2019/05/23(木) - 13:12
自転車と鉄道、二つを愛する「テツ店長」ことバイクプラス多摩センターの河井孝介さんの輪行サイクリング紀行。20回目の記念号ということで、再び輪界のテツトリオが集ったツーリングのレポートが届きました。
みなさんこんにちは!早いもので、不定期連載のテツ店長の輪行紀行も20回目の掲載となりました。これもひとえに読者の皆様の支えがあってのことと、心よりお礼を申し上げます(^^)ゝ
2019年4月で平成の時代も終わりましたが、鉄道の世界でもまた今年もいろいろなものが終焉を迎えることになりました(涙)。そんな失われゆく鉄道風景を、この場を借りて永久保存するというのが、この連載の密かなミッションなのですが、今回もまたそんな消えゆく風景を求めてサイクリングに行ってきました。
今回は連載20回記念という節目でもあり、きっと同じ思いを抱いているであろう仲間達にも声をかけて、2019年3月にテツ店長のサイクリング紀行史上2回目のグループライドに出かけることと相成りました。
参加メンバーは、以前の連載10~11回目でも一緒に遊んだ(走った)、"ナカジ"ことKINANサイクリングチーム所属の中島康晴選手と、シクロワイアード編集部の"イソベ"とテツ店長の3名!いずれ劣らぬ鉄道愛にあふれたメンバーによる、3両編成での珍道中レポートをお届けしていきますので、心いくまでお楽しみください(笑)
じつは今回のサイクリングにあたっては天気に翻弄されまして、直前になって大幅に予定を変更しての実施という波乱の幕開けとなりました。当初の計画では新潟集合~長野~群馬解散の予定で計画していたのが、週間予報では当日の予報では新潟雨&長野雪と出ていたため気が気ではありません!直前になっても天候が回復する気配もなく、結局前々日になって愛知集合~長野~新潟解散のプランBに計画変更のやむなきに至ったのでした(泣)
しかし、そんな直前での予定変更にもかかわらず、ここは精鋭揃いのテツトリオ!連絡を受けると各自集合場所への到着時刻をさっと再計算して、スムーズに次の行動予定を立ててくれたのは本当に心強い限りでした(笑)
そんなバタバタのスタート前ではありましたが、せっかく行くなら集合地点の豊橋までの長距離移動も楽しんでしまおう!ということで、前から狙っていた東海道本線のとある列車をお目当てに、自転車を担いでの乗り鉄旅に出かけました。
もちろん今回も"青春18きっぷ"の旅なので、豊橋までは新幹線ではなく東海道本線をひたすら西に向かうという、通常なら避けて通りたくなる修行コースですが、今回はとっておきの列車を見つけたので、それに乗って安くて快適な旅を満喫しようという計画に心が踊ります!
集合前日の午後にのんびりと出発して、まずやってきたのは静岡県の沼津駅!ここからお目当ての"ホームライナー浜松"に乗車します。この列車は普通列車扱いではありながら、使用される車両はJR東海の現役特急型車両373系で、乗車整理券(座席指定券)¥320さえ購入すれば"青春18きっぷ"でも乗車できる乗り得列車なのです!
しかも!沼津~浜松間をホームライナーとして走った後は、そのまま普通列車となって豊橋まで走り続けてくれるという、まさに18きっぱーにとっては夢のような列車で、最初に見つけた時にはこれは何かの間違いではないか?、と思わず時刻表を二度見してしまいました(汗)
ふだんはじっと我慢を強いられる東海道本線のJR東海区間で、タイムスリップしたような在来線特急の旅気分に浸れるという(しかも18きっぷで!)、それはそれは乗り鉄冥利につきる2時間15分は、あっという間に過ぎ去って、気づいたら豊橋駅に到着していたというありさまなのでした。
興奮冷めやらぬ中、夜の豊橋駅に降り立つとそこは本降りの雨…まあ天気が悪いのは予報通り。気を取り直して夕飯でもと、駅ビル内で名物の"豊橋カレーうどん"をいただいていくことに…。
注文して出てきたのは一見何の変哲もないカレーうどんでしたが、食べ進めていくとこれがスゴイ!なんと、カレー汁の下にはとろろの層があり、その下に白いご飯が隠れているという、一粒で二度おいしいというか、どういう意図でこのような内容になったのか、なかなか興味深いメニューなのでした。それでも長いこと地元民に支持されているB級グルメなので、お味の方は納得の美味さなのは言うまでもありません(笑)
もろもろのお目当てを消化して満足のいくプロローグの最後は、これまた人生初体験の路面電車輪行で締めくくることとしましょう!じつは今回予約していた宿が駅から少し離れていて、雨さえ降っていなければ歩いて行くつもりでしたが、さすがにこの雨ではずぶ濡れ必至なので、豊橋駅前から出ている豊橋鉄道市内線で最寄りの停留場まで移動することにした次第。
路面電車と言っても車内はバス程度の広さなので、積み込みは少々緊張しましたが、夜遅くで空いていたこともあり、特に問題なく初の路面電車輪行は成功。ほとんど濡れる事も無く無事にお宿までたどり着くことが出来たのでした。
さて翌朝には雨も止み、豊橋市内は晴れ間もさす天候に回復しましたが、果たして予定時刻に全員集合できるのか?こちらは前泊だったので余裕を持って集合地点の豊橋駅にやって来て、性懲りもなくホームで電車の写真を撮っていると、背後から「河井さーん!」という声が…
振り返った先にいらっしゃったのは、"キナンサイクリングチームの眼鏡"こと中島康晴選手ではないですか!お久しぶりでございます。しかしながら同好の士とはいえ無防備にマニア活動中のところを目撃されるのはやはり少々恥ずかしいものがあります(汗)。そして予定していた電車の出発まで5分を切ったころに編集部イソベも合流。何とか無事に全員集合することが出来ました!
