2018/10/13(土) - 12:40
宮澤崇史さんのマネージャー、松浦まみさんが走ったエタップ・デュ・ツールの挑戦レポート後編をお届け。「自転車歴6年、その他の運動歴ゼロ」の女性は、果たしてアマチュア最高峰のレースであるエタップを走り切れたのか?前編はこちら。
ウォームアップで過ごした前日から一夜明けたエタップ当日の朝。午前五時の朝食はハムとチーズと発酵バターをたっぷり挟んだサンドイッチ、ヨーグルト、アプリコット、ホットチョコレート。
宮澤がせっせとサンドイッチ作りに励んでいると思ったら、「はい」と三つも渡される。私「フィードステーションが9ヶ所もあるようですが」宮澤「必要なタイミングで補給することが大事だから持っていくの」バックポケットに三つも入れたら一杯になってしまい、ウインドジャケットをジャージの下に突っ込んで、午前6時に出発。
スタート地点はすでに人で埋め尽くされています。RCCメンバーはゼッケン番号に関係なく優先的に上位グループでの出走となり、私達は第2グループ。何せ1万2千人もいるのだから、自転車が接触するほどスシ詰め状態。見渡す限り男性ばかり(女性の参加率は6%)、しかも皆さん図体デカイので相当な威圧感です。
ビビる私の横で退屈そうに欠伸をしていた宮澤が突然「あ、やべえ。パンクするかも。ちょっとメカニックのところ行ってくる」と言ってどこかへいってしまった。心細くなっていると、一昨日のライドで一緒だったオランダ人のRCCメンバーが話しかけてきてくれて、かなり気が紛れる。宮澤はスタート5分前にようやく戻ってきて、はーやれやれ。
6時45分、スタートラインを通過。と同時にいきなりサイコンが故障。なぜ今なの(泣)。時間も距離も速度もわからないまま170kmを走るの?(泣)
辛うじて心拍数だけは表示されるので、宮澤が一緒に走りながら自分のデバイスで数字を見つつ私のペースを作る。「まみさんのパワーはおそらく90ワット位ですね」…なんですかそれ。
実は宮澤と本格的に走るのはこれが初めて。成り行きとはいえ、この日は私の専属コーチとなってつきっきりで指示を出し、同時にアシストとして最後まで一緒に走ってくれることになります。災い転じて福と為す。
最初の30kmは湖畔沿いの平坦基調。臨時コーチを得て安心しきって何も考えずに走っていましたが、しばらくするとコーチが30mほど先の集団を指して「あの青いジャージと赤いジャージの人の間に入って。そら行くよ」と私の背中を一押し。「え?、あ?」ロケット発射のようにビューンとあっという間に集団に追いつきます。「もっと中に入って」と背後から声が。左右こんなに狭い車間で走ったことがないので最初はビビるものの、集団全体の走りが安定しているせいか意外とすぐに慣れます。
間髪入れずコーチから次の指示が飛び「今度はあの人の後ろについて」と、再び背中を一押しされる。次々と集団を乗り換え、何度も繰り返していくうちに、どう位置取りをすればいいか、何となく自分でも感覚的にわかってくるようになります。さあ次はどこ?さっきまでコーチ任せで何も考えずに走っていたのに、いつの間にか自分で考えることが楽しくなっています。
「そんなに踏まない」「まだ踏んでる」と始終コーチから指示が飛んでくる。「え?こんな空回しみたいなのでいいの?」「そう、その調子」これがいわゆる“集団内で脚を貯める”というやつでしょうか。体力なけりゃ頭を使え。こんな調子で人様を利用して殆ど脚を使わずにどんどん前に進むことを覚え、超苦手な上り区間に入ってもアゲ気分で進んでいきます。
そうこうしているうちに最初の1級山岳、ラクロワ・フリ峠の入り口にやってきました。その前にあった4級山岳のブルフィ峠は知らぬまに通過してしまいましたが、ここからはしっかり気を引き締めていきます。
しばらく進むと、今度はコーチが丘の上を指差して「あそこでなんか焼いてる!行ってみない?」と叫ぶや、さっさとコースアウトして丘を上っていく。せっかく気を引き締めたところなのに、いきなり脱力されられます。コーチ、グランフォンドじゃないですよ。周りの皆さんが不思議そうに見ています(ちなみにエタップは一応れっきとしたレースで、こちらではグランフォンドとは呼ばない)。
丘の上では農家の家族が大きな肉の塊を焼いていました。聞けばお父さんが仕留めたイノシシだそう。コーチはエタップのことなどすっかり忘れてお父さんと話し込んでいます。焼き上がるのはまだ先と聞いて諦めたのか、やっとコースに戻る気になった模様。やれやれ。
