いでしたね(笑)
その先にある"金屋口駅"は、プレハブの町工場然とした佇まいで、いかにもローカル私鉄の終着駅といった雰囲気を湛えていて、ちょっと懐かしさを感じる風景がそこにはありました。
駅ホームも営業時と変わらない状態で残っていて、今にも列車がやってきそうな雰囲気と言いたいところですが、ここは本当に列車がやって来るのだからリアリティが違います!さっき出て行った列車が戻ってこないかとも思いましたが、まだこの先に進まないといけないので、少々心残りではありましたが立ち去ることにしました。
ここから先はもう一度「ぽっぽみち」を戻って、今度は紀勢本線に沿うかたちでさらに南下してゆきます。紀勢本線と並走するように国道45号線が走っていますが、ずうっと内陸を抜けてゆくため景色が楽しめそうではなかったので、今回は途中まで海沿いのローカルルートを走ってゆくことにします。
暑さはハンパなかったのですが、途中々々で姿を見せてくれる海の景色と、紀勢本線のローカル駅舎に気を紛らわせながら、サイクリングもまずまず楽しんでいるうちに、目的地のある御坊の市街地に入ってゆきました。
地図を見ながら街の中を進んで、何とかたどり着いたのは紀州鉄道の終点「西御坊駅」。終点といってもターミナルといった風情はなく、商店街の一角に隠れるように存在するそれはそれは本当に小さな駅でした。
これまた掘っ立て小屋のような古い駅舎には、紀州鉄道の歴史をうかがわせる古い写真が飾られており、しばし見入ってしまったテツ店長でしたが、こういった演出は鉄道マニアならずとも、待合客には多少なりとも退屈しのぎになって楽しめるのでないかと思います。
さてここからは紀州鉄道の廃線巡りに行くことにしましょう!
こちらの「紀州鉄道」という会社、もしかしたらどこかで聞いたことのある方もいるかも知れませんが、鉄道事業としては御坊~西御坊間のたった2.7kmしかなく、ながらく「日本一短い鉄道」の称号を得ていましたが、連載第11回で乗車した、千葉県にある「芝山鉄道」が2002年に開通してその地位を明け渡したものの、あちらは京成線の延長線という意味合いもあり、単独で完結する路線としては、今も日本一短いと言っても良いかも知れません。
そんな紀州鉄道線には、かつて西御坊駅から先にも線路が続いていました。1989年に廃止された西御坊~日高川間の0.7kmがそれですが、おかげでこの西御坊駅がどう見ても途中駅風情なのか合点がゆきます。
しかし中途半端に路線を廃止したところで経営状態に大きな貢献をするとも思えないのですが、この鉄道会社にはじつはカラクリがあって、紀州鉄道の親会社としてはこの路線で収益を上げることはハナから考えてなく、鉄道会社の商標が持つ信用で不動産業を展開するために鉄道事業を続けるのだそうです。
なので観光地などで「紀州鉄道ホテル○○○」といった名前を見る機会があれば、「あぁ、あの小さい鉄道会社ね!」と思い出してもらえれば幸いです(笑)
余談にになりましたが、社会にはいろんな事情があるのだなぁ…と感心しつつ話しを元に戻すと、駅の裏側にはほぼそのまま廃止となった線路が残っていて、赤く錆びついたレールが住宅地の間を縫うように延びていました。
そんな廃線跡を探索しながらすすんでゆくと、線路は日高川の堤防で遮られるようにして終わっていました。どうりで駅名が「日高川」だったワケです。ここは比較的余裕のある駅構内だった様子で、おそらく蒸気機関車などはここで機回し(前後付け替え)を行っていたのでしょう。
いつものことながら、この寂しげな景色に魅せられてしまうテツ店長なのでした…。
ひととおり廃線探訪を終えたら、戻ってこんどは「紀伊御坊駅」近くにある保存車両を見学に行きます。この駅は紀州鉄道の車両基地になっており、駅に隣接するスペースにはかつて紀州鉄道で活躍していた名物車両が保存&活用されているということで、今回ご対面に来た次第。
