2019/06/28(金) - 11:58
広がるグラベルムーブメントを代表するレース、ダーティーカンザ。北米で行われ、ワールドチームに所属するトップライダーも参加する、世界で最も有名なグラベルイベントに参加した日本人選手、竹下佳映さんによるレポートをお届けしましょう。
ダーティカンザ(以下DK200)は、世界中でも最も有名なグラベルレースと言えるでしょう。米国カンザス州のフリントヒルズと呼ばれる地域のグラベルロードを、約200マイル(320km)走る過酷なレースです。2006年に参加者たった34人という小さなレースとして始まったDK200は、米国でグラベル人気が沸騰するに伴い毎年大きくなり、2019年には全米中と28か国から抽選で選ばれた2,750人のライダーがカンザス州の小さなエンポリアという町に集結しました。
この一帯は米国中西部の大草原地帯・グレートプレーンズの一部で、昔は野生のバイソンが生息していました。木が殆ど生えてなく、緩やかな丘が視界の届く限り続きます。私が2015年に初めてDK200でフリントヒルズを訪れた時は、延々と続く丘の美しさと開放感にドキドキと興奮しました。生まれも育ちも北海道ですが、土地の大きさ広さのスケールが違い過ぎて比較になりません。
放牧牛が多くいる場所で、皮のブーツを履きカウボーイハットを被り馬に颯爽と乗る本物のカウボーイを見かけることもあります。レース中に放牧牛に道を遮られることもあります。フリントヒルズに見られる「フリント」燧石は切れ味抜群で、先住民が槍や矢の先に使用したそうです。その為(車も例外無く)パンクの確率が異常に上がります。
賞金も出ないレースサポートもつかない、グラベルの根本の部分を大事にしたレースなのにも関わらず、またはそうだからこそ多くのライダーが魅入られるのか、アマチュア選手だけでなくプロ選手も多く参加します。毎年参加者レベルは高くなる一方で、2019年は歴代チャンピオン、ロード・シクロクロス・マウンテンの専業プロ、元・現役UCIワールドツアーライダー、全米代表と、豪華な顔ぶれが集まり、トップ争いは男女共に今までで最もタフな年となりました。こういった様々な背景のライダーが同じレースに集まるのはグラベルだからこそです。
男女共に優勝者には特別に作られたベルトバックルが贈られ、それぞれ「キング・オブ・カンザ」「クイーン・オブ・カンザ」の肩書が与えられます。また各カテゴリー(年齢枠別、シングルスピード、タンデム、ファットバイク)の上位5名も表彰されます。私も女子総合優勝を狙い、何か月もトレーニングを経て心身共に出来る限りの準備を行ってきました。過去数年で培ってきた経験もありますし、今年だけで5月頭までに出場した100~180kmのグラベルレースは十数回。バイクメンテナンスにセットアップも普段から入念に行います。DK200では、ありとあらゆる最悪な事態を想定した上で持ち物を用意する必要があり、携帯するアイテムは通常のロードライドやレースよりずっと多くなります。
グラベルは天候に道路状況が酷く影響されますから、レース2週間前頃には気にし始めるのが天気予報です。オズの魔法使いの主人公ドロシーの故郷の州であるカンザスは、物語通り竜巻で有名な場所です。今年は異常気象の影響か、カンザス州を含めたアメリカ中西部の数州で竜巻が通常より遥かに多い頻度で次々と発生しました。たった12日間に225の竜巻が確認され、タッチダウンした市街地では被害が続出しました。連日の大雨に洪水もあちこちで起こり、レース当日も恐らく酷い泥道になるのではないか、との心配がありました。
数年前にレース当日明け方前に大雨が降った年は、粘土状の泥と化したグラベルがフレーム・車輪・タイヤの至る所にくっつき、車輪が回転せず走行出来なくなり、参加者全員泥で重くなったバイクを何kmも担いで進む、という事態になりました。その年は私のバイクも含む何百というリアディレイラーがコース上で壊れ、途中棄権率も上がりました。「最悪の事態、コース上でシングルスピードに調整して完走する!でも出来れば泥道は走りたくない……。」長期天気予報によると、レース当日前まで数日間の雨の予報となっていましたが、ビックリする程当たらないことが殆どなので「突然に竜巻が発生とかだけは止めてほしい」と思いながら、それ以上は心配しないことにしました。
過去にも、泥沼で何kmも歩いた年の他、風速9m/s向かい風がレース後半を占めた年、高湿度で目が回りそうになった年、嵐でスタートが遅れた年、からりと晴れて湿気も皆無な年、雹・霰が降った年、とあり、結局何が起こるかはレース当日までは分かりません。
レース前日には登録者パケットピックアップと競技説明会があり、普段静かな町は活気に溢れています。泊まった宿舎にはパナレーサーチームの面々がちらほらと集まり始めました。私たちのチームは、9州からの9人のメンバーで構成されていて、全員揃う大きなレースで皆に会えるのをいつもとても楽しみにしています。皆それぞれプレライド後にフレームとパーツを磨いたり、最終的なバイクチェックをしたりします。その後、沢山のブースが集まる屋外エキスポに行き、スポンサーに挨拶をしたり、全米中からの友人と会話を交わし、夕飯を食べて、早くに消灯となります。翌日の朝は6時スタートに向けてかなり早起きです。
