2014/11/03(月) - 22:00
鹿屋体育大学自転車競技部は、強い選手を輩出し続けている。これは部が掲げる「日本の自転車競技をメジャーに」と言う想いが部員達に代々受け継がれているからであろう。
メカニックの福井氏はこの想いを遂げるため、「選手」の道ではなく、今までに前例が無い「メカニック」の道を選んだ。そして来年、彼はこの経験をもとに海外へと旅立つ。熱い想いと覚悟を胸に。
選手として鹿屋体大に入学した3年前の私には想像もしていなかった生活を過ごしていますが、数えきれないご縁のもとで現在活動ができています。
今回は、メカニックなど自転車スタッフ業に興味を持ってくれる若手仲間が増えることを祈りつつ、私の「想定外過ぎた3年半」を振り返ってみたいと思います。
自ら操れる車輪との出会いは保育園の時。
そう、三輪車です。
「アンタは保育園の三輪車競走で、前代未聞の大連覇を飾ってたんやで!」と、母からよく言われましたが、それほどに三輪車が大好きでした。あまりに三輪車にハマり過ぎていた私は、補助輪付き自転車からも脱却できず、三輪から二輪に移行できたのが小学2年生の時でした。
しかし移行が遅かっただけに、2輪の自転車に乗れた瞬間の開放感は格別だったことを今も覚えています。
それからというもの、小学・中学生時代はただひたすらにペダルの上で生活をし始めました。10メートルの移動もペダルでした(笑)。
高校に入学してからのペダル生活は、自転車競技に移行しました。自転車部が無かったために、基本はトレーニングの日々。練習量の割に全く合わないレースの数にもヤル気は満々。正直、高校時代の私のモチベーションには我ながら理解に苦しみます(笑)。
鹿屋体大との出会いは雑誌でした。それまで自転車に乗ることしか考えていなかった私は、鹿屋の掲げる『自転車競技の未来』に感銘を受けました。
それからは高校の進路指導教諭に何を言われようとも鹿屋一本で受験勉強を進め、無事に一般入試生として鹿屋の自転車部の一員となる事が出来ました。
入学したまでは良かったものの、同級生を含めて周りはすべて「宇宙人」でした(笑)。
もちろん練習にはついて行けませんし、試合にも出ることは出来ません。それでも怒涛の日々は目まぐるしく過ぎてゆき、気がつけば夏...。
そんな1年生だった私は、基本的にスタッフとしてレースに帯同していました。ですが、今まで組織化されたチーム活動をしてこなかった私にとって、レースには出られなくとも感動の連続です。「こんな仕事もあるんだ」「こんなにも大量の機材を運ぶんだ」と、全てが私の目には新鮮に映りました。
メカニックを志したきっかけは『ツール・ド・北海道』でした。それまでスタッフとして帯同してきたのは基本的に学生レースであり、会場ではどの大学も学生自身が『選手』と『スタッフ』を掛け持ってレースに挑む。まさに学生らしい遠征の日々でした。
しかし「ツール・ド・北海道」では、派手派手なクルマが列を作り、ホテルの前でクルマが停まったかと思うと、そこから選手がぞろぞろと降りてくる...。まるで様子が違いました。
しかも選手はレースのスタートラインまで見ることはありません。ホテルの駐車場でせっせと作業をし続けているのはチームのスタッフのみ。当たり前と言ってしまえば当たり前ですが、選手は選手、スタッフはスタッフとして、自らの仕事に全うするプロの魂に私はひとり感動していました。
チーム鹿屋も、この大会ばかりは選手とスタッフでしっかりと仕事が分けられ、私も新米のペーペーながらに全力を尽くした記憶があります。
この時、このペーペーに割り振られた仕事こそが、大きなレースの際に帯同して下さるチーム鹿屋創設時代からのメカニックスタッフ、「脇野メカ」のサポートでした。朝早くから日が沈むまで、様々な仕事をこなす脇野メカの横で簡単な作業をお手伝いしました。
ですが、何より私の心を動かしたのは、脇野メカだけでなく、全てのチームスタッフが朝から晩まで数え切れない仕事を黙々とこなしている光景でした。レース後もホテルでは熱気と責任感でプロ魂が溢れ返り、なぜか自分までそのオーラに奮い立ってしまい、そこで決心は不動のものとなっていました。
監督にメカニックへの転身を相談したのがその年の冬。最初は一蹴り。