この車両が昭和35年(1960年)製のキハ603というディーゼルカー。こちらの正面2枚窓は"湘南顔"と呼ばれる当時流行したデザインで、製造当初は九州の大分交通耶馬溪線で走っていましたが、昭和50年(1975年)に同線が廃線になるとその後紀州鉄道に譲渡されて、2009年までここ御坊の地で現役を務めていたという、ある意味紀州鉄道のシンボルとも言える車両なのでした。
じつはテツ店長、この昭和レトロを感じさせる車両にどうしても乗りたくて、2009年の引退直前にわざわざ乗り納めのためにここまで来ていたんですよね、残念ながらその日は運行してなくて願いが叶わなかったという、ちょっと心残りのままで引退後の動向を見守っていたのですが…。
引退後も人気のあった車両という事もあり、廃車解体されることなく動態保存も含めて活用方法を探りつつ、ながらく車両基地の一角に留置されていましたが、地域の方々の努力の甲斐あってか、駅近くの線路沿いの場所に移設して、2017年12月に「ほんまち広場603」として車内の半分をお弁当屋、残り半分をコミュニティスペースとして静態保存することになったのだそう。
何はともあれこうして古い車両が、地域の活性化ののために保存されるというのは良い話で、これを機に少しでも多くの人に興味を持っていただけるとテツ店長としてもうれしゅうございます(笑)
しかし残念ながらこの日のお店は休業で車内に入ることは叶わず、炎天下でしばし車両を観察したのちに撤退を余儀なくされたのでした…(泣)
この車両キハ603の故郷"大分交通耶馬溪線"の廃線跡は、現在「メイプル耶馬サイクリングロード」として生まれ変わっているそうで、これはいつか行ってみなければ!とあらたなミッションを得た気がするテツ店長なのでした。
ということで、この日のサイクリングは終了。たった2.7kmとはいえ、せっかくここまで来たのだからやっぱり乗っておかないと!ということで、お隣にある"紀伊御坊駅"で自転車は分解してやってくる列車を待つことにします。
ところでこちらの"紀伊御坊駅"で売っているきっぷが、むかし懐かしい「硬券」だったというのもちょっと(もとい、かなり)うれしい演出でした(笑)
その後やってきたのは1両編成のディーゼルカー。ようやく空調の効いた空間に収まってホッと一息ついたものの、乗車時間はたったの5分で、あっという間に終点の「御坊駅」に到着しちゃいました。
ここから先は一気の距離を稼ぎたいため、青春18きっぷはいったん封印して特急に乗ってワープすることにしましたが、もはや暑さで気力も体力もすべて使い切ってしまった感もあり、列車待ちのホームでぐったりとしてしまったテツ店長でした(汗)
うだるような暑さの中で待つこと約20分、ようやく上り"特急くろしお17号"新宮行きがお迎えにやってきました!渡りに船とはまさにこのことで、ようやくこの暑さから逃れられるということで喜び勇んで乗車しましたが、安全かつ快適に移動できる鉄道のありがたみをかみしめた一瞬でした(涙)
乗車した紀勢本線は太平洋岸に沿って紀伊半島を南下してゆくので、車窓から海の景色が楽しめる路線なのですが、この日は乗車したのが夕方だったので、夕闇のせまる海岸風景をぼんやりとながめているうちに、深い眠りに落ちていったのでした…
列車に揺られること2時間半ほどかけて、特急くろしお17号は終着駅の"新宮"に到着しました。この頃にはすっかり日が暮れて夜の帳がおりていましたが、改札に向けて自転車をかついでひとりホームを歩いていると、これまたちょっと気になるモノが出現!
ホーム上にあったのはいかにも古いタイル貼りの洗面所。いかにも昭和の匂いがプンプンしてきますが、これは今や貴重なSL時代の鉄道遺構ではないですか!