レース当日朝6時前、選手と観客・報道関係者がスタートラインでひしめき合います。歴代男女チャンピオンと他の男女優勝候補者と共に最前列コールアップを受けたのは、とても名誉なことでした。自分の右側には元キャノンデール・ガーミンの選手、左側には現トレック・セガフレードの選手、そして現EFエデュケーションファーストの選手が並んでいます。UCIワールドツアーライダーと最前列を共にするなんて、なかなか通常では考えられない状況です。そして皆とてもフレンドリーでした。
町を出るまでは2km半程ニュートラル走行で、舗装道路が未舗装道路に変わるところで先導車はいなくなり、時速35km程のスピードで先頭集団は進み続けました。直ぐに視界が開け、朝日が薄い雲の後ろに上っていくのが右手に見えてとても綺麗でした。大きな砂利が飛び散り、フレームや車輪に当たり更に飛び跳ね、偶に手足に当たるのが痛いです。下手をすると歯に当たって欠けることもあるので気を付けないといけません。
45km地点の最初のテクニカルな部分から先頭でアタックが始まりました。アップダウンも出てきて、段々と先頭集団がばらけて小さくなります。深い轍や酷い凸凹道で早速パンクや落車が起こり、それを上手く避けながら前進します。ダウンヒルの直後に小川が流れていて、その直後は短いが急な登りがありました。拳サイズの石で小川の底は平らではなく、周囲に誰もいなければ上手く乗り切れるものの前にも後ろにも両横にもライダーがいて、前方では既に自転車から降りて走っていたので、私も飛び降りひょいひょいと走りながら小川を渡りました。
DK200の主なルールは、多くは他のグラベルレースと共通する点が多く、全ては自己責任のセルフサポートというのが基本です。以下に基本的なレギュレーションをまとめてみました。参加を考えている人は参考にしてください。
・コースマーキング、コースマーシャル、リードカー、コース上でのサポートは無し。2か所あるチェックポイント(以下CP)でのみ、外部サポートを受けられる。(※CP間で必要な飲食料は全て持参すること。またパンクを始めとするトラブルが起きたら自己対応出来るよう必要な道具も持参する必要がある)
・バイクタイプ・車輪サイズ・タイヤサイズに制限なし。電動バイクは禁止、レース途中でバイクチェンジするのは禁止。
・レース1週間前にウェブサイトにコースが発表された後、道順の書いたキューシートの印刷、GPSへのコースファイルのダウンロードは各自の責任で行う。
・各CPにカット時間までに到達すること。翌日午前3時までに完走すること(※出来なければ完走とみなされない)
・前後ライトを携帯すること。(※日が暮れるまでに完走出来ないのであれば、街灯が皆無で文字通り真っ暗闇になるので、出力の強いライトが無いと、走る先が見えない)
・サポートは参加者の責任でアレンジ。家族・友人・チームなど、サポートが用意出来ない場合は、サポートサービスが購入可能。途中棄権する場合も誰も救出に来ないので、サポートが必要。
今年のコースは、距離は201マイル(322km)、合計の標高差は11450フィート (3490m)となっていました。距離に対する標高差は一見大したことはないですが、綺麗な舗装道路を走るのとは訳が違います。今回コースが敷かれたフリントヒルズ北部のグラベルの具合が例年の南部よりずっと酷いと言われていて、実際のところ正に噂通りでした。私はフリントヒルズ北部は走ったことがありませんでしたが、MMR(ミニマム・メンテナンス・ロード)と呼ばれる文字通りメンテが入らないグラベルロードが例年以上に沢山コースに織り込まれていて、ゴロゴロ・ゴツゴツのフリント石が待ち構えていました。
一つ目のCPは65マイル(104km)地点の小さな町。パナレーサーチームテントを見つけて駆け込み、必要な飲食料を受け取って、直ぐに再出発です。次のCPまで85マイル(136km)あります。CPで掛かる時間はライダーそれぞれなので、同時にCPに到着したとしてもCPから出る時に同じライダーがいるとは限らず、私の場合前方ライダーに追い付くにはかなり距離があり、後ろからは直ぐに誰かが追ってくる様子もありませんでした。特に珍しいことでもなく、どこかで他のライダーと一緒になるだろうから、そうなったら一緒にペースラインを作って走ればいいので、気にせず前進しました。レースはあと何時間も続きます。
予想外だったのは、思った以上にどんどん上がっていく気温です。145km程走った時点での外気温は32℃を超えました。カンザス州で今年初めての真夏日となり、最高気温は天気予報を遥かに上回り36℃以上、体感気温は恐らくそれ以上となりました。
ここ何年も住んでいるイリノイ州シカゴは、この1月末に大寒波による歴史的な低気温を経験し(外気温氷点下32℃、体感気温氷点下45℃)、春の兆しもなかなか訪れず、5月に入っても例年より気温が低く最高気温10~15℃もしばしばでした。ベースレイヤーなしで走ったのは、シカゴから1500km南に位置するテキサス州に4月にレース遠征した時にたった1・2回で、その時でさえ最高気温25℃程でした。いきなり35℃越えはかなりキツかったです。ある地点でガクッとパフォーマンスが下がったのを感じました。勿論他のライダーやグループを見つけて一緒に走るのがベストですが、途中走りながらの嘔吐も何度もあり、ペースダウンすることに。
