2012/01/27(金) - 11:16
海外で活躍する日本人プロ選手が増え、本場ヨーロッパでの活動を志す若い選手も増えてきた。だが現実は甘いものではなく、涌本正樹(マトリックス・パワータグ)もその壁に見事にぶち当たった一人だ。悩み、落ち込み、そこから見出した「楽しさ」という光に向かって、彼は新たな道を進み始める。
ローカルな町のレースですら、全く入賞すらさせてもらえない。たくさんレースがあるのだから1回ぐらいまぐれがあってもいいと思うのだが、アマチュアローカルと言えどそこは本場。まぐれなど通用しない実力社会だった。
「弱者は喰われるのみ」 そんな世界の底辺にあるローカルレースの実情。そして、それを通してたどり着いた、私の今後の展望について少しでも皆さんに知って頂きたいと思う。
当地で行われているレースの距離は最低80km~120km。クラシックレースになれば200km近くなる。そのスピードは日本で感じることの出来ない領域であり、コースには様々な要因が現れレースを難しくする。
スタートから100kmに及ぶアタック合戦を繰り返した末にようやく決まる先頭集団。この先、どんな展開になるのか。全開にアンテナを張り巡らせ、何時間も集中し続け、ただひたすらハンドルにしがみ続ける。日本では到底経験できない、真のロードレースの難しさ・厳しさがそこにはある。
それは当地の選手が送っている自転車生活からも伝わる。ヨーロッパの熱心なアマチュア選手は、年間約90レースは出ている。年間通して、週1~3回はレースをしている。加えて冬場はトラックレースやシクロクロスにも出ている。
実際に、所属したクラブのチームメイトは「5日連続クラシックレースに出場した」と話していた。
いつも同じレースに現れる40代の"鉄人おじさん"に至っては、「夏の15日のバカンス中に14レースに出場した」と言う。
日本ではまずできないし、いきなりこんな事をやれば即潰れるだろう。しかしこれが、ヨーロッパの市民の日常として行われている。練習をして、レースもする。日本人からすれば、とびっきりに内容が濃い。
しかしこれが、最末端にある選手たちの実情であり、そんな過酷なレースですら、クラブチームレベルが大半というのが事実。
アマチュアの末端でさえ、上には上が、星の数ほどいる。こんなことは、日本に居ては気づきもしなかった。
事実、ここにはプロ予備軍とされる選手はほとんどいない。
若手で将来のある選手は、素質を見いだされて国際規模の大きなレースに転戦している。そのためローカルレースには、ほぼ出てくることは無い。
ではプロ予備軍のレース、そしてそのなかでプロになっていく選手とはどういったものなのか。
まず、ローカルレースなら調子がどんなに悪くとも、余裕の力でねじ伏せてしまう様な選手達が先頭集団を形成する。ここからプロになっていく選手は、その集団から頭ひとつ抜け出して走る。ライバルを蹴散らしてネオプロになっても、プロの世界で芽を出すかどうかは別の話。集団に埋もれる選手もいれば、消えていく選手もまた多い。そんな現実は歴史に染み付いている。
そのため、選手の8、9割は手に職を持っていたり、学生をしている。明日プロになるような選手でさえ、プロの道は将来の選択肢のひとつとして捉え、学業も並行しながら将来設計をしているというのも事実。
だからこそ、プロという世界は聖域に成りうるのだろう。本当の自転車ロードレースとは、それだけ体力も精神力も無いと出来ないもの。
しかしそんな聖域も、最近の別府史之さん、新城幸也さんたちの活躍により身近に感じるようになったかもしれない。それは、否定しない。事実、結果が物語っている。
私も、そこを目指している以上、いかに苦しかろうと「必ず行ける!」と自分だけは信じていた。
しかし、これらの現実に直面した時、その考えがいかに甘かったのか、気づかされたのは言うまでもない。
世界は想像の遥か彼方を行っていた。
年齢と実績のギャップができるなか、ただ唯一の精神的支柱であったヨーロッパプロになる夢、そしてツール・ド・フランスに出場する夢は、現実という壁にぶつかった衝撃で目が覚めたのかもしれない。
これに気づいた時から自分の夢、目標と真っ直ぐに向き合えなくなった。自分に嘘をついているような気がしはじめ、実際に真っ向から戦っている人たちに失礼だと感じるようになったから。目を背ける様になると、自然と情熱も薄れていった。
2日目のクリテリウムはオランダでやってきたことそのままで、本当に久しぶりに「楽しい」と感じた。苦しみしか感じていなかった中に、「楽しさ」を見出したのは意外な発見だった。これ以上続けるか、辞めるかと言う岐路に立っていた自分には、その時新しい道を見い出せた気がした。
