2014/05/30(金) - 10:31
5月25日に開催されたツアー・オブ・ジャパン最終日・東京ステージの終了後。チャンピオンシステムがサプライヤーを務める6つの出場チームが一堂に会したアフターパーティーが開催され、選手たちは束の間の休息を楽しんだ。
ツアー・オブ・ジャパン最終ステージのスタート地点である日比谷公園からも近く、一緒に会場入りしたアヴァンティの選手達が一同に「あれはエッフェル塔か?」と尋ねてくる東京タワー。その真下にある会場でチャンピオンシステム・ジャパン主催のアフターパーティーが開催された。
はじめに言っておくと、このパーティーはファンや関係者向けのものでは無く、選手や帯同するスタッフたちがゲスト。「海外チームにとっては遠く離れた日本に来てくれたことに感謝するため、サポートチームを招きました(チャンピオンシステム・ジャパンの棈木亮二社長)」。長いシーズンの中で少しでもリラックスしてもらいたいという思いがあるそうだ。
パーティーにはチャンピオンシステムがサポートする6つのチームの選手及び帯同スタッフや大会関係者、報道関係者など併せて60名ほどが参加。唯一のUCIプロチームとして参戦したランプレ・メリダ(イタリア)、第1ステージと第2ステージを制したドラパック(オーストラリア)、アヴァンティ(オーストラリア)、OCBCシンガポール、CROPS × championsystem、HSKIプロサイリング(香港)が勢揃いし、会場は華やかな雰囲気に包まれた。
パーティーは来日中のチャンピオンシステム創業者のルイス・シン氏による乾杯で8時半にスタート。選手達は皆リラックスした表情で、ビールや揚げ物、ドルチェに舌鼓。それでも少なめに抑えているあたりはさすがプロ選手だ。
ランプレ・メリダ勢はようやく最終ステージで勝利できたこと(ボニファツィオは第2ステージで勝てなかったことをポッツァートに咎められていたらしい)に加えて若いメンバーが中心とあって和気あいあい。参加者との交流にも積極的で、イタリアンチームらしい陽気な雰囲気で日本最後の夜を楽しんでいた。
ドラパックやアヴァンティ、OCBCは同郷の選手が多かったり、普段からレースで一緒になることが多いためか皆仲良し。日本酒をテキーラばりにショット飲みして渋い表情を見せたのはドラパックのラクラン・ノリス。ツール・ド・熊野に参戦しないアヴァンティだが、「とても残念だけど、これからツール・ド・シンカラに行くんだ。ぜひともまた日本でレースしたいね」とメカニックのシーン・ハーレイさんは言う。
MTBでアジアを転戦した山本和弘は香港のXCチャンピオンでもあるチェンヒン・チャンと山本幸平(スペシャライズド)の話題で盛り上がる。チャンは和弘が幸平の兄だと知ってビックリした様子だった。
それから印象的だったのが、流暢な英語を操っていたポッツァート。外国語を習得しているイタリア人選手が少ないと言われている中、こうした所がスター選手と呼ばれる所以なのだろう。現全日本TT王者の大場政登志は「自分には無いアイデアを見つけて、取り入れたいですね」と会場に並べられた海外チームのバイクをじっくりと観察していた。
そして東京タワーも消灯し夜が更けてきた10時ごろ。ポッツァートが選手代表として「まず、この会場にいる皆さんと、パーティーに招待してくれたチャンピオンシステム・ジャパンに感謝したい。この来日では、日本のファンの熱気に驚かされた。近いうちにまた日本へ戻ってきたい」と閉会の挨拶。
「チャンピオンシステムのジャージを着たチームが6つもTOJを走ってくれたことは非常に嬉しいこと。日本ではまだまだマイナーな自転車競技ですが、我々の活動によって少しでも普及してくれれば幸いですね」と棈木亮二社長と締めくくり、パーティーはお開きとなった。
さて、ツアー・オブ・ジャパンを含む世界各国のステージレースのリーダージャージを製造し、昨シーズンからはUCIプロチームのランプレ・メリダのサプライヤーとなったチャンピオンシステム。創業から僅かに10年と短期間で、オーダージャージにおいては世界的な一大ブランドとなった理由を、ツアー・オブ・ジャパンの視察のために来日した創業者のルイス・シン氏に訊いた。
UCIレースへのリーダージャージ供給は他ブランドと切磋琢磨するための環境作り
まず、我々がツアー・オブ・ジャパンを始め多くのUCIレースでリーダージャージに提供する根底には、他ブランドに「もっと良い製品を作らなくては」と気づいてもらうことにあります。その結果お互いに切磋琢磨しあえるようになり、自らを更に高められると考えています。