そんなこんなで定刻の8:11に豊橋駅を出発した飯田線の電車に乗って、一同はサイクリングのスタート地点である"本長篠駅"まで1時間少々の乗り鉄旅を楽しむことに。
豊橋駅を出てしばらくは混雑していた車内も都会を離れるにつれてだんだんと空いてきました。空いている席について、軽くコースの打ち合わせなどもしながらの雑談をしているうちに列車は下車駅の"本長篠駅"に到着しました。
今回はかつてここから延びていた豊橋鉄道・田口線の廃線跡をサイクリングしようという計画です。その昔は接続駅として栄えていたのだろうなと思わせる比較的広い駅構内でしたが、駅から一歩外に出るとそこはどこにでもある地方の閑散とした無人駅でした。
とりあえず駅舎となりの空き地で自転車を組み立てて準備をすすめていましたが、あらためて観察してみるとどうも我々のいるこの場所こそが、廃線となった田口線のホームだった模様。いきなりタイムスリップしたようで気持ちも昂りますが、全員の準備ができたところでいざ出発しましょう!
じつはこの田口線は今年で廃線から50周年だそうですが、これがちょうど自分が生まれた年と同じというめぐり合わせで、なにやら因縁めいたものを感じつつ、半世紀の歴史を辿る旅はスタートしたのでした。
本長篠駅をスタートして少しだけ飯田線沿いの道路をすすむと、本線から分かれて北上していく田口線の廃線跡と思われる道路が現れました。道路のカーブや傾斜具合からしていかにも廃線敷といった雰囲気があり、これは!と全員が目を合わせてニヤリとする瞬間です。廃線敷の道路に入るとすぐに満開の河津桜の並木が現れ、なにやら田口線に歓迎されているような気がして、ますます気分が盛り上がる一同なのでした。
さて、ここからが廃線巡り本番といったところですが、走り始めると道路沿いの遺構探しに余念がありません。道路は地形に沿ってアップダウンしますが、鉄道は上り下りが苦手なので、谷には橋を渡したり、山にはトンネルを掘ったりしながら、できるだけなだらかなコースを選んですすんでゆくため、しばしば線路跡を見失ってしまうのです(汗)。
なので線路跡が車道から離れて行くと、こちらも横道に入って廃線敷を探索する事になるため、なかなか前にすすんで行けないのですが、そんな人里離れた場所にこそ発見があったりするのだから廃線巡りはやめられない(笑)
そんな前方監視中、少し離れた先で山の斜面に土を盛ったダムのようなものを発見!これはということで近づいてみると、それはトンネルとトンネルの間をまっすぐつなぐための築堤でした!!築堤上の路盤跡は前日からの雨でぬかるんだ状態ではありましたが、ここはディスクロードの本領発揮ということで、この日のために新調したバイクでテツ店長が泥道に突撃敢行!
ぬかるみを過ぎ、荒々しい素掘りのトンネルを抜けるとそこには…。森の中にポツンと駅ホームが佇んでいました。まるでこの世から離れた異空間に迷い込んでしまったようでした(汗)
これぞまさに廃線巡りの醍醐味と言える見事な光景にすっかり見入ってしまいました…。50年前の時代に思いを馳せていると、どうにも離れがたい気持ちになりますが、まだ先は長いので戻って前にすすんでゆきましょうか。
ここから3km足らず走った先に"鳳来寺"というお寺があり、ここにもかつて田口線の駅があったそうで、駅跡にはそれを示す標識も立っていました。現在は広場兼駐車場といったスペースとなっていますが、ここから延びる参道には古い建物が並んでおり、その昔は賑わっていたことが伺えます。
そんな参道入り口にある茶店の店頭で"五平餅"を焼いているところをイソベが発見!「ここでちょっと休憩してゆきません?」という甘い言葉に乗っかって店内に入ってみると、そこには現役当時の田口線の写真が数多く飾ってあり、当時の模様を活き活きと伝えてくれていました。
そうこうして楽しんでいると、注文していた"五平餅"が焼き上がって出てきました!ほんのり甘い味噌ダレがからんだ五平餅と、その甘みを引き立てる漬物の組み合わせが絶妙で、おもわずおかわりをしてしまいたくなる誘惑に駆られそうになりました(笑)
そんな待ち時間中にお店の方にお話を伺ったところ、店頭で五平餅を焼いていたおばあちゃん、じつは現役当時の写真にも写っていた鳳来寺駅長の奥様だったのです!50年前の記憶も鮮明で、駅のあった場所から当時の様子までいろいろとお話をしていただきました。
素敵なお話を聞くことが出来、田口線のイメージがより鮮明になったところで、ふたたび廃線巡りの旅を続けましょう!