高気温・高湿度によるライド中の嘔吐は初めてのことではなかったので、パニックを起こすこともなく、経験上ここで下手に焦って無理すべきではないと判断しました。無理するべき時と場所は、この長いレースの中で他にいくらでもあります。まずは完走しなければ結果も何もありません。DK200のような超長距離レースでは、前半良くても、延々と続く道、容赦ない風、火を噴くかと思うような気温等で、身体的ダメージの他、精神的に後半崩れるライダーも多くいます。私は頑固さには自信があるので、必ずカムバック出来ると信じていました。
今回100マイル(160km)と120マイル(192km)地点に設置されていた水道水の補給だけが可能な「オアシス」では、CPと違い外部サポートが受けられないので止まる必要はありません。それでも両方のオアシスで沢山のライダーがいて、ボトルやハイドレーションバックパックに水を詰めていました。マークしている女性選手を気にかけながら、私もそこで最低限必要な分プラスで予備分の水を詰めました。予定していた平均スピードよりも遅く進んでいるのと、万一機材不調で止まって自己修理しないとならない場合、隠れる木陰のない草原の真っただ中のグラベルロードでは、干乾びてしまうからです。
グラベルはサバイバルゲームでもあります。レース当日の朝の時点で予報されていた午後の雷雨は一向に姿を見せる気配はなく、空には雲一つ浮かんでいません。この気温で苦戦したライダーは多くいて、CPやオアシスで長く休憩する選手だけでなく、途中棄権する選手やレース後に病院で点滴を受ける選手もいました。
一日を通して、右に左に次々とフリント石の犠牲者が出ていました。どんなに完璧にバイク・タイヤセットアップを行ったとしても、フリントヒルズのグラベルでは、ラインチョイスを間違ったり、たまたま当たり所が悪いとパンクに繋がります。集団走行でラインが選べない時もありますし、良いラインそのものが無い場合も多くあるので、ある程度運に左右されると言っても過言ではありません。
私もパナレーサー・グラベルキングSKと出会う前のDK200で、チューブレスセットアップで始めたものの立て続けにパンクし、日没後に完走するまでに何度も修理しチューブ6個使った年がありました。特にその頃はグラベル専用タイヤも少なく、パンク無しで完走するのは幸運としか言いようがないように思われました。去年・今年のDK200では、私は一度も大きな故障もパンクも無く走りきることが出来ました。
DK200はレース中盤にもなると、ライダーがコース上で散らばり、ソロか数人走行になることが殆どですが、特に今年は、例年以上のガレ斜面アップダウンと高気温でペースを合わせるのが難しく、ソロ走行が目立った気がします。(そのことをレース後に報道記者のうちの一人に話すと、全く同じ答えが返ってきました)
洪水を引き起こす程続いた大雨が地表を削り、急な斜面がまるで裂けて割れてしまったような状態の砂利道や、転倒を引き起こすような深い轍もありました。大きな砂利がザクザクしている登りでは、ちょっと間違えるとタイヤが空回りしてグリップを失うこともあり、自転車から降り小走りするライダーも見られました。珍しく木が密集して生え川が流れている場所では、川に浸かって涼んでいるライダーもいました。そのまま自転車で渡れる浅く小さな川から、バイクから降りて渡った大き目の川までありましたが、シューズに入ってくる水が冷たくて気持ち良かったです。
195km過ぎた辺りからかなり調子が戻ってきて、巻き返しタイムです。前に抜かれたライダーを次々に抜き返し、前方女性ライダーを追い越し、一緒にいた女性ライダーもガレの酷いテクニカルな部分で引き離し、151マイル(242km)地点にある最後のCPに到着しました。ボトル一本飲み干し、吐き出す気配はゼロで体調もよし。最後の50マイル(80km)に必要な飲食物を詰め込んで、再出発です。
一部追い風があったのもあり、かなり快調に進み35kmあっという間に過ぎました。その間にも、数時間前に勢いよく抜かしていったライダーを抜き返したり、パンク修理しているライダーを見かけたりしました。自分の前にいるだろう女性ライダーの数を頭の中で整理し、どれだけタイム差があるのかは不明でしたが、それでも最後の最後まで結果が分からないのがグラベルレースです。今までの他のレースでも、最後の1時間や最終数kmで勝利逆転したり、6~8時間以上のバトルの末スプリントフィニッシュに持ち込んだりと、様々な状況を経験しています。ひたすら前進あるのみです。
180マイル(288km)地点で、お待ちかねの「チェース・ザ・チェイス(Chase The Chaise)」を発見しました。去年から、国内の幾つかのグラベルレースに現れるようになったベルベットのチェイスラウンジソファ。長距離レースのかなり後半の何もないところに現れ、止まれば好きなポーズでプロ写真を撮影してもらえます。過酷なレースを完走出来るライダーのみが座れる訳です。アドベンチャーライディングで有名なサルサ・サイクルズのスタッフが、レース中の楽しい思い出を残すのに何かいいアイディアは無いかと考えた末、グラベルロードを走っている最中に全く予期していないものを、と始めたチェース・ザ・チェイスがグラベルライダー間で大ヒット。