「もっとスピード落として」「そんなに頑張らない」「ヘタな人にそんな近寄っちゃダメ」私を追い抜いて行く人を指して「あれは飛ばし過ぎ。今あんなに頑張っちゃ後半もたないから、このペースでいいの」細かく指示を頂いたおかげで、最初の1級山岳は難なくクリア。そして爽快なダウンヒル。
下りきったところで、「そろそろ食べておいた方がいいよ」とコーチから新たな指示が。しかしジャージのポケットがタイト過ぎて詰め込んだサンドイッチが取り出せません。コーチが近づいてきて私のバックポケットからサンドイッチを取り出し、渡してくれようとします。が、緊張してうまく受け取れない。
「脚を止めるからふらつくの。止めないで回し続けて」何度やってもダメで、最終的に小さくちぎって口の中に押し込まれる。「う」「水飲んで」「ボトル取れない」「はあ?」というわけで、水も飲ませてもらう(赤ん坊か!)。その後しばらくボトルを取る練習をさせられましたが、エタップの最中にそんなことをしていたのは私くらいなものでしょう。
次に待ち受けるのはいよいよ本日のハイライト、超級山岳・グリエール高原の登坂。平均勾配11.2%と記された表示板を通過すると、それまで和気藹々だった雰囲気が急変。道幅が狭くなり、いきおい前後左右の車間距離がシビアになる。一人がふらつくと、それを避けようと動いた人が後続車に影響を及ぼし、さざなみのようにトラブルがそこかしこに発生。
"パルドン!"があちこちから聞こえ、笑顔で返す人もいれば、余裕がなくて怒って返す人も。そのうち集団がだんだん殺気立ってきました。
まるで命がけのような緊張感の中、蛇行したり、突然停車する人が増え、真剣に怒る人が続出。後輪を接触されてやむなく足をついた女性が「Merrrde!!!(くっそー!!!)」と絶叫したかと思えば、左側で停車するイギリス人に向かって「Putain des anglais!!(イギリス人死ね!)」と吐き捨てる(笑)保守的フランス人も。どれだけ皆さんこのレースに思いを賭けてるんだ!
コーチはというと、左側で停まろうとするイギリス人に右に寄るよう注意したり、よろめく人の背中をそっと押したり、怒鳴る人にべらんめえ調のフランス語で啖呵を切ったりと、いつの間にかお巡りさんというか、遠山の金さんみたいなことになっています。頂上までまだ残り3km以上は残っているのに、自転車を降りて押す人が続出。一度脚をついたら再乗車はかなり厳しい勾配です。
そして私はというと、かなりヤバめです。マイペースでいけるなら最後まで足つきなしで上れるかもしれないけれど、狭い道にぎっしりと自転車が密集している状態。誰かが不意な動きをしたら反射的に躱せる自信がありません。限界が来る前に一度停まって息を整えようと路肩に寄った矢先に前の人が急に停まり、ペダル外すのが間に合わずそのまま立ちゴケ。
「あーあ、何やってんの。はい乗って。そらっ」とコーチに押し出してもらって辛くも再スタート。その後コーチは「写真撮るから上で待ってるね」と言い残すとシクロクロスよろしく助走をつけて鮮やかな飛び乗りを披露し、呻吟するライダー達の間を縫ってあっという間に上っていってしまった。
「サ、セパマル!(今のは悪くないね!)!」「スーペルクール!(超かっこいい!)」俄かに周囲からどよめきと感嘆の声が上がる。あんなに険悪だった雰囲気が一転して和気藹々になり、英仏紛争も金さんの桜吹雪が舞って一件落着。本人知らないけど。
後半はもはや歩いた方が早いくらいの速度ながら、どうにか頂上に到着。まだ前半戦だというのに、あまりの厳しさに先行きが不安になってきます。しかしそんな不安感に浸っている暇もなく、続いて1.8kmの未舗装路に突入。ツールでは集団が猛スピードで駆け抜けて砂塵が舞い上がりホワイトアウト寸前、コース脇の有刺鉄線の禍々しさも合わせて凄まじい緊張の場面でしたが、エタップではそんなドラマチックな光景は全く展開されず。しかしこの辺りから気温が上昇し、暑さが厳しくなります。
グラベルロードが終わると、ようやくお待ちかねのダウンヒルです。素晴らしいロング&ワインディングロードをコーチの後についてラインをトレースしながら下ります。
コーチが鼻歌混じりにリラックスして下っていく姿をずっと見ていると、つい自分も同じように走れている気になってしまったのでしょうか。何を思ったか途中から私はコーチを抜いて独りで下り始めました。ヘアピンカーブをいくつも曲がり、調子に乗ってスピードを上げていきます。
