2017/04/12(水) - 18:25
ブラウブリッツェンから那須ブラーゼンへ、そして宇都宮ブリッツェンへというキャリアを歩んできた雨澤毅明は、地元・栃木県で生まれ、ブリッツェンに育てられた生え抜きの選手だ。アンダー23カテゴリー最終年にかける想いと、これまでのロードレーサー人生を語る。
様々な習い事をしていた中で、ロードバイクに乗るきっかけはたくさんあった。父がロードバイクを所有しいたので、幼い頃からロードバイクを知っていたのだ。たまに宇都宮のジャパンカップを見に行くことも。ロードバイクに乗る決定的なきっかけは、小学6年生の時にトライアスロンをやってみたかったから。当時の自分は持久走も水泳も得意で体力に自信があったため「じゃあ力試しにトライアスロンをやってみよう。それにはロードバイクが必要だ」という流れでロードバイクを手にすることに。
結局トライアスロンは1回だけやって嫌になったが、せっかく用意したロードバイクに乗らないのはもったいないという事で、中学校の時は家族でサイクリングを楽しむようになる。同時期から海外のロードレースを観戦し始め、徐々にその魅力にはまっていった。そして中学卒業とともに水泳をやめ「新たに何かやりたい」ことを探し始めた頃、ロードレースに挑戦したくなっていた。丁度その時に、宇都宮ブリッツェンが下部チームであるブラウブリッツェンを立ち上げるという新聞記事を見つけ、「これに入るしかない」と思ったことがロードレースを本格的にやるきっかけになった。
夏休みに入ると宇都宮ブリッツェンの練習に参加させてもらうことも。レースは高校2年生の時から実業団のエリートツアーに参戦していたが、当初はなかなか成績が出せずに苦労した。そんな中、2011年の松川ロードレースは自分が得意な登りが厳しいレースに参加することに。チームの先輩から受けたアドバイスを参考にして最終周回の登りでアタックすると、そのまま独走して優勝することができた。この時の喜びは今でも忘れられず、さらにロードレースにのめりこむキッカケとなった。
実業団のレースに出ていると同世代の選手と会うことが少ないが、2012年からジュニアの選手を対象としたJユースツアーが始まった。このJユースツアーの初戦である群馬ではマッチスプリントを制して優勝。そのマッチスプリントの相手が小林海(現NIPPO・ヴィーニファンティーニ)だった。そして3位に入ったのが岡篤志(現・宇都宮ブリッツェン)。彼らとはこの後からレース会場で会う時には挨拶を交わしつつも、レースになると今回は勝った!負けた!というように互いに競い合うようになった。
一番印象に残っているレースは、最後5人でのスプリントで負けたJユースツアーの最終戦。この時優勝したのは小林海。負けて悔しかったが、5人全員が全力を出し切った結果だったから、清々しさも感じたレースだった。
2014年は佐野淳哉選手や普久原奨選手といったベテランとチームメイトとして走ったことで、いろいろアドバイスをいただきながらレース経験も積むことができた年となった。その頃にはJプロツアーのレースにも慣れてきた。
2015年はチームで勝つことはもちろん、自分の勝利も狙っていくようになった。アタックしたり逃げに乗ったりと積極的に動くレースをしていったが、なかなか目に見えた結果が出せずにいた。しかし、積極的にレースを展開したことである程度評価されるようになり、宇都宮ブリッツェンの清水監督やナショナルチームの浅田監督が目に留めてくれることに。
ナショナルチームではロードレースの本場であるヨーロッパに行き、ハイレベルなレースに苦戦しながらも刺激的なものだった。この2つの活動が自分をさらに成長させる良い環境だったと思う。シーズン序盤は成績が出せずに苦労したが、シーズン後半は東日本ロードクラシックで3位、ツール・ド・おきなわで6位に入ることができた。
2017年も宇都宮ブリッツェンに在籍し、U23ナショナルチームでも走ることになる。U23最後の年となる今年は何が何でも成績を出して、今よりさらに上のチームに行きたいと思っている。だから、ひとつたりともレースを無駄にできない。今年は勝負の年になる。
主な戦績
さらに待望のロードチューブレスタイヤ(700-23C、25C)をラインナップに追加。クリンチャーシリーズには新たに700-28Cサイズも追加されている。2016年4月にはRACE A EVO3 TUBULARをベースに、サイド部の耐パンク性能を強化した『RACE D EVO3 TUBULAR』も発売。ProTite Shield構造としたことで、サイド部のカットパンクを防ぐ。
