2024/06/22(土) - 11:15
今年のニセコクラシック150kmで優勝した小林亮(soleil de lest)と、レースを動かした高岡亮寛(Roppongi Express)、加藤大貴(COW GUMMA)らのコメントを紹介。あわせて、ニセコクラシック主催者の前田和輝さんにコース変更の経緯や2026年ニセコでの開催が決まったグランフォンド世界選手権について話を聞いた。
150km総合優勝 小林亮(soleil de lest)「コース変更でパンチャー向きになった」
2022年、JBCF(全日本実業団自転車競技連盟)主催のJエリートツアーE1カテゴリーで年間総合優勝した経歴を持つ小林亮(soleil de lest)。ニセコクラシック150kmは昨年に続き2度目のチャレンジで総合優勝を遂げた。
「最終コーナーを3、4番手くらいで曲がって、同じカテゴリーの人が抜け出ていたので早めに捕まえようと追いかけました。でもその人があまり伸びなくて、早駆けしたようになってちょっとヤバいかなと思ったけれど、退くわけにはいかなかったのでそのまま踏み切りました。
コースが逆回りになったのもあって風向きがいつもと逆になり、逃げには不利な展開かなと感じていました。後半の登りが終わってから加藤(大貴、COW GUNMA)さんが1人逃げで1分差つけていたのでちょっとキツいかなと思っていたけれど、下りで吸収して振り出しに戻せました。その時20人くらいまで絞られていたので、もう1回勝負だと気合を入れ直しました。
ニセコクラシックは5年前くらいに70km(現在の80kmクラス)で優勝して、昨年150kmに出場して年代別で2位になり、今年優勝することが出来ました。以前は後半が登りっぱなしだったけれど、コースが変わって登りの合間に休めるところがあったので、パンチャーの僕向きな変更になったと思います。
来週の全日本マスターズは、これまで3年連続3位なので今年こそチャンピオンジャージを着たい。ツール・ド・おきなわは過去に100kmと140kmで優勝しているので、210kmでも優勝したいと思ってます。そうすればコンプリートですね」
高岡亮寛(Roppongi Express)「今回は特に集団がまったりしているように感じた」
150kmに出場した誰もが動きを注目していたであろう高岡亮寛(Roppongi Express)。アンバウンドグラベルから帰国して2週間というタイミングで疲労などの影響は無かったと言うが、意図したようなレース展開にならず、「今日は僕の日ではなかった」と振り返る。
「小出(樹、イナーメ信濃山形)君と2人になって、調子良さそうだったから一緒に行ければと思っていたけれど、1人になってしまったのは誤算でした。残り距離を考えるとそのまま1人で行くには厳しいと思い、集団を待つことにしました。仮に小出君とあのまま2人で行けたとしても最後まで逃げ切るのは難しかったかもしれない。けれど、その後の展開は違うものになっていたかもしれませんね。
その後、加藤(大貴、COW GUMMA)君ら2人が追いついてきて良い展開になったと思ったけれど、加藤君が速かった。それまでに脚を使ってしまっていたのでついて行けず、それで今日勝つのは難しいなと思いました。集団に戻ったけれど人数が減らず、そのままゴールまで行ってしまったのであまり良いレースではなかったですね。
コースの変更で登りが短くなって勾配が緩くなったので、集団が大きいまま行ってしまうのではと思ったけれど、今回は特に集団がまったりしていたように感じました。
このあとはデンマークでのグランフォンド世界選手権と、ツール・ド・おきなわを最大の目標にしていきます」
加藤大貴(COW GUMMA)「ロードレースは甘くなかった」
ヒルクライマーの加藤大貴は、ニセコクラシック初参戦。終盤には高岡亮寛(Roppongi Express)らを切り離して単独先行して見せるも、優勝にはあと一歩及ばなかった。
「ニセコクラシックは初めてです。コースが変わって僕のようなクライマー向きのコースではなくなったと聞いていたので、仕掛けるなら110kmあたりからのダラダラした登りから行ければいいなと考えていました。あと数人ついて来れば回していけたと思うけれど、足がつりかけていたのでペースダウンしてしまい、あとは集団に捕まって淡々と走る感じでした。出来れば逃げ切りたかったけれど、ロードレースはそこまで甘くないと感じましたね。
ニセコのコースは幅もあって走りやすかったです。ヒルクライムレースオンリーで走っていますが、今年はツール・ド・おきなわにも出場してみたいと思っているので、良い刺激になりました」