鳳来寺の先では、一部廃線敷が自転車専用道となっている区間もあり、県道と並走する車道もほとんどクルマが通る事も無く快適なサイクリングが楽しめます。
途中で見つけた廃線らしきトンネルが出てきては止まって偵察を行なったり、川岸の岩盤をぶち抜いて作られた荒々しいトンネルの造形に見とれたりと、魅惑的なものが多過ぎてなかなか先に進めないのがタマに傷ですが、それそれで楽しいので良しとしましょう(笑)
廃線敷に沿って川を遡って行くと、だんだんと山が近づいてきました!いよいよ谷が深くなってきたところで、工事現場のような場所に出ると、そこがどうやら終点の"三河田口駅"のあった場所のようです。
工事現場の事務所?のプレハブ小屋の脇に当時の写真も入った解説板もありました。ここでは現在ダム工事がすすめられており、そう遠くないうちにこの場所も水没してしまうそうで、残念でなりません(涙)
そんな建設現場感ありありの殺風景な場所ですが、道路から一段下った目立たないところに、もと"三河田口駅"のホームが現存していました!よく観察するとホーム上面の波打った感じがさきほどの解説板に載っていた写真と同じで、当時の風景が立体的に目に浮かび上がってきます。
田口線はここ奥三河の山深い場所が終点となっていましたが、当時はこの先に田口森林鉄道と呼ばれる軽便鉄道が連絡していたそうです。もともとこの地域は森林資源が豊富で、田口線もここからの木材輸送を目的に敷設された経緯もあり、木材搬出の拠点として昭和初期から中期にかけてはにぎわっていたそうです。
前々回の三重編にも登場しましたが、軽便鉄道は線路の幅が狭く、直接田口線に乗り入れることは出来なかったため、ここ三河田口駅では貨物の積み替えを行うための広い敷地があったそうですが、今となってはその痕跡も皆無で、当時を彷彿させる遺構は唯一このホームだけなのでした。
廃線巡りはここで一段落となりますが、ここから約2km離れた田口市街には田口線で実際に走っていた車両が保存展示されているということなので、次はそちらに行ってみることにしましょう!
豊川沿いの谷底に立地していた"三河田口駅"と市街地の間には距離にして約2km、さらに150mほどの高低差もあり、お世辞にも便利な立地であったとは言えません。
鉄道を敷設するにあたって、地元住民からは市街地に駅を設置してほしいという要望はあったそうですが、高低差の問題と、当時盛んだった林業の木材搬出の利便が優先されたこともあって、市街地から離れたこの場所に駅が置かれることとなり、その代わりに市街地と駅の間は、1932年の開通当初から連絡バスで結ばれていたそうです。
そんな谷にへばりつくように敷かれた上り坂を、ナカジに牽いてもらいながら上って市街地に入り、そこからさらに丘を上った先にある"奥三河総合センター"の敷地内までくると、屋根付き駐車場?の下に、お目当てだった田口線の電車が静かに鎮座していました。
無骨な箱型車体に、前面三枚窓の顔がいかにも昔の電車といった風情で、この日走ってきたコースの風景とこの車両を重ね合わせた姿を想像すると、アタマの中で古き昭和の時代が蘇ってくるようです。
そんな保存車両でしたが、残念ながら扉にはカギがかかっていて、車内に入ることは叶いませんでした。しかし、電車の回りには特に囲いもなかったので、代わりに?近寄って存分に電車とのスキンシップを楽しませてもらいました(笑)
しばし童心に帰って遊んでいた鉄トリオでしたが、そうこうしているうちに急激に空模様が怪しくなってきましたよ!ほどなくして、ぽつぽつと雨粒が落ちてきたと思ったら、あっという間に本降りの雨に…(汗)
慌てて近くにあった役場の建物に駆け込んで雨宿りさせてもらいましたが、雨雲レーダーを見ると局所的な雨でしばらく待てば雨は過ぎ去りそうなのと、ちょうどお昼時でもあったので、すぐ近くにあった喫茶店までダッシュして、昼食をとりながら雨上がりを待つことにしました。
いかにも古くから地元民に愛されていると言った風情の喫茶店でしたが、お食事メニューも豊富だったので、この足止め時間を利用してガッツリ燃料補給を行い、後半の行動に備えることにします。
昼食も終わり雨が上がるのを待っていると、ナカジから「ボク、次のレースが近いので、この先の駅(と言ってもかなり先)までトレーニングがてら走って行こうと思います」という申し出がありました。さすがプロサイクリスト!こんな時でもストイック!!と感動を覚えつつも、この先どこで合流するか、時刻表と地図を引きながらしばし作戦会議をしているうちに雨も上がってきました。
そろそろ次に乗車予定の電車の時間も気になってきたところでもあり、さっさとお店を出て出発準備をしていましたが、気になるのはナカジの背負う大きなバックパック…。
これから過酷な山岳トレーニングに出かけるナカジには少しでも質の高いトレーニングをしてもらいたい!との思いで、一足先に山を下りるテツ店長とイソベでお荷物は持って行かせて頂く事としましたが、結局は若手のイソベに荷物を押し付け、少々時間的にキビシイ状況下で飯田線の最寄り駅までのタイムトライアルに臨んだのでした。
ここから駅までは距離にして約23kmですが、いかんせん持ち時間は1時間少々ということで、自転車をたたむ時間も考慮するとなかなかタイトなスケジュールであることは間違いありません!ここからは一心不乱に走り続けて、一路"東栄駅"を目指しましたが、バックパックを二個背負って激走するイソベの後ろ姿は、まさに雄姿と言うにふさわしい光景でした(涙)
基本下り基調なコースだったのと集中していたのもあり、気づくと目の前の信号機に"東栄駅北口"の標識があって拍子抜けしたのですが、結局は10分以上の余裕を持って駅に到着することができて良かった(笑)
到着と同時にふたたび雨も降り出し、なかなか幸運なうちにサイクリングを終えることもでき、あとは自転車をバラして輪行の準備を整えると、間もなくお迎えの列車がやって来ました!