ロードレースを始める前
私は幼いころから運動することが大好きで、幼稚園から小学5年生まで下手だったがサッカーを楽しんでいた。また、時期は重なる小学校3年生から中学卒業時まで水泳もやっていた。「勉強もしっかりやりなさい」という方針のもと、スポーツだけでなく塾に通い、ピアノも習っていた時期もある。様々な習い事をしていた中で、ロードバイクに乗るきっかけはたくさんあった。父がロードバイクを所有しいたので、幼い頃からロードバイクを知っていたのだ。たまに宇都宮のジャパンカップを見に行くことも。ロードバイクに乗る決定的なきっかけは、小学6年生の時にトライアスロンをやってみたかったから。当時の自分は持久走も水泳も得意で体力に自信があったため「じゃあ力試しにトライアスロンをやってみよう。それにはロードバイクが必要だ」という流れでロードバイクを手にすることに。
結局トライアスロンは1回だけやって嫌になったが、せっかく用意したロードバイクに乗らないのはもったいないという事で、中学校の時は家族でサイクリングを楽しむようになる。同時期から海外のロードレースを観戦し始め、徐々にその魅力にはまっていった。そして中学卒業とともに水泳をやめ「新たに何かやりたい」ことを探し始めた頃、ロードレースに挑戦したくなっていた。丁度その時に、宇都宮ブリッツェンが下部チームであるブラウブリッツェンを立ち上げるという新聞記事を見つけ、「これに入るしかない」と思ったことがロードレースを本格的にやるきっかけになった。
ブラウブリッツェンに入ってから
ブラウブリッツェンに入ってからは高校の部活では味わえないような刺激的な日々だった。周りのほとんどが社会人で大人の世界に何も知らない子供が飛び込んだようだった。しかし、それとは関係なく練習では負けたくなかった。その中でも、年齢が最も近かった堀孝明さん(現・宇都宮ブリッツェン)のことは、ライバル視していたし、目標となる存在として見ていた。夏休みに入ると宇都宮ブリッツェンの練習に参加させてもらうことも。レースは高校2年生の時から実業団のエリートツアーに参戦していたが、当初はなかなか成績が出せずに苦労した。そんな中、2011年の松川ロードレースは自分が得意な登りが厳しいレースに参加することに。チームの先輩から受けたアドバイスを参考にして最終周回の登りでアタックすると、そのまま独走して優勝することができた。この時の喜びは今でも忘れられず、さらにロードレースにのめりこむキッカケとなった。
実業団のレースに出ていると同世代の選手と会うことが少ないが、2012年からジュニアの選手を対象としたJユースツアーが始まった。このJユースツアーの初戦である群馬ではマッチスプリントを制して優勝。そのマッチスプリントの相手が小林海(現NIPPO・ヴィーニファンティーニ)だった。そして3位に入ったのが岡篤志(現・宇都宮ブリッツェン)。彼らとはこの後からレース会場で会う時には挨拶を交わしつつも、レースになると今回は勝った!負けた!というように互いに競い合うようになった。
一番印象に残っているレースは、最後5人でのスプリントで負けたJユースツアーの最終戦。この時優勝したのは小林海。負けて悔しかったが、5人全員が全力を出し切った結果だったから、清々しさも感じたレースだった。
Jプロツアーチームの那須ブラーゼンに加入
2013年からは那須ブラーゼンに入団し、この年からJプロツアーに参戦することになった。今までよりハイレベルなレースに苦戦することが続き、自信も失いつつあった。その中で挑んだ全日本選手権では、ジュニアクラスの3位に入ることができたことが唯一の好成績だった。2014年は佐野淳哉選手や普久原奨選手といったベテランとチームメイトとして走ったことで、いろいろアドバイスをいただきながらレース経験も積むことができた年となった。その頃にはJプロツアーのレースにも慣れてきた。
2015年はチームで勝つことはもちろん、自分の勝利も狙っていくようになった。アタックしたり逃げに乗ったりと積極的に動くレースをしていったが、なかなか目に見えた結果が出せずにいた。しかし、積極的にレースを展開したことである程度評価されるようになり、宇都宮ブリッツェンの清水監督やナショナルチームの浅田監督が目に留めてくれることに。
宇都宮ブリッツェンとナショナルチーム
