2018/11/28(水) - 11:36
おきなわ市民50kmオーバー60で優勝した福島雄二選手(ベステックス)のレポートをお届け。大腿骨骨折という大怪我を乗り越え、再び掴んだ栄冠は、奇跡の賜物? 18回連続出場、執念とも言える60歳超えで通算4度目の勝利は誰もが勇気をもらえる物語です。
2017年8月の悪夢
今年のツール・ド・おきなわの優勝は、大腿骨の骨折を境にしたゼロからの再スタート物語です。
昨年、鈴鹿サーキットでの落車により大腿骨を粉砕骨折しました。鈴鹿に1ヶ月間、手術入院で留まり、熊本に帰ってからもまた1ヶ月間のリハビリ入院となり、昨年のおきなわは退院後3回の実走しか出来ないまま出場することとなったのです。この悶々とした2ヶ月間でしたが、優勝の2文字のために、病院から与えられた範囲を(少しだけ?)超えてリハビリに励み、昨年はその甲斐あってか2位になり、来年の再起を誓ったのでした。
松葉杖を持っての表彰台を周りからは不思議に思われましたが、あの時点では10m歩くことにも難儀していましたし、今年も相変わらず歩きは苦手で杖が手放せません。なのに、自転車は私の杖代わりで、乗ってしまえば200kmでも走れます。自転車を発明した人に感謝と敬意を表します。
ツール・ド・おきなわの自分史
今年で18回連続出場になり、2001年から3年間は市民50km、2004年から8年間は市民80kmや市民100kmクラスに出場していました。その間、2007年の8位と2009年の10位が最高でしたが、元来スプリントが得意で、ヒルクライムが不得意なので、100km系レースでは分が悪かったのです。そこで年代別が細かく区分されたことを機会に市民50kmに出場を変更し、その年に夢にまで見た優勝の二文字を獲得する事が出来ました。
初優勝の2012年から、1位、2位、1位、2位、1位、2位で、今年が4度目の1位で、振り返ると偶数年が優勝、奇数年は2位となっています。これが学校の通知表なら先生から怒鳴られるところですが、何とも奇妙な順位です。なので来年は鬼門年?になりますが、この辺でジンクスを破りたいものです。
今年を振り返って
昨年の沖縄が終わってしばらくは本格的なリハビリの毎日でした(順序が逆?笑)。
病院でのリハビリを2月に終え、本格的な自転車トレーニングを始めたのが3月。最初は緩い登りや50kmにも満たない練習でも疲れていました。
6月の壱岐でのレースでは途中の登り区間で先頭集団から離され、4位に終わりました。
8月のシマノ鈴鹿ロードは昨年骨折した因縁の大会で、今年はトラウマを払拭すべく出走し、順位は3位でしたが、スプリント賞をゲットしたのでもう悪いイメージは残っていません。
10月に行われた地元開催のHSRは年4回の合計ポイントで争われ、年代別表彰でチャンピオンにはなったが、60歳台は私だけだったので、これは手放しでは喜べない気がします。
おきなわまでのレース結果はこのようにまあまあのものでしたが、練習メニューを例年になく変更しました。というのも、骨折以来得意なはずのスプリント力が戻らないのです。
スプリントで右足に力が入らなく、抜ける感じ。なので、今年は巡航力強化のため距離を稼ぐ練習にしました。(あくまでも自分比ですが)。暑い時期に月1400km程乗った効果なのか、TT系の持久力がつき、登りもこなせるようになりました。しかし相変わらず絶対的なスプリント力が無いので、今年のおきなわの勝ち方をどうしようかと考えていましたが…。
レースレポート どうしても勝利したかった。そして勝つために走った
昨年優勝者の茅木さんが別カテだったので、私がゼッケン1番になり、今年も最前列のセンター(AKB?笑)に並び、毎回のようにDJがらぱさんのインタビューもあって気持ちを高ぶらせてスタート。
海岸線に出る頃にはスピードも安定し、いつものローテーションが始まる。美ら海水族館のスプリント賞も井上選手のアタックでやられそうになるも、宣言文を書いていたので獲りに行く。
ところで、この年代の上位陣は危険な走りもなく安心して回せる。途中何度か散発的なアタックはあったが、全てチェックして警戒は怠らない。私が先頭を引く時も、いつでも対応できる心拍数で長めに引くように走る。
しかし私がレースをメイクしているつもりだったのに、毎回先頭にいるのはグリーンのユニフォームの内藤選手と渡辺選手だった。そればかりか、走りながら私の脚の状態を気遣うお言葉を頂き、お恥ずかしいやら嬉しいやら。
今帰仁の坂も今年は無理なくクリア。下って海が見えてからも穏やかに進行し、58号線に出てからもそんなにスピードは上がらない。
イオン坂では集団は20数人か。まだまだ予断は許さない。残り3kmぐらいに外側からの逃げもあったが、落ち着いてチェック。最終コーナーを抜けると、500mのサインが見えた時、後方からひとり、スルスル~と抜け出てきた!「ゴールまで持たない:80%、そのまま逃げ切られる:20%」!