そして、ほぼ下り切って最後の最も緩やかなカーブ。何故かうまく曲がれず、「ヤバイヤバイ」と心中で呟きながら慎重にブレーキをかけるも、そのまま派手に落車。…虎を画きて猫を類す。
「だから言ったでしょ、調子に乗るなって」と、妙に優しいトラの声。コーチは一部始終を見ていて状況を把握しているらしく「大丈夫?」などと無駄な質問はしません。照れ隠しで私が起き上がろうとしないのをわかってるので、「そんなとこに寝転がっていると後ろから突っ込まれますよ」とあくまで冷静。幸い怪我はかすり傷のみ、身の程を知ったネコは再びトラの後についてスゴスゴ出発です。
午後からは灼熱の太陽が容赦なく照りつけ、暑さにやられて言葉を発する元気もなくなった私(本当は数年振りの落車でヘコんでいただけ)を気遣ってか、その後コーチは完全に私のアシストに専心。補給所では日陰に座らせて食べ物を運び、ボトルに冷水を補充し、暑いなと思うタイミングで頭から水をかけたりと、それは快適に私を走らせてくれました。
ロードレースは自己犠牲のスポーツと言われるそうですが、この日コーチは完全に滅私でアシストに徹し、私をゴールさせることだけに集中していました。
アシストという仕事は、エースを勝たせることのみを考え、全方位に神経を集中させて三手先を瞬時に読み続ける仕事なのでしょう。この先レースで私が誰かのアシストをすることはなさそうだけれど、自分を忘れて誰かのために、あるいは全体のために考え判断し行動する姿勢、それは自転車レースだけでなく、人としての生き方においても本質的である、とこの時私は思いました。ロードレースの美しさは、他者貢献という人としての生き方の美しさとフラクタルである、と言い換えてもいいかもしれません。
話が少々コースアウトしましたが、再びエタップに戻ります。
灼熱の平坦路を延々と走った後は、まだ二つの1級山岳が待っています。まずはロム峠(登坂距離8.8km、平均勾配8.9%)。グリエール高原の登坂に比べたら勾配も緩いし、車道は広いし、断然走りやすい。そしてエタップの前半はあんなに沢山のライダーに抜かれ続けていたのに、後半は下手すると私が抜いているではないですか。周りを見渡すと、皆さん疲労困憊の体。最初にコーチが言った通りの状況になりました。
このロム峠でも終盤は自転車を降りて押す人が続出。そして私は順調かと思いきや、うっかり草陰の側溝に前輪を突っ込み、あえなくこの日三度めの落車。今度はさすがに悔しさが込み上げ、投げやり気分で草の上にひっくり返る。すると突然眠くなり、お昼寝モードに突入です。しかし15分もするとコーチの「あんまり長いこと休むと後が辛いよ」の非情な声がかかり、渋々起き上がることに。
ロム峠をクリアしたら、残るは最後のコロンビエール峠(登坂距離7.5km、平均勾配8.5%)。泣いても笑ってもこれが最後。ここまで何となくきてしまったので、今度こそは真剣に気合を入れて丁寧にペダルを回す。
周りの皆さんは、もはや死に体。「なんとか生き伸びることに必死」という状態なので、決して人前でゲップをしないマナーの良い欧米人が平気でゲップはするわ、オナラはするわ、その辺で放尿するわ、みっともない格好で地面に伸びてるわで、完全に人としての尊厳を失っています。一方、私は淡々と上るのみ。
データの数字と、実際走ってみた感覚との間にはかなりのギャップがあり、コロンビエール峠は予想よりずっと楽に感じました。そう、楽をしてしまったせいか、頂上ゴールの感動と景色の美しさは、実は自分が走った時よりも後日ツールをライブ中継で観た時の方がはるかに大きいものでした。勝利の感動は苦痛の先にしかない、ということですね。
夕暮れ色に染まった荒々しい山肌を背景に、独走で頂上一位通過を決めたアラフィリップ選手のシルエットが浮かび上がる瞬間は、今思い出しても鳥肌が立つほど美しい場面でした。壮大なアルプスの景色には凄まじい闘いが美しく映えます。最後は私も頂上スプリントすればよかったと後から激しく後悔。次回への教訓。
コロンビエール峠からゴールまで15kmのダウンヒルは、癒しそのもの。夕暮れの優しい色彩に染まったアルプスはこのうえなく牧歌的で、草を食む牛達のカウベルがゴールへと向かうライダー達を祝福するかのように響きわたります。
