2019/03/14(木) - 12:09
自転車と鉄道、二つを愛する「テツ店長」ことバイクプラス多摩センターの河井孝介さんの輪行サイクリング紀行。三重県のディープな鉄道スポットを巡る旅の後編となります。(※前編はこちら)
読者のみなさんこんにちは!テツ店長のかなりディープな輪行紀行、前編はほとんどが乗り鉄レポートと化していましたが、後編も期待を裏切らない鉄分豊富さでお送りして行きますのでご安心ください(笑)
ということで、前回は四日市での鉄道スポットポタリングを楽しんだあと、再び輪行して松阪までやってきました。乗り換えの合間に昼食をとって、次に乗車したのが『名松線』なるローカル線。
この路線、その路線名から分かるように、三重県の名張と松阪を結ぶ路線として計画されましたが、全線開業する前に同じ区間に近鉄大阪線が開通してしまったために、計画が途中で中止となってしまったという、ちょっと残念な歴史を持つ路線なのです。
結局、全長43.5kmとまずまずの路線延長を持ちながらも、"伊勢奥津(いせおきつ)"という、じつに中途半端(失礼)な場所で線路が途切れた盲腸線となってしまいました。
そんな出自を持つ路線だけに利用者数も年々減少するばかりで、これまで何度も廃線の声が上がってきたものの、代替する道路整備が進んでいないという理由もあって、何とか今日まで粘り強く生き残って来たのでした。
そんな名松線に2009年最大の危機が訪れたのでした。その年10月にやってきた台風18号による土砂崩れや路盤流出により全線不通となり、もはや廃線しか選択肢は無いと誰もが思っていたのですが…、三重県民は鉄道を見捨てなかった!!
地元自治体の熱意もあって2016年に全線復旧となり、足かけ7年の永きにわたる不通から奇跡の復活を遂げたということで、とにかく一度は乗りに行かないといけない気になる路線だった次第。
そんな生粋のローカル線ですが、のどかな農村地帯を抜け、川沿いに山に向かってゆくという、なかなか景色も素晴らしい路線で、これまた乗っていて飽きることがありませんでした(笑)
じつは名松線に乗る理由がもう一つ!それは今や全国的にも珍しくなった、またJR線内ではもはやここだけでしか見れない光景"スタフ交換"が見られること!
とまたもや専門用語が出て来てしまいましたが、この"スタフ交換"は以前にも"銚子電鉄"に乗車(vol.11)した際に出てきましたよねぇ…
そんなテツの大好物である"スタフ交換"ですが、カンタンに言うとA駅~B駅といった区間で使用できる通行手形(スタフ)をひとつに決めて、これを持った列車しかその区間を通行できないようにすることで、単線の路線で列車同士が衝突しないようにするという、古典的と言うか超アナログな安全管理システムなのです。
しかしいったん列車がスタフを持って行ってしまうと、反対方向の列車がスタフを持って戻ってくるまで、同じ方向に列車が続行できないという融通が利かなさや、スタフを交換する駅に職員を置く必要もあって、合理化のすすむ今日では衰退するばかりの鉄道風景が、ここ"名松線"で今でも見られるのだから、やっぱり三重県てすごいと思います。
輪っかにポケットの付いたタブレットキャリアを駅員さんの手から運転士さんの手に渡して列車の安全を守るという、明治の鉄道黎明期から連綿と続く儀式を目の当たりにして、ちょっと胸が熱くなるテツ店長なのでした(涙)
いろいろ見どころの多い"名松線"の旅でしたが、列車はまもなく終点の"伊勢奥津駅"に到着しました。
山に向かって延びてきた二本の線路はここでポツンと途切れてしまいますが、かつてはここから"名張"まで路線を延伸するつもりだった夢の跡を見るようで、ちょっと物悲しいような感慨深いものがあります。
終着駅に相応しい立派な木造駅舎の前で自転車を組み立てたら、名松線の果たせなかった名張までの道のりを代わってサイクリングで結んでみることにしてみましょう!
時はすでに14時半を回り、のんびりもしていられないのですが、駅をスタートして100mも行かないうちに、またも目の前に気になるモノを発見!