その手始めにサポートを開始したのが、ツアー・オブ・チンハイレイクなどのアジアのステージレースでした。最初に視察したとある中国のレースはリーダージャージのサポートを受けておらず、リーダージャージとして使用していたウェアのクオリティーも極めて酷いもので、「この現状は変えなくてはならない」とその時決心しました。
そもそも、チャンピオンシステムを創業したキッカケにも同じ様な理由があります。元々、私はサイクリストであり私の住んでいる香港には24名の大切な自転車仲間がいます。週末になればみんなで集まって様々な場所へ走りに行き、海外にも遠征したりします。これまでフランスやスイス、イタリアなどのヨーロッパ諸国に加え、日本では長野や北海道も走ったことがあります。
そんな仲間たちとチームジャージを作ろうと、あるイタリアンブランドに発注したのが2004年ごろのことでした。しかし、最小ロット数が50枚であったため非常に金額的な負担が大きく、しかも納期が遅延したり、プリントの間違っていたりと何から何まで酷かった。
そこから、スポーツウェアの製造に携わっていた私は自らジャージを作ろうと、プリント用の機械を購入しました。そして、2005年にビジネスとしてカスタムオーダーサイクルジャージの製造を開始し、チャンピオンシステムが誕生しました。
ランプレ・メリダへのサポートはこれまでの努力の成果
創業以来、我々はとにかく努力を重ねることで成長を続けてきました。その成果の1つが、今回ツアー・オブ・ジャパンに参戦したランプレ・メリダへのサポートといえるでしょう。チーム自体には20年の歴史があり、私達がサポートを開始する以前はイタリアンブランドのみからサポートを受け続けてきたので、信頼を勝ち取るために供給開始以来様々な厳しいリクエスト応えてきました。
中でもチームの要望をうけて開発したスピードスーツは大好評で、世界で最も優れたワンピースタイプのウェアだと自負しています。プロチームへのサポートは負担が大きいですが、その甲斐あって、研究開発から製造まで様々な過程を高いレベルへ引き上げられました。
そして、我々の進化は一般のユーザーにもなるべく速くフィードバックしています。それは製品の機能や品質のみならず、プロチームに対するそれと同様の、しっかりとしたケア体制にも感じて頂けているところでしょう。これからも、より多くの日本のサイクリストにチャンピオンシステムを選んで頂ける様に努力して行きたいですね。
text&photo:Yuya.Yamamoto
ツアー・オブ・ジャパン最終ステージのスタート地点である日比谷公園からも近く、一緒に会場入りしたアヴァンティの選手達が一同に「あれはエッフェル塔か?」と尋ねてくる東京タワー。その真下にある会場でチャンピオンシステム・ジャパン主催のアフターパーティーが開催された。
はじめに言っておくと、このパーティーはファンや関係者向けのものでは無く、選手や帯同するスタッフたちがゲスト。「海外チームにとっては遠く離れた日本に来てくれたことに感謝するため、サポートチームを招きました(チャンピオンシステム・ジャパンの棈木亮二社長)」。長いシーズンの中で少しでもリラックスしてもらいたいという思いがあるそうだ。
パーティーにはチャンピオンシステムがサポートする6つのチームの選手及び帯同スタッフや大会関係者、報道関係者など併せて60名ほどが参加。唯一のUCIプロチームとして参戦したランプレ・メリダ(イタリア)、第1ステージと第2ステージを制したドラパック(オーストラリア)、アヴァンティ(オーストラリア)、OCBCシンガポール、CROPS × championsystem、HSKIプロサイリング(香港)が勢揃いし、会場は華やかな雰囲気に包まれた。
パーティーは来日中のチャンピオンシステム創業者のルイス・シン氏による乾杯で8時半にスタート。選手達は皆リラックスした表情で、ビールや揚げ物、ドルチェに舌鼓。それでも少なめに抑えているあたりはさすがプロ選手だ。
ランプレ・メリダ勢はようやく最終ステージで勝利できたこと(ボニファツィオは第2ステージで勝てなかったことをポッツァートに咎められていたらしい)に加えて若いメンバーが中心とあって和気あいあい。参加者との交流にも積極的で、イタリアンチームらしい陽気な雰囲気で日本最後の夜を楽しんでいた。
ドラパックやアヴァンティ、OCBCは同郷の選手が多かったり、普段からレースで一緒になることが多いためか皆仲良し。日本酒をテキーラばりにショット飲みして渋い表情を見せたのはドラパックのラクラン・ノリス。ツール・ド・熊野に参戦しないアヴァンティだが、「とても残念だけど、これからツール・ド・シンカラに行くんだ。ぜひともまた日本でレースしたいね」とメカニックのシーン・ハーレイさんは言う。