長いダウンヒルが終わり、九日後にツール・ド・フランスを迎える準備がすっかり整ったゴールの町・グラン・ボルナンへ入ると、沿道から盛大な声援がかかり始めます。ゼッケンの小さな日の丸を見逃さず「アレジャポン!」「日本女子!がんばって!」と身を乗り出して大勢のギャラリーが応援してくれます。
もう遅い時間なのに、コースの両側にはまだ大勢の観客。ゴールまであと50m、30m、10m、まるでツールさながらに柵のボード面を叩きながら盛大な声援で迎えられます。エタップで最も感動したものの一つに、この観客の存在がありました。彼らなくしてはツールが盛り上がらないように、彼らもまたツールというステージ上の重要な登場人物であり、エタップでもそれは同様でした。彼らは観客という役のプロで、私たちアマチュア選手をプロ選手と同等にリスペクトして讃えてくれる、エタップになくてはならない存在なのです。
そしてゴール。見知らぬ人達からの、大きな拍手。「コーチはどこ?」と周りをキョロキョロ。と、ふいに姿を現し「はい、おつかれ。俺はこのまま自走で戻るから、あなたはシャトルバスの場所を探して乗って」と業務連絡を言い渡し、さっさと行ってしまった。
えー、もう少し感動があってもいいのでは?せめて一言「頑張ったね」とかないの?…いや、頑張ってないか。そう、私は全く頑張らなかったのです。ひたすら愉しく、ひたすら楽をして完走したのです。
バスの出発まであと1時間半もあると聞いて、30数キロなら私も自走で戻ればよかったと後悔。そのくらいに元気が残っていたのです。
驚くのは翌日。いつもなら動くのも難儀なのに、全く疲労が残ってない。筋肉痛も無い。なんならもう一度エタップを走れそうな勢い。それをコーチに言うと「当たり前でしょ、旅の途中なのに翌日にダメージを残すような走り方はさせない。エタップの旅の目的はエタップに参加することだけじゃない。その土地の文化や出会いや食を100%楽しむことがエタップの旅なんだ。だからレースの翌日に疲れて何もやる気が起きない、なんて走り方は絶対させない」それはそれは…恐れ入りました。
「私一人では完走は無理でしたね」「そんなことないですよ、上りだって一度も押してないし」
「まみさんの面白いところは」
「面白いところは」
「運動能力が全く無いところですね」
しかしそんな人間さえも楽に走らせてしまうのだから、プロのコーチングというのは凄いもの。あとから聞くと、9年間連続の参加者が「今年のエタップはこれまで最もハードだった」とぼやいたほど、近年では最もタフなコースだったとか。
チャレンジが目的な人は全力出しきってタイムを競うもよし、景色を楽しみたい人はゆっくり走るもよし。自分でペースコントロールさえできれば誰でも楽しみながら完走できるのです。
翌日はツール・ド・フランスを生観戦
というわけで、翌朝は疲れ知らずでフランス国境の東端から900km先の大西洋に面したラ・ボールという町まで車を飛ばします。町に入るとツール・ド・フランス第3ステージのTTTが開催されている最中で、町中には大歓声が響き渡っていました。
車を停めてコース沿いを歩いていると、ちょうどトレック・セガフレードが目の前を走り過ぎていきます。高速で過ぎ去るトレインの強烈な風が私の髪を舞い上げ、選手達の息遣いが一瞬聴こえた瞬間、突如激しく胸が高鳴りました。目の前で初めて観る生のツール。ゴールの熱狂。レースに興味のなかった私でさえ、凄まじくエキサイティングな光景とスピードと、隊列を組んで走る選手達の美しさに、一瞬にして落ちました。自転車レースはなんて美しいのだろう。
翌日はパドックでスタート直前の選手たちの様子を眺めたり、関係者に挨拶をしたりとバックヤードで過ごしました。私が走ったあの山岳コースを目の前にいる彼らが数日後に走るのかと思うと、胸がドキドキします。
エタップの旅とは、レースの参加自体を愉しむことは勿論のこと、それと同じくらい大切なのが旅全体を味わい尽くすこと。そして本物のツールを目の前で観戦すること。そこには、なにものにも代え難い興奮と、感動と、幸福がありました。
私たちが持つ「憧れ」という感情には、手の届かない対象に自分を密かに同一化させることへの愉悦があります。エタップを走るということは、憧れるプロ選手達が味わう同じ苦痛と栄光を自分自身の肉体で経験することで同一化をはかる、肉体と魂のカタルシスなのです。
どうぞ皆さまも、この素晴らしい体験を来年はご自分のものにしてみませんか?
そして一緒に走ってみませんか?