「この20%をつぶしておかないと後悔する」と考えるまでの2秒間で50mほど距離が空いてしまった。これを追いかけて捕まえてホッとしたその瞬間に、綺麗なカウンターアタックで抜いていったのが高嶋選手だった。もうラスト300mを切っている!
私はまた追撃開始するも、直前で心拍上がっていて徐々にしか差が縮まらない。ただ確実にスピード差はあるので自信はあった。
実際抜き去ったのはラスト20mぐらいだったが、ゴール前では今までの毎日で練習していた「4勝目のサイン」でガッツポーズ。結果的に、今はできない爆発的なスプリントではなく、ロングスプリントになったことは自分にとって良かったかもしれない。
一昨年に勝った時のパワーが1224Wに比較して、今年は875Wしか出ていなかったが、10数秒持続したのは収穫だったと思う。ゴール後、沖縄タイムスの記者に、あらかじめ書いておいた優勝記事をジャージのポケットから取り出して渡した時は、記者さんからキョトンとされた(笑)。
総論
このツール・ド・おきなわで勝てると気持ちいいオフが迎えられます。しかし負けても来年への闘志ややる気に満ちてきます。勝っても負けても、自転車レースはやめられません。怪我なくこの調子が続けば、あと10年はやれると思うので、これからも記録を延ばしていきたいと考えています。
実はおきなわが終わったあと、大腿骨に入っていた金具を外すために入院していました。優勝したとはいえ、練習すればするほど右脚に入っていた金属と筋肉が擦れて痛みが出ていました。今回のレースでも、パワー的に左63%、右は37%しか踏めていなかったのです。しかし今は無事に抜釘手術も終わり、また歩行リハビリから始めていますので、来年はもう言い訳できない身体で戻ってきます。
今回復活出来ることを私が証明しましたので、怪我したり骨折したりして諦めかけている人がいたら、夢を捨てずに目標を持って行動してください。毎日の習慣を味方につけて進化していきましょう。
最後になりましたが、一緒に練習しているギンリンやZEN道場や熊本・福岡の面々、そして何より一番の練習相手でありマン・ツー・マンで相手してくれた息子の慎也にありがとうを言いたい。それから、身体のメンテナンスをして頂いている方、阿蘇水素水というサポートをやってもらっている松本さん、何より私の自転車漬けの毎日を許してくれている家族と会社の社員に感謝します。ありがとうございました。
使用機材
フレーム:TREKマドン9
ホイール:Light weightフェルンヴィーグ&オーバーマイアー
タイヤ:コンチネンタル コンペティション(8bar)
コンポ:シマノDURA-ACE 11S Di2 クランク(52×36T)
ペダル:speedplay
シューズ:GIRO プロライト 39
ヘルメット:OGK AERO-R1(XS)
text:福島雄二(ベステックス)
2017年8月の悪夢
今年のツール・ド・おきなわの優勝は、大腿骨の骨折を境にしたゼロからの再スタート物語です。
昨年、鈴鹿サーキットでの落車により大腿骨を粉砕骨折しました。鈴鹿に1ヶ月間、手術入院で留まり、熊本に帰ってからもまた1ヶ月間のリハビリ入院となり、昨年のおきなわは退院後3回の実走しか出来ないまま出場することとなったのです。この悶々とした2ヶ月間でしたが、優勝の2文字のために、病院から与えられた範囲を(少しだけ?)超えてリハビリに励み、昨年はその甲斐あってか2位になり、来年の再起を誓ったのでした。
松葉杖を持っての表彰台を周りからは不思議に思われましたが、あの時点では10m歩くことにも難儀していましたし、今年も相変わらず歩きは苦手で杖が手放せません。なのに、自転車は私の杖代わりで、乗ってしまえば200kmでも走れます。自転車を発明した人に感謝と敬意を表します。
ツール・ド・おきなわの自分史
今年で18回連続出場になり、2001年から3年間は市民50km、2004年から8年間は市民80kmや市民100kmクラスに出場していました。その間、2007年の8位と2009年の10位が最高でしたが、元来スプリントが得意で、ヒルクライムが不得意なので、100km系レースでは分が悪かったのです。そこで年代別が細かく区分されたことを機会に市民50kmに出場を変更し、その年に夢にまで見た優勝の二文字を獲得する事が出来ました。
初優勝の2012年から、1位、2位、1位、2位、1位、2位で、今年が4度目の1位で、振り返ると偶数年が優勝、奇数年は2位となっています。これが学校の通知表なら先生から怒鳴られるところですが、何とも奇妙な順位です。なので来年は鬼門年?になりますが、この辺でジンクスを破りたいものです。
今年を振り返って
昨年の沖縄が終わってしばらくは本格的なリハビリの毎日でした(順序が逆?笑)。
病院でのリハビリを2月に終え、本格的な自転車トレーニングを始めたのが3月。最初は緩い登りや50kmにも満たない練習でも疲れていました。
6月の壱岐でのレースでは途中の登り区間で先頭集団から離され、4位に終わりました。
8月のシマノ鈴鹿ロードは昨年骨折した因縁の大会で、今年はトラウマを払拭すべく出走し、順位は3位でしたが、スプリント賞をゲットしたのでもう悪いイメージは残っていません。