ツール・ド・北海道での事故を踏まえてのコース変更と全面規制 2026年は世界選手権開催へ
レースレポートでお伝えした通り、今年のニセコクラシックはコースの変更が行われ、獲得標高が約130m低められた。それは従来のヒルクライマー有利なコースからパンチャー向きなコースに変貌したという上記3選手のコメントにも表れている。
コース変更の狙いと今回追加された安全対策、さらに2026年の開催が決まった世界選手権についての話を、ニセコクラシックを主催する一般社団法人北海道イベンツの前田和輝さんに話を聞いた。
開催前提で進めた警察との交渉
「昨年のツール・ド・北海道は現場でお手伝いをしていましたが、事故のあと自分達だったらどうだったろうと考えました。その直後に警察から連絡があって、起きてしまったことは仕方ないけれど、公道を使用するスポーツイベントはこれまでと同じ流れでは使用許可を出せなくなったと伝えられました。
その上で来年どうしますか?と聞かれたので、僕らとしてはずっと続けてきたイベントでもあるし、無くなることで寂しい思いをする人もいるから、継続したいと即答しました。
それで開催出来るような安全対策を一緒に作っていこうという話になったのが昨年10月頃。そこからコースの周り方や規制のやり方を検討・試行錯誤して、競技の性格上コースは全て全幅規制(=全面規制)にしようという方針になったのが昨年末でした」
地元の方への配慮としてのコース変更
「そこから、ニセコクラシックとして使用するコースはそのままの前提で、地域の皆さんに迷惑がかかりずらいレイアウトを考え、後半部分を逆回りにしました。それにより従来は山から蘭越町の市街地へと規制していたところを、市街地から山へ向けて規制していくことになります。これで規制によって動きが取れなくなる時間が早めに終わり、別の道へ抜けることも可能になります。それを元に警察と話を詰めていき、今年の春先までかかりましたがこのコース設定で決まりました。
コースの変更により獲得標高を下げ、85kmはスタート直後の登り区間をカットして80kmにして、全体のペースを早めて規制時間を早めに切り上げられるようにしました。交通規制がかかると聞いて喜ぶ人はいませんからね。『いつも応援してるからその日は出かけないようにする』と言ってくれる人もいたけれど、エリア的には夏は観光よりも農業が主になるので、農作業の邪魔をしないようにするのが重要になります。
全幅規制になることはチラシをいっぱい作って配り歩き、国道と道道の管理事務所を通して情報発信をしました。それでも全ての人に行き渡ることは無いので、今までの感覚でコースに入ってきてしまう人がいたらどうしようとか、悩みは尽きませんでした。
当日は立哨を1.5倍にして、ガードマンさんを入れると約500人を配置しました。エスコートモトをつけたことも大きく、集団に先行して路上駐車やコース内に入る車を静止させたり、誘導したりと、機転をきかせて動くことが出来たので、安全対策の中では重要だったと思います。おかげで無事終わることが出来ました」
2026年グランフォンド世界選手権の開催決定
大会直前には、UCI(国際自転車競技連合)から2026年にニセコでグランフォンド世界選手権が開催されることが発表された。しかし、まずは今年の開催を無事に終えることに集中したと前田さんは話す。
「グランフォンド世界選手権については大会開催前に決定の連絡を頂いていましたが、まずは今年の大会を無事に収めてから未来の話が出来ると考えていたので、積極的な発信を控えていました。警察からも「まずは目の前のことを安全にしてもらってから、次の年のことやもっと大きな話をしよう」と言われていたので、今回無事に終えられてひとつのベースが出来たと思います。
コースレイアウトは世界選手権を開催するに資すると評価していただいています。タイムトライアルとかチームリレーとか、新たに作らなければいけないことはあるけれど、開催までの2年間で作り上げていこうと思っています」
今後の北海道内でのレース開催に向けて
一方で、今回のニセコクラシックは昨年のツール・ド・北海道以降初のUCIレースとなるため、安全対策をはじめとるす開催方法が今後の北海道でのレース開催に影響を与えると見る人も多かった。
「ツール・ド・北海道とニセコクラシックはまったく別の運営母体で別の大会ではあるけれど、北海道外の方からは横に並べて見られるのは確かです。ツール・ド・北海道の方が歴史もあって知見も高いけれど、僕らがやれたことで復活開催に向けての一つの道筋になったのではないかと思っています。今回ツール・ド・北海道協会の方が視察に来られていましたが、再開を念頭に置いてのニセコクラシックだったとも感じています。
