福島晋一(トレンガヌ・プロアジア)が開催中のツール・ド・インドネシア(UCI2.2)第8ステージでステージ優勝した。レースは残り2ステージ。福島晋一からのこれまでのステージの参戦手記でお伝えする(優勝した第8ステージ分は含まれていません)。

ツール・ド・インドネシア第8ステージでステージ優勝した福島晋一(トレンガヌ・プロアジア)ツール・ド・インドネシア第8ステージでステージ優勝した福島晋一(トレンガヌ・プロアジア) photo:CA PhotoGraphic

第1ステージ

インドネシアに来て酷い排ガスと衛生状態に悩ませられながら、困る事がある。インドネシアの印象を聞かれたときにどう答えていいかわからない。確かにこのような壮大なステージレースをできるのはすごい事で日本ではできない事。そして、人の笑顔がいいと言っている。
が、つねに緊張状態にいるのも確か。さて、朝5時半に起きて朝食をとる。
そして、会場まで走っていってスタート。

1周9kmを10周のまっ平らなレースだ。1周ニュートラルと聞いていたが、スタートしてからアタック合戦。どうやらレースが始まっている。じゃあ、パンクした時にニュートラルの意味だったのかと思ったが、そうでもなかったらしい。

今回はタブリーズ・ペトロケミカルが来ていないので、ライバルは香港チームだ。中盤の逃げでワン・カンポと飛び出した。4人で前の2人を吸収して6人になり、集団との差を1分に保ったまま最後の4kmに入った。逃げ切りは濃厚だ。

ワン・カンポとエディ・ホーランドの2人のスプリンターがいるのでスプリントでの勝利は難しいかと思ったが、結構、近かった。最後の300m横一線に並ぶ選手の中から、エディ・ホーラントがアタック。自分はすぐに反応したが少し離された。
そのまま差を詰めて行ってゴール前に交わす計算だったが、思ったよりもゴールが近くギリギリさせなかった。残念な2位になってしまったが、総合で集団から20秒ほど離したので今後の展開で有利に働くだろう。


第2ステージ

スタート地点に行くのに道に迷い、一瞬焦った。会場に着いてから、そのまま団体位1位の表彰。山岳賞の表彰があり。結局車に一度も行くことなくスタート。
リーダーのエディー・ホーランドと昔の話をしながらパレードを走っていた。
康司の懐かしい話などをしながら走ったが、その後彼は一日中僕の後ろから離れなかった。
警戒してくれて光栄だが、これでは手も出ないので大人しくアタックなしで走る。

一度、うちのチームを除く10人ほどの逃げを許してしまった。全員でコントロールして捕まえた。
山岳に入りアタックがかかる。リーダーがコントロールしないので集団の中で待機する。山岳賞は6位で通過。

その後集団は一つになるがワンカンポとインドネシアの選手が飛び出して行って1分差で逃げ続ける。最後にエディーホーランドチームが最後にコントロールするが捕まらずに集団は3位争いのスプリント。

ママとアヌアのスプリンターが戻ってこなかったので、列車を組むことなくゴール。ゴール直前で20人ほどの大きな落車があり集団がせき止められる。自分は転ぶことなくゴール。

ステージ優勝したワンカンポがリーダーとなったので明日からは少し走りやすくなりそうだ。自分の総合は4位まで下がってしまったが第5ステージの登り次第ではリーダーになれるのでいいポジションにつけていると言えなくもない。


第3ステージ

今日は朝から曇り空で涼しい。レース会場でゆっくり過ごした。用を足しにモスクのトイレに入ったが、2つあるトイレのどちらも長い。ずっと、水を流して「ばしゃばしゃ」やっている。体を清めているようだ。ルームメイトもトイレに入ったらずっと出てこない。何をしているのだろうか?
一日5回のお祈りの前後体を清めなければならないのだろうか? とにかく水浴びが好きな人々である。

さて、レースは序盤0km過ぎても誰もアタックしない。自分はマークされているのは分かっているのだがきつい上りをゆっくり登れないたちで、2回アタックしてみたが決まらない。
山岳賞の登りでは香港チームのアタックを全部受けて立つという荒業で乗り切り。(ポイントはとれず…)
その後、下りきったところで3人がアタックしたのに追いついた。地元ポリゴンの2番。インホーン(香港)、クリストファー(ドイツ)、リーダーのワンカンポが後ろなのでインホーンは引かない。
3人で回っていたが、インドネシアの選手が風下を走ったりするのでみんなでどやしながら走る。

集団の差は2分まで広がった。そのままの差を保ったまま残り10kmに入った。
リーダーを獲得できるからひかなくてはならない。ステージ優勝も欲しいがこの際、総合で少しでも有利に立っておきたい。