実際、このアイディアが初めて使われた2018年春のオクラホマ州でのレースでは、何故に深紅のチェイスラウンジが道のど真ん中に出現したのか咄嗟に理解できずスルーしてしまいました(苦笑)。その後は、表彰台争いの競争相手と一緒に座ってパチリ、リーダーを追っていても10秒止まってポーズ、と忘れることはありません。止まる止まらないはその人次第ですが、こういう遊び心があってこそのグラベルです。勿論先を急いでいる訳ですが、今回もぱっと止まって写真を撮ってもらいました。
残った30kmはやっと道が平坦になり、エンポリアに向かって走るだけです。最後の1-2kmでも何人か捕まえした。舗装道路になってから、大学のキャンパスに続くコース最後の登り道を超え、キャンパスから町のメインの通りに入ります。アナウンサーの声が聞こえ始め、大勢の人がフィニッシュラインの両側で大声援と共に迎えてくれました。長いようであっと言う前に過ぎてしまった12時間半走行の末、私の結果は、女子総合4位、年齢枠別2位、男女総合57位でした。
少し前に完走した女子選手もゴール地点のテントにいて、色々とレース中の話をしながら5人目を待ちました。(上位表彰は5位まで。) 翌日、正式な表彰式を行うのですが、汗と埃まみれのまま撮った女性アスリート達とのトップ5写真が、一番その日の様子を表していて、お気に入りの一枚となりました。
今年は、日本からこのレースの為にいらっしゃった青山雄一さんとレース前日のエキスポでお会いし、短時間ながらもお話しすることが出来ました。海外選手も毎年多くなってきていますが、日本からDK200参加登録されたライダーは青山さんが初だと思います。完走おめでとうございます!
メインイベントではないものの、DKではDK100やDKXLといった別の距離オプションもあります。他のグラベルレースにも見かけられますが、DKでは女性参加率を更に上げる為、女性グラベルトレーニングキャンプを始めとする、多くの女性ライダー向けイベント活動が積極的に行われており、女性のレース参加者数もとても多いです。グラベルレースは今となっては中西部を始めとする米国中どこかで毎週末行われています。グラベルロードが少ない日本でも、今後少しずつグラベルレースが認知されていくのではと思いますが、もし米国で本場グラベルレース参加予定の方がいらっしゃれば、お会いできるのを楽しみにしています。
2019年グラベルシーズン後半もまだまだ盛沢山で引き続き頑張ります。この夏は、去年休暇が取れず参加断念したレースや、今年が初めての開催になるレースも参加予定ですので、楽しみにしています。そして来年。今年のDK200準備に費やしたトレーニング時間を最低でも確保することが出来れば、2020年のDK200でまたトップを目指して参戦したいと思っています。
所属チーム:パナレーサー/ファクター p/b Bicycle X-Change
パナレーサー/ファクター p/b Bicycle X-Changeは全米でいち早くグラベルレースに焦点を絞り立ち上がったレースチームです。グラベル界で大人気のグラベルキングタイヤを製造している、日本のパナレーサーがタイトルスポンサーです。トレーニングやレースを通して過酷な環境・現場での使用を基に、リアルなフィードバックをさせて頂いています。タイヤ改良と新製品に少しでも携わっていると思うと非常に嬉しく思います。2019年よりファクターがスポンサーとして加わり、オールロード仕様バイクで今年も多くのレースで活躍しています。
現在9名のメンバーで構成されています。
チームキャプテン・オーナー: Bob Cummings
女子エリート: Kae Takeshita
男子エリート: Mat Stephens, Rob Bell, Michael Sencenbaugh, John Borstelmann, Scott Moninger
女子マスターズ: Karen Pritchard
男子マスターズ: Mike Marchand
チームURL
https://www.facebook.com/bicyclexchangegravelteam/
バイクセットアップ
フレーム:ファクター ViSTA all-road カーボンフレーム、スルーアクスル
フォーク:ファクター OTIS-AR
ハンドルバー:ファクター カーボン一体型バーステム(クリップオン設置可能なプロトタイプ、いつもはEVOカーボン一体型バーステム)
シートポスト:ファクター AR
ホイール:ブラックインクThirty カーボン チューブレス
コンポーネント:スラム Red eTap、油圧式ディスクブレーキ
クランク:スラム Quarq
タイヤ:パナレーサー GravelKing SK タイヤ w/パナレーサー Seal Smart シーラント
サドル:セッレイタリア SLR Lady Flow
ペダル:ルック Keo 2 Max Carbon
アタッチメントバー:3T クリップオン エアロバー
バッグ:ダークスピードワークス トップチューブバッグ
サイクルコンピューター:ガーミン Edge 1030
筆者プロフィール 竹下佳映(たけした かえ)
北海道出身。19歳で独り渡米。航空学科専攻、米国FAA飛行士免許取得、卒業後はシカゴでフルタイム就業。グラベルレースに出会ってからは土日祝日休暇を駆使して数々の州へ遠征・レースに参戦するグラベル・エキスパート。2017年よりパナレーサー・ファクター p/b バイシクルエクスチェンジ(当時パナレーサー・スタンズノーチューブ p/b バイシクルエクスチェンジ)に所属。グラベル歴は6年目。秋冬にはシクロクロスもする。