そしてその日の帰りに決めた。「この気持ちを見出してくれたオランダに行こう」と。同時に、選手として専業を続けることは、辞めようと決めた。
この「楽しい」という感情は抽象的で、人によって感じる価値観は違うもの。でも今は、その「楽しい」を自転車レースを通じて多くの人に感じて欲しいと思っている。世界の人々を魅了する、この競技の本質を感じ取る場所をもっと身近に作ることが出来れば、それは可能だと信じている。
そのためには本質のある本場、ヨーロッパを知らなければならない。その中にある自転車大国オランダ。オランダのレースを作りあげた文化、歴史。そして、より具体的なクラブやレースの運営、育成システムを肌で学びたい。それらを我がものとした時、今度は日本と自分の色を融合させて、形にする。それが、これからの目標だ。
現在の日本では簡単に公道でレースなど出来ない。それなら、レースを出来る場所を作ってしまえばいい。
サーキットを作ってクリテリウムができる。オフロードコースもあってシクロクロスも出来る。BMXのコースもある。施設があって、メカニックブースやシャワー付き更衣室、フィットネスジム、カフェもある。トップ選手を呼んで、より高度なレッスンをしてもいいと思う。そんな夢の様な場所を作りたい。
当然、難しいだろう。でも無理とは思っていないし、やってみなきゃ分からない。
「失敗を恐れないで挑戦する」。私がロードレースから学んだ大切な事である。
語学を甘く見てはいけない。特に海外未経験であれば、指導者は絶対です。でなければ、ろくに生活も出来なければ、レースどころでもない。レースに出ても、当地の人たちとコミュニケーションも取れず、孤立していくだろう。
日本では教える側に立った私も、オランダに行けば教えられる側だった。話す言葉が分からなければ、そういったアドバイスを聞くこともできないし、身にもならない。
また、落車や万が一の事故にも対応出来ない。急病や、怪我のリスクは誰にでもある。まして慣れない海外なので、何が起きてもおかしくはない。そんな場所へ行こうと思うなら、十分に準備をすべき。
「行けばどうにかなる」という考えは、改めたほうが良い。でなければ、お金も時間も無駄に終わるから。
もう1つ。ツールを見すぎるあまり山岳スペシャリストに憧れて、平坦を疎かにするのは良くない。日本では通用するけれど、本場に行けば山岳にたどり着く前にいちローカル選手に平坦で潰されるでしょう。
あくまで基本が出来ているからこそ、勝負どころで勝負が出来る。その基本は、瞬発力、高速の持続力、集団のポジショニングだ。
世界のトップアマチュアを相手にして駆け上がるなら、まず1kmTTを1分7秒台でコンスタントに走る必要がある。ツール・ド・フランスに出たいという夢があるなら、こういう事も頭に入れておいて欲しい。
最後に、レースは果敢に闘って勝つもの。それが真のチャンピオンであり、それがロードレースの世界の人々を魅了する理由なんだと思う。
「現実という壁にぶつかり、見出した新たな道」
マトリックス・パワータグに所属した2年間のうち、フランス、ベルギー、オランダに遠征して、合計約11ヶ月間でアマチュアレースを約70レースほど転戦する経験ができた。本場でのレースは、ネットや雑誌を通じてでは分かり得ないものだった。ローカルな町のレースですら、全く入賞すらさせてもらえない。たくさんレースがあるのだから1回ぐらいまぐれがあってもいいと思うのだが、アマチュアローカルと言えどそこは本場。まぐれなど通用しない実力社会だった。
「弱者は喰われるのみ」 そんな世界の底辺にあるローカルレースの実情。そして、それを通してたどり着いた、私の今後の展望について少しでも皆さんに知って頂きたいと思う。
当地で行われているレースの距離は最低80km~120km。クラシックレースになれば200km近くなる。そのスピードは日本で感じることの出来ない領域であり、コースには様々な要因が現れレースを難しくする。
スタートから100kmに及ぶアタック合戦を繰り返した末にようやく決まる先頭集団。この先、どんな展開になるのか。全開にアンテナを張り巡らせ、何時間も集中し続け、ただひたすらハンドルにしがみ続ける。日本では到底経験できない、真のロードレースの難しさ・厳しさがそこにはある。
それは当地の選手が送っている自転車生活からも伝わる。ヨーロッパの熱心なアマチュア選手は、年間約90レースは出ている。年間通して、週1~3回はレースをしている。加えて冬場はトラックレースやシクロクロスにも出ている。
実際に、所属したクラブのチームメイトは「5日連続クラシックレースに出場した」と話していた。
いつも同じレースに現れる40代の"鉄人おじさん"に至っては、「夏の15日のバカンス中に14レースに出場した」と言う。