選手としての道も始まったばかりで、まだ転身するには決断が早過ぎる、と。
しかし私はあの空気が忘れられず、何度も直談判しました。監督からは、認可と同時に『頑固者』のハンコも押されてしまいました(笑)。
レース会場でしかメカニックの仕事を見ておらず、普段は何をすれば良いのか分からない。学生でも前例が無かったために、参考にするものも無く、大学2年生当時の1年間はただの自転車好きの青年と化していました。
大学3年の夏。「ヨーロッパで自転車を見て来ないか?」監督から不意に受けたのは、欧州のプロチームで研修をしないかという話でした。まばたき程度の躊躇いはあったものの、またと無いチャンスにすぐに欧州へ飛ぶ準備を始めました。
欧州研修はその秋と4年生に上がる春の2回、合わせて4ヶ月ほど経験をさせて頂きました。秋の研修は来シーズンのためのバイク製作過程を学びました。機材の調達から自転車の組み上げ、そして選手への引き渡しまで、来季1年間を闘い抜くための準備段階をみっちりと学びました。
春の研修はいよいよシーズンインの時期。ヨーロッパじゅうを転々と移動しながらレースをこなす日々です。国境を何度もまたぐ長い移動と、非常に短い準備時間を本場の空気と共に味わい、ここでは効率と責任を学んできました。
今現在は本場で学んだその空気を、できる限り大学で実践をしている真っ最中です。
「闘う」「魅せる」「燃える」のは、決して選手だけではありません。
その選手を支える者が闘う姿勢でないと、あらゆる面で特殊なスポーツである『自転車競技』を支えることは決してできないと、最近になって深く感じています。
そしてこれはどの分野でも同じことではありますが、「責任」の二文字は一瞬たりとも気を抜いていけない部分ですね。これは欧州での経験を通してさらに心に留めるようになりました。ただの責任だけでなく『余計な責任をわざわざ負うな』という視点も、怒涛の日々から学び得ました。
日本人の私は気を利かしたつもりで色々な所に手を出しがちですが、欧州、そしてプロの世界では余計極まりない行為。当たり前のことですが、何かに触れた瞬間、そこには責任が発生します。きっちりとプロの仕事が割り振られた欧州プロチームの中で活動を共にさせてもらい、責任のイメージが新たにガラッと変わりました。
ですが、人との縁だけは必ず一番大切にしていきます。これも大学の4年間で深く学んだことの一つです。ご縁を常に私の未来に繋げ、そして成長をする生き方をしていきたいと思っています。
最後に、私の夢は『本場さながらの自転車競技を日本で普及させること』です。つまりメカニック一本とは全く考えていません。日本の自転車競技普及に繋がるのであれば、この先どんなことでも経験をしていく覚悟を持っています。ですから私は今、その第一歩として鹿屋体育大学で学生メカニックに挑戦しています。
鹿屋体育大学、そして欧州の道へ手を引っ張って頂いた方々、今まで私の成長に関わって下さった方々全てに感謝をしています。でも一番は、ちゃんとした未来も分からない道にも関わらず、何も言わず静かに見守ってくれている親ですね。大変感謝しています。
これからは大学を卒業し社会に出て行きますが、ここ鹿屋で育った者として責任を持って自転車競技普及に努めていきます。
このホイールトークではただの私の浅い人生を振り返る事しか出来ませんでしたが、きっと日本の自転車競技の未来を変えてみせます。そして成長をした私で、いつかまたホイールトークを執筆させて頂きたいな、なんて生意気なことも言わせて下さい(笑)。
そんな生意気な小僧ですが、どこかで見かけた際は声をお掛け下さい。ぜひ新たなご縁を繋ぎましょう。
そして共に、自転車競技の未来を作りましょう。見習いメカニックをどうぞよろしくお願い致します。
いま最も注目を浴びているカテゴリーのグラベルロードに最適な新シリーズ。舗装路から未舗装路を自由に快適に走りたいサイクリストのために。
サイドカットやリム打ちに効果を発揮する「アンチフラットケーシング」と、耐久性と耐摩耗性に優れた「ZSGナチュラルコンパウンド」で荒れた路面でも安心。軽量で衝撃吸収性にすぐれた「AX-αコード」との組み合わせにより、長距離走行でも疲れない高性能なツーリングタイヤに。