ダーティカンザ(以下DK200)は、世界中でも最も有名なグラベルレースと言えるでしょう。米国カンザス州のフリントヒルズと呼ばれる地域のグラベルロードを、約200マイル(320km)走る過酷なレースです。2006年に参加者たった34人という小さなレースとして始まったDK200は、米国でグラベル人気が沸騰するに伴い毎年大きくなり、2019年には全米中と28か国から抽選で選ばれた2,750人のライダーがカンザス州の小さなエンポリアという町に集結しました。
この一帯は米国中西部の大草原地帯・グレートプレーンズの一部で、昔は野生のバイソンが生息していました。木が殆ど生えてなく、緩やかな丘が視界の届く限り続きます。私が2015年に初めてDK200でフリントヒルズを訪れた時は、延々と続く丘の美しさと開放感にドキドキと興奮しました。生まれも育ちも北海道ですが、土地の大きさ広さのスケールが違い過ぎて比較になりません。
放牧牛が多くいる場所で、皮のブーツを履きカウボーイハットを被り馬に颯爽と乗る本物のカウボーイを見かけることもあります。レース中に放牧牛に道を遮られることもあります。フリントヒルズに見られる「フリント」燧石は切れ味抜群で、先住民が槍や矢の先に使用したそうです。その為(車も例外無く)パンクの確率が異常に上がります。
賞金も出ないレースサポートもつかない、グラベルの根本の部分を大事にしたレースなのにも関わらず、またはそうだからこそ多くのライダーが魅入られるのか、アマチュア選手だけでなくプロ選手も多く参加します。毎年参加者レベルは高くなる一方で、2019年は歴代チャンピオン、ロード・シクロクロス・マウンテンの専業プロ、元・現役UCIワールドツアーライダー、全米代表と、豪華な顔ぶれが集まり、トップ争いは男女共に今までで最もタフな年となりました。こういった様々な背景のライダーが同じレースに集まるのはグラベルだからこそです。
男女共に優勝者には特別に作られたベルトバックルが贈られ、それぞれ「キング・オブ・カンザ」「クイーン・オブ・カンザ」の肩書が与えられます。また各カテゴリー(年齢枠別、シングルスピード、タンデム、ファットバイク)の上位5名も表彰されます。私も女子総合優勝を狙い、何か月もトレーニングを経て心身共に出来る限りの準備を行ってきました。過去数年で培ってきた経験もありますし、今年だけで5月頭までに出場した100~180kmのグラベルレースは十数回。バイクメンテナンスにセットアップも普段から入念に行います。DK200では、ありとあらゆる最悪な事態を想定した上で持ち物を用意する必要があり、携帯するアイテムは通常のロードライドやレースよりずっと多くなります。
グラベルは天候に道路状況が酷く影響されますから、レース2週間前頃には気にし始めるのが天気予報です。オズの魔法使いの主人公ドロシーの故郷の州であるカンザスは、物語通り竜巻で有名な場所です。今年は異常気象の影響か、カンザス州を含めたアメリカ中西部の数州で竜巻が通常より遥かに多い頻度で次々と発生しました。たった12日間に225の竜巻が確認され、タッチダウンした市街地では被害が続出しました。連日の大雨に洪水もあちこちで起こり、レース当日も恐らく酷い泥道になるのではないか、との心配がありました。
数年前にレース当日明け方前に大雨が降った年は、粘土状の泥と化したグラベルがフレーム・車輪・タイヤの至る所にくっつき、車輪が回転せず走行出来なくなり、参加者全員泥で重くなったバイクを何kmも担いで進む、という事態になりました。その年は私のバイクも含む何百というリアディレイラーがコース上で壊れ、途中棄権率も上がりました。「最悪の事態、コース上でシングルスピードに調整して完走する!でも出来れば泥道は走りたくない……。」長期天気予報によると、レース当日前まで数日間の雨の予報となっていましたが、ビックリする程当たらないことが殆どなので「突然に竜巻が発生とかだけは止めてほしい」と思いながら、それ以上は心配しないことにしました。
過去にも、泥沼で何kmも歩いた年の他、風速9m/s向かい風がレース後半を占めた年、高湿度で目が回りそうになった年、嵐でスタートが遅れた年、からりと晴れて湿気も皆無な年、雹・霰が降った年、とあり、結局何が起こるかはレース当日までは分かりません。
レース前日には登録者パケットピックアップと競技説明会があり、普段静かな町は活気に溢れています。泊まった宿舎にはパナレーサーチームの面々がちらほらと集まり始めました。私たちのチームは、9州からの9人のメンバーで構成されていて、全員揃う大きなレースで皆に会えるのをいつもとても楽しみにしています。皆それぞれプレライド後にフレームとパーツを磨いたり、最終的なバイクチェックをしたりします。その後、沢山のブースが集まる屋外エキスポに行き、スポンサーに挨拶をしたり、全米中からの友人と会話を交わし、夕飯を食べて、早くに消灯となります。翌日の朝は6時スタートに向けてかなり早起きです。
レース当日朝6時前、選手と観客・報道関係者がスタートラインでひしめき合います。歴代男女チャンピオンと他の男女優勝候補者と共に最前列コールアップを受けたのは、とても名誉なことでした。自分の右側には元キャノンデール・ガーミンの選手、左側には現トレック・セガフレードの選手、そして現EFエデュケーションファーストの選手が並んでいます。UCIワールドツアーライダーと最前列を共にするなんて、なかなか通常では考えられない状況です。そして皆とてもフレンドリーでした。