ここからはたっぷりと乗り鉄の旅を楽しむことにしましょう!ところでこの飯田線という路線、一見ただの影の薄いローカル線に見えますが、テツ界隈ではローカル線の王様として崇められる、かな~りディープな路線なのでございます(笑)
路線距離は195.7kmと長大で、駅数は何と94駅もあり、普通列車で全線走破するのに7時間以上かかるというのですから、これはもう乗り鉄にはたまりません!
ちなみに乗車した東栄駅から列車の終点岡谷駅までは軽く4時間半はかかるので、とりあえず乗車したワタシとイソベは明るいうちは前面展望を楽しみながら、日が暮れたあとは、ひとり1ボックスシートを貸し切ってのんびりと休養に努めていました。そんなローカル線旅を満喫している二人をよそに、ナカジはひとり中央アルプスの山々と闘っていたようでしたが…。
予想よりだいぶ早く、合流予定地である長野県の"飯田駅"にたどり着いたとの報が入りホッとしましたが、電車の我々より1時間以上早く到着してしまったという事実に、プロ選手の底力を垣間見たような気がします。
いかに飯田線の停車駅が多く、速度制限も厳しくて遅いとは言え、獲得標高1500mに迫ろうかと言う山岳コースの70kmをあっと言う間に駆け抜けてしまう脚力ってやっぱりスゴい…。
ちなみに、ナカジはこの直後に出場した5日間のステージレース”ツールド台湾2019"に出場して大活躍!そこで総合ポイント賞を獲得するという快挙を成し遂げるのですが、この時の我々はまだ知る由もありません。(https://kinan-cycling.com/news/report/4542.html)
この時の練習が少しでも役に立っていればうれしい限りなのですが…。それにしても、遊びも仕事も全力で取り組むその姿勢、ワタシもこれからしっかりと見習っていきたいと思います(笑)
マイペースで進んできた列車でしたが、すっかり暗くなった飯田駅のホームに到着して扉が開くと、そこにさきほど別れたナカジが涼しい顔で立っているという光景は、ちょっぴりシュールで味わい深いものがあります(笑)
とりあえず再会を祝いふたたび3人衆となりましたが、ナカジの乗車した"飯田駅"はまだ中間地点なので、ここからまだ2時間以上列車の旅が続きます。まあ長いと言えば長いですが、車内は快適だし鉄道好きの鉄トリオにとってはこの上なく楽しい時間ではあります(笑)
ナカジが乗車前に買い出ししておいてくれた食料を肴にして、(主に)鉄道や自転車の話題で楽しく盛り上がっているうちに、遠路はるばる我々を運んできてくれた飯田線の237M列車は定刻に終点の"岡谷駅"に到着しました。
ホームへ出ると外はけっこうな雪で寒いことこの上ないワケですが、この日はダイヤ改正前ということもあり、もうすぐ無くなってしまう"E257系あずさ号"や駅ホーム上にある"スーパーあずさ"や"はまかいじ"、はたまた"自由席"といった列車案内の標識などを忙しくチェックして動き回っているうちに、この日最後に乗車する中央本線の"長野行"普通列車がやってきました。
ここからさらに約30分電車に揺られて"松本駅"まで来たら、ようやくこの日のミッションは終了。
自転車より電車に乗っている時間が圧倒的に長いのはこの連載のお約束ですが、仲間と一緒に一日たっぷりと遊んだ心地良い疲労感で幸せなに気分につつまれながら、この日は早々にお休みしたのでした。
明日は早朝からの乗り鉄活動です!今回これだけは乗り納めておかねばならないあの列車のためにメンバー達は集結したと言っても過言ではない、重要ミッションが待っているのです!二日目も鉄分過剰で飛ばしてゆくので、読者の皆さまもお乗り遅れにならないようご注意ください(笑)
それでは後半へ続きます。
旅する人 河井孝介プロフィール
バイクプラス多摩センターの店長を務める50歳。前職で足かけ10年にわたる勤務を鉄道の無い(モノレール除く)沖縄県で過ごした反動からか、帰京後は輪行サイクリングの虜となり、現在は鉄道と自転車を組み合わせ、鉄道廃線跡や未成線など鉄道の歴史を辿るサイクリングをライフワークとする。鉄道趣味のジャンルは「乗り鉄」。旧国鉄型車両を心から愛し、ひそかにJR全線乗車にチャレンジ中。非常勤の防衛省職員である予備三等陸曹の身分も合わせ持っている。
みなさんこんにちは!早いもので、不定期連載のテツ店長の輪行紀行も20回目の掲載となりました。これもひとえに読者の皆様の支えがあってのことと、心よりお礼を申し上げます(^^)ゝ
2019年4月で平成の時代も終わりましたが、鉄道の世界でもまた今年もいろいろなものが終焉を迎えることになりました(涙)。そんな失われゆく鉄道風景を、この場を借りて永久保存するというのが、この連載の密かなミッションなのですが、今回もまたそんな消えゆく風景を求めてサイクリングに行ってきました。