トレッドパターンは、多様なツーリングスタイルに合わせやすいように、700x23C〜28Cはオンロードを意識したミックスパターンを、700x32Cはグラベル走破性を意識したブロックパターンを採用。
関連ニュース:パナレーサー 待望のグラベルロード用タイヤ GravelKingが登場
メカニックの福井氏はこの想いを遂げるため、「選手」の道ではなく、今までに前例が無い「メカニック」の道を選んだ。そして来年、彼はこの経験をもとに海外へと旅立つ。熱い想いと覚悟を胸に。
「想定外過ぎた3年半」を振り返る
私は鹿屋体育大学自転車競技部に所属していますが、少し特殊な活動をしています。それは「学生メカニック」。選手として鹿屋体大に入学した3年前の私には想像もしていなかった生活を過ごしていますが、数えきれないご縁のもとで現在活動ができています。
今回は、メカニックなど自転車スタッフ業に興味を持ってくれる若手仲間が増えることを祈りつつ、私の「想定外過ぎた3年半」を振り返ってみたいと思います。
自ら操れる車輪との出会いは保育園の時。
そう、三輪車です。
「アンタは保育園の三輪車競走で、前代未聞の大連覇を飾ってたんやで!」と、母からよく言われましたが、それほどに三輪車が大好きでした。あまりに三輪車にハマり過ぎていた私は、補助輪付き自転車からも脱却できず、三輪から二輪に移行できたのが小学2年生の時でした。
しかし移行が遅かっただけに、2輪の自転車に乗れた瞬間の開放感は格別だったことを今も覚えています。
それからというもの、小学・中学生時代はただひたすらにペダルの上で生活をし始めました。10メートルの移動もペダルでした(笑)。
高校に入学してからのペダル生活は、自転車競技に移行しました。自転車部が無かったために、基本はトレーニングの日々。練習量の割に全く合わないレースの数にもヤル気は満々。正直、高校時代の私のモチベーションには我ながら理解に苦しみます(笑)。
鹿屋体大との出会いは雑誌でした。それまで自転車に乗ることしか考えていなかった私は、鹿屋の掲げる『自転車競技の未来』に感銘を受けました。
それからは高校の進路指導教諭に何を言われようとも鹿屋一本で受験勉強を進め、無事に一般入試生として鹿屋の自転車部の一員となる事が出来ました。
新鮮に映ったスタッフワーク、メカニックを志したきっかけ
入学したまでは良かったものの、同級生を含めて周りはすべて「宇宙人」でした(笑)。
もちろん練習にはついて行けませんし、試合にも出ることは出来ません。それでも怒涛の日々は目まぐるしく過ぎてゆき、気がつけば夏...。
そんな1年生だった私は、基本的にスタッフとしてレースに帯同していました。ですが、今まで組織化されたチーム活動をしてこなかった私にとって、レースには出られなくとも感動の連続です。「こんな仕事もあるんだ」「こんなにも大量の機材を運ぶんだ」と、全てが私の目には新鮮に映りました。
メカニックを志したきっかけは『ツール・ド・北海道』でした。それまでスタッフとして帯同してきたのは基本的に学生レースであり、会場ではどの大学も学生自身が『選手』と『スタッフ』を掛け持ってレースに挑む。まさに学生らしい遠征の日々でした。
しかし「ツール・ド・北海道」では、派手派手なクルマが列を作り、ホテルの前でクルマが停まったかと思うと、そこから選手がぞろぞろと降りてくる...。まるで様子が違いました。
しかも選手はレースのスタートラインまで見ることはありません。ホテルの駐車場でせっせと作業をし続けているのはチームのスタッフのみ。当たり前と言ってしまえば当たり前ですが、選手は選手、スタッフはスタッフとして、自らの仕事に全うするプロの魂に私はひとり感動していました。
チーム鹿屋も、この大会ばかりは選手とスタッフでしっかりと仕事が分けられ、私も新米のペーペーながらに全力を尽くした記憶があります。
この時、このペーペーに割り振られた仕事こそが、大きなレースの際に帯同して下さるチーム鹿屋創設時代からのメカニックスタッフ、「脇野メカ」のサポートでした。朝早くから日が沈むまで、様々な仕事をこなす脇野メカの横で簡単な作業をお手伝いしました。
ですが、何より私の心を動かしたのは、脇野メカだけでなく、全てのチームスタッフが朝から晩まで数え切れない仕事を黙々とこなしている光景でした。レース後もホテルでは熱気と責任感でプロ魂が溢れ返り、なぜか自分までそのオーラに奮い立ってしまい、そこで決心は不動のものとなっていました。
