2010/02/02(火) - 12:08
「訪れた転機。18年の自転車人生を振り返る」
人には皆、転機が訪れる。たとえその時点では気付かなかったとしても、人生を振り返った時にふと胸に感じる出来事がある。そんな思いを、廣瀬敏が引退という大きな節目を期に、高校生のMTBレースから始まった自転車人生を今振り返る。私が引退して3カ月。ツール・ド・おきなわを最後に引退したことが昨日のような感じがしています。
今回、このような場を提供して頂くことができましたので、簡単に私の自転車人生を振り返って書いてみました。

その時はまだレースに出るというよりも、小学生の子供たちが自転車で競争するような感じで、毎朝、自転車屋の前に集合し、近所の山などを走り回って、誰が一番速いかを競う程度でした。
それから、2カ月位が過ぎたころ、近くでマウンテンバイクの大会があるという情報が入り、軽い気持ちで出場する事に。
そして、そのレースでまさかの優勝! しかも、一緒に参加した友達や弟の学も入賞し、表彰台を独占!その時の興奮や喜びは今でもはっきりと覚えています。一番下のカテゴリーでしたが。
ですが、私が競技者としてやっていきたいと思うようになったのは、この優勝ではなく、二度目のレース参戦で2位になった時でした。その時はものすごく悔しく、その悔しい思いをしたくないという気持ちで、真剣に自転車に取り込むようになりました。
この2位が競技者への第一歩になったのだと私は思っています。もしそこで優勝をしていたら、自転車を続けてはいなかったかもしれません。

そのインカレでの結果は5位だったのですが、そこで自分を選手として育ててくださった、大門宏・現TEAM NIPPO監督と出会うことになったのです。
その時の私は、「自分の力を伸ばすためには今までと違う環境で、そして違う刺激を受けなければならない」と感じていたので、大門監督との出会いは今から思うと運命的でした。
今思うと凄いと思うのですが、大学を卒業してすぐに(正確には卒業する前の2月)、ヨーロッパのプロとして走ったのです。
なにせ、私はこの年までマウンテンバイクの選手であり、ロードの経験は大学の3レースと、中部8県、国体の計5レースしかなかった。そんな私がロードレースの本場のプロとして走る。しかも、ヨーロッパに渡ってからプロのカテゴリーで走ることを知ったのです。
それが自分にとって良かったのか、日本のロードレースとヨーロッパのロードレースの力の差を感じること無く、良い意味でのびのびと走ることができ、色々な物を吸収できたのではないかと思います。
「北海道優勝。しかし目標を失いかける」
大門監督の下で素晴らしい経験を積んだことにより、26歳の時には、自分がTEAM NIPPOに入った時からの目標でもあり、夢でもあったツール・ド・北海道で、区間優勝と個人総合優勝をとることができ、選手としての大きなステップアップをすることができました。その時、個人総合のマラカイトジャージ(グリーンジャージ)を獲得した日の夜は、嬉しくてそのジャージを枕元に置いて寝たのを今でも覚えています。
しかし、北海道の優勝後、私は正直目標を失いかけていました。選手として目標を失うことは、やはり成績を残すことができなくなることにつながり、北海道での総合優勝後の1年間は、あまり成績を残すことができませんでした。
そこで、新たな気持ちに切り換えるためにチームを変えることに決めたのです。選んだチームは愛三工業レーシング。当時のナショナルチームで海外遠征を共にした田中光輝さん(現愛三工業監督)や新保光起さんがいて、チームの雰囲気が良さそうだったのがその理由でした。
「手術を乗り越え、復活を遂げる」

ヘルニアは悪化するばかりで、あまりの激痛で夜も寝ることができなくなり、歩くこともできなくなってしまいました。
その激痛から早く解放されたいこと、そして早く自転車に乗りたい気持ちから、選手として相当な勇気と時間が必要でしたが、手術することを決意したのです。
手術は成功。3カ月後にはレースに復帰することができるようになり。ツアー・オブ・ジャパンが復帰後初のレースになりました。
こんなに早くレースに復帰できたのは、手術を担当して下さった浅野川総合病院の徳海先生の丁寧な手術と、手術後の身体のケアをして下さった接骨院の窪田先生のお陰です。
そんな復帰後の私に思わぬ朗報が。なんと、前ナショナルチーム監督の三浦恭資さんから、その年の11月に行われるアジア大会にお前を使うと言われたのです。
普通の監督ならば、ヘルニアの手術をし、まだレースに復帰したばかりの選手をこのような大事な大会には選ばないと思うのですが、自分のこれまでの走りを評価して下さったのと、私の可能性を信じてくれたのです。
私はここまで自分を信じてくれる監督の気持ちが大変嬉しく、三浦監督の為にやってやろうという気持ちになりました。 三浦監督に対するそんな気持ちは、私だけではなく、その時のナショナルチーム全ての選手が感じていたので、チームの士気はもの凄く高く、自然に成績にも表れるようになりました。
その結果として、ヘラルドサンツアー(オーストラリア)では区間優勝、ツアー・オブ・ハイナン(中国)では個人総合2位とアジア総合1位、そしてアジア大会のチームタイムトライアルで3位という成績を残すことができたのです。この成績は決して私個人のものではなく三浦監督をはじめナショナルチーム全員のものだと思っています。


「再び古巣へ。そして引退」
そして2009年,再びTEAM NIPPOへと戻ることになったのです。この年のTEAM NIPPOのメンバーには、将来が楽しみな選手が多く、この選手たちに私の経験を少しでも伝える事が出来ればと思ったことと、この選手達のために走りたいと思ったのです。

一見自転車レースとは関係なさそうなことですが、「誰かがやってくれるだろう」とか、「誰かがやっているから自分は何もしなくてもよい」という考えではなく、「今の自分は何をしなくてはならないのか」、「相手が何をもとめているのか」を考えさせ、自然に協力し合える選手になってもらいたい。これらの事が普段の生活から自然にできていれば、レース時に大門監督や私が指示を出す前に行動へ移すことができると考えたからです。
そんなシーズンでしたが、私自身は納得の行く走りが全くできていなかったので、シーズン最後のレースであるツール・ド・おきなわで優勝に絡む走りができなかったら引退するという思いでスタートに立ちました。
結果は...。ゴール後、今までの私ならば悔しい気持ちでいっぱいになるのですが、この時はやりつくしたという充実感と、来シーズンへの高いモチベーションを保つことが無理だと感じ、ゴール地点から宿まで帰る間に引退を決意したのです。

今までの18年間。人生の半分以上を自転車で走り回って、多くの方と知り合い、素晴らしい経験をたくさん積み重ねることができました。
これも私を応援して下さった皆様、スポンサー各社様、大門監督、三浦監督、一緒にレースやトレーニングをした仲間、私のわがままを聞いてくれ、支えてくれた家族のお陰だと思っております。この場をお借りし、お礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。
プロフィール

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