すっかり蔦に覆われてしまっていますが、これはまごう事なきSL時代の給水塔ではないですか!!かつてここまで客車や貨車を牽いてきた蒸気機関車が、折り返しまでの時間ここで給水しながら、ひととき憩っていたのでしょうね…
しばしアタマの中は昭和の時代にタイムスリップしてしまい、ぼんやり見とれてしまいましたが、こんな素晴らしい遺構が残る三重県は、そのポテンシャルをもっと活かすべきだと思います!
これら豊富な鉄道遺構も立派な観光資源ですから、観光列車なども活用して地域を盛り上げていったら面白いと思います、あとは自転車を積めるサイクルトレインとかも…。
とまあ妄想もほどほどにして、時間も無いので先に進まなければ!ここまで名松線で遡ってきた雲出川に沿って、"伊勢本街道"こと国道368号を名張方面に向かいます。
川沿いにゆるやかに上ってゆくコースですが、景色も良く川が近いためか暑さも少々和らいで感じられます。途中いったん奈良県に入ってはまた三重県に戻りつつ距離にして約65kmの道のりを淡々と走っていったのですが…
心配していた上りもそれほどキツくはなく順調に歩を進めつつも、何が気になるって時間が気になってしかたがない(汗)。夏場で比較的日が長いとはいえ、いかんせん出発時刻が遅かったので、この先明るいうちに目的地までたどり着けるのか?このままではちょっとヤバイかも…
ということで、当初からバックアップとして考えていたプランBを検討してみることにしました。
この先の走行経路を並走する"伊賀鉄道"では、自転車をそのまま持ち込みが可能なサイクルトレインを行っているので、途中から電車に飛び乗ってワープを試みようというプランです。しかしこれは待ち時間が無くスムーズに乗り継げなければ意味がありません!
とりあえず立ち止まって貴重な時間を削りつつ、最寄り駅までの距離と電車の時刻をすばやく計算してみると、頑張れば何とか間に合うかも?というビミョーな結論になりました。
もうそうなったらもう気合で走るしかないでしょう!と言うことで、ここは輪行サイクリング紀行史上最高に頑張って、伊賀鉄道の"比土駅"でギリギリ乗りたい電車に間に合わせることができたのでした(汗)
本当に奇跡的と言っても良いタイミングで、ホームに上がるとほぼ同時に列車がやってくるという、まことに際どいタイミングでしたが、扉が開くとワンマン運転の運転士さんが下りてきて、指示された場所から乗車してようやく一息つくことができました。
乗車した電車はもと東急の1000系電車で、今はもう無くなってしまいましたが、かつては東急東横線と東京メトロ日比谷線が相互直通運転していた頃に活躍していた車両で、都内で何度もお目にかかったことのあるちょっと懐かしい電車です。
車内は地方に転出するにあたってクロスシートに改造されていたり、テツ的に興味深いものがありましたが、それ以上に自転車と一緒に乗車する非日常感や、夏らしい装飾の施された車内の雰囲気が楽しげで印象に残りました。
ワクワクのサイクルトレインでしたが、乗車時間は30分足らずで下車駅"上野市駅"に到着です!
電車からホーム、踏切、改札口と自転車を押して行くのも何かドキドキですが、駅から出たら即サイクリングが再開できるという、サイクルトレインの便利さを体感させてもらいました(笑)
ここまでワープできたおかげで、なんとか明るいうちこの日の最終目的地まで到着できる見込みが出てきてたので、この先もうひと頑張りしましょう。
この先は、朝方乗車してきたJR関西本線におおむね沿って国道25号を走ってゆき、関西本線屈指の難所"加太峠"を目指します。
国道25号はまたの名を"名阪国道"と呼ばれていますが、いわゆる"名阪国道"はほぼ高速道路?といった高規格で作られており、自転車のワタシは狭い旧道を黙々と走ってゆきます。
こちらはいかにも"大和街道"といった風情で、道路は山あり谷ありといった自然の地形に沿って敷かれています。当然人気もクルマも少なく、錆びついた工場や古いトンネルなどが次々と現れるので、タイムスリップ感があって退屈しません。
そして夕闇も迫る中ようやくたどり着いたのは、人気のまったく無い線路との境界も無い道路が続く辺鄙な場所。
簡素な造りの立ち入り禁止ゲートの先に、本当は見てみたい場所があるのですが、入ってはいけないのであればしかたがない…。そこはあとから列車内から現地を見ることにしましょう。
それにしてもこの場所、なかなか浮世離れした場所で、人気も無いければ、踏切を渡った先に続く道路も無かったり…。それでも反対側にも標識が立っていたり、まるで不思議の国に迷い込んでしまったようでちょっとコワい(汗)。よくよく奥の方を覗いてみると、かすかに道路の痕跡は見られたので、相当昔に放棄されて自然に還ってしまった、なれの果てといったところなのでしょうか?