ポリゴンの2番は回れなくなってきて、ほぼクリストファーと2人引きではあるが、クリストファーも俺に「もっと踏め」と言う割にはペースをあげてすぐに先頭をかわる。
適当にあしらいながら、ゴールまで辿り着いた。
それまで死んでいたインドネシア人が残り300mでアタック。すごく切れが良くつけなかった。
そして、ポリゴンのインドネシア人の優勝。50kmつき一で勝てなかったインホーンが珍しく怒っている。どうやらはば寄せされたようだ。
彼の演技力に感心していた自分だが、リーダージャージまで彼の手に渡ったとと聞いて
黙らざるを得なかった。

地元の選手が活躍するのはいいことだが、勝ち方が良くない。強い選手について行って、最後だけちょろっとさせばいい的な走り方をするアジア人が多いからだ。

じゃあ、帰ろうかと思っていた矢先にポディウムに招集がかかった。ステージ4位だと思っていたが3位に繰り上がり。ポリゴンのインドネシアの選手が危険走行で降格になったのだ。
インホーンとクリストファーは「神様が見てた」なんて言って喜んでいたが、なんだかインドネシアの選手がかわいそうだった。まあ、彼がリーダーになってもどうせコントロールしないから、今から着ておいた方がいいかもしれない。

多くの人に祝福された。5年前に来た時の事を覚えていてくれた人もいた。この街のゴールが5年前、自分が康司と逃げ切ってリーダーになった時の町にそっくるだった。もしかしたら、同じ街かもしれない。なんと相性がいい街なのだろうか?明日の事は明日考えてもうそろそろ寝ます。

第4ステージ

マレーシア人は東南アジアの人に特有なのだがエアコンが大好きでそれも、設定温度は16度。設定温度をあげてドライにして寝るのだが、自分も最近寝つきが悪く、あまり寝た気がしない。痰も絡んで、咳も出る。
6時半に目覚ましをかけるのだが6時前には目が覚めてしまう。調子はいいのだが、疲れているようだ。

久々に黄色いジャージを着てスタートする。どれくらい久々か。ここのところは最終日に逆転勝利が2回続いたから、ツール・ド・サイアム以来かな?いや、ブエルタ・レオンかもしれない。

会場についてセレモニーを待っていたらやはり準備をする暇もなく。慌ただしくスタート。
序盤、あまり強そうではない選手が単独アタックしたので容認したが、抑えても一向に離れていかないので諦めた。
結局70km、までアタック合戦。その後、自分がアヌアとワン・カンポ、エディー・ホーランドの乗る逃げに乗って2分差を維持したまま逃げ切った。

アヌアにワンカンポをマークさせておいたら、ゴール前で2人がアタックした時にワン・カンポと一緒に取り残されてしまい。
自分は残り500mまで3人の集団で2人を追っていたが、その3人の中から飛び出して
前を追った。
牽制していたが残り200mでプランBの選手がインドネシア人をちぎって単独ゴールへ。
かなりのスピード差で前を追いインドネシア人を抜き去ったが、トップまではギリギリ届かなかった。

このような形で勝利を逃すのは今回2回目だ。しかし、総合2位と3位、4位が乗っていなかったので総合2位のワンカンポに1分16秒の差をつけることが出来た。明日は登るのみ。

第5ステージ

いよいよ、2000mの山頂ゴール。前半戦の山場であるが昨日から体調が急に下り模様で、昨日の夕食も今朝の朝食もほとんど食べれなかった。梅丹エキスをいつもの3倍ほどにして摂りながらスタート。

序盤に香港が後方待機だったので香港以外の選手を逃がして、香港にも追ってもらう作戦。それは見事に的中したが肝心な山岳で全然力が入らなかった。
コントロールしていたチームメイトにお尻を登りながら登ったが、ちょうど力尽きて、チームメイトにも「前に行っていいよ」と言ったあとから勾配がきつくなる。
残り1kmかと思った看板は残り5kmで、そこからがタイ合宿のスペイン坂くらいあった。
フラフラになって脚をつきそうになるが、俺は自転車選手だと言い聞かせて踏みとどまる。蛇行していて、抜いてくる一般バイクに突っ込まれそうになりながらなんとかゴール。
久々にへろへろになって倒れこんでしまった。

黄色いジャージは失ってみると本当に悔しいもので、また着たくなる。30分遅れてしまったので今回は難しいが、また味わいたい。
優勝はトリプルギヤを用意していたポリゴンチームのワン・ツーゴール。地の利を生かしたインドネシアチームがリーダージャージを獲得した。
食欲も少し戻ってきて、水分も吸収するようになってきたので明日はしっかり休養して後半に備えたい。