FIN<了>
text:Mami Matsuura
photo:TEAM BRAVO
筆者プロフィール:松浦 まみ
昨年11月より宮澤崇史マネージャー&TEAM BRAVO協働仕事人。栃木県の名門ホテル「二期倶楽部」(2017年末に閉館)の広報時代に立ち上げた日本初のラグジュアリーライド「NIKI RIDE」が米ウォールストリート・ジャーナルに取り上げられ、海外で評判を呼ぶ。並行して同ホテルの系列施設「アートビオトープ那須」で食の教室を昨年まで主宰。現在はTEAM BRAVOを中心に自転車と食とホスピタリティの三本柱を仕事としている。
Instagram: www.instagram.com/mamimatsuura
website: www.philosofood.jp
※エタップに関する質問は上記のインスタグラムアカウントにダイレクトメッセージをお送りください。
ウォームアップで過ごした前日から一夜明けたエタップ当日の朝。午前五時の朝食はハムとチーズと発酵バターをたっぷり挟んだサンドイッチ、ヨーグルト、アプリコット、ホットチョコレート。
宮澤がせっせとサンドイッチ作りに励んでいると思ったら、「はい」と三つも渡される。私「フィードステーションが9ヶ所もあるようですが」宮澤「必要なタイミングで補給することが大事だから持っていくの」バックポケットに三つも入れたら一杯になってしまい、ウインドジャケットをジャージの下に突っ込んで、午前6時に出発。
スタート地点はすでに人で埋め尽くされています。RCCメンバーはゼッケン番号に関係なく優先的に上位グループでの出走となり、私達は第2グループ。何せ1万2千人もいるのだから、自転車が接触するほどスシ詰め状態。見渡す限り男性ばかり(女性の参加率は6%)、しかも皆さん図体デカイので相当な威圧感です。
ビビる私の横で退屈そうに欠伸をしていた宮澤が突然「あ、やべえ。パンクするかも。ちょっとメカニックのところ行ってくる」と言ってどこかへいってしまった。心細くなっていると、一昨日のライドで一緒だったオランダ人のRCCメンバーが話しかけてきてくれて、かなり気が紛れる。宮澤はスタート5分前にようやく戻ってきて、はーやれやれ。
6時45分、スタートラインを通過。と同時にいきなりサイコンが故障。なぜ今なの(泣)。時間も距離も速度もわからないまま170kmを走るの?(泣)
辛うじて心拍数だけは表示されるので、宮澤が一緒に走りながら自分のデバイスで数字を見つつ私のペースを作る。「まみさんのパワーはおそらく90ワット位ですね」…なんですかそれ。
実は宮澤と本格的に走るのはこれが初めて。成り行きとはいえ、この日は私の専属コーチとなってつきっきりで指示を出し、同時にアシストとして最後まで一緒に走ってくれることになります。災い転じて福と為す。
最初の30kmは湖畔沿いの平坦基調。臨時コーチを得て安心しきって何も考えずに走っていましたが、しばらくするとコーチが30mほど先の集団を指して「あの青いジャージと赤いジャージの人の間に入って。そら行くよ」と私の背中を一押し。「え?、あ?」ロケット発射のようにビューンとあっという間に集団に追いつきます。「もっと中に入って」と背後から声が。左右こんなに狭い車間で走ったことがないので最初はビビるものの、集団全体の走りが安定しているせいか意外とすぐに慣れます。
間髪入れずコーチから次の指示が飛び「今度はあの人の後ろについて」と、再び背中を一押しされる。次々と集団を乗り換え、何度も繰り返していくうちに、どう位置取りをすればいいか、何となく自分でも感覚的にわかってくるようになります。さあ次はどこ?さっきまでコーチ任せで何も考えずに走っていたのに、いつの間にか自分で考えることが楽しくなっています。
「そんなに踏まない」「まだ踏んでる」と始終コーチから指示が飛んでくる。「え?こんな空回しみたいなのでいいの?」「そう、その調子」これがいわゆる“集団内で脚を貯める”というやつでしょうか。体力なけりゃ頭を使え。こんな調子で人様を利用して殆ど脚を使わずにどんどん前に進むことを覚え、超苦手な上り区間に入ってもアゲ気分で進んでいきます。
そうこうしているうちに最初の1級山岳、ラクロワ・フリ峠の入り口にやってきました。その前にあった4級山岳のブルフィ峠は知らぬまに通過してしまいましたが、ここからはしっかり気を引き締めていきます。
しばらく進むと、今度はコーチが丘の上を指差して「あそこでなんか焼いてる!行ってみない?」と叫ぶや、さっさとコースアウトして丘を上っていく。せっかく気を引き締めたところなのに、いきなり脱力されられます。コーチ、グランフォンドじゃないですよ。周りの皆さんが不思議そうに見ています(ちなみにエタップは一応れっきとしたレースで、こちらではグランフォンドとは呼ばない)。