そんなこんなで帰りの列車の時間もけっこうギリギリになってきたので、そろそろ撤収して関西本線の"加太駅"までもうひとっ走り。急いで自転車をたたんで待つこと数分、2両編成のディーゼルカーがやってきました!
車内に自転車を置いたら、先頭に移動してお目当ての場所の通過を見逃さないよう、ぬかりなく前方監視を続けます。間もなく先ほど自転車で訪れた踏切&ゲートのポイントを通過して、列車は道路と並走しながらすすんでゆきました。
そして現れたのは、またもやテツの大好物!"スイッチバック"の遺構なのでした。このスイッチバックという設備、これまた過去記事の奥羽本線(vol.8)でも登場していますが、今ではほとんど見られなくなってしまい、テツ的にはかなり心くすぐられるスポットなのです(笑)
ちなみにこの場所は"旧北在家信号場"と申しまして、そもそも"信号場"というのは駅ではない場所で列車の行き違いをするための施設で、それだけでもちょっと興味をそそられるモノなのですね!
ここでは加えて"スイッチバック"設備も備えるという、一粒で二度おいしいスポットということで、テツ店長としてはぜひこの目で見てみたいと思い、遠路はるばる自転車を漕いでやってきた(実際はほとんど輪行だけど…)という次第。
ところで非テツ読者の皆さんには、この"スイッチバック"というワード自体が聞きなれないものかと思いますので、ここでカンタンにご説明をさせていただきますね。
まず鉄道というのはもともと坂に弱い乗り物で、特に昔の蒸気機関車は非力だったため、坂の途中で一旦止まってしまうと、簡単に再発進ができなくなってしまう代物でした。そこで坂の途中での行き違い設備として、傾斜した本線の両側に平坦な引き込み線を敷いて、いったん列車は平坦な場所に退避させて、再発進時にはそこから助走をつけて坂に挑んで行けるようにしていたのです。
これって激坂での再発進に苦戦したことのある自転車乗りなら、けっこうあるあるな感覚でご理解いただけるのではないでしょうか?(笑)
ギリギリ明るいうちにお目当ての鉄道スポットを視察できて満足でしたが、その後みるみるうちに日は暮れて、列車は乗り換えの"柘植駅"に到着しました。
ここからはちょっとローカル線の"草津線"に乗り換えです。ここも広い駅構内に長いホームを備えていて、かつては栄えていたのだろうと思わせる雰囲気のある駅でした。
次の列車の出発まで多少時間もあったので、しばし駅周辺を観察してから駅ホームに戻ると、待っていたのは乗りたかった117系電車ではないですか!これは幸運としか言いようがありません!!!
関西にお住いの方ならまず知らない人のいない、いまや京阪神間を結ぶ列車の代名詞と言ってもよい"新快速"ですが、国鉄時代にはじめて新快速用に製造された車両がこの117系なのでした。
転換クロスシートに高級な内装を備え、精悍な顔つきで特急顔負けの高速運転を行う117系は、京阪間での私鉄との競争にとどめを刺すべく、当時の国鉄が渾身の力を込めて投入したで名車でしたが、やはり寄る年波には勝てず、今では数を減らしてなかなかお目にかかる機会も少なくなってしまってしまいました(涙)
そんな昭和の名車にはあと何回くらい乗れるのだろう…などと思いながら感慨にふけっていると、1時間足らずで列車は終点の草津駅(滋賀県)に到着。ここからはUターンして東京方面の東海道線に乗り換えます。
その先は大垣駅に出て、連泊になりますが上り"ムーンライトながら"に乗車となりますが、我ながら弾丸ツアーに磨きがかかっていると思う今日この頃だったり…
このムーンライトながらに使用されている185系特急型電車も、さきほど乗車した117系とほぼ同時期に開発された兄弟車で、よく見ると顔カタチも良く似ています。
ここで詳しくは書きませんが、こちらは東日本地区に配属されて、かつては"史上最低の特急型車両"などと揶揄されて、117系とは反対にあまり愛される存在ではありませんでしたが、そんな185系もいまや国鉄時代を伝える貴重な車両となってしまいました(涙)
そんな国鉄型車両と共に一夜を過ごせるのであれば、連泊だろうが3連泊であろうがそんなものはまったく苦になりません!(ちょっと強がり)
大垣駅を22:49に出発した列車は、この日も昭和の唸るモーター音を響かせながら、夜の東海道線を一路東京に向かって走り続けてゆきました。
ムーンライトながら東京行きは、定刻の4:40横浜駅に到着。他の多くの乗客と共に下車して列車を見送ったあと乗り換えの京浜東北線ホームで電車を待っていると、線路上に『0』と書かれた大きな標識を発見!