MTBでアジアを転戦した山本和弘は香港のXCチャンピオンでもあるチェンヒン・チャンと山本幸平(スペシャライズド)の話題で盛り上がる。チャンは和弘が幸平の兄だと知ってビックリした様子だった。
それから印象的だったのが、流暢な英語を操っていたポッツァート。外国語を習得しているイタリア人選手が少ないと言われている中、こうした所がスター選手と呼ばれる所以なのだろう。現全日本TT王者の大場政登志は「自分には無いアイデアを見つけて、取り入れたいですね」と会場に並べられた海外チームのバイクをじっくりと観察していた。
そして東京タワーも消灯し夜が更けてきた10時ごろ。ポッツァートが選手代表として「まず、この会場にいる皆さんと、パーティーに招待してくれたチャンピオンシステム・ジャパンに感謝したい。この来日では、日本のファンの熱気に驚かされた。近いうちにまた日本へ戻ってきたい」と閉会の挨拶。
「チャンピオンシステムのジャージを着たチームが6つもTOJを走ってくれたことは非常に嬉しいこと。日本ではまだまだマイナーな自転車競技ですが、我々の活動によって少しでも普及してくれれば幸いですね」と棈木亮二社長と締めくくり、パーティーはお開きとなった。
さて、ツアー・オブ・ジャパンを含む世界各国のステージレースのリーダージャージを製造し、昨シーズンからはUCIプロチームのランプレ・メリダのサプライヤーとなったチャンピオンシステム。創業から僅かに10年と短期間で、オーダージャージにおいては世界的な一大ブランドとなった理由を、ツアー・オブ・ジャパンの視察のために来日した創業者のルイス・シン氏に訊いた。
UCIレースへのリーダージャージ供給は他ブランドと切磋琢磨するための環境作り
まず、我々がツアー・オブ・ジャパンを始め多くのUCIレースでリーダージャージに提供する根底には、他ブランドに「もっと良い製品を作らなくては」と気づいてもらうことにあります。その結果お互いに切磋琢磨しあえるようになり、自らを更に高められると考えています。
その手始めにサポートを開始したのが、ツアー・オブ・チンハイレイクなどのアジアのステージレースでした。最初に視察したとある中国のレースはリーダージャージのサポートを受けておらず、リーダージャージとして使用していたウェアのクオリティーも極めて酷いもので、「この現状は変えなくてはならない」とその時決心しました。
そもそも、チャンピオンシステムを創業したキッカケにも同じ様な理由があります。元々、私はサイクリストであり私の住んでいる香港には24名の大切な自転車仲間がいます。週末になればみんなで集まって様々な場所へ走りに行き、海外にも遠征したりします。これまでフランスやスイス、イタリアなどのヨーロッパ諸国に加え、日本では長野や北海道も走ったことがあります。
そんな仲間たちとチームジャージを作ろうと、あるイタリアンブランドに発注したのが2004年ごろのことでした。しかし、最小ロット数が50枚であったため非常に金額的な負担が大きく、しかも納期が遅延したり、プリントの間違っていたりと何から何まで酷かった。
そこから、スポーツウェアの製造に携わっていた私は自らジャージを作ろうと、プリント用の機械を購入しました。そして、2005年にビジネスとしてカスタムオーダーサイクルジャージの製造を開始し、チャンピオンシステムが誕生しました。
ランプレ・メリダへのサポートはこれまでの努力の成果
創業以来、我々はとにかく努力を重ねることで成長を続けてきました。その成果の1つが、今回ツアー・オブ・ジャパンに参戦したランプレ・メリダへのサポートといえるでしょう。チーム自体には20年の歴史があり、私達がサポートを開始する以前はイタリアンブランドのみからサポートを受け続けてきたので、信頼を勝ち取るために供給開始以来様々な厳しいリクエスト応えてきました。
中でもチームの要望をうけて開発したスピードスーツは大好評で、世界で最も優れたワンピースタイプのウェアだと自負しています。プロチームへのサポートは負担が大きいですが、その甲斐あって、研究開発から製造まで様々な過程を高いレベルへ引き上げられました。
そして、我々の進化は一般のユーザーにもなるべく速くフィードバックしています。それは製品の機能や品質のみならず、プロチームに対するそれと同様の、しっかりとしたケア体制にも感じて頂けているところでしょう。これからも、より多くの日本のサイクリストにチャンピオンシステムを選んで頂ける様に努力して行きたいですね。
text&photo:Yuya.Yamamoto
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