2015/05/21(木) - 15:21
モータースポーツが大好きなイタリア人にとってイモラサーキットは特別な存在。特にナショナルチーム的な存在であるフェラーリに関連するサーキットであればなおさらだ。冷たい雨に降られたジロ第11ステージを振り返ります。
この日も獲得標高差は3000m近くに達した。3級山岳とは思えないような厳しい登りが序盤から登場し、どうしてカテゴリーが付いていないのか理解できないような厳しい登りがその先に並んでいる。
確かに標高2700mに達するようなアルプスのステージもなければ、ステージ間の移動も少なくて時間に余裕がある2015年のジロは「人間らしくなった」。しかし、こういった何気ない厳しいステージが今大会には多く設定されている。「前半からこんなに厳しいグランツールは今まで経験したことがない」とマリアローザのアルベルト・コンタドール(スペイン、ティンコフ・サクソ)に言わしめるほどだ。
序盤からハイペースのアタック合戦が予想されたため、この日はローラー台でアップする選手が続出。フォルリの街中にずらりと並んだチームバスの横で、ずらりと並んでローラー台でアップする。前日に長距離集団牽引をした別府史之(トレックファクトリーレーシング)もその1人だ。
「今日のステージが厳しいので、昨日はどの選手も力を出し切っていなかったような気がします。逃げが速かったのもあるけど、終盤は55km/hオーバーで引いていたのに追いつかなくて残念だった」。そんなことをケロリと言いながら、別府は淡々とボーイ・ファンポッペル(オランダ)とアップする。
「今日は序盤のアタックに加わって逃げたい」。休息日前には自身のグランツール史上最も体調を崩したというが、もう完調した様子だ。
イモラサーキットの正式名称は「アウトドローモ・インテルナツィオナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ」。一息で言えないような名前はフェラーリ創業者とその息子の名前に由来する。「アウトドローモ・インテルナツィオナーレ」は「国際自動車競技場」の意味。
1981年から2006年までは同サーキットでF1サンマリノGPが開催。その間、ミラノ近郊のモンツァサーキットでF1イタリアGPが開催され、実質的にイタリアで2レースが行われていたが、2007年のルール変更によって「1国1レース」が決まったため、イモラサーキットがF1カレンダーから姿を消した。そのルール変更を契機にF1はより国際化を果たすことになる。どこかUCIの動きに通じるところがある。
よく言われることだが、700kgに満たない車体に700馬力以上のエンジンを搭載したF1カーであればどんなコースも平坦に見えてしまうが、サーキットは見た目以上に起伏に富んでいる。
フィニッシュラインが引かれた最終ストレートの先にはアイルトン・セナが1994年に死亡事故を起こしたタンブレロコーナーがあり、色あせたブラジル国旗が掲げられていた。この日、ムリロ・フィッシャー(ブラジル、FDJ)は、母国の英雄をリスペクトし、セナと同じスペシャルカラーのヘルメットを被って出場している。
モータースポーツ好きでなくても、イタリア人にとっては特別な存在だと感じるイモラサーキット。その証拠として、この日のガゼッタ紙にはサーキットとジロの歴史に関する特集が2ページにわたって組まれた。さらに、この日だけ取材に来るフォトグラファーの数が際立って多かった。
翌日の登りフィニッシュを見据えた予行演習のようなアタックを、最後の4級山岳トレモンティでコンタドールは繰り出した。雨とアップダウンの厳しい1日の最後に、ライバルたちの脚を試した。
「グランツールを走れば良い日もあれば悪い日もある。まだ映像を確認してないけど、ライバルたちの調子が良くないように見えた」とコンタドール。肩に負担がかかる理由で表彰式のシャンパンファイトはまだ控えているが、左肩脱臼はもう過去の話。ジロは後半戦へと入る。
text&photo:Kei Tsuji in Imola, Italy
この日も獲得標高差は3000m近くに達した。3級山岳とは思えないような厳しい登りが序盤から登場し、どうしてカテゴリーが付いていないのか理解できないような厳しい登りがその先に並んでいる。
確かに標高2700mに達するようなアルプスのステージもなければ、ステージ間の移動も少なくて時間に余裕がある2015年のジロは「人間らしくなった」。しかし、こういった何気ない厳しいステージが今大会には多く設定されている。「前半からこんなに厳しいグランツールは今まで経験したことがない」とマリアローザのアルベルト・コンタドール(スペイン、ティンコフ・サクソ)に言わしめるほどだ。
序盤からハイペースのアタック合戦が予想されたため、この日はローラー台でアップする選手が続出。フォルリの街中にずらりと並んだチームバスの横で、ずらりと並んでローラー台でアップする。前日に長距離集団牽引をした別府史之(トレックファクトリーレーシング)もその1人だ。
「今日のステージが厳しいので、昨日はどの選手も力を出し切っていなかったような気がします。逃げが速かったのもあるけど、終盤は55km/hオーバーで引いていたのに追いつかなくて残念だった」。そんなことをケロリと言いながら、別府は淡々とボーイ・ファンポッペル(オランダ)とアップする。
「今日は序盤のアタックに加わって逃げたい」。休息日前には自身のグランツール史上最も体調を崩したというが、もう完調した様子だ。
イモラサーキットの正式名称は「アウトドローモ・インテルナツィオナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ」。一息で言えないような名前はフェラーリ創業者とその息子の名前に由来する。「アウトドローモ・インテルナツィオナーレ」は「国際自動車競技場」の意味。
1981年から2006年までは同サーキットでF1サンマリノGPが開催。その間、ミラノ近郊のモンツァサーキットでF1イタリアGPが開催され、実質的にイタリアで2レースが行われていたが、2007年のルール変更によって「1国1レース」が決まったため、イモラサーキットがF1カレンダーから姿を消した。そのルール変更を契機にF1はより国際化を果たすことになる。どこかUCIの動きに通じるところがある。
よく言われることだが、700kgに満たない車体に700馬力以上のエンジンを搭載したF1カーであればどんなコースも平坦に見えてしまうが、サーキットは見た目以上に起伏に富んでいる。
フィニッシュラインが引かれた最終ストレートの先にはアイルトン・セナが1994年に死亡事故を起こしたタンブレロコーナーがあり、色あせたブラジル国旗が掲げられていた。この日、ムリロ・フィッシャー(ブラジル、FDJ)は、母国の英雄をリスペクトし、セナと同じスペシャルカラーのヘルメットを被って出場している。
モータースポーツ好きでなくても、イタリア人にとっては特別な存在だと感じるイモラサーキット。その証拠として、この日のガゼッタ紙にはサーキットとジロの歴史に関する特集が2ページにわたって組まれた。さらに、この日だけ取材に来るフォトグラファーの数が際立って多かった。
翌日の登りフィニッシュを見据えた予行演習のようなアタックを、最後の4級山岳トレモンティでコンタドールは繰り出した。雨とアップダウンの厳しい1日の最後に、ライバルたちの脚を試した。
「グランツールを走れば良い日もあれば悪い日もある。まだ映像を確認してないけど、ライバルたちの調子が良くないように見えた」とコンタドール。肩に負担がかかる理由で表彰式のシャンパンファイトはまだ控えているが、左肩脱臼はもう過去の話。ジロは後半戦へと入る。
text&photo:Kei Tsuji in Imola, Italy
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