今回は連載20回記念という節目でもあり、きっと同じ思いを抱いているであろう仲間達にも声をかけて、2019年3月にテツ店長のサイクリング紀行史上2回目のグループライドに出かけることと相成りました。
参加メンバーは、以前の連載10~11回目でも一緒に遊んだ(走った)、"ナカジ"ことKINANサイクリングチーム所属の中島康晴選手と、シクロワイアード編集部の"イソベ"とテツ店長の3名!いずれ劣らぬ鉄道愛にあふれたメンバーによる、3両編成での珍道中レポートをお届けしていきますので、心いくまでお楽しみください(笑)
じつは今回のサイクリングにあたっては天気に翻弄されまして、直前になって大幅に予定を変更しての実施という波乱の幕開けとなりました。当初の計画では新潟集合~長野~群馬解散の予定で計画していたのが、週間予報では当日の予報では新潟雨&長野雪と出ていたため気が気ではありません!直前になっても天候が回復する気配もなく、結局前々日になって愛知集合~長野~新潟解散のプランBに計画変更のやむなきに至ったのでした(泣)
しかし、そんな直前での予定変更にもかかわらず、ここは精鋭揃いのテツトリオ!連絡を受けると各自集合場所への到着時刻をさっと再計算して、スムーズに次の行動予定を立ててくれたのは本当に心強い限りでした(笑)
そんなバタバタのスタート前ではありましたが、せっかく行くなら集合地点の豊橋までの長距離移動も楽しんでしまおう!ということで、前から狙っていた東海道本線のとある列車をお目当てに、自転車を担いでの乗り鉄旅に出かけました。
もちろん今回も"青春18きっぷ"の旅なので、豊橋までは新幹線ではなく東海道本線をひたすら西に向かうという、通常なら避けて通りたくなる修行コースですが、今回はとっておきの列車を見つけたので、それに乗って安くて快適な旅を満喫しようという計画に心が踊ります!
集合前日の午後にのんびりと出発して、まずやってきたのは静岡県の沼津駅!ここからお目当ての"ホームライナー浜松"に乗車します。この列車は普通列車扱いではありながら、使用される車両はJR東海の現役特急型車両373系で、乗車整理券(座席指定券)¥320さえ購入すれば"青春18きっぷ"でも乗車できる乗り得列車なのです!
しかも!沼津~浜松間をホームライナーとして走った後は、そのまま普通列車となって豊橋まで走り続けてくれるという、まさに18きっぱーにとっては夢のような列車で、最初に見つけた時にはこれは何かの間違いではないか?、と思わず時刻表を二度見してしまいました(汗)
ふだんはじっと我慢を強いられる東海道本線のJR東海区間で、タイムスリップしたような在来線特急の旅気分に浸れるという(しかも18きっぷで!)、それはそれは乗り鉄冥利につきる2時間15分は、あっという間に過ぎ去って、気づいたら豊橋駅に到着していたというありさまなのでした。
興奮冷めやらぬ中、夜の豊橋駅に降り立つとそこは本降りの雨…まあ天気が悪いのは予報通り。気を取り直して夕飯でもと、駅ビル内で名物の"豊橋カレーうどん"をいただいていくことに…。
注文して出てきたのは一見何の変哲もないカレーうどんでしたが、食べ進めていくとこれがスゴイ!なんと、カレー汁の下にはとろろの層があり、その下に白いご飯が隠れているという、一粒で二度おいしいというか、どういう意図でこのような内容になったのか、なかなか興味深いメニューなのでした。それでも長いこと地元民に支持されているB級グルメなので、お味の方は納得の美味さなのは言うまでもありません(笑)
もろもろのお目当てを消化して満足のいくプロローグの最後は、これまた人生初体験の路面電車輪行で締めくくることとしましょう!じつは今回予約していた宿が駅から少し離れていて、雨さえ降っていなければ歩いて行くつもりでしたが、さすがにこの雨ではずぶ濡れ必至なので、豊橋駅前から出ている豊橋鉄道市内線で最寄りの停留場まで移動することにした次第。
路面電車と言っても車内はバス程度の広さなので、積み込みは少々緊張しましたが、夜遅くで空いていたこともあり、特に問題なく初の路面電車輪行は成功。ほとんど濡れる事も無く無事にお宿までたどり着くことが出来たのでした。
さて翌朝には雨も止み、豊橋市内は晴れ間もさす天候に回復しましたが、果たして予定時刻に全員集合できるのか?こちらは前泊だったので余裕を持って集合地点の豊橋駅にやって来て、性懲りもなくホームで電車の写真を撮っていると、背後から「河井さーん!」という声が…
振り返った先にいらっしゃったのは、"キナンサイクリングチームの眼鏡"こと中島康晴選手ではないですか!お久しぶりでございます。しかしながら同好の士とはいえ無防備にマニア活動中のところを目撃されるのはやはり少々恥ずかしいものがあります(汗)。そして予定していた電車の出発まで5分を切ったころに編集部イソベも合流。何とか無事に全員集合することが出来ました!