なぜなら当時は水や石炭を補充したり、機関車を付け替えたりするための長時間停車がしばしばあって、その間に乗客はホームに下りて顔や体についた石炭の煤を洗い流していたのですねぇ。今と違って空調など付いていない時代なので、当然窓を開け放って走っているわけで、気づくと顔が煤だらけになるのは実際に試してみたので間違いありません(笑)
昔はどこの駅にでもあったこんな設備も、今や本当に絶滅危惧種となってしまいましたが、こういう小さなものからも歴史が学べたり、旅をしていると常に発見ががあるのが楽しいんですよね!
ということで、この日の活動はここ"新宮"で終了。
後編では、ここからサイクリングで熊野川上流にある、幻の鉱山鉄道探しの旅に向かうので、みなさんお楽しみに!
旅する人 河井孝介プロフィール
バイクプラス多摩センターの店長を務める50歳。前職で足かけ10年にわたる勤務を鉄道の無い(モノレール除く)沖縄県で過ごした反動からか、帰京後は輪行サイクリングの虜となり、現在は鉄道と自転車を組み合わせ、鉄道廃線跡や未成線など鉄道の歴史を辿るサイクリングをライフワークとする。鉄道趣味のジャンルは「乗り鉄」。旧国鉄型車両を心から愛し、ひそかにJR全線乗車にチャレンジ中。非常勤の防衛省職員である予備三等陸曹の身分も合わせ持っている。
みなさんご無沙汰しておりました!不定期連載?のテツ店長の輪行紀行、今回のお話は一昨年(2018年)の夏に、暑い暑い紀伊半島まで自転車を担いで行ってきたレポートです。
じつはこの話には続きがあって、今回の紀伊半島の旅で出会った古い車両のことが気になって、昨年(2019年)そのふるさとである九州の大分県まで行ってきてしまったという二部構成となっています。それぞれ前編・後編でレポートしますので、全4回の超大作?となる予定なので、ワタシもここからフル稼働でレポート作成してゆきますが、みなさまもどうか気長にお付き合いください(笑)
という事で、日本全国には廃線になった鉄路が数多く有りますが、今回行って来た紀伊半島も例に漏れず廃線がいくつもあったりします。こちらではそんな廃線を活用して、車両を"動態保存"しながら実際に走らせつつ、観光資源として活用していると言うのだから、これはテツ店長としては非常に気になってしまうワケですね。
そんな情報を知ってしまうと、この目で見たくて居ても立ってもいられなくなってしまうのがワタシの性分…。という事で、もう暑さにやられることは覚悟のうえで勇んで夏の紀伊半島遠征に出かけることにしたのでした。
しかしながら雨で出鼻をくじかれることの多いわが輪行紀行、この日もまたワタシの出発を狙いすましたように雨の予報が…!しかもこの雨が首都圏全域に大雨警報が出るくらいの悪天候!初っ端から気を揉ませる展開にうんざりですが、よもや撤退という選択肢は無いので、まずは列車の運行状況を確認しつつ、この日も大雨の中を駅に向かったのでした。
テツ店長の輪行紀行ではこれまでにも何度か登場していますが、今回もまた"青春18きっぷ"を使った夜行快速"ムーンライトながら"での弾丸ツアーなので、ひとまずは東海道本線へ出なくてなりません。悪天候で遅延が広がりつつある状況下、比較的遅延の少ない相模線を利用したのは良かったのが、これから乗る東海道本線も運転見合わせ中との報を聞いて、何を血迷ったか小田急線に乗り換えて小田原駅まで行こう!などと考えてしまったのは痛恨の判断ミスでした。
ここで相模線から小田急線に乗り換える場合、"海老名駅"かその隣の"厚木駅"のどちらかで乗り換えになるのですが、よりによって各停しか止まらない厚木駅で乗り換えてしまったものだからもう大変!来る列車はすべて通過でなかなか停車する列車がやってこない(冷や汗)…。
時間ばかりが過ぎる中、ようやくやってきた各駅停車はお隣の"本厚木駅"止まりという始末!!この時点でもう定刻の"ムーンライトながら"には間に合わない時刻となっており、もう軽くパニックになりそうな状況です(涙)
