ジロ・デ・イタリアで突然輝きだした新人、リッチー・ポルト(サクソバンク)とは、どんな人物なのだろう?この突如現れた、誰もが良く知らないオーストラリア人に、グレゴー・ブラウンが聞く。「いったい君は誰?」

※このインタビューはマリアローザ獲得前に収録したものです。

リッチー・ポルト(サクソバンク、オーストラリア) リッチー・ポルト(サクソバンク、オーストラリア)  (c)CorVosリッチー・ポルト。オーストラリア出身の"オージー"というより、ポルトはタスマニア州ロンセストン出身。だからタスマニアンと呼ぶべきか。
同じ街の出身としてはマシュー・ゴス(チームHTCコロンビア)がいる。彼の顔がどことなく浅黒く、可愛らしいタスマニア・デビルに似ていることも、オーストラリアの端にあるタスマニア島のイメージを呼び起こしてくれる。

ポルトはジロ直前のツール・ド・ロマンディ第3ステージの個人タイムトライアルで優勝し、突如プロサイクリングの世界で注目される存在になった。

ポルトの栄誉はジロ・デ・イタリアでも続いている。勝者のブラドレー・ウィギンズ(イギリス、チームスカイ)が勝ったアムステルダムでの個人タイムトライアルで、6位になった。そのため彼は新人賞ジャージ”マリアビアンカ”を手にし、第3ステージではあと少しでマリアローザを獲得するところだった。

ポルトが今の心境を率直に語ってくれる。

「もし君が『それは可能なこと?』と聞いたなら、僕はこう答えるさ。『君は狂ってる。そんなの無茶だ』って。とにかくこの2週間のことは自分でも信じられないね」。

ポルトのジロ・デ・イタリアへの道、サクソバンクの契約ライダーとしての道は、オーストラリアの「波打ち際」から始まった。スポーツ狂の父親の導きで、リッチー青年はトライアスロンを始めることになる。

「父はサーファーだったんだ。そしてたぶん、父はもし僕が今サーフィンをやっていたら、もっと喜んだと思うよ!

僕は水泳からトライアスロンに進んだ。そこから自転車に乗るようになったんだ。なぜなら水泳は自転車のように何処にでも行けるようなスポーツじゃないから」。

リッチーがサイクリングに進んだのは良かった。ツアー・オブ・タスマニア2008で優勝し、同年のツアー・ダウンアンダーではオーストラリアナショナルチームのメンバーとして出場して、総合9位に。
昨年所属したチームは、アンドレア・ターフィがオーナーのチーム「ベドニ・グラッシ」だ。
オーストラリア選手権の個人TTでは、マイケル・ロジャース(HTCコロンビア)とキャメロン・マイヤー(ガーミン・トランジションズ)に次いで3位だった。ベビージロでも個人TTステージで優勝を挙げている。

オーストラリアはヴィクトリア州出身のブレット・ランカスターがポルトの苦しい最初の数年間をサポートした。そしてアデレード出身のオグレディがサクソバンクに入れるように口利きしてくれたという。

「僕はサイクリングの経験がまだ浅いから、まだ進歩する余地がいっぱいある。僕はグランツールと言うものを知らないけど、チームにはそれを教えてくれる選手がたくさんいるんだ」。

ポルトはタイムトライアルが得意で、クライマーでもある。彼のプロ初勝利はイタリアの小さな山の頂上ゴールを制して勝ってのことだ。そして彼はグランツール初優勝をここイタリアで挙げたいと思っている。

「ジロ・デ・イタリアのホワイトジャージが欲しい」。わずか数日前にそう話したポルトが、まさかピンクのジャージまで着ることになろうとは。



text:Gregor.Brown
translation:MakotoAYANO
Photo:CorVos

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