そんなこんなで定刻の8:11に豊橋駅を出発した飯田線の電車に乗って、一同はサイクリングのスタート地点である"本長篠駅"まで1時間少々の乗り鉄旅を楽しむことに。
豊橋駅を出てしばらくは混雑していた車内も都会を離れるにつれてだんだんと空いてきました。空いている席について、軽くコースの打ち合わせなどもしながらの雑談をしているうちに列車は下車駅の"本長篠駅"に到着しました。
今回はかつてここから延びていた豊橋鉄道・田口線の廃線跡をサイクリングしようという計画です。その昔は接続駅として栄えていたのだろうなと思わせる比較的広い駅構内でしたが、駅から一歩外に出るとそこはどこにでもある地方の閑散とした無人駅でした。
とりあえず駅舎となりの空き地で自転車を組み立てて準備をすすめていましたが、あらためて観察してみるとどうも我々のいるこの場所こそが、廃線となった田口線のホームだった模様。いきなりタイムスリップしたようで気持ちも昂りますが、全員の準備ができたところでいざ出発しましょう!
じつはこの田口線は今年で廃線から50周年だそうですが、これがちょうど自分が生まれた年と同じというめぐり合わせで、なにやら因縁めいたものを感じつつ、半世紀の歴史を辿る旅はスタートしたのでした。
本長篠駅をスタートして少しだけ飯田線沿いの道路をすすむと、本線から分かれて北上していく田口線の廃線跡と思われる道路が現れました。道路のカーブや傾斜具合からしていかにも廃線敷といった雰囲気があり、これは!と全員が目を合わせてニヤリとする瞬間です。廃線敷の道路に入るとすぐに満開の河津桜の並木が現れ、なにやら田口線に歓迎されているような気がして、ますます気分が盛り上がる一同なのでした。
さて、ここからが廃線巡り本番といったところですが、走り始めると道路沿いの遺構探しに余念がありません。道路は地形に沿ってアップダウンしますが、鉄道は上り下りが苦手なので、谷には橋を渡したり、山にはトンネルを掘ったりしながら、できるだけなだらかなコースを選んですすんでゆくため、しばしば線路跡を見失ってしまうのです(汗)。
なので線路跡が車道から離れて行くと、こちらも横道に入って廃線敷を探索する事になるため、なかなか前にすすんで行けないのですが、そんな人里離れた場所にこそ発見があったりするのだから廃線巡りはやめられない(笑)
そんな前方監視中、少し離れた先で山の斜面に土を盛ったダムのようなものを発見!これはということで近づいてみると、それはトンネルとトンネルの間をまっすぐつなぐための築堤でした!!築堤上の路盤跡は前日からの雨でぬかるんだ状態ではありましたが、ここはディスクロードの本領発揮ということで、この日のために新調したバイクでテツ店長が泥道に突撃敢行!
ぬかるみを過ぎ、荒々しい素掘りのトンネルを抜けるとそこには…。森の中にポツンと駅ホームが佇んでいました。まるでこの世から離れた異空間に迷い込んでしまったようでした(汗)
これぞまさに廃線巡りの醍醐味と言える見事な光景にすっかり見入ってしまいました…。50年前の時代に思いを馳せていると、どうにも離れがたい気持ちになりますが、まだ先は長いので戻って前にすすんでゆきましょうか。
ここから3km足らず走った先に"鳳来寺"というお寺があり、ここにもかつて田口線の駅があったそうで、駅跡にはそれを示す標識も立っていました。現在は広場兼駐車場といったスペースとなっていますが、ここから延びる参道には古い建物が並んでおり、その昔は賑わっていたことが伺えます。
そんな参道入り口にある茶店の店頭で"五平餅"を焼いているところをイソベが発見!「ここでちょっと休憩してゆきません?」という甘い言葉に乗っかって店内に入ってみると、そこには現役当時の田口線の写真が数多く飾ってあり、当時の模様を活き活きと伝えてくれていました。
そうこうして楽しんでいると、注文していた"五平餅"が焼き上がって出てきました!ほんのり甘い味噌ダレがからんだ五平餅と、その甘みを引き立てる漬物の組み合わせが絶妙で、おもわずおかわりをしてしまいたくなる誘惑に駆られそうになりました(笑)
そんな待ち時間中にお店の方にお話を伺ったところ、店頭で五平餅を焼いていたおばあちゃん、じつは現役当時の写真にも写っていた鳳来寺駅長の奥様だったのです!50年前の記憶も鮮明で、駅のあった場所から当時の様子までいろいろとお話をしていただきました。
素敵なお話を聞くことが出来、田口線のイメージがより鮮明になったところで、ふたたび廃線巡りの旅を続けましょう!