町を出るまでは2km半程ニュートラル走行で、舗装道路が未舗装道路に変わるところで先導車はいなくなり、時速35km程のスピードで先頭集団は進み続けました。直ぐに視界が開け、朝日が薄い雲の後ろに上っていくのが右手に見えてとても綺麗でした。大きな砂利が飛び散り、フレームや車輪に当たり更に飛び跳ね、偶に手足に当たるのが痛いです。下手をすると歯に当たって欠けることもあるので気を付けないといけません。
45km地点の最初のテクニカルな部分から先頭でアタックが始まりました。アップダウンも出てきて、段々と先頭集団がばらけて小さくなります。深い轍や酷い凸凹道で早速パンクや落車が起こり、それを上手く避けながら前進します。ダウンヒルの直後に小川が流れていて、その直後は短いが急な登りがありました。拳サイズの石で小川の底は平らではなく、周囲に誰もいなければ上手く乗り切れるものの前にも後ろにも両横にもライダーがいて、前方では既に自転車から降りて走っていたので、私も飛び降りひょいひょいと走りながら小川を渡りました。
DK200の主なルールは、多くは他のグラベルレースと共通する点が多く、全ては自己責任のセルフサポートというのが基本です。以下に基本的なレギュレーションをまとめてみました。参加を考えている人は参考にしてください。
・コースマーキング、コースマーシャル、リードカー、コース上でのサポートは無し。2か所あるチェックポイント(以下CP)でのみ、外部サポートを受けられる。(※CP間で必要な飲食料は全て持参すること。またパンクを始めとするトラブルが起きたら自己対応出来るよう必要な道具も持参する必要がある)
・バイクタイプ・車輪サイズ・タイヤサイズに制限なし。電動バイクは禁止、レース途中でバイクチェンジするのは禁止。
・レース1週間前にウェブサイトにコースが発表された後、道順の書いたキューシートの印刷、GPSへのコースファイルのダウンロードは各自の責任で行う。
・各CPにカット時間までに到達すること。翌日午前3時までに完走すること(※出来なければ完走とみなされない)
・前後ライトを携帯すること。(※日が暮れるまでに完走出来ないのであれば、街灯が皆無で文字通り真っ暗闇になるので、出力の強いライトが無いと、走る先が見えない)
・サポートは参加者の責任でアレンジ。家族・友人・チームなど、サポートが用意出来ない場合は、サポートサービスが購入可能。途中棄権する場合も誰も救出に来ないので、サポートが必要。
今年のコースは、距離は201マイル(322km)、合計の標高差は11450フィート (3490m)となっていました。距離に対する標高差は一見大したことはないですが、綺麗な舗装道路を走るのとは訳が違います。今回コースが敷かれたフリントヒルズ北部のグラベルの具合が例年の南部よりずっと酷いと言われていて、実際のところ正に噂通りでした。私はフリントヒルズ北部は走ったことがありませんでしたが、MMR(ミニマム・メンテナンス・ロード)と呼ばれる文字通りメンテが入らないグラベルロードが例年以上に沢山コースに織り込まれていて、ゴロゴロ・ゴツゴツのフリント石が待ち構えていました。
一つ目のCPは65マイル(104km)地点の小さな町。パナレーサーチームテントを見つけて駆け込み、必要な飲食料を受け取って、直ぐに再出発です。次のCPまで85マイル(136km)あります。CPで掛かる時間はライダーそれぞれなので、同時にCPに到着したとしてもCPから出る時に同じライダーがいるとは限らず、私の場合前方ライダーに追い付くにはかなり距離があり、後ろからは直ぐに誰かが追ってくる様子もありませんでした。特に珍しいことでもなく、どこかで他のライダーと一緒になるだろうから、そうなったら一緒にペースラインを作って走ればいいので、気にせず前進しました。レースはあと何時間も続きます。
予想外だったのは、思った以上にどんどん上がっていく気温です。145km程走った時点での外気温は32℃を超えました。カンザス州で今年初めての真夏日となり、最高気温は天気予報を遥かに上回り36℃以上、体感気温は恐らくそれ以上となりました。
ここ何年も住んでいるイリノイ州シカゴは、この1月末に大寒波による歴史的な低気温を経験し(外気温氷点下32℃、体感気温氷点下45℃)、春の兆しもなかなか訪れず、5月に入っても例年より気温が低く最高気温10~15℃もしばしばでした。ベースレイヤーなしで走ったのは、シカゴから1500km南に位置するテキサス州に4月にレース遠征した時にたった1・2回で、その時でさえ最高気温25℃程でした。いきなり35℃越えはかなりキツかったです。ある地点でガクッとパフォーマンスが下がったのを感じました。勿論他のライダーやグループを見つけて一緒に走るのがベストですが、途中走りながらの嘔吐も何度もあり、ペースダウンすることに。
高気温・高湿度によるライド中の嘔吐は初めてのことではなかったので、パニックを起こすこともなく、経験上ここで下手に焦って無理すべきではないと判断しました。無理するべき時と場所は、この長いレースの中で他にいくらでもあります。まずは完走しなければ結果も何もありません。DK200のような超長距離レースでは、前半良くても、延々と続く道、容赦ない風、火を噴くかと思うような気温等で、身体的ダメージの他、精神的に後半崩れるライダーも多くいます。私は頑固さには自信があるので、必ずカムバック出来ると信じていました。