日本ではまずできないし、いきなりこんな事をやれば即潰れるだろう。しかしこれが、ヨーロッパの市民の日常として行われている。練習をして、レースもする。日本人からすれば、とびっきりに内容が濃い。
しかしこれが、最末端にある選手たちの実情であり、そんな過酷なレースですら、クラブチームレベルが大半というのが事実。
アマチュアの末端でさえ、上には上が、星の数ほどいる。こんなことは、日本に居ては気づきもしなかった。
事実、ここにはプロ予備軍とされる選手はほとんどいない。
若手で将来のある選手は、素質を見いだされて国際規模の大きなレースに転戦している。そのためローカルレースには、ほぼ出てくることは無い。
ではプロ予備軍のレース、そしてそのなかでプロになっていく選手とはどういったものなのか。
まず、ローカルレースなら調子がどんなに悪くとも、余裕の力でねじ伏せてしまう様な選手達が先頭集団を形成する。ここからプロになっていく選手は、その集団から頭ひとつ抜け出して走る。ライバルを蹴散らしてネオプロになっても、プロの世界で芽を出すかどうかは別の話。集団に埋もれる選手もいれば、消えていく選手もまた多い。そんな現実は歴史に染み付いている。
そのため、選手の8、9割は手に職を持っていたり、学生をしている。明日プロになるような選手でさえ、プロの道は将来の選択肢のひとつとして捉え、学業も並行しながら将来設計をしているというのも事実。
だからこそ、プロという世界は聖域に成りうるのだろう。本当の自転車ロードレースとは、それだけ体力も精神力も無いと出来ないもの。
しかしそんな聖域も、最近の別府史之さん、新城幸也さんたちの活躍により身近に感じるようになったかもしれない。それは、否定しない。事実、結果が物語っている。
私も、そこを目指している以上、いかに苦しかろうと「必ず行ける!」と自分だけは信じていた。
しかし、これらの現実に直面した時、その考えがいかに甘かったのか、気づかされたのは言うまでもない。
世界は想像の遥か彼方を行っていた。
年齢と実績のギャップができるなか、ただ唯一の精神的支柱であったヨーロッパプロになる夢、そしてツール・ド・フランスに出場する夢は、現実という壁にぶつかった衝撃で目が覚めたのかもしれない。
これに気づいた時から自分の夢、目標と真っ直ぐに向き合えなくなった。自分に嘘をついているような気がしはじめ、実際に真っ向から戦っている人たちに失礼だと感じるようになったから。目を背ける様になると、自然と情熱も薄れていった。
「ロードレースから学んだ大切な事」
暗闇の中、このまま続けていてはあらゆる面でダメだと感じている時に、8月のみやだロードレースに出場する。2日目のクリテリウムはオランダでやってきたことそのままで、本当に久しぶりに「楽しい」と感じた。苦しみしか感じていなかった中に、「楽しさ」を見出したのは意外な発見だった。これ以上続けるか、辞めるかと言う岐路に立っていた自分には、その時新しい道を見い出せた気がした。
そしてその日の帰りに決めた。「この気持ちを見出してくれたオランダに行こう」と。同時に、選手として専業を続けることは、辞めようと決めた。
この「楽しい」という感情は抽象的で、人によって感じる価値観は違うもの。でも今は、その「楽しい」を自転車レースを通じて多くの人に感じて欲しいと思っている。世界の人々を魅了する、この競技の本質を感じ取る場所をもっと身近に作ることが出来れば、それは可能だと信じている。
そのためには本質のある本場、ヨーロッパを知らなければならない。その中にある自転車大国オランダ。オランダのレースを作りあげた文化、歴史。そして、より具体的なクラブやレースの運営、育成システムを肌で学びたい。それらを我がものとした時、今度は日本と自分の色を融合させて、形にする。それが、これからの目標だ。
現在の日本では簡単に公道でレースなど出来ない。それなら、レースを出来る場所を作ってしまえばいい。
サーキットを作ってクリテリウムができる。オフロードコースもあってシクロクロスも出来る。BMXのコースもある。施設があって、メカニックブースやシャワー付き更衣室、フィットネスジム、カフェもある。トップ選手を呼んで、より高度なレッスンをしてもいいと思う。そんな夢の様な場所を作りたい。
当然、難しいだろう。でも無理とは思っていないし、やってみなきゃ分からない。
「失敗を恐れないで挑戦する」。私がロードレースから学んだ大切な事である。
「ヨーロッパプロを目指す人たちへ」
最後に、これからヨーロッパプロを目指す将来ある方々に伝えたい。語学を甘く見てはいけない。特に海外未経験であれば、指導者は絶対です。でなければ、ろくに生活も出来なければ、レースどころでもない。レースに出ても、当地の人たちとコミュニケーションも取れず、孤立していくだろう。