丘の上では農家の家族が大きな肉の塊を焼いていました。聞けばお父さんが仕留めたイノシシだそう。コーチはエタップのことなどすっかり忘れてお父さんと話し込んでいます。焼き上がるのはまだ先と聞いて諦めたのか、やっとコースに戻る気になった模様。やれやれ。
「もっとスピード落として」「そんなに頑張らない」「ヘタな人にそんな近寄っちゃダメ」私を追い抜いて行く人を指して「あれは飛ばし過ぎ。今あんなに頑張っちゃ後半もたないから、このペースでいいの」細かく指示を頂いたおかげで、最初の1級山岳は難なくクリア。そして爽快なダウンヒル。
下りきったところで、「そろそろ食べておいた方がいいよ」とコーチから新たな指示が。しかしジャージのポケットがタイト過ぎて詰め込んだサンドイッチが取り出せません。コーチが近づいてきて私のバックポケットからサンドイッチを取り出し、渡してくれようとします。が、緊張してうまく受け取れない。
「脚を止めるからふらつくの。止めないで回し続けて」何度やってもダメで、最終的に小さくちぎって口の中に押し込まれる。「う」「水飲んで」「ボトル取れない」「はあ?」というわけで、水も飲ませてもらう(赤ん坊か!)。その後しばらくボトルを取る練習をさせられましたが、エタップの最中にそんなことをしていたのは私くらいなものでしょう。
次に待ち受けるのはいよいよ本日のハイライト、超級山岳・グリエール高原の登坂。平均勾配11.2%と記された表示板を通過すると、それまで和気藹々だった雰囲気が急変。道幅が狭くなり、いきおい前後左右の車間距離がシビアになる。一人がふらつくと、それを避けようと動いた人が後続車に影響を及ぼし、さざなみのようにトラブルがそこかしこに発生。
"パルドン!"があちこちから聞こえ、笑顔で返す人もいれば、余裕がなくて怒って返す人も。そのうち集団がだんだん殺気立ってきました。
まるで命がけのような緊張感の中、蛇行したり、突然停車する人が増え、真剣に怒る人が続出。後輪を接触されてやむなく足をついた女性が「Merrrde!!!(くっそー!!!)」と絶叫したかと思えば、左側で停車するイギリス人に向かって「Putain des anglais!!(イギリス人死ね!)」と吐き捨てる(笑)保守的フランス人も。どれだけ皆さんこのレースに思いを賭けてるんだ!
コーチはというと、左側で停まろうとするイギリス人に右に寄るよう注意したり、よろめく人の背中をそっと押したり、怒鳴る人にべらんめえ調のフランス語で啖呵を切ったりと、いつの間にかお巡りさんというか、遠山の金さんみたいなことになっています。頂上までまだ残り3km以上は残っているのに、自転車を降りて押す人が続出。一度脚をついたら再乗車はかなり厳しい勾配です。
そして私はというと、かなりヤバめです。マイペースでいけるなら最後まで足つきなしで上れるかもしれないけれど、狭い道にぎっしりと自転車が密集している状態。誰かが不意な動きをしたら反射的に躱せる自信がありません。限界が来る前に一度停まって息を整えようと路肩に寄った矢先に前の人が急に停まり、ペダル外すのが間に合わずそのまま立ちゴケ。
「あーあ、何やってんの。はい乗って。そらっ」とコーチに押し出してもらって辛くも再スタート。その後コーチは「写真撮るから上で待ってるね」と言い残すとシクロクロスよろしく助走をつけて鮮やかな飛び乗りを披露し、呻吟するライダー達の間を縫ってあっという間に上っていってしまった。
「サ、セパマル!(今のは悪くないね!)!」「スーペルクール!(超かっこいい!)」俄かに周囲からどよめきと感嘆の声が上がる。あんなに険悪だった雰囲気が一転して和気藹々になり、英仏紛争も金さんの桜吹雪が舞って一件落着。本人知らないけど。
後半はもはや歩いた方が早いくらいの速度ながら、どうにか頂上に到着。まだ前半戦だというのに、あまりの厳しさに先行きが不安になってきます。しかしそんな不安感に浸っている暇もなく、続いて1.8kmの未舗装路に突入。ツールでは集団が猛スピードで駆け抜けて砂塵が舞い上がりホワイトアウト寸前、コース脇の有刺鉄線の禍々しさも合わせて凄まじい緊張の場面でしたが、エタップではそんなドラマチックな光景は全く展開されず。しかしこの辺りから気温が上昇し、暑さが厳しくなります。
グラベルロードが終わると、ようやくお待ちかねのダウンヒルです。素晴らしいロング&ワインディングロードをコーチの後についてラインをトレースしながら下ります。
コーチが鼻歌混じりにリラックスして下っていく姿をずっと見ていると、つい自分も同じように走れている気になってしまったのでしょうか。何を思ったか途中から私はコーチを抜いて独りで下り始めました。ヘアピンカーブをいくつも曲がり、調子に乗ってスピードを上げていきます。