鳳来寺の先では、一部廃線敷が自転車専用道となっている区間もあり、県道と並走する車道もほとんどクルマが通る事も無く快適なサイクリングが楽しめます。
途中で見つけた廃線らしきトンネルが出てきては止まって偵察を行なったり、川岸の岩盤をぶち抜いて作られた荒々しいトンネルの造形に見とれたりと、魅惑的なものが多過ぎてなかなか先に進めないのがタマに傷ですが、それそれで楽しいので良しとしましょう(笑)
廃線敷に沿って川を遡って行くと、だんだんと山が近づいてきました!いよいよ谷が深くなってきたところで、工事現場のような場所に出ると、そこがどうやら終点の"三河田口駅"のあった場所のようです。
工事現場の事務所?のプレハブ小屋の脇に当時の写真も入った解説板もありました。ここでは現在ダム工事がすすめられており、そう遠くないうちにこの場所も水没してしまうそうで、残念でなりません(涙)
そんな建設現場感ありありの殺風景な場所ですが、道路から一段下った目立たないところに、もと"三河田口駅"のホームが現存していました!よく観察するとホーム上面の波打った感じがさきほどの解説板に載っていた写真と同じで、当時の風景が立体的に目に浮かび上がってきます。
田口線はここ奥三河の山深い場所が終点となっていましたが、当時はこの先に田口森林鉄道と呼ばれる軽便鉄道が連絡していたそうです。もともとこの地域は森林資源が豊富で、田口線もここからの木材輸送を目的に敷設された経緯もあり、木材搬出の拠点として昭和初期から中期にかけてはにぎわっていたそうです。
前々回の三重編にも登場しましたが、軽便鉄道は線路の幅が狭く、直接田口線に乗り入れることは出来なかったため、ここ三河田口駅では貨物の積み替えを行うための広い敷地があったそうですが、今となってはその痕跡も皆無で、当時を彷彿させる遺構は唯一このホームだけなのでした。
廃線巡りはここで一段落となりますが、ここから約2km離れた田口市街には田口線で実際に走っていた車両が保存展示されているということなので、次はそちらに行ってみることにしましょう!
豊川沿いの谷底に立地していた"三河田口駅"と市街地の間には距離にして約2km、さらに150mほどの高低差もあり、お世辞にも便利な立地であったとは言えません。
鉄道を敷設するにあたって、地元住民からは市街地に駅を設置してほしいという要望はあったそうですが、高低差の問題と、当時盛んだった林業の木材搬出の利便が優先されたこともあって、市街地から離れたこの場所に駅が置かれることとなり、その代わりに市街地と駅の間は、1932年の開通当初から連絡バスで結ばれていたそうです。
そんな谷にへばりつくように敷かれた上り坂を、ナカジに牽いてもらいながら上って市街地に入り、そこからさらに丘を上った先にある"奥三河総合センター"の敷地内までくると、屋根付き駐車場?の下に、お目当てだった田口線の電車が静かに鎮座していました。
無骨な箱型車体に、前面三枚窓の顔がいかにも昔の電車といった風情で、この日走ってきたコースの風景とこの車両を重ね合わせた姿を想像すると、アタマの中で古き昭和の時代が蘇ってくるようです。
そんな保存車両でしたが、残念ながら扉にはカギがかかっていて、車内に入ることは叶いませんでした。しかし、電車の回りには特に囲いもなかったので、代わりに?近寄って存分に電車とのスキンシップを楽しませてもらいました(笑)
しばし童心に帰って遊んでいた鉄トリオでしたが、そうこうしているうちに急激に空模様が怪しくなってきましたよ!ほどなくして、ぽつぽつと雨粒が落ちてきたと思ったら、あっという間に本降りの雨に…(汗)
慌てて近くにあった役場の建物に駆け込んで雨宿りさせてもらいましたが、雨雲レーダーを見ると局所的な雨でしばらく待てば雨は過ぎ去りそうなのと、ちょうどお昼時でもあったので、すぐ近くにあった喫茶店までダッシュして、昼食をとりながら雨上がりを待つことにしました。
いかにも古くから地元民に愛されていると言った風情の喫茶店でしたが、お食事メニューも豊富だったので、この足止め時間を利用してガッツリ燃料補給を行い、後半の行動に備えることにします。
昼食も終わり雨が上がるのを待っていると、ナカジから「ボク、次のレースが近いので、この先の駅(と言ってもかなり先)までトレーニングがてら走って行こうと思います」という申し出がありました。さすがプロサイクリスト!こんな時でもストイック!!と感動を覚えつつも、この先どこで合流するか、時刻表と地図を引きながらしばし作戦会議をしているうちに雨も上がってきました。
そろそろ次に乗車予定の電車の時間も気になってきたところでもあり、さっさとお店を出て出発準備をしていましたが、気になるのはナカジの背負う大きなバックパック…。
これから過酷な山岳トレーニングに出かけるナカジには少しでも質の高いトレーニングをしてもらいたい!との思いで、一足先に山を下りるテツ店長とイソベでお荷物は持って行かせて頂く事としましたが、結局は若手のイソベに荷物を押し付け、少々時間的にキビシイ状況下で飯田線の最寄り駅までのタイムトライアルに臨んだのでした。
ここから駅までは距離にして約23kmですが、いかんせん持ち時間は1時間少々ということで、自転車をたたむ時間も考慮するとなかなかタイトなスケジュールであることは間違いありません!ここからは一心不乱に走り続けて、一路"東栄駅"を目指しましたが、バックパックを二個背負って激走するイソベの後ろ姿は、まさに雄姿と言うにふさわしい光景でした(涙)
基本下り基調なコースだったのと集中していたのもあり、気づくと目の前の信号機に"東栄駅北口"の標識があって拍子抜けしたのですが、結局は10分以上の余裕を持って駅に到着することができて良かった(笑)
到着と同時にふたたび雨も降り出し、なかなか幸運なうちにサイクリングを終えることもでき、あとは自転車をバラして輪行の準備を整えると、間もなくお迎えの列車がやって来ました!