遅れに遅れて小田原駅に到着したのは深夜の1時を回っていましたが、さいわい?東海道本線も限りなく遅延していて、乗車予定の"ムーンライトながら"も1時間以上の遅れで到着予定とのアナウンスを聞いてようやく一安心。
まあ運休にならなかっただけでも喜ぶべきなのかも知れませんが、急がば回れで何事にも焦りは禁物という教訓を学んだ出発の夜でした(涙)
その後、大幅に遅れながらもやってきた臨時夜行快速の"ムーンライトながら"に乗ってひとときの眠りにつくと、次に目が覚めたのは名古屋駅到着を前にした車内放送が入ってのことでした。
もともとかなり時間に余裕のあるダイヤ設定なこともあり、これだけ遅れても夜明けまでにはすっかり遅れを取り戻し、雨の上がった夜明けの車窓をぼんやりと眺めているうちに、列車は終点"大垣駅"に到着したのでした。
ここから淡々と東海道本線を西に向かってゆきますが、JR西日本ご自慢の"新快速"に乗ると、意外と早い朝の8時半頃にはすでに大阪駅に到着しています。
ここまで来たら、本日の目的地である紀伊半島に向かって進路を南に転進します。
めざすは紀勢本線ということで、まずは大阪環状線で天王寺駅へ。するとやって来たのは、今や貴重な存在となった国鉄型通勤電車の201系ではないですか!(取材時は2018年8月)以前は中央線でも走っていたので見おぼえのある方も多いかと思いますが、関東から姿を消して早8年、そんな古い車両に出会えるのも関西で乗り鉄する楽しみでもあります(笑)
天王寺からは阪和線で南下して和歌山駅へ、サイクリングのスタート地点までもう少しあるので、ここで駅弁を調達しておいて、次の列車での移動中に早めに昼食を済ませておくことにします。
和歌山駅の駅弁と言えば、創業が明治31年の老舗「和歌山水了軒」さんが有名で、今回は少々時間も早く小腹が空いている程度だったので軽めに"鯛ちらし寿司"をチョイス!このあと乗車した電車が幸いなことにクロスシート(進行方向前向きの座席)の車両だったので、車窓を眺めながらひとり昼食を楽しむことができました。
そしてようやく下車したのは、"藤並駅"というお世辞にも活気のある駅とは言えないローカル駅風情でしたが、ここにはかつて「有田鉄道・有田鉄道線」という鉄道が走っていて、2002年に廃止になったあとはサイクリングロードとして整備されて、終点は鉄道公園になっているということで、いつか行ってみようと楽しみにしていた場所だったのです。
こちらの有田鉄道ですが、開業は1915年と比較的古く、かつては地域で産出される木材や有田みかんの産出に活用されていたそうですが、ここでもモータリゼーションがすすむと貨物輸送が衰退して旅客輸送のみとなり、その旅客輸送すらも減少に歯止めがかからずに、そのうち平日のみの運行(学校が休みの日は運休)となって、ついには運行本数が一日2往復と「日本で最も運行本数の少ない私鉄路線」という、あまり有り難くない称号を得るにいたって廃線となったという、なかなかもの悲しい歴史物語を持つのですが…
廃止が2000年代と比較的新しかったことと、撤去費用がなく放置状態だったことが功を奏して?地域で施設を活用しようという機運が盛り上がり、軌道のサイクリングロードへの転用と、一部線路は動態保存で活用ということになったのはじつに幸運だったのではないでしょうか?(テツ目線ですが…)
駅前で自転車を組み立てたら、さっそく「ポッポみち」というちょっとベタな(失礼!)名前のサイクリングロードに漕ぎ出すことにします。
廃線跡のサイクリングロードらしく、スタートは紀勢本線に沿って始まります。1kmほど並走するとゆるやかに線路と別れて行くところもいかにもここが線路だった雰囲気を漂わせていて好ましい(笑)
もともとが線路だっただけあってコースはほぼ平坦で走りやすいことこの上ないですが、唯一気に入らないは気温が35℃近くもあって、じっとしていると溶けてしまいそうになること…(汗)