今回100マイル(160km)と120マイル(192km)地点に設置されていた水道水の補給だけが可能な「オアシス」では、CPと違い外部サポートが受けられないので止まる必要はありません。それでも両方のオアシスで沢山のライダーがいて、ボトルやハイドレーションバックパックに水を詰めていました。マークしている女性選手を気にかけながら、私もそこで最低限必要な分プラスで予備分の水を詰めました。予定していた平均スピードよりも遅く進んでいるのと、万一機材不調で止まって自己修理しないとならない場合、隠れる木陰のない草原の真っただ中のグラベルロードでは、干乾びてしまうからです。
グラベルはサバイバルゲームでもあります。レース当日の朝の時点で予報されていた午後の雷雨は一向に姿を見せる気配はなく、空には雲一つ浮かんでいません。この気温で苦戦したライダーは多くいて、CPやオアシスで長く休憩する選手だけでなく、途中棄権する選手やレース後に病院で点滴を受ける選手もいました。
一日を通して、右に左に次々とフリント石の犠牲者が出ていました。どんなに完璧にバイク・タイヤセットアップを行ったとしても、フリントヒルズのグラベルでは、ラインチョイスを間違ったり、たまたま当たり所が悪いとパンクに繋がります。集団走行でラインが選べない時もありますし、良いラインそのものが無い場合も多くあるので、ある程度運に左右されると言っても過言ではありません。
私もパナレーサー・グラベルキングSKと出会う前のDK200で、チューブレスセットアップで始めたものの立て続けにパンクし、日没後に完走するまでに何度も修理しチューブ6個使った年がありました。特にその頃はグラベル専用タイヤも少なく、パンク無しで完走するのは幸運としか言いようがないように思われました。去年・今年のDK200では、私は一度も大きな故障もパンクも無く走りきることが出来ました。
DK200はレース中盤にもなると、ライダーがコース上で散らばり、ソロか数人走行になることが殆どですが、特に今年は、例年以上のガレ斜面アップダウンと高気温でペースを合わせるのが難しく、ソロ走行が目立った気がします。(そのことをレース後に報道記者のうちの一人に話すと、全く同じ答えが返ってきました)
洪水を引き起こす程続いた大雨が地表を削り、急な斜面がまるで裂けて割れてしまったような状態の砂利道や、転倒を引き起こすような深い轍もありました。大きな砂利がザクザクしている登りでは、ちょっと間違えるとタイヤが空回りしてグリップを失うこともあり、自転車から降り小走りするライダーも見られました。珍しく木が密集して生え川が流れている場所では、川に浸かって涼んでいるライダーもいました。そのまま自転車で渡れる浅く小さな川から、バイクから降りて渡った大き目の川までありましたが、シューズに入ってくる水が冷たくて気持ち良かったです。
195km過ぎた辺りからかなり調子が戻ってきて、巻き返しタイムです。前に抜かれたライダーを次々に抜き返し、前方女性ライダーを追い越し、一緒にいた女性ライダーもガレの酷いテクニカルな部分で引き離し、151マイル(242km)地点にある最後のCPに到着しました。ボトル一本飲み干し、吐き出す気配はゼロで体調もよし。最後の50マイル(80km)に必要な飲食物を詰め込んで、再出発です。
一部追い風があったのもあり、かなり快調に進み35kmあっという間に過ぎました。その間にも、数時間前に勢いよく抜かしていったライダーを抜き返したり、パンク修理しているライダーを見かけたりしました。自分の前にいるだろう女性ライダーの数を頭の中で整理し、どれだけタイム差があるのかは不明でしたが、それでも最後の最後まで結果が分からないのがグラベルレースです。今までの他のレースでも、最後の1時間や最終数kmで勝利逆転したり、6~8時間以上のバトルの末スプリントフィニッシュに持ち込んだりと、様々な状況を経験しています。ひたすら前進あるのみです。
180マイル(288km)地点で、お待ちかねの「チェース・ザ・チェイス(Chase The Chaise)」を発見しました。去年から、国内の幾つかのグラベルレースに現れるようになったベルベットのチェイスラウンジソファ。長距離レースのかなり後半の何もないところに現れ、止まれば好きなポーズでプロ写真を撮影してもらえます。過酷なレースを完走出来るライダーのみが座れる訳です。アドベンチャーライディングで有名なサルサ・サイクルズのスタッフが、レース中の楽しい思い出を残すのに何かいいアイディアは無いかと考えた末、グラベルロードを走っている最中に全く予期していないものを、と始めたチェース・ザ・チェイスがグラベルライダー間で大ヒット。
実際、このアイディアが初めて使われた2018年春のオクラホマ州でのレースでは、何故に深紅のチェイスラウンジが道のど真ん中に出現したのか咄嗟に理解できずスルーしてしまいました(苦笑)。その後は、表彰台争いの競争相手と一緒に座ってパチリ、リーダーを追っていても10秒止まってポーズ、と忘れることはありません。止まる止まらないはその人次第ですが、こういう遊び心があってこそのグラベルです。勿論先を急いでいる訳ですが、今回もぱっと止まって写真を撮ってもらいました。