そして、ほぼ下り切って最後の最も緩やかなカーブ。何故かうまく曲がれず、「ヤバイヤバイ」と心中で呟きながら慎重にブレーキをかけるも、そのまま派手に落車。…虎を画きて猫を類す。
「だから言ったでしょ、調子に乗るなって」と、妙に優しいトラの声。コーチは一部始終を見ていて状況を把握しているらしく「大丈夫?」などと無駄な質問はしません。照れ隠しで私が起き上がろうとしないのをわかってるので、「そんなとこに寝転がっていると後ろから突っ込まれますよ」とあくまで冷静。幸い怪我はかすり傷のみ、身の程を知ったネコは再びトラの後についてスゴスゴ出発です。
午後からは灼熱の太陽が容赦なく照りつけ、暑さにやられて言葉を発する元気もなくなった私(本当は数年振りの落車でヘコんでいただけ)を気遣ってか、その後コーチは完全に私のアシストに専心。補給所では日陰に座らせて食べ物を運び、ボトルに冷水を補充し、暑いなと思うタイミングで頭から水をかけたりと、それは快適に私を走らせてくれました。
ロードレースは自己犠牲のスポーツと言われるそうですが、この日コーチは完全に滅私でアシストに徹し、私をゴールさせることだけに集中していました。
アシストという仕事は、エースを勝たせることのみを考え、全方位に神経を集中させて三手先を瞬時に読み続ける仕事なのでしょう。この先レースで私が誰かのアシストをすることはなさそうだけれど、自分を忘れて誰かのために、あるいは全体のために考え判断し行動する姿勢、それは自転車レースだけでなく、人としての生き方においても本質的である、とこの時私は思いました。ロードレースの美しさは、他者貢献という人としての生き方の美しさとフラクタルである、と言い換えてもいいかもしれません。
話が少々コースアウトしましたが、再びエタップに戻ります。
灼熱の平坦路を延々と走った後は、まだ二つの1級山岳が待っています。まずはロム峠(登坂距離8.8km、平均勾配8.9%)。グリエール高原の登坂に比べたら勾配も緩いし、車道は広いし、断然走りやすい。そしてエタップの前半はあんなに沢山のライダーに抜かれ続けていたのに、後半は下手すると私が抜いているではないですか。周りを見渡すと、皆さん疲労困憊の体。最初にコーチが言った通りの状況になりました。
このロム峠でも終盤は自転車を降りて押す人が続出。そして私は順調かと思いきや、うっかり草陰の側溝に前輪を突っ込み、あえなくこの日三度めの落車。今度はさすがに悔しさが込み上げ、投げやり気分で草の上にひっくり返る。すると突然眠くなり、お昼寝モードに突入です。しかし15分もするとコーチの「あんまり長いこと休むと後が辛いよ」の非情な声がかかり、渋々起き上がることに。
ロム峠をクリアしたら、残るは最後のコロンビエール峠(登坂距離7.5km、平均勾配8.5%)。泣いても笑ってもこれが最後。ここまで何となくきてしまったので、今度こそは真剣に気合を入れて丁寧にペダルを回す。
周りの皆さんは、もはや死に体。「なんとか生き伸びることに必死」という状態なので、決して人前でゲップをしないマナーの良い欧米人が平気でゲップはするわ、オナラはするわ、その辺で放尿するわ、みっともない格好で地面に伸びてるわで、完全に人としての尊厳を失っています。一方、私は淡々と上るのみ。
データの数字と、実際走ってみた感覚との間にはかなりのギャップがあり、コロンビエール峠は予想よりずっと楽に感じました。そう、楽をしてしまったせいか、頂上ゴールの感動と景色の美しさは、実は自分が走った時よりも後日ツールをライブ中継で観た時の方がはるかに大きいものでした。勝利の感動は苦痛の先にしかない、ということですね。
夕暮れ色に染まった荒々しい山肌を背景に、独走で頂上一位通過を決めたアラフィリップ選手のシルエットが浮かび上がる瞬間は、今思い出しても鳥肌が立つほど美しい場面でした。壮大なアルプスの景色には凄まじい闘いが美しく映えます。最後は私も頂上スプリントすればよかったと後から激しく後悔。次回への教訓。
コロンビエール峠からゴールまで15kmのダウンヒルは、癒しそのもの。夕暮れの優しい色彩に染まったアルプスはこのうえなく牧歌的で、草を食む牛達のカウベルがゴールへと向かうライダー達を祝福するかのように響きわたります。
長いダウンヒルが終わり、九日後にツール・ド・フランスを迎える準備がすっかり整ったゴールの町・グラン・ボルナンへ入ると、沿道から盛大な声援がかかり始めます。ゼッケンの小さな日の丸を見逃さず「アレジャポン!」「日本女子!がんばって!」と身を乗り出して大勢のギャラリーが応援してくれます。