監督にメカニックへの転身を相談したのがその年の冬。最初は一蹴り。
選手としての道も始まったばかりで、まだ転身するには決断が早過ぎる、と。
しかし私はあの空気が忘れられず、何度も直談判しました。監督からは、認可と同時に『頑固者』のハンコも押されてしまいました(笑)。
大学3年夏、欧州へ
大学2年生からは心機一転、メカニックの肩書きを背負って活動をスタート。でもそれは名前だけ。レース会場でしかメカニックの仕事を見ておらず、普段は何をすれば良いのか分からない。学生でも前例が無かったために、参考にするものも無く、大学2年生当時の1年間はただの自転車好きの青年と化していました。
大学3年の夏。「ヨーロッパで自転車を見て来ないか?」監督から不意に受けたのは、欧州のプロチームで研修をしないかという話でした。まばたき程度の躊躇いはあったものの、またと無いチャンスにすぐに欧州へ飛ぶ準備を始めました。
欧州研修はその秋と4年生に上がる春の2回、合わせて4ヶ月ほど経験をさせて頂きました。秋の研修は来シーズンのためのバイク製作過程を学びました。機材の調達から自転車の組み上げ、そして選手への引き渡しまで、来季1年間を闘い抜くための準備段階をみっちりと学びました。
春の研修はいよいよシーズンインの時期。ヨーロッパじゅうを転々と移動しながらレースをこなす日々です。国境を何度もまたぐ長い移動と、非常に短い準備時間を本場の空気と共に味わい、ここでは効率と責任を学んできました。
今現在は本場で学んだその空気を、できる限り大学で実践をしている真っ最中です。
「闘う」「魅せる」「燃える」のは、決して選手だけではありません。
その選手を支える者が闘う姿勢でないと、あらゆる面で特殊なスポーツである『自転車競技』を支えることは決してできないと、最近になって深く感じています。
そしてこれはどの分野でも同じことではありますが、「責任」の二文字は一瞬たりとも気を抜いていけない部分ですね。これは欧州での経験を通してさらに心に留めるようになりました。ただの責任だけでなく『余計な責任をわざわざ負うな』という視点も、怒涛の日々から学び得ました。
日本人の私は気を利かしたつもりで色々な所に手を出しがちですが、欧州、そしてプロの世界では余計極まりない行為。当たり前のことですが、何かに触れた瞬間、そこには責任が発生します。きっちりとプロの仕事が割り振られた欧州プロチームの中で活動を共にさせてもらい、責任のイメージが新たにガラッと変わりました。
夢への第一歩として
私は今、鹿屋体育大学の4年生です。卒業を目前に控えています。この先、どんな生活が待っているか私はまだわかりません。ですが、人との縁だけは必ず一番大切にしていきます。これも大学の4年間で深く学んだことの一つです。ご縁を常に私の未来に繋げ、そして成長をする生き方をしていきたいと思っています。
最後に、私の夢は『本場さながらの自転車競技を日本で普及させること』です。つまりメカニック一本とは全く考えていません。日本の自転車競技普及に繋がるのであれば、この先どんなことでも経験をしていく覚悟を持っています。ですから私は今、その第一歩として鹿屋体育大学で学生メカニックに挑戦しています。
鹿屋体育大学、そして欧州の道へ手を引っ張って頂いた方々、今まで私の成長に関わって下さった方々全てに感謝をしています。でも一番は、ちゃんとした未来も分からない道にも関わらず、何も言わず静かに見守ってくれている親ですね。大変感謝しています。
これからは大学を卒業し社会に出て行きますが、ここ鹿屋で育った者として責任を持って自転車競技普及に努めていきます。
このホイールトークではただの私の浅い人生を振り返る事しか出来ませんでしたが、きっと日本の自転車競技の未来を変えてみせます。そして成長をした私で、いつかまたホイールトークを執筆させて頂きたいな、なんて生意気なことも言わせて下さい(笑)。
そんな生意気な小僧ですが、どこかで見かけた際は声をお掛け下さい。ぜひ新たなご縁を繋ぎましょう。
そして共に、自転車競技の未来を作りましょう。見習いメカニックをどうぞよろしくお願い致します。