10月に行われた地元開催のHSRは年4回の合計ポイントで争われ、年代別表彰でチャンピオンにはなったが、60歳台は私だけだったので、これは手放しでは喜べない気がします。
おきなわまでのレース結果はこのようにまあまあのものでしたが、練習メニューを例年になく変更しました。というのも、骨折以来得意なはずのスプリント力が戻らないのです。
スプリントで右足に力が入らなく、抜ける感じ。なので、今年は巡航力強化のため距離を稼ぐ練習にしました。(あくまでも自分比ですが)。暑い時期に月1400km程乗った効果なのか、TT系の持久力がつき、登りもこなせるようになりました。しかし相変わらず絶対的なスプリント力が無いので、今年のおきなわの勝ち方をどうしようかと考えていましたが…。
レースレポート どうしても勝利したかった。そして勝つために走った
昨年優勝者の茅木さんが別カテだったので、私がゼッケン1番になり、今年も最前列のセンター(AKB?笑)に並び、毎回のようにDJがらぱさんのインタビューもあって気持ちを高ぶらせてスタート。
海岸線に出る頃にはスピードも安定し、いつものローテーションが始まる。美ら海水族館のスプリント賞も井上選手のアタックでやられそうになるも、宣言文を書いていたので獲りに行く。
ところで、この年代の上位陣は危険な走りもなく安心して回せる。途中何度か散発的なアタックはあったが、全てチェックして警戒は怠らない。私が先頭を引く時も、いつでも対応できる心拍数で長めに引くように走る。
しかし私がレースをメイクしているつもりだったのに、毎回先頭にいるのはグリーンのユニフォームの内藤選手と渡辺選手だった。そればかりか、走りながら私の脚の状態を気遣うお言葉を頂き、お恥ずかしいやら嬉しいやら。
今帰仁の坂も今年は無理なくクリア。下って海が見えてからも穏やかに進行し、58号線に出てからもそんなにスピードは上がらない。
イオン坂では集団は20数人か。まだまだ予断は許さない。残り3kmぐらいに外側からの逃げもあったが、落ち着いてチェック。最終コーナーを抜けると、500mのサインが見えた時、後方からひとり、スルスル~と抜け出てきた!「ゴールまで持たない:80%、そのまま逃げ切られる:20%」!
「この20%をつぶしておかないと後悔する」と考えるまでの2秒間で50mほど距離が空いてしまった。これを追いかけて捕まえてホッとしたその瞬間に、綺麗なカウンターアタックで抜いていったのが高嶋選手だった。もうラスト300mを切っている!
私はまた追撃開始するも、直前で心拍上がっていて徐々にしか差が縮まらない。ただ確実にスピード差はあるので自信はあった。
実際抜き去ったのはラスト20mぐらいだったが、ゴール前では今までの毎日で練習していた「4勝目のサイン」でガッツポーズ。結果的に、今はできない爆発的なスプリントではなく、ロングスプリントになったことは自分にとって良かったかもしれない。
一昨年に勝った時のパワーが1224Wに比較して、今年は875Wしか出ていなかったが、10数秒持続したのは収穫だったと思う。ゴール後、沖縄タイムスの記者に、あらかじめ書いておいた優勝記事をジャージのポケットから取り出して渡した時は、記者さんからキョトンとされた(笑)。
総論
このツール・ド・おきなわで勝てると気持ちいいオフが迎えられます。しかし負けても来年への闘志ややる気に満ちてきます。勝っても負けても、自転車レースはやめられません。怪我なくこの調子が続けば、あと10年はやれると思うので、これからも記録を延ばしていきたいと考えています。
実はおきなわが終わったあと、大腿骨に入っていた金具を外すために入院していました。優勝したとはいえ、練習すればするほど右脚に入っていた金属と筋肉が擦れて痛みが出ていました。今回のレースでも、パワー的に左63%、右は37%しか踏めていなかったのです。しかし今は無事に抜釘手術も終わり、また歩行リハビリから始めていますので、来年はもう言い訳できない身体で戻ってきます。
今回復活出来ることを私が証明しましたので、怪我したり骨折したりして諦めかけている人がいたら、夢を捨てずに目標を持って行動してください。毎日の習慣を味方につけて進化していきましょう。
最後になりましたが、一緒に練習しているギンリンやZEN道場や熊本・福岡の面々、そして何より一番の練習相手でありマン・ツー・マンで相手してくれた息子の慎也にありがとうを言いたい。それから、身体のメンテナンスをして頂いている方、阿蘇水素水というサポートをやってもらっている松本さん、何より私の自転車漬けの毎日を許してくれている家族と会社の社員に感謝します。ありがとうございました。
使用機材
フレーム:TREKマドン9
ホイール:Light weightフェルンヴィーグ&オーバーマイアー
タイヤ:コンチネンタル コンペティション(8bar)
コンポ:シマノDURA-ACE 11S Di2 クランク(52×36T)
ペダル:speedplay
シューズ:GIRO プロライト 39
ヘルメット:OGK AERO-R1(XS)
text:福島雄二(ベステックス)
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