これは"0キロポスト"と言われているもので、路線の起点であることを示す標識だとすぐにピンときました。さすが鉄道発祥の地"横浜"だなあ、などと思って感心していたものの、よくよく考えてみると初代の横浜駅は現在の桜木町駅(vol.14参照)のはずだけど?などと思い、あとで調べてみたら根岸線(京浜東北線)の起点でした(汗)
そんなこんなで今回の弾丸ツアーもようやくおしまいです。
それにしても、鉄道というのは近代の歴史を載せて今も走っているようなところがあって、そこら中を見回すだけでもいろんな歴史的遺構が眠っていて、本当にネタが尽きないんですよねぇ…
ということで、今回も最後まで鉄道ネタ満載の輪行紀行におつきあい頂きまして、どうもありがとうございました!これからも全国津々浦々の失われつつある鉄道風景を求めて、テツ店長は自転車担いで出かけてゆきますので、どうかよろしくお願いします。
だんだんディープかつ過酷になりつつあるこの連載、次回からはもう少しゆったりとした大人なレポートをお届けできればと思います(たぶんムリだけど…)
旅する人 河井孝介プロフィール
バイクプラス多摩センターの店長を務める50歳。前職で足かけ10年にわたる勤務を鉄道の無い(モノレール除く)沖縄県で過ごした反動からか、帰京後は輪行サイクリングの虜となり、現在は鉄道と自転車を組み合わせ、鉄道廃線跡や未成線など鉄道の歴史を辿るサイクリングをライフワークとする。鉄道趣味のジャンルは「乗り鉄」。旧国鉄型車両を心から愛し、ひそかにJR全線乗車にチャレンジ中。非常勤の防衛省職員である予備三等陸曹の身分も合わせ持っている。
読者のみなさんこんにちは!テツ店長のかなりディープな輪行紀行、前編はほとんどが乗り鉄レポートと化していましたが、後編も期待を裏切らない鉄分豊富さでお送りして行きますのでご安心ください(笑)
ということで、前回は四日市での鉄道スポットポタリングを楽しんだあと、再び輪行して松阪までやってきました。乗り換えの合間に昼食をとって、次に乗車したのが『名松線』なるローカル線。
この路線、その路線名から分かるように、三重県の名張と松阪を結ぶ路線として計画されましたが、全線開業する前に同じ区間に近鉄大阪線が開通してしまったために、計画が途中で中止となってしまったという、ちょっと残念な歴史を持つ路線なのです。
結局、全長43.5kmとまずまずの路線延長を持ちながらも、"伊勢奥津(いせおきつ)"という、じつに中途半端(失礼)な場所で線路が途切れた盲腸線となってしまいました。
そんな出自を持つ路線だけに利用者数も年々減少するばかりで、これまで何度も廃線の声が上がってきたものの、代替する道路整備が進んでいないという理由もあって、何とか今日まで粘り強く生き残って来たのでした。
そんな名松線に2009年最大の危機が訪れたのでした。その年10月にやってきた台風18号による土砂崩れや路盤流出により全線不通となり、もはや廃線しか選択肢は無いと誰もが思っていたのですが…、三重県民は鉄道を見捨てなかった!!
地元自治体の熱意もあって2016年に全線復旧となり、足かけ7年の永きにわたる不通から奇跡の復活を遂げたということで、とにかく一度は乗りに行かないといけない気になる路線だった次第。
そんな生粋のローカル線ですが、のどかな農村地帯を抜け、川沿いに山に向かってゆくという、なかなか景色も素晴らしい路線で、これまた乗っていて飽きることがありませんでした(笑)
じつは名松線に乗る理由がもう一つ!それは今や全国的にも珍しくなった、またJR線内ではもはやここだけでしか見れない光景"スタフ交換"が見られること!