もう遅い時間なのに、コースの両側にはまだ大勢の観客。ゴールまであと50m、30m、10m、まるでツールさながらに柵のボード面を叩きながら盛大な声援で迎えられます。エタップで最も感動したものの一つに、この観客の存在がありました。彼らなくしてはツールが盛り上がらないように、彼らもまたツールというステージ上の重要な登場人物であり、エタップでもそれは同様でした。彼らは観客という役のプロで、私たちアマチュア選手をプロ選手と同等にリスペクトして讃えてくれる、エタップになくてはならない存在なのです。
そしてゴール。見知らぬ人達からの、大きな拍手。「コーチはどこ?」と周りをキョロキョロ。と、ふいに姿を現し「はい、おつかれ。俺はこのまま自走で戻るから、あなたはシャトルバスの場所を探して乗って」と業務連絡を言い渡し、さっさと行ってしまった。
えー、もう少し感動があってもいいのでは?せめて一言「頑張ったね」とかないの?…いや、頑張ってないか。そう、私は全く頑張らなかったのです。ひたすら愉しく、ひたすら楽をして完走したのです。
バスの出発まであと1時間半もあると聞いて、30数キロなら私も自走で戻ればよかったと後悔。そのくらいに元気が残っていたのです。
驚くのは翌日。いつもなら動くのも難儀なのに、全く疲労が残ってない。筋肉痛も無い。なんならもう一度エタップを走れそうな勢い。それをコーチに言うと「当たり前でしょ、旅の途中なのに翌日にダメージを残すような走り方はさせない。エタップの旅の目的はエタップに参加することだけじゃない。その土地の文化や出会いや食を100%楽しむことがエタップの旅なんだ。だからレースの翌日に疲れて何もやる気が起きない、なんて走り方は絶対させない」それはそれは…恐れ入りました。
「私一人では完走は無理でしたね」「そんなことないですよ、上りだって一度も押してないし」
「まみさんの面白いところは」
「面白いところは」
「運動能力が全く無いところですね」
しかしそんな人間さえも楽に走らせてしまうのだから、プロのコーチングというのは凄いもの。あとから聞くと、9年間連続の参加者が「今年のエタップはこれまで最もハードだった」とぼやいたほど、近年では最もタフなコースだったとか。
チャレンジが目的な人は全力出しきってタイムを競うもよし、景色を楽しみたい人はゆっくり走るもよし。自分でペースコントロールさえできれば誰でも楽しみながら完走できるのです。
翌日はツール・ド・フランスを生観戦
というわけで、翌朝は疲れ知らずでフランス国境の東端から900km先の大西洋に面したラ・ボールという町まで車を飛ばします。町に入るとツール・ド・フランス第3ステージのTTTが開催されている最中で、町中には大歓声が響き渡っていました。
車を停めてコース沿いを歩いていると、ちょうどトレック・セガフレードが目の前を走り過ぎていきます。高速で過ぎ去るトレインの強烈な風が私の髪を舞い上げ、選手達の息遣いが一瞬聴こえた瞬間、突如激しく胸が高鳴りました。目の前で初めて観る生のツール。ゴールの熱狂。レースに興味のなかった私でさえ、凄まじくエキサイティングな光景とスピードと、隊列を組んで走る選手達の美しさに、一瞬にして落ちました。自転車レースはなんて美しいのだろう。
翌日はパドックでスタート直前の選手たちの様子を眺めたり、関係者に挨拶をしたりとバックヤードで過ごしました。私が走ったあの山岳コースを目の前にいる彼らが数日後に走るのかと思うと、胸がドキドキします。
エタップの旅とは、レースの参加自体を愉しむことは勿論のこと、それと同じくらい大切なのが旅全体を味わい尽くすこと。そして本物のツールを目の前で観戦すること。そこには、なにものにも代え難い興奮と、感動と、幸福がありました。
私たちが持つ「憧れ」という感情には、手の届かない対象に自分を密かに同一化させることへの愉悦があります。エタップを走るということは、憧れるプロ選手達が味わう同じ苦痛と栄光を自分自身の肉体で経験することで同一化をはかる、肉体と魂のカタルシスなのです。
どうぞ皆さまも、この素晴らしい体験を来年はご自分のものにしてみませんか?
そして一緒に走ってみませんか?
FIN<了>
text:Mami Matsuura
photo:TEAM BRAVO
筆者プロフィール:松浦 まみ
昨年11月より宮澤崇史マネージャー&TEAM BRAVO協働仕事人。栃木県の名門ホテル「二期倶楽部」(2017年末に閉館)の広報時代に立ち上げた日本初のラグジュアリーライド「NIKI RIDE」が米ウォールストリート・ジャーナルに取り上げられ、海外で評判を呼ぶ。並行して同ホテルの系列施設「アートビオトープ那須」で食の教室を昨年まで主宰。現在はTEAM BRAVOを中心に自転車と食とホスピタリティの三本柱を仕事としている。
Instagram: www.instagram.com/mamimatsuura
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