まあ良く出来た廃線跡サイクリングロードはどこも同じなのですが、途中駅のホームなどの遺構も残されていているので、ついつい気になって止まっっちゃうんですよね…、どんなに暑くても、大汗をかきながらでもとことん観察してしまう自身の習性にはホトホト困ってしまいます(涙)
そんな寄り道紀行をしながら6kmほど走ると、目の前に巨大なD51蒸気機関車が現れました。どうやらここが終点の「有田川鉄道公園」のようです。
広い敷地は旧有田鉄道金谷口駅構内を公園として整備したものだそうで、園内には入れ換え用機関車や貨車、また一部には線路も残されており、こちらでは動態保存のディーゼルカーが実際に乗客を乗せて走ることもあるそうで、もろもろテツにはたまらないテーマパークです(笑)
この日も走る予定があるのか、レールバスと小型機関車がエンジンをかけた状態で停車していて気になったのですが、とりあえずは暑さから逃れたかったのもあり、園内にある"有田川町鉄道交流館"なる資料館の中へ…。
館内にはかつて有田鉄道で使われていた鉄道の機材や写真、リアルな鉄道ジオラマなどで目を楽しませてくれます。中でも2015年まで紀勢本線を走っていた381系の特急くろしおで使われていた"パンダシート"があったのには大喜び!
その381系電車というのが、これまたテツ店長の大好きな国鉄型の特急電車で、引退前の2015年にわざわざ乗り納めにも行った思い入れのある車両なのです。その際には実際このシートには座ったことがあるという、思い出の座席なのでした(涙)
ひととおり鉄分補給が済んだら、意を決して再び灼熱の中サイクリングを再開することにしましょう!
建物を出てまずは同じ公園内にある旧有田鉄道の終点"金屋口駅"に向かっていると、なんとさっきエンジンをかけて停まっていたレールバス+小型機関車がこちらに向かって走って来るではないか~!!乗客も乗せているし、何か貸切運転だったのでしょうか?
しかしよく見ると、レールバスは機関車に押されて走っていて自力走行はしていないようですが、どうやらこれはレールバスのエンジン故障だった模様。それでもじっさいに走っている光景を目の当たりにすることができたのは幸いでしたね(笑)
その先にある"金屋口駅"は、プレハブの町工場然とした佇まいで、いかにもローカル私鉄の終着駅といった雰囲気を湛えていて、ちょっと懐かしさを感じる風景がそこにはありました。
駅ホームも営業時と変わらない状態で残っていて、今にも列車がやってきそうな雰囲気と言いたいところですが、ここは本当に列車がやって来るのだからリアリティが違います!さっき出て行った列車が戻ってこないかとも思いましたが、まだこの先に進まないといけないので、少々心残りではありましたが立ち去ることにしました。
ここから先はもう一度「ぽっぽみち」を戻って、今度は紀勢本線に沿うかたちでさらに南下してゆきます。紀勢本線と並走するように国道45号線が走っていますが、ずうっと内陸を抜けてゆくため景色が楽しめそうではなかったので、今回は途中まで海沿いのローカルルートを走ってゆくことにします。
暑さはハンパなかったのですが、途中々々で姿を見せてくれる海の景色と、紀勢本線のローカル駅舎に気を紛らわせながら、サイクリングもまずまず楽しんでいるうちに、目的地のある御坊の市街地に入ってゆきました。
地図を見ながら街の中を進んで、何とかたどり着いたのは紀州鉄道の終点「西御坊駅」。終点といってもターミナルといった風情はなく、商店街の一角に隠れるように存在するそれはそれは本当に小さな駅でした。
これまた掘っ立て小屋のような古い駅舎には、紀州鉄道の歴史をうかがわせる古い写真が飾られており、しばし見入ってしまったテツ店長でしたが、こういった演出は鉄道マニアならずとも、待合客には多少なりとも退屈しのぎになって楽しめるのでないかと思います。
さてここからは紀州鉄道の廃線巡りに行くことにしましょう!