とまたもや専門用語が出て来てしまいましたが、この"スタフ交換"は以前にも"銚子電鉄"に乗車(vol.11)した際に出てきましたよねぇ…
そんなテツの大好物である"スタフ交換"ですが、カンタンに言うとA駅~B駅といった区間で使用できる通行手形(スタフ)をひとつに決めて、これを持った列車しかその区間を通行できないようにすることで、単線の路線で列車同士が衝突しないようにするという、古典的と言うか超アナログな安全管理システムなのです。
しかしいったん列車がスタフを持って行ってしまうと、反対方向の列車がスタフを持って戻ってくるまで、同じ方向に列車が続行できないという融通が利かなさや、スタフを交換する駅に職員を置く必要もあって、合理化のすすむ今日では衰退するばかりの鉄道風景が、ここ"名松線"で今でも見られるのだから、やっぱり三重県てすごいと思います。
輪っかにポケットの付いたタブレットキャリアを駅員さんの手から運転士さんの手に渡して列車の安全を守るという、明治の鉄道黎明期から連綿と続く儀式を目の当たりにして、ちょっと胸が熱くなるテツ店長なのでした(涙)
いろいろ見どころの多い"名松線"の旅でしたが、列車はまもなく終点の"伊勢奥津駅"に到着しました。
山に向かって延びてきた二本の線路はここでポツンと途切れてしまいますが、かつてはここから"名張"まで路線を延伸するつもりだった夢の跡を見るようで、ちょっと物悲しいような感慨深いものがあります。
終着駅に相応しい立派な木造駅舎の前で自転車を組み立てたら、名松線の果たせなかった名張までの道のりを代わってサイクリングで結んでみることにしてみましょう!
時はすでに14時半を回り、のんびりもしていられないのですが、駅をスタートして100mも行かないうちに、またも目の前に気になるモノを発見!
すっかり蔦に覆われてしまっていますが、これはまごう事なきSL時代の給水塔ではないですか!!かつてここまで客車や貨車を牽いてきた蒸気機関車が、折り返しまでの時間ここで給水しながら、ひととき憩っていたのでしょうね…
しばしアタマの中は昭和の時代にタイムスリップしてしまい、ぼんやり見とれてしまいましたが、こんな素晴らしい遺構が残る三重県は、そのポテンシャルをもっと活かすべきだと思います!
これら豊富な鉄道遺構も立派な観光資源ですから、観光列車なども活用して地域を盛り上げていったら面白いと思います、あとは自転車を積めるサイクルトレインとかも…。
とまあ妄想もほどほどにして、時間も無いので先に進まなければ!ここまで名松線で遡ってきた雲出川に沿って、"伊勢本街道"こと国道368号を名張方面に向かいます。
川沿いにゆるやかに上ってゆくコースですが、景色も良く川が近いためか暑さも少々和らいで感じられます。途中いったん奈良県に入ってはまた三重県に戻りつつ距離にして約65kmの道のりを淡々と走っていったのですが…
心配していた上りもそれほどキツくはなく順調に歩を進めつつも、何が気になるって時間が気になってしかたがない(汗)。夏場で比較的日が長いとはいえ、いかんせん出発時刻が遅かったので、この先明るいうちに目的地までたどり着けるのか?このままではちょっとヤバイかも…
ということで、当初からバックアップとして考えていたプランBを検討してみることにしました。
この先の走行経路を並走する"伊賀鉄道"では、自転車をそのまま持ち込みが可能なサイクルトレインを行っているので、途中から電車に飛び乗ってワープを試みようというプランです。しかしこれは待ち時間が無くスムーズに乗り継げなければ意味がありません!
とりあえず立ち止まって貴重な時間を削りつつ、最寄り駅までの距離と電車の時刻をすばやく計算してみると、頑張れば何とか間に合うかも?というビミョーな結論になりました。
もうそうなったらもう気合で走るしかないでしょう!と言うことで、ここは輪行サイクリング紀行史上最高に頑張って、伊賀鉄道の"比土駅"でギリギリ乗りたい電車に間に合わせることができたのでした(汗)
本当に奇跡的と言っても良いタイミングで、ホームに上がるとほぼ同時に列車がやってくるという、まことに際どいタイミングでしたが、扉が開くとワンマン運転の運転士さんが下りてきて、指示された場所から乗車してようやく一息つくことができました。
乗車した電車はもと東急の1000系電車で、今はもう無くなってしまいましたが、かつては東急東横線と東京メトロ日比谷線が相互直通運転していた頃に活躍していた車両で、都内で何度もお目にかかったことのあるちょっと懐かしい電車です。
車内は地方に転出するにあたってクロスシートに改造されていたり、テツ的に興味深いものがありましたが、それ以上に自転車と一緒に乗車する非日常感や、夏らしい装飾の施された車内の雰囲気が楽しげで印象に残りました。
ワクワクのサイクルトレインでしたが、乗車時間は30分足らずで下車駅"上野市駅"に到着です!