日本では教える側に立った私も、オランダに行けば教えられる側だった。話す言葉が分からなければ、そういったアドバイスを聞くこともできないし、身にもならない。
また、落車や万が一の事故にも対応出来ない。急病や、怪我のリスクは誰にでもある。まして慣れない海外なので、何が起きてもおかしくはない。そんな場所へ行こうと思うなら、十分に準備をすべき。
「行けばどうにかなる」という考えは、改めたほうが良い。でなければ、お金も時間も無駄に終わるから。
もう1つ。ツールを見すぎるあまり山岳スペシャリストに憧れて、平坦を疎かにするのは良くない。日本では通用するけれど、本場に行けば山岳にたどり着く前にいちローカル選手に平坦で潰されるでしょう。
あくまで基本が出来ているからこそ、勝負どころで勝負が出来る。その基本は、瞬発力、高速の持続力、集団のポジショニングだ。
世界のトップアマチュアを相手にして駆け上がるなら、まず1kmTTを1分7秒台でコンスタントに走る必要がある。ツール・ド・フランスに出たいという夢があるなら、こういう事も頭に入れておいて欲しい。
最後に、レースは果敢に闘って勝つもの。それが真のチャンピオンであり、それがロードレースの世界の人々を魅了する理由なんだと思う。
プロフィール
涌本 正樹 わくもと まさき
1988年8月14日生まれ(23歳)
1988年8月14日生まれ(23歳)
高校を卒業後、5シーズンに渡って安原監督に師事して鍛錬を積み選手活動を続けるが、11シーズン終了と共にプロ活動を終え、本場ヨーロッパでの経験も活かした新たな道を進む。
2007.3 大阪府立金剛高校卒業
2007.4 マトリックスZ(サテライトチーム)所属
2008.1 マトリックス・パワータグ入団
2011.12 マトリックス・パワータグ退団
主な戦績:
2008 都道府県対抗ロード優勝、シマノ鈴鹿国際ロード 2位
2009 U23全日本選手権4位、シマノ鈴鹿国際ロード 6位
2010 GP Montauban(フランス) 3位
2011 Booiscot(ベルギー) 4位
2007.4 マトリックスZ(サテライトチーム)所属
2008.1 マトリックス・パワータグ入団
2011.12 マトリックス・パワータグ退団
主な戦績:
2008 都道府県対抗ロード優勝、シマノ鈴鹿国際ロード 2位
2009 U23全日本選手権4位、シマノ鈴鹿国際ロード 6位
2010 GP Montauban(フランス) 3位
2011 Booiscot(ベルギー) 4位
Panaracer 「新スポーツ用ポンプシリーズ」
Panaracerサポート選手の注目リザルト |
ブエルタ・チリ 2012(UCI 2.2) |
第1ステージ チームタイムトライアル 16位 チームNIPPO 関連ニュース:南米チリでステージレース開幕 内間出場のチームNIPPOは初日16位 第2ステージ 4位 マキシミリアーノ・リチェーゼ選手(チームNIPPO) 関連ニュース:アンダルシアのロバトがスプリント勝利 NIPPOのリチェーゼは4位 第3ステージ 91位 内間康平選手(チームNIPPO) 関連ニュース:内間康平が逃げに乗るも勝負に絡めず 総合首位マンシーリャが勝利 第4ステージ 46位 内間康平選手(チームNIPPO) 関連ニュース:内間康平が果敢に終盤ソロエスケープ 頂上ゴールでアルモナシド勝利 第6ステージ 2位 マキシミリアーノ・リチェーゼ選手(チームNIPPO) 関連ニュース:総合首位マンシーリャが集団スプリントを制す NIPPOのリチェーゼは2位 第8ステージ 3位 マキシミリアーノ・リチェーゼ選手(チームNIPPO) 関連ニュース:クリストファー・マンシーリャがスプリントを制する NIPPOのリチェーゼは3位 第10ステージ 5位 マキシミリアーノ・リチェーゼ選手(チームNIPPO) 関連ニュース:アンダルシアのロバトが最終ステージ勝利 アルモナシドが総合優勝を果たす |
Panaracerサポートチーム情報 | |
ソール・ソジャサン(フランス) | |
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マトリックスパワータグ | |
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宇都宮ブリッツェン | |
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チームNIPPO | |
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提供:パナソニック ポリテクノロジー株式会社