こちらの「紀州鉄道」という会社、もしかしたらどこかで聞いたことのある方もいるかも知れませんが、鉄道事業としては御坊~西御坊間のたった2.7kmしかなく、ながらく「日本一短い鉄道」の称号を得ていましたが、連載第11回で乗車した、千葉県にある「芝山鉄道」が2002年に開通してその地位を明け渡したものの、あちらは京成線の延長線という意味合いもあり、単独で完結する路線としては、今も日本一短いと言っても良いかも知れません。
そんな紀州鉄道線には、かつて西御坊駅から先にも線路が続いていました。1989年に廃止された西御坊~日高川間の0.7kmがそれですが、おかげでこの西御坊駅がどう見ても途中駅風情なのか合点がゆきます。
しかし中途半端に路線を廃止したところで経営状態に大きな貢献をするとも思えないのですが、この鉄道会社にはじつはカラクリがあって、紀州鉄道の親会社としてはこの路線で収益を上げることはハナから考えてなく、鉄道会社の商標が持つ信用で不動産業を展開するために鉄道事業を続けるのだそうです。
なので観光地などで「紀州鉄道ホテル○○○」といった名前を見る機会があれば、「あぁ、あの小さい鉄道会社ね!」と思い出してもらえれば幸いです(笑)
余談にになりましたが、社会にはいろんな事情があるのだなぁ…と感心しつつ話しを元に戻すと、駅の裏側にはほぼそのまま廃止となった線路が残っていて、赤く錆びついたレールが住宅地の間を縫うように延びていました。
そんな廃線跡を探索しながらすすんでゆくと、線路は日高川の堤防で遮られるようにして終わっていました。どうりで駅名が「日高川」だったワケです。ここは比較的余裕のある駅構内だった様子で、おそらく蒸気機関車などはここで機回し(前後付け替え)を行っていたのでしょう。
いつものことながら、この寂しげな景色に魅せられてしまうテツ店長なのでした…。
ひととおり廃線探訪を終えたら、戻ってこんどは「紀伊御坊駅」近くにある保存車両を見学に行きます。この駅は紀州鉄道の車両基地になっており、駅に隣接するスペースにはかつて紀州鉄道で活躍していた名物車両が保存&活用されているということで、今回ご対面に来た次第。
この車両が昭和35年(1960年)製のキハ603というディーゼルカー。こちらの正面2枚窓は"湘南顔"と呼ばれる当時流行したデザインで、製造当初は九州の大分交通耶馬溪線で走っていましたが、昭和50年(1975年)に同線が廃線になるとその後紀州鉄道に譲渡されて、2009年までここ御坊の地で現役を務めていたという、ある意味紀州鉄道のシンボルとも言える車両なのでした。
じつはテツ店長、この昭和レトロを感じさせる車両にどうしても乗りたくて、2009年の引退直前にわざわざ乗り納めのためにここまで来ていたんですよね、残念ながらその日は運行してなくて願いが叶わなかったという、ちょっと心残りのままで引退後の動向を見守っていたのですが…。
引退後も人気のあった車両という事もあり、廃車解体されることなく動態保存も含めて活用方法を探りつつ、ながらく車両基地の一角に留置されていましたが、地域の方々の努力の甲斐あってか、駅近くの線路沿いの場所に移設して、2017年12月に「ほんまち広場603」として車内の半分をお弁当屋、残り半分をコミュニティスペースとして静態保存することになったのだそう。
何はともあれこうして古い車両が、地域の活性化ののために保存されるというのは良い話で、これを機に少しでも多くの人に興味を持っていただけるとテツ店長としてもうれしゅうございます(笑)
しかし残念ながらこの日のお店は休業で車内に入ることは叶わず、炎天下でしばし車両を観察したのちに撤退を余儀なくされたのでした…(泣)