ここからはたっぷりと乗り鉄の旅を楽しむことにしましょう!ところでこの飯田線という路線、一見ただの影の薄いローカル線に見えますが、テツ界隈ではローカル線の王様として崇められる、かな~りディープな路線なのでございます(笑)
路線距離は195.7kmと長大で、駅数は何と94駅もあり、普通列車で全線走破するのに7時間以上かかるというのですから、これはもう乗り鉄にはたまりません!
ちなみに乗車した東栄駅から列車の終点岡谷駅までは軽く4時間半はかかるので、とりあえず乗車したワタシとイソベは明るいうちは前面展望を楽しみながら、日が暮れたあとは、ひとり1ボックスシートを貸し切ってのんびりと休養に努めていました。そんなローカル線旅を満喫している二人をよそに、ナカジはひとり中央アルプスの山々と闘っていたようでしたが…。
予想よりだいぶ早く、合流予定地である長野県の"飯田駅"にたどり着いたとの報が入りホッとしましたが、電車の我々より1時間以上早く到着してしまったという事実に、プロ選手の底力を垣間見たような気がします。
いかに飯田線の停車駅が多く、速度制限も厳しくて遅いとは言え、獲得標高1500mに迫ろうかと言う山岳コースの70kmをあっと言う間に駆け抜けてしまう脚力ってやっぱりスゴい…。
ちなみに、ナカジはこの直後に出場した5日間のステージレース”ツールド台湾2019"に出場して大活躍!そこで総合ポイント賞を獲得するという快挙を成し遂げるのですが、この時の我々はまだ知る由もありません。(https://kinan-cycling.com/news/report/4542.html)
この時の練習が少しでも役に立っていればうれしい限りなのですが…。それにしても、遊びも仕事も全力で取り組むその姿勢、ワタシもこれからしっかりと見習っていきたいと思います(笑)
マイペースで進んできた列車でしたが、すっかり暗くなった飯田駅のホームに到着して扉が開くと、そこにさきほど別れたナカジが涼しい顔で立っているという光景は、ちょっぴりシュールで味わい深いものがあります(笑)
とりあえず再会を祝いふたたび3人衆となりましたが、ナカジの乗車した"飯田駅"はまだ中間地点なので、ここからまだ2時間以上列車の旅が続きます。まあ長いと言えば長いですが、車内は快適だし鉄道好きの鉄トリオにとってはこの上なく楽しい時間ではあります(笑)
ナカジが乗車前に買い出ししておいてくれた食料を肴にして、(主に)鉄道や自転車の話題で楽しく盛り上がっているうちに、遠路はるばる我々を運んできてくれた飯田線の237M列車は定刻に終点の"岡谷駅"に到着しました。
ホームへ出ると外はけっこうな雪で寒いことこの上ないワケですが、この日はダイヤ改正前ということもあり、もうすぐ無くなってしまう"E257系あずさ号"や駅ホーム上にある"スーパーあずさ"や"はまかいじ"、はたまた"自由席"といった列車案内の標識などを忙しくチェックして動き回っているうちに、この日最後に乗車する中央本線の"長野行"普通列車がやってきました。
ここからさらに約30分電車に揺られて"松本駅"まで来たら、ようやくこの日のミッションは終了。
自転車より電車に乗っている時間が圧倒的に長いのはこの連載のお約束ですが、仲間と一緒に一日たっぷりと遊んだ心地良い疲労感で幸せなに気分につつまれながら、この日は早々にお休みしたのでした。
明日は早朝からの乗り鉄活動です!今回これだけは乗り納めておかねばならないあの列車のためにメンバー達は集結したと言っても過言ではない、重要ミッションが待っているのです!二日目も鉄分過剰で飛ばしてゆくので、読者の皆さまもお乗り遅れにならないようご注意ください(笑)
それでは後半へ続きます。
旅する人 河井孝介プロフィール
バイクプラス多摩センターの店長を務める50歳。前職で足かけ10年にわたる勤務を鉄道の無い(モノレール除く)沖縄県で過ごした反動からか、帰京後は輪行サイクリングの虜となり、現在は鉄道と自転車を組み合わせ、鉄道廃線跡や未成線など鉄道の歴史を辿るサイクリングをライフワークとする。鉄道趣味のジャンルは「乗り鉄」。旧国鉄型車両を心から愛し、ひそかにJR全線乗車にチャレンジ中。非常勤の防衛省職員である予備三等陸曹の身分も合わせ持っている。