今回無事開催出来たことが北海道の他のレースについても良い影響を及ぼせるのであれば、僕らとしては嬉しいですね」
text&photo:Satoru Kato
150km総合優勝 小林亮(soleil de lest)「コース変更でパンチャー向きになった」
2022年、JBCF(全日本実業団自転車競技連盟)主催のJエリートツアーE1カテゴリーで年間総合優勝した経歴を持つ小林亮(soleil de lest)。ニセコクラシック150kmは昨年に続き2度目のチャレンジで総合優勝を遂げた。
「最終コーナーを3、4番手くらいで曲がって、同じカテゴリーの人が抜け出ていたので早めに捕まえようと追いかけました。でもその人があまり伸びなくて、早駆けしたようになってちょっとヤバいかなと思ったけれど、退くわけにはいかなかったのでそのまま踏み切りました。
コースが逆回りになったのもあって風向きがいつもと逆になり、逃げには不利な展開かなと感じていました。後半の登りが終わってから加藤(大貴、COW GUNMA)さんが1人逃げで1分差つけていたのでちょっとキツいかなと思っていたけれど、下りで吸収して振り出しに戻せました。その時20人くらいまで絞られていたので、もう1回勝負だと気合を入れ直しました。
ニセコクラシックは5年前くらいに70km(現在の80kmクラス)で優勝して、昨年150kmに出場して年代別で2位になり、今年優勝することが出来ました。以前は後半が登りっぱなしだったけれど、コースが変わって登りの合間に休めるところがあったので、パンチャーの僕向きな変更になったと思います。
来週の全日本マスターズは、これまで3年連続3位なので今年こそチャンピオンジャージを着たい。ツール・ド・おきなわは過去に100kmと140kmで優勝しているので、210kmでも優勝したいと思ってます。そうすればコンプリートですね」
高岡亮寛(Roppongi Express)「今回は特に集団がまったりしているように感じた」
150kmに出場した誰もが動きを注目していたであろう高岡亮寛(Roppongi Express)。アンバウンドグラベルから帰国して2週間というタイミングで疲労などの影響は無かったと言うが、意図したようなレース展開にならず、「今日は僕の日ではなかった」と振り返る。
「小出(樹、イナーメ信濃山形)君と2人になって、調子良さそうだったから一緒に行ければと思っていたけれど、1人になってしまったのは誤算でした。残り距離を考えるとそのまま1人で行くには厳しいと思い、集団を待つことにしました。仮に小出君とあのまま2人で行けたとしても最後まで逃げ切るのは難しかったかもしれない。けれど、その後の展開は違うものになっていたかもしれませんね。
その後、加藤(大貴、COW GUMMA)君ら2人が追いついてきて良い展開になったと思ったけれど、加藤君が速かった。それまでに脚を使ってしまっていたのでついて行けず、それで今日勝つのは難しいなと思いました。集団に戻ったけれど人数が減らず、そのままゴールまで行ってしまったのであまり良いレースではなかったですね。
コースの変更で登りが短くなって勾配が緩くなったので、集団が大きいまま行ってしまうのではと思ったけれど、今回は特に集団がまったりしていたように感じました。
このあとはデンマークでのグランフォンド世界選手権と、ツール・ド・おきなわを最大の目標にしていきます」
加藤大貴(COW GUMMA)「ロードレースは甘くなかった」
ヒルクライマーの加藤大貴は、ニセコクラシック初参戦。終盤には高岡亮寛(Roppongi Express)らを切り離して単独先行して見せるも、優勝にはあと一歩及ばなかった。
「ニセコクラシックは初めてです。コースが変わって僕のようなクライマー向きのコースではなくなったと聞いていたので、仕掛けるなら110kmあたりからのダラダラした登りから行ければいいなと考えていました。あと数人ついて来れば回していけたと思うけれど、足がつりかけていたのでペースダウンしてしまい、あとは集団に捕まって淡々と走る感じでした。出来れば逃げ切りたかったけれど、ロードレースはそこまで甘くないと感じましたね。
ニセコのコースは幅もあって走りやすかったです。ヒルクライムレースオンリーで走っていますが、今年はツール・ド・おきなわにも出場してみたいと思っているので、良い刺激になりました」
ツール・ド・北海道での事故を踏まえてのコース変更と全面規制 2026年は世界選手権開催へ
レースレポートでお伝えした通り、今年のニセコクラシックはコースの変更が行われ、獲得標高が約130m低められた。それは従来のヒルクライマー有利なコースからパンチャー向きなコースに変貌したという上記3選手のコメントにも表れている。
