2012/03/11(日) - 09:25
「ナポレオン街道」を地中海に向かって逆走する今年のパリ〜ニース最長219.5kmステージ。ついにレースは終着地ニースに達す。新城幸也(ユーロップカー)の2度目の逃げは叶わなかった。
パリ〜ニースを表現する方法として、「太陽へのレース」の他に「ミニ・ツール・ド・フランス」という言葉がある。どちらも適切な表現であり、その他に方法が見当たらない。主催者が同じASOなので当然と言えば当然だけど、ありとあらゆるものがツールと共通している。
もちろん開催規模の点では、7月の「ラ・グラン・ブークル」と比べ物にならない。ざっくり言って、帯同するプレスの数やプレスセンターの大きなはツールの5分の1。観客も数は10分の1ぐらい。大会スタッフや警察の動きを見ていると、さながら7月に向けてのリハーサルをしているようだ。
この日のコースは、かのナポレオン一世が1815年に幽閉されていたエルバ島を脱出し、パリに向かって行軍した「ナポレオン街道(Route Napoleon)」を、シストロンからニースまで逆走する。プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏に広がる石灰岩の山々を存分に堪能するコースだ。
シストロン名物のボーム岩を撮影し、かなり大回りして(ヴェルドン渓谷沿いの荒い山道を140km走って…)82km地点のカステラーヌでコースイン。
「ナポレオン街道」沿いに広がるスケールの大きな山々に気を取られながらニースに向かう。今大会最長の219.5kmコースは、標高1000mオーバーの峠を繋いで行く。
天気が気になったので、前夜にGoogleで「Nice Weather」と検索。すると検索名の通りナイスウェザーという予報が出てきた。
ちなみにニースという言葉の語源は、現在のトルコ付近に住んでいたニカイア人である。紀元前にギリシャ人によって建設され、ニカイア人と交易があった場所としてその名前が付けられた。けっしてナイスなウェザーが由来ではない。
明らかに太陽の力が強く、風も暖かい。真冬でも最高気温が10度以上あるまさに地中海性気候(というかこれこそ地中海)。3月だと言うのに、もう泳いでいる人もいる。昨日は雪が降っていたのに。
ビーチには日光浴している観光客が溢れ、その上に“すり”の危険地域として知られるプロムナード・デ・ザングレ(イギリス人の遊歩道)がある。
景観保護のために高さが揃えられたホテルが建ち並ぶこの海岸通がゴール地点。ちょうどゴールを挟んだ東側は、通りがケー・デ・ゼタズュニ(アメリカ通り)に名前を変える。
観光客が鈴なりになった海岸通に独走でやってきたのは、昨年のパリ〜ニースでステージ優勝&マイヨジョーヌを3日間着たトーマス・デヘント(ベルギー、ヴァカンソレイユ・DCM)。一緒に逃げたレイン・ターラマエ(エストニア、コフィディス)は、昨年大会総合4位&新人賞を獲得した選手。つまり、今年まだ見せ場を作れていない2人が逃げた。
2年連続ステージ優勝を飾ったデヘントは「自分からアタックしたんじゃない。協力して逃げ切ろうと話していたのに彼(ターラマエ)がアタックしたから、カッとなってペースを上げた。すると彼が千切れたんだ」と、レース後の記者会見で笑いながら話す。「こんな美しいフィニッシュは初めてだよ」。
気付けばヴァカンソレイユ・DCMはステージ3勝目(ラーション、ヴェストラ、デヘント)。山岳賞ジャージも手にして、さらにリエーベ・ヴェストラ(オランダ)が総合2位・6秒差。総合優勝を射程圏内に捉えている。
総合では、リーヴァイ・ライプハイマー(アメリカ、オメガファーマ・クイックステップ)が3度の落車で完全に脱落した。報道陣がひしめくレース会場では気丈に振る舞っていたものの、宿泊先のホテルで見かけたときには脚を引きずっていた。最終個人タイムトライアルは、ただただ痛みに耐えながらの走りになりそうだ。
朝、「今日はフリーです。逃げにチャンスがあれば逃げるし、逃げることが出来なければ終盤の1級山岳でチームメイトを助けます」と話し、集団最前列でスタートした新城幸也(ユーロップカー)は、9分24秒遅れでやってきたメイン集団の前から19番目、ステージ21位でゴールした。チームメイトのアレクサンドル・ピショ(フランス)はステージ16位。
レース後、軽く身支度を整え、30km離れたホテルまで自走で戻ったユキヤにレースを振り返ってもらう。
前日のゴールの時点でかなり疲れていた様子だったものの「今日は最前列でスタートして、最初から全開でアタックを繰り返しました」と元気に話す。「昨日は踏めなかった」。
「集団はずっとペースが速くて、右から左から選手が飛び出す状態。登りを含むコースなのに平均スピードは45km/hオーバーでした。飛び出した2人(デヘントとターラマエ)はただ強かった。まるで飛行機みたいに飛んで行きました。追走したけど、脚のある2人が回し始めたので追いつけなかった」。結局今大会2度目のエスケープは果たせなかった。
「ゴール前の1級山岳(ヴァンス峠)はトレーニングキャンプで何度も登った場所。練習で登った時のほうが速かったかもしれない。最後はピショのためにトレインを組んだものの、障害物の多いゴール前で逸れてしまって機能しなかった」。
最終個人タイムトライアルについて聞くと「全開で走りますよ」と強い言葉が返ってくる。30km離れたホテルから自走でニースに向かい、レース後はニース空港からそのままフランスの自宅に戻るユキヤ。「あっという間の8日間」が終わろうとしている。