プロフィール
Panaracer「GRAVELKING」 新製品!
いま最も注目を浴びているカテゴリーのグラベルロードに最適な新シリーズ。舗装路から未舗装路を自由に快適に走りたいサイクリストのために。
サイドカットやリム打ちに効果を発揮する「アンチフラットケーシング」と、耐久性と耐摩耗性に優れた「ZSGナチュラルコンパウンド」で荒れた路面でも安心。軽量で衝撃吸収性にすぐれた「AX-αコード」との組み合わせにより、長距離走行でも疲れない高性能なツーリングタイヤに。
トレッドパターンは、多様なツーリングスタイルに合わせやすいように、700x23C〜28Cはオンロードを意識したミックスパターンを、700x32Cはグラベル走破性を意識したブロックパターンを採用。
カラー | ブラック、ブラウンサイド |
サイズ/重量 | 700×23C 平均重量 220g 700×26C 平均重量 240g 700×28C 平均重量 270g 700×32C 平均重量 320g ※ブラウンサイドは330g |
ビード | アラミドビード |
関連ニュース:パナレーサー 待望のグラベルロード用タイヤ GravelKingが登場
Panaracer 2014年度サポートチーム&選手情報 | |||||||||||||||||||||
シマノスズカ国際ロードレース2014 | |||||||||||||||||||||
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全日本大学対抗選手権自転車競技大会2014 ロードレース | |||||||||||||||||||||
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Jプロツアー第13戦 みやだクリテリウム2014 | |||||||||||||||||||||
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Jプロツアー第14戦 JBCFタイムトライアルチャンピオンシップ2014 | |||||||||||||||||||||
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ツール・ド・北海道2014 (UCI 2.2) | |||||||||||||||||||||
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Jプロツアー第15戦 経済産業大臣旗ロードチャンピオンシップ | |||||||||||||||||||||
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Jプロツアー第16戦 JBCF南魚沼サイクルロードレース2014 | |||||||||||||||||||||
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アジア大会2014 | |||||||||||||||||||||
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Jプロツアー第17戦 いわきクリテリウム2014 | |||||||||||||||||||||
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Jプロツアー第18戦 輪島ロードレース2014 | |||||||||||||||||||||
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2014ジャパンカップサイクルロードレース | |||||||||||||||||||||
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Jプロツアー第19戦 美浜クリテリウム2014 | |||||||||||||||||||||
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提供:パナソニック ポリテクノロジー株式会社