電車からホーム、踏切、改札口と自転車を押して行くのも何かドキドキですが、駅から出たら即サイクリングが再開できるという、サイクルトレインの便利さを体感させてもらいました(笑)
ここまでワープできたおかげで、なんとか明るいうちこの日の最終目的地まで到着できる見込みが出てきてたので、この先もうひと頑張りしましょう。
この先は、朝方乗車してきたJR関西本線におおむね沿って国道25号を走ってゆき、関西本線屈指の難所"加太峠"を目指します。
国道25号はまたの名を"名阪国道"と呼ばれていますが、いわゆる"名阪国道"はほぼ高速道路?といった高規格で作られており、自転車のワタシは狭い旧道を黙々と走ってゆきます。
こちらはいかにも"大和街道"といった風情で、道路は山あり谷ありといった自然の地形に沿って敷かれています。当然人気もクルマも少なく、錆びついた工場や古いトンネルなどが次々と現れるので、タイムスリップ感があって退屈しません。
そして夕闇も迫る中ようやくたどり着いたのは、人気のまったく無い線路との境界も無い道路が続く辺鄙な場所。
簡素な造りの立ち入り禁止ゲートの先に、本当は見てみたい場所があるのですが、入ってはいけないのであればしかたがない…。そこはあとから列車内から現地を見ることにしましょう。
それにしてもこの場所、なかなか浮世離れした場所で、人気も無いければ、踏切を渡った先に続く道路も無かったり…。それでも反対側にも標識が立っていたり、まるで不思議の国に迷い込んでしまったようでちょっとコワい(汗)。よくよく奥の方を覗いてみると、かすかに道路の痕跡は見られたので、相当昔に放棄されて自然に還ってしまった、なれの果てといったところなのでしょうか?
そんなこんなで帰りの列車の時間もけっこうギリギリになってきたので、そろそろ撤収して関西本線の"加太駅"までもうひとっ走り。急いで自転車をたたんで待つこと数分、2両編成のディーゼルカーがやってきました!
車内に自転車を置いたら、先頭に移動してお目当ての場所の通過を見逃さないよう、ぬかりなく前方監視を続けます。間もなく先ほど自転車で訪れた踏切&ゲートのポイントを通過して、列車は道路と並走しながらすすんでゆきました。
そして現れたのは、またもやテツの大好物!"スイッチバック"の遺構なのでした。このスイッチバックという設備、これまた過去記事の奥羽本線(vol.8)でも登場していますが、今ではほとんど見られなくなってしまい、テツ的にはかなり心くすぐられるスポットなのです(笑)
ちなみにこの場所は"旧北在家信号場"と申しまして、そもそも"信号場"というのは駅ではない場所で列車の行き違いをするための施設で、それだけでもちょっと興味をそそられるモノなのですね!
ここでは加えて"スイッチバック"設備も備えるという、一粒で二度おいしいスポットということで、テツ店長としてはぜひこの目で見てみたいと思い、遠路はるばる自転車を漕いでやってきた(実際はほとんど輪行だけど…)という次第。
ところで非テツ読者の皆さんには、この"スイッチバック"というワード自体が聞きなれないものかと思いますので、ここでカンタンにご説明をさせていただきますね。
まず鉄道というのはもともと坂に弱い乗り物で、特に昔の蒸気機関車は非力だったため、坂の途中で一旦止まってしまうと、簡単に再発進ができなくなってしまう代物でした。そこで坂の途中での行き違い設備として、傾斜した本線の両側に平坦な引き込み線を敷いて、いったん列車は平坦な場所に退避させて、再発進時にはそこから助走をつけて坂に挑んで行けるようにしていたのです。
これって激坂での再発進に苦戦したことのある自転車乗りなら、けっこうあるあるな感覚でご理解いただけるのではないでしょうか?(笑)
ギリギリ明るいうちにお目当ての鉄道スポットを視察できて満足でしたが、その後みるみるうちに日は暮れて、列車は乗り換えの"柘植駅"に到着しました。
ここからはちょっとローカル線の"草津線"に乗り換えです。ここも広い駅構内に長いホームを備えていて、かつては栄えていたのだろうと思わせる雰囲気のある駅でした。
次の列車の出発まで多少時間もあったので、しばし駅周辺を観察してから駅ホームに戻ると、待っていたのは乗りたかった117系電車ではないですか!これは幸運としか言いようがありません!!!