2016年には宇都宮ブリッツェンに移籍。ブラウブリッツェンに在籍していたので、新シームに移籍したというよりは、戻ってきたという感覚の方が強かった。そして、この年からU23ナショナルチームでの遠征もするようにもなる。宇都宮ブリッツェンは、Jプロツアーでは強豪チームという事もあって、ブラーゼンの時よりもさらに勝利を求める環境になった。ナショナルチームではロードレースの本場であるヨーロッパに行き、ハイレベルなレースに苦戦しながらも刺激的なものだった。この2つの活動が自分をさらに成長させる良い環境だったと思う。シーズン序盤は成績が出せずに苦労したが、シーズン後半は東日本ロードクラシックで3位、ツール・ド・おきなわで6位に入ることができた。
2017年も宇都宮ブリッツェンに在籍し、U23ナショナルチームでも走ることになる。U23最後の年となる今年は何が何でも成績を出して、今よりさらに上のチームに行きたいと思っている。だから、ひとつたりともレースを無駄にできない。今年は勝負の年になる。
プロフィール
雨澤毅明 あめざわたけあき
1995年2月4日生
栃木県下野市 出身
1995年2月4日生
栃木県下野市 出身
ロードバイクは小学校6年生の時に初めて乗り、中学時代は家族とサイクリング程度に自転車を楽しんだ。高校生になってから宇都宮ブリッツェンの下部チームのブラウブリッツェンに入団することで本格的にロードレースに打ち込む。大学生になると那須ブラーゼンに入団し、3年間在籍する。その後、宇都宮ブリッツェンに移籍し、またU23ナショナルチームでの遠征にも参加しながら、現在に至る。
主な戦績
2012年 JBCF Jユースツアー 年間総合優勝
2013年 全日本選手権ロード・ジュニア 3位
2014年 年全日本選手権ロード・U23 8位
2015年 ツール・ド・北海道 個人総合17位
2016年 アジア選手権ロード U23 6位
2013年 全日本選手権ロード・ジュニア 3位
2014年 年全日本選手権ロード・U23 8位
2015年 ツール・ド・北海道 個人総合17位
2016年 アジア選手権ロード U23 6位
Panaracer 「RACE EVO3」
2015年10月に発売されて以来、高評価を得ている「RACE EVO3」シリーズ。グリップ力と耐パンク性能に優れたハイバランスレーシングタイヤの「RACE」シリーズが耐貫通パンク性能をさらに強化してEVO3へと進化した。従来のケーシング補強材「PT」よりもさらに高い耐貫通パンク強度を誇る「ProTite」を採用、重量・基本性能はそのままに耐貫通パンク性能を24%向上させた。さらに待望のロードチューブレスタイヤ(700-23C、25C)をラインナップに追加。クリンチャーシリーズには新たに700-28Cサイズも追加されている。2016年4月にはRACE A EVO3 TUBULARをベースに、サイド部の耐パンク性能を強化した『RACE D EVO3 TUBULAR』も発売。ProTite Shield構造としたことで、サイド部のカットパンクを防ぐ。
RACE EVO3シリーズ ラインナップ
チューブラー | RACE D EVO3 | 700×23mm 黒/黒 290g | \10,734(税抜) |
RACE A EVO3 | 700×23mm 黒/黒 270g | \9,420(税抜) | |
RACE C EVO3 | 700×23mm 黒/黒 270g | \9,420(税抜) | |
700×26mm 黒/黒 310g | \9,420(税抜) | ||
チューブレス | RACE A EVO3 | 700×23C 黒/黒 280g | \7,860(税抜) |
700×25C 黒/黒 330g | \7,860(税抜) | ||
クリンチャー | RACE D EVO3 | 700×23C 黒/黒、黒/茶 230g | \6,173(税抜) |
700×25C 黒/黒、黒/茶 250g | \6,173(税抜) | ||
700×28C 黒/黒、黒/茶 270g [サイズ追加] | \6,173(税抜) | ||
RACE A EVO3 | 700×23C 黒/黒、黒/青、黒/赤 210g | \5,410(税抜) | |
700×25C 黒/黒、黒/青、黒/赤 240g | \5,410(税抜) | ||
700×28C 黒/黒、黒/青、黒/赤 250g | \5,410(税抜) | ||
RACE L EVO3 | 700×20C 黒/黒 175g | \5,410(税抜) | |
700×23C 黒/黒 180g | \5,410(税抜) | ||
700×25C 黒/黒 200g | \5,410(税抜) | ||
700×28C 黒/黒 220g | \5,410(税抜) |
提供:パナレーサー株式会社 編集:シクロワイアード