この車両キハ603の故郷"大分交通耶馬溪線"の廃線跡は、現在「メイプル耶馬サイクリングロード」として生まれ変わっているそうで、これはいつか行ってみなければ!とあらたなミッションを得た気がするテツ店長なのでした。
ということで、この日のサイクリングは終了。たった2.7kmとはいえ、せっかくここまで来たのだからやっぱり乗っておかないと!ということで、お隣にある"紀伊御坊駅"で自転車は分解してやってくる列車を待つことにします。
ところでこちらの"紀伊御坊駅"で売っているきっぷが、むかし懐かしい「硬券」だったというのもちょっと(もとい、かなり)うれしい演出でした(笑)
その後やってきたのは1両編成のディーゼルカー。ようやく空調の効いた空間に収まってホッと一息ついたものの、乗車時間はたったの5分で、あっという間に終点の「御坊駅」に到着しちゃいました。
ここから先は一気の距離を稼ぎたいため、青春18きっぷはいったん封印して特急に乗ってワープすることにしましたが、もはや暑さで気力も体力もすべて使い切ってしまった感もあり、列車待ちのホームでぐったりとしてしまったテツ店長でした(汗)
うだるような暑さの中で待つこと約20分、ようやく上り"特急くろしお17号"新宮行きがお迎えにやってきました!渡りに船とはまさにこのことで、ようやくこの暑さから逃れられるということで喜び勇んで乗車しましたが、安全かつ快適に移動できる鉄道のありがたみをかみしめた一瞬でした(涙)
乗車した紀勢本線は太平洋岸に沿って紀伊半島を南下してゆくので、車窓から海の景色が楽しめる路線なのですが、この日は乗車したのが夕方だったので、夕闇のせまる海岸風景をぼんやりとながめているうちに、深い眠りに落ちていったのでした…
列車に揺られること2時間半ほどかけて、特急くろしお17号は終着駅の"新宮"に到着しました。この頃にはすっかり日が暮れて夜の帳がおりていましたが、改札に向けて自転車をかついでひとりホームを歩いていると、これまたちょっと気になるモノが出現!
ホーム上にあったのはいかにも古いタイル貼りの洗面所。いかにも昭和の匂いがプンプンしてきますが、これは今や貴重なSL時代の鉄道遺構ではないですか!
なぜなら当時は水や石炭を補充したり、機関車を付け替えたりするための長時間停車がしばしばあって、その間に乗客はホームに下りて顔や体についた石炭の煤を洗い流していたのですねぇ。今と違って空調など付いていない時代なので、当然窓を開け放って走っているわけで、気づくと顔が煤だらけになるのは実際に試してみたので間違いありません(笑)
昔はどこの駅にでもあったこんな設備も、今や本当に絶滅危惧種となってしまいましたが、こういう小さなものからも歴史が学べたり、旅をしていると常に発見ががあるのが楽しいんですよね!
ということで、この日の活動はここ"新宮"で終了。
後編では、ここからサイクリングで熊野川上流にある、幻の鉱山鉄道探しの旅に向かうので、みなさんお楽しみに!
旅する人 河井孝介プロフィール
バイクプラス多摩センターの店長を務める50歳。前職で足かけ10年にわたる勤務を鉄道の無い(モノレール除く)沖縄県で過ごした反動からか、帰京後は輪行サイクリングの虜となり、現在は鉄道と自転車を組み合わせ、鉄道廃線跡や未成線など鉄道の歴史を辿るサイクリングをライフワークとする。鉄道趣味のジャンルは「乗り鉄」。旧国鉄型車両を心から愛し、ひそかにJR全線乗車にチャレンジ中。非常勤の防衛省職員である予備三等陸曹の身分も合わせ持っている。
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