コース変更の狙いと今回追加された安全対策、さらに2026年の開催が決まった世界選手権についての話を、ニセコクラシックを主催する一般社団法人北海道イベンツの前田和輝さんに話を聞いた。
開催前提で進めた警察との交渉
「昨年のツール・ド・北海道は現場でお手伝いをしていましたが、事故のあと自分達だったらどうだったろうと考えました。その直後に警察から連絡があって、起きてしまったことは仕方ないけれど、公道を使用するスポーツイベントはこれまでと同じ流れでは使用許可を出せなくなったと伝えられました。
その上で来年どうしますか?と聞かれたので、僕らとしてはずっと続けてきたイベントでもあるし、無くなることで寂しい思いをする人もいるから、継続したいと即答しました。
それで開催出来るような安全対策を一緒に作っていこうという話になったのが昨年10月頃。そこからコースの周り方や規制のやり方を検討・試行錯誤して、競技の性格上コースは全て全幅規制(=全面規制)にしようという方針になったのが昨年末でした」
地元の方への配慮としてのコース変更
「そこから、ニセコクラシックとして使用するコースはそのままの前提で、地域の皆さんに迷惑がかかりずらいレイアウトを考え、後半部分を逆回りにしました。それにより従来は山から蘭越町の市街地へと規制していたところを、市街地から山へ向けて規制していくことになります。これで規制によって動きが取れなくなる時間が早めに終わり、別の道へ抜けることも可能になります。それを元に警察と話を詰めていき、今年の春先までかかりましたがこのコース設定で決まりました。
コースの変更により獲得標高を下げ、85kmはスタート直後の登り区間をカットして80kmにして、全体のペースを早めて規制時間を早めに切り上げられるようにしました。交通規制がかかると聞いて喜ぶ人はいませんからね。『いつも応援してるからその日は出かけないようにする』と言ってくれる人もいたけれど、エリア的には夏は観光よりも農業が主になるので、農作業の邪魔をしないようにするのが重要になります。
全幅規制になることはチラシをいっぱい作って配り歩き、国道と道道の管理事務所を通して情報発信をしました。それでも全ての人に行き渡ることは無いので、今までの感覚でコースに入ってきてしまう人がいたらどうしようとか、悩みは尽きませんでした。
当日は立哨を1.5倍にして、ガードマンさんを入れると約500人を配置しました。エスコートモトをつけたことも大きく、集団に先行して路上駐車やコース内に入る車を静止させたり、誘導したりと、機転をきかせて動くことが出来たので、安全対策の中では重要だったと思います。おかげで無事終わることが出来ました」
2026年グランフォンド世界選手権の開催決定
大会直前には、UCI(国際自転車競技連合)から2026年にニセコでグランフォンド世界選手権が開催されることが発表された。しかし、まずは今年の開催を無事に終えることに集中したと前田さんは話す。
「グランフォンド世界選手権については大会開催前に決定の連絡を頂いていましたが、まずは今年の大会を無事に収めてから未来の話が出来ると考えていたので、積極的な発信を控えていました。警察からも「まずは目の前のことを安全にしてもらってから、次の年のことやもっと大きな話をしよう」と言われていたので、今回無事に終えられてひとつのベースが出来たと思います。
コースレイアウトは世界選手権を開催するに資すると評価していただいています。タイムトライアルとかチームリレーとか、新たに作らなければいけないことはあるけれど、開催までの2年間で作り上げていこうと思っています」
今後の北海道内でのレース開催に向けて
一方で、今回のニセコクラシックは昨年のツール・ド・北海道以降初のUCIレースとなるため、安全対策をはじめとるす開催方法が今後の北海道でのレース開催に影響を与えると見る人も多かった。
「ツール・ド・北海道とニセコクラシックはまったく別の運営母体で別の大会ではあるけれど、北海道外の方からは横に並べて見られるのは確かです。ツール・ド・北海道の方が歴史もあって知見も高いけれど、僕らがやれたことで復活開催に向けての一つの道筋になったのではないかと思っています。今回ツール・ド・北海道協会の方が視察に来られていましたが、再開を念頭に置いてのニセコクラシックだったとも感じています。
今回無事開催出来たことが北海道の他のレースについても良い影響を及ぼせるのであれば、僕らとしては嬉しいですね」
text&photo:Satoru Kato
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