text&photo:Kei Tsuji in Nice, France
パリ〜ニースを表現する方法として、「太陽へのレース」の他に「ミニ・ツール・ド・フランス」という言葉がある。どちらも適切な表現であり、その他に方法が見当たらない。主催者が同じASOなので当然と言えば当然だけど、ありとあらゆるものがツールと共通している。
もちろん開催規模の点では、7月の「ラ・グラン・ブークル」と比べ物にならない。ざっくり言って、帯同するプレスの数やプレスセンターの大きなはツールの5分の1。観客も数は10分の1ぐらい。大会スタッフや警察の動きを見ていると、さながら7月に向けてのリハーサルをしているようだ。
この日のコースは、かのナポレオン一世が1815年に幽閉されていたエルバ島を脱出し、パリに向かって行軍した「ナポレオン街道(Route Napoleon)」を、シストロンからニースまで逆走する。プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏に広がる石灰岩の山々を存分に堪能するコースだ。
シストロン名物のボーム岩を撮影し、かなり大回りして(ヴェルドン渓谷沿いの荒い山道を140km走って…)82km地点のカステラーヌでコースイン。
「ナポレオン街道」沿いに広がるスケールの大きな山々に気を取られながらニースに向かう。今大会最長の219.5kmコースは、標高1000mオーバーの峠を繋いで行く。
天気が気になったので、前夜にGoogleで「Nice Weather」と検索。すると検索名の通りナイスウェザーという予報が出てきた。
ちなみにニースという言葉の語源は、現在のトルコ付近に住んでいたニカイア人である。紀元前にギリシャ人によって建設され、ニカイア人と交易があった場所としてその名前が付けられた。けっしてナイスなウェザーが由来ではない。
明らかに太陽の力が強く、風も暖かい。真冬でも最高気温が10度以上あるまさに地中海性気候(というかこれこそ地中海)。3月だと言うのに、もう泳いでいる人もいる。昨日は雪が降っていたのに。
ビーチには日光浴している観光客が溢れ、その上に“すり”の危険地域として知られるプロムナード・デ・ザングレ(イギリス人の遊歩道)がある。
景観保護のために高さが揃えられたホテルが建ち並ぶこの海岸通がゴール地点。ちょうどゴールを挟んだ東側は、通りがケー・デ・ゼタズュニ(アメリカ通り)に名前を変える。
観光客が鈴なりになった海岸通に独走でやってきたのは、昨年のパリ〜ニースでステージ優勝&マイヨジョーヌを3日間着たトーマス・デヘント(ベルギー、ヴァカンソレイユ・DCM)。一緒に逃げたレイン・ターラマエ(エストニア、コフィディス)は、昨年大会総合4位&新人賞を獲得した選手。つまり、今年まだ見せ場を作れていない2人が逃げた。
2年連続ステージ優勝を飾ったデヘントは「自分からアタックしたんじゃない。協力して逃げ切ろうと話していたのに彼(ターラマエ)がアタックしたから、カッとなってペースを上げた。すると彼が千切れたんだ」と、レース後の記者会見で笑いながら話す。「こんな美しいフィニッシュは初めてだよ」。
気付けばヴァカンソレイユ・DCMはステージ3勝目(ラーション、ヴェストラ、デヘント)。山岳賞ジャージも手にして、さらにリエーベ・ヴェストラ(オランダ)が総合2位・6秒差。総合優勝を射程圏内に捉えている。
総合では、リーヴァイ・ライプハイマー(アメリカ、オメガファーマ・クイックステップ)が3度の落車で完全に脱落した。報道陣がひしめくレース会場では気丈に振る舞っていたものの、宿泊先のホテルで見かけたときには脚を引きずっていた。最終個人タイムトライアルは、ただただ痛みに耐えながらの走りになりそうだ。
朝、「今日はフリーです。逃げにチャンスがあれば逃げるし、逃げることが出来なければ終盤の1級山岳でチームメイトを助けます」と話し、集団最前列でスタートした新城幸也(ユーロップカー)は、9分24秒遅れでやってきたメイン集団の前から19番目、ステージ21位でゴールした。チームメイトのアレクサンドル・ピショ(フランス)はステージ16位。
レース後、軽く身支度を整え、30km離れたホテルまで自走で戻ったユキヤにレースを振り返ってもらう。
前日のゴールの時点でかなり疲れていた様子だったものの「今日は最前列でスタートして、最初から全開でアタックを繰り返しました」と元気に話す。「昨日は踏めなかった」。
「集団はずっとペースが速くて、右から左から選手が飛び出す状態。登りを含むコースなのに平均スピードは45km/hオーバーでした。飛び出した2人(デヘントとターラマエ)はただ強かった。まるで飛行機みたいに飛んで行きました。追走したけど、脚のある2人が回し始めたので追いつけなかった」。結局今大会2度目のエスケープは果たせなかった。
「ゴール前の1級山岳(ヴァンス峠)はトレーニングキャンプで何度も登った場所。練習で登った時のほうが速かったかもしれない。最後はピショのためにトレインを組んだものの、障害物の多いゴール前で逸れてしまって機能しなかった」。
最終個人タイムトライアルについて聞くと「全開で走りますよ」と強い言葉が返ってくる。30km離れたホテルから自走でニースに向かい、レース後はニース空港からそのままフランスの自宅に戻るユキヤ。「あっという間の8日間」が終わろうとしている。
text&photo:Kei Tsuji in Nice, France
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