関西にお住いの方ならまず知らない人のいない、いまや京阪神間を結ぶ列車の代名詞と言ってもよい"新快速"ですが、国鉄時代にはじめて新快速用に製造された車両がこの117系なのでした。
転換クロスシートに高級な内装を備え、精悍な顔つきで特急顔負けの高速運転を行う117系は、京阪間での私鉄との競争にとどめを刺すべく、当時の国鉄が渾身の力を込めて投入したで名車でしたが、やはり寄る年波には勝てず、今では数を減らしてなかなかお目にかかる機会も少なくなってしまってしまいました(涙)
そんな昭和の名車にはあと何回くらい乗れるのだろう…などと思いながら感慨にふけっていると、1時間足らずで列車は終点の草津駅(滋賀県)に到着。ここからはUターンして東京方面の東海道線に乗り換えます。
その先は大垣駅に出て、連泊になりますが上り"ムーンライトながら"に乗車となりますが、我ながら弾丸ツアーに磨きがかかっていると思う今日この頃だったり…
このムーンライトながらに使用されている185系特急型電車も、さきほど乗車した117系とほぼ同時期に開発された兄弟車で、よく見ると顔カタチも良く似ています。
ここで詳しくは書きませんが、こちらは東日本地区に配属されて、かつては"史上最低の特急型車両"などと揶揄されて、117系とは反対にあまり愛される存在ではありませんでしたが、そんな185系もいまや国鉄時代を伝える貴重な車両となってしまいました(涙)
そんな国鉄型車両と共に一夜を過ごせるのであれば、連泊だろうが3連泊であろうがそんなものはまったく苦になりません!(ちょっと強がり)
大垣駅を22:49に出発した列車は、この日も昭和の唸るモーター音を響かせながら、夜の東海道線を一路東京に向かって走り続けてゆきました。
ムーンライトながら東京行きは、定刻の4:40横浜駅に到着。他の多くの乗客と共に下車して列車を見送ったあと乗り換えの京浜東北線ホームで電車を待っていると、線路上に『0』と書かれた大きな標識を発見!
これは"0キロポスト"と言われているもので、路線の起点であることを示す標識だとすぐにピンときました。さすが鉄道発祥の地"横浜"だなあ、などと思って感心していたものの、よくよく考えてみると初代の横浜駅は現在の桜木町駅(vol.14参照)のはずだけど?などと思い、あとで調べてみたら根岸線(京浜東北線)の起点でした(汗)
そんなこんなで今回の弾丸ツアーもようやくおしまいです。
それにしても、鉄道というのは近代の歴史を載せて今も走っているようなところがあって、そこら中を見回すだけでもいろんな歴史的遺構が眠っていて、本当にネタが尽きないんですよねぇ…
ということで、今回も最後まで鉄道ネタ満載の輪行紀行におつきあい頂きまして、どうもありがとうございました!これからも全国津々浦々の失われつつある鉄道風景を求めて、テツ店長は自転車担いで出かけてゆきますので、どうかよろしくお願いします。
だんだんディープかつ過酷になりつつあるこの連載、次回からはもう少しゆったりとした大人なレポートをお届けできればと思います(たぶんムリだけど…)
旅する人 河井孝介プロフィール
バイクプラス多摩センターの店長を務める50歳。前職で足かけ10年にわたる勤務を鉄道の無い(モノレール除く)沖縄県で過ごした反動からか、帰京後は輪行サイクリングの虜となり、現在は鉄道と自転車を組み合わせ、鉄道廃線跡や未成線など鉄道の歴史を辿るサイクリングをライフワークとする。鉄道趣味のジャンルは「乗り鉄」。旧国鉄型車両を心から愛し、ひそかにJR全線乗車にチャレンジ中。非常勤の防衛省職員である予備三等陸曹の身分も合わせ持っている。