残った30kmはやっと道が平坦になり、エンポリアに向かって走るだけです。最後の1-2kmでも何人か捕まえした。舗装道路になってから、大学のキャンパスに続くコース最後の登り道を超え、キャンパスから町のメインの通りに入ります。アナウンサーの声が聞こえ始め、大勢の人がフィニッシュラインの両側で大声援と共に迎えてくれました。長いようであっと言う前に過ぎてしまった12時間半走行の末、私の結果は、女子総合4位、年齢枠別2位、男女総合57位でした。
少し前に完走した女子選手もゴール地点のテントにいて、色々とレース中の話をしながら5人目を待ちました。(上位表彰は5位まで。) 翌日、正式な表彰式を行うのですが、汗と埃まみれのまま撮った女性アスリート達とのトップ5写真が、一番その日の様子を表していて、お気に入りの一枚となりました。
今年は、日本からこのレースの為にいらっしゃった青山雄一さんとレース前日のエキスポでお会いし、短時間ながらもお話しすることが出来ました。海外選手も毎年多くなってきていますが、日本からDK200参加登録されたライダーは青山さんが初だと思います。完走おめでとうございます!
メインイベントではないものの、DKではDK100やDKXLといった別の距離オプションもあります。他のグラベルレースにも見かけられますが、DKでは女性参加率を更に上げる為、女性グラベルトレーニングキャンプを始めとする、多くの女性ライダー向けイベント活動が積極的に行われており、女性のレース参加者数もとても多いです。グラベルレースは今となっては中西部を始めとする米国中どこかで毎週末行われています。グラベルロードが少ない日本でも、今後少しずつグラベルレースが認知されていくのではと思いますが、もし米国で本場グラベルレース参加予定の方がいらっしゃれば、お会いできるのを楽しみにしています。
2019年グラベルシーズン後半もまだまだ盛沢山で引き続き頑張ります。この夏は、去年休暇が取れず参加断念したレースや、今年が初めての開催になるレースも参加予定ですので、楽しみにしています。そして来年。今年のDK200準備に費やしたトレーニング時間を最低でも確保することが出来れば、2020年のDK200でまたトップを目指して参戦したいと思っています。
所属チーム:パナレーサー/ファクター p/b Bicycle X-Change
パナレーサー/ファクター p/b Bicycle X-Changeは全米でいち早くグラベルレースに焦点を絞り立ち上がったレースチームです。グラベル界で大人気のグラベルキングタイヤを製造している、日本のパナレーサーがタイトルスポンサーです。トレーニングやレースを通して過酷な環境・現場での使用を基に、リアルなフィードバックをさせて頂いています。タイヤ改良と新製品に少しでも携わっていると思うと非常に嬉しく思います。2019年よりファクターがスポンサーとして加わり、オールロード仕様バイクで今年も多くのレースで活躍しています。
現在9名のメンバーで構成されています。
チームキャプテン・オーナー: Bob Cummings
女子エリート: Kae Takeshita
男子エリート: Mat Stephens, Rob Bell, Michael Sencenbaugh, John Borstelmann, Scott Moninger
女子マスターズ: Karen Pritchard
男子マスターズ: Mike Marchand
チームURL
https://www.facebook.com/bicyclexchangegravelteam/
バイクセットアップ
フレーム:ファクター ViSTA all-road カーボンフレーム、スルーアクスル
フォーク:ファクター OTIS-AR
ハンドルバー:ファクター カーボン一体型バーステム(クリップオン設置可能なプロトタイプ、いつもはEVOカーボン一体型バーステム)
シートポスト:ファクター AR
ホイール:ブラックインクThirty カーボン チューブレス
コンポーネント:スラム Red eTap、油圧式ディスクブレーキ
クランク:スラム Quarq
タイヤ:パナレーサー GravelKing SK タイヤ w/パナレーサー Seal Smart シーラント
サドル:セッレイタリア SLR Lady Flow
ペダル:ルック Keo 2 Max Carbon
アタッチメントバー:3T クリップオン エアロバー
バッグ:ダークスピードワークス トップチューブバッグ
サイクルコンピューター:ガーミン Edge 1030
筆者プロフィール 竹下佳映(たけした かえ)
北海道出身。19歳で独り渡米。航空学科専攻、米国FAA飛行士免許取得、卒業後はシカゴでフルタイム就業。グラベルレースに出会ってからは土日祝日休暇を駆使して数々の州へ遠征・レースに参戦するグラベル・エキスパート。2017年よりパナレーサー・ファクター p/b バイシクルエクスチェンジ(当時パナレーサー・スタンズノーチューブ p/b バイシクルエクスチェンジ)に所属。グラベル歴は6年目。秋冬にはシクロクロスもする。
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