アヌアとハリフの2人のスプリンターは車に捕まって失格になってしまった。マレーシア人は簡単に車に捕まるところが困ったところで、捕まっても「運が悪かった」「他のインドネシア人もやっていたのに俺たちだけ失格になった」と悪びれる事もない。
今回は自分のアシストをしてからの激坂で、27Tのギアは僕の分しかなかったから、悪い事をしたとは思うが、チーム内で彼らを諭せる人間がいないので
「上のステージに行きたかったら、車にはつかまるな。下と比べるな」と言っておいた。しかし、悔しいがすべてを失った訳ではない


第6ステージ

いよいよ後半戦。選手も疲労度も結構上がってきていて、体調を壊している選手も多い。
なかなか、サバイバルな状況になってきた。
会場まで流していく。

最初はかなり飯に気を配っていたが、だんだんと暗闇に目が慣れてくるように、危ない店と危なくない店。危なくない店の中でも危ない食品が分かってきた。排ガスの中を走るのは相変わらずうんざりさせられるが。

さて、レースの前にファンの人が写真を持ってきてくれた。2006年8月31日、朝9時9分の写真には、自分が黄色いジャージを着て彼と写真に収まっているが顔がやつれている。
ちょうど、食あたりでリタイヤする日の朝だ。
あの日はセレモニーで立っているのも辛かった。その写真を今まで大切に持っていてくれて、今回持ってきてくれた事が嬉しい。

さて、レースはスタートアタックしてみたが香港の選手が先頭で追ってくる。
間もなく、10人ほどのに逃げが決まり。チームからはだれも乗っていないのでアタックして追った。いつもなら一気に追いつけるのだが、なかなか追いつかない。
暫く宙ぶらりんで走りながら、今日は思ったより良くないなと思った。

ステージ優勝はきついかもしれない。そう思ってると、後ろからオランダ人がインドネシア人を連れて追いついてきたので、飛び乗って前に追い付いた。逃げは12人。
ほとんどのチームが揃っている。

今日はゴール前に危険で急な下り坂があって、下りきってから3kmでゴールという、とても楽しいコースだ。

残り20kmの下りでオランダ人がアタック。予想より早くて自分も慌てて追ったが追いつけない。最後の下りに入る時には視界から消えていた。

下りきって、5人になる。アタックしてみたが、香港のインホンに追われて、カウンターで彼のアタックは総合上位につけるドイツ人に追わせようと思ったが、彼も役者で追わない。
そうこうしているうちにゴールが来てしまいスプリントでドイツ人に勝って4位でゴール。今日も優勝を逃してしまった。まあ、体調が低い割には走れたので明日から良くなると思う。


第7ステージ

曇り空だと嬉しくなる。涼しくていい。しかし、スタートするころには空が薄い水色になってきていたりする。
水色が薄いのは排気ガスが町中に立ち込めているからではないかと思う。口の中の風邪の味はしなくなったが、気管支炎がはげしく。昨日の夜も何度かむせて目が覚めた。インドネシアを出たら、治るような気がする。

序盤からアタックしたが連日逃げに乗っているので、自分が動くとみんな追ってくる。追ってきて、一緒に引いてくれるのならいいが、協力的ではないし、集団の選手の逃げたいという気持ちと遅れたくないという気持ちを比べた時に、遅れたくないという気持ちが強い気がする。

それでも、スプリントポイントをマッパリにとらせるべく、アタックを続けた。2番目のスプリントポイントでは2位通過だったがリーダーがそれぞれ2位、1位だったので5ポイント差に離されてしまった。

橋の上にオイルが流れていたのだろうか? 狭い橋の上で落車が起こり、自分もギリギリ止まったが、後ろから突っ込まれて、選手の上に落ちた。ちょうど、総合2位のクリストファーの上に落ちた。
人の上に落ちたのでかすり傷もしなかった。25人ほどが転んだ。みな、道路のオイルがついて怪我口が黒い。

後半、香港チームが攻撃に出たがそのまま集団ゴールに。残り5kmでアタックしたが追いついてきた選手の協力を得られず集団に戻る。
残り1km、先頭で入ったがスプリントに入った途端にインドネシア人にもたれ掛られて、もがけなかった。

ゴールしたら、マチャンことウマディが「マッパリが勝った」という。ここ数日、集団の頭をとっていたので調子はいいのは知っていたが、勝てて本当に良かったと思う。ウマディが「マッパリは本当にラッキーだ」と言う。
ラッキーだけでは勝てないなんて当たり前すぎる事を言うまでもないので言わなかったがマレーシア人はスプリンターがいっぱいだ...。



text:Shinichi.Fukushima
photo:CA PhotoGraphic
edit.Makoto.AYANO